フランス革命 part2©2ch.net
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>ロベスピエール
こいつには何か謝罪の言葉を言わせてから首を落とすべきだったが、
顎に穴が空いて喋れなかったのは残念。 共和派の目線に立つのがフランス革命史での正しい作法 >>7
そんな古臭いモードは過去の遺物だ。
今は人権尊重の観点から、恐怖政治の首魁をディスるのが格好いい。 童貞のまま死なねばならない悲しさに共感しないというのですか?
(非童貞説には耳を貸さない)
〜〜 歴史の神秘に育まれた国家とは、祖先の叡智が幾世紀も幾十世代も堆積したその上に築き上げられた荘重な建造物であり、祖先より相続した「世襲の生命体」である。
この故にまた、悠久に国家が永続して行く為の命と活力のエネルギー源は、祖先を尊崇し、祖先が遺した伝統や慣習を畏れを以って保守して行く子孫たちの、いわゆる「保守主義の精神」に依って立つしかない。
すなわち我々国民が、「世襲の義務」である「祖先を畏れる精神」「伝統・慣習を保守する精神」を仮に失うとすれば、国家は生命源を涸渇させて行くから、最後には亡国の淵に立つ。
国家とは過去の祖先と、未来の子孫と、現在の国民とが、同一の歴史と伝統とを共有する精神の共同社会であるから、国家が魂を再生して永遠に存続するには、過去と未来と現在の国民とが、いつもパートナーシップの絆で結ばれていなくてはならない。
憲法とは浅薄な人間の智力で、国家を「設計する」が如くに作るものではない。如何なる天才の何十倍・何百倍も賢明な祖先の叡智の中に「発見する」ものであると考える英国や米国の憲法思想を以って、「正統の憲法」というのである。
またその憲法によって、国民の自由が擁護されるだけでなく、人格の道徳的・倫理的向上が図られるのを「正しい憲法」というのである。
英国と米国の憲法は、自由を抑圧し、人格の低級化・動物化をもたらすフランス革命と、それを起こしたルソーらの啓蒙哲学の影響を回避したが故に、
「革命のドグマ(教理)」というべき革命フランス系の「偽りの憲法」もしくは「異端の憲法」とは対極的な、正しい憲法原理を堅持する事に成功したのである。
すなわち、英米系の憲法は自由の擁護に欠く事の出来ない、「法の支配」や「立憲主義」を憲法原理とする。
が一方、フランスの革命憲法は逆に、「立憲主義の破壊」を積極的に目的とし実践した。
また「法の支配」を全く知らなかっただけでなく、「法」の支配する政治でなく、「無制限の権力を持つ者(革命家や独裁者)」の支配する政治を考案した。
自由は「法の支配」なくしては棲息出来ないから、フランス革命憲法の下で、国民の自由(生命)が侵害されて、人々がギロチンその他で虐殺されたのは自明であった。
(続き)
・・・戦後日本の憲法学が学問ではなく政治宣伝と言っていいのは、英米の憲法思想を事実上全く抹殺するか、歪曲するからである。
例えば「人権」と「国民主権」を断固排除した米国憲法が、英国と同等若しくは英国以上に「保守主義の精神」で貫かれて起草され、
制定されたという、初歩的事実すら、(わが国では)如何なる憲法教科書にも書かれていない。
米国憲法が最も依拠したのが「法の支配」を理論化した17世紀初頭の英国のエドワード・コーク卿であり、
米国憲法の根本を定めたアレクサンダー・ハミルトンは、このコーク卿の思想的嫡流であるが、コークやハミルトンの名は(現代日本の)殆どの憲法教科書に見当たらない。
そもそも正しい憲法理論はエドマンド・バークによって完成したのであり、バークに学ばない憲法学など、偽りである事は明白である。 〜〜
(『正統の憲法 バークの哲学』著/中川八洋 [中公公論新社/2001年])
首都に行って名を上げるのがよい事なのか、ロベスピエールを見ると考えさせられる。
田舎で弁護士を続けていた方が幸せだったような気が。 ロベスだって娼婦くらい買ってるよ。
あの年齢まで何もないなんてことはない。 妹の証言が根拠なんだっけ
普通に妹に遍歴をペラペラしゃべらないよな >>4
>こいつには何か謝罪の言葉を言わせてから
あんまりそういう事にこだわらず、サクサクとあの世に送ってくれるのが
むしろフランス人のいい所だと思ってる。
これがロシアや中国なら散々痛めつけられて、私はスパイで裏切り者ですとか、
資本家の手先ですとか言わされた後で殺される。惨たらしい。 ルイ16世が街中でウンコ投げるの禁止令を出してるが抜本的な対策がないから
誰もやめなかったそうだが、ウンコを集めて郊外に穴でも掘って捨てるとか
そういう考えはなかったのかねえ。しかしパリの町は今でも汚い。国民性か? 今のフランス人ならゴミまみれの
町がフランスを代表する都市というのはまったく芸術的ではないとか行ったらゴミ減るかもな フランス革命を語るにおいては
なにはともあれ、エドモンド・バークを読むべし // whisper -voice.tracisum.com/?eid=394
■二十歳で男爵夫人の愛人に
親としての情が欠片も感じられない、ルソーの生涯
わが子を全部、孤児院に入れる
ルソーは1712年、スイス ジュネーヴの時計職人の子に生まれ、母は8日後に死去。7歳頃から父と共に小説や歴史の書物を読み、この頃、理性よりも感情の優位を説く思想の基礎を築き、1725年に父と兄が家を出てしまい、ルソーは牧師や法律家に預けられた後、
彫金工に弟子入りするなど苦しい体験を経た後に出奔、放浪生活を送り、様々な職業を経験しますが、どの職業にも落ち着くことができませんでした。
1732年にジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受け、孤独を好む一方で膨大な量の読書をし、教養を身につける。夫人の愛人でもあった、この時期については、生涯でもっとも幸福な時期だったと晩年回想している。
夫人と別れた後、1740年から1741年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者コンディヤックの実兄・歴史家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。
1745年、下宿の女中テレーズ・ルヴァスールを愛人として事実婚、10年間で5人の子供を産ませるが5人とも孤児院へ送った。このようなエピソードから、ルソーは“矛盾の人”ともいわれる。
『エミール』を書いた教育思想家として歴史に名を残す偉人とされているが、父親としては無責任なルソーの経歴。
ルソーの矛盾は、彼の子供時代が影響しているのでしょう。自身が父親へ反発すると同時に、父親としての意識が欠如、父親の理想像を描けなかったルソー。
もっと尊敬できる愛情に満ちた父親との出会いがあったなら、きっと彼の人生も著作も全然違うものになっていたことでしょう。
極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者に性的虐待を行い妊娠させては次々に捨てるなど、性倒錯傾向も顕著で、狂人めいた私生活を送っていたルソー。自身の著書『告白』などでそれら様々な行動についても具体的に触れており、少年時代は強姦未遂で逮捕されたこともある。
>ルソー
歴史に残る露出狂だな。
こんな変態を尊敬するジャコバンって。 モノ書きで売るには、ちょっと変態なぐらいで丁度いいんよ。 ジャコバン派が封建領主制を廃止したと思っている人が多いよね。 >>12
実際>>10>>11の書いてある内容も嘘ばっかだからな
低俗なコピペだったと後で気付いたけど、最初は気付かずに別スレで全て反論してしまったw フランス革命は間違っています。
ルイ16世、マリー・アントワネット、ルイ17世がなぜあんな悲惨な目に遭わなければいけなかったのでしょうか。
そのほかにも殺された人はたくさんいます。
化学者のなんとかっていう人も殺されていますし、ヴァンデの虐殺では惨酷なことをされていますし。
残虐非道なフランス革命は断罪するべきです! >>28
アメリカ革命でも、トーリーと呼ばれる英国派の人たちが
殺されたり、アメリカから追放されたりしてるぞ
死者の数は、独立戦争と一緒になって定かではないが、追放された人の数は10万人程度と言われてる
革命ってのは、そういうもの 古今東西、どこの国でも革命前後では多くの人が命を失うもんね。
フランスでも年間に1000人くらいが断頭台送りになったんだっけか。
なにより、最近、驚いたのが、つい最近までギロチンがフランスやスイスの正式な死刑の形だったってこと。
あれ、ヨーロッパだと人道的な処刑方だと考えられてるの? 首ちょんぱだよ? 当事者が苦しまない死刑方法として開発されたんだよ。 だから米国にもおかしな所があるでしょ。
自助、自立の精神を重視するのは良いとして、
市場競争システムを原理主義派のように崇めるところとか。
名誉革命
明治維新
東欧革命(反革命の革命)
以外には正統な革命は無かったと思う。
革命を経験したフランスが安定してくるのは、
第三共和制に入ってからだし。
18世紀末〜19世紀のフランスは本当に回り道しまくったと思う。
その間相対的には(他国との比較で)国力は落ちる一方だったし。 当時はあんまり前例のないことだからね。暗中模索の手探り状態で、
最善手を打ち続け最短ルート通り最速で最良の結果を出す、ってわけにもいかんだろう。 明治維新が正しいっていうのは、俺たち日本人の贔屓目の見方
正直、倒幕派だけでなく佐幕派にも、ちゃんとした筋道が通ってたのに戦争になってたし
倒幕した後の、
その後の明治政府も、事実上薩長が牛耳ってる状態だったしな
それで言えば
アメリカ人も、アメリカ革命が正しいと思ってるよw 東欧革命にしても、その後の内戦続きで今もドンパチやってるのに
それを正統だとか、頭おかしい
そもそも、どういう部分を「正統」なんて言ってるのか、さっぱりわからん
お前の価値観一つで正統か異端かを決めるとか、大丈夫かねw
それでももし、正統なものを無理にでも決めろというなら
無血革命を成功させた名誉革命くらいなものだ 倒幕派の薩長のバックには、フランスとイギリス
佐幕派のバックには、アメリカがついてたんだっけ
どっちが勝っても、欧米の属国になるだけだというんで、坂本竜馬が大政奉還を進言したんだよな
しかし、それで恨みを買った坂本竜馬は暗殺されてしまう
明治維新後も、西南戦争とかの内戦が起こってるし
正統な革命なんてあるのかねぇ >>36
>佐幕派のバックには、アメリカがついてた
だから維新後、鉄道を引いたりするときにアメリカは借款に応じなかったのか >>37
明治維新の前後は運の良いことにアメリカが南北戦争してたから日本は経済的にも政治的にも侵略されずに済んだ。 19世紀中葉の米国は、南北戦争もあるけど、墨国とやり合っているようなレベルだし、海軍も超弱小だから、海を渡って日本に攻め入る力なんか無かったよ。 南北戦争前の正規陸軍は約15000名でしたからね
あの広い国土で
州の義勇軍も存在していたけれど、中隊レベルでの訓練が関の山
大隊や連隊での機動など夢のまた夢
隊は地元名士の社交クラブと化していて・・・
ワイオミング号の活躍は特例かと
そもそも、アラバマ号と単艦で交戦する覚悟の艦だったし >>28
>フランス革命は間違っています
大筋では正しい。
ごく少数の貴族が遊び暮らし、庶民が貧困で飲まず食わず。
この体制を倒したのは、絶対的に良い。
ただ暴走もあったし、問題や紆余曲折も多かった。 あれは革命と言うより内乱であり民主主義や共和制を目指して、
革命したのにロベスピエールの恐怖政治やナポレオン帝政独裁に至ることがまず持っておかしい。
近代市民革命とか言って美化するのはやめろ。
ただの内乱だ。 そう通りだと思う。
七月革命や二月革命は近代市民革命に位置付けられると思うけど、
あの革命はクーデター、内乱に過ぎないね。 革命というのは、
統治体制が急激かつ根底的に変革されること
フランス革命は、典型的な革命です >>46
>クーデター、内乱に過ぎないね。
例えそうでも、旧来の間違った体制を潰したのは絶対的に正しい。
まあ虐殺を伴ったり、問題点も多いが。
フランス革命 - Wikipedia // ja .wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD&oldid=20705402
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・・・▼評価
・・フランスが最初に体制転覆にまで至ったのは、フランス文化の昇華によってヴォルテールやルソーを輩出したことと、国民が煽動に乗ったことに大きな原因があり、王宮の浪費による財政破綻によって国民の不満が頂点に達していたから、というのは必ずしも真実とはいえない。
革命直前の大蔵大臣ネッケルは、革命後に「国庫は節約すれば建て直すことも可能であった」と述べている。
実際に耐え難い経済的困窮が生じたのは革命後であり、当時のGDPを正確に計る手段は存在しないが、数年のうちに財政収入が1/3減少したことから、フランスのGDPは革命前の1/3が急速に失われたと推測される。
「国の財政難の状況から貴族も税金も払うべき。」と主張し、国の財政難を救うために始まった革命が、革命末期には「どのようなことを手段を用いても革命を守るべき。」と、革命そのものを目的とするようになった。
つまり革命が手段から目的に変わってしまったことで当初の目的が失われる結果となった。
革命の結果、あくまで特権を守ろうとしていた特権階級は結局、全ての特権を失うことになったが、同時に、革命に狂奔したフランス国民もまた革命の結果、皮肉にも社会の安定と慣習による保護を剥奪されるに至った。
ユートピアを求めた革命により、社会が崩壊し独裁に陥ることを、当時イギリスの国会議員であったエドマンド・バークは「フランス革命の省察」において警告し、現実はその通りとなった。
・・・フランス革命は、フランス本国において当初は高い評価がなされてきたが、研究が進むにつれ否定的な意見も増加している。特に後の共産主義独裁の原形とも言うべき恐怖政治については賛否両論がある。また近年、ルイ16世の再研究と再評価が行われるようになった。
ルイ16世は、財政のみにとどまらず様々な分野で改革を試み、国家の立て直しを計ってきたのであり、
・・・ルイ16世の失政のみが革命の原因であるとする意見には疑問が大きい。また、ルイ16世を啓蒙専制君主として位置づける見方もあり、ルイ16世は革命が始る前までは暗君ではなかったという説もある。
現在の欧米でのフランス革命の評価は、おおむね単なる「人民叛乱」との位置づけとなっているようである。[要出典]
1989年のフランス革命200年記念式典はフランス国家主催の盛大な催しであったにもかかわらず、アメリカをはじめとする主要国は元首クラスを式典に派遣していない。
同年の先進国首脳会議における演説の中で、イギリス保守党のサッチャー首相はフランス革命について次のように述べた
「人権はフランス革命から始まったのではありません。……(それは)ユダヤ教とキリスト教の混合に本当は由来しているのです。……(私たちイギリス人には)1688年に、王を制して議会がその意志を発揮した静かな革命がありました。
……それはフランスのような革命ではありませんでした。……自由、平等、同胞愛、これらは義務と務めを忘れたものだと思います。そしてもちろん、同胞愛は長い間、顧みられませんでした。」
かつてフランス革命を肯定的に記述する研究者はマルクス主義者が多く、その著作はマルクス史観で描写されることが多かったが、マルクス主義が衰退した現在においてはそうした傾向は影をひそめている。
なお、左派の中では、直接的に行動をおこしたのは民衆でこそあれ主に革命を主導したのは当時育成されつつあった中間層などいわゆるブルジョア階級であり、そういう意味でロシア革命などその後の共産主義革命と異なる「ブルジョア革命」ではないかという研究がなされ、
左派からも否定的に見られることがある。
またロシア革命とボリシェヴィキ独裁による恐怖政治、カンボジアにおけるポル・ポトとクメール・ルージュによる大量虐殺、北朝鮮の恐怖政治など、共産主義政権による独裁体制はフランス革命における恐怖政治を発祥にしていること、
テロリズムの語源がフランス革命のテロル(恐怖/体制による恐怖政治のこと)であることなどから、今日では歴史家のみならず哲学者などの多くの知識人でフランス革命に否定的な態度をとるものも多い。
たぶん、革命って呼びたくないって言ってるヤツは
革命に夢を見すぎてんじゃね?w
そこには辞書的な、そして歴史的な意味しかない
それに該当するものは全て革命であって、それ以上の価値はない
革命という言葉に夢見ちゃってる夢想家ちゃん以外はなw 革命の流れの中にクーデターや内戦が有っても変では無いかと
てか、その2つの無い革命の方が少ないのでは? >1688年に、王を制して議会がその意志を発揮した静かな革命がありました
1649年の革命にもちゃんと言及してやれよ、鉄子w まだ情弱ブサヨはフランス革命は正義だと思ってるんだよなあ、外国のひも付き連中の政府転覆なのに それを言うと、アメリカも思い切りヒモ付きだったがw >>55
>外国のひも付き連中の政府転覆なのに
でも極一部の貴族が豪勢な生活、民衆は貧困で飲まず食わず、
な体制を潰した点は絶対的に正しい。 >>56
>左翼革命は全て叩くべし
当時は民衆に参政権が無かったからな。
重税で苦しめる体制を変えたかったら、実力行使しか無いぞ。
お前が当時の民衆に生まれ、重税で生きるか死ぬかでも無抵抗? 革命って、それ自体が革新的勢力によるものだからなぁ
左翼って言葉が生まれたのは、フランス革命以降だけど
名誉革命もアメリカ革命も、革新的勢力によって行われた革命だ
例えば、ゲリラって言葉が生まれたのは19世紀の始めだけど
ゲリラ活動やゲリラ戦自体は、もっと昔からあったように、
左翼って言葉が生まれる前から、左翼的、革新主義的な行動による革命というのはある
アメリカ革命でも、当時の保守派、トーリーと呼ばれる人たちを
革新派閥(愛国派と呼ばれてた)が弾圧したり、追放したりしてたしな ↓分かった様な事を書く低脳
・革命は虐殺など暴走や紆余曲折
・単なる内乱やクーデター
・外国の陰謀
だから何?
民衆を理不尽に苦しめる体制には抵抗して良いという【価値観】が重要なんだよ。 反逆した民も虐殺するかも知れないが、
王権側も不都合な民を虐殺する。
民を絞って贅沢な暮らしをする王権側、
生存の為に反逆する民衆。
後者を支持するのは当然。 >>63
奴隷根性の奴がフランス革命を叩きたがるよな。
「王様の権利は神から与えられた物だから、苦しくても民衆の反乱は間違い」とか。
保守主義の哲学シリーズ?2 ‐‐‐ホッブスの「国王絶対主権論」VSヘイルの“法の支配”:
// burke -conservatism.blog.so-net.ne.jp/2009-09-01
日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。
===
(2)英国「全体主義の祖」トマス・ホッブス、英国「左翼哲学の怪人」ジェレミー・ベンサム
●ホッブスの「国王絶対主権論」
コモン・ローの大法律家であるエドワード・コーク卿の没後、英国は政争と内戦の嵐のような一時代を迎える。そのような時代にあって、机上の思弁に過ぎない、極めて非英国的な(全体主義的な)思想が突然生まれて、しかも後代に甚大な影響を残すことになった。
人間の社会を機械のようにモデル化するトマス・ホッブスの異様な思惟(思想)である。
日本の学界・教育界では、「全体主義の祖」ルソーと並んで英国の「全体主義の祖」ホッブスを崇拝し神格化するものが絶えないため、英国及び人類の思想史上、ホッブスなど比較にならない、知の巨星であったエドワード・コークについてすら抹殺的な無視をしてきた。
日本のほぼ全大学の法学部でもその大学院でもコークを知らない、そしてそれ故にコークの著作を決して読めない状態にしておいて、コークを揶揄嘲笑するホッブスの方だけを学生に読ませている。
これは、事実上、思想の自由も研究の自由も認めない、日本の学界・教育界の戦慄する実態の氷山の一角である。かような実態は、日本国民のほぼ全部が、ホッブスやベンサムやJ・Sミル
(=すべて左翼哲学者・全体主義思想家)の名前は知っていても
エドワード・コークやマッシュー・ヘイルやウィリアム・ブラックストーン(=真正の保守主義者)の名前を聞いたことすらないことで明らかであろう。
これは、日本の教育界・学会が左翼哲学・全体主義思想(キング・コブラ)に染まっていて、その天敵である“法の支配”を支柱とする保守主義(マングース)を日本から排除しようとしているかのごとくである。
話をホッブスに戻して、まず彼の著作における狂言をを紹介しよう。まず、ホッブス著『英国コモン・ローについての、哲学者とコモン・ロー学徒との対話』(1681年刊)から。
ちょっと一言。このタイトルで哲学者とはホッブス自身のことであり、コモン・ロー学徒とはコークの信奉者のことである。
・・・以下ホッブスの言説を列挙するが、ホッブスが「哲学者」でコーク信奉者が「学徒」とは何という傲慢と事実転倒であろうか。
現実はホッブスが「落第点の学徒」でコークが「偉大な哲学教授」である。ホッブスは言う、
「わが国王は、制定法とコモン・ローの双方の立法者である。」
「国王は唯一の立法者である。唯一の至高の裁判官である」
「国王は神の法のみ服するが、成文法・不文法のいずれにも、そしてその他の法にも服さない」
次に、有名なホッブス著『リヴァイアサン』(1651年)から。ちょっと一言。ホッブスとは「絶対主権」の一元的権力のもとでの「支配―被支配」的関係の政治体制が理想と論究していくその詭弁の論理として、あの有名な「万人の万人に対する戦争」というありもしない、
また、歴史的にも存在しない仮構(フィクション)を「自然状態」と定義する創作をなした。ホッブスは、「万人の万人に対する戦争」の状態よりは「絶対主権の下での服従による平和」の方がましとの、
架空の恐怖を煽られるとやたらと安心・安全を求める人間の弱い心理をその「絶対主権」の論理に悪用したのである。それが、『リヴァイアサン』の趣旨である。ホッブスは言う、
「主権は全体に生命と運動をあたえる人工の魂であり、為政者たちやその他の司法や行政の役人たちは人工の関節である。」
「内乱のさいの悲惨で恐るべき災厄と、支配者のいない人々のあの無法状態と比べると(絶対主権下の服従という)一般人民におこりうる最大の不便さえも大したことではない。」
「(主権が)国王・上院・下院に分割されているという意見(権力分立論)が、イングランドのほとんどすべての部分ではじめに受け入れられなかったならば、人々が二派(国王派=騎士党VS
議会派=円頂党)に分かれて、
(清教徒革命という)内乱を引き起こすことも決してなかった。」
「臣民たちの行為の善・悪・合法・非合法に関するこれらの(絶対主権者の定める)規則が、・・・・個々のコモン=ウェルス(国家)の法律である。」
「市民法(=絶対主権者の立法)が、何が正直で何が不正直なのか、何が正義で何が不正義か、そして一般に何が善で何が悪なのかを決定する。」
このような思考の下では、法も道徳も絶対主権者の命令にすぎなくなるが、
・・・ホッブスの思考の浅さとはそのような程度のものであり、二十世紀の自由の政体を破壊する全体主義体制の論理
そのものである。
上記の「主権」、「絶対主権者」を二十世紀の「ヒトラー」「レーニン」「スターリン」に置き換えれば、そのまま当てはまることが容易に理解できるであろう。だから、ホッブスは英国「全体主義の祖」なのである。
このような「絶対支配――絶対服従」の政治体制において、服従者の「生命の自由」は保障されるのだろうか。ホッブスは自己保存つまり、生命の維持の権利のみは、臣民、個人個人が所持している(?)と言う。ホッブスは言う、
「服従しない自由をもっている。」
「だれでも自分の死や傷害や投獄から(自分を)免れさせる権利を(絶対主権者に)譲渡(したり、)または(その権利を)放棄できない。」
だが、これらはあまりに非現実であり、虚構・詭弁である。絶対服従という政治的反抗の放棄がドグマ(教義)とされている社会において生命に危険が迫る時のみ抵抗できる、と夢想することはできても実際には完全に不可能である。
そして、実際にホッブスは次のように本音を言っている。ホッブスは言う、
「臣民が主権者の命令によって(罪なく)殺されることがありうる・・・・が、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、(自由を)侵害されたのではない。」
というのが、ホッブスの論理であるが、理解出来るだろうか? 私が噛み砕いて解説するとこうなる。
「臣民は生命権も含めて、すべての自分の権利を主権者に譲渡(主権者が持っている)している。ということは、自分のすべての権利をもっている主権者に自分が殺されることは、自分の権利で自分を殺した行為であり、自殺という自由の権利を行使したということである。」
この考え方は、ルソーの『社会契約論』の考え方と全く、完璧に同一である。ルソーも、人民は「絶対者」にすべての権利を譲渡する
とし、「全人民の権利」をこの「絶対者」に「集約して一手に握る」とする。
とすれば、その「絶対者」が発する命令は「全人民の意志(権利)に基づく命令」であるから、各人民は必ずその命令に従わなければならないとする。ルソーは、このような国家を「社会契約」の国家と言ったのであり、「人民主権」の国家と言ったのである。
"法の支配"とか、下らない長文をグダグダ書いてる輩が居るが、
当時の民衆に参政権は無く、法律は権力者が都合良く作ってるだけ。
そんな体制で生活が困窮し、実力行使でしか抵抗できない状況の話。 "法の支配"を全面的に支持できるのは、
民衆に参政権があり、法成立に関わる議員を選べる体制が前提。 左翼革命って革命って全部左翼だろ
じゃないと意味わからん
“法の支配”の確立‐‐‐エドワード・コーク
//burke -conservatism.blog.so-net.ne.jp/2009-08-31-1
日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。
(1)エドワード・コークの法の支配・法(=コモン・ロー)とは何か。
真正の「保守主義」を身に付け、語り、行動する上で、コークの法の支配及び法=コモン・ローの概念を正確に理解しないとすれば、その保守主義思想はすでに保守主義とは呼ばない。単なる「民族主義」か「右翼思想」等を身にまとった「似非・保守主義」である。
英国はエリザベス女王(1558〜1603年)における繁栄と富をばねに近代へとまさに船出せんとする17世紀初頭、近代国家に欠くことのできない法体系を整備するに当たって、
マグナ・カルタ(1215年)など過去400年に及ぶ中世封建時代の法的遺産を、「時代錯誤の過去の遺物」として捨て去るのではなく、逆に「現在」と「未来」の英国の自由の砦とするために掘り起こし、磨き、再生させた。
この偉業をなした人物が、エドワード・コーク卿(1552〜1634年)であり、コモン・ローの、不世出の法律家であった。コークが中世の倉庫から 取り出した巨大な宝石が、普遍的な憲法原理である「法の支配」であった。
コークは、「国王も法の下にある。」という法諺(法律格言)を取り出してきて、国王ジェームス一世らの君主絶対主権論を排撃した人物である。
・・・英国の中世封建時代に発展していた「法こそが主権者」であり、国王大権をも凌駕する「法の支配」という憲法原理・・である。
もっと噛み砕けば、「英国の過去数百年間のすべての祖先たちが、叡智を積み重ね、子孫へ世襲(相続)してきた、成文制定法、民事・刑事訴訟における判例および慣習のうち、
英国臣民の私有財産、生命、自由及び道徳を擁護するものとして、取捨選択され、現在まで遺ってきたものの神聖な総体。」とでも言うべきものである。
・・・一国の「君主」は、その国を直接統治しようと、君臨すれども統治せず、であろうと、性格が穏和であろうと、暴れん坊であろうと、必ず幼い時から君主としての、美徳・品格・作法・統治論などのコモン・ローを学ばされる。
・・・それでも「主権」概念を振り翳そうと企図する、専制的君主が現れることがある。コークは、「権利の請願」(1628年)の主たる起草者であるが、
その案文に貴族院が挿入してきた「(国王の)主権」という言葉を「主権は国会の用語ではない。」と断固として削った、という有名な話がある。
また、1608年10月、コークはコークはブラクトンの法諺を引いて、面と向かってジェームス一世国王に、「国王は(すべての臣民の上にあるが)神と法の下にあるべきである。」と述べた。「法の支配」は国王大権を凌駕すると言ったのである。
まず、ジェームス一世国王が、「法は理性に基づいている。(朕)も裁判官と同じように理性をもっている(から裁判をすることが出来る)。」と発言した。
コークはこれに対し、「陛下は英国法(コモン・ロー)に精通しておられない。・・ーーーなどの訴訟は(コモン・ローに精通していない王の軽薄な)理性で決定されるべきでない。」と反論した。国王は「そのような物の言い様は、叛逆罪である(!)」と激怒した。
この時、とっさにコークは前述の「国王といえども神と法の下にあるべきである。」との歴史に残る名句を述べてその場を切り抜けた、ということである。
ただし、国王大権を制限しようとするコークの諫言自体は、王制の絶対的存続を前提としたものであり、また、王と王室へのコークの崇敬自体も人後に落ちないものであった。
しかし、自由の擁護を目的として、コモン・ローの護持とコモン・ロー裁判所の管轄権の防衛のために、コークは自らの政治的粛清のリスクを覚悟しつつ、王権神授説をもって絶対主権を考えている国王の野心に果敢に挑戦したのであった。
>>68
つか、こいつのコピペ
正しいやつ一つもないからw
反論しても、何度も同じのを貼ってくるし、反論するだけ無駄 >>74
>反論しても、何度も同じのを貼ってくるし、反論するだけ無駄
他板の書き込みで、
「他人の意見を聞く気のない奴は無敵」
というのがあったが、まさしく奴のことだなw フランス革命は庶民にとって混乱と災難もたらしただけ、それを褒める阿呆 全面的に褒めてる奴は居ない様だがね。
問題はあったが、反乱が起きても仕方ない状況があったって事だろ。 イギリスとアメリカは見事に立憲君主制と共和制を手に入れたが、フランスが手に入れたのはナポレオン独裁帝政だった。これは民主主義の観点で言えば革命どころか後退だ。
要はアングロサクソン以外に自力で民主主義革命を起こす事は不可能であると言う事。
(>>67の続き)
・・・なぜなら、「絶対者」の命令は「絶対者に集約された全人民の権利」を代表したものであるから、「人民主権」というのである。ホッブスやルソーのこのような哲学(というより思想)が全体主義思想の起源なのである。
このような体制の下では、主権者の行為は、殺戮も何もかもが、すべて「全人民の意志行為」となり、先述のホッブスのような「殺人の正当化の詭弁」が生じるのである。
若干補足しておくと、ホッブスの『リヴァイアサン』は彼がフランス亡命中に、当時、清教徒革命後の一時的な共和制英国の独裁者であったクロムウェルに対し、「帰国したら身を捧げて服従する」というメッセージであって、
英国への早期帰国を実現するためのクロムウェルへの阿諛(へつらい)の書だったという事実があるようである。だから、『リヴァイアサン』がホッブスの本心の思想であったかは若干疑問の余地があるとして、彼を擁護しておく。
しかし、彼の思想がその後、ロック?「命令法学の祖」ベンサム?「命令法学の父」オースティン?「人定法主義」ジェニングスらの思想に発展した点では、やはり彼の罪は重いであろう。
ルソーやホッブスの理論とは「全体主義体制下での人間殺戮の合法化の詭弁」であって、哲学でも何でもないのである。単なる精神的に何らかの欠陥がある人間の妄言である。真剣に読む書物ではない。問題なのは、このような思想を教育界・学界で教える狂気の方である。
これらの思想を教授する中・高・大学校の教師、教授らは本当にルソーやホッブスを読んでいるのだろうか? 上記のような、彼らの思想の根幹を理解しているのだろうか。それとも全体主義を好んでいるのだろうか。
いずれにしても、極端にレベルの低い知能の持ち主たちである。読者のみなさんは、もう真実を知ったから、大丈夫です。先へ進みましょう。
●トマス・ホッブス「主権論」VS マッシュー・ヘイル“コモン・ロー(法の支配)”の思想戦
ホッブスの上記のような「主権論」による、“法の支配”・“コモン・ロー”及びコーク批判に対して、コモン・ロー法律家として王座裁判所の首席判事に登りつめたマッシュー・ヘイルは、コモン・ロー擁護(=コーク擁護)のために反撃した。ホッブスは言う、
「わが国王は、制定法とコモン・ローの双方の立法者である」
・・・「国王は唯一の立法者である。唯一の至高の裁判官である。」
「国王は神の法のみ服するが、成文法・不文法のいずれにも、そしてその他の法にも服さない。」
これらは、当時の現実もそれまでの歴史事実もすべて無視する暴論であり、虚言である。ヘイル曰く、
「国王に立法権はあるが、国会の助言と承認なしに臣民を拘束する法律をつくりえない。布告は法とはなりえない。」
例えば、課税は国会の同意なしではできないこと一つを考えても、ホッブスの言説がデタラメにすぎることは誰にもわかる。ホッブスは言う、
「イングランド国王は、その良心において国民を防衛する必要を判断すれば、いつでも国王の考えるだけの徴兵と課税をすることができる。」
ヘイル曰く、「陸海軍を出動させる軍権は国王のみに存する。だが、それには、臣民を海外出兵させうる権力は含まれていない。また、議会の同意なくして、兵士の給与、軍艦派兵費用、その他の軍事費のための援助金であれ通常の税金であれ、課することはできない。」
ヘイルが反駁するその論理の中には少し独特な点はある。ヘイルは、英国法を
(1)強制権をもつ法 (2)指導権をもつ法 (3)違法行為を無効とする法
の三つに分け、この三つの法のすべてに国王が拘束されないとすれば、「国王は法の下にない=国王は法の支配を受けない。」から主権があると言えるが、三つの法うち一つにでも拘束されるならば、「国王は法の下にある=法の支配を受ける」から主権はない、
という法理である。
(1)強制権をもつ法の場合
例えば、起訴や法廷出頭などの法の強制権は、国王の地位がコモン・ロー(=法)自体であるから、国王には適用されない。「国王(地位と身体)は神聖にして侵すべからず。」とはここから発する原理である。
(2)指導権をもつ法の場合
この場合は、マグナ・カルタの再確認などを余儀なくされており、国王にも適用されている。法に拘束されているので、国王は主権者ではない。
(3)違法行為を無効とする法の場合
国王の違法行為、例えば特定団体に独占権の附与をしても無効となることがあり、この法も国王に適用されている。やはり主権者ではない。よって、「ホッブスの主権論は謬説である。」とヘイルは論理的に結論づける。 コーク卿の立憲主義は、英国の名誉革命体制の根幹なんでしょうけど、それが仏国の伝統としてあったかというと、あまり無かったかもしれません。
バーク保守主義の精神の基本理念は、特定の国や地域という文脈で歴史的に具体的に展開されてきた事を信頼することだと思うけど、
バークが特に強調したのは「美徳ある自由」だと思うけど、これは倫理ある自由、歴史的に形成された秩序の上に立つ自由と解釈されるけど、歴史的文脈としてはいわゆるウイッグ党的自由主義の擁護だと思います。
だからこそ、バークの著作はウィーン体制下においては復古主義者のバイブルになったけど、19世紀の英国においては、バジョットやアクトン卿といった古い自由主義者が、バーク主義を継承しました。
ルイ十六世は、ヴェルサイユの勅令によって、フォンテーヌブローの勅令を破棄して、事実上ナントの勅令の精神を復活させたわけだから、ルイ十六世治世のにおいて徐々に自由が認められていったと言えると思います。
バーク主義に学んで、漸進的改良、保守するための改革路線を歩んでいけば、大革命の混乱に陥る事にはならなかったのではないでしょうか。
フランス革命前は、国家財政が破綻寸前と言われてるけど、フレンチ=インディアン戦争(七年戦争)やアメリカ独立革命の支援によって増大した債務は、ルイ十六世治世下において、少しずつは減らしていたので、財政状況がもうダメってほどでは無かったとは思われます。
1789年の反乱が起きた直接のきっかけは、大不作だったんでしょうから、初期の段階で沈静化して炊き出しでもしておけば、ああいう事態にはならなかったかもしれません。
ルイ十六世、マリー・アントワネットは、外国と通謀しましたが、これは革命が進行して身の危険を感じたからであり、王室側の正当防衛だと思います。
フランス革命は、九月虐殺やヴァンデ戦争、西部戦争などにおける虐殺など合わせると、犠牲者数は30万とか言われていますが、自由、平等、博愛といったスローガンがその免罪符になると思っているのなら、大間違いだと思います。
フランス革命はテロそのものです! 世界中の歴史の教科書からフランス革命の記述から革命を抜き、フランス大内乱と書き換える活動をしようではないか。
明確に革命勢力の計画は失敗であったと後世に伝えていかねばならない。 誰も褒めてない
ただ必然だったというだけ
人権思想などは現代にも通じるものがあるけど、あの時代では合ってなかった
逆にそれを認めようせずに無理に貶めるやつがいるだけの話
典型的な革命なのに、革命という語を抜こうとかねw フランス革命を否定したやつって、簡単にいえば
左翼が起こした革命
だからだろ
でもな、革命って左翼が起こすものなんだよ、それ以前からな
名誉革命にしても、アメリカ革命にしても、保守派ではなく革新派が起こしたものだったし
左翼という言葉がフランス革命以降にしかなかっただけの話 現状を保ち守るが右翼で、現状を改め新しく!が左翼なんだからそりゃそうだ
あまりにも当たり前すぎる フランス革命は暴走があった。しかし
「王権は神から与えられた。民を絞ろうが殺そうが自由だ」
などの体制には反抗して良いという【不変で正しい価値】を生んだ。 超馬鹿「革命はブサヨだから駄目。人権思想もブサヨだから駄目」
なら人権の無い独裁国にでも移住し、不満があっても”支配者は絶対”で従ってれば良い。 >>89
違うんだよな、ルイ一族の横暴がナポレオンに引き継がれただけで実態は保守派の辛勝と言う革命とは名ばかりの中途半端な結果に終始しただけ。
ブルジョアは相変わらず経済的、政治的に力を保持し続け、共和派には政権担当能力が無く国内は混乱、結局ナポレオン帝政独裁が彼らの答えww
大体、王権の無制限な拡大ってのがいかにも無能なフランス特有の現象であってイギリスみたいに建前上でも王権が制限されている伝統が無いのが無能なフランス人らしいと言えば、らしい。 まあ要約すれば、世界を革命したフランス人はすばらしい、ってことだな。 人権思想を植民地にまで及ぼしてたら世界を革命してたのかもな
世界を革命する力が足りなかった フランス革命スレにいるならフランス革命くらい勉強して来いよなぁ 結局失敗したけど、昭和維新は右左どっち革命なのだろう? >>97
問うならば、まず君の言う右左の定義を明かしたまえ フランス人権宣言は、世界人権宣言の大元になった思想だから影響は強かった
とはいえ、150年早かった……
いくら高邁な思想を持っていても、世界がそれを望んでいない限りはどうしようもない 人権宣言の遂行者がロベスピエールの恐怖政治とはねぇww 人権宣言、人権思想を持ち上げている方がいますが、そもそも普遍的人権や天賦人権説というのはインチキです。
人権というものは、具体的には仏国人の権利、英国人の権利、米国人の権利、日本人の権利というように、特定の国の、特定の社会秩序の、特定の歴史的文脈の中で展開し、社会の秩序や権威と結びついて保証されてきました。
それを離れて、抽象的・普遍的な人権というのは存在しません。
あるのは、仏国人の権利、英国人の権利、米国人の権利、日本人の権利です。 思想の思の字も知らない人間が偉そうに語ってるのを見るのは面白いな
自分で勝手に考えたのか、どっかから間違った知識を植えつけられたのかw
近代的な人権思想というのは、近代自然法思想の流れの中で生まれたもので
自然法、自然権というものは、国や社会の仕組みに頼ることなく誰もが持っている権利とされる
こういう枠組みの中で生まれたものの最たるものが人権
つまり、近代人権思想というものは、まずは自然権ありき
これを提唱したのはホッブズ、そして拡大したのがロック
その後啓蒙思想の流れの中で確立し、定着していったもの フランス革命に近い事が起ころうとしている
http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3612/
全然違うだろ、安倍をギロチンにかけて共産党の一党独裁で恐怖政治でもしたいのか?
フランス革命を無碍に美化してるからこう言う意味不明な記述が生まれる。日本の歴史教育もここまで酷ければ将来を憂うな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています