・・・ホッブスの思考の浅さとはそのような程度のものであり、二十世紀の自由の政体を破壊する全体主義体制の論理
そのものである。

上記の「主権」、「絶対主権者」を二十世紀の「ヒトラー」「レーニン」「スターリン」に置き換えれば、そのまま当てはまることが容易に理解できるであろう。だから、ホッブスは英国「全体主義の祖」なのである。

このような「絶対支配――絶対服従」の政治体制において、服従者の「生命の自由」は保障されるのだろうか。ホッブスは自己保存つまり、生命の維持の権利のみは、臣民、個人個人が所持している(?)と言う。ホッブスは言う、

「服従しない自由をもっている。」

「だれでも自分の死や傷害や投獄から(自分を)免れさせる権利を(絶対主権者に)譲渡(したり、)または(その権利を)放棄できない。」

だが、これらはあまりに非現実であり、虚構・詭弁である。絶対服従という政治的反抗の放棄がドグマ(教義)とされている社会において生命に危険が迫る時のみ抵抗できる、と夢想することはできても実際には完全に不可能である。
そして、実際にホッブスは次のように本音を言っている。ホッブスは言う、

「臣民が主権者の命令によって(罪なく)殺されることがありうる・・・・が、そのようにして死につく者は、その行為をする自由をもったのであり、(自由を)侵害されたのではない。」

というのが、ホッブスの論理であるが、理解出来るだろうか? 私が噛み砕いて解説するとこうなる。

「臣民は生命権も含めて、すべての自分の権利を主権者に譲渡(主権者が持っている)している。ということは、自分のすべての権利をもっている主権者に自分が殺されることは、自分の権利で自分を殺した行為であり、自殺という自由の権利を行使したということである。」

この考え方は、ルソーの『社会契約論』の考え方と全く、完璧に同一である。ルソーも、人民は「絶対者」にすべての権利を譲渡する
とし、「全人民の権利」をこの「絶対者」に「集約して一手に握る」とする。
とすれば、その「絶対者」が発する命令は「全人民の意志(権利)に基づく命令」であるから、各人民は必ずその命令に従わなければならないとする。ルソーは、このような国家を「社会契約」の国家と言ったのであり、「人民主権」の国家と言ったのである。