【辞典】情報処理の系譜【図書館】 [転載禁止]©2ch.net
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人類がどのように情報を集積、管理、検索してきたか、
その媒体、運用、ノウハウなどについて語るスレです。
外国語辞典や字引、百科事典、図鑑、Who's Who、企業年鑑など、
書籍形態の印刷物から、それらの相対としての図書館や資料館、
記憶術や速読術などの人間の能力の拡張による効率追求、
記号論、数学、論理学、統計学などを使った論理的可能性の研究、
また近年のコンピュータを使ったデータベースや、エキスパートシステム、
ハイパーリンクからGoogleの事業まで自由に語ってください。 図鑑というと日本じゃ子供向けのものが充実しているけど、
あれって日本独自の文化みたい。
欧米だと学術的で値が張るものは充実しているけど、親が小学生向けに
買い与えるようなものは珍しい。
やっぱり学研の功績が大きいんだろうな。 やっぱり図書館がおおきいだろうなアレクサンドリア図書館とか 以前、荒俣さんは自分で集めた博物学書の図を使って、図鑑出版していたけど、
あれって図録自体は全部著作権切れているわけだから、他の人がされに勝手に使うのも問題ないのかな? おいらの脳内アガスティアに尋ねたところ
少なくともニネヴェの大図書館には索引システムがあって
書庫の目録が残ってて失われた書物も
表題だけはわかったりするらしい
確か背表紙に該当するものは存在しなかったような気がします 当時の書籍のタイトルってどんな感じだったんだろうな。
学術論文のように内容を過不足なく説明してると非常に役立つけど、
文学作品っぽいとタイトルだけわかっても内容があんまりだったり。
松本清張のタイトルの付け方とかひどいし。 >>134
外交的勝利じゃなくて博打に勝ったってのが近い。
北匈奴が損得をどう計算するのかは何通りも可能性があっただろ
どこに力点を置くかでなんとでもいえるってのは抽象的な原則としてはそりゃそうだろうけど
特定民族のルーツの話をしてる時に「人類の祖先はアフリカ!」とか言い出すアホを連想してしまう >>16
近世ヨーロッパは説明的なタイトルで非常に長い。
有名なのが「ロビンソン・クルーソー」 お子様向け読んだの?
俺が読んだ本は、こう書いてあるけど。
The life and strange surprising adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner, as related by himself. >>7
現存最古の辞書は、シュメルーアッカド語辞書じゃないか
これのお陰で言語系統不明なシュメル語が解読できた
あと説文解字は、辞書じゃなくて字書でしょ 満鉄の資料取り扱い関係的なものを見つけたが
どちらかというと方法論というよりは
周辺事情になってるなぁ、、、 >>21
>>19の書き方が悪いよ。
そこで長いタイトルを書いときゃ言いたいこと伝わるのに。 >>23
これはこれで現在の管理がわかっておもしろいのだが、、、
中国に今も息づく満鉄の「智」 東北部に残る膨大な資料
大連支局 森安健
2013/5/2 11:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM3004J_Q3A430C1000000/
ちなみに行き着いた先は、資料をカード化して多数用意し
複数分類にカードを置くという至極まっとうな方法で
アルファベットと数字による分類項目別けだったそうな 暗号についてもここで語っていいのかな?
他に語れそうなスレ無いよね? 【諜報】インテリジェンス機関の歴史【防諜】、があったけど残念ながらdat落ちしてた >>27
おいらも暗号話したいなぁ
バビロン第一王朝時代には
もう封筒が使われてたんだけど
用途はMD5的な感じだったらしい とりあえず秘匿通信というとこれが思い浮かぶ、、、
烏羽之表(うばのひょう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%BE%B0%E7%88%BE
この時代はまだ紙がなかったんだろうなぁ
文は絹と竹のどちらに書いたんだろうか 近世ぐらいになると
ヨーロッパの数学者達によって
暗号が用いられるようになるのですが、、、
さて、その用途とはどのようなものだったでしょうか? ヨーロッパの諸子百家を発見しましたので
ご連絡いたします
百科全書派
https://ja.wikipedia.org/wiki/百科全書派
百科全書派(ひゃっかぜんしょは)は、18世紀のフランスにおいて
『百科全書』に執筆・協力した啓蒙思想家を指す。
概要
フランス啓蒙思想の代表的な成果のひとつ
『百科全書、あるいは科学・芸術・技術の理論的辞典』は、
1751年から1772年にかけて、また1776年から1780年にかけて編集された大規模な百科事典である。
この事典は、編集に携わったドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールをはじめとして、
ヴォルテールやジャン=ジャック・ルソーなど、18世紀中頃の進歩的知識人を総動員して刊行された。
そのため、出身階層が異なり、多様な思想傾向を示す100人以上の執筆者を百科全書派として一括することは難しいが、
この幅の広さが、あらゆる知識を網羅し、諸科学の関連を示すという『百科全書』の目的の実現を可能にした。
既成の知的権威を否定し、自由な人間精神による知識の進歩と共有を信じる彼らながら
も『百科全書』を完結させたことは、近代社会の幕開けを告げる出来事であった。
また、経済発展を意識し、フランソワ・ケネーなどの重農主義者に執筆の場を与えるとともに産業技術の解説に力を入れた点や、
ヨーロッパ以外の文化に関心を示した点にも、彼らの近代性が現われている。 >>31
推古天皇の18年(610)に、高句麗から五経に通じた僧侶曇徴が渡来しており、
絵具・紙・墨・水力でつく臼の製法に通じていたとあります。
しかし、同じ天皇の10年には百済の僧侶観勒が暦・天文地理・遁甲方術の書を
献じており、国書で煬帝を怒らせたのが同15年。
『日本書紀』では、5世紀初期の応神天皇の時代に百済から複数の文人が渡来
して「経」を伝えたとされていますが、『日本書紀』には天皇の事績を伝える
散逸した百済の史書が引用されており、実在した可能性のある天皇です。
また、欽明天皇の時代と言えば仏教伝来ですが、占い等の書籍が持ち込まれた
という記述もありますし、仏教は仏像・幡蓋・経典が伝えられていました。
経典は当然紙製だったでしょうし、曇徴も製紙・製墨に優れた人物というだけ
で初伝とはされていませんから、敏達天皇の時代には紙があったと思いますよ。
ここで公伝が実際何時だったかという話になると、またややこしくなりますが。
銘文の残る鉄剣を見ても、5世紀にはすでに文章が作れたようですし、まさか金属
への銘文だけに限られたということはないでしょう。
倭王武の上奏文もあります(本文は中国に着いてから製作されたともいいますが)。 余談。応神天皇と同時代人とされるのが百済の近肖古王ですが、百済で文字記録
が残されるようになったのは、この王の時代とされています。
つまり、百済でも広まったばかりの技術が早々に吸収されたことになる。
この後4世紀末には倭と百済が組んで新羅・高句麗と対戦していますし、それぐ
らい密接な関係があったとしても不思議はないでしょう。 >>36
ほっほー、なるほどぉ
行政文章が竹に書かれた時代に
文はどうしてたのかと思ったのですが、
やっぱりちゃんとお手紙だったんですね >>38
というか、普通に記録も紙に残してたんだけど
後の世まで残って発見できるのが、
木簡や竹簡だったということなのかな?
そういえば、
実用的なノコギリができるまで
一枚の板を得るのも大変だったらしいのだが
木簡というのはどうやって作られてたんだろうか、、、 >木簡というのはどうやって作られてたんだろうか
鉈で割り錐で穴をあければ? >>41
紙は藤原京以降の遺跡から漆紙文書という形で出土しています。
木簡が消えるのは10世紀ですね(荷札用の木札は近代までありますが、もう別物でしょう)。。
手習いや計算の練習も含めた簡単なメモや荷札にも使えるので、紙の生産量が増えるまでは重宝したようです。
紙背文書といい、使用済みの文書を裏返して冊子に仕立てることで残ったものは、室町時代まで見られますが。
また、文書を漉き返して比較的楽に新しい紙としたものもあります(薄墨色になる)。
木簡の出土例が増えるのが7世紀半ば以降ですし、それまでは紙も木簡も使用されていたとはいえ、限定されて
いたものと思われます。
製法についてですが、単なる板の製作という点では、古代には杉や檜といった目の通った樹木に楔を打ち込んで
パンと割り、それを手斧で更に割り、槍鉋で整えるやり方でした。
ただ、小型の鋸自体はあったので、家具に使うような大きな板ならまだしも、木簡の製作という点では、そこま
で困難でもなかったのではないでしょうか。
なお、利用後は刀子で表面を削って何度か使えました。
日本で竹簡は使用されなかったようですが、マダケ・ハチク・モウソウチクといった品種の伝来が、有史以後に
属したためでしょうか(マダケは有史以前からあったともいう)。 >>42>>43
ふむふむ、そしたら木を裂いて作る様な感じでしょうか
竹を使わなかったのは木簡の方が優れてたからなんだろうか?
http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/35/3505a.htm
竹だと自然に巻物へ発展しそうな感じだけれど
木だと片側綴じの単語帳みたいな感じにするのかなぁ >>27
これも暗号の一種とというか、似たような分野になるのかもしれないが
高句麗がカラスの羽で作られた紙か布か板みたいなものを送りつけてきたが、
大和朝廷のほうでは、何がなんだか分からずに高句麗出身の僧に
相談したところ、布を蒸してカラスの羽の布状の物に押し付けて、
文字を浮かび上がらせて、内容を報告したという話があっただろう? 竹簡と木簡について、少し調べてみました。
中国では青史の青が竹を指したように、書籍として綴ったのは基本的に竹簡。
竹の採れない地方で代替として木簡が綴られたくらいで、木簡は主に単独で使用されたようです。
7世紀以降の日本でも、書籍は紙を使用し、木簡は単独で使われたらしい。
通し穴のある木簡もありますが、管見の限りでは穴は一つだけで、札として下げるか、鍵と結び
つけるか、受験生の英単語カードのように同じ分野の別々の史料を繋いで今のファイルのような
目的で使用していたようです。
木簡を手紙として使用した場合でも、一枚に何行も書いて完結させている。
木簡が葉書なら、紙は便箋といったところですか。
中国では東晋の桓玄が竹簡などの紙にあらざる媒体を公文書から排除したといいますが、少なくと
も隋代までにこれが定着していれば、日本は竹簡自体を学ぶ機会がないか、あっても公文書向けに
使用しようとは思わなかったでしょうね。
桓玄より前、328年以降の戸籍という大部の史料が紙に書かれていたのが、痛んだ状態ながら梁代
までは存在していたようです。
そうすると、桓玄の時代すでに紙でない方が珍しかったのにとどめが刺されただけやも。 失礼、書籍にするのに綴じるからといって通し穴は必要ないですね。
中国で綴じ紐と共に出土した実例を見ると、綴じ紐を絡ませて合せていました。 辞書の基本形態がデジタル化されたものになった現在、
漢和辞典の存在意義ってだんだん薄れてきた気がした。
漢和辞典ってのは、紙の本という媒体の様々な制約があった時代は
大いに意味があったんだろうが。 >>46
まぁ、手に持って書いている限り
それは必要ないと思いますけどね
その代わり広いものはできないでしょうけど
>>47
ほっほぉー、これはありがとうございます
大陸の流行に乗らないものは用いない的な感じでしょうかww
どこかで竹簡は一行書きだというような話をみた気がするのですが
形態が行そのものを示すという伝統だったりするのかなぁ >>48
竹は穴開けると、そこから裂けちゃうと思うので
縛っとく方がアンパイでしょうねぇ
>>49
おいら辞書は読むタイプなので
できたら紙のほうがいいなぁ >>53
>大陸の流行に乗らないものは用いない的な感じでしょうかww
公文書ですからね。それ以外も大陸準拠なのに、わざわざ前時代の物に倣うことはなかったでしょう。
上層には体面が、体面には最新技術がつきものです。
竹簡も油抜き(殺青と言う)などの手順がありますし、手間隙かけるなら製紙の方が早いのでは。
今の油抜きも時間をかけてやっています(竹細工や筆管など)。
>どこかで竹簡は一行書きだというような話をみた気がするのですが
漢では竹簡の一行書きされたものを「札」、二行書きを「両行」と呼称していました。
一部の公文書の場合、どちらでどの書体で書くかが決められています。
紙の行を罫線で区切った形態は、楼蘭出土の晋代の書籍に見られますね。
3世紀後半ですが、一方では竹簡を利用した公文書(種類によっては紙製もあり)もある。 >>54
国語辞典じゃなくて、漢和辞典って普段使う?
1年に一回以上 >>55
ほっほう
火で炙るのか、なるほどぉ
http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0545ff49e2019de318f355db2c329976
ここを見る限り
竹簡や木簡で最後まで残ったのは
ファイル形式の行政文書みたいですね
>>56
極まれですね
まぁ、おいらの持ってる辞典は電子辞典ですがww 粘土板はけっこう早めに行形式になってたかな
まぁこれは何もないところに刻むのは大変なのでよくわかる
粘土板もファイル形式(青銅製)はあるのですが
基本的に綴じることは殆んどなくて
書架に置かれてたんだっけ
そうすると順番が分からなくなってしまうので
確か前後の頁の文章がわかるように
前後の書き出しが記入されてるんじゃなかったかなぁ
頁番号が出るのは結構後の方だった気がする
これと併せて書架に収めるときに一工夫あった気がするけど
肝心なところを失念ww >漢和辞典って普段使う?
>1年に一回以上
漢字の意味が気になった時、月に一回以上は。 もちろん、山野さんはそれぐらい使われると思ってますよ。
ただ山野さんのような人にとってさえ、漢和辞典というフォーマットは、
重要性が低くなりつつあるんじゃないでしょうか?
紙の本の時代は、インデックスの振り方という意味で、言葉を五十音順に並べる国語辞典と
部首&画数順に並べる漢和辞典と、2つの形式に分けることは避けれないことでした。
ただそれがデジタルデバイス上で検索という操作で行うことができるようになると、
一度の操作で両方の結果を表示することも可能になります。
現時点で漢和辞典がまだ使用されている理由としては、ざっくり以下の理由が挙げられると思います。
・デジタル化されたコンテンツ(内容)がまだ紙の本に比べると劣る。
・文字コードの問題等の理由で、カバーできていない漢字がある。
ただこの辺の問題点が解消されるのも時間の問題だと思います。
ここらで一度漢和辞典とは何か、というアイデンティティの問いかけが無いと、
その形式自体が自然消滅して行きそうな気がします。 >>60
>現時点で漢和辞典がまだ使用されている理由としては、ざっくり以下の理由が挙げられると思います。
私が已然利用している理由としては、主にパソコンで閲覧する者として
第一に、いちいち電源をつけて起動させるより、夜中に起きて思いついた時に本棚から簡単に取り出せる。
(+電気代がかからない、という意識もある)
第二に、よしんば起動済みであったとしても、お気に入りからフォルダ、フォルダから探して更に検索する
よりは、まだ本棚から出して頁をめくる方が早い。
第三に、これは新聞とネットニュースの利用者にも言えることですが、偶然性の有無です。
目的のものをすぐ閲覧出来るのはよいことですが、代わりに頁をめくる中で目的外の無関係な漢字を見出し、
予想外の知識を手に入れてひらめきを生じるということがありません。
大部の辞典になると、この偶然がなければ一生知らずにいた漢字に出会うこともあるでしょう。
ネットニュースは興味のあるものを開いたり、検索したりしていますが、新聞は興味がない分野の話であっ
ても「偶々目に入る」ということがあります。これが新聞の利点です。
同じ(興味外も含めた)情報を手に入れるでも、ネットでわざわざリンクを開いて回るより、辞典や新聞の
頁をめくっていた方が早い。
新聞を読まずにネットだけでニュースを手に入れている人は、特定のこと以外はずいぶんと無知ですよ。 私が辞典や新聞を愛するのは、「効率よく目的の物『だけ』を見出」していては、手に入らなくなるものが
あるからです。
しかし、そうは言っても結局ネット情報が紙媒体より繁栄するであろうことは不可避。
竹簡から紙に移行した際の意識の変化については既に研究者に論じられていますが、今後の歴史上の世代の
意識というものは、我々とはまた違ったものになるでしょうね。
ただ、私のような暇な趣味人にはあまり面白い未来とは思えません。
マグロのトロだけ(私はトロが好きというわけではありませんが)養殖しているようなものですから。 なお、現代日本の常用漢字は2163字ですが、漢代の「史」に求められた漢字
の知識は5000字、史料によっては9000字です。
専門的な物とはいえ、世の中のどこかにこれだけの広がりを持てる人間がい
るということは、人の世の可能性として必要なものだと思います。
遥か後の梁代に成立していますが、我が国に最初に伝来した漢籍の一つとさ
れた『千字文』は、一字も重複させずに成立しています。
我が国の貴族から徳川将軍の正室に至るまで愛唱されたものですが、果たし
て今後の効率的な時代の人に同じようなものを生み出せる可能性が生まれて
来るものかどうか。祈らずにはいられません。
現代は、研究者ですら前代ほど幅がなく、出来ないことが増えていないでし
ょうか。 >>55
おいらが疑問として残ってるのは
紙が優れているのはあきらかなので
木簡と竹間を比べて、なぜ木簡のみが
(しかも後代まで)使用されたのかという点ですね
ところで、書体が決められていたというのは
二行書き専用の細身のフォントが存在したということでしょうか? >>64
木簡の場合、書籍や葉書でなくてもただの「札」として使用出来ます。
今でもある、業務用の用途が書けるキーホルダーから荷札まで。
雨や衝撃による紙の破損を考えれば、長期に渉り使用されたのもむべなるかな。
時代が下ると、木簡の様式を失ったただの札とするべきでしょうが、荷物に付
ける木札であれば明治まで使用されています。
なお、筆記材料としての紙への移行は書籍が最も早く、様式が定められていたり
膨大な量を統一させないといけなかった公文書が遅れたようです。
それだけ当時の中国の公文書とシステムが巨大であったということですが、今で
もデジタル化が早かったのはただ読む書籍で、発信者と受信者がいるような文書
になると、そう簡単に移行出来ずにいるように見えます。
>書体
公文書で、こちらは一行で篆書、こちらは二行で隷書といった具合です。 中学の時に漢和辞典の面白さにはまって以来50年以上、今以て漢和辞典漁りが続いている。
現在、手の届くところにいつも置いてある漢字字典、漢和辞典は、
廣漢和辭典(大修館)
康煕字典(講談社)
字統(平凡社)
漢語新辞典(大修館)
東方中国語辞典(東方書店)
華日大辭典(旺文社) その最初にはまった辞典というのは「解字漢和辞典」だった。思い出した。
毎日学校へ持って通って暇さえあれば読んでて、ついに分解してしまった。
多分書庫の底の方にこの残骸があるはず(虫に食われてなければ)。 字統とか字通って、どこまでアテにしていいのかな
白川静の解説は好きなんだけど、まんま信じていいのか不安になるときがある 大漢和辞典の個人で買うには値段もスペースも手に余る。
広漢和辞典がアパート住まいの個人用の上限かなと思っていたら早々に終わってしまった。
ここぞと思ったときに買うべきだった。 漢和辞典/漢語辞典は長いこと大修館の大漢和辞典が最大だったが、
今世紀になって上海辞書出版社の大辞海がこれを抜いた。
けど、これは漢語辞典というより分野別百科事典の要素も入っている。 >>68
白川静の辞書は書名だけではどれがどれやら紛らわしいw >>60
漢和辞典って、漢籍、漢文を多く読む人が使うという印象だったけど、そうでもないのかな もちろん漢籍は多く読んでいるけど、それに加え漢和辞典・漢字字典それ自体が読み物としても面白いと俺は思っている >>44
日本では木簡・竹簡と呼ぶが、「簡」は竹の札の意味。よって「木簡」という言葉が微妙すぎる。
中国では「簡牘」と呼ぶ。「牘」は幅の広い札を指し、通常は木の札。ゆえに
簡牘=竹簡・木簡の意味になる。区別するのは転写のときに「簡」を利用する。
原本が概ね「牘」になる。
また、唐代では「漢書注」に「札とは木簡である」というように「木簡」を使用している。
このことは「竹の札」がもはやめったにないことを意味しているのかもしれない。
>>53
「簡」は恐らく竹のため幅が広いとゆがむので、太くできないことと関連している可能性がある。 このスレの住人は上級者だから、多久弘一の『漢文解釈辞典』とかはあんまり必要としないのかな >>65
ありがとうございました
>>74
ふむふむ、勉強になります
https://kotobank.jp/word/%E7%B0%A1%E7%89%98-471010
【木簡】より
…冊の例でもわかるように,漢字には木簡に関する文字が多くあり,それだけ概念が発達していたことを示す。
簡は本来竹製の〈ふだ〉を意味し,木製は牘(とく)や札で表記し,竹簡・木牘の意味で簡牘というのが本来の呼称である。
漢簡では,漢の1尺に当たる約23cm,幅1cmのものが標準で,2尺のものを檄(げき),3尺のものを槧(ざん)といい,
2行書く幅のものを両行,書く面を3面以上作ったものを觚(こ)と呼ぶ。
それにしても竹は裂け易い性質のため、文字通り「文章が綴られる」ようになり
紙の登場で綴る必要がなくなると、その性質故に生き残らなかったというのも
なかなか奥の深い話ですww >>11
これは年代順らしい、、、
ちなみにパピルスは巻物として扱われたようです
カリマコス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%82%B9
ヘレニズム時代の学問を代表する人物。
アレクサンドリア図書館の学者でもあったが、主要な司書になったことはなく、
図書館が所蔵するすべての本のカタログ(図書目録)を作る任務に就いた。
そして出来上がった『ピナケス』は120巻の長さで、
図書館の蔵書を残らずすべて年代順にまとめ、ギリシア文学史に関する後の研究の基盤となった。 >>11
パピルスと書物の特徴をメモっていくと
http://www.bibalex.jp/Ancient/02/02030.html
特徴
・繊維方向に文を書く必要あり
・折り曲げに弱いので巻物だった
・片側にしか文字を書けなかった
書物
・パピルス紙を20枚程度で巻子本にした
・文字の量は1枚あたり30-40行、行あたり20-25文字
・外側ほど丈夫なパピルスで端に軸がある場合もあり巻取りながら読んだ
・保護用の皮紙で包まれたものもあり、色がついて草食とされた
情報
・表題がある場合は巻末に記された
・開かないでもわかるよう「貼紙(シュルボス)」が外側に垂れていた >>57のサイトによると
>>78のパピルス巻きとの違いが
ちょっとおもしろい
二つ目は、巻物にした木簡は、書物の形と、ファイルの形式になった帳簿類の形の二つに分けられるが、
このふたつは綴じ方が微妙に違っているという。
書物の巻物としての竹簡は、
先頭の竹だけ題名などを書いた部分が裏側に書かれており、
綴じて巻いたときに、その巻の書名がわかるように工夫されているという。
すなわち、書物木簡は最後から巻き始め、先頭の竹簡は一番上に来る。
すると、最初の札は裏向きになるから書名がわかるのである。
これに対し、ファイル形式の帳簿類は、
逆に最後の竹簡の裏側に文書名がついているという。
帳簿類は一つ一つ後から追加してゆく形式のものであり、
こうしたファイル類は、追加した後ろの竹簡を見る機会が多かったのであろう。
したがって、書物木簡とは逆に、
最初の簡から巻き込んでゆき最後の簡を巻いたときに書名が表に出て、わかるようにしているという。
本書の表紙の写真(冒頭に掲載)は、最後の簡に巻物の紐がついた敦煌出土の「簿」で、
写真には写っていないが、最後の簡の背面に表題が記されているという。
最初の簡から巻き込むと最後の簡の裏が表題になる。しかも、この簡だけ二倍の幅がある。
最後の簡についた紐で、まるめた巻物を結んだものと思われる。 今のようなインターネットが普及する以前(1990年代前半以前)の日本では
図書館司書はどれだけ重用されていたのだろうか。 インターネット以前でも書籍情報はデータベース検索できた。
多分カード型で現在主流のRDBじゃない。
とはいえ端末かオープンに開放されている率が低い。 >>30
>>57のサイトによると、中華の場合はシールですね
竹に木を接ぐシステムのようです、、、
その用途の一つは日本では使われることのない「検ケン」である。
検とは、竹簡に書かれた文書を送る際に、封緘フウカン(封をすること)の役割をする木簡で、
巻いた竹簡文書が他人に見られることなく運ばれる工夫である。
具体的には、普通より短め(10〜20センチ)で幅広く厚みのある木簡に、
宛先や送付方法を書いたのち、その一部にあらかじめ作られている凹み(璽室ジシツ。印を押すくぼみの意)に紐を通し、
巻いた竹簡に結えたのち、凹みに粘土をつめてその上に印を押すのだという。
粘土が乾くと封泥フウデイとなる。
いったん封泥された文書は開封されると封泥が壊れる(または紐が切られる)ので、すぐ分かる。
そして、封泥された木簡は、まとめて袋に入れられ、そこにも行き先の宛名を書いた木簡がさらに付けられるという。
さすが文書行政を造り上げた中国ならではのシステムと言える。 >>82
NHKでやってた始皇帝寮の番組では
命令伝達と同時に受信した記録を残すという仕組みで
木簡に受信日と拝命者と記入者の名前が記録されて
それが保存されたらしいので、
TCP的なプロトコルが採用されていたんじゃないかと思いまする
そうするとIPがどうなっていたかが気になる >>84
ちなみに時間も記録されていたらしい、、、
http://suchowan.at.webry.info/201511/article_9.html
首記の番組で秦代の日付入り木簡が紹介されていました。
行政文書での日付の表記が「月+日の干支」であったことがわかります。
番組でもバラバラだった度量衡が統一されたことに言及されていましたが
暦についても同様の事情があります。日付を「月+日の干支」で表現して
おけば、仮に暦月が大の月か小の月か混乱があったとしても日付は特定で
きるのです。
インドで余日や欠月のある暦が使い物になったのは、東洋での干支の替り
に七曜が機能していたのではないかと想像しています。余日や欠月のある
暦を用いて経済活動をするのであれば、日付に七曜を付記すればよかった
のです。 辞書の場合、用語の意味や説明が同じでも剽窃とはなかなか言われない。
オンライン・ネット辞書だと容易に剽窃できる。 ネットで広域に分散した少数派が団結するというのが中進国とかにみられるね。 日本の記法が
左→右になったのって
いつぐらいからなんだろうか
戦時中にはもう変わってそうなんだが >>13
編集著作物という概念があるので、紙面をそのままパクったらアウト
電話帳の配列にすら適用される(判例あり)のでかなり広範囲
図版だけなら問題ないのかな 【考古学】弥生時代の国内最古級すずり出土 「魏志倭人伝」の記述裏付け 糸島市 [福岡県] [無断転載禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1456889571/1 >>92
始皇帝時代の頃の命令書は
馬で配達されたんだろうか、、、
ピラミッド型のシステムなんじゃないかと思うんだが
もしかすると別なのかな
回収された伝達記録が何処に保管されていたのかも気になります >>91
飛行機用の高度計の銘板を見て気になったのだが
縦書き横書きのところに書いてあったけど
ちょうど戦中な感じでした、海軍もか ナチスSSの対外諜報部が集めた50万にものぼる調査ファイルが
電気式のシステムでボタンひとつで取り出せたようなのだが
どういった分類になっていたのだろうか、、、 前に図書館の語源を調べたことがあるのだが
なかなかおもしろかったような
あのラテン語はどこからもらってきたんだろうか 英語習いたての遠い昔、ラバトリーとラボラトリー、ライブラリーがごっちゃになってたっけw 英国では財務府大記録(パイプ・ロールズ)がのこっている。
1156−1831年までだいたい現存しているため統計的・数値的情報として財政史で利用されている。
日本だとこういう記録はない。とびとびでちょこっとあるだけ。
公家の日記で毎日今日の天気は分かるらしいけどw ないと言い切れる無知がスゲーw
突っ込んでも、俺様縛りと後付け設定でないと言い張るだろうから
かかわったら負けなんだろうな、こういう手合いは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています