竹簡と木簡について、少し調べてみました。
中国では青史の青が竹を指したように、書籍として綴ったのは基本的に竹簡。
竹の採れない地方で代替として木簡が綴られたくらいで、木簡は主に単独で使用されたようです。

7世紀以降の日本でも、書籍は紙を使用し、木簡は単独で使われたらしい。
通し穴のある木簡もありますが、管見の限りでは穴は一つだけで、札として下げるか、鍵と結び
つけるか、受験生の英単語カードのように同じ分野の別々の史料を繋いで今のファイルのような
目的で使用していたようです。
木簡を手紙として使用した場合でも、一枚に何行も書いて完結させている。
木簡が葉書なら、紙は便箋といったところですか。

中国では東晋の桓玄が竹簡などの紙にあらざる媒体を公文書から排除したといいますが、少なくと
も隋代までにこれが定着していれば、日本は竹簡自体を学ぶ機会がないか、あっても公文書向けに
使用しようとは思わなかったでしょうね。
桓玄より前、328年以降の戸籍という大部の史料が紙に書かれていたのが、痛んだ状態ながら梁代
までは存在していたようです。
そうすると、桓玄の時代すでに紙でない方が珍しかったのにとどめが刺されただけやも。