『トム・ソーヤの冒険』の著者であるマーク・トウェインは1867年にこの地を訪れた様子を次のように描いています。
「・・・雑草が一面に生い茂っている荒れ果てた地方・・・沈黙の嘆きに満ちた広がり・・・道すがら、人の影は1つも目にとまらない。
・・・どこも、樹木や茂みはほとんど存在しなかった。荒地とすぐ親しくなるオリーブやサボテンさえ、この地をほとんど見捨てている」
不在地主が所有する、住む人もほとんどいない荒地―それがイスラエルでした。
7.ユダヤ人の帰還

しかし、1880年代より、ユダヤ人が、南はイエメン、北はロシア、西はモロッコ、東はイラクからパレスチナに移住し始め、
ユダヤ人がイスラエルに帰還するという預言のことばが成就し始めます。それ以来120年間にわたって、アリヤーと呼ばれる
ユダヤ人のイスラエル移住運動が続いていきます。ユダヤ人は開拓に当たり、アラブ人の不在地主などから高額で土地を買収しました。
買収した土地の大半は耕作地ではなく、沼地か岩地、もしくは砂地など、耕作が不可能とみなされていた土地でした。

イギリスのピール委員会は後に「ユダヤ人が良好な耕作地を所有しすぎているというアラブ人の非難は当たっていない。
現在オレンジを栽培している土地の大半は、購入された時点では砂丘か沼地であって、耕作地ではなかった。」と報告しています。

実のところ、ユダヤ人は法外な値段で荒れ地を買わされていました。当時、アメリカの肥沃な土地を購入できる値段の11倍〜12倍を費やし、
それでも、彼らは土地を購入したのです。開墾は、土壌の問題、オスマントルコ帝国の弾圧、マラリアの蔓延等の幾多の問題で困難を極め、
命を落とす者も多くいましたが、パイオニア達の郷土再建の意志は固く、一本一本木々を植樹し、水を引き、新しい村々と耕作地、果樹園が
誕生していきました。"「荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、サフランのように花を咲かせる」"(イザヤ11:11、12)のみことばのごとく、
イスラエルの地は回復していきました。

ユダヤ人の移住によって地域が開発されると、中東では、オスマン・トルコ帝国の衰退に伴い、多くの地域が貧困に陥り、
そこからアラブ人が職を求めてパレスチナになだれ込んで来ました。
現在の「パレスチナ人」の多くは、その時に移ってきた人たちの子孫なのです。