https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%83%92%E3%82%B3%E5%88%B6

>ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコ、トベを称号とした)と軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはネを称号とした)が共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。
>『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ、
>加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。
>また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている。そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い。ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている。


このように、男尊女卑を主張し女性を差別する仏教という邪教が入ってくる前の日本では男女の社会的地位が完全に平等であったことが分かる
一切男女を差別しない素晴らしい文化は、万物が完全に平等であると主張し何物をも決して差別しない神道が存在したおかげで生まれたものだろう
神道では人間も神も石ころも木もアリも万物全てが平等なのだから、仏教と違って男女を差別するなどということがあるはずがないのである