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戦う者(うん)耕す者(うん)祈る者(←おい) [無断転載禁止]©2ch.net
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0001世界@名無史さん
垢版 |
2016/03/17(木) 10:21:39.500
一人だけ楽してるじゃねーか。
祈っても効果ないとか科学的発想する人おらんかったの?
0002世界@名無史さん
垢版 |
2016/03/17(木) 10:25:04.800
それだけ細木先生みたいな人は凄みがあったんだ だから17世紀までそんな発想が思い浮かばなかったんだろう
0003世界@名無史さん
垢版 |
2016/03/17(木) 12:01:50.690
耕耘(機)と書くんだがね
0004世界@名無史さん
垢版 |
2016/03/17(木) 18:33:23.59O
平将門征伐や元冦退散などで、多くの僧侶が祈祷に動員された
0006世界@名無史さん
垢版 |
2016/03/19(土) 14:20:12.490
まあ日本のような本物の神々なら祈りが通じるが
バカ白人のキリスト教は嘘っぱちだから意味がない
0014世界@名無史さん
垢版 |
2016/06/05(日) 01:25:30.090
天皇陛下万歳
0015世界@名無史さん
垢版 |
2016/06/05(日) 01:34:37.190
うんこうんこ
0016世界@名無史さん
垢版 |
2016/06/05(日) 14:47:16.770
>>1
戦う者というのは
平時にはいたずらに税を消費して
戦時には民衆の生活を破壊する者のことだが

それに比べれば、祈るものすなわち知識人の方が
社会の役に立っているのではないか。
0017世界@名無史さん
垢版 |
2016/06/08(水) 23:45:53.390
祈る事と知識を活用する事は別物だよ。
祈る者は、正直今も昔も糞の役にも立ちゃしない無駄だな。
0018世界@名無史さん
垢版 |
2016/06/11(土) 15:52:55.030
>>17
とんでもない。
祈ることと、学問文化に従事することは切り離して考える
ことはできないのだ。特に中世においては。

信仰という求心力があるからこそ、その中心に食うこと戦うこに
忙殺されずにすむ、一種の余暇を持つ人間集団が生まれる。
歴史的にみると、彼らが祈りつつ学問をすることで、人間社会の
知的な土台が築かれたのだ。
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