ヤル気だけは充分だったが、米国の制止を振り切って大陸反攻を行うまでには至らなかった。

晩年の蔣介石は建前上大陸反攻を国民党の旗印として掲げてはいたものの、ヤル気がなくなった事を認めてもいる。