第二次世界大戦と冷戦ってさ [無断転載禁止]©2ch.net
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冷戦の方が見てて面白いよね 中ソ対立とか中東戦争とかの仲間割れも見てて楽しい 「これがパニック障害なの」女性は、たった2枚の写真で伝えた https://t.co/x1EbAp8Bey df 全て失敗に終わった米国のポスト冷戦期外国体制変革努力 https://www.washingtonpost.com/news/book-party/wp/2016/04/21/why-america-is-terrible-at-making-the-world-a-better-place/ ・・・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、或いは、バラク・オバマのどの政権下たるかを問わず、 ポスト冷戦期の全期間を通じて、米国の対外政策は、他の諸国の国内的諸制度(arrangements)を 改善し、救済し、我々ともっと似た存在にすることを企図し、改変することを狙ったところの、 理想主義的善行主義(do-gooderism)の実践(exercise)だった。・・・<と記した上で、> マンデルバウムはこう結論付ける。「その全てが失敗だった」、と。・・・ たくさんの、諸率先遂行(initiatives)、諸作戦、諸提案、そして諸戦争でさえだが、その全てが このような見方に合致するものだった。ビル・クリントンが、中共の人権に係る実績と貿易上の 諸特権とをリンクさせようと試み(て失敗し)た時、「中共の国内ガバナンスにおける変化を強いる… ことが米国の公式な政策になった」、とマンデルバウムは記す。 1990年代末のアジア金融諸危機は、米国政府とIMFが舵取りをする形で、韓国、タイ、そして インドネシアの諸経済システムを作り直すための努力が族生した。 米国のポスト-ソ連<、すなわち、ロシア>への経済的・政治的関与(engagement)は民主主義と 自由諸市場への初期遷移をもたらすかのように見えたものの、ウラディミール・プーチンの盗賊的 政治(kleptocracy)への下降がその後に続いた。 米国の9.11同時多発テロ以降の対テロ戦でさえ、当初こそ「諸理想ではなく諸利害に立脚して」 遂行されたものの、すぐに国家建設の実践へと変貌(morph)を遂げた、とマンデルバウムは銘記する。・・・ マンデルバウム…は、その後の、Isisの興隆の責任さえもブッシュの双肩に負わせる。・・・ 「米国人達は…自分達は世界を改善する召命を付託されていると常に信じてきたのであり、 他者達が自分達自身のようにもっとなるよう助ける形でそれを実行することを常に願ってきた」、 とマンデルバウムは論陣を張る。「米国人達の国が冷戦から巨大な力を持って立ち現れた結果、 彼らに、まさにそれを行おうとする空前の機会が与えられた」、と。 そして、自己満足の不可避的な瞬間において、マンデルバウムは、米国の新しい立場を このように描写する。「安全についての諸懸念から解放され、米国は、対外政策を社会事業 (social work)へと転化することが可能となった」、と。 ・・・・・・<しかし、>マンデルバウムは、北朝鮮とイランの核に係る諸大志、中共の東アジアにおける 支配的地位の再主張への欲求、ロシア政府の軍事的冒険主義、のおかげで、社会事業としての 対外政策の時代は終わったことを我々に明かしてくれる。2014年のロシアのウクライナ侵攻は、 「空前の平和的なポスト冷戦期を終わらせ、競争、不安全、そして、戦争という古い諸ルーティンを 復活させた」、と記す。・・・ ⇒マンデルバウムは、ポスト冷戦期の終焉を語っているわけですが、ソ連の崩壊による冷戦の終焉が、 米国一極覇権時代が到来したとの錯覚を米国人達に与えたかもしれないけれど、冷戦の終焉とは、 米ソが、それぞれ、国力の対世界的観点からの相対的減衰を踏まえ、ソ連圏、及び、非ソ連圏の 大部分、の覇権国の地位から降りざるをえなくなった結果もたらされたものであった、という総括を すべきだと私は考えており、私見では、そうである以上、我々は、今でもなお、ポスト・ポスト冷戦期 ではなく、単なるポスト冷戦期を生きているのです。 この本は、歴代米国政権の諸盲点に焦点を当てているけれど、「失敗」の責任は米国側だけに 帰せしめるわけにはいかない。マンデルバウムは、米国が作り直そうとした諸国の諸文化を、 彼らが欧米の諸制度を吸収できなかったことで繰り返し非難する。 例えば、親戚関係(kinship)の諸紐帯が腐敗を「この国の部族的文化に組み込ませている」ところの、 アフガニスタンの土壌に、法の支配を移植することを困難にした」、とマンデルバウムは記す。 ⇒書評子の紹介が簡単過ぎるためでしょうが、アフガニスタンは中東ではなく、中東に関しては、 同じことは必ずしも言えない、ということなのか、これだけではよく分かりません。 私見では、これは、個人主義のアングロサクソン諸国(米国を含む)、階級「主義」の欧州諸国、 人間主義の日本、を除く、大部分の国・地域に濃淡の差はあってもあてはまります。 <また、>フセインがバグダッドで打倒された後の「米国の失敗は、米国人達がイラクで何を行い 何を行わなかったかではなく、究極的には、イラク人達がいかなるものであったかに起因している」、と。 ⇒シーア派、スンニ派、クルド人、等は居ても、イラク人など居なかった、というのがマンデルバウム の言いたいことではないかと想像されます。 <更にまた、>ブッシュ政権の中東での自由のアジェンダが失敗した一因は、彼が、「民主主義を、 それに対する免疫ができている地域にもたらそうとした」からだ」、と。 ⇒民主主義に馴染まぬイスラム教のせいだ、というのが恐らくはマンデルバウムの考えであることが、 後出のくだりから想像できます。 <そしてまた、>ロシアが自由諸市場と民主主義を全面的に抱懐できなかったのは、 「世襲財産主義(patrimonialism)」がその社会の中に埋め込まれているからだ、と。 ⇒書評子は、マンデルバウムのpatrimonialismのイメージ・・容易に掴めません・・を いささかなりとも紹介すべきでした。 イスラエル・パレスティナ諸紛争の根底的な原因は、「パレスティナの政治文化」にある。 ⇒どうやら、マンデルバウムは、イスラエルを欧米の範疇に無条件で入れているようですが、 イスラエルは、「建国宣言で「ユダヤ人の国家」と規定されており、ユダヤ人の定義は「帰還法」 (1970年改正)により「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義している」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB 以上、基本的に宗教や血縁を国家の属性としていないところの、一般の「欧米」諸国とは異質 なのであって、そのこともまた、「イスラエル・パレスティナ諸紛争の根底的な原因」の一つ ・・上掲典拠中の「イスラエルと外交関係を有する国/有しない国」地図参照・・であることは 間違いなく、従って、マンデルバウムの考えは誤りと言って語弊があれば、著しく偏っています。 なお、「パレスティナの政治文化」は、端的に、「イスラム教」とすべきでした。 同様のことが、あらゆる所について言えるわけだ。 マンデルバウムは、このような諸感情が、「人種主義的に近いところの、自民族中心主義的 (ethnocentric)」であると解釈されうることを自覚しているが、弁明はしない。 というのも、上述の諸事は正しいことが証明されていると考えているからだ。 ⇒ 欧米至上主義、換言すれば、「資本主義+民主主義+自由主義(法の支配)」至上主義、 であることから、自民族中心主義でないことは確かですが、拡大英国の場合、このうち 民主主義にはどちらかと言えば負の価値しか認めていませんし、自由主義についても、 拡大英国には憲法も三権分立もない事から、米国のそれとは大きく様相を異にしています。 また、同じく、自由主義について、(個人主義に立脚する)米国も含めた広義のアングロ サクソンは、過去から現在に至る、いわばコモンセンスの沈殿物たる、コモンローを制定法 よりも重視するのに対し、(「階級」主義に立脚する)欧州は制定法だけの世界であり、 やはり大きく異なります。 そして、拡大英国人、いや、少なくともイギリス人は、欧米の中には、上述したような違い 等のある、三つの文明であるところの、優位から劣位に至る、アングロサクソン文明、 米国文明、欧州文明がある、と本音では考えている、と私は見ているわけです。 彼は、宗教も彼の批判に含めている。「イスラム教それ自体は、世界の他の場所で いかなる宗教もそうであったように、中東において、民主主義の成長を禁止するのに、 大きな影響力を行使した、」と彼は記す。 「イスラム教は、キリスト教においては不可欠であったところの(integral)、聖なるもの(sacred) と俗なるもの(secular)との分離、を欠いているが故に、厳密に言えば宗教法があらゆる所に 適用され、民主主義の様相である、選挙された役人達による立法の余地を残していない」、と。 ⇒ 先ほど記したことに照らせば、広義のアングロサクソンだって、「選挙された役人達による 立法の余地を残して」こそおれ、かかる立法ではないところのコモンローを重視している のですから、立法「も」行っているイスラム世界との違いは程度問題に過ぎないので、 マンデルバウムは甚だしく舌足らずです。 これが、米国政府が、ポスト冷戦世界において新しい諸社会の建築家の役割を担うべき ではなかった理由だ、とマンデルバウムは結論付ける。そうではなく、「現地の諸事情が それを可能にするのであれば、国家建設が起きた場合に、その諸条件を創造し維持する」 助けをすることができる「庭師(gardener)」になるべきだったのだ、と。・・・ ⇒ このくだりは、一般論として、いかなる「先進国」にもあてはまる正論ではあるけれど、 欧州はもとより、米国も、そして拡大英国ですら、庭師になど成れないのであって、 このことについては、もはや歴史が結論を下している、と言うべきでしょう。 その根本的原因は、アングロサクソン文明にすら普遍性がないからである、 と私は考えているわけです。 >>3-7 補足を行っておきます。 引用した前半ですが、客観的に見れば、日本は戦後、自らは戦わず、国力の絶頂期を迎えた 米国を使嗾して傭兵とし、他の同盟諸国を率いさせて戦わせることで、ついに日露百年戦争に 勝利することに成功するとともに、米国が国力を相対的に蕩尽するのを冷笑的に見守っていた、 ということになりそうです。 引用した後半ですが、上述した、欧米の中の三つの文明の優劣のベクトルにおいて、 より優位に位置しており、普遍性があるのが(人間主義に立脚した)日本文明である・・どうして そう言えるか、各自お考えいただきたい・・わけであって、日本を除く、世界の全ては、日本文明を 継受することによって、国家建設ないし再生を果たすことが今後の最大の課題であるわけです。 そして日本こそ、「その諸条件を創造し維持する助けをすることができる「庭師(gardener)」 に成る」使命を帯びているのです。 >>1 冷戦は40年も続いたから、全体を網羅しきれない。 30年戦争を見よ、吉川三国志を見よ。太平記を見よ。 たいていは見る側が途中で飽きて、話を打ち切っているではないかww >>10 アメリカは反戦デモを弾圧して何十人もの若者を殺している。 アメリカや資本主義陣営は中国やソビエトの言論弾圧や天安門などを批判しているが 西側も所詮は同じ。自由のない資本主義など、誰がいいと思うのか。味のないガムのようなものだ。 だが暴虐非道の米帝は人民を搾取しなんとか勝ってしまった。何たることか。 米帝は死すべしである。 >>9 おまいさん もし冷戦を書いたとして、 どの段階で打ち切るつもりかね? 30年戦争だと、グスタフ・アドルフとワーレンシュタインの死で 打ち切っているし、 吉川三国志だと、諸葛孔明の死で実質的に打ち切りだし、 古典太平記だと足利義満の即位で打ち切っているけど。 http://foreignpolicy.com/2016/12/22/the-birth-of-absurdistan/ ・・・Serhii Plokhy<の>『最後の帝国--ソ連の最後の日々(The Last Empire: The Final Days of the Soviet Union)』<という本がある。>・・・ ⇒清/中華民国/中華人民共和国が帝国である以上、こんなタイトルを付けただけで、 そんな、欧米中心主義的な視野狭窄の著者が書いた本など読む価値は殆どない、 と言ってよいでしょう。 その抑圧と大量殺人の長い歴史を踏まえれば、ソ連がなくなることを見るのは 特段残念だとは思わない。・・・ ⇒「そのインディアンや黒人等に対する抑圧と中米、アジア、中東における大量殺人の 長い歴史を踏まえれば」が当てはまる国の識者が、こういう表現を他国について 用いることだけで、そんな人間は識者ではありえないし、そんな人間にコラムを 書かせる雑誌(電子版)はゴミである、と言われても仕方ないでしょう。 <ソ連崩壊後の旧ソ連人の>大部分の人々にとって、「市場」は、より良い生活に 導く何かではなく、混沌の力、神秘と恐れの源泉、であり続けた。・・・ <ある米国人>が、「もっと顧客達が来て欲しいと思わないか」、と<ソ連崩壊に> 当惑している<カザフスタン人の>店主に尋ねた。 「どうしてそう思わなければいけないんだ」、とその男は答えた。 「もっとカネを稼ぐためだよ」、とその米国人は言った。 「どうしてそんなことをしなければいけないんだ」、とその男は返した。・・・ ⇒まるで、旧ソ連人が野蛮であるか、指令経済下で人間性が歪められてしまったか のような筆致ですが、企業人達が企業の存続を最大の目的として、匠の精神で 財・サービスを提供し続けることを旨とする文明・・しかも至上の文明・・たる、 日本文明が存在することを知ったら、この筆者は腰を抜かしそうですね。この筆者、 70年以上、そんな文明の国の宗主国である国の国民なんですが、困ったものです。 途方もなく、石油その他の自然の富に恵まれている共和国のカザフ人達は、 市場志向の自由民主主義国を目指すべき<だった>のか、それとも、シンガポールや マレーシアのような専制的(despotic)資本主義の一形態を採用すべき<だった>のか、 或いはまた、ペルシャ湾岸の首長的(sultanist)金権政治が、よりふさわし<かった>のか。・・・ ⇒人口が多いので、カザフスタンほどではないにせよ、ロシアも「石油その他の自然の 富に恵まれている共和国」ではあるので、この思考実験は基本的にロシアにも当て はまるはずですが、ソ連崩壊時点で、既に、中共で改革開放が始まってから10年以上 を経過していたわけであり、選択肢に、それを含めなかったことが不思議でなりません。 http://foreignpolicy.com/2016/12/22/why-george-kennan-is-still-americas-most-relevant-russia-expert-trump-putin-ussr/ 「次期米政権は、<対露に係る>最後の成功を収めた事例である、1991年12月25日の ソ連の平和的解体が大団円となった、冷戦戦略を見つめるのが賢明だろう。それは、 その創始者(founder)である、ジョージ・ケナン(George F. Kennan)を見つめることを意味する。・・・ ⇒ケナンは、英国が抜けてから(東北アジアで)日本が単独で行ってきた対ソ(露)抑止 政策なる看板を剽窃し、それがあたかも自分の創見であるかのように喧伝したけれど、 彼が提唱した抑止政策の中身は日本のそれとは似て非なるものであって、米国の歴代 政権が実際に始めた抑止政策は、ケナンの提唱したものではなく、日本によるそれを 真似したものであったところ、それを、著しく拙劣な形で実行し続けてしまったのです。 ケナンの同時代人であるポール・ニッツ(Paul Nitze)は、米国の対ソ政策の形勢に主要な 役割を演じた人物だが、戦略について、意思(will)と諸数(numbers)であると見て、軍事に おける優位とその世界中への諸配備によってソ連を圧倒すべきであると主張した。 ⇒戦後における日本との関わりや、ケナンから事務引き継ぎを受けたことから、ニッツェの 対ソ戦略が日本のそれの継受の趣を呈していることに不思議はありません。 しかし、ケナンは、このような封じ込めの軍事化された諸解釈に戦慄した。 抑止が機能するためには、欧米は、脅かしている、或いは、いじめているトーン ・・彼は、それについて、ロシア人達が弱さと感じたり、国内的にソ連政府を追い詰めて エスカレートさせることを強いられたりすることを心配した・・抜きの、明確で否応なしの 脅かしを伝える必要がある、と主張した。・・・ <しかし、>ケナンの戦略の適切性が冷戦を終わらせたわけではない。 米国の対ロシア政策に関する今日における主要な議論の中心は、ロシア政府の その諸行動の諸動機が、(NATOによる包囲、米国によるポスト・ソ連の近傍地域、 恐らくはロシアそれ自体の体制変革、への容喙、といった)主として安全保障上の不安 (insecurity)に由来するのか、それとも、単に、その地域的支配(dominance)と全球的 影響力を回復するために欧米の弱さにつけこもうというものなのか、を巡ってだ。 ⇒ロシアの内外政策の原因はタタールの軛への恐怖に有るという説に照らせば、 後者が原因で前者はそれが必然的に引き起こす結果であって、両者はコインの 両面に他ならず、「議論」する意味などありません。 ケナンの戦略の大いなる便益は、それが<かかる>議論の決着を要求しないところに あるのであって、それは、ロシア政府への関与(engagement)、と、ロシアの侵略を抑止 するために必要な軍事力(strength)の投射(projection)、との双方を奨励した。・・・ ⇒ここまでは、日本の旧陸軍の皇道派が追求した熱戦論に対する、統制派が追求し 日本の国策となった冷戦論(抑止論)そのものです。 ケナンは、対兵力(counterforce)を抑止として求めつつも、彼は、欧米の力を用いて (applying)ロシア政府それ自体を変革しようと試みることに対しては警告を発した。 このようなアプローチは、ロシア内部の諸出来事に影響を与える欧米の現実の能力の 観点からは無理筋(overreach)であるだけでなく、自負心ある(proud)ロシア人達の間で 欧米との引き続きの対峙を支持する声を掻き立てさせることは必至だろう、と。・・・ ⇒しかし、軍事的に抑止政策をとることと、経済的、思想的等の非軍事的手段でソ連 (ロシア)政府の弱体化や転覆を図ることとは矛盾しませんし、実際、戦間期の 日本政府も、経済的、思想的等の面でそう努めたところです。 (そもそも、経済力(能力)や思想力(意思)がなければ、軍事的に抑止政策を維持 することすらできません。)この点から、私は、ケナンが提唱した対ソ(露)戦略は、 日本のそれとは似て非なるものであった、と申し上げているのです。 ケナン自身がそれについて考えたように、封じ込めは、ロシアの力に対する直接的な 対応(response)に関することと同じくらい、欧米の力と繁栄の核心にあるヴィジョンに ついての再確認と宣伝(broadcasting)に関することなのだ。 実際、冷戦は、かなりの程度まで、ロシア人達が米国を、成功を収めた繁栄している社会、 と見るに至った・・米国のモデルを継受(emulate)することを希望し、全球的諸挑戦に対処 (manage)するために米国との提携(partnership)を欲した・・から終わったのだ。 それとは対照的に、今日の<米露>諸関係の悪化は、米国のイラクとアフガニスタンでの 諸失敗、及び、ロシア人達の経済発展のための米国的モデルに対する信認(faith)を粉砕 したところの、2008年の金融危機の尾を引いている諸帰結によって深められてきているのだ。・・・ ⇒戦間期の日本の対ソ戦略を(部分的にケナン、そして、全面的にニッツ、を介して) 継受した戦後米国は、日本とは違って、極めて拙劣にこの戦略を遂行した。 具体的には、米国が北朝鮮による南進を誘った形で朝鮮戦争を引き起こして しまったのはこの戦略確立直前だったが、この戦争の過程で米軍等を北進させて しまったために、本来反ソの中共を長期間ソ連側に追いやってしまい、また、無意味な ベトナム戦争を戦って全世界で反米意識を煽ってしまい、更には、ソ連がアフガニスタン に軍事介入した際にイスラム過激派を支援したため、現在のイスラム世界全体の混迷を 引き起こしてしまった。 にもかかわらず、冷戦に勝利を収めることができたのは、第一に、ソ連が掲げたマルクス・ レーニン主義の根底にあった思想は、米国の思想、ひいてはアングロサクソン的思想よりも 本来的に優位にあったというのに、その自覚が足らなかったからであり、第二に、核時代の 到来で、もはやソ連(ロシア)の核心的領域は聖域化したことから、タタールの軛症候群を 乗り越えるまでもなく、米国との軍拡競争、ひいては経済成長競争に狂奔する必要がなく なっていたにもかかわらず、惰性でそれを続けた事で国力の相対的疲弊が募ったから、です。 「冷戦」ってオーウェルの造語だったのね。 ・・・the term “cold war” was coined by George Orwell in 1945 to denote capitalist-socialist antagonisms between the United States and the USSR after the defeat of Nazi Germany.・・・ https://www.theguardian.com/books/2017/aug/28/the-cold-war-a-world-history-odd-arne-westad-review バーナード・バルークが1947年4月に最初に使用したので命名者とされてる 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 WPR0Q 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 WYI ソ連崩壊は1976年に予想されていた 参考書籍 最後の転落 ソ連崩壊のシナリオ エマニュエル・トッド著 1.ソ連の乳児死亡率が異常に高い (注)乳児死亡率:1才未満の子供の死亡の頻度を示す指数。新生児1000人に対する比率。 ソ連 フランス 1970年 24.4 18.2 1974年 27.7 14.6 (1)この数字は、人口統計学者を唖然と言わせるほどのもの。 (2)医療、食料供給システムの急激な解体を示す。 (3)生活水準の絶対的退行を示す。 2.1964年以降、ソ連の男性平均寿命が減少している 原因は、変死(自殺、殺人、事故)、急性アルコール中毒、肝硬変、消化器系癌である。 しかし、年齢別特性分布を見ると、特に25才から35才の男性死亡率が、フランス、 スウェーデンに比較し、異常に高い数値を示していることから、変死が多いと結論づけた。 この事実は、ソ連において、当時、自殺、個人的暴力、国家暴力が横行していたと推定した。 即ち、反体制的行為が、孤立した少数派の仕業ではなく、国内全体で発生していると推定した。 (注)ソ連の平均寿命 男 女 1965年 66.2才 74.1才 1970年 65才 74.2才 乳児死亡率の増大と変死死亡率の増大が同時に発生している。このことは、次のことを示す。 (1)全般的な社会的解体 (2)国家に対する声なき反対の勢力増大 (3)つじつまの合わない無秩序な抑圧 (4)影で行使される個人的暴力の発達 上記の人口統計が示す結果にもとづき、著者は東欧ハンガリー旅行で、現地友人との 議論を踏まえ、ソ連・東欧を次のように分析し、ソ連崩壊の必然性を確信した。 http://dtlhst.web.fc2.com/contents/soviet-collapse.html 米国人の平均寿命が3年連続で短縮 増加する自殺と薬物の乱用 - ライブドアニュース http://news.livedoor.com/article/detail/15680620/ 【米国】平均寿命が3年連続で短縮 - QLifePro 医療ニュース http://www.qlifepro.com/news/20181212/average-life-span-cut-short-for-3-consecutive-years.html エマニュエルトッドはソ連の乳児死亡率上昇から体制の行き詰まりと崩壊を予想した。 実際には封じ込め政策による医薬品不足などが原因であったのではないかと想像されるが。 3年連続の米国の平均寿命短縮は薬物乱用が原因である。アヘン戦争後のアヘン流行が 清国を弱体化させた様に、薬物の流行が米国を弱体化させている。国際金融資本は寄生先 であった米国を使い捨てにして破棄処分するために、薬物を流行させているのではないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる