フィリピンの歴史 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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終わっていたので建てました
考えてみると学校で殆ど習わなかったフィリピンの歴史
先史時代から現代までいろいろ語ってみませんか。
前スレ
フィリピンの歴史
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/whis/1418208827/ >>18
そうしたら、親日派、韓国人日本兵を全員処刑しなければならない。
ソ連は対独協力のロシア人ドイツ兵10万人の処刑を実施した。
韓国の人口が半分以下になる罠・・・
フィリピンは対日協力者の処罰は確か行ったはず。
ただ、多くが恩赦?
戦後にも差別は残った? フィリピンは電気代が高いから海外の企業の誘致は容易ではない。
サンスター(フィリピン大手新聞社)2011年2月16日付けによると
一般家庭の電気料金18.1米ドル/キロワット(日本は17.9)
とはいえ、地熱発電(3位のインドネシアが伸びているが世界2位)
最近はソーラー・ハイブリッド発電で孤島でも電気が供給できる >>21
韓国の親日派=戦犯ではないのか?
はっきりと答えていただきたい。 フィリピン人を殺しまくる日本兵=戦犯は3億円で無罪を勝ち取る >>24
そのフィリピン人を殺したのは、
韓国人日本兵だろう?
日本が韓国の代わりに賠償金を支払った。
本来なら韓国が全額負担するべきだろう。 >>22 これフィリピンの国民の大半を占める貧乏人は電気なんか使えないな
盗電したりしてやりくりしてるのかな 小野田少尉は強制送還だよ。
韓国人日本兵の戦犯が多数処刑されている。
ちゃんと資料あたってみ? 【正論】米国に守ってもらうしかない「半国家」状態がなお続いていることを忘れてはならない 初代内閣安全保障室長・佐々淳行
http://www.sankei.com/premium/news/160822/prm1608220008-n1.html
国家の本質的任務は治安・防衛・外交、すなわち安全保障である。ところが、現行憲法下では、自分たちの力で自国を
守ることができない。日本国憲法第9条第2項に「交戦権は認めない」とあるからだ。
この「交戦権」を原文に照らせば「ザ・ライト・オブ・ベリジェレンシー」である。「ベリジェレンシー」とは「交戦」
という意味で、一切の戦闘行為を含んでいる。つまり「交戦の権利がない」のであれば「一切、戦えない」ということに
ほかならない。「自衛ならいい」などという都合のいい解釈はありえない。
「ベリジェレンシー」の出典をたどれば、米比戦争後、アメリカがフィリピンを属国化したときの憲法で使われていた。
軍政官として統治の基盤を築いたアーサー・マッカーサー・ジュニアが、植民地統治のために盛り込んだ文言だった。
それを、息子で連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが敗戦国・日本に強要した。 マニラの大気汚染問題
PM2.5は中国だけじゃない。
その対策として電気自動車大作戦・・・・・・でも電気代ってお高いんでしょw 小野田少尉は処刑済み。日本に来たのは替え玉。3億円をせしめる陰謀だった。 小野田小委は戦後フィリピンの貧困層に寄付しているよ。
おまえらも金払ってから家。 >>44
だから、韓国人日本兵はフィリピンで多数処刑されているんだ。
証拠を見ろ。 フィリピンのジープニー
派手なデザインなのがいいよね フィリピンを領有したスペイン,インドネシアを領有したオランダ。
前者はラテンアメリカ,後者は南ア(ケープ植民地)にそれぞれ移住した
自国民の子孫が白人入植者として現在も存在するのに東南アジア方面では
その傾向が見られないのね。 優勢遺伝ってやつで、外見がアジアに同化してしまったのでは?
アルゼンチンみたいにお寒いところでは、白人の外見を保っている。
コロンビアや中米ではどうかな? >>50
フィリピンのサンボアンガには白人の外見でスペイン語クレオールを喋る国民が少なからずいるらしい
ただ、マゼランをぶっ殺した部族がいる国ってことで、スペイン人もビビっていて、あまり露骨な支配はできなかったようだ
スペイン統治時代もフィリピンでなにかプランテーションするのでもなく、中継貿易で稼いでいたわけで
伝統的なバランガイによる自治機構もずっと健在だし、本国から人を呼ぶ必要があるような実効支配を最後までできなかったんだろう スペイン自体にフィリピンの利用価値はなく、アメリカ大陸の物産を中国とやりとりする交易拠点でしかない。
19世紀にサトウキビ栽培でちょこっとスペイン人が増えたけど、それでも、中華系の人間の方が遥かに多いだろう。 2010年国勢調査によるハワイ
ホワイト24.7%
フィリピーノ14.5%
ジャパニーズ13.6%
で日系を上回っている
ハワイの砂糖プランテーションの労働者
1872年3/4はハワイアン
1882年1/2は中国人
1902年3/4は日本人
1922年にフィリピン人が日本人を上回る
1932年に70%がフィリピン人
ハワイアン−>中国人−>日本人−>フィリピン人 >>52
上の方はスペイン系が多い。
中国人と混血している場合が多い。
いい大学通ってるやつらなんて、
ほとんど、中国、スペイン系だよ。
つまり、南米と同じで、
がっちりとしたピラミッド型の体制が築かれている。
「大企業」「財閥」などで調べてみると、もっと詳しくわかるかも。 南方系の中国人と混ざってると、本来のフィリピン人と見分けがつきにくいよな
今の大統領もそう
http://images.gmanews.tv/webpics/2016/04/640_pic_duterte_2016_04_13_13_53_25.jpg
ボルネオとかフィリピンの古マレー系の先住民にも見える
でも2代前が華僑 「スペインを知る事典」って本では著者がスペインに出かけた際,
現地のお年寄りからフィリピン人に間違われたと書いてあった。
アジア系の風貌でスペイン語を話すのは旧領フィリピンの人間と
思われてたみたいで。 メキシコやペルーなどのインディオはあまり宗主国に渡ったりしてなかったのかな 日本人が東洋人の風貌でフランス語を話すと、ほぼ間違いなくベトナム人だと思われるようなものだな では日本人が英語を話すとどう思われるんだろうか?
香港人と思われるのかね? >>57
そのご老人は日系の中南米人なんて知らなかったんだろうなあ
ちなみにその本のタイトルだけど「スペインを読む事典」だったはず。
>>60
今はもうあるかどうかはわからんけど大昔どっかのサイトで
「アメリカでイギリス訛りの英語を話すと中国系香港人と間違われ,
パリで上手なフランス語を話すとベトナム人に思われる」
と書かれてあったのを見たおぼえがありまつ。 >>52
そういやオランダはインドネシアの現地住民をケープ植民地に
送り込んでましたけどスペインがフィリピンの現地住民をラテン
アメリカに送り込んだって話は聞いた事がありません。
ひょっとしてこれらの事情が大きかったんでしょうか ・・・・と思ったんですがケープ植民地と異なりわざわざ
フィリピンから労働力を連れてくるまでもなかったり,フィリピン
からラテンアメリカまで地理的にあまりにも遠すぎたりってのも
ありそうに思えました。大変申し訳ないです。 ただ、タガログ語でお父さんを指すtatay,お母さんを指すnanayはナワトル語からの借用語らしい
スペイン語のpadre/madreでなくなんでメキシコの言語から
中南米の太平洋岸の先住民の減ったところを埋めるのにフィリピンからというのはありそうだよな
でもそうなってないってことは、純粋な先住民が激減または絶滅するまでに、丈夫なメスティソが増えてたのかな あ、フィリピン自体も今でこそ1億を超えるような人口大国だけど、スペインと接触したころは50万か100万くらいしかいなかったんだっけ フィリピン・オリジナル・ビジネス
PISONET
フィリピンの貧乏人(スラム)向けPC・ゲーム利用システム(1ペソ4−7分)
インターネット接続でオンラインゲーム・SNS・Youtube・メールなど利用できる。
アーケードゲーム機筐体風のタワー型PC。
PISONETの筐体は1万ペソ程度で自販機経営のようなこともできる。
2016年でCPUはCORE2など。
日本語表記などからすると日本の官公庁の中古パソコンなどを利用?
中身がXBOX360もある。 >>50
>自国民の子孫が白人入植者として現在も存在するのに東南アジア方面では
天朝棄民と呼ばれる分割統治の都合のいい存在がそこらへんにいたから
本国から植民地に生きたいというもの好きを集めるのは手間がかかるのでね >>69
なんでスペイン人や当時のメキシコの方々は、
フィリピンに行きたいと思ったのでしょうか?
向こうへ働きに行かれた日本の方々もどういう理由だったのでしょうかね? >>71
スペイン人、莫大な交易の利、本国で貴族になれる
メキシコの方々、行きたくないのに強制的に連れてこられた フィリピンにインディオ由来の遺伝子も見つかるかな
元々太平洋岸の低地に住んでて、今も人口の多いサポテカ人とかがフィリピンに適応して子孫を残してそう >>73
独立の英雄ホセ・リサールの母方の曽々祖父が、朱印船時代の日本人移住者末裔だったりするからな
男系だけで数百年を繋ぐとなるとハードルは上がるが、インディオのほうが数も多かったろうし存在はするだろうね ホセ・リサールに日本人の血が云々って、俗説じゃねえの リサールの苗字だけどスペイン語で草原を意味するリシアル
(Ricial)からきてるって「人名の世界地図」(文春新書)という本
には書いてあったな。 >>72
メキシコの方でも人口増のせいか、ポストが不足してきていたんですね。
それでも、スペインの方がフィリピンまでさほど多く来られなかったことを考えると、あまり良い赴任地とは思わなかったのでしょうか。
まず第一に熱帯病で半数以上が死亡していたと聞きますし、
もし、来れたとしても、大変な状況だったのでしょう。 >>77
たとえばウィキペディアの「日系フィリピン人」で、
長らくホセ・リサールが日系人というところに要出典がついたまま。
誰も根拠を提示できない。
出典を持つ勇者よ出でよ。 NHKの気象通報であがってたラワーグという地名,
いったいどこにあるんだろうと思ってたけどマルコス
元大統領を輩出した北イロコス州の州都だったのね。
>>82
ヒント:出版社名 えっ、ひょっとして日本人がわざわざそんな俗説を作ったと思ってんの?
(出典の一例)
Anacoreta P. Purino 「Rizal, The Greatest Filipino Hero」 Rex Bookstore, Inc. 2008 156ページ
Wiki英語版のJose Rizalの項にも簡単ながら記載があるのに、その程度の確認もできないのは無能としか >>85
外国人ぐう有能www
むざむざとホセ・リサールのWiki記事から日系の記述を消された
情報弱者の国産ブタ右翼www フィリピン人の苗字って華僑とイスラム教徒以外は
スペイン風の苗字が用いられてるかと思ったんですが
マグサイサイなんかのようにタガログ(?)っぽい物
もあるんですね。 ん?ホセ・リサールが日本人の血を引いてようが引いてなかろうが別にどうでもよかったけど
なに一人で騒いでんのかよくわからんが、とりあえず涙ふいとけよ >>91 他はマカパガル、スムロン、アグバヤニ、サロンガあたりか
リサールの中国名は柯黎薩
salを薩で転写ってことは、ダルマを達磨と書いたように、外来語の-lの音節を-tの漢字で当てる伝統が近代の南方の方言(入声を保存)にまで引き継がれてたってことか
二文字で納めるとかっこいいな
北方方言だったら黎刹爾、黎薩爾みたいになる。字面がブサイク。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8E%E5%89%8E 比率から言えば
中国系フィリピン人>>>>>日系フィリピン人だろう いわゆるジャピーノと、戦前ミンダナオの先住民との間にできた子供の末裔とだとどっちの方が多いんだろう 米比戦争の時は黒人の脱走兵がアギナルド側に加わってたのね。 >>100
戦前の人たちは数的に多いとしても、
普通のフィリピン人として生活していて、分散傾向?
ある意味で他の国の昔の日系人に近い?
日系フィリピン人のメインはジャピーノ系だと聞いたが。
それでも、日系人の子孫は、
自分たちのアイデンティティーを確かめようと、
日本語や日本文化を学んでいるとか。
ミンダナオ国際大学。
興味あれば行ってみればどうかと。
http://jpva.org/mkd.html ゴルゴ13にも出てきたフクバラハップ,
最初読んだ時は入浴剤みたいな名前だなと思ってたけど
後に実在の組織だった事を知りますた・・・・・ アメリカ大統領
25代、マッキンレー;共和党;1897−1901
26代、セオドア・ルーズベルト:共和党;1901−1909
27代、ウイリアム・タフト:共和党;1909−1913
28代、ウイルソン;民主党:1913−1917
32代、フランクリン・ルーズベルト:民主党;1933−1945
1898年にアメリカスペイン戦争でアメリカが勝ち、フィリピンが
アメリカ領になり、マッキンレー大統領がタフトを初代のフィリピン民政長官に
任命する。1901−1903
タフトの能力が評価され大統領に。
セオドア・ルーズベルトとタフトの共和党のアジア戦略、それに対する
民主党のフランクリン・ルーズベルトのアジア政策の違い。このあたりの
理解の不足が太平洋戦争になって行く。 日米、南シナ海問題で対中包囲網 誤算はドゥテルテ比大統領“暴走”
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20160909/plt1609091700004-n1.htm
日米にとって誤算だったのが、仲裁裁判の当事国であるフィリピンのドゥテルテ大統領だった。オバマ氏を「売春婦の息子」
とののしって首脳会談がキャンセルされたほか、ASEANと米国の首脳会議を、頭痛がひどく起きられなかったとして欠席した。
東アジアサミットでも南シナ海問題には一切言及せず、オバマ氏らを前に、米国の植民地時代に殺害されたというフィリピン人の
写真を掲げ、5分以上にわたり持論を展開した。 親中派で米国との距離を開け中国にすり寄りたいということか? フィリピンの独自性を打ち出すパフォーマンスだよ。
まあ、こんな犯罪者の踏み台に利用され続けるであろう国は二度と利用したくはないがな・・・ 勝訴したのに取り下げとかわけのわからない事をしそうw
なぜか釈放の高畑裕太が第二の人生を歩んでいくのにふさわしそう
フィリピンでバクラ(オカマ)としてやり直せ 二度と戻ってこれなくなるだろう。
日本人がフィリピンへ行く最大の理由は、
日本のルールを守らなくて、自由でいいからだそう。
ただ、一度あっちでトラブルを起こすと、最悪死刑囚だけどな。 AIIBに参加もしたしこれからは中国様。
大統領も親中派。 15年くらい前のサピオに中国が北朝鮮を使ってモロイスラム解放戦線を
支援してるって記事を見た憶えがあります(南沙諸島をめぐる中比間の対立
が背景にあるらしい)。
親中ドゥテルテの登場で南沙諸島問題はどうなることやら 彼が親中の時は麻薬犯に甘いアメリカと対立する時だろう
領土問題では中国と対立しているから単純にはいくまい
国内にワルが多いから叩き潰さなければ南アフリカやメキシコのような状態から抜け出せない
だから彼は親中である前にアメリカや国連を偽善者であると認識しているのではないか Taftのフィイピン赴任;1901−1903:the Govement General
1904年に、ルーズベルトはTaftを陸軍長官に。
日露戦争;1904−1905
戦争中日本はモルガン財閥から莫大な借り入れ。
ポーツマス会議でもルーズベルトの支援。調印の写真の
ルーズベルトのそばに写るのはTaft。
1905年7月29日、東京で桂首相とTaftは会談。
日本の朝鮮における権益を確認。日本はフィリピンの米国の
権益を支持。ポーツマス会議は8月4日から、調印は9月5日。
アメリカの鉄道王ハリマンは8月31日に來日。
桂首相と南満州鉄道の売却に合意。10月12日に覚書。10月23日に破棄。
セオドア・ルーズベルトは当時、アメリカの鉄道事業の独占にトラスト法で
対抗しようとしていたので、法律の専門家であるTaftが関係しているかも
しれない。
日露戦争とフィリピンは複雑にからんでいる。 >>112
たかだか無人島の領土問題でテロ支援とはやり過ぎだな・・・ 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています