フィリピンの歴史 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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終わっていたので建てました
考えてみると学校で殆ど習わなかったフィリピンの歴史
先史時代から現代までいろいろ語ってみませんか。
前スレ
フィリピンの歴史
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/whis/1418208827/ フィリピンは他の東南アジアと較べても外国資本規制が強い
外国資本不可
マスメディア・弁護士・薬剤師などの専門職、200万ドル未満の小売業、協同組合、
警備会社、海洋資源・天然資源の利用、闘鶏場、ABC兵器の開発・流通、花火・火薬類の製造
外国資本20%以下
ラジオ局
外国資本25%以下
雇用斡旋、国内資金での公共事業の建設、防衛関連構造物の建設
外国資本30%以下
広告業
外国資本40%以下
私有地の所有・公益事業・教育機関・主要穀物関連の産業、公への商品供給、コンドミニアムの所有
憲法で規制をうたっているので憲法改正に取り組んでいる。
今回の民主党が都市部だけで勝っていて
大半の面積で負けていたように
スペインが来たときのフィリピンも
マニラなどの都市部?だけがイスラム教で
ほとんどの田舎は土着宗教だったんだろうな >>285
マニラがイスラムだったことなど無いと思うが?
イスラムはミンダナオ島までだろ >>285
通史の本をちゃんと読んでくれ・・・
テロ関連などの難しい問題は藤原さんって歴史家がされているとかいううわさ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4588603183/
まあ、ちがうならちがうで別にいいんだけどね、以下ソース
フィリピンのイスラム教 - Wikipedia
スペイン人との出会い
ラプ=ラプはムスリムにしてマチャンの戦いの際、地元の諸部族を率いたとされる
ラージャ・スレイマンはマニラ湾に面するパシグ川河口部に栄えたマイニラ王国のムスリム系ラージャであったが、
当時はスペイン軍が初めてルソン島に上陸[9][10][11]。スレイマンはスペイン軍に抵抗した
フィリピン基礎講座−歴史(フィリピン・ムスリム関係史) http://www.ph-inside.com/site/kiso/his/his_9.htm
スペイン人がフィリピン諸島に到達した頃にはミンダナオからビサヤ地方、ルソン島でもマニラ湾周辺までイスラムの勢力下にあった。
1571年、レガスピはブルネイの影響下にあったマニラのラジャ・ソリマンを退け初代フィリピン総督となり、首都をマニラに定めた。
フィリピンの宗教 ? Navi Manila http://www.navimanila.com/relegion/
[独立を求めるイスラム教徒]
ミンダナオ島西南部やパラワン島の南部、スルー諸島はイスラム教徒が住民の多くを占めている地域である。15世紀にはスルー王国などが建設された。
スペイン人がマニラの城塞都市を築いた場所にはもともと、ラジャ・スレイマンというイスラムの指導者が治めていたイスラム王国があった。
世界のイスラム教徒と同様にアッラーを崇拝し、金曜日にはモスクで共同礼拝を行う。
マニラの下町キアポにはカトリック教会のすぐ近くに黄金色の丸屋根をもつ美しいゴールデンモスクがある。 スレイマンがなまってソリマンて面白いね
アブラハムの宗教の影響は流石にバシー海峡までで台湾とかにはないかな?
東南アジアの宗教分布
http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/SyukyoBunpu.html のキャッシュ
(5) キリスト教 東南アジアでは、フィリピン(国民の約90%)にのみ分布しているが、
フィリピンにおけるキリスト教は、それ以前に存在した土着の精霊信仰と微妙に結合している。
(フィリピンの宗教)http://showasymposium.web.fc2.com/religion1.html
フィリピンにも土着宗教である精霊信仰が古くからあった。この状態がマレー人によってイスラム教が持ち込まれるまで続いた。
さらに、1565年からのスペインによるフィリピンの支配に伴い、キリスト教が勢力を拡大した。
精霊信仰はキリスト教やイスラム教が輸入された現在でも、山岳地帯などの布教が行き届かなかったところで残っている。
(フィリピンの歴史)http://showasymposium.web.fc2.com/history1.html
? 14世紀後半 マレー人の影響でフィリピン諸島にもイスラム教が広まる(ミンダナオ島の初代国王による布教)
? 1521年 マゼラン率いるスペイン船団、ゼブ島に到着し、キリスト教を伝える
フィリピン人は、スペイン人が来る前、何の宗教ば信じとったとですな?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118800142
先スペイン期の精霊信仰の形式は、キリスト教にもイスラムにも帰依することのなかった内陸山岳部の少数民族社会でひきつづき保持されている。
WCC、土着宗教とキリスト教の関係性を考察 国際 クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/articles/10167/20120215/news.htm
フィリピンの土着民族への宣教について、土着民族にキリスト教がどのように貢献することができるかを尋ねるとき、
フィリピン土着民族らは、キリスト教の教会とその教会員がかつで土着民族に犯した罪について悔い改めることを要求してくるという。 >>287
以上だ、上から目線のやつはしねばいいんだよてかしね >>293
?
なんかこの作家さん問題あるんですか? >>50
人口が多いから相対的にスペイン系は少ないイメージがある。あと他の東南アジアみたいに開拓は中国系に任せて、マージン取ってただけの形にしてたのが大きいかな。 >>295
この作家さんがアスペルガー症候群なんですか? >>296
あと、南米も南アも大西洋側で、ヨーロッパとの時差が少ない
東南アジアはインド洋をも越えるから、時差も大きい
単純に物理的な距離の差でもあるが、
時差の感覚も郷愁的な安心感がちがうのかもしれない 19世紀になるまで、南米への移民も希望者がいなくて、カナリア諸島の住民にボーナスを付けて送り出した。
フィリピンならなおさらいないだろう。 >>299
しつこいな、仕方ないからマジレスしてやるよ
>通史の本をちゃんと読んでくれ・・・
この言い草がとても腹立たしい!
はっきり言って死んでくれってことだ
それくらいアタマにくるんだよ!!
おまえが紹介した本なんざどおでもいい!!
そもそも本一冊紹介したくらいで
わざわざそれを買いに走るとでもおもうのか、ド厚かましい!
p.s.
ぐぐって書評見た限りでは
オレが聞いた質問にはこの本はおそらく答えていない
興味深そうなハナシではあった
だから、この本の紹介はトンチンカンな応答であったわけで
ますますもって腹立たしい マゼラン以前ってどれくらい分かってんの?
ほぼゼロ? >>301
ならば、作者に直接文句言えばいいじゃん。
東大のHPにメアドくらいあるでしょ? >>302
マギンダナオ王国でググる
デュテルモの母国
それ以前は調査中、これから経済が発展すれば調査、発掘が増えわかるようになる >>291
>上のピンクと青の地域、あと「?」の空白地域が純粋土着宗教ぽい
あと白のところもかな。薄い水色のイロカノのテリトリーがこの図だと分類に入ってないな
中国の影響を受けてそうだけど >>303
おまえは本当にアホだな!!!!!!!! >>303
オレは別に本に対して怒ってるんじゃないんだよ
一冊の本を出してきただけで
上から目線の オ!マ!エ! に激怒してるんだよ!
大体、オレの質問に
通史読めとか言うのが全くお門違いなんだよ!
いい加減気づけ、馬鹿! >>309
そんなに偉い立場の方なのですか?
教授さん?博士さん? >>309
オレも言ってる意味がわからない。
わかりやすく解説して欲しいです。 ハワイ人口121万人
アジア人合計41.6%
日本人16.7%
フィリピン人14.1%
中国人4.7%
韓国人1.9%
など
白人24.3%
ネイティブハワイアン 6.6%
黒人1.8%(多くは軍関係者)
現在フィリピン人が増加しているので、そのうち日本人を追い抜くか? >>313
>黒人1.8%(多くは軍関係者)
ということは普通に住んでる黒人はほとんど居ないってことか 15世紀までまともな歴史資料がないからなw ヨーロッパ人の記録から歴史が始まる国
それ以前はインドや中国に少しだけ資料が残っているだけ フィリピンの歴史に触れるなよ かわいそうだろ 日本は大陸からの距離190km
フィリピンは大陸からの距離660km
そら文明の伝播が遅れるわ Gold Artifacts from the Ancient Philippines
http://etc.ancient.eu/interviews/gold-artifacts-from-the-ancient-philippines/
http://etc.ancient.eu/wp-content/uploads/2015/11/Philippines_map.jpg ?x42976
いや、これから察するに文明自体は来ていたんだ
もちろん受容しなかった地域もあるんだけど
ただ、一体性が本当になかった多文明社会だった、統一された社会ではなかった
今でもこれからも、フィリピンは統一された社会にはなりえないんじゃないだろうか
スペイン人が小銃と大砲とキリスト教ではじめて一体にしたんだろうけど
それは上澄みの部分でしかないんだとおもう
かえって、その下ではテロ勢力がその勢力を伸ばしてきたのかもしれない
でも、それはイスラムが支援しているのかもしれないし、バラバラにやっているだけなのかもしれない
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Communist_hotspots_in_the_Philippines.png
ああ、でもCommunistがイコールテロリストあるいはイコールムスリムと考えるのはやりすぎなのか >>310 >>311
ごめん、オレはもう疲れた
なんでオレの言ってることをわかってくれないのか、そっちがもう分からない
オレはこれだけ書いてるのに、分からないしか返ってこないんじゃ、もうまともに応対するのも馬鹿馬鹿しい
オレがここまで書いてきたことを、少しでも解釈しようとしてくれてるのか?
好意的解釈までは期待しないよ、でも少しはオレの意図を読み取ろうとしてくれるんでないと、
もう腹立つというか溜め息しか出てこない
たのむから、もう分からない以外の、ああ、もういいや、おまえのレスはもうずっとあぼーんすればいいのかな >>320
良い解釈を他人の善意に求めるというよりかは、むしろ、社会人として先に自説を述べられているのだから、説明責任があるのではないでしょうか? >>319
Sinified Statesの実態がよくわからん
HuangdomのHuangってもしかして漢語の「王(Wang)」のことなんかね?
中国風と言えば家の様式ならジャワやバリのがフィリピンよりよっぽど中国っぽく見えるんだが スペインが一括で抑えたからフィリピンという国があるだけで自然に任せてたら島ごとに別の国だったでしょ >>323 皇じゃない?
>>325 言語的にも、スラウェシのミナハサ諸語もフィリピン語群だから、スペインが決めた今のフィリピンというまとまりすらも必然的なものではないんだよな
一方でフィリピンにあるけどバジャウ族の言語はまた系統が少し離れてるし
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E8%AA%9E%E7%BE%A4 >>326
中国の史書に記録される朝貢してきた土侯に「皇」なんて身分不相応すぎな称号を与えるだろうか? >>329
それならHの綴りは残らないだろ
外国語を学んでいてH音を理解しているスペイン人なんていくらでもいるから >>331
スペイン人はナワトル語のwaをわざわざhuaで転写する
スペイン統治時代のフィリピンの原住民の統治者が名乗る漢語由来の「王(Wang)」の称号をHuangで転写した記録を見た英語を使う研究者が
kingdomやchiefdomに準えてhuangdomという造語を作ったとしても不思議ではない >>335
おまえが何を分からないか、オレには分からないからもう答えられない
どうしても答えて欲しければ何がわからないのか
900字以上1000文字以内でレスしてくれ
一行の短文で、何かが得られると思うなよ、クソバカヤロウ >>336
先に言った方が論証責任はあるでしょう。
ちゃんと説明して、論証してください。 >>339 馬鹿?
オレは何も主張してない
オレの疑問に対して、オマエが勝手に間抜けなことを言った
上から目線をかましてオレを怒らせた、ただそれだけだ
それから、オレは自分で調べて自己解決した、以上だ
おまえに何かしてやるべきことなんかひとつもないねwwww >>341
はっきり答えられないという事は、何一つ論証できていないということではないですか? フィリピンにはジャワやバリの様な東アジアっぽい瓦屋根の家はあるんだろうか?
ジャワの家は身分が高いほど屋根が立派ってウィキペ先生が言ってたんだけど
https://en.wikipedia.org/wiki/Javanese_traditional_house
そういう風習はフィリピンにはございますのかしらねえ? フィリピン現存最古の一般建築は「イエズス会の家」(1730)?
プレコロニアル様式は残っていてもプレコロニアル建築はそもそも残っていないんじゃないか >>344
フィリピンにはボロブドゥール遺跡みたいな立派なもんはないんかな フィリピン・コルディリェーラの棚田
世界最大とも言われる立派な棚田 なんでこんな山奥に進んだ灌漑農業があるんだろうな
台湾から来たフィリピン人の先祖は当然稲作農耕はしてなかったはずだけど
大陸のミャオ・ヤオ系が渡ってきてた? >>347
建物はないのな…
Kingdom of Tondoとかぬかすくらいなら王宮の址くらい見つかるはずだが >>349
邪馬台国とかぬかすけっど王宮の址が見つかっていない。
そもそも本当にあったのか論まででている。 >>351
真似はない
当時はネットもテレビも本もないから、人が来る必要がある >>350 イフガオ語とかを詳しく調べたら面白そうだな。ちなみにボルネオの言語には、基層にマレーシアのオランアスリに特に近いモン・クメール系要素があるらしい >>352
纏向にあるが認めようとしないだけだ
>>353
人が大陸に行って稲を持って行き棚田の作り方を学んだんでしょ
海洋へ進出した民族はいつでも大陸へ戻れるけど大陸に留まった民族はまず航海のやり方を学ばなければならない
仮に異民族が来たとしても自発的に征服しにいったのではなく海洋民に連れていかれたり招かれたりとかだろう まぁ何々王国と言うんだから、せめて王宮と都市の遺跡くらいは欲しいもんだ。
古代日本にも須玖岡本遺跡や纏向遺跡位の街はあったんだし。
ひょっとしたら何々王国というのも、実態は酋長の世襲化すら為されていない部族連合レベルだったのかもしれないな。
イスラム人や中国人は交易しているだけだから、少し大きい村でも見て国と勘違いしていただけじゃないか? 五千人じゃないか。
部族レベルだな。
まぁ都市国家と考えれば、そこそこかな? 昔は子沢山だろうから一戸あたり10人はいるだろ
よって一万人は固い マラナオはイスラム教の民族だけど、この唐草模様はイスラム美術の影響なんだろうか >>361
昭和の大家族イメージしてるんだろうけど近代になって生産性が格段に向上したから可能になったもので
昔は扶養人口を超えたあたりで間引くか捨てるかするから一戸五人が精々 それを言うならそもそも当時の現地人の一戸って一夫一妻の核家族なんか?
3世代以上同居して息子とその妻子が数組とか、妻が数人いるとか普通にありそうな気がするが 天宝元年の統計だと戸八百三十四萬八千三百九十五、口四千五百三十一萬一千二百七十二となっている
唐代の中国ですらこれが限界なんだから1戸10人とかありえない >>368
>現地人の一戸って一夫一妻の核家族なんか?
これがどこの世界でも前近代では普遍的
そもそも一夫多妻制の国でも妻が複数いるのはごく一部で9割強は一人なんだから無視していい数字
中高年の中には自分が子供の頃の家族形態であった多世帯同居が家族の本来あるべき姿で世界中そうだったに違いないと思い込む傾向があるが
歴史的に見てもかなり稀なケースで比較的世帯数当たりの人口が多かった江戸時代の日本ですら半数近くは核家族世帯
それ以前は統計が残ってないから推測にしかならないが「塵芥集」などから子供がいる夫婦でも別居形態が一般的だっと思われる 昔は祖父母なんて子供が小さいうちに死ぬのが普通だし基本携帯は核家族だろう >>374
ほとんど西洋的なものばかりでちょっとがっかりした スペイン系(ほとんど) イスラム系(ちょっとだけ) 洞窟(ちょっとだけ) 壁画(ちょっとだけ)
こんな構成か
世界遺産のビガンの町並みは入ってないみたいだな。あれもスペイン風建築だけど >>377
登録済み
PH-01-0007-NCT >>375
日本も似たようなものだろ。
日本の伝統建築物も、本当はシナチョンパクリ技術だもの。 >>379
高床式建築のどこがシナチョン起源なのか小一時間問い詰めたいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています