【勇壮】戦場の華 騎士の生活【無敵】2 [無断転載禁止]©2ch.net
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西洋の中世に活躍した騎士について語るスレです。
十字軍時代から、騎士道が確立し、全身を覆う全身板金鎧によって
ほぼ無敵の強さを誇る存在になった16世紀そして17世紀の騎士までが対象で、
それぞれの時代の騎士の平常時の暮らしぶり、騎士階級の子として
生まれた子が騎士になるまでの間の暮らしぶり(どんな訓練を毎日何時間受けたのか)、
そして戦場での活躍、馬上槍試合(トーナメント)の催し物での逸話などを語りましょう。
書き込むときには「どの年代の騎士の話か?」を明確にして貰えると
意思疎通がしやすくなりますのでお願いします。
騎士に対して劣等感を抱く可哀想な者が紛れ込んでるとも限らないので、
できたらソース(参考文献)もあると荒れずに済み、助かります。
前スレ:
【勇壮】戦場の華 騎士の生活【無敵】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1304803888/
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質問する前に、まずはQ&A集に目を通してください。
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<良くある質問 Q&A集 簡易版> 詳細版は>>2-5辺り
・プレートアーマーを装備したら、倒れたら起き上がれない → 誤り。
・プレートアーマーは弓矢やクロスボウで射抜けた → 誤り。
・でもモンゴル軍に敗北したじゃないか? → 当時の騎士の装備はチェインメイルだった。
・ではクレシーの戦い、ポワティエの戦い、アジャンクールの戦いの件は? → 当時の文献に射抜くことができなかったと記載あり。
・プレートアーマーはマスケット銃や火縄銃で貫通できた → 誤り。
・では無敵なのか? → 殆ど無敵の存在で、騎士を倒すには騎士によるランスチャージしかないというのが一般的認識。
・プレートアーマーは殺されないための防御に徹してるだけで攻撃面での使い方は想定されていない → 誤り。 <Q&A集 詳細>
【Q1】プレートアーマーを装備したら、倒れたら起き上がれない
【A1】よくある誤解です。
wikipediaにも書かれてあるように、この誤解は馬上槍試合で用いるトーナメント・アーマーと
戦争に用いられた「実戦的なもの」とを混同したことによって広まったとされている。
14世紀に登場して15世紀に完成されたプレートアーマーの重量は30kgくらいで、
これは20世紀の歩兵の標準装備重量が武器弾薬や食料・各種ユーティリティ込みで50kgを超えることを考えても
そう重くはないのです。しかも背負うのではなく、体を包み込み体に重量が分散するので、実際の重量よりも
軽く感じて動きやすいのです。
また、忘れてはならないのが、騎士は幼い頃から戦闘の訓練に明け暮れて育った肉体の持ち主だということ。
騎士は7歳からペイジ(小姓)として主君の元で訓練を始め、14歳でエスクワイア(従騎士)となり
20歳頃に騎士となるまで厳しい訓練の日々を過ごします。
そんな騎士にとってはプレートアーマー姿で機敏に動き回ることは容易なことであり、イタリアの
フィオレ・ディ・リベリ(Fiore di Liberi)が記した剣術指南書には、甲冑を着たまま泳ぐ方法や、
甲冑を着たまま宙返りをする兵士の姿が描かれています。
【Q2】プレートアーマーは弓矢やクロスボウで射抜けた
【A2】よくある誤解です。武器と防具はお互いを凌駕するよういたちごっこで発展してきた歴史があり、
チェインメイルの弱点だった弓矢への完全対応を行ったのがプレートアーマーであり、
プレートアーマーを貫通することは人間の力ではできず、武器は火器へと発展していくのであります。
【Q3】でもモンゴル軍に敗北したじゃないか?
【A3】モンゴルのヨーロッパ侵攻は13世紀、プレートアーマーの完成は15世紀です。
13世紀当時の騎士の装備はチェインメイルだったから弓矢による攻撃が通用したのです。
侵攻が15世紀だったらモンゴル軍はプレートアーマーの前になす術がなかったことでしょう。 【Q4】ではクレシーの戦い、ポワティエの戦い、アジャンクールの戦いの件は?
【A4】これらの戦いは1346年、1356年、1415年に行われ、フランス騎士はほぼ完成形に近いプレートアーマーで重装備をしており
当時の文献にはロングボウで空に大量に放たれた矢の雨霰は騎士の装甲を撃ち抜くことができなかったと記載があります。
また、そのことが原因で、馬を撃ち抜かれて酷い沼地に投げ出された大勢の騎士が捕虜となったと記載されています
(つまりプレートアーマーの優れた装甲で死者が出なかったため予想を超えて捕虜の数が多くなってしまったという意味です)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/ff/Agincour.JPG
http://static.blog4ever.com/2014/02/766283/artfichier_766283_5238005_20151025323178.jpg
http://p6.storage.canalblog.com/68/16/957843/96030666.jpg
【Q5】プレートアーマーはマスケット銃や火縄銃で貫通できた
【A5】これも誤りなのです。
というのは、火器の出現がプレートアーマーが廃れた原因とされていますが、初期の銃に対しては対応できていました。
いたちごっこの競争の中で火器の威力増大化に伴って廃れていったということです。
マスケット銃や火縄銃については、貴族に甲冑を納品する際に試し撃ちを行っており、また信長が南蛮貿易で手に入れた
プレートアーマーを火縄銃で試し撃ちをして貫通しなかったことから南蛮鎧を採用するようになった話からも、
プレートアーマーは貫通できなかったことが分かります。 【Q6】では無敵なのか?
【A6】殆ど無敵の存在で、騎士を倒すには騎士によるランスチャージしかないと思って間違いないでしょう。
プレートアーマーは斬撃と刺突について特に高い防御力を誇っていました。
そこで鈍器による殴り合いが発達しましたが、甲冑の中に衝撃を吸収する厚めのギャンベソンを着込んだ騎士に
致命傷を与えることは難しかったようです。
【Q7】プレートアーマーは殺されないための防御に徹してるだけで攻撃面での使い方は想定されていない
【A7】これも誤りです。プレートアーマーは防具としての意味合いが強いが、ある意味では着る武器でありました。
これは甲冑剣術が斬るよりも打撃を中心に考えられたからで、甲冑の重量は武器となりより強いインパクトを与えました。
片側のガントレットだけで1kgもあり、装甲の薄い兵士がこれで殴られることはその重さのハンマーで殴られることに等しいのです。
また篭手に短剣やスパイク状の武器を取り付けることもしばしば行われました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています