「中国四千年の歴史」←これデタラメだからなw [無断転載禁止]©2ch.net
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「唐時代の一番繁栄した時期、広州港を往来した客商は何十万人も数えられ、さらに広州に住み着いた外国人は、史料によれば20万にも達していた。・・・
宰相李泌(789没)の調べたところ胡人は「胡客、留長安久者或四十余年(長安に長く滞在した人の場合、40年を過ぎる)」「不欲帰、有田在者、凡得4千人(帰る事を欲せず、土地住宅を持つ者は4千人ばかりになる)」という状態だった。
唐代の天保年間(742-756)、河西、すなわち甘粛から中央アジアへの通路が、チベット軍により断ち切られてしまい、一部がチベットに攻略され、
首都 長安に滞在していたアラブ、ペルシア、中央アジア諸国の使者と、唐の東トルキスタンに設置されていた北庭と安西の2つの都護府の「秦事」という連絡官も一 時西へ帰れなくなった。
かなり沢山の使者と役人が、最初やむを得ず長安に残され、人馬なども唐政府の鴻臚寺という役所からの給与に頼って、毎日を送っていた。時間の流れは速いもので、何十年もたってしまったのに、この政府の胡客たちはそのまま給与生活を楽しんでいた。 唐時代の名相李泌はこの「言葉で帰りたいが、体が帰れない」 胡客たちに対して調査を行なった。
その結果、チベット軍の遮断を口実にして帰ろうとしない胡客の中に、すでに長安に土地、住宅を持つ者が4千人にも達する ことが分かった。
李泌は政府から支給していた給与を停止することを命じたが、胡客たちはたちまち騒ぎ出した。
李泌は言った。
「外国の使者の身分で首都に何十年もいて、帰ろうとしない者がいるか。直ちに国に帰るか、あるいは職について棒給を得るか決定せよ」
4千人もいた胡客に、「帰るという者が一人も得ず」、 皆屋敷から土地まで持っていた。商売が得意な者ばかりであったので、結局、鴻臚寺から給与をもらい、使者の身分を持ち続けている人は十数人しかいなくなっ た。
李泌はこの調査によって、胡客の給与だけでも年に50万緡(びん)(一緡は一串(さし)、一千文)の大金を節約した」 しかし、満ちれば欠けるのがこの世の常。
広く異民族を受け入れていた唐末期には凄まじい反動が起こる。
所謂“不良外人”の類も来華したのは確かで、犯罪行為に走る者も少なくなかったろう。
これに現地の漢人が反感を持ったのも理解できる。
広州に20万もいた 外国人は実に12万も虐殺され、残った外国人の多数は西域に難民として逃れる。
しばらく広州と西域との貿易は中断される程なので、その混乱は想像がつく。
安禄山の乱の後も洛陽で胡面(胡人の風貌)の人々が尽く虐殺されたといわれる。 大量の外国人を受け入れたものの、その最後は無様だ。
元来異民族に決して開放的でない漢族が無条件で受け入れること自体無理があった。
隣国インドとの異民族の移住対策の違いは興味深い。
昨年10月8日付けの記事に も書いたが、受け入れにしても条件をつけ、大々的に受け入れたのではない。
インドで外国人は安禄山のような出世は困難だが(カースト制)、それゆえか反乱 を起した者もいないし、大虐殺をされることもなかった。
移民受け入れではどちらが賢明だったか、言うまでもないだろう。 四川での大虐殺(屠蜀)
多くの記録で張献忠は残酷な殺戮を好み、「屠蜀」もしくは「屠川」と呼ばれる無差別殺戮により、四川の人口を著しく減じたとされている。
1578年(万暦6年)に人口310万2073人[2]だった四川は、1685年(康熙24年)には1万8090人となった。
このため清朝の前半、1671年から1776年までの間にかけて湖北省・湖南省・広東省などからの移民数百万人が四川省へと移民した(湖広填四川)。
現在の四川人の方言(西南官話)が北京普通話に近いのもこの時の張献忠による四川人殲滅殺戮によって古代四川人が壊滅したことが大きいとされる。 年間の戦乱で華北は完全に荒廃してしまいました。
安史の乱の兵士たちには遊牧民出身の者も多かったようで、農民に対する理解や配慮はない。
農地は滅茶苦茶になる。農民は畑を棄てて逃げ散る。食糧生産も満足におこなわれない。
腹がへっては戦ができません。
安禄山の反乱軍には石臼部隊というのがあった。直径数メートルもあるようなでっかい石臼を運ぶ部隊です
。反乱軍とウイグル軍が合戦するでしょ。
どちらが勝っても負けても戦闘後の戦場には死体がたくさん転がっている。
そこに石臼部隊がゴロゴロと巨大石臼を運んで登場します。
生き残った兵士たちは敵のも味方のも死体を運んできて、どんどん石臼に放り込んでゴーリゴーリ臼をひく。
死体がミンチになってじわじわでてくる。
これを団子にして食べた。気持ち悪くて御免なさい。
もう、何のために戦争しているのかわからない。
人肉という食糧を確保するために反乱をつづけているような状態になっているのです。 中国人は、食料不足になると人肉を食べた。
隣の国に攻め込んで、そこの国民を殺して食べ尽くすなんてことを平気でやった。
人肉は、石臼で挽いてヒキ肉にして調理する。
このため、明末清初には四川省の人口が激減し、移民が流入して人間が入れ替わった。 安史の乱後、唐の政治も社会も大きく変化します。
まず、唐王朝の力がすっかり衰えてしまった。均田制を維持することができません。
均田農民は政府の援助が得られずに没落して、小作農になっていきます。小作農のことを佃戸(でんこ)という。
佃戸が働く農地の所有者が新興地主階級です。かれらは貴族とは何のつながりもない。混乱をチャンスに変えて成長してきた新興層です。 均田制が崩れれば、当然それをもとにしていた租庸調制も崩れる。
かわりに実施された税制が両税法。夏と秋の二回の収穫期に銭納で税を集める。一年二回の徴税なので両税法といいます。
両税法の献策者が楊炎(ようえん)。受験的にはわりときかれます。
これ以外にも塩の専売制を強化して国家財政を補いました。 府兵制が解体して、募兵制に切り替わります。傭兵部隊です。傭兵というのは西洋でも東洋でも質が悪い。
中国では良い鉄は釘にはならない、善い人は兵隊にはならないという諺があって、兵士になる奴にろくな奴はいない。まじめに働くことのできないならず者が最後にたどりつく仕事だと考えられていたのです。
府兵制の兵士は違うんですよ。これは徴兵ですからね、均田農民が兵士になる。農民というのは元来まじめで黙々といわれたとおりによく働く。これを兵士にした府兵は質がいいんです。
募兵制の傭兵になってから兵士の質がグンと落ちる。略奪・暴行なんかなんとも思っていない。 安史の乱の大虐殺で荒廃した唐に、なんとチベット軍が攻めてきた。 10月、吐蕃が州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。
吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。
代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。
代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。
郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。
驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。
そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。
吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。
代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。
中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。
まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。 10月、吐蕃が州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。
吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。
代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。
代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。
郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。
驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。
そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。
吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。
代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。
中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。
まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。 チベット軍が中国の首都を占領したという、二千年の歴史の中でも稀有の事例
朝鮮は、北京のすぐ近くで何百年もすごしてたにもかかわらず、そんなことは一度もない
中国共産党は、安史の乱のちのチベット進攻をネタにして「チベット解放」を正当化してるんか その後、唐では府兵制が崩壊し、傭兵が暴れまわる暗黒の中世に突入した チベットは、7世紀にインドで唐の外交使節が問題を起こして戦闘が始まったときに、派兵して唐を助けた ヨーロッパのゲルマン民族大移動
中国の鮮卑族大移動
東洋・西洋ともに人間が入れ替わった もう一度入れ替えよう
アラブ人の大移動
中国人の大移動 四川大虐殺はチベット族への虐殺
それはチベット人が等しく前世で罪業を重ねており
つまりチベット仏教を信仰するということは現世での利益も見込めないばかりか
そのカルマから解放されず来世でもむくわれないということになる
仏教を国家レベルで解釈するとそうなるのかな >>131
五胡十六国の後秦はチベット系じゃないの? 後秦は、羌族だな。姚萇のときは長安を占拠した。
あと、氐族がチベット系だとすると、苻堅のときに華北を統一している。 >>123
安禄山はソグド人だから遊牧民じゃなくて商人 >>141
安禄山本人じゃなくて、配下の兵隊の話でしょ 安史の乱で人口が激減
やっと回復したところで、また唐末五代の大乱でもっと激減 中国は、政治的なイデオロギーとして「四千年の一貫した歴史」を強調する
だから中国史は分かりにくい
秦漢など、メキシコにとってのアステカ帝国みたいな「先住民の失われた文明」と位置づけたほうが実態に近い 隋唐と、遼金元とでは、ローマ帝国とフランク王国くらいの違いが十分にある
つまり、ひとつの国の中の政権交代ではなく、別の国の台頭 言語も人種も(少なくとも周代からハプロOが主流)文字も変わってないのに
それは無理があり過ぎ
どちらかという縄文人と日本人の関係のほうがそれに近いんでないの
今の日本人のハプロの7割は中国や朝鮮半島からの流入でしょ 言語は大きく異なる
古代中国の言語は、今の中国人より東南アジア人に近い 南米の場合は先住民がマイノリティだけど
隋唐と、遼金元もいずれも支配者のほうがマイノリティだから比較には無理がある
スペイン、ポルトガル人が圧倒的多数のインディオを支配していくうちにアステカ化インカ化なんてしなかったでしょ
むしろ南米の歴史は縄文人と弥生古墳時代の日本になぞらえたほうがいい >南米の場合は先住民がマイノリティだけど
意外とそうでもない
エクアドル人なんか見てみろ、あれが白人か? >>147
東南アジアってすっごいざっくり分けてるけど一体どんだけの語族に分かれてると思ってるの?
インドネシアだけでも西欧以上バリエーションあるんですけど
その様子ではどうせ受け売りでどこがどう近いか全然説明できないでしょ アラブ化する前のエジプトだって、古来から大農業地帯だ
アラブ人よりずっと人口が多かった >>150
シナチベット語族に決まってるじゃないの
インドネシアなんか関係あるかいな お前ホント馬鹿だな
現代中国語もシナチベット語なんだが >>151
で、どうしたの?もしかして古代エジプト人が絶滅して今のエジプト人は移住して来たアラブ人だと思ってるの?
馬鹿だね現代も古代もエジプトの主要ハプロはE系で変わりません
そもそもアラブ人ってアラブ語をしゃべる人のことで人種じゃないからね >>153
バカはお前だろ(笑)
この言語変遷の話は、シナチベット語族の中の話に決まってるじゃないの
インドネシアなんか関係あるかいな >>154
お前は本当にバカだな(笑)
「先住民の方が人口が多いにもかかわらず、征服民の言語に同化された例」
としてエジプトを挙げたのに、なんで「エジプト人が絶滅」という話になるのか
国語が苦手な奴に歴史談義は無理 もちろん、「古代の漢人は絶滅した。今の中国人は入れ替わった別の人種なのだ」
とまでは、さすがに言いすぎだけどな
そこまでは言わない >>146
遺伝的に見れば、そうだろうな
遊牧民よりも定住農耕民のほうが人口が多かったのは、普通に考えて当たり前
人種が入れ替わったと見るのは、確かに無理がある >>158
いや「今の中国人」 ってのが意味不明
北京語を母語としてる種族と
広東語を母語としてる種族と
客家語を母語としてる種族は明らかに違う 確かに、「中国人」とひとくくりにすることが、そもそも無理だな
それは言えている ということは、やはり、「中国四千年の歴史」が事実ということか? しかし、よく思うんだが、欧州や中東はいくつもの国々に分かれているから、
「古代にはエジプトやギリシャが栄えた」、
「ローマやペルシャが大帝国を作った」、
「近代にはイギリスとフランスが栄えた」
というような話になる。
その点、中国の場合は、全部がひとつの国ということになっているから、
すべて、「一国の中の政権交代」という位置づけだ。
でも、もしも陝西省や河南省や四川省が独立した別の国だったら、
東洋史はまったく違う見え方をしてくるはず。
つまり、現在の状況が、過去の見え方に重大な影響を及ぼしていることになる。 >>146
華北と華南でさえ染色体が異なってるのに、
チミは中国人が単一の人種だと信じ込んでるのか 少なくとも、今の北京政権は、遼・金・元あたりまでしか源流を遡れないはず。
それ以前の中華の歴史と、北京には、ほとんど関係がない。 >>164
んなわけないだろ
やっぱりバカだな、お前は(笑) いずれにしても、最近の中国は経済の歪みが限界に達し、大規模な調整が避けられない状況になってきた
国内が大混乱になれば、「四千年の歴史」などというウソをつき続けるのも無理になるな >>166
支那人は華北と華南では異なる染色体だって結果が出てるんだよ
知らないの? >>169
いや、だから誤爆なんだって
まさにその通りで正しい あの朝鮮人でさえ、清の役人に土下座しながらも、心の中では中国をバカにしてた 昔、「いまのギリシャ人は、古代ギリシャ人とは人種が入れ替わっている」
というドイツ人の説が、広く受け入れられたことがあった。
「こんな腐りきった連中に、あの偉大なる古代文明を作れたはずはない」
というのが、この説の根底にあった。 実際のところ、いまの日本人が中国を見て、
「漢や唐とは人種が入れ替わった別の国」
と考えるのも、それと似たところがある。
いまに始まったことではなく、江戸時代にもそういう考え方はすでにあった。 根底には、東アジアの画一化を進める北京帝国と、その傀儡どもに対する不満と不信がある どれも参考になるお話ですた
暴言スマソm(._.)m エジプトが人種入れ替わってないって報道は陰謀な気がする
ミイラ肖像画みても当時のエジプト人は黒い色の巻き毛(ゆるいのではない、アフロになるタイプ) ダウンタウンの松本気取りのくだらない奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 大陸は民族移動が激しいんだから、千年〜二千年もすれば人種構成がだいぶ変わるだろ。
アメリカがいい例だ。 >>155
で
>古代中国の言語は、今の中国人より東南アジア人に近い
ってのはどうなったの?
>>164
誰がそんなこと言ったの?
漢族のうち華北はo2a系でこれは龍山文化を形成した人々一緒、一方華南O1b系でこちらは長江文明と関係してると見られている
マレー系で見られるハプロOもこっち
で南北が違うからそれがどうしたの?
>>182
陰謀とかどう思おうが勝手だけど第19王朝の頃から現代と同様E1b1aが主流
紀元前3500年前までセム系が主流だという説もあるけどローマの属州になってた時代なんてとっくに今とかわらんわな
大体見た目とか、それなら今の日本人と戦前の日本人は身長や歯数、頭幅からして違うから別人種なんだな
>>184
それは君の願望だろ
むしろ大陸と違って侵入してきた農耕民が先住の非農耕民を従える形で発展してきた日本のほうがハプロの変化は大きい
キミも母方では縄文時代にたどれるかもしれんがY染色体のほうはかなりの確率で長江かさもなきゃ朝鮮からの渡来だ >>185
>陰謀とかどう思おうが勝手だけど第19王朝の頃から現代と同様E1b1aが主流
たしかなのか
じゃあエジプト人の容姿の変化は宗教の影響で黒人種および黒人種てき特徴を独自に淘汰したんだろうか
古代のミイラみてもミイラ肖像画みてもエジプト人はだいたい天然カールの色黒のコーカソイド人種
現代のエジプト人はアラブ人と変わらない色で毛質はストレートも多い
「ハムは奴隷になれ」を黒人種と捉えて黒人が奴隷にされたが
エジプト人の中の黒人的特徴を淘汰してしまったのかな >>186
現代エジプト人の半数を占めるE1b1aはニグロ系なんだけど
>現代のエジプト人はアラブ人と変わらない色で毛質はストレートも多い
エジプト人はハゲと短髪が多いから直に見ないとわからないけどチリチリ
それにアラブ人も基本は天パだよ
でここだけの話、同じ天パでもアラブ人と黒人は超柔らかいけどエジプト人だけ剛毛
これはネットで見てるだけではわからないから旅行にでも行って直に体験してきな >>189
政治家とかタレントとか調べたがそれっぽいのがほとんどいなかったから庶民と階層わかれてんのかね?
単なるゆるいカールや天パじゃなくほっといたらアフロになるタイプがほとんどいない だからさぁネットで情報集めとかじゃなくて実際に行ってみて来いよ
ネラーに多い人込みが怖いタイプか?
サッカー選手のモハメド・サラー、オマル・ガーベルが典型だけど
みんな剛毛チリチリだよ
髪短く切りそろても直近で見るとみんなくるくるだから >>191
典型例が多いなら女でもストレートじゃなくnatural curlな人が多くないとおかしいんだが
アフロになるタイプの人が髪を水で濡らして串でとくと自然に天然カールと言われる髪型になる 中国全体の面積は960万Ku
新疆ウイグル自治区・・・・166.49万Ku
内モンゴル自治区・・・・・118.3万Ku
チベット自治区・・・・・・120万Ku
広西チワン族自治区・・・・23.67万Ku
寧夏回族自治区・・・・・・6万6400Ku
以上、少数民族自治区合計で、435万平方キロメートル
今の面積の55%を占める
これを差し引いた「内中国」の面積は、525万平方キロメートル 中国がチベットやウイグルで行なっている非人道的な行為、なぜ国際社会は黙っているのですか?
自分に直接関係無い遠い地域では有りません。
中国は虎視眈々と日本や周辺国の領土資源を狙っています。
このままでは日本も明日は我が身になりかねません。
利益のために口をつぐむ事は、人権蹂躙の共犯です。 >>193
キミ空気読めなさから言ってちょっとアスぺ入ってるでしょ?
人付き合いとか人前に出るのが苦手なタイプだからネットが世界のすべてなんだね
これでも読めば
https://ameblo.jp/nefertiti54/entry-10495816137.html 最近は、「バブル崩壊」と言わず、「ミンスキー・モーメント」と呼ぶのが流行っている 頭のイカれたシナ人がしゃしゃり出てきて日本サゲ・中国アゲを始めるのは中国史スレの宿命 >>196
単なる癖毛と天然カールタイプは違うんだよ エジプトでは「古代エジプト人は黒人だった」説とか
黒人や黒っぽいコーカソイドが運動起こしてるくらいなんだが
その根拠が古代エジプト人の壁画の特徴である黒い肌と黒人っぽい巻き毛 古代エジプト人にイメージ近いのはエリトリア人とかエチオピア人なんだよな
どっちもハム語系で色が黒いがコーカソイド的な顔立ち
エリトリアはニグロイドの影響が薄い
でもどっちもニグロイドに侵食されてて、世界的評価も低い
やはりハムは奴隷にされよと神に定められたのか >>193
こんなん今のエジプト人とさして変わらないやん
まぁアスぺは一度カラスを白い鳥と思い込むと絶対に黒いとは認めないらしいから無駄だろうけど アスぺにはどう見えてるか知らんが、どうみてもミイラ肖像画は黒人には見えない 色盲か?ミイラ肖像画にはギリシャ人のものもあって色は書き分けられてる >>1
まあ、100年しかないというのは言いすぎだろう。
少なくとも、モンゴル帝国までは遡れるはず。 中華人民共和国は、宋を滅ぼしたモンゴル帝国の後継国家 >>208
185あたりからおってみれ
誰が黒人なんて言ってる?
巻き毛と黒い肌が特徴の「コーカソイド」って常に書いてるだろ
文盲か? 今時白人とか黒人とか前時代的区分に拘る奴っているんだな 白人=コーカソイド 黒人=ニグロイドって分類がまだあるからな
インド人もコーカソイドルーツと自称してるがあまり認められない、みたいな >>213
北インド人は普通にコーカソイドと認められているでしょ
白人とはあまり認められていないだけで
ちなみに自称アーリア人はイラン・インド系で、欧州系は古代ではアーリア人と自称はしてなかった
コーカソイド>アーリア人 コーカソイド>白人 アーリア人=西南アジア系≠欧州系 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています