「中国四千年の歴史」←これデタラメだからなw [無断転載禁止]©2ch.net
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一目でわかる支那の歴史
(小国乱立)
古代・・・匈奴の属国
(小国乱立)
中世・・・鮮卑の属国
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近世・・・満蒙の属領
(日米欧に連敗)
近代・・・日本のパクり国
(軍閥乱立)
現代・・・ソ連のパクり国 唐は、国を挙げて加持祈祷に狂奔した呪術文明
原始人のレベルだ 遊牧民だから戦争には強かったが、後半は内戦で大混乱 菅原道真は、「唐にはもはや学ぶものがない」として遣唐使を廃止した 白村江の戦いでは、朝鮮半島を舞台に、日本と唐が真正面から激突した
結果は日本の敗北に終わったが、この頃には、日本の国力が唐に匹敵していた その後、安史の乱で、唐は崩壊状態となり、国力は日本を下回る事態となった といっても、日本にとって、唐から学ぶべきものが確実にあった
それは、支配階級の鮮卑人が、農奴階級の漢人を支配するために編み出した、効率的な統治システム >北の遊牧騎馬民族の漢人
帰化した新しい漢人のことか? モンゴル帝国が支配した漢人は、鮮卑の子孫
古代黄河文明の民はもういなかった 清代ともなると、「シナは野蛮人の国ニダ」と、朝鮮人にまでバカにされるに至った 一目でわかる支那の歴史
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現代・・・ソ連のパクり国 その国の歴史と言うのは、王朝の存続とか国の制度とか、国名がどれだけ長く続いているか、でしょ?あんまり詳しくは無いけど。
だったら、遺伝子の分布での判断で歴史の長さを測るのは無理。中国に限定するのなら、中華民国を否定し中華人民共和国に国名を変えた時点で国の歴史もゼロに戻ったと見るべき。
それ以前は、特定の国名すら無かった上に、新しい王朝は前の王朝の批判から始まっているので歴史を継続しているとは言えない。 >>676
そうだなw
遺伝子で国家を区分けしたら華北と華南で違う国になっちゃうもんなw 日本も縄文と弥生ではっきり分かれていたら面白かった >>678
日本には縄文国と弥生国という国家なんて存在したことがないので、お前らの願望は実現不可能 中東・欧州・東南アジアは、多くの国々に分かれている。
中国・インドは、ひとつの国になっている。
でも、それは政治体制の問題であって、本来は、中国とインドも多くの国々に分かれているほうが自然。
インドは緩やかな連邦としているが、中国は「97%が単一民族、残りが少数民族」という建前を崩そうとしない。 古代の洛陽や長安と、現代の北京や上海は、普通に見れば別の国。
古代のローマやアテネと、現代のロンドンやパリが別の国なのと一緒。
北京帝国は、洛陽や長安を支配することにより、「我が国の歴史は四千年」と主張している。
もしもイギリスが、ギリシャやイタリアも含む全欧州を統一していたとすれば、
「大英帝国の歴史は四千年」ということになるのか? ロンドンが、ギリシャやイタリアを八百年も支配していたら、いまごろは、
ギリシャ人やイタリア人も英語をしゃべっていたことだろう。
大英帝国は、「四千年の歴史をもつ悠久の古代文明国」という位置づけになっていただろう。
北京帝国も、それと同じだ。
古代文明の地を支配し、元から自分たちの地だったかのように思い込ませることに成功しただけ。
彼らは、千年前から入ってきたモンゴル人や満州人の末裔であり、本当は歴史が浅い。 王朝革命すれば前王朝の痕跡を根こそぎ抹殺してしまうし、
五胡十六国においては民族そのものが入れ替わってしまったし、
そんな営みを「中国4千年の歴史」と定義しているのか? 一目でわかる支那の歴史
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現代・・・ソ連のパクり国 何を当たり前のことを(笑)そもそも中国(笑)なんてただの若い共和国擬きだろ
自分のことを漢民族だと思い込んでいる精神異常者(笑)
自国が過去にあった大陸の国と連続性があると思い込んでいる精神異常者(笑) 一目でわかる支那の歴史
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現代・・・ソ連のパクり国 >>684
明→清なんかは前の王朝の統治機構を受け継いでる様なもんなんだけどなぁ……
満州族だけじゃ明らかに統治できないから明滅亡後に逃げた文化人を呼び寄せて政府作ってたりするし 禅譲と放伐を名目上でもやって中華思想やら中華の文化を民国まで続けたのはすげえと思うよ
全部文革で台無しになったけどさ
日本の千数百年の歴史も言ってみれば天皇家の歴史だし
さらに継体やら女系やら南北朝やらで、外国基準に見れば明らかに王朝変わってるし
無理矢理中華ってくくりにしてるのもそう言う文化として許してやろうや 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
6JD >>675
ところで広島ってなにがあるの?木?
>源平1 広島武士、平治の乱で瞬殺される
>源平2 広島武士、伊予の盟友を裏切り土下座降伏
>源平3 広島武士、変わり身の早さを嫌われ社職追放
>南北朝 北関東の小豪族「山名時氏」に北近畿〜北中国一帯を占拠される
>室町 平賀ら広島武士、九州勢に蹴散らされる
>戦国1 鳥なき陸の中国で無人の荒野を行くが如く領土拡大
>戦国2 東九州の大友にぼこられ涙目敗走
>戦国3 天下分け目の関ヶ原で引きこもり領土削減
>戦国4 毛利家、暗黒の地広島から脱出 中国がどんなに酷い国でもイスラム教国家よりはましだと考えてしまう 一目でわかる支那の歴史
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現代・・・ソ連のパクり国 まぁ実際は殷(商)からだから3500年程度。それ以前は神話だろう。 一目でわかる支那の歴史
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現代・・・ソ連のパクり国 遼金元明清を「ペキン帝国」と呼んで、それ以前の旧中国と区別すべきと思うんだがな
オスマン帝国とサラセン帝国との違いくらいのことは、絶対にあると思うんだが まあ、モンゴル帝国が600年つづいていたら、オスマン帝国と同じように、それ以前とは異なるステージとして扱われたんだろうけどな
明の皇帝が土着民だったおかげで、その根本的性格が曖昧になった
それまでの王朝交代史と同じように見えてきてしまった 少なくとも、漢と明を比べたら、あまりにも内陸部が衰退しており、沿海部が発展している
これを「同じことの繰り返し」と見るのは、あまりにも無理がある
現在の中国の圧倒的中心である沿海部は、漢の時代には辺境であり、日本や朝鮮と大差ない ヨーロッパの歴史では「民族大移動」が大きなテーマになっているのに、中国では、「周囲の野蛮人が、中華の文化に同化し、吸収されていきました」で片付ける傾向が強い
でも、それを言い出したら、中国に限らずどこだってそうだろう 中国の時代劇を見ると、チンギス・ハーンは侵略者として描かれているが、フビライ・ハーンは「中国の英雄」みたいな扱いになっている
もちろん、これは一概には言えず、そのときどき まあ、中国の歴史が五千年だろうと百年だろうと、当方の生活にとくに影響はないのだが 日本でいえば、蝦夷が全国統一して、青森を首都にするようなものだ
でもって、京都は廃墟になってサビれ、それに代わって青森が現代に至るまで繁栄
青森の地形で大都市を建設するのは無理だが、距離感からすると、ちょうどそれくらいの感覚だ
明らかに、それ以前の時代とは断絶がある。
ていうか、普通なら別の国として扱われるところだ。 まあ、中国もいままではバブル経済の繁栄に幻惑されて称賛されてきたが、これからはバブル崩壊で経済苦境が十年・二十年と続く局面に差し掛かっている
中国に対する評価は、これから大きく変わるだろう 中国経済は、かなり低迷している
毎度のことながら意見が割れる中国経済だが、これに関しては識者の見解が一致してきた
楽観論者も、低迷を認めざるを得なくなってきている 自分の感覚では、北京・上海・広東省こそが「中国」なのであって、鄭州や西安あたりは、征服された植民地みたいに見える。
北京・上海・広東省に、「四千年の歴史」なんかない。
日本や韓国と大差ないというか、むしろ、それより歴史が浅いくらいだ。
北京の史跡は、日本でいえば室町時代や江戸時代のものだし、上海に至っては大正から昭和初期くらい。
「北京が四千年の歴史を言うのなら、大日本帝国だって、もしも河南省まで征服していたら四千年の歴史だろうよ」というのが、率直な実感だ。
大英帝国だって、インドやエジプトを支配していた頃は「五千年の歴史」だった。 「中国四千年の歴史」に異議を唱える人が、自分を含めて多いのは、結局のところ、北京の覇権主義・大国主義に反感を持っている人がそれだけ多いということを意味している。
とくに、日本の左翼の爺さんたち。あれは何なのだ?
中国の大きさをあれだけ称賛するということは、「大きいことは良いことだ」というのが彼らの価値観なのだろうから、
それだったら、かつての大日本帝国ももっと高く評価しなければ矛盾している。
南洋諸島まで統治していた頃の大日本帝国は、陸地の面積はともかく、地理的なスケール感ではいまの中国より大きい。 今は中国は五千年の歴史といっている
中国「本国で四千年の歴史」などとはいっていない
己の不勉強を省みず自説を開陳
恥ずかしくないのか 「南京大虐殺は無かったと主張する右翼は、歴史を歪曲している。けしからん」という左翼に、「北京によるウイグル人大弾圧」の話をしたところ、「そんなものは無い。ネットのデマだ」と言っていた。 >>723
なぬ、そうなのか?
知らんかった
これは失敬 明を時代背景にしたドラマは意外と少ない
清の雍正帝と、唐の李世民が、時代劇の人気者だ この2人に共通するのは、兄弟殺しで強引に皇帝になった人物というところ
それでいて、どちらも史上でも屈指の英邁な名君
明朝の皇帝たちは凡庸すぎてドラマにしにくい 兄弟間の熾烈な跡目争いといったら、唐やムガール帝国やオスマン帝国のような遊牧国家では、それぞれが軍隊を動員して内戦になる
日本では、そういう例はなかなか無い 兄弟対立で内戦になった例としては、日本では「薬子の変」が挙げられる
何を思ったか、平城京に都を戻そうとした兄の平城天皇の前に、弟の嵯峨天皇が立ちはだかり、戦闘が起きた 江戸幕府では、8代将軍吉宗の跡目を巡っての、9代将軍家重と、弟の田安宗武の対立が有名
しかし、天下泰平の江戸時代だけに、武力衝突になどならなかったのは言うまでもない 鎌倉時代には、後深草天皇と亀山天皇の兄弟対立が子孫にまで受け継がれ、両統迭立と南北朝時代が何百年も続くハメになった >>734
あれは兄弟ではなく、叔父と甥による跡目争い
このパターンも、洋の東西を問わず多い
最も大規模な戦争になったのは、明の永楽帝による、甥の建文帝へのクーデター しかし、「天智天皇系と天武天皇系の争い」と見るならば、これも兄弟対立の一環といえる
壬申の乱に勝利した天武朝は、奈良時代の大半を支配したが、桓武天皇によって天智朝に大逆転された 天武系統は奈良時代の権力闘争により、男性皇族はほとんど失われてしまった。
そこで奈良時代末期に、天智系統の白壁王が光仁天皇として即位した。
彼は他の皇族が権力闘争に明け暮れる中、酒びたりになってアホを演じた。
だから危険視されていなかったらしい。
そして白壁王の即位には、妻である井上内親王の存在がある。
彼女の父は聖武天皇、つまりかの孝謙女帝の異母姉妹であり、天武系統。
そして井上内親王と白壁王の間には男子・他戸王がいた。
つまり、白壁王が即位すれば、いずれ天智系と天武系の血を受け継いだ他戸王に位が受け継がれる。両系統の融合!を見越しての皇位継承だった。
だが、ほどなく井上内親王と他戸王は「帝を呪った!」かどで逮捕・幽閉され死去。
こうして他戸王の異母兄弟で百済人の血を受けた山部親王が、桓武天皇として即位した。
桓武天皇が実弟の早良親王の怨霊に悩まされたのは有名だが、
井上内親王や他戸王の怨霊にも悩んでいたそうだ。
平成上皇の「韓国にゆかり」発言は、この故事を知ってのことかねぇ しかし、百済人の血といったって、4人いる祖父母の中の1人が百済からの移民の子孫だったというだけで、ほとんど取るに足らない問題だが 北京原人こそが中国人の始祖と考えると
少なくとも68万年の歴史はあるな
進化の過程の原人だがw 北京原人は人類の祖先では無い事がDNAで確定してるぞ 歴史の前に何もないなら、中国文明は若いな。まだ負けるだろう。習も。 >>741
こう考えるんだ。
・ホモサピエンス → 現生人類(中国人以外の人間)
・北京原人 → 中国人
つまり、人類には2系統の種族が並存しているということ。 >>730
一番重要なのを忘れている
観応の擾乱 (足利尊氏と足利直義)
ただし、足利尊氏は創業者なので、跡目争いとは言えないが 最近、文春新書から出た歴史本によれば、秀吉は秀頼が自分の子でないことを知っていたらしい。
だが「お市様の血筋」ということにこだわり、
無理やり後継者に据えた >>745
観応の擾乱の背景には、足利尊氏の跡目を巡る、足利義詮と足利直冬の争いがあった 古代の殷王朝から今現在を中華人民共和国が「中国の歴史」と通算するのは、
トルコがヒッタイトやリディアの時代から「トルコの歴史」を通算しているようなもの。 極端な例を挙げれば、アステカ帝国の首都テノチティトランがあった場所に、いまもメキシコ合衆国の首都メキシコシティーがある 中国は同じ文字と言語、文化が続いてるからな
冷たい物やら刺身やら食わ無く成ったけど >>753
でも、それって、書き言葉だからな
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