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>>200
人種を表すときにモンゴルだのツングースだのという民族名言語系統名は使わない
そんなめちゃくちゃなやり方を「多い」とか「言われてる」と感じるならそれは考古学人類学界において一笑に付されるようなトンデモ本トンデモ学説の読みすぎなので認識を改めるように >>199
語彙群の中でも人名って割と借用・移入されやすいものだけれどね。
宗教上の偉人とか、強大な部族の軍指揮者とかの、あやかり名は多いだろ。
たとえば、さ、モンゴル帝国の残存勢力が消えて300年くらい経ってるけれど、いまだに、テムルとかティームールに類する名前、アルスランとかアスランに類する人名は
極東から中近東からスラブ圏まで広くつけられているでよ。 >>200
契丹文字の解読の成果は大きかったね
鮮卑語の拓跋部に関しては、ほぼモンゴル系で確定した ロシアは第2次大戦でナチスに侵略されて未曾有の死人を出したが
意外にもロシア人はドイツ好き
モンゴル帝国でもロシアは400年も支配されタタールの軛と言うが
意外にもロシアではモンゴル貴族はロシア皇帝に仕えて国民感情も良い
特に軍ではモンゴル貴族は絶大な人気があり有りナポレオン戦争までたよりにされた
というのはロシアの歴史に多くのドイツ人やモンゴル人が偉人として登場しており
もはや血縁として切っても切りはなせない関係になる
トルコで親日が強い、中央アジアで日本が兄弟とされてるのはよくわからないけども >>197
いつの間にお前ロシア語できるようになったの?
その掲示板とやらをうpしてみろよ
相変わらずほら吹きだよなお前って 「10人の中国人より1人の朝鮮人を、10人の朝鮮人より1人の蒙古人をさらえ」
貧しい蛮族の女のほうが満州人の夫に尽くし子をたくさん産んでくれる
という意味かも
内蒙古ではいまだに略奪婚があってたまに観光客を強姦して嫁にしちゃうトラブルが有るとか トルコが親日なのは明治のエルトゥールル号遭難事件で地元の串本町の皆さんが救助に尽力したからと
度々テレビとかでもやってるし、映画にもなっている。そのおかげでイラン・イラク戦争の時にはイランに取り残さ
れた日本人を救出するためにトルコの航空会社が旅客機を飛ばしてくれた。 エルトゥールル号の件もあったがそれは一つのきっかけに過ぎす
さらに根深い感情、傲慢な英仏への憎しみやアジアの親しみなど
もあるのではないか
WW1でチャーチル海軍大臣はイスタンブール占領しようとガリポリ上陸
反撃の指揮を取ったケマル・アタテュルクは国父としてトルコ人にあがめられてる >>209
日露戦争で仇敵ロシアに結構な痛手を負わせたからでないの? >>199
近年の研究では鮮卑も東胡もモンゴル系だとされている。
東胡がツングースと言い出したのは明治時代の日本の学者たち。
その頃はまだ清王朝が健在で、満州の土着民といえば騎馬民族の満州人に決まっているだろうという思い込みがあった
今は考古学の研究などで、元々の女真人は満州東部から沿海州の狭い範囲にいた民族だと分かっている
鮮卑や烏桓が大興安嶺の山の神を信仰していたり、女真人が長白山の神を信仰していたりしているところに、その民族の本貫が現れている 中臣氏から分立したことが判ってるのに藤原氏は仏教徒だからインド人なん?
高山は伊勢平氏・明智は摂津源氏だけれど、高山右近ジュストや細川玉子ガラシャ(明智光秀の娘)キはリスト教徒になったから本願はナザレなん? 現代人は「匈奴は野蛮で文化など無い!」という中華流の考えに染まってしまうが
テュルク系の遊牧民は古代文明を、中華文明前からほこっていた
そもそも周王は犬戎や狄と雑居して邑を作り枝分かれした一派でしょ
東方の連中は樹上生活・穴居人ですよ。匈奴も異常に文明は高い
ツングースが血統的にはもとは黄河流域にいて北に広がった学説も強いようですが
粛慎やツングースがおくれてるというよりは、中国がもとをただせば
樹上生活・穴居人だった、いまは殺されて山奥の少数民族に血が残る程度ですが
雲南の少数民族でも考古学調査では穴居生活していたそうです
諸葛孔明の南蛮征伐でも奥に進むにつれて反対が強まります
「逃げたやつらは、更に奥地と連携し抵抗するようだがもう人間ではなく獣に近い
こんな野蛮人は仮に王土に加えても利益はない」 匈奴の時のあの身分制度は凄く体系的だった
蛮族といってもいいのかってくらい
単于ー左賢王・右賢王ー左谷蠡王・右谷蠡王ー左骨都侯・右骨都侯・・・ 匈奴も契丹もその先祖は遼河文明人で韓族からの枝分かれ
倍達國という古代文明國の末裔なんだよ
もちろん本流は韓族だけど 劉邦の友人として有名な燕王は匈奴に降伏して
冒頓単于は東胡の王に封じてる
やはり人の出入りがある以上、国らしき官職をもうける必要はあったのではないか
まぁ遊牧民の王といってもどうやって収入得るのか不明だけど
孫の東胡王が景帝に降伏して諸侯になってるから
実質のない関内侯みたいなもんだろうか 東胡
├→鮮卑→契丹→ダウール
└→烏桓→室韋→モンゴル
こんな風に分かれたっぽいが保安族とか東郷族とか東部ユグル族はどの位置づけになるのだろう? 賢王とか谷蠡王って、中国人の記録に記されてるのみなんでしょ?
匈奴の奴らは漢字どころか文字すら持ってなかったらしいから 匈奴は深目で瞳は緑で鼻は高い・・アラブ中東系かな
鮮卑は文化的には匈奴と同じ
胡の血はまじってるものの外観はドルジというかほぼ中国人と変わらぬ
ドスコイ的な完全モンゴロイドだったらしい
三国志の馬騰は漢では名族である馬家の血を引きながらも
貧しさにたえかねて胡人の嫁を持った父祖のために
雑胡として栄達の道は閉ざされ西涼の反乱軍をひきいて戦う
西涼の董卓や五原の呂布はおそらく配下に匈奴の兵をもっていたから
雑胡でまちがいないだろうがそのような史実はないことから
おそらく外観はドルジというかほぼ中国人と変わらぬ
ドスコイ的な完全モンゴロイドだったらしい >>221
でも、ローマ帝国の市民の伝聞やゲルマン人の伝聞を集めると
フン族の外見はモンゴロイドそのものなんだよね
小さい目、低い鼻、平たく大きい顔
匈奴がコーカソイドのイラン系の血筋となると
フン族≠匈奴
だね
仮にそうなら、フン族は西欧からは遙か遠い東の果て、
モンゴル高原から長躯遠征してきたモンゴル人騎馬民族(当然モンゴロイド)か? 冒頓単于の頃から漢と国書のやり取りしてるんだがな
聖徳太子が隋に送った書にある「恙なきや」も冒頓の書式のパクリだし
まぁ倭人どもより圧倒的に開けてたのは確か >>214
タングートは西夏文字が解読されたら何のことはない、今のチャン族(羌族)そのものだったね
歴史のミステリーにトンデモを結びつける奴が本当に多い
それも何故か神秘主義的であればあるほどウケるようだ
契丹なんて契丹古伝なる古史古伝まで作られた
その内容は超古代文明が出てきたり、日本人が太古に世界支配帝国を作っていたとか、もうトンデモも良いところ
あれは韓国五千年の伝統を主張する檀君古記のネタ本だね
文字が解読されたら、普通に契丹語はモンゴル語の一方言でした、超古代文明の記述なんてありませんでした、というオチ >>224
檀君古記はいわゆる古史古伝ではない
遼河文明の記憶を伝えた貴重な歴史書
ネトウヨは知らないだろうが、韓国では教科書にも引用されている権威ある書物だ
元々韓族の先祖は遼河文明から発しており、民族移動の軌跡はミトコンドリアDNAのハプログループNの分布で裏付けられている
このハプログループNはヨーロッパに移動してから、ウラル語族に発展していったと考えられ、今の欧州の基層文化の一つになっている
言語学的には、ウラル語族に広く見られる中舌母音[ɨ]が古代朝鮮語に存在したと考えられることから、ウラル系民族の基層は韓民族であると考えられる
>>225
倭奴(ウェノム)は猿みたいな日本人の奴隷連中という意味
対になる言葉は垢奴(テノム)
これは垢だられで汚ならしい奴隷以下の中国人連中という意味
口語のスラングだね
よく使うけど辞書には出てないと思う たとえば日本人と白人の混血だと、鼻が高く彫りが深い場合
日本ではそれだけで白人そのものに見える
そういう人が欧米行ったら中国人扱いされた、という
やはり白人同士では鼻の高さなんかよりもモンゴロイド特有の
目の形に敏感でチョットとでも特徴あれば中国人扱いにされるらしい
小さい目で低い鼻というフン族を日本人が見たら白人よりに
見えるかもしれないし主観だからなんとも言えない
そもそもローマ軍でもフン族は優秀な傭兵として何度も戦果を上げてる
巨人とされるフランク傭兵と伍して頼られる
ということは匈奴や狄もそうだが体もデカかったと考えられる
フンはゴート族を追い払うぐらいだからね 倭の奴の国じゃなくて倭奴国なんじゃないの? 日本史ネタだけど 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年
倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
後漢書には倭奴国と倭国と倭国王の表記があるので倭奴国と解釈するのは難しい。 匈奴はグリーンの瞳と言われるが少数派であり
その発生はブルーアイよりだいぶ遅く、中東に多いと言われる
アフガニスタンのパシュトーン人が緑の目の民族といわれ
かれらは歴史的にアフガンの貴族におおく支配階級に浸透してると言われる
匈奴の王族もそのような特徴が強かったということは社会構造も似てるのかもしれない
世界で一番高い鼻がイラン人、青い目はイランあたりで発祥とも言われ
アフガンに緑の目が多いとなれば発生も中央アジアの近辺と思える
フランク人やゴートが碧い目でフン族が緑の目なら
白人はやや古く、フン族のほうがユーラシアの新しいタイプを取り入れてると言える
鼻が高いというのは何の利点があるのと思わなくもないが脱アフリカした人類は
ネアンデルタールも彫りが深くなっているから、中東では何かしら優位な点があるのかも 袁紹は小柄で女のような華奢な青年だった
董卓は史書では300キロはありそうな巨漢で袁紹を舐め
怒った袁紹が剣に手をかけてるのを見て曖昧に言葉濁し立ち去った
袁紹は四世三公と称された名門の家柄で
袁安から四世代で三公経験者を計5名輩出し、もちろん貴族と縁組を続けた
それが小柄というのは当時の漢貴族の血筋はそんなものだった
後漢皇帝は最高の美人と縁組したが、この要素は容姿が良いということであり
身長が高いこともふくまれる、160センチ以上あった
董卓は隴西郡の家であるから胡人の血は混じっていたろう
死亡時の実母が90であったということを鑑みると当時の女は15歳から25歳で産んだろうから
まぁ老賊ともいわれたし70代もしくは60代
60すぎで名門貴族の女に手を付けてボコボコ子を産ませていたようだからかなり精力漢だ
董卓の子孫は魏晋でも貴族としてのこり繁殖してるようだから60歳以上の老人にしては
まぁまぁ子孫作りに成功してるほうだ >>231
欧州は青目だがアジアはむしろ緑目なんだよな フン族のヨーロッパ襲来のころはすでに匈奴全盛ではなく鮮卑とか柔然
あるいは柔然・鮮卑が好んで虐殺したという高い車輪を持つ高車
奇怪な叫びを上げるテングリ信仰や
頑丈な馬車で円陣を組んだというのは高車を思わせる
また容姿はドスコイ的なモンゴルだったとすれば鮮卑は中国人と
容姿は変わらないキモオタデブ風の雑胡だったというから鮮卑モンゴルも思わせる >>231
人類よりずっと早く氷河期が終わり始めるより前に出アフリカしたネアンデルタール人が
寒冷地仕様になっていて、それと混血して形質を受け継いだんだから
中東で優位という話ではないと思う ネアンデルタール人は目が青く赤毛だったという遺伝子解析がある
寒冷適応はすすんでいた、体重90キロもあり50キロ程度の人類より
ずっと大型だった。これは体温保持に有効だ
このころから人類は毛織りの服を着るようになったら関係ないけれど
初期の頃は服もなかったろうから大型化しかなかった
イギリスの服といえば麻織物・リンネル
ドイツの服は毛織物・ラシャ
麻はエジプト人の発明だ。毛織物はもっと古いネアンが発明した可能性がある >>231
おかしいな
北欧よりかなり低緯度のイラン高原・アフガニスタンの山脈地帯で緑目が発生したいうのは解せない。
そうした身体的特徴に関しては、
文系の考古学的知見より、生物学・医学の理系的知見で語るのが適切と思う。
現生人類はアフリカ東部の赤道付近で誕生したが、そこは強い紫外線にさらされた地域であり
当然それにたいする適応としてメラニン色素を多く持つ特徴が初期人類にあった。
そこからアフリカを出てアジア、欧州に進出した人類はそれらの環境に適応するために
身体的特徴が変化した。
思うに、黒い瞳が色素が減少して薄い色に変異することは、
太陽光線が高緯度地方になると減少し、強い紫外線から瞳の網膜を守る必要性が減少したことによる。
また、北極圏に近づくと、長い夜が続く季節があり、そうした光の乏しい環境でも
敵や獲物を瞬時に発見できるためには、メラニン色素が多い黒い瞳は不利だ。
薄暗い中でサングラスをかけていると思えばわかりやすい。
そうした高緯度地方の環境に適応するために進化した結果として青い瞳、緑の瞳が誕生した。
このように考えると、そんなに高緯度ではない(イランなんかは日本の東方地方より低緯度)
イランやアフガンで緑の瞳が生まれたというのは誤認されたものではないかな 現在の寒冷地方に住むエスキモーはアノラックのようなすぐれた防寒具
雪眼鏡といわれる板に細い切れ入れたサングラス持っていた
これは日本の土偶もかけてるからかなり太古からある
そもそも日本人はカナダエスキモーとかなり遺伝的に近縁らしい
肉体一本で勝負したネアン=白人
からだは変化せせず技術的手段でおぎなったモンゴロイドのエスキモーと
うたがいもなくドスコイ的なモンゴロイドが全地球を制覇した理由で
科学的なものをうけいれる柔軟さはアジアがつよい
といっても北欧モンゴロイドと言われるサーミ人なんかじゃ見事な緑目だね
鼻は低いけど まあ碧眼は最近欧州原住民(狩猟採集民)がルーツと言われているみたいだがね
数年前までは印欧語族との関連を指摘する声が強かった >>237
遺伝子の変化はどこで起こっても不思議ではない
そもそも青い目の発生過程は一万年前の遺伝子ミスによるものだが
これが有利な点は特に無い
洞窟の暗がりで男を待つ女どもでは青や緑の明るい瞳がきれいに見え
多く子孫を残せたという説はおおくが支持してる
つまり白人は東夷ツングースのような穴居人だったということだ
腐った肉を食べることあった。だから北欧の人は味蕾がすくない
北ドイツやイギリス人が味音痴なのはそのせい
匈奴は遊牧民であるからアフガンに緑の目の女がいるぞ!ヒャッハー戦利品だ
確実に孕んでもらう!方式でユーラシア王族の間で緑目が増えただけでないかな
綺麗な猫の品種改良みたいな感じで 男コーカソイド女モンゴロイドの組み合わせの遊牧民は珍しくないが
逆はまずない >>231
北匈奴瓦解後、西のウクライナ草原に向かった一派はフン族になったが
南に折れてアフガン方面に敗走した一派もあった筈
悦般やエフ夕ルに繋がる ナチスドイツの生命の泉レーベンスボルン計画は青い目の人間を増やすもので
ノルウェーから少女さらってきて種付けする極悪なものだった
ポルトガルはブラジルに人を増やすため黒人女をさらい人間牧場
で白人が種付けするという大掛かりな養殖を何世紀もおこなう
ニューヨークのユダヤ富豪は深暗部のプアーホワイトから綺麗な子をみつけて
買い取り養子にして教育しユダヤ人の名跡をとらせる。これで容姿向上を図る
彼らは容姿にこだわるから日本人が知らぬだけで熱心な人種改良を行ってる
殷もひどい奴隷帝国であったとされる
古代は広い土地と無制限の王権をもってる王がいたら好みの奴隷を拉致量産
したはずだ。人間牧場で緑目の娘を増やすのは簡単
ただそれは相当の人口希薄な地方でなければならず、アメリカの砂漠で
核戦争に備え優れた子を作る「人民寺院」みたいなカルトな連中があったのだろう
農耕と古代王権が確立したのはメソポタミアとされてる。絶大権力を持つ
宗教の援助で北の方にこのような人種改良寺院がつくられた
このなごりを遊牧民の王は見つけて利用したのかもしれない
最古宗教とされる拝火教はアーリア人のもので純白の衣を着て汚れを酷く恐れる
ゾロアスター教では、親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と
呼んで最大の善徳としてる。つまり青い目や緑目のような濃い血が残りやすい >>241
カザフ人は男モンゴロイド女コーカソイドが主で形成されたけどなw 風と共に去りぬというアメリカ南部小説では
アメリカ人は勿論欧州の色んな所から移民してきてるが
たまに自分の一族としか結婚しない白人もいた
それが家風なのか知らんがお金持ちばかりで閉鎖的
ただ勿論外から変な人間が入り込まないし財産も紛失せず
一族内部で財産を築きやすいという利点もありそうだ
匈奴の王家は白人風の容貌を持っていたがやや数は少なく
東胡はドスコイ風の雑胡だが人の数は圧倒した。
男にしたら、わけわからん穴居人の東夷女のほうがボコボコと子を産む
財産を確保するなら由緒ある姫をもらったほうがいい。
結果的には野蛮人のヨメのほうが繁殖力が強く鮮卑モンゴルの勝ちと 内田吟風も上層部(レンテイ家?)はオイロピーデ風容貌の人間が多いと 5000年前のメソポタミアでは青銅メイスが一般的な武器として用いられ、様々な形状が開発されている。
武器は剣や刀、槍、弓にうつっていくが、メイスは中東では親しまれる武器。
中国では殷王朝にはメイスに相当する錘が使われていた。
ギリシャ・ローマでは棍棒は蛮族の兵とみなされローマ軍で採用することはなく剣や槍にしぼられる
ヨーロッパではロシアやハンガリーではメイスはよく用いられる。遊牧民の影響が強い地域だ
西欧では聖職者や王貴族が権威の印としてメイスを持つ。出縁型という軽量化をねらう花びらのような棍棒だ
前4世紀頃から東アジアで、前2世紀から中東で、10世紀頃からヨーロッパで、金属加工の発達によりチェインメイルから
板金で全身を覆うプレートアーマーへと発展。金属鎧は東アジアが先進国だ
鮮卑の考案として革命的なのは「鉄騎」である
装甲騎兵とは大型の馬を手に入れないとこのような重装甲はできないのでまず馬の改良が先で
鉄騎は重モビルスーツのようなもの。農民で入手できるような技術ではなく鮮卑貴族の支配は数百年続く
鮮卑鉄騎から西にも重騎兵はひろがり、西欧では20世紀にポーランド騎兵がナチ戦車に突貫するまでほぼ無敵の兵種として座る
鉄の鎧によって剣はほぼ用をなさなくなりメイスやモーニングスター、トゲ付き棍棒の重要性はます
モンゴル高原からキプチャク草原にかけてのサカやスキタイ、トルコ・モンゴルの騎兵がメイスやウォーハンマーを用いていた。
元寇のモンゴル軍は金属を埋め込んだ革鎧をもちいたとされる。7キロと軽く、剣もはじくのでやっかいな防具だ
鎌倉武士も鉤爪つきの物干し竿みたいな武器を持ってる。こんなもんで軽く殴られたら革鎧では死ぬ
日本ではメイスやウォーハンマーは使われた。強兵にこれをあたえ九州の土蜘蛛をほろぼしたとされる
棍棒にくさりで可動する棘付きのフレイルは中東の農民の殻竿が原型と言われさらに高速で打撃を増す
このような多節棍の打撃武器は硬い鎧を身に着こんだ相手にも大ダメージを与える テュルクの狄や匈奴よりも、鮮卑モンゴルのほうが知能は高かったんじゃないか
トルコ白人は緑目はきれいでもそれを保つのは王族同士の結婚しか無く体は弱く
東方で強い男女と乱交した一派はモンゴロイドよりになる
小頭の白人よりドスコイ朝青龍のほうが顔も大きく脳も大きい
鮮卑がつぎつぎと馬具やら新兵器を発明したのも知能の秀れてる証拠
女真族とか数代前は樹上穴居していた野蛮民族のほうが頭が柔軟で伸びしろが大きい
文明国の憧れも強くよく学び考える
満州族のヌルハチも明のもつ仏郎機(フランキ)砲で絶命したが
ホンタイジはすぐさま新種の大砲を捕獲しみずから鋳造し、強力な砲を持つに至る
して今度は逆に明軍が砲撃される番となり、明帝国の滅亡は早められた。
東夷ツングースの学習の速さは日本人に似てるともいわれる 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと
匈奴に負けた大月氏はインドに攻め込みクシャーナ朝を設立
柔然も西方に走り、後のブルガリア人となり
突厥がやがてオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に人間くささや親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
奴らは最初は弱者のふりをして、その実、乗っ取りしか考えていない
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!! 匈奴がトルコ白人で東夷がツングース(古代の河北穴居人)で東胡モンゴルは双方の雑種という
テレビでモンゴル人はなんとなく日本人近縁に思えるがやはり相撲モンゴル力士の強さを
みれば骨格が明らかに別物。トルコやロシア人の血が混ざってると思える
彼らもモンゴル国の上流の出だから格闘技などする余裕がある。実質ソビエト連邦の赤い貴族に近い >>244
ミトコンドリアハプロも6割方モンゴロイドだよ オルドスがテュルク狄文明の中心だがモンゴルの東にはちょうどモンゴル・東夷
をT型に巨大な大興安嶺山脈がわけてる
1200〜1300mの標高を持つ山脈の最高峰は2000メートルで深い森に覆われ
低いように感じるがモンゴルの国境というところだろう。そのむこうは満州
遼を打ち立てた契丹人の発祥地でもある
匈奴に滅ぼされた東胡は鮮卑山に追いやられて巨大な洞窟にすんでいた
弱くなった遊牧集団はしばしば山に陣取った
城の代わりというか敵にせめられても高所から攻め下るほうが有利である
匈奴帝国にしてみれば鮮卑山に住む鮮卑などゴキブリというところだろうがしかし
満州側の東夷の無限の援助を受けてるなら兵力は無尽蔵だった
蛮族というのは王族の文明度は高いものである
狄の礼儀は晋の公室を感心させたし、犬戎の宰相の振る舞いは
立派だったので秦はこれを美女や美食で歓待し引き止めようと腐心した
狄にせよ夷にせよ上流は、ふるくからの外交辞令の必要上というか
案外文明も高く王族は婚姻で繋がっていたと思える 鮮卑の大人檀石槐は、あまりに鮮卑の人口が増えてこまり、鮮卑山から300里離れた川に
本拠地を移し、倭国を撃ち千余家を拉致して漁業に従事させた
倭人は漁業を持っていたからで日本人の協力で鮮卑族は大人口で食えるようになった
キタイ人のヤリュート氏がはるか北の荒れ地に遼を打ち立て、やがて力をました
契丹は東胡の後裔とされ、族長は鮮卑らしく大人を称したが
5世紀半ばから、北魏に朝貢し、交市を行うようになった
北斉を侵して文宣帝に敗北し、大部分が捕らえられて、奴隷とされた
北斉の軍事面は優秀だったからなー
契丹は靺鞨(ツングース)と同じ風俗とされ略奪を好み、貂やその他の毛皮を交易した
山に神が宿るとして、天・地・日を祀り信仰していた。この点は日本に似てる
世界帝国に伸長した遼帝国でもまだ契丹人は漁業も重要であったという(中国人は魚をあまりくわない)
契丹語はモンゴル語とツングース語の混成である。モンゴル語の東北方言ともいえる
位置的にモンゴル人と意思疎通でき漢文はもっと得意なので
モンゴル帝国では契丹人はバイリンガルとして翻訳や占領協力の役を占めた
契丹はツングースとモンゴルと日本人の合いの子みたいだな。魚は食うわ日を祀るわで >>257
別に契丹の習俗はツングースと関係ないだろいい加減にしろ!
当時ツングースは粛慎や勿吉や靺鞨と呼ばれていてアムール側流域から満州東部の森林地帯までにしか分布してなくて
満州平原は扶余(濊貊)という現存しない民族系統の人々の居住地であり考古学的には北朝鮮の延長
同時期のモンゴル系ならより北に分布する室韋、すなわち後にモンゴルになる集団の方がよっぽどツングース(靺鞨)と隣接してて習俗も近い 契丹語はモンゴル語とツングース語の混成と判明してる時点で関係ないというのはどうかと
今の中国人はズボンとブーツを履き椅子に座るというトルコ風(胡風)の生活してるが
その昔は日本人のように和服を着て畳に座る生活をしていた
湿度が高い南方では高床式で畳で通気性を求める服、このほうがつごうよいわけで
もとは南方由来かも知れないが周は陝西の一族であきらかに犬戎の親玉である
しかし趙の武霊王の胡服改革も、民はつたわらず、増しては南方においては
ズボンは蒸れる
中国人が椅子受け入れたのは宋の時代になってからで漢服(和服)は清までつづく 契丹語は近年ほぼ解読されて蒙古語の亜流だと判明している
ツングースとの混成ではない
契丹人がツングースとモンゴルの混成と言われていたのは契丹文字が解読される前の話
ただの推測に過ぎず、それは間違っていた 契丹語の研究については以下のページが詳しい
https://sites.google.com/site/kitangokitanmojikenkyu/home
まだ文字の解読については十分ではないとはいえ、契丹語が蒙古系の言語であることは確定している
ただし訛りは相当ひどい https://en.wikipedia.org/wiki/Khitan_language#Vocabulary
別に訛ってるとかじゃなく共通の祖語から分かれて別々の変化をしただけなんだよなあ
どちらにしろツングースの気配は影も形もない >>258
フランス人には僅かにフンの血が混じってるよ 満州朝鮮や九州は破局的噴火の影響下で石器人は絶滅しながらく無人の砂漠だったそうだ。
縄文期の東北が地球で最も繁栄しており
列島から数タイプの人種が移民して満州にひろがり、トルコ白人系がモンゴル方面に押してきて
まじりあって雑胡となったという可能性は 唐末の安禄山の乱で3600万人が死んだとされるがヒトラーのソ連侵攻でも2000万人しか
死んでないのだからとんでもない規模だった
肖像でも安禄山は白人らしい容貌に描かれてるがソグド人というペルシャ系なのだから当然
このような胡人に膨大な中国人が指揮されたというのが唐の人種が曖昧だったトコを表してる
安禄山の絵はちょっとブサイクに描かれてるが糖尿病で失明してるからデブ
安史の乱を潰したのはやはり異民族の傭兵、回鶻(ウイグル)軍だった
現在のウイグルも中東系白人が多い
回?の先祖は丁零(テュルク)
モンゴル語の車を意味するテレゲンが丁零や鉄勒になる。高車は同じ意味であると考えられ
北魏の文献に高車はよくでてくるが鮮卑が漢化したから漢字になったのだろう
漢にいじめられた丁零、鮮卑にいじめられた高車は、容貌が胡人であったから嫌われた
最終的には唐朝と組んで大いに勢力を伸ばしウイグル族として残ってるのだから勝ち組か >>267
お前朝鮮人のくせに白人崇拝してるの?
朝鮮人は日本人よりもイエローで白人から遠い人種なんだぜ 春秋戦国から「今度来る晋の文公は狄(トルコ)の血が入って嫌だ」とか
秦の始皇帝も「秦は犬戎の血がはいってる」とか
?徳と戦う関羽が「ついに胡の血で我が積年の青龍刀を汚すか・・」とか
冉閔「鼻の高いものは匈奴十九氏族であるからすべてころせ」とか
人種差別に満ち溢れてるし、どっちかというかと胡とツングースの雑種である
ドスコイ系モンゴロイドのほうが差別されずに関西貴族として残ってしまったり イラン人は世界で一番鼻が高い
もしかすると遥か太古に脱アフリカしたネアンデルタール(赤髪碧眼)の血を濃く
のこしてるのかもしれない
ユダヤの大鼻と揶揄される通りヨーロッパでは鼻は大きいのは「醜い」とされ
鼻が大きくなれば曲がったりして醜い
ヨーロッパでは鼻を低くする整形手術が多くアメリカブラジルでは鼻を高くする施術が多い
インディオ系の雑種が多いということであり、フランスあたりでは中東移民が多く悩みが深い
イランでは若者は働いてお金をもらうと真っ先に「鼻を削る」という。
これで自信持って女性と付き合えると笑顔でした
日本で整形手術は実行に移す人は少ないので劣等感は白人のほうが強いといえよう >>270
イラン人もそうだが
一番の鼻高はアルメニア人だろう
コーカサス周辺の連中が鼻高ということは
湿度との関係なのかね 人類学者によればネアンデルタールの彫りの深い顔、くぼんだ目は
メスを獲得する殴り合いで拳から顔を守るための進化と位置づける
おそらく高い鼻もそうした防御用
のちに木の槍や石斧ができるとそうした形質は意味を失うが
日本が西洋化したときにどうしても白人の真似出来ないおしゃれが
片眼鏡モノクルだった。くぼんだ眼窩に嵌めるので日本人の顔では
どうやってもぽろりしてしまう >>270
てことは、イラン系だったスキタイも鼻高々だったのか そうらしいよ
ソクド人もね
壁画とか残ってるジャン スキタイって盤踞してた場所はロシア西部からウクライナ・・・だからスラブ系も入ってたと思う 異民族の侵入に悩まされていた東西ローマ帝国は、フン族の傭兵を積極的に雇い入れ、
反乱や他民族の鎮圧にあたった
これは成功を収めており、西ローマ帝国の執政官ルフィヌスや将軍スティリコは、匈奴を
親衛隊に使ったほか、蛮族を排除する最強の治安維持軍として動員した
アッチラより遥かに先行し世界帝国のローマ帝国で最も強い蛮族がすでに緑の目の匈奴だった
フン族はドナウ川までおしだした
フン族によるゴート族への侵略は凄まじく、建物はほとんどが火に焼かれており、
以後、社会生活が一掃されているところを見るとゴート民族を徹底的に殺戮したと考えられる
彼らが通ったあとに残った町はまったくないと言って良い状況で
歴史家エウナピオスも、東ゴート族はフン族に死滅させられ、残ったものも類のない
残虐な方法で処刑されたと述べている
ゴート族はこの圧迫に耐えきれずローマ帝国に攻め掛かる 匈奴兵にもドルジ顔と非ドルジ顔がいたように、スキタイ兵にも
原イラン人も原スラブ人、原ロシア人もいたんじゃまいか なぜか東西を問わず蛮族でいちばんつよくでかい奴が文明社会を上手い所
征服すると貴族に仲間入りして急に文明人ぶってみたり、
仲間の蛮族を「ボクラは文化人ですが、隣村のこいつは野蛮人なんで死ね」とかいって迫害するよな?
鮮卑大人「ほら野蛮人って嫌だよね?匈奴とか単于とか。高車は野蛮で生きる価値ないね
あっ僕はれっきとした中国の文化貴族なんでよろしく・・。家系図もあります
なに雑胡だと?ふざけるな!この者を煮殺せィ!」
フランク王「「ほら野蛮人って嫌だよね?ゲルマンとかゴートとか。フンは野蛮で生きる価値ないね
あっ僕はれっきとしたローマの軍人貴族なんでよろしく・・。家系図もあります
なに?にんにく臭い蛮族だと?ふざけるな!この斧で首を跳ねよ」 >>1
どういう意味ですか?
大秦帝国というドラマで、義渠という、小さな国が出ていました。義渠王の子を産んだ女性が
秦王の王妃になります。
義渠って匈奴かな? >>280
コーカソイドと言う点では共通しているだろうけど
顔立ちや髪の色・目の色は様々なんだろうね 高校の教科書とかではスキタイ=イラン系って書かれてるけど
スラブ系も入ってたと思うよ
匈奴だってトルコ系もモンゴル系もいたように
遊牧国家なんてそんなもん まあ支配地域の人口=支配民族と錯覚しがちだけどね中高校生の頃は 試験に出ないとこは覚えるなって勉強法?も、蔓延してるからね
たとえば匈奴は(冒頓)単于だけ覚えるだけでよい、
ほかの単于の名前覚える労力があるなら英単語の暗記に時間かけろ、みたいな
当然、スキタイは(イラン)系 とだけしか覚えないw
()は、穴埋め問題w そうだけどドラマの「大秦帝国」は春秋戦国時代に秦が天下統一するまでの歴代のドラマで
「大」は秦に対する美称でしかない。大英帝国の「大」と同じ。 >>288
ほんとだねwなんかワロタわ
スタッフはわざとなのか気付かなかったのか、没问题!で通したのか ギボンのローマ帝国衰亡史を読んでるとアラン族の傭兵がローマ側で勇戦してる
中国の史書では阿蘭国という小国が有る。
アラン族は中央アジアに住む遊牧民で、「アランは以前マッサゲタエと呼ばれていた」
スキタイのさらに東方にいるのが、マッサゲタイ
マッサゲタイのトミュリス女王といえば求婚するキュロス大王と大軍をひきいて戦い、
首を跳ねたと言われるギリシャ史の有名人
「この国を去れ。さもなければ、マッサゲタイの日の神に誓って言うが、血に飽くなきそなたを血に飽かせてしんぜよう」
この言葉のとおりキュロスの首は血の池に投げ込まれた
しかしこのころの阿蘭国はだいぶ衰微していたらしくフン族の大破壊で
奴隷化もしくは補助種族になり、フンとともにローマに西進してたらしい
ローマ人の歴史家によればアラン族は
「髪は金色で容姿は背が高く美しい。目は猛烈である
彼らは家を持たず、すきを使おうともせず、荷車に乗ったまま、肉と乳とを常食とする
そして、無限の砂漠を荷車で通り抜け、任意の牧草地に到着すると、円の中に荷車を設置し、
荷車の中で動物の群のように生活する。いわば荷車は彼らの町なのである・・
このあたり容姿の記述からマッサゲタイはスラブ人の先祖なのではとも言われるが
やってることはまるきり匈奴や赤狄であって女王が日の神を語るところは日本の卑弥呼を思わせる そのアラン人およそ数千人がイングランド北部に定住して
現在に至るまで血統を残しているところが面白い ローマ末期で蛮族に頼る頃になると「アラン族」や「アラニの隊長」が勇戦して
敵将を討ちとったという記述が多い
とりわけ重装甲の騎兵でしられていて鮮卑の鉄騎の影響も感じられる
ローマからすると
武具も頭もお粗末なゲルマン人よりもよほど軍事に練達したアラン人は貴重だった
ゲルマン族は牛の大腿骨でキリスト宣教師の頭を叩き割るのが唯一の芸だった
白土人に鎖帷子のよろいや騎士をもたらしたのはアラン人といわれる
騎士道のお手本はアッチラ大王と言われるが騎士の紋章なんかはアラン族の風習らしい
もちろん大本は、中国の聖王・覇王の道だの、匈奴鮮卑の考案した鉄騎だが・・・
現在の白人のアランという名はアラン族の血を引くしるし
アラン侵入以前の西欧人にアラン名は存在しないのが有力な証拠 >>290
乾隆帝の時代の白磁に「大清乾隆年製」と書いてあったり、中国では「大」とつけるのはお約束だから。
大日本帝国もそれに倣ったものだけど。 >>294
そうじゃなくて、「大秦」帝国とも、大「秦」帝国ともとれる微妙なタイトルであるのをスタッフが分かってたのかそうじゃないのかってことだよ >>295
ああ、それは「大秦」に気づかなかったんだろう、と思ったらwikipediaによると原作があるらしい。
「黄健中(ホアン・ジエンジョン)監督が手がけた歴史ドラマで、孫皓暉の同名小説を原作とする。」 文化大革命で全て破壊されたからな。知識人は農村で強制労働。
始皇帝の焚書坑儒に匹敵する。 焚書坑儒は新たな世に逆らう危険分子を処分したに過ぎなかったっけ
治世には必要な事ではあったし並べられたら大秦皇帝も迷惑だろうさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています