スペイン・ポルトガルの歴史 [無断転載禁止]©2ch.net
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1990年代までのポルトガル陸軍は大佐の上が准将だけど
その上がいきなり大将だった。 (左寄りの連中を除く)スペイン人にとってラス・カサスは現在でも裏切り者扱い? 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
19L アンダルシア地方の人ってスペインの他地域の連中から「怠け物」
としてバカにされてるってスペイン関連の本で読んだことがあるけど,
ポルトガル人ってそんなアンダルシア住民からもバカにされてんの
かしら? 未だにわからないのが、16世紀のポルトガル人やスペイン人が中国
や日本とは関係を持ったのに、朝鮮半島には踏み込まなかったこ
と。特に九州からなら朝鮮半島はすぐそこなのに…。
https://twitter.com/mig76fk/status/1036722527509377024
↑
わかる人いる?
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 函館や長崎みたいな
「天然の良港」
が少ないのではないか?
朝鮮半島沿岸は。地形的に。どうだろ? まぁ朝鮮西海岸は遠浅の海で、しかも干満の差が大きいから船を付けるのは難しいだろ。
でも釜山ならいい港にならないかな? 16世紀に朝鮮半島に渡ったスペイン人ならいますが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレゴリオ・デ・セスペデス
>>119
×未だに分からない
〇未だに知らない 世界史無知の俺の意見。
火縄銃って、ポルトガル産だっけか?
じゃあ、それがあったから潤っただけで、
それ以外なんにもないんじゃないんだろうか?
ちょっと火縄銃調べてくる ウィキったら、
種子島火縄銃ってもろポルトガルじゃねえか!!! 不思議なのは銃、大砲の発祥地がすぐそばなのに
なぜ日本には何百年も遅れてポルトガル経由で伝来したのか いろいろ調べると、
倭寇経由で日本にすでに伝わってたかもしれないみたいだな。 当時の日本に戦乱が無くて新兵器の需要が無かったというなら理解できるんだが
太平記の戦乱も応仁の乱もあった 当時、大陸系アジアは、
火器の点で島しょ部アジアに勝っていた。
しかし、種子島へのヨーロッパ系新式(当時)火縄銃伝来により、
島しょ部が大陸を圧倒していった。
豊臣秀吉による大陸侵攻など。
とあるな。 >>131
小銃に限ってはね
大砲では逆に日本側が圧倒された
なぜか不思議なことに日本では小銃ばかりもてはやされて大砲はさっぱりだったし
明では大砲ばかりもてはやされてて小銃はさっぱりだった >>132
俺の少ない知識では、
大阪の陣で東軍が西軍へ大阪城に新式の大砲を撃ったんだよな。
それが決定的だったと昔NHKでみた。
大陸では、多分貿易ルートとか商業の関係で、
小銃が入ってこなかったというか、使われなかったというか。
不思議ってことはないと思うんだよね。
必ずその理由があって、
それは文献や歴史を調べればわかると思う。 >>133
徳川軍が大砲何門装備してたと思うんや?
明では大砲3000門装備しててもちろん当時世界一の数やで 文禄・慶長の役のときの明の将軍戚継光が
「我らは大砲を使う、彼らは小銃を使う」と書いてるから
装備の違いは意識されてた なるほど。
日本は破壊力では当時大変劣ってたんですね。 >>111
最終的には
隠れユダヤ人も隠れムスリムも追放したけどね >>128
初期の中国の火器は精度が悪く威力も低かった
日本ではまとまった量の硝石が用意できないため火薬も輸入頼りとなる
西洋で発達した火縄銃の段階で改めて移入されて初めて実用するにあたると判断されたんだろう 室町の頃にも中国製の銃が入ってきてるよな
西洋製に比べて効果低いから一般的じゃなかっただけ 大砲の伝来はいつどこからやねん
鉄砲の伝来に比べて全く語られんけどどういうことやねん 16世紀のヨーロッパを舞台とした外国の映画・ドラマにおいてスペインを
”悪の帝国”として描いてる物を何度か見かけたなぁ 鎖国以来長らく日本との交流が途絶えていたスペイン・ポルトガルだけど,
開国初期(幕末〜明治初期)の日本を訪れたスペイン人やポルトガル人の記録
ってあるんやろか。
外交官として日本に赴任しその後定住したモラエスが日本に来たのはそれより
ずっと後の明治後半になってからだっけ 外交官も仕事不足で専門の職掌もないと来てる。やはり一般省庁が勝つね。
外務男性年上セクハラ覗きにご用心。 現在のスペイン人にとっては16世紀こそ自分達にとっての誇れる時代であり、
異端審問やピサロの残虐行為といった負の部分に触れるのはタブーなん?
(左派連中は知らんけど) スペインの歴史ドラマも16世紀の華やかな宮廷ドラマが中心だったりすんのかね?
(悪役はプロテスタントとかオスマントルコなパターンが多かったりとか) レコンキスタ終了後、イダルゴと呼ばれる下級貴族層が
戦う人として社会的上昇をとげようとするならば、
イタリアに渡るか、インディアスと呼ばれていた
アメリカ大陸に渡るか、そのどちらかしか選択肢は
残されていなかった >>147
下級とはいえ貴族なら、無理しなくてもよさそうなもんだが。 フランシスコ・ピサロは庶子で、読み書きもできなかった >>149
後を継げない次男坊以下だったとか?
よう知らんけど >>145
スペインのドラマ『イサベル〜波乱のスペイン女王』を見たけど、
異端審問もコンキスタドーレスの残虐行為も普通に出てきてたぞ
もちろんラス・カサスも
昔はともかく現在のスペインではタブーなんてことはないと思う 現在は違うとはいってもスペインというとどうしても反動保守のイメージが
付きまとうのよなぁ(何でか知らんけど) スペインでは自由主義の伝統が弱かったけど、
それはイタリア・ドイツ・中東欧・ロシアなどでも同じだよな
別にスペインだけが特に保守反動的だとは思わないが 15世紀末のスペインでは主としてコンベルソの中の隠れユダヤ教徒に対して
火刑を含む思い処罰が科された
しかし、隠れユダヤ教徒問題が落ち着くと、1530年代からは罰金刑による
財政収入という点もあって、人口の大半を占めるキリスト教徒による
冒涜的な言動、まじない、婚姻外性行為、同性愛などが審問対象として
増加していった
そのため、科される刑も罰金などの比較的軽いものが多くなり、
火刑の実行数は急激に減っていった スペインの没落については、いくつかのストーリーを聞いたことがある。
一つは無敵艦隊沈めたイギリスで小馬鹿にされネタにされたスペイン名物の
「スペイン宗教裁判」に戯画化されたように、ようするにスペインという国は
本質的には非合理的で神権政治の国で「国の意思決定層が宗教キチガイのアホ」だった
というのが一つの説明。
もう一つの説明はもうちょっとテクニカルで産業政策にかかわるもので、
スペインを押し上げたのが新大陸からの黄金なら、スペインを破滅させたのも新大陸の
黄金という話。
こっちはつまり、新大陸でインディオをしばきあげて黄金をもってこさせれば、スペインは
大量の富を自在に手に入れることができる立場に、ある時期までいた。
これがスペインの脳みそを完全にとろけさせちゃって、スペイン人は付加価値をつけるとか
ものごとを工夫するとかそういう努力を一切しなくなった(今の産油国の、なにも文明に
寄与しない割にカネだけある連中を「油土人」とけなしてる意識と同じ感情が働いてるかもしれん)。
その間、プロテスタント諸国は創意と工夫があった。
ようするにのちにスペインを撃破していくプロテスタント国の付加価値の源泉は「自分らの頭脳」
だったのに対して、スペインは自分らのケツにしいてた黄金にうつつをぬかして、そういう付加価値的
労働からくる産業を何一つ育てなかった。
だから、黄金が流出したとき、スペインにはろくな実力がなかった。
という話。
俺は大学時代、この二つの話を聞いた。 >>828
Q:植民地が独立しても欧米は貧乏にならなかったのですか?
A:植民地を維持するほうが、コストがかかる事を知ったため、直接支配するのではなく、間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。
そもそもオランダだけでなくイギリス・フランスの植民地が続々と独立していったのは支配していた国が
世界恐慌と第二次世界大戦により疲弊して、植民地なんかに構っている余裕がなくなったためです。
第二次世界大戦後はGATTの成立で自由貿易のルールが出来て貿易を独占するのが難しくなり、
植民地を維持するほうがはるかにコストがかかる事を知ったため、
植民地を積極的に独立国にさせて、直接植民地を支配するのではなく、
欧米企業が既得権益者となって間接的に旧植民地地域を支配するほうに切り替えたのです。
植民地は独立しても経済基盤がないので、輸入に頼るしかありません。
その時に、必要なものを正確に把握し、輸出入のネットワークを持っているのは旧宗主国ですから、独立後も経済依存するわけです。
植民地側でも旧宗主国の技術や資本無しではミャンマーやソマリアにジンバフェみたいに経済が回らなくなることは知っていましたから、
なんだかんだと旧宗主国と繋がりを保っていました。また宗主国の利権を得るために経済的、政治的、軍事的圧力をかけることも依然可能でした。
つまり植民地を早期に独立させ、欧米企業が既得権益者として旧植民地地域の利権を握るほうが、独立させないよりはるかに利益になるのです
現在でも英国とフランスが世界経済にそれなりの影響力を持っているのはそのためです。
旧植民地にある既得権益は莫大です。
このようにして、欧米先進国は独立後も合法的に利権を得る体制を作っています。
だが、それができずにいつまでも植民地の直接支配にいつまでもこだわり続けたスペインとポルトガルといえば
植民地地域で発生した独立戦争で国力を急激に消耗させて、最終的に主権を放棄することを強いられました。
結果として大航海時代の頃、植民地貿易で栄えたポルトガルは、いつの間にか西欧最貧国になってしまいました。 イスラムの呪い
対イスラムのためにイダルゴが多かったので
中央集権化が進まなかった。
ハンガリーなども対イスラムの為免税特権を持つ屯田的貴族・騎士が
中央集権化を抑制した。 外国人が思い浮かべるステレオタイプの「スペイン」とは、
フラメンコ、闘牛、ジプシー(ロマ)に代表される、
情熱的で激しくて、どこか翳を背負った世界であろう
しかし、アンダルシア以外の出身者の多くは
フラメンコを自分たちのものとは思っていないし、
そもそも、この芸術を生み出したロマは、
長らく異分子的な位置におかれていた外来の放浪民族である
各地の祭りにおける目玉興行として長く親しまれてきた闘牛も、
カナリア諸島とカタルーニャではもう消滅してしまった スペインが過去に行ったユダヤ人・ムスリムの追放だが、
現在のように多様性が高く評価される時代が過ぎたら、
「やはりあのときユダヤ人やムスリムのようなマイノリティを追放していてよかった」
と評価が変わるのかもしれん スペインのガリシア地方民の1〜2%はスエヴィ族の子孫らしい ガリシア地方は1年を通じて雨が降り、年間降水量も豊富。 イスラム支配下はみんなアラビア語しゃべってたのか? スペイン人やポルトガル人ってイギリス・オランダ・フランスなんかの西欧人からは
(ラテン系言語をしゃべる)アラブ人キリスト教徒と思われてんのかしら?
>>163
ラテン系言語のモサラベ語だったりも… アルバ女公爵である現アルバ家当主、カエタナ・フィツ=ハイメ・ストゥアルト・イ・
シルバは第18代目のアルバ公爵である
1926年生まれのカエタナは52の爵位、18の大貴族の称号を持ち、その数は
フアン・カルロス1世よりもはるかに多い。世界で最も多くの貴族の称号を持ち、
ギネスブックにも認定されている
アルバ家はスペインで最も長い歴史のある貴族で、その家系は1472年に
カスティーリャ王エンリケ4世によりガルシア・アルバレス・デ・トレドが叙位
されたことより始まる。近くはイギリスのスチュアート朝のジェームズ2世にも
つながっている。その庶子エンリエッタはスペンサー伯爵家と婚姻を結びダイアナ妃に
つながっており、男児誕生でフィーバーを起こしたウィリアム王子にいたる。
エンリエッタの弟ジェームズ・フィッツ・ジェームズはフランスに帰化し、その嫡系
子孫がスペイン貴族アルバ公爵につながっている >>132
城壁の有無としか言いようがないな
大陸の城市は、城壁で囲まれている
それを砲撃するのが大砲の役割 >>119
朝鮮は、明の一部だったからだ
現代の地図を見慣れた目には、朝鮮半島に独自の国家があるのが当たり前に思えるが、当時の認識としてはそうではない
豊臣秀吉も、現代人には朝鮮出兵に見えるが、本人にとっては明国出兵だった 幕末にも、日本には外交を求める外国使節が続々と訪れたが、朝鮮に来たのは海賊だった 馬は、火薬の爆発音が大の苦手
子馬の頃から慣れさせておかないと、パニックに陥って戦闘どころじゃなくなる
騎馬による戦闘が主体の中国・モンゴルで、火薬の軍事利用が早くから進んだのもうなずける
人を狙って射つ小銃のような精巧な機械を造るは、大昔から日本や西欧の独壇場であり、大陸の人間はそんなの得意じゃない ■8000年におよぶイベリア半島の古代人DNA、4500年前にいったい何が?
人類の移動が始まって以来、現在のスペインとポルトガルが位置するイベリア半島は、アフリカ、欧州、地中海沿岸の文化が混じり合う場所だ。
8000年にわたるこのイベリア半島の古代人の遺伝的特徴をまとめた新たな論文が、遺伝学者と考古学者からなる111人の研究チームにより、
2019年3月15日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。論文によると、遺伝子は非常に複雑に入り混じっているという。
また、約4500年前に謎の大移動が始まり、それだけで古代イベリア人男性のDNAが完全に一新されたことが示唆された。
いつ、どのように、イベリア半島へさまざまな人々がやってきたのかを探るため、研究チームはDNAに刻まれた痕跡を調べた。
古代イベリア人271人のゲノム配列を決定し、これまでに公表された別の132人のデータと統合した。
結果は、予想以上に複雑だった。 ■男性はすべて置き換わっていた
イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。
紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に関連する遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。
その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。
インド・ヨーロッパ語族を広めたのはステップの人々だったという仮説がある。
その「ステップ仮説」では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。
今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。
その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。
Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。
「影響は男性にとても偏っていたようです」とナショナル ジオグラフィック協会の上級プログラムオフィサーを務める遺伝人類学者ミゲル・ビラー氏は話す。
なお、氏は今回の研究に関わっていない。
やって来た男性は何者だろうか? 争いはなかったのか?
ビラー氏は、ステップの男性は、馬に乗り青銅器を携えてイベリア半島にやって来て、青銅器時代の到来を告げたのではないかと推測している。
同氏はこの移動の影響を、1490年代に欧州人が上陸した際に、南北米大陸の先住民が直面した事態になぞらえた。
「欧州の端から端まで広がる大移動に成功し、いまだにこの西端の地に多大な影響を及ぼしているのです」とビラー氏。
その頃、青銅器が使われ始めたこと以外に、ステップ文化の明らかな痕跡はイベリアでまだ見つかっていない。
一方、今回の研究により、西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話す現代のバスク人が、ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っていることがはっきりと示された。
イベリア半島では、その後も何世紀にもわたり遺伝子が混ざり合ってきた。だが、現代のバスク人の遺伝子は、そうした現代のスペイン人のものとは異なるという。 ペルー の人口は,入植後
僅か 40 年程で,13 % にまで
減少してるんですね 【科学】古代南欧で謎の「男性大量流入」、一体何が? イベリア半島の古代人DNAを調査、4500年前から男性のY染色体が置き換わる
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553005474/ バスク人もごく最近に中央アジアから来たということか
遺伝子が変わるということは言語も変わるはずだから >>171
>紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々・・・・・・
BC2500年頃に、この地からインド・ヨーロッパ語族が一斉に欧州大陸に
移動し一部がイベリア半島まで侵入定住したということか?
おかしいな、ケルト人はもっと以前から欧州各地に居住していたのじゃないか?
男性だけ移動というのも不可解だ、男性だけの略奪軍なら、故地へ引揚げる筈だ。 サラザール政権って、なんとなくフランコ政権同様に枢軸国寄りの中立と思ってたけど、
親イギリスで連合国寄りだったんだな。 ゲーム「トロピコ」でのサラザールの特徴
財テクの天才
勤勉
けち >>175
>BC2500年頃に、この地からインド・ヨーロッパ語族が一斉に欧州大陸に
移動し一部がイベリア半島まで侵入定住したということか?
→YES
>ケルト人はもっと以前から欧州各地に居住していたのじゃないか?
→NO
>男性だけ移動というのも不可解だ、
男性だけの略奪軍なら、故地へ引揚げる筈だ。
→おそらく男女セットで移動して非配偶者のかたちで現地の女たちに子供を産ませた
現地女にありつけたのは侵入者の一部 >>175
ケルト人はケルト語に言語交替したからおかしくはない
元ケルトは印欧系ではないという事だ >>175
支配階級の女性の遺伝子は消えやすい傾向にある 古代は一夫一婦制で考えない方かいい
権力者の男たちは何人もの愛人がいた
農業開始以降の歴史の鉄則 支配階級の女性が平民に嫁に行くことはほぼあり得ないが
支配階級の男性が平民の嫁や妾を取る事は頻繁にあったはず
支配階級の女性の遺伝子はどんどん減っていき平民女性の遺伝子はどんどん増える 現代スペインにはモロッコ、東欧三カ国(ルーマニア、ブルガリア、ポーランド)、
中南米からの移民が多い フランコ時代のスペインでは、「フランコ」という言葉が私服警察にキャッチされたら
独裁者を誹謗中傷したという廉で直ちに連行された
また、公安当局が使っているデモ隊排除や鎮圧のための放水車が放つ水に、
青い塗料が混入されていて、それが一度衣類や皮膚に付着するとなかなか
落ちないので、デモ参加者は翌日でも事後逮捕されてしまった 欧州諸国の中でもスペインはパラサイトが多い。
20代の67.4%はいまだに親と同居しており、不況の余波でこの数字は
上昇傾向にある。したがって晩婚化も進み、スペイン人女性の初産年齢は
平均31歳である。
さらにスペインはニートの数でも欧州で上位である。18〜24歳の若者の
23.1%はニートに当たる。 2002年のユーロ導入以後、スペイン経済は見事に回復し、
1960年代の高度経済成長以来の、順調な、しかもEU平均を常に上回る
経済成長率を遂げることになった。
しかしスペインにもバブル崩壊の日が到来する。
2007年末から2008年春にかけて、米国のサブプライムローン問題が
引き金となってバブルが崩壊し、スペインは奈落の底に突き落とされた。
スペインの好景気を支えたのは住宅建設ブームだったのであり、
本来は産業構造全体にわたって研究・開発・技術革新を進め、
量よりも質の拡大を図る必要があったのである。 スペイン、セビーリャにあるモスクが、レコンキスタで歴代スペイン王が
過去に行った残虐行為に関して、現在のフェリペ6世にフェイスブックで
謝罪を要求した。ネット上では、その前のイスラム支配に対する反応に
過ぎないと反論される そりゃそうだ。
イスラム教徒がイベリア半島侵略を謝罪しない限り無理だろう。 アルガルヴェ王国ってわざわざ分けておく必要があったのか? 中世ポルトガルの貴族の男女比は、女性100人当たり男性112人だった。
ポルトガルの北アフリカおよびインドへの領土拡張行動に、次男以下を
中心とする土地を持たない上流階級の男性が参加し、陰の大きな
原動力となったといわれている。 >>195
一番数多く流出したのはブラジルだけどな 60年間もスペインに統合されてたのに再分裂したポルトガルってなんなん?
どんだけ当時のスペイン無能やねん ポルトガルがスペインと別の国である必要ってあるの? >>200
日本のどっかの親藩の藩が、
江戸幕府から独立してるような感じ >>182
ヨーロッパだと古代から上流階級の女は愛人を囲うのが一般的だったんだよな
スペインだとブランカ2世、フアナ、マリア・ルイサも御多分に漏れず複数人の愛人を公然と囲っていた
正直ヨーロッパの上流階級の血統なんてどこも怪しい >>195
そして現地の女に子供を数多く生ませた
その子孫が中南米人 理想はスペインとポルトガルではなく、以下のように別れるのがよかった
○北部(ガスコーニュ含む):
国家:ヒメノ朝ナバラ王国
言語:バスク語
文字:ラテン文字
宗教:カトリック
○南部:
国家:ズンヌーン朝トレド王国
言語:ロマンス語
文字:アラビア文字
宗教:イスラム
フアナ・ラ・ベルトラネーハって名前酷くね?
不義の子ですって宣言してるようなもんじゃねえか >>205
タイファをまとめるため、
アンダルスにも幕府と天皇的な存在が必要 ポルトガルには、国土の南北で地域差が存在する。
南部には、イベリア半島中央部を占める広大な台地「メセタ」の辺縁部が広がる。
一方、中北部ではスペイン国境をなす北部のジェレース山地、ペネーダ山地、
中部のエストレラ山脈など1000メートルを超す山々が連なり、相対的に起伏が
激しいのが特色である。 ブラジルへの近代移民は北部出身者が多い
サッカーのジーコはその二世 1960年代初頭から1973年のオイルショックまでの時期には、ポルトガルから
西欧諸国への移民が激増した。
とくにフランスへの移住者は1960年からの14年間でおよそ100万人に達し、
現在でもブラジルに次ぐ規模のポルトガル人社会が形成されている。
また、アフリカ大陸、とくにアンゴラへの移住者が増加したのも
この時期の特色である。 王家がそのままブラジルを本拠地にしたらまだ王国だったのか 16世紀ポルトガルの人口って200万から100万まで減少してるんだな
大航海時代って一部の階層限定の話かと思ってたけど
ゲルマン民族移動をしのぐほどの人口移動だったようだ ポルトガル人の海外移住の歴史は15世紀までさかのぼる。
大西洋上のマデイラ、アソーレス諸島への入植に始まり、
16世紀にはインド航路の発見にともない移住地がインド洋沿岸地域へ拡大、
さらに16世紀後半にはブラジルへと展開した。 >>197
ポルトガルのスペインからの独立戦争を支えたのは、
ブラジルの砂糖経済だったそうな ポルトガルではレコンキスタというイスラム教徒と戦う日常生活の中で
軍事が優先され、商業や手工業が卑しまれるメンタリティがかたちづくられた
このメンタリティは植民地だったブラジルにも影響を与えている
植民地時代のブラジルでは労働を賤視するあまり、奴隷が奴隷を買って
労働をやらせるということが行われていた。 今のスペイン的には、
アストゥリアス、ナバラ、カスティーリャ伯のどれがスペイン王国の元祖ってことになってるの?
三つとも対等な扱い? ポルトガルとスペインの国境は1249年のレコンキスタ完了以降、
ほとんど変化していないが、そこには険しい山地や大河川が
存在しているわけではない。
たとえば、国境線として利用されている河川は、ミーニョ川、
ドーロ川、グアディアナ川の一部にすぎない。
このように国境に地形的な障害がない中で、ポルトガルが
大国スペインから独立を維持することができたのは、
一つの奇跡といってよいかもしれない。 スペイン共和
左上 カスティーリャ
右上 レオン
左下 アラゴン
右下 ナバラ
紋章学として格は、左上>右上>左下>右下
なので、カスティーリャ>レオン>アラゴン>ナバラ ザビエル最強伝説
日本、インド、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、モンゴル、中華民国や東インド諸島の都市や地域の守護聖人 ポルトガル初期のレコンキスタで王を支えたのは北部の貴族勢力であったが、
中部ではイスラムとの最前線に立つ平民の騎士たちが主力となり、
南部ではテンプル騎士団、ヨハネ騎士団、サンティアゴ騎士団、
カラトラヴァ騎士団が中心になってイスラム勢力と戦った。
その結果、南部の土地はほぼこの四騎士団によって占められ、
現代にいたるまで大土地所有制が存続することになる。 >>205
ナバラは王家も「バスク系」って書かれてるけど、
アストゥリアスはそこらへんぼかして書かれてる
(ペラーヨの血筋が絶えた後も)
国民は(カスティーリャも含めて)バスク系らしいけど ポルトガルってもともとカスティーリャの分家で、
カスティーリャに対するアラゴン、レオン、ナバラのような存在
もしくはそれ以下でしかないんだよな
別れている必然性がまるでない >>233
ポルトガルの場合、イギリスとの関係が深かったことが独立を保持できた
一因じゃね?
そのかわり経済的にはイギリスに従属することになってしまったけど ポルトガルを手下にしてジブラルタルも奪ってイベリア半島の統一を妨げるぐう畜ブリカスに草 >>236
スペインもスコットランドやアイルランドやイングランド国内の勢力の援助をすればよかったのに >>235
ポルトガルが独立を維持したのは土地が狭くて痩せてて魚くらいしか産物がなかったからや
だからこそ海にうって出たわけだけど >>217
「詳説世界史研究」(山川出版社)241ページ
ヨーロッパ世界の拡大
16世紀中にポルトガルの人口は200万から100万程度に激減したと見られている。
リスボンをくりかえし襲った疫病、若い人口が兵士や船乗り、あるいは役人として海を渡った結果である。 ポルトガルは北大西洋を回流するアソーレス海流を利用できる位置にあり、
古くから漁業が盛んで、造船術や天文航法に関する知恵がユダヤ人や
イスラム教徒から受け継がれていたことも同国が他国に先駆けて海外進出を
果たすのに有利に働いた。
政治的にもポルトガルは、1385年に成立したアヴィス王朝のもとで
中央集権化を進め、海外進出を国家的事業として推進する体制が
整えられつつあった。 ホルトガル→アゾーレス諸島→ブラジル南部
これが移民の流れ
18世紀頃だったかな・・・ ポルトガルは、とくに不況に見舞われた1870年代には、コーヒー生産の拡大と
奴隷制廃止にともなう労働力の不足に悩んでいたブラジルへ向かって大量の
移民が流出し、その数は1881年からの50年間に185万人にまでのぼった。 ガリシアは嘗てゲルマン民族の一派スエヴィ人が支配した
いまでもガリシア人の1〜2%はスエヴィの子孫だと言われている
↑
これ10年くらい前のWIKIに載っていた 無人島であったアソーレス諸島がポルトガル人によって発見されたのは、
史料では1427年(サンタ・マリーア島)から52年(フローレス島、コルヴォ島)
とされているが、すでに紀元前にフェニキア人が到達していたという説もあり、
実際には「再発見」であったといわれる。
アソーレス諸島は戦略上の重要拠点でもあり、今もテルセイラ島のラジェスには
米軍基地があり、湾岸戦争のときにも出撃のための拠点として重要な
役割を果たした。 ポルトガルの王侯貴族は、ブラジルから金が入ってきても、
その富を大邸宅や教会の建造に、あるいはヨーロッパ各国からの
贅沢品の購入に費やし、生産活動に投資することはなかった。 >>246
スペイン・ポルトガルが近代化に遅れた最大の理由だな ポルトガルで主要産業と呼べるのは、農業及び漁業、食品加工業、
繊維工業などである。
現在でもポルトガルは大きな所得格差で知られ、貧困線を下回る
人口の比率もEU内で群を抜く。
また、1961年に始まった植民地戦争が財政の40%以上を吸い上げ、
最終的には市場経済の足かせとなっていたので、同じ時期に
「奇跡の60年代」と呼ばれる高度成長を経験したスペインと比べても
ポルトガルの発展は控えめであった。 ポルトガル王女、チャールズ2世妃がイングランドに紅茶ブームをもたらした? インドのゴアに住むキリスト教徒の多くが、今もマリア・ロドリゲス、
パウロ・フェルナンデスなどのポルトガル名をもつ。
日曜日のミサに行くとき、男性は背広姿、女性はスーツかドレス姿が多い。 >>250
ポルトガル統治下のゴアだけど東チモールみたくポルトガル語を話せるのは
エリート層だけでそれ以外の住民は現地語という感じだったんかな。 ポルトガル系アメリカ人と聞いて思い出すはジョン・フィリップ・スーザ、
スペイン系アメリカ人(もちろん非中南米ね)だとアーネスト・フェノロサか 第二次世界大戦後、旧英領・仏領アフリカ諸国は次々と独立していったが、
ポルトガルは最後まで植民地の独立を認めようとはしなかったな
英仏と違って経済力のないポルトガルは植民地が独立した後も
新植民地主義をとるということができなかったからだが エンリケ航海王子は、かつてはルネサンス的な開明的指導者とされてきたが、
最近ではいまだ騎士的な要素を多分に持つ中世的な人物という評価に
落ち着いてるな
エンリケが創ったとされている有名なサグレス航海学校は、エンリケにまつわる
伝説のひとつにすぎず、その存在を証明する記録は何もない。 >>253
ポルトガルは、アメリカをも凌ぐ多民族国家 大航海時代、ポルトガルの成人男子の5人に1人は海の上にいた ブラジルのポルトガル系白人,父方のご先祖様が植民地時代に移住した人と
19C後半(具体的には1870年以降)に移住した人とでは前者のほうが多いのかしら ポルトガルからのブラジル移民数
16〜17世紀 100,000
18世紀 600,000
19世紀以降 1,900,000〜2,000,000
移民者数は19世紀以降の方が多い
ただし19世紀の時点で過去からの移民者の子孫は相当数になっているはず そういえばジーコも父方が19C以降の移住者だったっけ
あと作家ヴェンセスラウ・モラエスの伝記にはモラエスが外交官時代に
(ポルトガルからの)ブラジル移住者に関する報告書を作成してたという
箇所があったの思い出した。内容はおぼえてないけど。 ジーコの父親もポルトガル北部からの移民
ポート地方からの移民が最多だが
まあ人口が多い地域だからな 19C後半以降にスペインからラテンアメリカへ移住した人だと
フィデル・カストロの父親がいたっけ。
植民地時代はアンダルシアやバスクからの移住者からが多かったけど
それ以降はガリシアからの移住者が多かったってどっかの本で読んだ
おぼえがある(カストロの父親もガリシアの人)。 かりんとう、スペインのチュロスに由来する南蛮菓子かと思ってた時期がありますた(´・ω・`)
そのチュロスは中国の油条に由来してるともいわれてるみたいで。 ポルトガルのスポンジケーキから派生したカステラ,ポルトガルへ逆輸入されたものの
「ぼろぼろこぼれ落ちる」とかであまり現地での評判はよくなかってたのを昔,ポルトガル
関連の書籍で読んだことがあります。
中国におけるチュロスの評判ってどうなんでしょうね・・・ スペイン内戦に、モロッコ兵がおおぜい動員されていたというのは、
日本ではあまり知られていないな
モロッコ人兵士の徴募活動は、内戦が長期化するにつれて強化され、
最終的にスペインで戦ったモロッコ人兵士は7万人にものぼる >>266
そのへん、深澤安博氏の論文しかしらないんだけど
他に何か適当な著作を知っていたら教えてほしい。 イベリア半島のDNA
@狩猟採集民流入→色黒・青目
A初期農耕民+@→初期農耕民が遺伝的には主となる
Bビーカー人流入→男性はほぼ代替だが常染色体はAが主のまま
C以降侵入者混血→現在のスペボル人
DBの状態を保存→バスク人
こんな感じかね 確かにビーカー人の復元図を見るとバスクって感じがするな 南アのアフリカーナはご先祖様がオランダ人・ドイツ人・フランス人な人
だけでなくポルトガル人な人もいたりする。
18C前半、船の難破でケープの沖合に漂着したイギリス東インド会社の
ポルトガル人船乗りフェレイラさんがそのままケープ植民地に定住したのが
きっかけだとか。 スペイン・ポルトガルが近代化に遅れをとったのは、
やはり宗教の影響が強すぎたからなのかな
イタリア・ルネサンスの影響もさほど強かったとはいえないようだし 16Cのスペインやオスマントルコは超大国ではあっても先進国ではなかった
冷戦期のソ連みたいなもんか トルデシラス条約で、勝手に全世界をスペインとポルトガルで分け合った池沼の国 他人の家の庭に無断で入って、庭の木を倒し、
住民を殺害して火を付けてはならない
アマゾンでは、この当たり前が500年間守られ
なかった この当たり前の事を守らせる事が
ブラジルでは命掛けなんだな スペイン人やポルトガル人の中には自国の後進を
かつてイベリア半島を支配してたイスラムのせいに
する輩も多かったりする?
あの頃はイスラム側のほうが先進だったのに… レコンキスタの過程でキリスト教徒側が狂信的となり,
275さんが挙げてるような状況になったのであれば
ある意味そうなのかもしれんけど 中南米で虐殺略奪やりまくったスペイン
祟りがくるだろう スペインでの植民地支配は収奪一辺倒なイメージがあったが
英蘭仏など他国でも多かれ少なかれやってたんじゃないの? スペインは本国人がガッツリ収奪だけど
英仏とかは植民地人が先住民を駆逐してるイメージ スペインは植民地だけでなく本国においてすら情け容赦ない
搾取・収奪をおこなってたりして
>>284
イギリスから派生した米豪では特にそうだったよな イギリスは第二次世界大戦後、植民地の維持が無理そうだとみると、
あっさり植民地から撤退したが、
ポルトガルはいつまでも植民地の維持にこだわっていたな
ギニアビサウ独立戦争とか、モザンビーク独立戦争とか 撤退してもやってけるイギリス,
撤退したらやってけないポルトガル。
そのポルトガルもカーネーション革命後に植民地を放棄しちゃうが 中南アフリカにおけるスペイン植民地は以前ポルトガル領だった
赤道ギニアだけだがトルデシリャス条約のせいか 2017年ポルトガル最大の大富豪アモリンが没した
アモリンは世界最大のコルク製造企業社の株式の50%を保有していた資産は推定48億米ドル
1870年ポートワインの瓶詰めの栓用のコルクを製造にはじまりコルク製造を母体にワイン製造、観光業に進出
2005年には(旧ポルトガル植民地)アンゴラにBIC銀行(Banco BIC)などを設立している。
2008年にはアンゴラ第4位の銀行になった
ほかに通信、エネルギー企業の株式を取得 幕末〜維新直後の日本を訪れたスペイン人・ポルトガル人で
日記に当時の状況を書いてた人とかおる? 日本が幕末〜維新の頃、スペインではカルリスタ戦争真っ只中か 米西戦争まではスペインはフィリピンやグアムを領有してたはずなのに幕末や明治初期の日本には縁がないね
江戸初期に追い払われた悪夢が残ってたせいか? >>292
スペインは中国にもあまり関心を持ってなかったような
列強の地位からすべり落ちて久しかったからだろうか もう少し時代が下るとポルトガル人のヴェンセスラウ・モラエスが出てくるね フランシスコ ザビエルはバスク人
クロマニョン人の子孫かも ポルトガル国民にとって、植民地帝国の維持は、
貧しい小国意識を慰撫する精神的支えだった サラザールが晩年昏睡状態となった後は子分どもの間で
熾烈な後継者争いとかおこなわれてたんかね ナポレオンから逃げたポルトガル国王がブラジルでブラジル帝国皇帝を自称
ナポレオンはローマ教皇から戴冠されたから皇帝でいいが、
ポルトガル国王は皇帝名乗る資格ないだろうに アメリカ合衆国の王政版
ブラジルの合衆王国だからじゃないか? メキシコがスペインから独立した時、ブルボン家から皇帝を迎えてメキシコ帝国になろうとした
しかしブルボン家に拒まれ、現地の下っ端を皇帝にして第一次メキシコ帝国誕生
下っ端皇帝が追放されメキシコ共和国になったあと、ナポレオン3世がオーストラリア帝国のハプスブルク家皇子を送りこんで第二次メキシコ帝国誕生
しかし送りこまれた皇子は中途半端で支持得られず処刑されて終了 >>298
ポルトガル王がポルトガルに帰ったあとに残った息子が皇帝になったのであってポルトガル王じゃない
むしろ王を名乗る資格がない
ポルトガルに父王がいるのに王を名乗ったらそれこそ反乱者
ナポレオンが「フランス人の」皇帝になったように「ブラジルの」皇帝になっただけ
ナポレオン以降ローマと切り離された皇帝号に大した価値はない >>298
教皇からナポレオンは戴冠されてない
教皇そっちのけでナポレオンは自分で戴冠したんだが スペインではデフォで「黄色い救急車」なのな
国がもともとキチガイって事か ポルトガル人は黒人との混血が多い。
大航海時代からそう。本国の話な。 >>306
ヒターノの血を引いてる人も結構多かったりして レコンキスタ初期の時点でキリスト教側勢力が根絶されアラブ化・イスラム化された
イベリア半島・・・
フランスは対イスラムの最前線に立たされたかもしれんけど、そのイベリア半島が
16世紀にオスマントルコの軍門に下ったとしたら神聖ローマ帝国と同盟結んでたのか
三者三つ巴の状態となってたのか オスマントルコがイベリア半島全土を制圧してたらフランスに侵攻して
南フランスの一部も影響下に置いてそう スペインもイタリアも北部、南部で独立したほうがいい。
ナポリだのアンダルシアだの基地外土人すぎる イスラーム時代には西欧最先端の地だったのになアンダルシア >>308
本拠にほど近いウィーンですら攻略できなかったオスマン帝国がイベリア半島攻略なんて不可能 最近世界史Bじゃ学べなかった知識を補ってるけど、スペインとポルトガルって
もろイスラムに侵略されてたんだな この地域って典型的白人(ゲルマン人)と
ラテン系と中東人の混合ってこと?スペインのサッカー選手ってゲルマンって印象
あまり受けない >314
アラブ、ベルベルの血は皆無ではないけど、
中世のイベリア半島のイスラム教徒は、
ざっくり言って今のスペイン人と民族的には同じ。
>308
根絶はされてない。イスラム治下でもキリスト教徒は相当数いて、
独自の文化(モサラべ文化)を作り出してる。
それに北の一角にはキリスト教徒の政治圏が残り、
これがレコンキスタのもとになった。 東西オスマン帝国に分裂
西オスマンはオスマンベルベルと呼ばれるが
西オスマンが崩壊、東オスマンのみになる キリスト教が根絶されてたらレコンキスタなんてできるわけねーわな >>314
むしろイベリア半島はイスラム王朝時代に大きく発展していて、文化も非常に多様だった
後ウマイヤ朝時代のコルドバはユーラシア屈指の学術都市でもあった
WIKIPEDIAで「後ウマイヤ朝」や「コルドバ」を検索してごらん
グラナダにある有名なアルハンブラ宮殿も、イベリア半島最後のイスラム王朝だったナスル朝時代の宮殿だよ トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国が負けていたら
どの辺までがイスラム化してたんでしょうか?
そうなるとビザンティン帝国は東西から挟まれる形になるので
史実よりずっと早く滅亡したんですかね? ガリシア、バスク辺りのサッカー選手は肌白い、金髪も居るな。
ただアンダルシアよりもガリシアの方がアラブ人の血は濃いんだよな実は イベリア半島のキリスト教徒だがローマ字を用いスペイン語・ポルトガル語を
話すスペイン人・ポルトガル人ではなくアラビア文字を用いアラビア語を話す
アラブ人として現在に至ってた可能性もあったわけよね。
同じイスラムでもオスマントルコの支配下にあるバルカン半島のキリスト教徒が
トルコ化しなかったので何で? >>319
多分勝っても支配続かないから結局ピレネー以南に追い出されてた
イベリア半島でイムスリム勢力の支配が続いたのはマグレブからの兵力流入があったから
ピレネー超えてまでその勢いが続くとは思えない >>321 第2段落宛て
無理やり改宗させなかったからだよ
人頭税がきっちり納められていれば、あとは宗派別の自治に任せてた
ていうか、中世のイベリア半島でも事情はほぼ同様で、
王朝はイスラム教が基盤だったけど、統治下の住民にはキリスト教徒もユダヤ教徒も多数いた
後ウマイヤ朝時代のコルドバは、宗派を問わず著名な学者が集まってきてたので、当時の世界屈指の学術都市になった レバント地域のキリスト教徒ってアラビア文字を使いアラビア語を母語としてる
イメージあるがイスラムがレバント地域を席巻する前はどんな感じだったんかな そりゃシリア語でしょ
今も自称アッシリア語として細々と使われてる ロマの人々がイベリア半島に集まってきたのは、イスラム駆逐のどさくさに紛れてか? ブラジルのクビチェック大統領は母方が東欧ロマの血を引いてるのね。
ジプシーの血を引いてる人がスペインからラテンアメリカへ渡るケースもあった? ロマとコルシカ人のハーフ
バスク人とペルシャ系ゾロアスター教徒のハーフ
これが最強 太平洋戦争中,日本がスペインを拠点に対米諜報網を敷いてたが
アジア方面みたく陸軍主導ではなく外務省主導だったのな ベラスコだっけ
何年か前にNHKアーカイブズで見た ユダヤ系のベラスコ氏の先祖ってユダヤ人への迫害が激しかった頃は
隠れユダヤとしてスペインに住み続けてきたんかね? >>320
多数のアラブ人が北部に逃亡したということ?? >>282
虐殺をやりまくったというのは言い過ぎ。
先住民の死亡原因の大部分は天然痘。
当時のアメリカ大陸には天然痘のウィルスが存在しなかったため、
先住民に大流行した。 >>283
そのとおり。
有名なスペインについての「黒い伝説」(Leyenda negra)は
オランダやスペインを追放されたユダヤ人の政治宣伝。
中国や韓国に同様のことをされた日本は
スペインに同情する余地は大きい。 スペインはGDPでイタリアを追い抜くことができるか? 米クリソトソ元大統領の祖先の一部はロマ
スコットランドから来たロマらしい イベリア半島のロマは、レコンキスタの時期にはアラブの手下だったらしい J・ナバスとか北アフリカ人みたいな顔だな。ブルーアイだし カスティーリャとアラゴンの対立がサッカークラブのレアルマドリードとバルセロナの対立にも影響してるんですか? >>320
>ただアンダルシアよりもガリシアの方がアラブ人の血は濃いんだよな実は
「世界ふれあい街歩き」でガリシア地方の回があったけど金髪巻き髪の人が多くてアラブ人ぽくなかったけどな >>320
イベリア半島にきたアラブ人なんて微々たるもん。
外来のイスラム教徒でいちばん多かったのはベルベル人。
それでも大した数じゃない。
レコンキスタ時代のイスラム教徒は、
キリスト教徒の改宗者とその子孫。 クロマニョン人の子孫らしいバスク人の遺伝子解析は終了してますか? バスク人の遺伝子解析の結果クロマニョン人とは関係ない事が判明している 16Cの日本をおとずれたスペイン人でロマの血を引く人とか・・・たぶんいなかったろうな
>>338
その割にはよくイベリア半島を追われなかったよな ユグノー迫害をしだすと彼らを受け入れた国家の商工業が繁栄する。
同じカルヴァン派なのにユグノーと違ってピューリタンがイングランドや
新天地での商工業を支えたって話は聞かんような >>332
イベリア半島に残ったユダヤ人、およびその子孫が
すべて隠れユダヤ教徒になったと信じるべき理由はない。
本心からのキリスト教徒になった者もいただろう。
今だってユダヤ人のキリスト教徒はごまんといる。 一度キリスト教徒になるとユダヤ社会では死んだ扱いで葬式したりと徹底的排除するからな イスラム教徒でなくユダヤ教徒も棄教者に対しては厳しいのね >>337
ブラジリア遷都で知られるブラジル大統領クビチェックも東欧出身の母方がロマの血を引いてるみたいやね 中世のスペインは意外にもイングランドとの関係が深いよな
アラゴン連合王国は、トゥールーズ伯と結んだカペー家の脅威から
カタルーニャを防衛するために、伝統的なアラゴン=イングランド同盟に
カスティーリャを組み込もうとした 米西戦争で敗北するまではフィリピン、グアムはスペイン領だった
マゼランは世界一周の途中でフィリピンの原住民に殺害された イベリア半島北部とイタリア北部はどっちが金髪多い? ガリシアにはアスティング・ヴァンダル族とスエヴィ族が定住していた時期もあるよな
だからゲルマン人の血も混ざってそう ローマ時代にはゲルマン民族大移動で西ゴート族とかヴァンダル族とかが住み着いたんだろ
その後はイスラム勢力に占領されアフリカからベルベル人が来て
イベリア半島の原住民で生き残ってるのは少ない悪寒 ウマイヤ朝治下のアル・アンダルスで、人口の大多数を占めたのは、
西ゴート系キリスト教徒のモサラベと、イスラームに改宗したムワッラドだった
もとからのイスラム教徒の数はそれほど多くない スエヴィ王国は、ヴァンダル族やアラン族と混交したスエヴィ族が
イベリア半島北西部に建てた国
この国は585年に西ゴート王国に併合されるまで1世紀半あまり、
小規模な独立国家として存続する 現代のスペイン人のハプロ構成はバスク人とか除けばどの地方もいわゆるケルト系のR1bとH1が過半数を占めており
青銅器時代から変わってないあんまり変化が少ない地方
むしろ19世紀から何百万単位で北アフリカの移民を受け入れているフランスの方が遺伝子の変動は大きいだろう そりゃフェニキア人もローマ人もゲルマン人もアラブ人もベルベル人もイベリアじゃ少数派だったからな >>303
> >>298
> 教皇からナポレオンは戴冠されてない
> 教皇そっちのけでナポレオンは自分で戴冠したんだが
ナポレオンは皇帝戴冠式の時にローマ教皇から冠を奪い取って自分の頭にかぶったとは聞いたことあるが
形式的には教皇から皇帝位を授けられたということだろう 国民公会と国民投票でナポレオンの即位決まったのであって教皇は関係ない 神聖ローマ帝国皇帝はローマ教皇が戴冠してきた
ローマ教皇が戴冠しないのは皇帝ではなくドイツ王
ロシア皇帝は自称東ローマ帝国の後継者なのでローマ教皇とは無関係でセルフサービス戴冠 アンシャン・レジームのカスティーリャ社会には、農業を別とした「手仕事」への
蔑視感情が根強く存在していた
カタルーニャのように工業が発展しなかったのはそれが原因かもしれない ナポレオンの兄弟が一瞬スペイン王になったが
ナポレオン敗退とともに消えた イベリア半島北西部のカンタブリア山麓は、ムスリムによる征服を受けなかったから、
アラブ人やベルベル人の血も混じっていないだろう
アストゥリアス人はバスク系の先住民 もともとアストゥリアス、カンタブリア地方は、ローマや西ゴート王国の
実効支配のおよばなかった地域であり、農耕よりも牧畜や略奪の比重が
圧倒的に大きく、母系制に基づく氏族制社会が維持されたちいきであった。
こうした基層の上に西ゴート貴族を国王として受容しつつ成立したのが
アストゥリアス王国であり、母系制原理も9世紀まで機能していた。
8世紀までのイスラーム軍との戦争も、略奪戦争の色彩が強い。 西ゴート王国において、ヒスパノ・ローマ人の人口は400万〜600万人だった
これに対して西ゴート族は20万人前後、ゴート人の人口比率は約3%程度
だったと考えられている
ヒスパノ・ローマ人とゴート人では風貌も習俗も異なり、
両者の間の結婚は禁止されていた フランシス・ザビエルとかいう毛唐は、バスク人だったらしい >>377
日本に来て同じ顔をした人々にやっと巡り会えたとか言ったんだっけ >>378
「日本人に布教するには、まず中国で布教し、そこから伝わるのが一番」という結論に達し、中国に移動してマカオで没した ピレネー西部のバスク人は、サラゴーサ遠征から帰還する
カール大帝を778年のロンスヴォーの戦いで破ったことがある >>374
アストゥリアス王家とかも、
バスク人なのかどうかは明言されてないな
初代と二代目は西ゴート人だけど。 西ゴート貴族ペラーヨがアストゥリアス王国の初代国王
739年には西ゴート貴族ペドロの息子でペラーヨの女婿にあたる
アルフォンソ1世が即位した もともとスペインには固定した宮廷がなく、長い間「移動宮廷」が続いていた
絶対的な権威を確立していない王室は、支配領域を巡察すべく、
常に都市から都市へと移動していたからである
マドリードが首都に選ばれた理由は、水が豊かで、狩猟のため、
また家を建てるために豊かな森林があった。夏は涼しかった。
スペインの中心地点にあり、どこの都市にも近距離にあった。
エル・エスコリアルに近かった。豊かな物資を供給できる後背地があった。 スペインの没落については、いくつかのストーリーを聞いたことがある。
一つは無敵艦隊沈めたイギリスで小馬鹿にされネタにされたスペイン名物の
「スペイン宗教裁判」に戯画化されたように、ようするにスペインという国は
本質的には非合理的で神権政治の国で「国の意思決定層が宗教キチガイのアホ」だった
というのが一つの説明。
もう一つの説明はもうちょっとテクニカルで産業政策にかかわるもので、
スペインを押し上げたのが新大陸からの黄金なら、スペインを破滅させたのも新大陸の
黄金という話。
こっちはつまり、新大陸でインディオをしばきあげて黄金をもってこさせれば、スペインは
大量の富を自在に手に入れることができる立場に、ある時期までいた。
これがスペインの脳みそを完全にとろけさせちゃって、スペイン人は付加価値をつけるとか
ものごとを工夫するとかそういう努力を一切しなくなった(今の産油国の、なにも文明に
寄与しない割にカネだけある連中を「油土人」とけなしてる意識と同じ感情が働いてるかもしれん)。
その間、プロテスタント諸国は創意と工夫があった。
ようするにのちにスペインを撃破していくプロテスタント国の付加価値の源泉は「自分らの頭脳」
だったのに対して、スペインは自分らのケツにしいてた黄金にうつつをぬかして、そういう付加価値的
労働からくる産業を何一つ育てなかった。
だから、黄金が流出したとき、スペインにはろくな実力がなかった。
という話。
俺は大学時代、この二つの話を聞いた。 スペイン以外では近世まで魔女狩りの嵐だったわけだから宗教裁判云々は関係ないだろう
スペインでは制度化されてたから魔女狩りは殆ど起きてない スペインというよりカスティーリャは、手仕事を蔑視する気風が強いんだよな 伊達藩とスペインとの軍事同盟締結後、支倉常長は1620年に帰国するわけだが
この際にハプスブルク家から随行者が居たとすれば一体誰だったと思う? ハプスブルク家はヨーロッパのトップで
その地位を維持するため結婚政策のように家族をコマとして活用してきたし
第一次大戦前に没落するに至る直前、不審な死が相次いでいるが
ハプスブルク家ではコレに対して策を講じたような話も聞かない。
つまり、そういう家柄であって
仮に該当者が居なくても、当時実在した人間の記録が隠蔽された事も考慮できる 軍事同盟締結の当事者と思しきフェリペ3世は、支倉帰国の翌1621年に死亡している。
この点、軍事同盟は秘密裡に行われており、頓挫により隠蔽しやすい状況になる。
その後の倒幕作戦の困難さを考えれば隠蔽の方向に傾くのも理解しやすい。
また、ヨーロッパに渡った支倉常長一行はローマでキリスト教の洗礼も受けている。
日本の体制が変わり、帰国する事自体が自分の家族含め危険にさらす事は明白。それでも強行してる。
支倉は現代で言えば「中東に渡って感化されたテロリスト」と同視できるのにだ。 帰国を強行したというのは目的があった。
それはハプスブルク家の人間を随行させ、倒幕作戦成功を見届けた上で
ゆくゆくは衛星国家の王として君臨させるべく
日本に連れてきた事がソレではないかと思ってる。
ま、それなら順序を考えろよ、って思うけどな…
他にも理由は考えられるだろうし、それで順序についても合理的説明できると思うがもう良いや 一通り書いたの見ると
当初から全部説明しようとしていなかったからグダってるな。
順序の合理的理由、つまり
「なぜスペイン進軍に合わせてハプスブルク家から送り込まなかったか」だけど
おそらく、幼少の子供であり、現地の言葉を覚えさせ、
可及的速やかに王として機能させるためかもな。
だったら早めのタイムラグも理解できる。
読み物としては文章の質が低いがこれで終了とする。んじゃ! スペインの貴族層って現在もなお保守反動の牙城だったりする? 保守政党の後ろ盾として君臨してて,党の首脳部ですら「あのお方」と称するほど
恐れられたりして>スペイン貴族 アパレル売上高世界一
スペインのインディテックス社、「ZARA」
2017年連結2兆8000億円
近年スペインに世界的大企業が増えているきがする イギリスのように世界的な繁栄は無理だったが
中南米で略奪した財宝でスペイン、ポルトガルは今も裕福なのか? 1922年ワシントン会議参加9か国に「スペイン」はなく「ポルトガル」が入っている イタリアは工業がそれなりに強いのにスペインて産業何かあるの?農業も聞かないし >>400
1960年代にスペインは年平均7%のGDP成長率を達成した
ただしその数値も、外資誘致、欧州を中心とするスペイン人出稼ぎの送金・観光で
達成されたもので、国内の基幹産業の発展は遅れており、21世紀でも労働集約的な
産業の比重が大きい >>400
ソフトウェア
現在世界最大の航空・観光予約システム・アマデウスのアルテア
全日空も日航も独自システムを捨ててアマデウスを採用に移行しつつある
日本航空はガラパゴスシステム・アクセスは2020年度末で終了する 庶民が海外旅行行く時代は終わったのかもな
昔みたいにエリートだけが海外出張 スペインは、なぜフランスのように統一された国民という意識を
持つことができなかったんだろう
あの国は結局カトリック信仰で結びついていただけなんだろうか >>405
もともと、海外の有名観光地は巨大な中国人観光客に席巻され、これまでの顧客層である
先進国中間層は観光にいけなくなる、という未来予測があった
ではじき出された人はバーチャル観光に移行する、と予測されていた
今回のコロナではそれが早まっただけ、といえる
やっとこさ経済力をつけてきて海外旅行にいけるようになってきた中国人からすると痛いし、
これからそういう時代が来るかも知れなかったインドには痛いが >>406
フランスと比較するよりイギリスと比較した方がいいのではないか
スペインの複合王政時代は議会は別別なので、連合王国の方に近い
フランスのように言語同一化政策もスペインではあまりやってない
複合王政が終了したら、カステイーリャから官僚が送り込まれ、地方は反発した
フランスでは近代ではパリのある北方が経済先進地帯となったが、
スペインではマドリッドのあるカステイーリャは経済後進地で、そこに政治的に
支配されることに先進地であるカラルーニャは反発した カタルーニャはスペインのGDPの二割を占め、ポルトガルと同程度のGDPを持つ スペインは他国に比べて国家形成は早かったが、絶対主義国家の下で通常起こる現象
(標準語の形成、法典・裁判システムの一元化、度量衡の統一)が十分に進まなかった
それゆえ、地域言語や、旧来の地方特権に起源を持つ地域特別法(フエロス)が残存した スペインが統一国家を目指したのってブルボン朝になってからっぽい?
そうなると時期としてはイギリスとほぼ同時期なのか ブルボン朝の時代、啓蒙派官僚は、スペインの土地の大部分が貴族、修道院、自治体
などによって永代所有され、これらの大土地所有者に独占的利益を保証する
借地契約が行われていたことを問題視していたな
このような契約によって過酷な条件下に置かれた農民は労働意欲に乏しく、
飢饉の発生時などには耕作を放棄して都市に流出し、これが農村部の荒廃と
都市部の治安悪化を招いていた なんでスペインは近代になって没落したんだろうな
黄金期にスペインのライバルだったフランスはその後も列強の一員であり続けたというのに >>413
対抗宗教改革と異端審問のせいじゃね?
あれでルネサンス文化は窒息させられたし
ピレネーの向こうから新しい思想が入ってこないようにした
自由がなければ進歩も止まる >>413
国内の生産施設や商業への再投資しなかったから
全盛期の収入の大半を軍事費として海路と領土の保全に費やしちゃった
つまり主に投資が交易路の維持に使われた
結果として商業は発展したんだが、その発達した商業の中心地はネーデルラント、リスボン
あと地中海交易はカタルーニャ
農業面で見るとスペインが大量に銀で物を買い付けるから
ロシアとか東欧で農奴使った安い小麦の生産が加速
ますますスペイン本土の農民じゃ太刀打ちできない価格で
農産物輸出が行われ……という悪循環
かろうじて一つの国家としての体裁を維持できたが、
総体的に本土がボロボロ過ぎて工業も農業も貧弱だったのが
スペインが列強から滑り落ちた理由かと思われる アラゴン連合王国の諸国は、スペイン・ハプスブルク家の支配下に置かれても、
中世以来の地域諸特権(フエロス)を失うことはなかったが、
これは当該の諸地域がより民主的であったということではない
たとえば、サラゴーサを首都とするアラゴン王国では領主の封建的諸権利が強く、
領民たちは流血裁判権(死罪を課す権利)を持つ領主の支配に苦しめられていた ガレオン船貿易で稼いだ金を本国の産業に投資してればイギリスに先んじて産業革命を起こせたかもな
でもお気楽なスペイン人だから無理か せっかく新大陸を征服してたくさんの富を得たにもかかわらず、
それらをのちの経済発展に繋がるような産業につなげられなかったことがスペインの敗因なんだろうな
だから衰退してしまった 20世紀の外交官・歴史家のマダリアーガは、スペインは軍隊か教会でなければ
統一が困難(無政府状態)だといった インカを滅ぼした人物は最後はとても悲劇を迎えている
同じ事が返ってくる選択は回避したい カール5世はスペインにもブルゴーニュの金羊毛騎士団を導入し、それと同時に、
馬上試合や豪華な祝宴、宮廷の複雑なしきたりなどもスペインにもたらされる
ことになった 地形的にも山がちで地域によって気候も人々の気質も全く違うし
スペインを一つの権力が集権的に統治するのはかなり難しいってのは良く分かるよね カタルーニャは南フランス(オクシタニア)に野心を抱いていた時期もあったよな
カスティーリャとは歩んできた歴史も違うし カタルーニャやバスクの独立運動は良く聞くけどアラゴンやガリシアやバレンシアってあんまり独立運動を聞かないよな
あの辺りも歴史的には別の国家として歩んできたわけじゃん?なんでなん? >>424
19世紀後半、カタルーニャとバスクがスペインの二大工業地帯として発展したが、
アラゴンやガリシアやバレンシアにはそういうことはなかった
スペインから独立してもメリットがないからじゃね? その中では一応ガリシアにはある
事実上の国旗国歌もあればサッカーの代表チーム組んでたこともある
経済的な先進地域とは言い難い田舎だからってのと
独立する位なら移民するって流れだったんだろうねスペイン語圏にガリシア移民は非常に多いし
あと別に全く地元を優遇したわけではないがフランコがガリシア出身だったし
民主化以降も前首相のラホイがガリシア出身で中央政界に人材送りだせてる事もありそう やっぱり経済的にある程度発展してる地域じゃないと独立しても旨味がないってことなのか
>>426
ガリシアはなんでそんな中央政界に人材を多く送りこめてるんだ?
票田として強いのか? >>422
スペインは沿岸部と内陸部の標高差が大きいので、前近代における重要な
輸送手段であった河川交通がほとんど発展せず、経済統合には不利な条件だったよな カスティーリャ人はカナリア諸島に、グラナダで盛んだった
サトウキビ製糖業を導入した 新大陸の植民地はカスティーリャ人だけのものであり、アラゴン人や
カタルーニャ人など、ほかのスペイン人でさえ締め出されていた
また、カスティーリャの中でも、南西部のアンダルシア地方と、
その中心都市であるセビーリャが、事実上、新大陸との貿易を独占していた アンダルシア地方はハンニバルによって開発されてから17世紀までずっと先進地域
今は見る影もないが
カタルーニャもローマ帝国時代に開発されてから未だに先進地域
対するガリシアとカスティーリャはずっと後進地域 カスティーリャって政治的にはスペインの中心地域のはずなのに経済的にはむしろ後進地域なんだな
だからこそ先進地域であるカタルーニャとかが独立したがるんだろうが フェリペ3世が1621年に死亡すると
候補は「後のフェリペ4世・カルロス・フェルナンド」の3人になるが
後2者は毒殺の噂が流れてるんだな。
カルロスはオリバーレス伯爵公によるものとウィキペディアに書いてるな。
王位継承争いが苛烈だったと伺えるね。 ココに候補者がもう一人居て、海外遠征してたらどうなるか分かるよな。
しかもカルロス2世がアレでブルボン王朝が支配権の奪還を狙ってたら尚更ね。 いくらマニアックな掲示板とはいえここまで地域的な議論されて
スペイン人が見たら驚くのではないか
スペイン人がスペイン語の掲示板で日本の関東関西九州裏日本とかについて議論をしているのと同じようなもん あ「奪還」ってオカシイね。メンゴメンゴ。
当時の文献は古い複数言語で成り立ってて解読困難らしいけど
流石に証拠を隠滅されてるとなると今更無駄かもね。 >>434
同じスペインでも、ガリシアは湿潤な気候だよ 中世のバルセロナは交易の拠点として大いに繁栄したが、15世紀に入るとこの都市は
次第にその輝きを失っていく
カタルーニャの農村では領主と土地緊縛農民(ラメンサ)との抗争が激化し、
王権と貴族との勢力争いからたびたび内乱が起こった
バルセロナ市内でも、寡頭支配層と有力輸出商人からなる党派ビガと、
手工業者や小商人からなる党派ブスカとが、市政や経済政策をめぐって
激しく対立した
交易活動は大きく後退し、15世紀末にはバルセロナは経済不況に苦しむ
活気のない港町になっていた >>434
スペイン内陸部を荒れ果てた土地に変えたのは羊の放牧なんだよな イベリア半島はスペインとポルトガルではなくスペインとカタルーニャに分かれるべきだった >>443
カトリック両王が結婚しちゃったからなあ…
カタルーニャは地中海に面しているから、イタリア諸都市同様、
中世には繁栄したけど近世にはダメになったな 中世のカタルーニャ人は、マグリブのイスラーム諸王朝に傭兵として
雇われていたんだよな
今風にいうと出稼ぎ >>443
そしてカタルーニャは南フランスと一緒になるべきだった
要はアルビジョワ十字軍が悪い バルセロナ伯領は、もともとカール大帝が創設したヒスパニア辺境領が起源だしな 1282年の「シチリアの晩祷」事件以来200年もの間、両シチリアの支配と
西地中海の覇権を争って、アンジュー公家とアラゴン王家は激しい抗争を
繰り広げていた
最終的には1503年にフランス軍を追い出してフェルナンド2世自身が
ナポリ王国全域の支配者となったが、この戦争で連戦連勝の大活躍をしたのが、
ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバの率いる、歩兵を中心に火縄銃兵を
組み合わせた新戦法で戦う部隊であった 16世紀のスペインで盛んだったのは応用科学だったんだが、国力の最盛期に応用科学に
熱中していたことがスペインの科学の遅れの原因になった
他方、人文主義的な人文学研究が、16世紀のスペインでは異端審問所による
激しい弾圧を受けた
異端審問や王権がもっとも恐れていた学問は、価値観の転換を引き起こすものである
応用科学は既成の価値観において「有用」と認められるものを追求するのであるから
まったく危険はない >>449
少し引いて考えれば国土の大半を長年異教徒に征服された反動・後遺症というのはそういうものなのだろうなと スペインの「黒い伝説」はヨーロッパで生まれたものだが、
西部開拓・米墨戦争・米西戦争の時期になると、今度はアメリカ人が
大航海時代のスペイン人のアメリカ大陸における残虐行為を熱心に告発し始めた
やはり歴史も時代ごとの政治的利害から逃れられないのか もしスペインが、第一次世界大戦で中央同盟国側に立って参戦し、敗戦国に
なっていたら、ハプスブルク帝国みたいにバラバラになっただろうか?
そしてカタルーニャも独立国家になっていたりして >>451
異教徒支配のスペインはキリスト教側より文化が進んでたのにその一方で
その後の発展を阻害する要因にもなってたのか・・・
イベリア半島が異教徒に支配されてなければキリスト教徒側の科学も多少は
進んでたのやら・・・ イベリア半島ではマグレブのアラブ人・ムーア人の血が入ったけど,イスラム教徒に改宗した
キリスト教徒がレコンキスタの過程でマグレブへ逃れた事で逆にラテン系の血がマグレブ側に
入ってきたんかな?これ以前にローマ人の血も入ってはいるんだろうけど スペインの場合、国家を統一するものが正統カトリック信仰しか
なかったんじゃないのかな
だからそれに馴染まない要素は排斥した、と
あの国は長い間フエロスが残っていたしな スペインの各地方の人間に対しては、愛嬌があり怠惰なアンダルシア人、
気取ったマドリード人、鷹揚だが頑固なバスク人、強情なアラゴン人、
利口だが具体的でないガリシア人、勤勉だが強欲なカタルーニャ人、
というステレオタイプがあるのだとか アンダルシア人はポルトガル人をどう評してんだろうな。
自分達より下の存在? むしろガリシア人がポルトガル人をどう思ってるのか気になるな
やはり自分たちと近い民族だという仲間意識を抱く人はいるのだろうか? ガリシアの場合、フエロス(地方特権)による独自の政治経験を持った
歴史的経験がないよな
カスティーリャと異なる王国を形成したのも、ごく短期間にとどまった ガリシア語をスペイン訛りのポルトガル語だと思ってるポルトガル人って多いんかな? 日本人の中に、アル・アンダルスを多宗教共存の社会と考える人がいるけど、
スペイン人の歴史学者にいわせると、
「古典イスラームの時代にムスリムとキリスト教徒が平和共存していたなんて、
ある立場からの誇張にすぎない。キリスト教徒は人頭税の重税にあえいでいたし、
さまざまな差別にもさらされていたんですよ」
だという。 "現在の"スペイン人やポルトガル人にとってイスラムによる支配期は暗黒時代だったのね。 イスラム支配下においてアラブの文化・生活様式が流入して西欧とは異質な存在になるわ
人種的にもアラブの血が混ざるわ・・・
でもってイスラムの支配から解放されたかと思いきや教会の頑迷さにがんじがらめかよ・・・ 現在のスペインはモロッコにセウタとメリリャを領有している
中世とは立場が逆になったな >>467
もっと言えば、20世紀半ばまでのスペインはセウタやメリリャだけでなくモロッコの一部を領有していたな
モロッコの一部はスペインの保護領になってた 中世にはサハラ以南アフリカの金が北アフリカを通じて
アル・アンダルスに流入していた
そして現在、アフリカの難民がセウタやメリリャからヨーロッパに
入ろうとしている イベリア半島のヌマンシアで、前二世紀に先住民ケルトイベリア人がローマに対して
反乱を起こしたが、前133年にローマの将軍スキピオ・アエミリアヌスの
攻略を受けて全滅した
そして19世紀末ごろ以降、ヌマンシアはスペインの国民統合の象徴として
讃えられるようになる
19世紀のドイツで、トイトブルク森の戦いが讃えられるようになったのと
共通するものがあるのかな サラザール時代のポルトガルでは秘密警察PIDEが幅を利かせてたけど
フランコ時代のスペインでポルトガルのPIDEに相当する秘密警察の名称って
何だったんだろう。 アストゥリアス王国は、910年に3人の兄弟による分割相続で
三つの王国に分かれたが、これは西ゴートの風習を引き継いだものかな? 19世紀のポルトガル経済は、イギリスの自由貿易体制の中で、工業化をあきらめて
農業に特化していったという点では、中南米と共通するところがある 50〜60年代に史劇映画をたくさん作ってたハリウッドでもレコンキスタ期のイベリア半島を
描いたのはエル・シドくらいか 伝統的にポルトガルの対外政策は、主に大西洋沿岸に位置する旧植民地諸国との
関係を優先すべきか、それとも欧州諸国との協調を重視すべきか、すなわち
「大西洋か、欧州か」という二項対立で捉えられてきた
英語圏との国との関係を優先すべきか、ヨーロッパ大陸との関係を重視すべきかで
揺れてきた英国外交と似たところがあるな イタリア諸国は大航海時代の主役にはなれなかったが、ポルトガルのディニス王は、
1317年にジェノヴァからマヌエル・ペサーニョを世襲総督として招聘し、
海軍を創設した
ジェノヴァ人による航海事業関連の諸知識の導入は、後の大航海時代に大きく
貢献することになる
そういう意味ではイタリア海洋都市国家の果たした役割は大きい 小さなティモール島が東西に分かれているのは、
ポルトガルが、後からこの地にやってきたオランダと
激しい勢力争いを繰り返した結果 スペインでは、近代産業の足がかりとなった毛織物マニュファクチュアが発達せず、
農村の失業者は工業発展に利用されることがなかった
スペイン帝国は、時代遅れの封建的・軍事的基盤の上に留まり続けた
スペインが植民地に提供したのは、聖職者、学者、貴族、そして荒くれ者の
浮浪者のみであった 日本の内閣府の定義によると
ポルトガルや韓国は先進国w
先進国:OECD加盟国。ただし、一人当たりGDP(2010年。市場レートベース。)が1万米ドル以下の国(チリ、トルコ、メキシコ)を除く
https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh14-01/s1_14_0_2.html 西ゴート人は415年にイベリア半島に侵入するが、戦況が悪化したことを受けて
彼らは416年にローマと和平協定を結び、ローマの同盟者となった
西ゴート人は、ゲルマン諸民族の中でもっとも早くからローマ帝国と接触を持った
部族であり、とりわけ指導者層においてはローマ化が進展していたといわれる 井戸のようなところに魚を入れて
冬に雪を入れて長期保存する
NHK「一本の道」魚とワインの道(バスク地方)より スペイン人って他のヨーロッパ人と違うなとずっと感じていたけど
長いイスラム支配の元で人種的に北アフリカ系の影響を受けたいるから? スペイン人って他のヨーロッパ人と違うなとずっと感じていたけど
長いイスラム支配の元で人種的に北アフリカ系の影響を受けているから? 混ざってるけど微々たるもん。
ローマ帝国の時代からそんなに変わらん。 古代ローマ的には、陸路でいかなきゃならんフランスなんかよりは海路でつながってるスペインとかアフリカの方が身近 >>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。
■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人
死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人
病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者
※拡散は歓迎だぞ >>487
それでもアルプス以北で一番ローマ化が
進んだのはフランスだな んで、このスレで得意気な奴等は
六右衛門の表具料領収書が出て来ても
「あ、察し」で無視だったわけですよね 俺は専門家じゃないから
一生懸命少ない情報から考察してたけど
何となく損した気分 領主の計らいで公に死んだと秘匿できるなら
そもそも死人扱いしなくても保護できるわけで。
わざわざ死んだ事にしたのは別の目論見があるからってのは
小学生でも分かるもんなw
何処のアホが黙らせてるか知らんが
オマエラいい加減にしとけな 大体にして帰国する時点で怪しいと悟られるなら
帰国した事自体を隠蔽すりゃ良いんだし。
ま、俺はオマエラみたいな専門家じゃないし。
当初一緒に行動してた幕府側の人間がどうなったか
帰国時も随行してたかまで知りませんけどね。 いずれにせよ「極めて不可解」なんだし。
領収書を研究材料として今まで調査しなかったオマエラには
説明責任ってものがあるんだけどね。 しかし、帰国時点で幕府側の人間も随行してたと仮定して
ソレが原因で帰国を隠蔽できないとしても
幕府側としては厳密に調査しなければならない発端になり得たよね。
どうしてこの辺を無視して六右衛門の息子の代で
「家臣がキリシタンの疑いあり」って話になるのかも良く分からん。 つまり帰国時点では幕府側の人間は居なかったって事になるよな?
だったら尚更、六右衛門は保護するだけで足りるのであって
死人として秘匿する必要は無かったわけだ。 スペインへの疑問
1. レコンキスタの後、宗教に寛容な政策を
取っていれば人材がトルコやモロッコに流れる事が無かっただろうから、むしろその方が良かったのではないか?
2. 今のスペインがセウタ、メリリャを領有する
メリットは何か?アフリカ難民受入れ手続き等
面倒な事があるだけで、モロッコに返還した方がましではないのか? 1
北アフリカに逃げ込んだら迫害されたのでイベリア半島に戻ってきた
同じイスラムだからと言って仲良くできない
2
北方領土・竹島と同じ右派やネトウヨが発狂する レコンキスタ完成
ポルトガル1249年
スペイン1492年
だからといってポルトガルにくらべてスペインが高度で発展したわけでもないし
同じスペインでも南スペインが高度でもない。
イスラムマンセー学者に騙されている 海に面してるスペインポルトガルなんて本来もっと産業が発達しててもおかしくない
数十年前まで独裁やってたし駄目な国の見本 現代史ですが、スペインと共産圏との関わりについて教えてください。
この前NHKで10年間親北朝鮮団体に所属して北朝鮮のやり口をスパイしてたベルギーの民間人のドキュメンタリーを放送していました。
その人はベルギーの親北朝鮮団体に入会してやがてヨーロッパ各国の親北朝鮮団体の横の繋がりに参加し、
ヨーロッパで一番北朝鮮に信頼されてるトップの男と接触します。
それがスペイン人で、ヨーロッパでの北朝鮮の工作を仕切っていました。
また、別の話で、現在北京オリンピックが開催されようとしていますが、人権問題やコロナ問題から中止の議論がIOC内でも強まっていますが、
あくまで開催を進めているのがスペイン人のサマランチ前会長の息子(現在理事)だということです。
スペインの近現代史をさらっと見てもスペイン内戦で負けた人民戦線はソ連の支援を受けてたようですが、その程度で特にレッドチームと裏で握るような国柄には見えない一方、
第二次世界大戦後にスペインは西側からハブられており、冷戦開始でしぶしぶ西側に再び入る事を認められてるようでその辺になんかあるようにも見受けられます。
スペインは共産圏と親和性がある国なのでしょうか? ポルトガルはイギリスの支援と軍事同盟を受けて
スペインから独立できたみたいだから
まずスペインは反ポルトガルであり、その次として反イギリスなんでしょう
アルマダの海戦なんかでイギリスに無敵艦隊がやられたことから
イギリス自体に遺恨もあるでしょう
また独立されたオランダとも仲良くはできないでしょう
イタリア半島の南部ナポリもむかしはハプスブルク家領だったのに
イタリア独立でそれも失ったからイタリアとも仲良くない可能性があります
というわけで、スペインが組む相手としてはフランスあたりしかないはずですが
ファショダ事件以降、フランスはイギリスに逆らわなくなりました、どうしましょう
(そういえば、ナポレオンのときに攻められた恨みもありましたか?)
対岸はレコンギスタで追い出したイスラムモロッコでありその東にはムスリム海賊・・・
なんだか泣きたくなってきました
おや、ロシアで共産革命が起こって共産主義を世界に輸出するんだとか言ってます
溺れる者は藁をもつかむ、ダメもとで話しかけてみましょう 新大陸のほうも軽く見てみましょう
残虐非道の侵略戦争で広大な領地を得ましたが
ナポレオンにやられているあいだにそっくり独立されてしまいました ざっくり言い過ぎw
さらに経済的にはそれらはみんなイギリスの支配下に入ってしまいました
とどめは、アメリカとの米西戦争でキューバにフィリピン、南洋諸島も失いました
つまりは、イギリスやアメリカと同盟するとか仲良くするとかとんでもないわけです
こうなったらもう日本しか?
ポルトガルを併合したころ日本にもスペインがやって来て
居丈高に日本は降伏しろとかやらかしましたね
それまで日本人の中に分け入って苦労してきた
ポルトガル宣教師の努力はすべてパーですよパー
秀吉がブチ切れて五ヶ国同時恐喝とかやらかしましたよ
以上ざっくり見てなにしてるんでしょうねスペインは?さながらジャイアンですかね?
レコンギスタで戦争ばっかりして外交とか同盟とか学ばなかったんですかね >>508
アメリカと戦争して負けたのが原因じゃないの?
フランコが戦後も独裁やってたような後進国だし >>510
>ルトガルを併合したころ日本にもスペインがやって来て
>居丈高に日本は降伏しろとかやらかしましたね
スペインそんなことしてたのか。
日本そんななめられてたんね。
なんか全然聞かんね。隠されてるのかな。 >>512
まあ降伏しろってのは言い過ぎかもしれんが
スペインの使節が上から目線で秀吉に会見した
みたいなのをどこかで読んだんだが、ググっても上手く出てこないなあ
とりあえず
スペインの対日戦略と家康・政宗の外交 - 東北大学機関 ...
https://tohoku.repo.nii.ac.jp ? ...Hirakawa-Arata-2010-Tour01-102.pdf
「かくしてスペインによる日本征服構想は、武力征服だけではなく、布教による征服すらも実現不可能になった」 >>513
サン・フェリペ号の航海士だったか貨物が没収されたときに秀吉にスペインの偉大さを語って云々って話はあるけど本当かどうかは曖昧なんだよな
不法な没収に正当性持たすための作り話という説 新世界の方のインディアスで勝利を収めていたスペインは
もともとのインディアスのジパングなど新世界のほうのインディアンの一部族程度のようなものと思っていたか。
実際どうなんだろうね。新世界のインディアンと日本の武士の戦闘力 「銃・病原菌・鉄」視点でいうなら
日本は数々の感染症・疫病にすでに何度もかかって
そのたびに多くの死者を出していたがともかく免疫を獲得できていた
のでポルトガルやスペインが来ても梅毒に苦しむくらいで済んでいた
アメリカ大陸はそういう疫病に免疫が無いのに一度にすべてが来てしまった
人口激減したところに侵略者の白人が来たので到底勝ち目がなかった
ってのがまず前提になるだろう フランコって人は、連合軍と枢軸国の間を水際立って立ち回りましたですわね スペイン帝国全盛期とか
ルター派みたいな後のプロテスタントと王室は対立してたけど
既に当時から現在のマスコミ同様
ドンカルロスの処刑騒動を情報統制して
父フェリペ2世の印象悪くされたり
80年戦争発端の裏切り者オラニエ公と
そのドンカルロスが事前に接触してた可能性濃厚だったり
更には重金主義とかいう間違った経済概念まで植え付けて
イギリス覇権奪取に貢献したり。
オラニエ公のオランダもイギリスもプロテスタントの国で
今やこのプロテスタントがアメリカ中心に暴れて制御不能ってのがな。
未だにマスゴミも5chみたいなネットもホラ吹いて印象操作だし。 最近はロスチャとかユダヤがクソってイメージあったけど
元を辿るとフリーメーソンすらプロテスタントだからな。 日本史のみならず世界史も都合悪いこと言わないけど
ドンカルロスは近親相姦で生まれた奇形ってだけじゃなく
頭を打ったか何かで精神障害を悪化させた真性基地外らしいからな。
結局、敵にガンがいれば付け入るチャンスなんだよな BSとかでたまにガリシア地方の風景を映す番組やってるんだが
ガリシアの人達ってイギリス人に似てない?大雑把な印象だけど
肌白くて顔の作りも割とアッサリしてるというか >>524
イベリア半島のなかではバスク人と並んで
地中海系(ローマ・イスラム)の影響が小さいからね インターネットのおかげで
「ドンカルロスはオランダのプロテスタントと接触してた」
って出てくるもんな。プロテスタントは捏造だらけだな。 >>528
かと思えるが…
カナリア諸島がスペインに占領されたときは原住民?は白人だったようだな >>528
謎の先住民と長らく言われていたが
遺伝子解析の結果ベルベル人から分岐したと判明 >>464
そりゃそうだろうな
イスラム支配地域は支配者が中世のままだから、そのうち発展しなくなる スペインで世界的企業てZARAくらい?
イタリアと違って工業も弱いし駄目だね >>532
航空・鉄道予約システムの全世界シェア1位アマデウス スペインはマーブル状に砂漠化してるから
ポルトガルやフランス逃げたほうがいいんじゃね アゾーレス高気圧が拡大しているからね
南フランスもほどなく砂漠化する イスラムのイベリア侵攻を手助けしたユダヤ人は
キリスト教のレコンキスタで罰を受けた >>532
アパレル業界売上
1位スペインZARA 2位の1.5倍
2位スウェーデンH&M
3位ファーストリテイリング(ユニクロ)
4-9位すべて米国 GAPなど スペインは日本に負け
ポルトガルは韓国に負け
東アジアに弱いイベリア半島勢 【サッカー/W杯】モロッコ4強で「ウマイヤ朝が復活」と海外で話題 イベリア半島の二カ国スペイン、ポルトガル連破で [THE FURYφ★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1670729550/ イベリア半島は制圧したから
次はトゥールポアティエの復讐戦だ! スペインというか南欧てすげー怠惰
かつてのローマ人の奴隷に全てやらせとけ精神が引き継がれてるのだろうか 2021年
劣等自称勤勉民族 7万8655ドル
怠惰なスペイン 9万4552ドル
怠惰なイタリア 10万8925ドル 1578年アルカセル・キビールの戦いで
ポルトガル王と大物貴族が戦死
アヴィス朝崩壊
財政破綻
スペイン同君連合とポルトガル没落の原因となった
イギリスのばら戦争のような多くの貴族家系の断絶も生まれた
十字軍と異なり新しい技術や文化が増えるわけでもなく
ポルトガルの大航海時代の勢いも止まり
黄金時代も終焉した ポルトガルは弱者に冷たい
『世界寄付指数』
114位ポルトガル
115位レバノン
116位エジプト
117位アフガン
118位日本
最下位カンボジア 日本は、サッカー場のごみ拾いのように褒められればやる気が出るやればできる子 >>553
日本の注目度高い論文数 韓国、スペインに抜かれ12位に転落 科学における最高権威のノーベル賞で比べようか
あ、そんなことしたら自我が崩壊しちゃうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています