え?この時代にまだ残ってたの?というもの Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
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インターネットが発達したこの21世紀にもなって、未だに電報が使われることがある。 >>153
日本海軍駆逐艦 雪風
1940年1月陽炎型8番艦として佐世保海軍工廠で竣工
大戦中、16回以上の主要な作戦に参加し、当時の主力駆逐艦訳60隻の中で唯一終戦まで生き残った幸運艦であった
1946年1月〜12月、復員輸送艦
1947年、戦時賠償艦として中華民国へ引き渡し
1951年台湾で再武装工事、中華民国海軍旗艦丹陽となる
1970年海軍を除籍、解体 >>160
弔電ってなんなん?
今時Eメールでええやろ? 恨まれてた人の葬式って、匿名で祝電が大量に届きそうw >>162
携帯やパソコンを持ってなかったり、受信をチェックしてる時間が無かったら?
俺はアドレスを知らせてるのは10人もいないがね 「電話してこないでくれ!」と言われたら、イヤミのつもりで電報で連絡することはある >>110
2ちゃんのネトウヨの偏見はアホだと思ってたが
所謂チョン顔なのは面白い
民族はそっちかもね >>160
あれは様式美?だから仕方が無いだろ。
結婚式で「祝電披露」はあるけど「メール読み上げ」は無い。
葬式でも「弔電」は誰から来たか読むけど、メールで済ますとか聞いたことが無い。 せいぜい明治以降の電話線が張り巡らされて以降の風習なのにな
これからはEメールの弔電になってくんだろか >>152 上古漢語がその村ではまだその頃も話され続けてたんだろうか >>162
Eメールで送信したというのをどうやって連絡するの?
昔、某漫才師のコントに、
「小包送ったよ。
そのことの手紙を出したよ。
そのことのはがきを出したよ。
そのことの電報を出したよ。
という電話がこれだよ」 総務で社員の弔電祝電依頼する係の俺が通りますよっと
>>166あるんかいw >>176
通るだけでなくなんか面白い内輪ネタを話していけよ ゴート族といえば、ゲルマン民族の大移動で有名であるが、
実は18世紀後期まで「ゴート族」として存在していたんだな。
彼らは「神聖ローマ帝国」だとブイブイ言わしている共通の先祖から分岐したドイツ人のことをどう思っていたのだろうか?
クリミアゴート族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%88%E6%97%8F >>178
こいつらを最終的に滅ぼしたのもよりによってドイツ人だからなあ 熱気球を発明したモンゴルフィエ兄弟の家業の紙屋がまだ健在なこと。
http://www.canson.com/ 鳥名木氏館/鳥名木城
http://www.geocities.jp/y_ujoh/kojousi.tonagi.htm
なんの変哲も工夫もない中世城郭。この何が珍しいかというと、なんとこの城には未だに鳥名木さんが住んでいる、ということ。
この家に伝わる古文書で最古のものは永仁五年(1297)の「ちゃうあ譲状」なので、少なくとも鎌倉後期頃から800年間も同じ一族が同じ場所にいたことになる。
王侯レベルの大諸侯ならまだしも、こんな一村の領主レベルがこれだけ続いてる、と云うのは非常にまれと言っていいだろうな。 >>182
情報ありがとう
ただ日本語のHPもあるぞ
コットン紙なんだな。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GTWZS 1964年まで西宮市の実業家が使っていたとある木造貨物船。
その前身は清国北洋艦隊の砲艦「操江」であり、
進水の1866年から数えて100歳に近い生涯だったという。 > ttp://karapaia.com/archives/52253389.html
そういやぁ
カラパイアでベルリンの壁が発見されたと話題になっていたな。 >>188
トン数みたら凄い小さいね
小さいからこそ整備が簡単で残ったんだろうな シティ・オブ・ロンドンは、ジョン欠地王時代の1211年から君主へ二箇所の土地の賃料を払い続けている由。
物納で「2本のナイフと斧」、「6つの大きな馬の蹄鉄と61本の釘」。
今では儀礼化して基本使い回しながら、過去に作られた斧は8百本、蹄鉄は5千枚、釘は5万本に及んだとか(ナイフは不明)。
なお、今ではどこの土地を借りているのか分からないそうです。 田舎の日本でも土地の境界がスゲー適当なのはあるけどな
場所そのものが不明か 田舎では「耕地整理でうちは土地を減らされた」とどの家も言っている。 >>195
それ当たり前では?
大抵道路拡張と水路の整備、かさ上げとかもする
かさあげのときの土手をきちんと作れば結構幅広い それもあるけど、みんな減らされた減らされた言ってるのに俺は増えたわーうれしーなんて言えないってのある
第二次世界大戦時の大日本帝国万歳と、戦後のあれば軍部の暴走で ってのと似てると思う ベトナム阮王朝における中国風官制
例:六部(吏部、戸部、礼部、兵部、刑部、工部)、都察院、巡撫など
仏領インドシナになっても、そのまま温存されている。
ゴ・ディン・ジエムは一時期、阮王朝に仕えていたのだが、その時の官職が「吏部尚書」。
吏部尚書に任命されたのが1933年だから、日本で言えば昭和8年にあたる。 名前だけでなく職権など実態も古めかしいものだったのかなぁ イギリスにはまだ玉璽尚書とか星室庁長官がいるんだっけ 日本の役所で古名を保っているのは
「内閣」「大臣」「文部省」「(大蔵省)」「宮内庁」「主計局」「主税局」「知事」
などがあるかな。
あと、銀行の「頭取」もなぜこんな古めかしい職名が?
「番頭」「手代」「丁稚」「小僧」などは廃れたのになぜ頭取だけ残ってるんか。 古い名前はそれだけで格式をあらわすものだからでしょう んじゃ今からでも社長をやめて「頭取」、専務・常務をやめて「大番頭」「番頭」、部長・課長をやめて「手代頭」「手代」、
係長は「丁稚」、平社員は「小僧」に・・・
さもなくば、
社長→かみ、専務・常務→すけ、部長・課長→じょう、係長→さかん、かなw いやその手の話は昔ながらの役職に誇りをもてる職でないと
番頭あたりまではいいかもしれんがそれ以下は低い身分をあらわすのでそんな呼称は好まない
ちなみに20年まえあたりぐらいまで手代は法律用語としてあったW
旧商法ね >>150
亀レスだが、宮内庁の職員てプロパーはほとんどいなくて、大部分は他の省庁からの出向だよ 音楽家の東儀秀樹が宮内庁式部職楽部所属
東儀家の家系は聖徳太子の時代まで遡るんだとか
長良川の鵜飼いの鵜匠は宮内庁所属式部職御料鵜匠だが
日本の鵜飼いの歴史はめっちゃ古い
隋書倭国伝
倭国以小環挂??項 令入水捕魚 日得百余頭 (??−ろじ 鵜のこと). 網を作る手間より鵜を捕まえ、維持するほうが楽だったんだな >>202
大将・中将・少将は国内では使われなくなったけど、外国の軍人には今も使うね 頭取は銀行専用だと思ってる人、今は多いんだろうなー 江戸時代、
組合・寄り合い組織のトップは、頭取
個人企業のトップは、旦那 旦那は呼び方で役職ではないと思う。
「店主」か、そもそも役職名なんかないか。 「ヘイ旦那!イイ子いるよ!」と「社長さんイイ子いますよ!」
が同じ意味だったのかって納得 町内会長を「頭取」と呼んだら今の世の中違和感ありまくりだなw 十万石以上:夫が殿様、妻が御前様
200石以上の大名・旗本:夫が殿様、妻が奥様・奥方様
200石未満の御家人:夫が旦那様、妻が御新造様
あんみつ姫の実家は、多分十万石未満だったのでしょう。
天守付きの城持ちですが、最後の赤穂城主だった森家の2万石が下限でしょうか。 >200石以上の大名・旗本
200石以上の旗本・大名ですね。
大名は一万石以上。 >>171
手紙の代用なんで情報を伝えるという意味以外の意味があるのでなかなか代用は難しい
金をかけること自体に意味がある
残るしね 常陸国牛久藩は一万石ギリギリながら、水戸街道の宿場であり筑波山や鹿島神宮など江戸近郊の観光地にも近かったためか安定して栄えていた。
今でも市内に「一万十七石」と自虐気味な名前の蕎麦屋がある。
なお、牛久藩は関ヶ原から版籍奉還まで一貫して山口氏が治めた。この意味でも安定していたと言えるが、小さすぎてどうでもよかったのかもしれない。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
PXJ 紀元前1200年頃、ヒッタイト(ハッティ)帝国滅亡。
しかし、その後も紀元前7世紀頃までヒッタイトの歴代の王に因んだ名を名乗り、後裔を名乗る
王たちがアナトリア一帯に自立していた。
『旧約聖書』ではバビロン捕囚が終わった頃にいた周辺の諸民族の中にヘテ人の名が見えるが、
このヘテ人が後期ヒッタイトの人々を指すともいう。 皇室の人たちは特別な儀式のときだけ平安時代のような身なりをするが、
相撲の行司と神社の神主は、日常的に、平安時代のようなかっこうをしている。 江戸時代の皇室も平安時代のような恰好だったの?
それとも同時代の服装を普段着にしていたのだろうか。 >>226
行事が今の格好になったのは明治時代で、それまでは裃ですよ。
ttps://uploads0.wikiart.org/images/utagawa-kunisada/sumo.jpg
>>228
儀礼用はさておき、天皇は普段は直衣だったはずですが、公家は出仕以外は小袖で武家と変わりなかったはず。
水戸黄門の一条三位の格好は時代劇だからです。たしか普段着なのに狩衣。
石坂黄門だとちゃんと考証していました。 コプト語
アラブによる征服後、日常的な口語としての使用は次第に減少し、上エジプトでも14世紀には
ほぼ使用されなくなっていたが、僻地では19世紀まで使用されていたという説がある。 美豆良 8( ´∀`)8
あの聖徳太子の肖像や冠位十二階から
上流階級における美豆良は聖徳太子時代に廃れたと思われがちだが、
天武天皇11年(639年)に「男夫始めて結髪す」と『日本書紀』に書かれていることから、
それまでは何だかんだいって 8( ´∀`)8 だった者が多かったと推察される。
だから中臣鎌足と中大兄皇子のコンビや大海人皇子も8( ´∀`)8頭をしていた可能性がある。 未央宮
劉邦即位後に建設され、その壮麗さに劉邦は怒ったが「威厳を示すため、今後これ以上の物
を作らせないため」であると言われて納得した宮殿。
新滅亡時に焼失したが、その後も歴代王朝により維持され、唐代には長安の城外になってい
たにも関わらず修築されていたが、唐末に破壊された。 >>233
>唐代には長安の城外になっていた
そのときようやく「未央宮」という実を表した名になったのかw >>234
新旧のビートルをごっちゃにした、とてもわかりにくい記事だ 承露仙人掌
漢の武帝が神仙思想に基づいて築いた施設。
高さ五十丈(150m)の土台の上に、更に三十丈の銅の柱が設置され、頂上には仙人が銅盤
と玉杯を奉げる姿が設けられており、天上の露を得られる様になっていた。
これに玉の屑を混ぜて服用したものである。
魏の明帝の景初元年(237)に移築しようとしたところ折れてしまった。
文帝の時代とする史料もあるが、それによると折れた音は周囲数十里に響き渡った。
柱の高さを二十丈とする史料もある。 民明書房刊みたいな…
名前も男塾の技っぽいし内容も 18世紀に松江藩が宍道湖周辺の住民に認めた水代(水面の利用権)。
将来の埋め立ても見越して認めた権利だったのが、現行の河川法では(水代自体は認められて
固定資産税その他はかかるのに)埋め立てが違法で、今年6月に逮捕者が出ていました。 サグラダ・ファミリアがこの133年間無許可で建設されていたことが発覚し、制裁金3600万€が課された由。 それはもしかしてカタルーニャ独立運動に対する懲罰? >>241
これはwww
どこまで時効だったのかww 現代の最先端科学が魔法に頼っていた
魔法の波長が世界に干渉するらしい、、、
しかも振り子時計ww
世界を変える1秒の誕生
http://www.jst.go.jp/erato/katori/feature/
魔法波長
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20160301/index.html
(要約)
まず、「魔法波長」と呼ばれる特別な波長の光を干渉させて作った微小空間(光格子)に、
原子を1つずつ捕獲し、原子同士の相互作用が起きないようにします。
次に、これらの原子に光を当て、光を吸収する「原子の振り子」の振動数を精密に測定します。
この振り子をまとめて数えて、1秒の長さを決めます。 日本の大学病院では
奴隷を使っているらしい、、、
自由意志バンザイ 魔女の草がやばかった、、、
名前がおしゃれです
【植物】「魔女の雑草」駆除に道=アフリカで猛威の寄生植物−名大など[12/14]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1544766427/1
1 名前:しじみ ★[sage] 投稿日:2018/12/14(金) 14:47:07.27 ID:CAP_USER
アフリカ中南部でトウモロコシなどイネ科の作物を枯らし、年間1兆円もの農業被害をもたらす寄生植物「ストライガ」の駆除につながる画期的な分子を、名古屋大などの研究チームが開発した。論文は14日付の米科学誌サイエンス電子版に掲載される。
ストライガの種は直径約0.2ミリと小さく、風で容易に飛散する。被害はサハラ砂漠以南の耕作地約5000万ヘクタールに広がり、「魔女の雑草」として恐れられている。
種は土中で休眠し、除草剤も効かないが、作物の根から出る「ストリゴラクトン」という分子を検知して発芽し、寄生して枯死させる。宿主がないと枯れるため、
作物を植える前に発芽させる方法も考えられたが、ストリゴラクトンの人工合成は難しく、有効な駆除方法は見つかっていない。
名古屋大トランスフォーマティブ生命分子研究所の土屋雄一朗特任准教授らは、ストリゴラクトンの構造を詳細に解析。
約1万2000種類の分子の中から、ストリゴラクトンとは別の発芽させる分子を発見した。(2018/12/14-06:12)
https://www.jiji.com/news2/kiji_photos/20181213at75_t.jpg
時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121400063&g=soc 昇元閣
東晋に出来た瓦官寺は、南唐に至って年号を取って昇元寺と改称され、閣も昇元閣とされた。
昇元閣は、梁代に建てられたものがそのまま残っていたという。
これが何時まで残ったものかは定かでないが、寺自体は太平天国の乱で荒廃するまで続いていたという。 御堂筋以外の大阪の地下鉄が
マッスルで動いていたらしい、、、 ブルネイの新刑法
投石刑がwww
LGBTがやばいです >>252
紺の赤いボーダーのポロシャツに
黒の半ズボン姿の加藤京平拡散希望 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 令和になり
更に堕ちていく5ちゃんねるを拡散希望 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています