古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】32 [無断転載禁止]©2ch.net
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セルジューク朝のトゥルク人口が大体8万戸程度だったと言われている
元や清にしてもそうだけど遊牧民が農耕民の人口をしのぐってことはないし
もしそうなったら文明は崩壊する 北魏後期に胡漢半々だからかなり流入してるんだよね
西ローマへ流入したゲルマン蛮族や
ビザンツへ流入したトルコ、スラブも似た様な物だろう バルカン北部の場合は移住してきたスラブ人は農耕民なので
先住民のイリュリア人やトラキア人よりも数が多かったようだ
イリュリアやトラキアは牧畜と乗馬が盛んで騎兵が主力になった
ローマ軍へ多くの将兵を供給していたからガリアのように
農耕定住化が進んでいなくて人口希薄だったと思われる 中国に侵入した異民族は、何故か元々の文化を忘れて中国人化してしまう
恐ろしいとこだぜ 数々の異民族を吸収してきた中華とローマだが
モンゴルとゲルマンだけは何で漢化・ローマ化しなかったの? >>227
ブルガール人も元はトルコ系だが、大多数のスラブ人に吸収されてしまった BSで黒猫物語見た人はいる?
中世ヨーロッパとカトリック教会マジやばいね! >>213
スラブ人に追われてギリシャ本土からアナトリアへギリシャ人が避難したけど
アナトリアにトルコ人が侵入するとギリシャ人はアナトリアからギリシャ本土に
避難していったのでギリシャ本土は再ギリシャ化した
バルカンにスラブ人が移住する以前はアナトリアにはイサウリア語とかが残っていた
アナトリアにトルコ人が移住する以前はギリシャ内陸部はスラブ化していた イサウリア語って何系の言語だったのかね?
東ローマは押し寄せてくるキリスト教系のスラブ人をアナトリア内陸部に移住させまくれば小アジアをムスリム化されなかったろうにな
スラブ人ならとにかくしぶといからトルコ人でも支配し続けるのは難しかったろう >>217
原印欧語族の中でドニエプルドネツ文化人を征服同化した人達の末裔が金髪碧眼の祖先だと考えられている
このドニエプルドネツ文化人は墳墓の調査から大柄で金髪碧眼赤毛という特殊な体質を持っていたことが判明している
恐らく彼らが現在のバルト語派の祖先であり、その後北進してバルト海沿岸に広がったという説が濃厚
ナチスの人種思想だと北欧人が印欧語族の本流というがそんなことはない
ゲルマン語派はバルト語派の派生で生まれたのだろう
確かにローマの上流階級は元々高地ドイツ発祥であるかもしれないが、金髪碧眼ではなかったと思う なんでローマはフェザーンのガラマンテスやモロッコ中部南部、カルパティア山脈とかまで制服しなかったの? >>236
イサウリア人は山岳民だからイサウリア語は
印欧語でもセム語でもない言語だったのかも
スラブ人の移住でバルカンは農地化したけど
トルコ人の移住でアナトリアは牧草地化した
ルーム・セルジューク朝時代には人口が
激減していたので十字軍もモンゴル軍も
アナトリアに消極的だった
オスマン朝時代にトウモロコシ栽培で
アナトリアの人口は急増したようだ >>240
アフリカに関してはアトラス山脈やサハラ砂漠があったから
その先は未開地で暗黒大陸と呼ばれたほど謎に包まれてた
1488年に文明人がアフリカ最南端にようやく到達して全容が知られるようになったほど時間かかってる >>238
バルト語派ってサテム系だろ?
北方アーリア人種のゲルマン人のうち、劣等アジア人の血が入って言語が退化したのがバルト人やスラブ人と考えた方が合理的だな カルパティアまでしんりゃくしなかったのはドナウ川か?それがなければカルパティアまで行けたかもね ダキア戦争でカルパティア山脈はローマ領になったけど
タトラ山脈をローマは征服していない ガラマンテスはかなりの文明があったみたいだけど地下水が枯渇して滅びたみたいね >>231
陳舜臣先生はモンゴルは中国を占領する前に中近東や東ヨーロッパにいったりして
中国以外の高度文明の国を知っていたからだと書いてたな。
確かに匈奴や鮮卑とかの北方民族は高度文明国家は中国しか知らないから簡単に中国化
するんだろうね。
ゲルマンはローマに占領されていない。アウグストゥスが国境をエルベ川までにする、
って言ってたのをティベリウスがライン川までにしたから。
でも今のゲルマン子孫のイギリスやフランスは自分らはローマ文明の後継者だと思ってる。 ローマが不効率な城壁ではなく軍隊が一気に駆けつけれる道を作ったってのは面白いけど、
そのローマ軍が一気にこれなくするように道妨害する敵とかいなかったのかな アルミニウスやデケバルスは街道工事中のローマ軍を奇襲したり
道沿いで待ち伏せしたりとかやってる アルミニウスと言えば、こいつがローマ人に雇われてたと知って凄い胸糞悪くなった
ローマ人もゲルマン人の土人レベルを甘く見すぎたのかな 甘く見すぎたというか
蛮族の貴族子弟をローマ軍に放り込んで徹底的にローマ教育するという
いつものローマ化平常運転じゃね アルミニウスが忠誠心なき超土人だったってわけじゃなく
逆に利口で信念や忠誠に篤い性格だったからこそのあの反乱劇だと思う
同じくローマ軍に入っていた弟のほうはローマへの忠誠を徹底的に貫いたしそういう一族 ローマに忠誠を誓いローマ軍人として生きる道を一度は選んだけども
同胞のために反逆を決意するってのは胸糞悪いどころかむしろ燃える展開
しかもそれまでずっと一緒だった弟はローマ側に残るとかもうドラマのような流れ
HBOさんドラマにしてくれないかなこの兄弟にゲルマニクスも加えた三主人公構成で 真田一族みたいにどちらが勝っても存続できるように計ったのかな なおアルミニウスは洗練された軍人だったけど
故郷のゲルマン同胞たちはやっぱり蛮族全開で
ゲルマニクスとの戦争中にも指示を守らず勝手なことして彼を悩ませたり
あげくに戦後は用済みと見てみんな手のひらクルーで彼を蹴落としにかかった模様 なんでゲルマンはあんなに蛮族度が高いのだろう
絵は下手くそだし悪趣味なゴシック建築やバロックに大ハマりするわ
食文化はまったく成長せず糞まずいままだわ
やっぱり寒い国の連中はアカンのか 同じ蛮族でもローマの脅威を受けて統一勢力を形成したダキア人と
ローマの脅威を受けてもなおバラバラだったゲルマン人の差
Zalmoxis信仰のような部族の垣根をこえた意識を抱かせる文化の有無の差かね ただし統一勢力つくって発展するとローマが徹底的に潰しにかかってくるから
バラバラのほうが長生きできるという皮肉 外交政策でもDivide et imperaがローマの基本だからな
すぐお隣で反ローマ機運で部族統合して台頭なんてしやがったらそりゃキレる >>260
ドイツ、オーストリア、北欧とみんなメシマズだよな。 >>261
神聖ローマ帝国の時代になっても皇帝の支配権は十分に及ばず、有力諸侯がそれぞれ領邦を形成してるくらいバラバラ
ゲルマン人が本当の意味で中央集権的統一国家になったのはドイツ帝国(第二帝国)から >>264
蛮族支配したブリテンエゲレスもくっそまずい >>262
クリミアゴートというゴート族の中でも最弱の部族いたんだが
皮肉にもゴート族の中で一番長く存続したらしい >>249
南はたまにベルベル人が砂漠から荒らしに来るくらいでローマからすれば蚊に刺された程度
西は大西洋で何もない
問題は略奪大好きな北のゲルマン諸部族と覇権を狙う東のササン朝 ササン朝は最後にエジプトとシリアを東ローマから奪って
一時的にアケメネス朝の領域を回復したが、その後奪い返され、
イスラムにも凹られ終了 イラクリオスもササン朝もなんでイスラムにやられちゃったのかな?
そんなにアラビア半島の人口も多かったとは思えないんだけど
互いの抗争で疲弊していた時に攻撃されたってことなのかな? 蛮族飯がまずいのはたまたま蛮族系にプロテスタントが多くてうまいもん食っちゃいけないからとかじゃなくて?
ドイツの修道院ってかなりの期間バターや砂糖禁止してたし なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 宗派というより民族的な違いに思える
ラテン系は享楽的、ゲルマン系は禁欲的 >>270
アクスムとササン朝の抗争でイエメンの農業が衰退して
イエメン農民がベドウィン化してイスラム軍の兵士になった
ムハンマドらヒジャースの戦力だけでは大征服は無理だった
575年にマアリブ・ダムが放棄されたけど当時イエメンを支配したササン朝は
ダムを修理しなかったのでイエメンは「幸福のアラビア」ではなくなった ゲルマン人は大酒飲みで大の賭好きとか書かれてるから
元の民族文化はそこまで禁欲的ではないとも思える ゲルマンの禁欲主義はけっこう挙げられるけど
同時に「奪えるもんは片っ端から奪っちまえ」な
略奪精神も全開だった点はしばしば見過ごされているよね
酷いのだと「ゲルマンはローマやフンから凶暴な略奪性を学んだ」とかの
ゴミ論調を展開してるところもあったり
ゲルマンはローマと接触する前から
思いっきり武力拡張・略奪行しまくってるのに >>261
ダキア人とケルト人は城塞に籠城してローマに抵抗したけど敗北した
ゲルマン人は森林や沼沢地で抵抗してローマ軍を撃退した
ローマは欧州の都市化を目指したけど
ゲルマンはローマを恐れて都市を建設しなかった
ゲルマンのゴート族は黒海北岸でも城壁のない集落で暮らしていた
スラブ人は城塞に住んでいたのでフン族が来ても逃げなかったけど
ゴート族は城塞に籠城出来ないので逃げ出した ダキアは頑張ればダキア文明いけただろ
ローマはなんでヌビア征服やらなかったんだろ
エジプトまでいけたんなら行けそうだけど
というかマムルーク朝とかもみんなあのへん征服しないんだよな
滝? ゴート族らのチェルニャコヴォ文化はゴート文明になりかけていた
ちょうど日本の古墳時代と同世代の文化 >>270
昔は今と違って民族意識が無かったから、現場の兵隊なんて嫌々戦っていてヤル気無かったんだよ
誰が命を捨てて本気で皇帝のために戦うだろうか?
ところが宗教軍団はその士気が本気(というか狂気)なので、東ローマやペルシアなんかの徴兵農民によるにわか軍隊ではとても太刀打ち出来なかった
ゲルマン人が強かったのは、後に中世封建制度の元になった徒士制度があり、上意下達の文化が徹底していたから
彼らは上の人間に忠誠に誓い戦うことに道徳的な意義を感じていた
だからローマ人よりも強かった
ちなみに近代国家のナショナリズム教育で国家に対する忠誠を強調したのは専ら軍事のため
自分らが属する集団への忠誠心を極限まで高めることで、強い兵を養成しようとしたわけだ
今の日本でも会社員の団結を高めるために社内運動会やらマスゲームチックなことを行うが、これも強い兵(従業員)を育成するのが目的 帝政初期の最盛ローマ軍の強さも
軍団への帰属意識と忠誠心からくる士気が土台だな > 上意下達の文化が徹底していたから
> 彼らは上の人間に忠誠に誓い戦うことに道徳的な意義を感じていた
2世紀ごろまではローマ軍団こそがこれをもっとも体現した鋼の士気持ち集団だったんだがな
でも3世紀からのじんわり衰退で・・・ 集団への帰属意識や忠誠心が篤いのは確かに強さに直結するけど
その強大な軍パワーが制御不能になるというリスクも常に抱えているよね
四皇帝の内乱でも兵たちの軍団への忠誠が強すぎるあまり
「我が軍団の名誉を回復せねば!雪辱を晴らせ!」でドナウ方面軍が暴走しちゃってるし ヤルムークの戦い
東ローマ軍のフランク人部隊の戦士たちは10人一組で足を鎖でつなぎ
逃げずにその場で死ぬという誓いを立てたという 高士気高錬度の軍集団は
外敵と戦ううえでは最高の戦力だけど
同時に内乱リスクも激増させる諸刃の剣
これが職業軍人からなる常備軍だとなおさらに ローマ軍のなかでもとくに忠誠心が高いといえばアントニウス軍だな。
カエサルのような連勝英雄についていくってのならわかるけど、
戦歴ボロボロかつクレオパトラに骨抜きにされて情けないアントニウスにあそこまでついていくとか。 >>286
西ローマ崩壊からナポレオンの時代までビザンツとオスマンを除いて欧州に常備軍はないんだよな
戦いは随時、諸侯の騎士や傭兵を召集する感じ >>287
アントニウスは結構ガリア戦記では有能だったろ
ベテランからの人望はだからあったんじゃね
寧ろ養子でいきなり割り込んできたオクタヴィアヌスに ついて行く方が凄いと思う
やっぱり正統性って大事だなあと アントニウスのパルティア遠征は
普通なら反乱しまくられてもおかしくないほどの失態だけども
この撤退時に負傷者などを先に行かせて
アントニウス自身は殿で奮戦したりしたから
兵たちの忠誠が揺らぐどころか逆にさらに強まったという
負傷者を見捨てたクラッススと大違い アントニウスは総司令官としてはダメダメだけど
前線武将としてはけっこう有能だもんな アントニウスはクレオパトラと並んで玉座に就いて
エジプト人の拝礼を受けたのが不味かったのか。 >>281
>ところが宗教軍団はその士気が本気(というか狂気)なので、東ローマやペルシアなんかの徴兵農民によるにわか軍隊ではとても太刀打ち出来なかった
東ローマはストラテゴスの私兵が主力でササーン朝は封建騎士が主体だったんだが >>281
>ゲルマン人が強かったのは、後に中世封建制度の元になった徒士制度があり、上意下達の文化が徹底していたから
これもイメージで語ってるよな
よく日欧双方の封建制を比較するときに言われることなんだが日本はタテに対してヨーロッパの封建はあくまで双務契約的なもの
だから君臣関係を解消することもできたし複数の君主に使える騎士もザラにいた
国王にしてもあくまで筆頭騎士に過ぎず家臣との関係は建前上平等
円卓の騎士にしても、みんな平等なんですよってこと示すために円卓にしてるわけだし、ここら辺は中世の農民一揆に近い クラッススは全軍の総司令官だから危険地帯から逃げるのは別にいいのよ
織田信長も金ケ崎城攻めのとき同じことやってたし
むしろ部下なのにトップの窮地を見捨てたカシウスのほうが問題
内乱でもポンペイウス陣営からカエサル陣営に寝返るわ
寝返りを許してくれたカエサルを自らの都合で滅多刺し
結果だけみると三頭政治の三人全員に害を与えた極悪人に見えなくもない >>270
鐙の普及で軍事バランスが変化したようだね
鐙の普及以前はイラン系民族とバルカン出身者がカタフラクトをやっていた
パルミラのカタフラクトはアラブ人じゃなくてパルティア人の傭兵だった
鐙の普及でアラブ人自身がカタフラクトをやるようになり
イラン人に勝てるようになったようだ
同じく鐙の普及でアナトリア出身者がカタフラクトをやるようになり
東ローマ帝国は延命する事が出来たようだ
アナトリア出身者がカタフラクトをやるようにならなければ
バルカンのスラブ化でカタフラクトをやる者がいなくなって
東ローマ帝国はササン朝に滅ぼされていただろう ベリサリウスの軍隊がゲルマンの大軍に圧勝したのは主力が重装弓騎兵だったからって本当かな 日本人は一方的にドイツに好意もってるやつが多いのが不思議だ
逆なんてほとんどないのに イギリスと日本が似てるとか言ってるのも世界中で日本人だけだしな >>303
右側通行
膨大な量の借用語(漢語、ラテン語)が存在し、それが無いと固有語だけではろくに文章も書けない
さらに借用するだけでなく和製漢語や英製ラテン語を造語までする >>302
ドイチュ人って人間の屑だらけなのにな
他の先進諸国は当然としてブラジルやメキシコより酷い ローマの麦粥はどんなものだったのか調べても分からん。
エンマー麦というのがどんな作物なのか、調べても「小麦に近い」
としか出てこない。オートミールを代用品にしていいものか…。
かといって、湯を沸かして小麦粉を投入してかき混ぜると、
出来るのは見事なヤマト糊。 >>304
たったそれだけ?ならよっぽどお隣韓国との共通点のほうがよっぽど多いと思うけどな
何で韓国と日本は似てるって言われないんだろうな 韓国と日本の共通点
お家主義、タテ社会、学歴主義、年功序列、滅私奉公、保守的、民族主義、本音と建て前、白黒はっきりしたことを嫌う
企業が強く労働者の地位が低い、母子分離が曖昧で大人になっても母親とべったり、男性は正規雇用志望が強く、女性は専業主婦願望が強い
他人にどう見られているか気にする傾向があり、男性でも美容やファッションに強い関心を持つなど世界でもまれな文化を形成している
ともに漢語や漢文化の影響が極めて強く、民族固有文字のみでは文章が成り立たないほど
ただし韓国では国語造成運動によってこの状況を打開
敬語や双方の上下関係によって語形すら変化するのも共通
思想的にも儒教、中国仏教の影響を強く受けているがムーダンや神道など血縁を基盤とするアミニズム文化が今でも根強く残っている >>310
どちらも系統関係不明の孤立言語だがアルタイ系諸語と多くの共通点を共有する
SOV語順の膠着語
全く同一の助詞まで複数存在する(ガ、カ、ヨ) 人口・政治・経済・産業・文化・歴史・観光・魅力等から総合的に見て
日本で都会と言えるのは
東京 、大阪、名古屋、横浜、神戸、京都、札幌、福岡、仙台、広島の10都市
あとは田舎 >>306
小麦とかトウモロコシのヤマト糊わちゃんと料理すりゃ美味いよ 憎悪がすごすぎるのと反日思想がやばすぎてあらゆる違いが大きくて認めたくないのは分かるが
世界レベルで見たら日本と韓国は似たような国
平たい顔も米文化もオタクくさい絵が描けるのも
だからエキスポジャパンに韓国が混じってても現地の人は誰も気にしないし、世界にあるリトル東京が
韓国商品や食べ物まじってても誰も気にしない 古代ローマ史入門編のオススメは何がいいのかな?
やはり塩野七生? 日本自体が韓国文化の派生で産まれた国だから
百済韓族の名門中の名門扶余族が出兵して、ヤマトに置いた将軍府が天皇制の始まり 欧州の主要都市って殆どローマ時代に原型ができたものなんだな
ロンディニウム、ウィンドボナ、パルキノ、アクアエ・グラニ、コロニア、
ハドリアノポリス、アクインクム、ルテティア、ルグドゥヌム、フェリキタス・ユリア 下らない大嘘並べてないで、ローマについて語りませう ギリシャ マケドニア、ビザンツ
イタリア ローマ帝国
アラビア イスラム帝国
スペイン 太陽の沈まぬ国
ポルトガル ルゾフォニア
朝鮮 千年属国 >>319
ゲルマンは長年にわたりローマと境を接していたけど
ローマを恐れて征服対象になる都市を建設しなかった 実際ローマが滅んでゲルマン諸王国が乱立したはいいが
文明のレベルがガタ落ちだしな ゲルマン人は元々造る習慣がなかったけど
先住民のケルト人らの城塞が残っていた
ゲルマン人は城塞に籠城するとローマ軍に
包囲されてしまうので城塞を使用しなかった
ケルト人らの城塞は廃墟になっていった >>268
共和政後期〜末期にやたら歴史に出てきたヌミディアの連中って、帝政期はどうなったんだ?
ヌミディア騎兵の優位性はすっかり消え去った? >>316
今いちばん手に入りやすいのは塩野だと思う。初心者にも読みやすいし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています