古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】32 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>389
その3人は本人じゃなく項羽に問題があっただろ
……って言わせたいんだろw まだ匈奴の冒頓単于がいるのに
粛清するのが早過ぎた こういう軍事超優秀だけど人としてはぶっ壊れてるようなハチャメチャなキャラ好き ドラマROMAだとキ○ガイにしか見えなかったアントニウス
史実だとどうだったのかな 韓信、英布、彭越も劉邦が信頼しすぎたせいで呂后に殺されたようなものだからな
元敵陣営の名将を兵権もたせたまま放置しとくとかヤバすぎだろ スエトニウス・パウリヌスも人格破綻とまではいかないにしても
厳しすぎる気性と強すぎる我が四皇帝内乱期の空回りにつながってキャリアを潰した感じだな おかげで匈奴にやられ放題
衛青、霍去病と自前の武将が育つまで貢納を余儀なくされた >>382
ルシウス・クィエトゥスは東ローマならロマノス4世かな
ロマノス4世を皇帝にしてしまったので東ローマ首脳は
セルジューク朝と講和したいのに講和出来なかった 世界史詳しくなる前まで、ローマのあのカトリックな雰囲気と、あのグラディエーターなローマが地続きだったことに驚いた 匈奴に臣従するってローマだとゲルマニアの蛮族にローマ皇帝が頭下げるようなもんか
しかも衰退期でもない勢いのある初代がそれやっちゃったとか救いようがない
粛清の時期の悪さも含めて評価できねない
項羽との戦いで力尽きちゃったのか >>401
最近研究が進んできて匈奴はかなり高度な文明を持っていたことが明らかになってる
ゲルマニアというよりパルティアに負けたようなもん
カエサルだって暗殺されなかったらパルティアの捕虜になってたかも知れんぜ? 劉邦は項羽との戦いののちに匈奴とも戦ってるよ
負けたけど
項羽倒すために大盤振る舞いしすぎたし粛清はしょうがないでしょ
動乱が続いていた分国力も落ちてるし無理しなかったのは賢明だと思うわ 匈奴は六カ国連合軍と共に秦に攻め込んで負けたようなクソザコナメクジだからな
楚漢戦争と続く内乱で疲弊しまくった漢相手に一歩も攻め込めなかったし
パルティアもクラッススにまぐれ勝ちしてぐらいでその後はジャン負けに負けて負け続けて
何度も王侯貴族が曝し首にされてるザコでローマが内乱に明け暮れて無ければとっくに滅ぼされていただろうよ 匈奴は始皇帝の派遣した蒙恬の秦軍30万に対して
匈奴だけでは勝ち目がないのであっさり敗走した
東胡や丁零を征服して兵力を増強した匈奴は
40万の大軍で劉邦の漢軍32万を包囲出来た
匈奴と月氏と東胡は互角の兵力だったようだけど
匈奴は東胡や丁零を征服して兵力を増強した
月氏はサカ族を追い払い烏孫は月氏を追い払ったけど
月氏がサカ族を追い払わずに同盟したり支配したのならば
烏孫が月氏を追い払わずに同盟したり支配したのならば
月氏や烏孫は匈奴と互角の兵力になったのかも 劉邦が包囲されたのって
迂闊にあちこちへ軍を分散させて10万しか手勢がない時じゃなかったっけ キュロスはマッサゲタイ相手に戦死したし、ダレイオスだって戦いを続けていたらキュロスの二の舞になっていたと思う。
それを踏まえてローマは遊牧民相手には冒険に出なかったのではないか。その所為であとでフン族にヒャッハーされるけど。 >>372
そういえばカエサルってパーフェクト超人扱いされているけど
戦国時代のどこかの国1国を完全に支配していれば統一出来ただろうか・・・
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6473175
(カエサル登場は14分16秒)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5400182
(カエサル登場は22分10秒) >>407
韓信「陛下はせいぜい十万の兵の将です」 >>409
カエサルの超人的な成果は割と結果論な部分もあるからなぁ
負けた回数も少なくないし、勝っても危なかった戦いも多い
桶狭間で勝ちまくったような運の良さ
まあ運を引き寄せるのも実力だよと言われればそうかもしれないが・・・ てか古代人は優秀な人材を身内もめで簡単に殺し過ぎよな
優秀なやつそんなポンポン出てこないのにさ 人殺すってことに抵抗なさすぎるよな古代、中世の人って 曹操とか才能のある奴に限っては殺すのを躊躇ったぞ。 >>408
マルコマンニ戦争後半は積極攻勢にでて
イアジュゲス族をとことん追い詰めたからローマもやる時はやってる
あと迎撃戦の経験ならロクソラニ族やアラニ族も追い返していてけっこう豊富
フン族にヒャッハーされたのは単純に衰退してこれら過去のタフな強さを失ったからじゃないかな >>414>>415
そういう観点ならむしろ近代から20世紀前半あたりが一番ヤバイと思うよ
虐殺も身内粛清もスケールが桁違い 古代人「殺しすぎ?スターリンや毛沢東やポルポトが現れた時代の連中に言われたくないわ」 >>414
内輪もめで優秀な身内が粛清されるのは
古代にかぎったわけじゃなくいつの時代でも当たり前のことだろ
それにローマについてはよく抑えてるほうだから
>>372の面子だって粛清されたの二人(反乱死含めて三人)しかいない
20世紀共産圏で吹き荒れた粛清嵐に比べたらずっとマシ >>420
マリウスやらスッラやらティベリウスやらがやった粛正は割合としてはヤバイだろ
当時の指導層の1/3とかを一度に殺すのはさしもの毛沢東やスターリンですらやってない(できなかった) ただの粛清ってより、とにかく優秀なやつを殺すのほんとアホ
しかもその後自分たちで困ってるし モンタネッリがガイウス・マリウスをボロくそに書いててわろた
ゲルマン人に勝ったのも、「蛮族は隊列を組むということを知らないから勝てただけ」だと マリウスいなかったらローマ滅んでたかもしれないのにな 実際はゲルマン人もがっちり盾の壁組んでたみたいだしね
密集した楔隊形についてもタキトゥスが書いてる 3分の1?甘い甘い
スターリン何て人民委員代理全員を抹殺したんだから指導者粛清率は100%だよ
州委員会と言った末端の連中まで丹念に一人づつ真心を込めて9割方殺してるwww >>426
大粛正で殺されたトゥハチェフスキー等の有能軍人がもし生き残ってたら
第二次大戦はどれだけマシになってたんだろうな スターリンがジャップを征服してくれていたら
間違いなく日本は良くなっていたな
マイノリティの権利は尊重されていただろう
インターナショナリズムに基づいて
偏狭な日本的島国文化は撲滅され人権重視の
国になったに相違ない
アイヌ自治共和国、琉球自治共和国、在日コリアン自治管区などが生まれていて、今より自由だったろう 元帥5人中3人、
国防次官11人中全員、軍管区司令官15人中全員、最高軍事会議のメンバー80人中75人、軍団長85人中62人、師団長195人中110人、旅団長406名中220人
連隊長4分の3を抹殺
1937年から38年のたった1年間でこれだけ
また1934年の党大会に出席した議員のうち、その5年後の1939年党大会まで生存できたのはわずか3%に過ぎなかった
まぁカンボジアの14歳以上人口の86%を粛清したポルポト同志には負けるけどねぇ〜 >>428
君は北朝鮮に行って尊重してもらえばいいんでね? >>430
北朝鮮のエリートって日本の庶民より生活水準低くね?
それでいて死の恐怖もあるし・・・ >>427
ドイツとソ連でポーランドを挟み撃ちするだろうけど
ドイツが英仏と交戦したらソ連はドイツを攻めたかも
スターリンは海軍拡張を優先してドイツを攻めなかった
トゥハチェフスキーらは海軍拡張に反対だった >>434
やっぱそうなるよな
第二次大戦は早期に終結して、ソ連で量産された死体も大分減った
まあ日中戦争はそれ以前から始まってたから史実以上に泥沼化したかもしれんけど ソ連の最後は印象的だったな。立ち枯れというか生き腐れというか。
あれほど強権的な国家体制が、国民からも軍からも無視されて、
春の雪みたいに溶けて流れてしまった。 >>436
あれだけ強大な軍がそのまま残っていたにも関わらず崩壊したの、本当に不思議だよね 「あいつ有能すぎて人気集めすぎ」
「せや、みんなで殺そうやw」
「せやせや!」
ぶすーっ!殺したったわー!
「邪魔ものいなくなったー!・・・けど軍率いるノウハウとか、今後誰がどないすんの?」
「さあw知らんしw」
文化大革命も似たことあったなあ
文化大革命 古代や中世は人の命軽すぎとかよく言われるけど
やっぱ二十世紀の共産世界が一番やべえわ >>421
完全に逆だろ
スターリンがやった政治指導部皆殺しなんてマリウスやスッラすらもできなかった >>442
いや意味は明確だろ
共感できるかどうかは別として 「終身独裁官」とか元老院派の思想的には発狂レベルの凶行だし
意味不明どころかその逆で超単純でわっかりやすい流れだと思うぞ
「なぜカエサルを殺したのか」という元老院派の動機よりも
むしろ逆に「こうなる可能性高かったのになんで元老院派を恩赦したのよ」とカエサルの判断を問うべき >>417
ローマ軍が展開した地域はドナウ川河畔を超えていないのに対し、
ダレイオスはドナウ川を越えてドニエプルを渡りさらにドン川流域まで到達している。
作戦の規模も誇張はあるだろうが70万とか桁違い。 >>442
カエサルは王になる野心を剥き出しにしつつあったし
民衆はそれに明らかに反対だったからな
古くから家族ぐるみの付き合いのある元老院議員達も、新参の蛮族達を元老院に連れ込むカエサルを疎んじてる
ここまで大義名分が用意されてりゃ、ローマを共和国に変えた英雄ブルータスの子孫としてやるしかないだろ
どっちかというとやった後の手際がお粗末だったな
彼にオクタウィアヌスの半分でも手腕があったら、いずれ帝政は避けられなかったとしても、あと何十年か共和政が続いたんじゃないか? >>445
> ローマ軍が展開した地域はドナウ川河畔を超えていないのに対し、
一応はボスポラス王国関連の動乱でドン川流域にも何度か派兵してる
そんでシラケス族を負かしたりもしてる >>445
ダレイオス一世の遠征軍規模は実際は
10〜7万程度とされているから桁違いってほどではない それでも多いわ
より近場で兵糧確保しやすいギリシャ侵略ですら
全軍合計でも実際は多くて10万程度って水準だから
遥かに遠い黒海北岸には多くても5万くらいしか展開できなそう >>446
>民衆はそれに明らかに反対だったからな
はぁっ?カエサルの支持層は最初から最後まで無産市民だが 敵の数を盛ることはどこでもやってるけど
オリエント圏は「圧倒的大軍によって叩き潰すのかっけー!」なタイプだから
自軍の数も盛ってナンボな風潮がある
そのためギリシャ視点だろうがオリエント視点だろうがどの記録でもオリエント側はインフレしがち
いっぽうギリシャやローマは自軍の数はほとんど盛らないか
逆にわざと少なく著述することもある
「少数で圧倒的多数を蹴散らすのかっけー!」なタイプ >>450
ルペルカリア祭の逸話をどう捉えるとそういう考え方になるんだ? 帝政ローマって古代書物にくわえて、
具体的活動がわかる駐屯地跡も大量に発見されてるし、
「我が軍団は○○の戦役に参加しました」な記念碑や墓碑も山ほどあるし、
軍内の事務の木簡手紙も見つかってるし、
それらのおかげで部隊編成もけっこう細かくわかってるから、
古代の他文明に比べて軍の活動実態や規模をけっこう割りだしやすいんだよね。 ルペルカリア祭の逸話とか知らんがな
カエサルは民主派の頭目だよ?こいつらがどんな手段を使ってのし上がっていったか知ってる? >>446
共和政創始者のブルータスと暗殺した方のブルータスは全く血縁関係ないんだけど
半年ROMってろよクソにわか 帝政初期は常備軍制で軍団や補助大隊それぞれに
名前とアイデンティティがあってかっちり編成されているから
そんな世でローマ軍の数誇張すれば同じローマの識者や軍務経験者から
「んなわけあるか」と速攻で突っ込みはいるという事情も >>456
実際にどうだったかよりも当時どう思われていたかを重視した方が良いと思いますが... オクタヴィアヌスもカエサルの子として振る舞って権力を握っていったしな 「5万対5万」を「5万対50万」にするのがギリシャやローマ
「5万対5万」を「50万対5万」にするのがオリエント
「5万対5万」を「50万対50万」にするのが中国 マルクス・ブルートゥスにそこまでの影響力はない
反対派の主だったポンペイウスもラビエヌスも小カトーは既に死んでる
あとは小物過ぎて粛清するまでも無かったんだろ
カシウスだけはもしかしたらパルティア遠征の為に生かしておいたのかもしれん
バッススがいれば必要なさそうだけど予備として 塩野七生史観剥き出しにするのやめーや
あの人のカエサル評はかなり狂ってる
「カエサルは政治の私生活への干渉は許されないと考えていたはずだ」とか、思いっきり妻や娘を政略の道具に使ってる人間への評によく言えたもんだと思うわ 怠け者の俺ならカエサル先輩あがめて仕事全部やってもらう 狂ってるんじゃなくて好きなだけでしょ
ロマ物書いた理由がカエサルに対する情熱だからな
その結果が建国から西ローマ滅亡までの長編作になったというね >>463
カエサルってその辺かなり厳しかったぞ
身内の奴隷に与える罰は重かったと伝えられてる >>460
中国は「5万対5万」を「5千対50万」にして大勝利にするんだよ
過小評価するな >>464
好きなのと黒を白と言い張るのとは別だと思うの
それにカエサルを持ち上げるあまりキケロを馬鹿にしすぎ
「時代を読んだカエサルの意図がキケロには理解できなかった」って
結局その後の帝政ローマを形作ったのは、カエサルが目指した王政じゃなくて、キケロが論理的に整理したプリンキパトゥス制だろうがっていう ドン川からイタリア第8軍が逃亡した所為で枢軸軍が総崩れになり、
スターリングラードのドイツ第6軍が全滅したという。 カエサルはそもそも王政を目指してたのかという問題が…
優秀な指導者による独裁政治をやろうとしてたのはわかるが カエサルは歴史上語られまくってるけど史実のカエサルはどうだってなると一気に信頼できる史料なくなるね
プルタルコスやらスエトニウスを「史実」とするのはしんどかろう >>449
何故ダレイオス1世はトラキア経由で
遠回りしてスキタイを攻めたのだろう?
アゼルバイジャンから北上するか
ホラズムから遠征する方が容易なはず
あるいは同時にアゼルバイジャンか
ホラズムからも派兵して挟撃すれば
スキタイらを捕捉出来たはず >あるいは同時にアゼルバイジャンか
カフカ―ス山脈に遮られ大軍が行軍できない。
>ホラズムからも派兵して挟撃すれば
恐らくマッサゲタイに大敗した記憶があって避けたんだろう。 >一応はボスポラス王国関連の動乱でドン川流域にも何度か派兵してる
>そんでシラケス族を負かしたりもしてる
ダレイオスのように大量の船を用意して軍糧を運ばせたとか
ダーダネルス海峡に船で橋を架けたとか大規模な作戦ではなくて、
ヒットアンドアウェイ的な小規模な展開じゃないか? >>475
カスピ海西岸に沿ってアゼルバイジャンから
ダゲスタンには大軍が通行出来た
ダレイオス1世の治世にはマッサゲタイは
アケメネス朝の領民でマッサゲタイ兵も
ダレイオス1世は動員出来た >カスピ海西岸に沿ってアゼルバイジャンから
>ダゲスタンには大軍が通行出来た
史実でここを大軍で通過したのはスキタイのマデュエスと
ティムールぐらいじゃないか?いずれも遊牧民の兵力。
>ダレイオス1世の治世にはマッサゲタイは
>アケメネス朝の領民でマッサゲタイ兵も
>ダレイオス1世は動員出来た
スキタイとの戦いに連れてくといつ寝返られるか分からんだろ。 >>478
いつ寝返られるかわからんと言えば遠回りすると
トラキアとかもいつ反乱を起こすかわからんし
無事にペルシア本国に帰れるとは限らん
アゼルバイジャンからならばペルシア本国から
北上だからより確実だったはず そもそもこのダレイオス1世のスキタイ遠征は史実だったのか?
西からペルシャ軍に攻められたスキタイとサウロマタイらは
南東のペルシャ本国方面に逃げそうだけど民族移動しなかった
サウロマタイの領土はカフカス山脈の北でペルシャの隣国だった
似たような例だとアウグストゥスがゲルマニアを西から攻めると
ローマ軍に敗れたマルコマンニ族がボヘミアへ南下移住してしまい
マルコマンニ族は元々ローマの隣国ではなかったけど
ローマの属州ノリクムに接するようになった >>476
ヒットアンドアウェイというか属国ボスポロスに駐屯してた ローマは前一世紀にボスポラス王国の宗主権獲得に成功して
軍を駐屯させて二世紀まで実効支配を堅持したから
結果についてはペルシアよりもローマのほうが成功してるな
クリミアのギリシャ植民市群を有効活用できたかどうかの差かな フン族が攻めてきた時にはポスポロスに
ローマ軍は駐屯していなかったのか? クリミアにおける最大のローマ軍駐屯地は、半島南端のカラクスにて一世紀初頭に築かれたもので、
第一軍団イタリカ、第七軍団クラウディア、ラヴェンナ艦隊らそれぞれの分遣隊や複数の補助大隊が駐屯。
ただし三世紀後半に放棄しローマ正規軍は完全撤退。 三世紀半ばのドナウ圏での対ゲルマン戦争のために呼び戻されたようだね >>484
その時代の駐屯地って小さな町みたいな感じなの? >>486
ローマ軍の恒常的な大きな駐屯地は元からある都市に隣接して作られたか、
あるいは周りに民間居住区が形成されるパターンが多かったから、しばしば軍事都市化した。
このクリミア半島のカラクスもその形態。 間違った>>484
第七軍団じゃなく第十一軍団クラウディアだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています