古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】32 [無断転載禁止]©2ch.net
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元帥5人中3人、
国防次官11人中全員、軍管区司令官15人中全員、最高軍事会議のメンバー80人中75人、軍団長85人中62人、師団長195人中110人、旅団長406名中220人
連隊長4分の3を抹殺
1937年から38年のたった1年間でこれだけ
また1934年の党大会に出席した議員のうち、その5年後の1939年党大会まで生存できたのはわずか3%に過ぎなかった
まぁカンボジアの14歳以上人口の86%を粛清したポルポト同志には負けるけどねぇ〜 >>428
君は北朝鮮に行って尊重してもらえばいいんでね? >>430
北朝鮮のエリートって日本の庶民より生活水準低くね?
それでいて死の恐怖もあるし・・・ >>427
ドイツとソ連でポーランドを挟み撃ちするだろうけど
ドイツが英仏と交戦したらソ連はドイツを攻めたかも
スターリンは海軍拡張を優先してドイツを攻めなかった
トゥハチェフスキーらは海軍拡張に反対だった >>434
やっぱそうなるよな
第二次大戦は早期に終結して、ソ連で量産された死体も大分減った
まあ日中戦争はそれ以前から始まってたから史実以上に泥沼化したかもしれんけど ソ連の最後は印象的だったな。立ち枯れというか生き腐れというか。
あれほど強権的な国家体制が、国民からも軍からも無視されて、
春の雪みたいに溶けて流れてしまった。 >>436
あれだけ強大な軍がそのまま残っていたにも関わらず崩壊したの、本当に不思議だよね 「あいつ有能すぎて人気集めすぎ」
「せや、みんなで殺そうやw」
「せやせや!」
ぶすーっ!殺したったわー!
「邪魔ものいなくなったー!・・・けど軍率いるノウハウとか、今後誰がどないすんの?」
「さあw知らんしw」
文化大革命も似たことあったなあ
文化大革命 古代や中世は人の命軽すぎとかよく言われるけど
やっぱ二十世紀の共産世界が一番やべえわ >>421
完全に逆だろ
スターリンがやった政治指導部皆殺しなんてマリウスやスッラすらもできなかった >>442
いや意味は明確だろ
共感できるかどうかは別として 「終身独裁官」とか元老院派の思想的には発狂レベルの凶行だし
意味不明どころかその逆で超単純でわっかりやすい流れだと思うぞ
「なぜカエサルを殺したのか」という元老院派の動機よりも
むしろ逆に「こうなる可能性高かったのになんで元老院派を恩赦したのよ」とカエサルの判断を問うべき >>417
ローマ軍が展開した地域はドナウ川河畔を超えていないのに対し、
ダレイオスはドナウ川を越えてドニエプルを渡りさらにドン川流域まで到達している。
作戦の規模も誇張はあるだろうが70万とか桁違い。 >>442
カエサルは王になる野心を剥き出しにしつつあったし
民衆はそれに明らかに反対だったからな
古くから家族ぐるみの付き合いのある元老院議員達も、新参の蛮族達を元老院に連れ込むカエサルを疎んじてる
ここまで大義名分が用意されてりゃ、ローマを共和国に変えた英雄ブルータスの子孫としてやるしかないだろ
どっちかというとやった後の手際がお粗末だったな
彼にオクタウィアヌスの半分でも手腕があったら、いずれ帝政は避けられなかったとしても、あと何十年か共和政が続いたんじゃないか? >>445
> ローマ軍が展開した地域はドナウ川河畔を超えていないのに対し、
一応はボスポラス王国関連の動乱でドン川流域にも何度か派兵してる
そんでシラケス族を負かしたりもしてる >>445
ダレイオス一世の遠征軍規模は実際は
10〜7万程度とされているから桁違いってほどではない それでも多いわ
より近場で兵糧確保しやすいギリシャ侵略ですら
全軍合計でも実際は多くて10万程度って水準だから
遥かに遠い黒海北岸には多くても5万くらいしか展開できなそう >>446
>民衆はそれに明らかに反対だったからな
はぁっ?カエサルの支持層は最初から最後まで無産市民だが 敵の数を盛ることはどこでもやってるけど
オリエント圏は「圧倒的大軍によって叩き潰すのかっけー!」なタイプだから
自軍の数も盛ってナンボな風潮がある
そのためギリシャ視点だろうがオリエント視点だろうがどの記録でもオリエント側はインフレしがち
いっぽうギリシャやローマは自軍の数はほとんど盛らないか
逆にわざと少なく著述することもある
「少数で圧倒的多数を蹴散らすのかっけー!」なタイプ >>450
ルペルカリア祭の逸話をどう捉えるとそういう考え方になるんだ? 帝政ローマって古代書物にくわえて、
具体的活動がわかる駐屯地跡も大量に発見されてるし、
「我が軍団は○○の戦役に参加しました」な記念碑や墓碑も山ほどあるし、
軍内の事務の木簡手紙も見つかってるし、
それらのおかげで部隊編成もけっこう細かくわかってるから、
古代の他文明に比べて軍の活動実態や規模をけっこう割りだしやすいんだよね。 ルペルカリア祭の逸話とか知らんがな
カエサルは民主派の頭目だよ?こいつらがどんな手段を使ってのし上がっていったか知ってる? >>446
共和政創始者のブルータスと暗殺した方のブルータスは全く血縁関係ないんだけど
半年ROMってろよクソにわか 帝政初期は常備軍制で軍団や補助大隊それぞれに
名前とアイデンティティがあってかっちり編成されているから
そんな世でローマ軍の数誇張すれば同じローマの識者や軍務経験者から
「んなわけあるか」と速攻で突っ込みはいるという事情も >>456
実際にどうだったかよりも当時どう思われていたかを重視した方が良いと思いますが... オクタヴィアヌスもカエサルの子として振る舞って権力を握っていったしな 「5万対5万」を「5万対50万」にするのがギリシャやローマ
「5万対5万」を「50万対5万」にするのがオリエント
「5万対5万」を「50万対50万」にするのが中国 マルクス・ブルートゥスにそこまでの影響力はない
反対派の主だったポンペイウスもラビエヌスも小カトーは既に死んでる
あとは小物過ぎて粛清するまでも無かったんだろ
カシウスだけはもしかしたらパルティア遠征の為に生かしておいたのかもしれん
バッススがいれば必要なさそうだけど予備として 塩野七生史観剥き出しにするのやめーや
あの人のカエサル評はかなり狂ってる
「カエサルは政治の私生活への干渉は許されないと考えていたはずだ」とか、思いっきり妻や娘を政略の道具に使ってる人間への評によく言えたもんだと思うわ 怠け者の俺ならカエサル先輩あがめて仕事全部やってもらう 狂ってるんじゃなくて好きなだけでしょ
ロマ物書いた理由がカエサルに対する情熱だからな
その結果が建国から西ローマ滅亡までの長編作になったというね >>463
カエサルってその辺かなり厳しかったぞ
身内の奴隷に与える罰は重かったと伝えられてる >>460
中国は「5万対5万」を「5千対50万」にして大勝利にするんだよ
過小評価するな >>464
好きなのと黒を白と言い張るのとは別だと思うの
それにカエサルを持ち上げるあまりキケロを馬鹿にしすぎ
「時代を読んだカエサルの意図がキケロには理解できなかった」って
結局その後の帝政ローマを形作ったのは、カエサルが目指した王政じゃなくて、キケロが論理的に整理したプリンキパトゥス制だろうがっていう ドン川からイタリア第8軍が逃亡した所為で枢軸軍が総崩れになり、
スターリングラードのドイツ第6軍が全滅したという。 カエサルはそもそも王政を目指してたのかという問題が…
優秀な指導者による独裁政治をやろうとしてたのはわかるが カエサルは歴史上語られまくってるけど史実のカエサルはどうだってなると一気に信頼できる史料なくなるね
プルタルコスやらスエトニウスを「史実」とするのはしんどかろう >>449
何故ダレイオス1世はトラキア経由で
遠回りしてスキタイを攻めたのだろう?
アゼルバイジャンから北上するか
ホラズムから遠征する方が容易なはず
あるいは同時にアゼルバイジャンか
ホラズムからも派兵して挟撃すれば
スキタイらを捕捉出来たはず >あるいは同時にアゼルバイジャンか
カフカ―ス山脈に遮られ大軍が行軍できない。
>ホラズムからも派兵して挟撃すれば
恐らくマッサゲタイに大敗した記憶があって避けたんだろう。 >一応はボスポラス王国関連の動乱でドン川流域にも何度か派兵してる
>そんでシラケス族を負かしたりもしてる
ダレイオスのように大量の船を用意して軍糧を運ばせたとか
ダーダネルス海峡に船で橋を架けたとか大規模な作戦ではなくて、
ヒットアンドアウェイ的な小規模な展開じゃないか? >>475
カスピ海西岸に沿ってアゼルバイジャンから
ダゲスタンには大軍が通行出来た
ダレイオス1世の治世にはマッサゲタイは
アケメネス朝の領民でマッサゲタイ兵も
ダレイオス1世は動員出来た >カスピ海西岸に沿ってアゼルバイジャンから
>ダゲスタンには大軍が通行出来た
史実でここを大軍で通過したのはスキタイのマデュエスと
ティムールぐらいじゃないか?いずれも遊牧民の兵力。
>ダレイオス1世の治世にはマッサゲタイは
>アケメネス朝の領民でマッサゲタイ兵も
>ダレイオス1世は動員出来た
スキタイとの戦いに連れてくといつ寝返られるか分からんだろ。 >>478
いつ寝返られるかわからんと言えば遠回りすると
トラキアとかもいつ反乱を起こすかわからんし
無事にペルシア本国に帰れるとは限らん
アゼルバイジャンからならばペルシア本国から
北上だからより確実だったはず そもそもこのダレイオス1世のスキタイ遠征は史実だったのか?
西からペルシャ軍に攻められたスキタイとサウロマタイらは
南東のペルシャ本国方面に逃げそうだけど民族移動しなかった
サウロマタイの領土はカフカス山脈の北でペルシャの隣国だった
似たような例だとアウグストゥスがゲルマニアを西から攻めると
ローマ軍に敗れたマルコマンニ族がボヘミアへ南下移住してしまい
マルコマンニ族は元々ローマの隣国ではなかったけど
ローマの属州ノリクムに接するようになった >>476
ヒットアンドアウェイというか属国ボスポロスに駐屯してた ローマは前一世紀にボスポラス王国の宗主権獲得に成功して
軍を駐屯させて二世紀まで実効支配を堅持したから
結果についてはペルシアよりもローマのほうが成功してるな
クリミアのギリシャ植民市群を有効活用できたかどうかの差かな フン族が攻めてきた時にはポスポロスに
ローマ軍は駐屯していなかったのか? クリミアにおける最大のローマ軍駐屯地は、半島南端のカラクスにて一世紀初頭に築かれたもので、
第一軍団イタリカ、第七軍団クラウディア、ラヴェンナ艦隊らそれぞれの分遣隊や複数の補助大隊が駐屯。
ただし三世紀後半に放棄しローマ正規軍は完全撤退。 三世紀半ばのドナウ圏での対ゲルマン戦争のために呼び戻されたようだね >>484
その時代の駐屯地って小さな町みたいな感じなの? >>486
ローマ軍の恒常的な大きな駐屯地は元からある都市に隣接して作られたか、
あるいは周りに民間居住区が形成されるパターンが多かったから、しばしば軍事都市化した。
このクリミア半島のカラクスもその形態。 間違った>>484
第七軍団じゃなく第十一軍団クラウディアだった。 蛮族純度高い国家ドイツって今でもEUで嫌われてるの? コーカソイド社会では蛮族の王者モンゴロイドの血が濃いほど嫌われるよ ここはコーカソイドから最も蔑まれてる平たい顔族が畏れ多くもローマ人になりきるスレだからな >>310
日本人というのは不思議な民族だ
ヨーロッパ系や中東系などのコーカソイド系人種との誰も気にもしないような小さい共通点を見つけては「俺達は似てる」と主張したがるのに、韓国人との多すぎる共通点は全て見えないフリをするんだから >>460
中国は5万対5万を5万対5万と記録する、基本的に公文書や公記録準拠 >>472>>480
モンケやクビライも守り固めてる長江中下流を避けて
ぐるっと四川やチベットから雲南へ抜けたり為てるし
武田信玄も木曽から美濃へ抜けず南下して徳川領を蹂躙してるし
割と常道なんじゃね 末端の兵士まで識字層で個々の兵士が残した手紙や日誌が残ってるローマと違って
文盲が多い中国はよくわからんことが多い
20世紀に入っても将校クラスでも文盲がザラで毛沢東も采配にてこずってたぐらいだからな 中国でも王朝が安定していて軍の管理がしっかりされている時代なら
けっこう正確な現場記録や考古学的史料ものこってる
でも王朝衰退期や大乱期になると一気に欠落して
著述もファンタジー化の振り幅が大きくなる
ってかこれは中国のみらなずローマ含めた全世界に共通する現象だな ローマ軍も4世紀あたりから活動実態がやや曖昧になっていくしなあ 全盛期の頃ですら中国はよくわからんことが多い
陳勝・呉広の乱では文官である章邯が囚人を解放して作った即席軍が主力になるありさまだけど蒙恬の率いてた数十万単位の遠征軍は一体どこに行ってしもうたん?
しかも反乱軍はどの陣営も10万単位の兵力を繰り出してるけど、こいつらも一体どこから出てきたんだぜ・・
隋末期の府兵や反乱軍もそうだけど中国史は大兵団が一夜にして消えて現れることが多すぎる 戦争に関わってる全員をカウントしてたんじゃね
後方基地になってる町の住民全員とか 陳勝・呉広の乱は秦による初の中国統一がなされたから10年後のことで
国力的には秦の絶頂
煬帝も陳滅ぼして晋以来数百年ぶりに中国統一&新隋派の突厥も味方につけ最盛期
だから突厥から真っ向から喧嘩売ろうとしてたわけで
現実は前哨戦のはずの高句麗戦でぽしゃったけど その点、恒久的な駐屯地跡が全土各地で実際に見つかっていて
兵の出所がはっきりしている帝政初期ローマはわかりやすいな。 兵農分離が進んでいない軍隊は負けると四散して流民化あるいは土着化 青州兵の最期も謎だよな
議略によると「太祖が崩御されると臧覇所属の兵と青州兵は天下が乱れようとしていると想い、太鼓を鳴らしながらどこかに去っていった」
とか勝手に帰っていいんだ・・・ >>489
ローマ軍がボスポロスから撤退したから
ゴート族がエーゲ海にまで侵入して
エフェソスを襲撃したりしたわけだね ダメ ここはローマ史スレだから
時々脱線する程度なら古代ギリシアの話題もOK >>512
こっちはそこまで過疎っていないしローマってだけでも範囲広すぎるからだめ このスレって数十スレ周期で脱線したりローマの話題に回帰したりの繰り返しだな
>>501
唐の西方駐在兵とかも謎多いよね(特に末期)
最末期の一文字銭とかは特に哀愁誘う マクセンティウスがコンスタンティヌスに大勝したらまた多神教の世界に戻ったのかね どうだろ
あの人ならキリスト教の徹底的弾圧はしないだろうし
どうせ数十年後には同じ結果でしょ ディオクレティアヌスが強引にマクシミアヌスを退位させて
コンスタンティウス・クロルスを正帝にしたのがまずかった
父が副帝のまま亡くなったのならばコンスタンティヌス1世も
副帝のまま満足してガリアで生涯を終えたかもしれない
ディオクレティアヌスは後継者選びに失敗した 帝政後期になると皇帝も後継者も優秀でなくなってくからな
軌道修正できる名君がいなくなってゆく
贔屓目に見ても凡君、後は暗君か暴君のどっちか
例外はユリアヌスぐらいかね
五賢帝クラスは無理でもティベリウスかヴェスパシアヌスくらいの名君がいればなぁ クラウディウスって一般的にはどんな評価されてるの?
実績見てても、暗君のようでもあるし英明なようでもあってよく分からん >>501>>503
秦は文武官を明確に分けて無いよ、司馬遼太郎は小説家
蒙恬が率いてたのも一部の兵隊と人夫で、長城建設に動員された人夫は多くが犯罪者
国民皆兵で軍事訓練を積んでる徴兵制だから何の不思議も無い
反秦で蜂起した領袖は多くが旧六国の支配階級やその親族 東方遠隔地の従属国についてのローマの扱いは2世紀のカフカス諸国やカラケネ王国のように
ローマの宗主権を建前上認めさせるだけで実態は放任ってパターンが多かったけども
ボスポロスにはわざわざ軍を派遣して直接管理して植民都市まで作ったのはそれだけ実入りが良かったからかね カラケネ王国はインドとの交易に利用すればドル箱だけど、
長大な陸路しかないうえ間にパルティアがいるという問題がある。
2世紀のパルティアはトラヤヌス侵攻の余波で属国失って、
一時的にイラクの一国レベルにまで萎んでたけど、
それでもまだ余力が残ってる厄介な存在。
実際に2世紀半ばにはヴォロガセス4世のもと大国に復活して、
カラケネ王国の宗主権もローマから奪い返す。
一方でコーカサス諸国は黒海ルート使えるけど、
軍派遣の費用をペイできるほど儲かるところではない。
比べてボスポラス王国は黒海ルート使えるし儲かるしで凄く美味しい。
加えてボスポ側がサルマタイに対するために後ろ盾を必要としていたから、
けっこうローマの言うこと聞いてくれたというのも大きい。 ローマ宗主権下のボスポロス国王にサウロマテスという名が多いけど
これはやはりサウロマタイに由来するのだろうね サウロマタイ相手に軍功を上げて王についたんじゃないの ネロ治世中にボスポラス王位も廃されて
正式なローマ領地として一時的に属国から属州にランクアップもしてたんだな
ガルバによってすぐ王位復元されて属国に戻ったらしいけど 三世紀後半にボスポロスとダキアを放棄した事は
当時のローマにとって自殺行為だったな
放棄するならばやはりブリタニアとかだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています