中国における多くの古暦法ではまず
年中日影の長さ(き け い?景、景長)の最長なる時、即ち日南至を実測して冬至を定め、
それによって歳実(太陽年)の長さを決め、食の観測などから朔実(朔望月)の長さを定め、そこで日法を立てる。

日法というのは1日を表わす分数で、たとえば元嘉暦1)では752分、宣明暦2)では8400分の類である。
次に当時の冬至における干支(日の端数を含む)と月齢とを基として計算上、遠く往古に遡り、
甲子夜半朔旦冬至になる年代を決定する。

これを上元といい、この上元から通算した年数を積年と呼ぶ。
積年は1億年以内という内規があったようで、かくて積年日法が古暦法の中心をなすに至った。
そうして面白い事には五星は素より月の降交点(正交)、近地点(あるいは遠地点)
みなことごとく上元において冬至点と一致するものとされた。

これは任意の仮定であるが、要素に微小の手加減を施せば、実地上さしつかえないことなのである。