>>113
まだやんのかよw いーですかみなさん、スレチはこいつのせいですからね。まず、600年は空きすぎ。前146年の第三次ポエニ戦争
終結からイエス活躍期までが約170年、西暦150年頃までに新約の主要文書は出揃うが、その中の『使徒行伝』にはもうアンティオキア教会が登場する
積極的に活躍したのは「ユダヤ教イエス派」の趣を残したエルサレム教会ではなく、それとは対立して異邦人伝道(異郷への布教も通訳も翻訳もあり)を
積極的に行うアンティオキア教会だった。はい、ここでもシリア人はまるでユダヤ人に当てつけるような行動をしてますね−
迫害を受けつつも布教は順調に続き、迫害事例の地理的広がりから、2世紀末には、ローマ帝国全域に教会は
組織を広げていたと推測される…ここまで350年かかってないよ!
さらにもう一つ。フェニキア人とアラム人はそもそも言語も違う別の民族だ。カルタゴが滅んだ後に、その血統は
わずかにローマ化した市民に噂されるが(たとえばガイウス・ユリウス・カエサルの家系)それはカルタゴ滅亡よりもずっと前に
ローマに帰順して同化した種族ばかりだ。陥落後のカルタゴにはローマが新たに植民を行い、それには新たな地中海を
またにかけるディアスポラ民となったユダヤ人も加わっているが、前述の通り新規大量入信はパリサイ派に厳しく管理され事実上不可能だ。
カルタゴのフェニキア人が崇拝した神はバアル・ハモンといい、その故郷のシリアのアラム人がかつて崇拝したバアルとは別の神だ。
偶像の姿も神話での位置づけも違う。偶像の造形も稚拙すぎて前3世紀のシリア人なら笑って遠ざけるだろう。
お前は徹頭徹尾両者を混同し、時代も地域も違いを無視してどれもこれも一緒だ−みんなユダヤ教に改宗したーとそればっか。
いいかげん自説のユルさ加減を反省して擁護するぐらいしないとますますキチガイ扱いするよ?