理文いずれでも複数の分野で偏りはあるが、現実として(母数から考えると)多数のユダヤ人学生や教員が米国やイスラエルから留学等により日本へ頻繁または長期に滞在しており、
その動機の主要な部分は禅仏教への関心だとの言明がなされやすいし、実際仕事や研究の合間を縫って京都や鎌倉で参禅している。
関心の由来は、1960年代から現在まで一貫して「神秘主義」とそれを体験的に可能とする「体系的修行」だ。
また、昨年末の英国スコットランドの某大学神学部でのカンファレンスでは、米国では1970年代あたりから特にチョギャム・トゥルンパあたりから、
禅センターのネットワークがより神秘体験を体系的に実現するチベット仏教に乗っかられていった、という報告があったようだ(ペーパー未確認)。
チベット仏教のアメリカにおける特に初期の主導者たちもユダヤ人が多かった。これもまた、関係があるんだろうな。
ユダヤ教は単なる戒律と論理のスピリチュアリティーではなく、神秘主義的体験と論理の基盤なのだが、現代において後者の技法の多くは失伝している(ナチスによる東欧ユダヤ人コミュニティの絶滅が大きく影響している)。
そこを仏教(禅仏教とチベット仏教の在家向け実践)は、よくカバーしているようだ。