「チュルク語を話すユダヤ人」には2種類あって、
1つはスペインから追放されて地中海を転々とし、やがてオスマン帝国に定住したセファルディが
ラディノ語を使いつつトルコ語も使うようになったもの
彼らはオスマン領内のすべてのユダヤ人の元締めの役割を得たので、
中東や北アフリカのユダヤ教はセファルディの派遣したラビの教学に染まっていった
もう1つはハザール王国の滅亡後、数百年を経てヨーロッパ・ロシアに現れ、
ウクライナやポーランドやクリミアに定住した、各地のタタール語を話すごく少数のユダヤ人(カライム人)
彼らはカライ派という宗派で、ラビの権威を認めず、セファルディともアシュケナージとも違う
アシュケナージとは対立していたため、第二次大戦でもナチスの標的にもならず別扱いだった
状況から見て、また彼ら自身もしばしば主張するが、ハザールの子孫はむしろカライム人だけ
例外はウクライナに定住したグループで、ドイツから来たイディッシュ語を話すアシュケナージと
合流し、その血統に加わったと思われる
だからアシュケナージの遺伝子には中央アジア的な因子がわずかに加わったが、それだけのこと

アシュケナージの主流はドイツから東方移民で東欧各地に散らばったアシュケナージユダヤ人であり、
ハザールではない アーサー・ケストラーは若い頃キブツを追い出されたのを根に持ってシオニズムに嫌がらせしただけ