それに比べて、宋の小麦粉の質は高かった。 この点に関しては、近代ヨーロッパを上回っていたと言われている。 0562名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 07:34:28.990>>551 山東半島にあったのは異民族の莱って国だな 0563名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 07:36:05.770>>555-556 石臼は夏王朝の頃既に有り西域から導入されたのわ隴西で用いられて居た水車式の石臼 小麦の中国伝入は殷代の頃だけど>>545に在る通り灌漑が未発達で広まらず 水車に由る石臼は後漢代に一部で用いられ始め西晋北魏の頃に普及したが 黄河の水量はそれ程でも無いので広まったのわ主に米食の江南、華北は主に畜力 0564名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 08:07:17.540>>557-561 >>554は小麦じゃ無く大麦小麦蕎麦 南北朝→唐代で農具が改良されて大麦が減り小麦と蕎麦が増えた 小麦の加工は水車が普及しても畜力が主、小麦粉が高価なんて事実も無い 0565名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 08:12:32.470>>563-564
それ以降は差別されたり鎖国したり変な髪型にされたり混乱したり文化失ったり猿真似しかできなくなったり まだ中華が滅びないのが不思議なくらい 0567名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:34:15.960 中華式の髷や玉すだれの冠は威厳があるのに、 辮髪は滑稽にしか見えないからなぁ 0568名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:51:19.060 辮髪民族に支配されたチャンコロが滑稽 0569名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 13:03:30.440 明は行政制度と政治体制が色々酷いのがなあ 技術面でも途中でパタッと止まるし 0570名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 13:13:34.230 /;;;;;;;;;;;;;\ /;;:::::::::::::::::::::::\ ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋ L::;;,__ ..:::ゝ //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ /j/三三三三三三三三三三ヾ、 l::||:::: |l / ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ || r┤ ト::::: \___/ || / \_/ ヽ:::. \/ ,ノ | _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ | _)_ノヽ\ ハ // / ヽ ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
呼んだ? 0571名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:03:02.880 唐の崩壊以後、中国は五代十国時代の分裂期に入り、北方の遼(契丹)などの圧迫を受けて混乱の中にあった。 その中で五代最後の後周の2代皇帝である世宗は内外政に尽力し、中国の再統一を目指していた。 その世宗の片腕として軍事面で活躍していたのが宋太祖の趙匡胤である。
五代末から宋初にかけて、世宗が敷いた路線を太祖が受け継ぎ太宗がそれを完成させたといえる。 宮崎市定はこの三者を日本の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康にそれぞれなぞらえている。 0572名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:07:11.130>>569 今の中国も、政府が民間の枷になっている 0573名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:07:27.860 「歴史は繰り返す」とよく言われるけど、魏晋南北朝時代の終わりには北周の武帝、五代十国時代の終わりには後周の世宗と、英邁な君主が現れて、統一目前にして早死にした。
それぞれ後を継いだのは、隋の楊堅、宋の趙匡胤。どちらも、早死にした前皇帝の重臣だった。
宮崎市定によると、「後周の世宗が織田信長で、趙匡胤が豊臣秀吉で、趙匡義が徳川家康」なんだそうな。 0574名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:12:03.500 宮崎市定先生の論旨を至極大ざっぱにまとめると、欧州史に比して、宋以前の唐は門下省で貴族が力を持っていた中世とし、 宋代以降の皇帝独裁を絶対王政に見立て、近世とする。 また宋代は民間でも欧州の郷紳に比定されるべき、貴族ではない在地勢力である形勢戸が生まれた。 欧州との違いは郷紳は国王の抵抗勢力となったが、中国では科挙を通じて体制の中に組み込まれたので、市民革命は起きなかった。
・・・って感じです。
補足について
論文なら、東洋的近世 概説なら、アジア史概説 共に宮崎市定先生の著作です。 0575名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:15:28.140 唐が滅亡してからの約50年間の分裂時代を五代十国時代といいます。
各政権の皇帝や王はみな軍人出身です。戦乱の絶えない時代です。 均田制が崩壊したあとの社会の仕組みに釣り合う政治の仕組みが作り出される過渡期です。 その過渡期の混乱。 0576名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:21:06.370 唐の後半は、統一王朝といっても事実上、節度使による軍閥割拠状態。 節度使というのは、スケールは違うけど、日本の室町時代の守護大名みたいな感じ。
日本で貴族が無くなったのが第二次世界大戦後、20世紀の出来事です。 中国では10世紀にはすでに貴族が消滅している。 こういう面で中国はものすごく進んでいる社会です。 0578名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:26:13.520 宮崎市定の研究姿勢は内藤湖南の提唱した唐宋変革論を受け継ぎ、社会経済史の立場に加え、 西アジアやヨーロッパとの交流の影響及び比較の上に立って、唐以前を中世・宋以後を近世と設定し、 さらにそれを裏付けるために宋代に於ける政治・制度・社会・経済などの研究から始まった。 0579名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:26:45.670 宮崎市定 「中国史」
内藤湖南・桑原隲蔵以来の京都東洋史学の学風を継承、発展させた宮崎市定(1901‐1995)。 本書は唐と宋の間に明確な時代の変革を見る独自の理論に基づいた通史で、文章は平易で論旨は明確である。 上巻では歴史とは何かを問い、主な時代区分論を紹介し、古代から最近世までそれぞれの特徴を述べて、夏殷周から唐五代に至る歴史を概観する。(全2冊) 0580名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:28:30.490>>572
習近平と李克強が、先頭に立って経済発展をリードしている 0581名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:38:29.960 一応実力登用の科挙+法に由る皇帝独裁と血統に因る世襲の封建貴族制って、油と水じゃね 日本じゃ国会議員に続いて国立大学や中央姦庁迄 極めて時代錯誤で反動的な身分枠復活させてるし 0582名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 17:57:18.660 イギリスは今だに貴族がいるし日本だって明治期に華族がいたけど 別に遅れてない 0583名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 18:14:49.000 古典丸暗記が実力なのか? 0584世界@名無史さん2017/10/22(日) 20:03:59.040 まあ、政治家の息子が政治家になるのは、日本だけでなく、アメリカも中国もみんなそうだけどな