ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ 北アフリカは今でこそ土人ランドになってるけど
かつてはエジプトやカルタゴなどの文明的な大国があったんだよな ヴァンダル王国には生き残ってほしかったな
北アフリカにゲルマン人のキリスト教国家とかロマンやん
ま、ビザンツに滅ぼされんでも後のイスラムに征服されるか
統治が糞だったから自壊してただろうね >>8
>中世ヨーロッパが古代ローマより優れていた点って何かある?
信仰心 >>3
江戸時代の日本は
たまにオランダや清と交易するくらいでほぼ鎖国状態の内需経済だったけど
豊かで文化水準も高かったな >>14
長崎に入港する蘭船は年に1隻だから「たまに」と言っていいが
清船は年に150〜200隻入港してたから「たまに」というレベルではない 江戸時代初期1600年〜1700年くらいのヨーロッパの歴史に興味が出て色々読んでるんだけど
この時期のヨーロッパで付き合う価値の有りそうな国ってオランダくらいなんだよ
イギリスが少し惜しいくらいで付き合う相手の選び方としては良い選択だったと思うわ カールの戴冠(フランク・ローマ皇帝)は欧州復活の第一歩だな
ようやく安定した秩序が形成され
ローマ・ゲルマン・キリスト教の三要素が融合して昇華され、今の欧州の土台が出来上がってくる
暗黒時代に一筋の光がさした瞬間 十字軍の頃になるとイスラムを一発ぶん殴って聖地エルサレムを奪い返して
百年くらい維持する程度には強くなってる
オスマン帝国が出てくるとまた押されるけど イスラム側の内紛につけこんで居座っただけじゃん
しかもヒッティーンの戦いでサラディンに総なめにされてエルサレム陥落するし
和平交渉で取り戻すもモンゴルと徒党を組んで侵略した所をバイバルスに返す刀で
ことごとく十字軍国家は滅ぼされるし基本は頭数しかとりえのないザコ まあ現代でも文明崩壊が起きて
メーカーとかの技術者を全員あぼーんして、工場も発電所も全部アボーンすれば
生活レベルは一気に江戸時代にまで落ちるだろうな
>>4
ローマとゲルマン諸王朝の間には完全な物質文化の断絶が確認されてて
ローマと中世ヨーロッパ文化はつながってないというのが著者の結論 それも高望みだろな。江戸どころか南北朝以前まで戻る。江戸には江戸なりに
ノウハウやテクノロジー、あと環境整備があったけど
今の世代はその知見を完全に失伝している
電気が禁止されたらどこまで戻るか見当もつかない >>19
頭数しか取り柄がないってどういう認識?
十字軍国家は常に人員不足に苦しんでたんだが
だいたいその当時の西欧にそこまで大量の人間を継続的にパレスチナまで運ぶ能力があるわけねーだろ >>20
×著者の結論
○お前の願望
著者はローマ時代の精神的文化までもがそれ以降の文明に受け継がれていないなどとは述べない
そういう理解の仕方は自説に都合の良いようにこの本を切り貼りしてるだけ
日本の読者に向けての前書きには書いてある
「次のことは強調しておきたいと思います。つまり、私は決してピーター・ブラウンによるこの時代の再評価に完全に反対しているわけではないということです。 >>20
(中略)私の不満は、それが間違っているのではなく、それが宗教と地中海東方に注目するあまり、ローマ終焉の物語全体を語っていないことにあるのです。」
キリスト教はローマ帝国から受け継がれたのだから「ローマと中世ヨーロッパの文化は繋がっていない」なんて言えるはずないわな 南欧はイスラム海賊による民族浄化レベルの侵攻・略奪が横行していて教皇すら身に危険があった時代。
奴隷買戻しの騎士団の結成もかなり後の時代の話
もともと貧困地帯の北方は野蛮で戦争・内紛まみれ。
中世の後期(と言っても近世に含めても異論が無いような時代)に注目すれば
たしかにルネサンスや大国の出現などのいいところも見つかるが中世の前期を見れば、欧州は明らかに漆黒。 古代ローマの奴隷
中世ヨーロッパの農奴
旧ソ連の労働者
現代日本の社畜
どれが一番ハードモードなの? >>25
反論できなくなってコピペ乙
どんなけ雑魚だよ ヨーロッパは分権社会になったから
まとめてインフラ整備やるのが難しかったんだろ
国王一個人が払える額が限られてるし
戦争で傭兵雇って大赤字で手一杯
インフラは地域まかせ、都市部は自治権があったんで介入も難しい
国単位のまとまったインフラは19世紀の近代国民国家まではなかったと考えるのが適当
まず古代的な中央集権国家の方が中途半端に発展した分権的な近世国家より大規模なインフラはやりやすい
中国も大運河事業やってるし いつからいつまでが地中海文明で、
いつからがヨーロッパなのか アテネやスパルタなどの古代ギリシャの都市国家から西ローマ崩壊までが地中海文明で
ローマ・ゲルマン・キリスト教の融合の象徴であるカールの戴冠からがヨーロッパ開始 >>26
精神的には現代日本の社畜だと思う。
ソ連もスターリン以降は丸くなったみたいだし、
中世の農奴の労働時間はさほど多くなかったみたいだし、
古代ローマの奴隷でも時代が下ると、奴隷身分と言う一種の階級みたいな
感覚に近くなったみたいだからな。 >>26
古代ローマの奴隷
資産を保有せずサラリウムのみで生活する無産階級。所得税自体が存在せず、
兵役こそが租税であり戦利品ゲットする特典付き
中世ヨーロッパの農奴
無産階級で領主にピンハネされるが羊を草原に放って見守る程度の単純労働が可能。
弱者権力として聖書を理由に集団サボタージュ可能。
雷が鳴ったら神の怒りだと言って集団職場放棄できた。
旧ソ連の労働者
言うまでもなく全員公務員社会。バブル期ならともかくいまの日本では現業警察官や消防士ですら勝ち組らしい。
現代日本の社畜
退職した団塊世代までは旧ソ連を超える天国であとは地獄。
借金まみれの国を支える税と、老人を支える税と、消費そのものへの税と、
所得税と原発事故の責任を何故か国民が負う税を徴収された税を冥加やみかじめ料を法令化した税が課されます。 >>26
古代ローマの奴隷は特定の人種民族を永久的に奴隷化したのではなくて経済奴隷なので
誰の奴隷でもない自由人の農夫もいれば奴隷農夫もいたし、
ギリシャ人の奴隷を輸入して法務や会計士やエンジニアさせたり主人に金を払って自由人になったり
主人の権力や保護欲しさに自分から奴隷になったりだったようだ。
奴隷を買う有産階級も人頭税の無い時期なら税のかからない資産として奴隷を買う。
現代の経済奴隷でいえば住宅や学資ローンで首が回らない労働者も奴隷だが、そのうえ所得税まで徴収されるようです。 >>26
古代ローマの奴隷は、家内奴隷は天国、鉱山奴隷は地獄だったらしいな
鉱山奴隷は日本の佐渡鉱山で使われてた無宿人の水替人足みたいなもんか
旧ソ連の工場労働者は、コルホーズの農民よりははるかにいい暮らしだったとか
農民もフルシチョフ以降少しは改善されたらしいが 社畜とニートの中間くらいの生き方があればいいのにな
じゃあバイトは?となるが、 バイト程度では十分に一人暮らしできるほどの稼ぎでもないし かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 西洋史における中世は一般的に476年の西ローマ帝国滅亡から1453年の東ローマ帝国滅亡まで。
ちなみに1453年には英仏百年戦争も終結している。 ていうか3世紀の時点で帝国の混乱ですでに水道のメンテナンスうまくいかなくなったみたいだな
イタリアだと一部の水道が近世まで細々と利用されたようだけど >>3
分業してたんなら、ローマ崩壊後鉱工業に特化した地域はどうなったんだ? さすがに十字軍の頃にもなるとフン族侵入の何世紀も後だけに、十字軍自体が高度な文明レベルを持っている感じがする
その要塞などを見れば、遅れていた欧州が十字軍に遠征した時のイスラム圏の影響で
という以前にすごい軍事技術を持っている感じだ
今は逆に中世欧州を遅れているように見せすぎなんだよ
バイキングにせよ、モンゴルにせよ、ただ単に遅れているだけの民族が広大な領土を制覇できるとは思えない
13世紀での軍事的なモンゴルの位置というのは今のアメリカ・イスラエルのポジだろ セグメンタタが廃れたのはやはりコストがかかり過ぎて
全盛期ローマでもないと維持できなかったからかな
チェーンメイルは斬撃への耐性はあるけど
槍による刺突やメイスによる打撃には弱いんだよな >>8
ローマのアーチ式よりゴシックの尖塔アーチ式の方が技術的難易度が高い 中世ではローマ時代に作られた延々と続く橋や壁が凄すぎて
「こんなの人間が造れるわけない!これは悪魔が造ったものだ」とか言われてたんやで 今ある万里の長城は明代だからふーんと思う程度だが
コロッセオはそれより遥か昔の古代の建造物なのがすごいところ
ピラミッドもね 中世のゴシックアーチは技術難易度高いのはいいが金がなくて結局満足につくれないというオチがつく
すごいのかすごくないのかよくわからん設計倒れ的シロモノ 東ローマ帝国も滅亡はしなかったが
領地にスラブ人が大量に移動してきており
インフラ技術が大幅に低下
軍事面でもイスラムやブルガリアに勝てない
コンスタンティノープルの大城壁も自分で修理できず
難易度高い大規模建築も自分でできず
アルメニアの異民族に金払ってやってもらうなんてありさまだった >>45
それよく言われるけどどの程度まで共通認識だったわけ?
一部の人間のアホ言動を1000年近い期間のヨーロッパ人のスタンダードだと思ってないか? 欧州の主要都市って殆どローマ時代に原型ができたものなんだな
ロンディニウム、ウィンドボナ、パルキノ、アクアエ・グラニ、コロニア、
ハドリアノポリス、アクインクム、ルテティア、ルグドゥヌム、フェリキタス・ユリア >>22
>>41
食糧不足のため、アンティオキアを包囲する十字軍の宿営内では飢餓が発生し、
人間も馬もばたばたと死んでいった。全軍で7人のうち1人は飢えで死に、軍馬は700頭しか残らなかった。
民衆十字軍の生き残りであり隠者ピエールに率いられて陣営にいた特に貧しい兵士たちのうちから、
死んだ敵兵の死体を食べる人肉食に走る者が現われた。
騎士らのうちにはあえて飢えを耐えようとする者もあった。しかし多くは馬の死体などを食べた。 十字軍がへとへとになって犠牲者を出しまくって行軍した荒野を
ローマ軍はすいすい進んでるね
これが兵站の有無の差なんだよな >>1
まあ、その状況から500年ちょいでロマネスクの聖堂くらいは作れるようになったんだから
土人としては頑張ったんだけどな。
下の世話はいちど土人に戻っちゃったら楽過ぎて戻れなかったんだろう 古代に憧れてローマ風のつもりで似ても似つかないものを作ってたのがあの時代。
それからひたすらでかくしようのゴシックを経て、
構造や材料まで系統的・科学的に研究して古代を超えようと試みるのは
ルネサンスになってから ローマ帝国 チート
中世 暗黒時代
ルネサンス 復興の兆し
大航海時代 確変
産業革命 覇権 イギリスはヴィクトリア朝
フランスはナポレオン時代
ドイツは第三帝国
イタリアはローマ帝国
ロシアはソ連
トルコはオスマン帝国
中国は唐
の頃が全盛期だな
日本の全盛期は
文化では江戸時代、影響力では大正から昭和初期orバブル期あたりかな ローマ帝国は貨幣経済だったけど中世になるとまた物々交換に戻る そうなの?
免罪符は何で代金精算してたの?
フッガー家が掘った貴金属はそのまま利用されてたの?
ディナール銀貨っていつから使われてたの?
地中海交易や南フランスの商業市は何で決済していたの? >>20
電磁パルス攻撃を受けると一気に江戸時代よりも前に戻ってしまうのと一緒だな >>56
>日本の全盛期は文化では江戸時代
文化でも江戸時代より現代のほうが遥かに高いと思うが? 葛飾北斎の絵とかもう書けんやろ
日本刀だって今でも作れるが江戸時代のクオリティには届かない >>61
北斎の絵は北斎にしか描けないの当たり前や
それなら現代の絵師の絵を北斎が描けるのか? >>41
>さすがに十字軍の頃にもなるとフン族侵入の何世紀も後だけに、十字軍自体が高度な文明レベルを持っている感じがする
食料尽きて共喰いしたり、略奪品の分配でもめて殺し合いしてた蛮族のどこに文明要素何てあるの?
>その要塞などを見れば、遅れていた欧州が十字軍に遠征した時のイスラム圏の影響で
>という以前にすごい軍事技術を持っている感じだ
十字軍の要塞とか現地人を徴用して作らせたもので、当時のヨーロッパはモット&ベイリーとかいう掘立て小屋レベルの砦しかなかったが >>60
江戸時代は(ルーツは中国のアレンジでも)独自文化だった
明治以降は欧米の丸パクリだからゴミ 思想的には4世紀のアウグスティヌスあたりで自由意志の概念が生まれたりいろんな光明があるんだけど
そこから一気に花開くのが13世紀のトマス・アクィナスっていうのが遠いな 江戸時代はあの時代に応じた発達した物流があったから、そこに至るまでにもかなりの時間が必要
少なくとも、10年ではあそこまでいかない ローマの建築技術は主に修道士がヨーロッパ各地に保存していて、それが活かされたのは事実
ただロマネスクはローマの影響「も」あったとされるが、ゴシックはむしろ断絶性の方が強く指摘されてる
力学的構造を見せつける機能美重視のギリシャ・ローマ建築と比べて
フライング・バットレスなどを用いて、力学的構造を隠す(そして非現実感を演出する)のがゴシック建築の本質だったため >>64
日本オリジナルの文化
土偶、寿司、天ぷら、神道、花見、切腹、漆器などなど
これらは中国には無いよね >>68
花を見ながら詩を詠むみたいな文化は中国にはなかったのか
風流さは日本が上だな >>70
花を見ながら和歌を詠むみたいな文化は虫国にはなかった
風流さは日本が上だな 寿司(熟鮓)、天ぷら、(桜ではないが)花見、これは大陸がルーツ
切腹もツングース系含めた大陸系文化の影響が有力視されている >>64
オマエラはノーベル賞を欧米からパクれるとかん違いしてんだよね >>72
神道は中国由来ではないにしろどっかの大陸由来だろうし、社をたてて祀るというのは道教かなんかの影響じゃないの? >>64
明治以降だと永久磁石、乾電池、胃カメラが日本の発明 >>74
祖霊崇拝と自然崇拝は世界各地で、それこそ自然に生まれているし、南方由来の習俗も大陸由来の習俗も混交
しているのでなんとも言えない
御霊信仰は、割と日本オリジナルに近いかもしれんね >>72
シナ人にはサバやサンマを食べる文化がなかった権力闘争を優位に進めたと杉山は言ってるけどな 建築技術はエトルリアから吸収、学問・芸術はギリシャから吸収
ローマ独自の文化って何だろうな? 街道整備
すべての道はローマに通ずとあるようにあれほど大規模かつ綿密に道路を整備したのは
ローマ帝国が初めて こんな道を2000年前に作ってたって凄いね日本は江戸時代ですら荷車が通るのに苦労するようなところが多かったのに
標準的なローマ街道の道幅は4mで、2台の馬車が行き違える車道幅であった。
その両脇には幅3mの歩道が作られていた。車道部分は最大で深さ2m程度まで掘り下げられ3層構造の路盤となっていた。
下層路盤が大きな石で、中層路盤が中くらいの大きさの石、上層路盤が粘土と砂利を混ぜた層であった。
路面となる表層石は、大きな石を亀甲形等に組み合わせたもので、薄くて平らな敷石ではなく重量のある分厚い石を敷くことで道路の安定性を高めていた。
道路は中央部が少し膨らむよう勾配が付けられて舗装されていて、3層構造の石で造られた路盤で排水すると共に、この勾配により路肩にもスムースに排水するように設計されていた イラク、エジプト、ギリシャ、中国、インド・・・
古代文明発祥の地が軒並み土人化してる法則 ローマ時代の記録はあれはどこに保管されてたの?
イスタンブールとかに石板であったわけ? >>80
古代日本の官道は田舎でも道幅6〜12mはあった。
それ以降の退化っぷりが凄まじいが。 >>85
古代の官道、広さは大したもんなんだが、舗装もメンテもアレすぎて比較にもならんわけだが
日本がモデルにした唐だって、こと街道に関してはローマには太刀打ちできんよ(それ以外のことはさておき) 中国はローマほどには道路整備に熱心でなかった
そのかわり運河整備に注力した
ローマには地中海があったから運河不要
内陸まで船舶輸送が必要なエジプトはナイルだけで充分だからこれまた運河不要
中国は黄河、淮水、長江の大河を有効活用するためには運河が必要だった >>88
西欧も東ローマも両方
そしてイスラム圏になった地域も そういう古代を伝える書物が出てくる中世寺院を舞台にした映画に「薔薇の名前」(1986年,ショーン・コネリー主演)というのがある
珍しい時代を扱った映画だ
キリスト教会の教えなんぞ知ったことではない事を書いた古代の書物を禁書扱いにしながらも、伝えるのは伝えてたのが不思議といえば不思議 西ローマ崩壊からカロリングルネサンスまでどうローマ文明がうけつがれていたかというのはもっと語られるべきテーマ
それがないと原始時代に戻ってた可能性すらあるだろうし ポストローマ期の研究って本を読むと良いよ。なかなかおもろい。 どういうふうに文明が退化していったのかも気になる
西ローマが滅亡した瞬間にいきなり技術や知的レベルが落ちたってわけじゃないとは思う
すでにコンスタンティヌス辺りから低下してたのか、それともメロヴィング朝の初期あたりまではある程度ローマの文明は保たれてたのか? 士大夫など知識階層が残ったからじゃね?
中世ヨーロッパなんて僧侶以外文盲だし 生き残ったはずのビザンツも、先進的なイメージが無いけど。 >>97
土地の生産力がデカいので、
乱世になっても無為徒食のインテリ層を養う余裕があった。 五胡の場合は中原に移住してから永嘉の乱に至るまで漢人の支配下にあって
都市生活になれていたこと
五胡の君主たちは競って都市や宮殿仏閣を作って権勢を誇示することに余念がなかったけど
ゲルマン人は文明的な暮らしを知らないまま入って来て王侯貴族も贅沢な暮らしには関心がなかった うちらだって、エンジニアを全員皆殺しにされたら一気に文明が江戸時代以前に逆戻りだろうさ。 中世のイタリアとか弱小都市国家が乱立する没落国で
到底、中国やビザンツに太刀打ちできる実力はないのだけど >>9
ポル・ポトは中国訪問で毛沢東に毒されてしまったけど
訪問先が中国ではなくソ連ならあそこまで酷くはならんかったかな? たぶんね。社会資本が乏しいから、毛の方針が魅力的なんだろうが。 シナはどの時代もハードモード
為政者は暴君ばかりだし政体が代わると常にジェノサイドだからな 唐や宋は民衆にとってはイージーだろ
漢と清は時期による(名君の治世に当たればいいが・・・)
明は暗君のオンパレードなのによく300年もったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています