セウェルス朝の復権を名目に僅か14歳のヘリオガバルスが皇帝に凱旋即位した。
しかし凱旋からローマ人に戦慄が走った。なんと即位するときも女王のようなコスチュームを着て現れたのである。
そして私生活だけではなく公務中でも女性の衣裳を着て公務をこなし重要な式典でも女装の正装で登場した。
これには首都のローマ人を戦慄させたという。さらに彼は口調も女言葉だった。
当時ローマで女装や同性愛はギリシアの軟弱趣味と捉えられ印象が悪かった。
しかしヘリオバルスの痴態はとまらず公共浴場では女風呂に入り、痴態の参考にする為に女性を観察し、
波止場で皇帝親衛隊に巨根の美少年を裸体のまま拉致させ宮殿内に強制連行しては凌辱の限りをつくし、
ヘリオガバルスの「性の相手」で燃え尽きた美少年たちはエラガバルス神の生贄の儀式にてペニスを切りおとされ殺されてしまった。
この犠牲者は数千に上るという。 またヘリオガバルスは町の娼館で女に客を取らせ自身の宮殿で商売をさせた。
この事はかの有名なカリグラも同じことを提案したが実行まではいたらなかったとされる。また自らも「男娼」として男性客の相手をした。
貴族社会であった古代ローマで上の階級の者が奉仕する立場に立つということは許されることではなかった。
この他、後述するが、寵愛する美少年にわざと浮気現場を見せつけては、殴られるのを嬉しがっていた。何この男の娘皇帝マジ淫乱。
宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視してエル・ガバル(エラガバルス)を「最上神」「太陽神」とするなど極端な政策を行った。