ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 >>288
知ってるってば
ホロドモールがいかに凄惨で凄まじい惨禍だったかも知っているし、それがウクライナを中心としたものだったことも
ただね、ロマノフ朝の農奴なんて定期的に大飢饉で大量の餓死者出してるんだよ、それも近世に
一度もなかった、って何言ってんだの世界
18世紀にも1000万世帯(人じゃないぞ世帯だぞ)の餓死または離村(離村者は罰っせられるから行方不明のち死亡の可能性大)
ソ連は大概ひどい政権だが、それでもロマノフ朝よりゃマシ キリスト教化によってギリシャでは数学や化学などの学術が喪失し、
ルネッサンスでアラビアの文献からこれらの古代ギリシャの学問を逆輸入する結果になっている。 ロシアはポーランド分割でベラルーシとウクライナを
併合したりして19世紀に人口が急増していったから
18世紀に1000万世帯の餓死または離村はありえないのでは?
ピョートル大帝の治世の総人口は1000万人にすぎなかった
たしかにイワン雷帝とかはスターリンがお手本にするぐらい過酷で有名だったね
当時はロシアではないけどウクライナでポーランドに抵抗したコサックの
ボグダン・フメリニツキーは手加減しない戦ぶりでウクライナを灰燼に帰した 反革命だか反共の書き込みする奴らは大体ネットで真実だから
どこの本にそれ書いてんの?って聞けば黙る
そもそもスレ違いだけど いまの時代にわざわざイデオロギッシュな書き込みする必要性がないんだよなあ ま293や294は半世紀前なら革命万歳
見たいものしか見ない
ま、時流に流されるタイプさ 294は違うね、ごめんなさい
スレチなんでこの辺で よく読まず考えもしていないお前自身が半世紀前なら革命万歳タイプやろうなぁ
ネっトで真実と馬鹿にしてるが本が正しいことを前提してる時点で同じあなという 古い本(一次資料は除く)の方がネットよりあてにならんよな
ネタとして30年前の本を読んでみると今ではありえないような説が通説として書かれてて驚く 社会的常識も違うしね
相撲界の暴行が問題になってるが、暴力に対する容認度合いが違う50年前ならたいした問題になってない
モンゴルは昔の日本的な常識があるのだろう 通勤電車の座席や、大学受験予備校の中の生徒用ラウンジに灰皿があって、多くの人々がそこで喫煙していたかんな>1980年代後半の日本
社会常識は政策一つで短期間に激変する で常識が違うと色々古書を読むとき誤解する
常識は書物には残さないからね 50年前じゃなくて10年前でも全然問題になってないと思うけどな
この板は文科系の青瓢箪ばかりだから知らないだろうけど一昔前の体育会系とかあの程度の体罰なんてザラ あの程度の体罰はざらだが、それが社会的の容認されるかは別
とくに財団法人で国技を掲げるプロスポーツでは別
10年前なら問題になってるでしょう、
そしていちいち他人を下げてマウンティングしないと書き込めないのかお前は
お前の狭い社会なんて知らんわ。お前の世界と相撲業界の差もわからんくせに
ボクチンはおまえよりエライとしかかけんのか >>289
は?お前正気かよ?カザフスタン地域とかホロドモールで人口が4割減ったんだが
たった1年でこれだぞ
ロマノフ朝がソ連並みに酷い専制国家だったらスターリンみたいなろくに働かず強盗殺人で生計たててた畜生野郎なんて
最初に逮捕された時点で死刑にされてるって スターリンの粛清は酷いし、これが大祖国戦争で3000万死んだ原因の一つだし
農奴を解放して国民全員を奴隷のようにしたことから見てロマノフ朝よりましとはいいにくいわな ホロドモールで食糧を全て奪い去られた人民が、食糧を確保しようとして処罰された主な例
・畑でわずかな小麦を拾い集めた農婦が有罪判決が下される
・二束のとうもろこしを盗んだために銃殺刑になった
・自分の自営地で実ったとうもろこしを刈り取った農婦が10年の刑がくだされ、その2週間後に夫が餓死した
・玉ねぎを十個畑から掘り出した農婦が十年の刑になった
・死んで埋められた馬の肉を食べた多数の農民がOGPUによって銃殺刑になった
・小麦を引き抜いたとして妊娠中の女性が板切れで打ちすえられ死亡
・集団農場のじゃがいもを掘り出したとして三人の子供を抱えた母親が警備員に射殺され、子供たちも全員餓死した
・穀物をむしり取ったとして7人の農民と14歳と15歳の子供達3人が銃殺された
スターリンとか何度も身代金誘拐や強盗殺人を起こしてるのに精々流刑で済んでるから恐るべき刑の緩さだ
ソ連の異様な厳罰主義その反動と言えよう >>304
むしろスターリンをちゃんと処刑できなかったロマノフ朝にかなり問題ありそう 相撲界で体罰が問題視されようになったのって時津風部屋で死者が出てからでしょ
むかし貴乃花親方が部屋住みの連中を竹刀で滅多打ちにしてる場面が肯定的に放送されていたが
今なら大問題になってた 稽古場での竹刀は今でも問題になってない
5センチ以上の裂傷させるほどの私刑は昔から問題になるよ スターリンは共産主義者と言うよりは大艦巨砲主義者だった
とにかく巨大な戦艦が欲しくて欲しくてたまらなかった
スターリンは戦艦建造を妨げる者達と生涯戦い続けた
共産党や軍の幹部を粛清しナチス・ドイツを滅ぼした
第二次大戦後になっても時代遅れの戦艦建造の固執していた
スターリン死後ただちにベリヤ達は建造中の戦艦をスクラップにした スターリンはアメリカに移民すれば良かったのだろうな
アメリカならばソ連ほど海軍拡張に反対する者はいなかったはず ネットで真実って言われて発狂してるのかしらんけどスレ違いすぎ
政治厨ってそういうところが気持ち悪いんだよなあ 農奴の話をし始めたアホが悪いのでは?
あの人類史上の壮大な実験で壮大な失敗
ロシア革命マンセーなアホが関係ない話をしまじめてるぞ 間違えて覚えてたスレでポモドーロと間違えるっていうレスがあった
どちらも赤く染まるぞとのこと >>314
あくまで理想に過ぎなかった原始共産主義をリアルでやったポル・ポトを超える猛者はいないよ 有史以降、原始共産制とされる主な例には以下がある。
古代ギリシアのスパルタ - ただし支配階級間。しばしば私有財産制のアテネと対比される。
古代〜中世のゲルマン人 - しばしば私有財産制のローマ帝国と対比される。
近代以降、国家規模で原始共産制を目指したとされる主な体制には以下がある。
毛沢東による文化大革命時代の中華人民共和国
自国民を大量殺戮したポル・ポト派による民主カンプチア ゲルマン、ケルトみてると原始共産「的」だよね
戦士階級と他は別格だが、族長の地位が低いw
なんかわりあい勝手なことをみんな王に言ってるし、話し合いで解決してる。
カエサルが勝手に決めてるのとは違う >>321
しかし、ゲルマンもケルトも、文献資料ほとんど残ってないから、ローマ側の史料か考古学的見地からの
推測しかできないから、その辺はなんともなあ 王や族長の権力が小さいのは原始的社会では普遍的な現象ではないか? >>322
そいつをいっちゃあオシメーよ
焦土作戦を一部でもできたヴェルチンレトリグスが特異 生活は土人そのものだけど北欧神話みたいな高度な物語を残してる >>323
日本も縄文時代まではそうだった
弥生時代から階級が出てきた 縄文時代に戦争はなかったといわれる
弥生時代になって農耕が伝わり、村における指導的立場の者が登場し、余剰生産が出てきて、
それをめぐって争いが起きるようになる >>325
現代に伝わる北欧神話は、13世紀のエッダがその基礎であって
それ以前の神話がどのようなものであったかは、研究がそこまで進んでいない 日本人が土偶を作ったり、狩猟生活している時に
ローマ人は大浴場に入ったり、コロッセオで観戦したり、帝国各地から集められた名産品を食べまくってたわけね >>333
そこで考える余裕もあって哲学者まで出てくる >>336
ええそれらやギリシアエジプト、インドも含めほとんどですよw
地域も一部ですし、さらにその中の一部しかそういう生活をしてない ローマ帝国 漢帝国
人口 5400万人 7100万人
面積 5001km^2 面積 4841km^2(利用可能地のみ)
軍隊 30万人 100万人
現在日本に換算した場合
税収 2746億円 15兆円
GDP 3兆8400億円 75兆円 GDPなんて産業革命以前はたんなる人口統計と変わらん >>338
どっちもフン族(匈奴)にボコられたねw ビザンツは滅ぼしたのがオスマン帝国で、ある意味良かったと思う。
オスマンはその後大帝国になり近隣西洋諸国を圧迫し近代まで続く長期国家となったし
首都も継承しイスラム寺院に改築されたけどハギアソフィア他旧寺院が現在まで保存されている。
やはりローマの後継国は強大な世界帝国だあってほしかったしね。
もしスラブ系の適当な国に滅ぼされてたら強国にもならず寿命も短く旧領土は分裂したまま
コンスタンティノポリスは廃墟になってたのではと思う。 ビザンツはササン朝に降伏すれば最も被害が少なかったのだろうな
イスラム化もトルコ化せずにビザンツ文化自体は存続し続けただろう
ヘラクレイオスがカルタゴに逃げ戻ってしまえば良かったわけだ ビザンツはロシアに継承すればよかったかも
もしかしたら、ソ連は誕生しなかったかも!? >現代に伝わる北欧神話は、13世紀のエッダがその基礎であって
>それ以前の神話がどのようなものであったかは、研究がそこまで進んでいない
ローマの歴史観では極悪非道の野蛮人であるアッティラが、
ゲルマン系の神話では公正で気前のいい王になっちゃってる。 >>344
アケメネス朝がポリスを破壊しまくってたじゃん >>345
ソ連が誕生しなかったら間違いなく北とかいう国も誕生しなかった なんてこったい >>314
失敗して大勢死者だしたのは文化大革命
ソ連は反乱する力をそぐためわかっててやってるのだから余計たちが悪い 退位後のロムルス・アウグストゥルスは概して幸運だった。
退位したときの彼はまだ若く、オドアケルはその命まで奪おうとはしなかった。
息子ロムルス・アウグストゥルスを帝位につけた実の父オレステスはオドアケルに殺されたが、
ロムルス・アウグストゥルス自身とその家族はカンパーニャに送られ、
そこで恩給をもらい余生を過ごしている。
後にオドアケルが敗れたときも、新たに権力者となったテオドリック大王から恩給をもらい続けることができた。
カンパーニャでは何百年も続くことになる修道院を建てるなどの業績を残したが、
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によるイタリア支配権の回復をその目で見ることはなかった。
この永嘉の乱により、洛陽は破壊され何万人もが殺害され、
懐帝は玉璽と共に前趙の都平陽に拉致され、
懐帝の皇后羊氏に至っては劉曜の妻とされた。
懐帝は生かされたものの、劉聡により奴僕の服装をさせられ、
酒宴で酒を注ぐ役をさせられ、杯洗いをさせられ、
劉聡外出の際には日除けの傘の持ち役にされたりという屈辱を与えられ、
人々からは晋皇帝のなれの果てと嘲り笑われて屈辱を嘗めつくした後の313年1月に処刑された。
こうして西晋は事実上滅亡した。
ふむ・・・ このオッサン相変わらずwikipdiaの知識を真に受けて適当なこと書いてるな
懐帝は杯持ちと傘持ちはやってたがこれは当時は中々高位の貴族が行う職務であって実際、公の位に取り立てられており中々の厚遇である
それでも匈奴の臣下となったことは屈辱的なことには違いなく晋の遺臣の中にはそれを不服として嘆くものもいたので
謀反の神輿として担がれるがれる前に始末しただけの話 >>349
東ローマと北朝鮮は似た者同士
東ローマはローマ人が作った国でギリシャ人が作った国ではない
北朝鮮はソ連が作った国で朝鮮人が作った国ではない
東ローマはユスティニアヌス1世の西方奪回やマケドニア朝のバルカン奪回など
無理をする度に疲弊してさらに領土を失っていった バシレイオス2世の時に二度目の全盛期を迎えて
再び大帝国として返り咲くんだけど、その後は暗君続きで低調
そしてマンジケルトの戦いで・・・ バシレイオス2世の死後わずか46年でマンジケルトの敗戦
バシレイオス2世は反抗的な貴族の領地を没収して農民に分け与えて
テマ制を維持しようとしたけど焼け石に水だった
テマの農民兵は地元でアラブ軍を撃退する事には有効だったけど
バルカンを奪回する為の遠征で経済的に没落して土地と武器を手放して
貴族らの小作人になっていった
中世ギリシャ人はアナトリアを守るのが精一杯だったようだ >>356
まだヴァリャーグ親衛隊がいるから(震え声)
ギリシャ火もあるから(震え声) ローマ帝国の繁栄の曲線はトラヤヌス・ハドリアヌス期がピークで
それ以降はゆっくり下降して衰退開始
それでも二世紀中はまだまだ「最盛期」の範疇だったけど
三世紀から本格的にごまかしが利かなくなっていく 西欧 ゲルマン人の侵入で土人化
北欧 ノルマン人の根拠地で元から土人
中欧 アヴァールやマジャールなどの騎馬民族が割拠
南欧 サラセン海賊が略奪・人攫いしまくり
うーん、ビザンツ帝国以外は悲惨過ぎる… 東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
イスラム海軍をギリシャ火で丸焼き
キエフ大公国の侵攻を重装騎兵と艦隊で撃退
ブルガリア帝国を滅ぼす >>343
瀕死のオスマン帝国からコンスタンティノープルを奪えないとか
どんだけギリシャ弱いねん
それともケマルがチートだったのか カール大帝の時代はまだまだだけど十字軍の頃まで行くと
西欧の文明度もビザンツ帝国に段々追いつき始めた感じか ギリシャ・ローマの遺産を食いつぶすだけで終わった感じ
それでも数々の敵を退け、1000年の命脈を保ったのはすごいけど 日本 1500年(継体天皇より)
東ローマ帝国 1000年
神聖ローマ帝国 900年
周 800年
オスマン帝国 600年
高麗 500年
朝鮮 500年
ローマ帝国 400年(東西分裂まで) 日本 1500年(継体天皇より)
東ローマ帝国 1000年
神聖ローマ帝国 900年
周 800年
アッバース朝 800年
オスマン帝国 600年
高麗 500年
朝鮮 500年
ローマ帝国 400年(東西分裂まで)
漢 400年(前後合算)
ササン朝 400年 >>365
むしろ徐々に退化してってないか?
軍事的にも文化的にも >>370
東欧の国にとっては文明の源としてメチャクチャ重要ではある
日本朝鮮ベトナムにとっての中国と同じ ブルガリアとかセルビアとかもろにビザンツの影響受けてるしな
ロシアもビザンツの後継を自称してる 教義論争で敗れたアリウス派の僧侶はゲルマニアに行ったんだよな
それでも蛮族相手にちゃんと布教できちゃうあたりがすごいところ
なんかDQN高校に赴任した熱血教師みたい ローマのスパイと疑われて殺されるかと思いきや
意外と受け入れられている不思議
なかなかローマ化しなかったゲルマン人だが、キリスト教はすんなり受容している >>373
三位一体としないから、排斥されたんだっけ。
しかし三位一体も凄いよね。
余りにも矛盾し過ぎているというか、矛盾を呑み込み過ぎてるので、
すぐには反論できないという混沌の中に、三位一体は存在する。
なおそう言って非難しているというのではなく、そういう意味も含めて本気で優れた論法だと思っている、
また後に多くの分野で示唆的イメージとして有効に作用しているので、三位一体は侮れないなと思っている。 >>369
嬉しそうに継体からの説をといてるがその基準だと神聖ローマや東ローマなんてどの王朝基準でもほぼ100年ないぞ
王朝じたいが変わってるんだから
ハプスブルク朝が数百年程度
ダブスタのアホ >>376
より教義的に優れてるのは明らかに三位一体
矛盾がなにかしらんがなんて糞食らえ
宗教は道理を求めるが根幹に道理がないんだから 国家として考えるなら、ローマの歴史は王政時代からだよなあ
王政>共和政>帝政>コンスタンティノポリス陥落まで、おおよそ2000年 >>376
三位一体の矛盾って何?
直感的に理解できないっていう意味で矛盾って使ってるだけじゃね?
アリウス派とかの理屈の方が、教義で考えるなら矛盾大きいぞ >>379
古代エジプトも結構長いよな
発祥からローマに征服されるまで3000年続いたし >>380
じゃあイエスは何で「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」って言ったの?
三位一体説だとイエスが自分自身に対して喋ってることになるのだけどイエスはキチガイなの? 季節外れにイチジクが生ってないないという
当たり前の事実にブチ切れるおっさんがキチガイじゃないわけないだろ >>384
神が存在として一であることと、顕現した人格が一つであることは、同一でない
そんなのはどんな宗教(ヒンズーでも、ゾロアスターでも、イスラムでも)でも同じ
だから、直感的に理解できないことと、論理性を同一視してないか?と言っている 仏教徒だが
なんかキリスト教は胡散臭くて受付ないんだよな
聖母マリアの絵とかキリストの磔刑像とか見ると生理的に忌避してしまう
(教会建築は好きだが)
まだイスラムの方が抵抗がない
なんでだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています