ローマ時代のブリタニアで日常的にイベリアで作られたアンフォラがブリタニア時代のイングランド各地から
見つかっているという英語論文があったのだが今探してみたがすまんが見つからんかった
代わりに傍証となるサイトを張っておく

https://www.supeinnooriibuoiru.com/mei-ri-nooiru/romadi-guo-noshi-shi-wozhi-etasupeinnooributian
>「西ローマ帝国全土に最も多く存在していた、もしくは最も典型的だったアンフォラはバエティカのオイルが入ったものでした。ベルギー、ゲルマニア、スイスを含むガリア、全ブリタンニアでアンフォラが出土しています。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/012400030/?P=4
>イベリア半島にあった工場の大半は、アンダルシア地方の海岸から、ポルトガルのタホ川河口にかけて点在していた。
>これらの街から出荷されたガルム入りのアンフォラは、ローマ帝国全土で見つかっている。アンフォラが発見された場所をたどれば、
>ローマ帝国各地の消費者にガルムを届けていた、陸と海にかけて広がる広範なネットワークが見えてくる。

> 当然ながら、イタリアには大量のガルムが供給されており、ローマのテスタッチョの丘では数多くのアンフォラが見つかっている。
>テスタッチョの丘とは、食品用陶器の破片ばかりが30メートルを超える高さまで積み重なっている場所だ。
>ガルムはまた、陸路で西ヨーロッパを越え、遠くイングランド北部の山岳部にあるハドリアヌスの長城まで到達している。
>文明世界の最北端にあたるこの寒い土地でも、兵士や市民は地中海の日光に照らされて発酵した魚醤の風味を楽しむことができたわけだ。