自分がルイ16世だったらどのように革命を防ぐ?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
軍隊から帰ったばっかの奴とかは、別にネオナチじゃなくても坊主なんじゃね?
まあマジレスすると、人種国籍問わず、いかなるときもハゲは信用すべきじゃないな >>325
案の定記憶ちがいだったわw
ペルティヨン→ベルトゥー >>316
反ナポレオン陣営諸国の財政を支えたのは、当時欧州各地に急速に進出していた
ロスチャイルド財閥だったろ
ユダヤ人の中世的地位をも解放しつつ進撃を続けた仏軍に対し、このユダヤ金融グループは
むしろその対抗勢力に資金援助し続けて地位を向上させた
イギリスのばあいフランス革命とほぼ同時期に500年ぶりにユダヤ人追放が解かれ
金融街にロスチャイルドが銀行を開き、ドイツからは小売業のアシュケナージ移民が殺到した >>315
農本主義の陸軍国に発展の余地なんかねーよ >>326
それまでたいてい海戦はフランスの負けだったのに
ルイ16世が力を入れた海軍力増強で、イギリス海軍相手に
一度は海戦で勝ったからな。
イギリスもまさか海戦で負けるとは思ってなかった。
そのまさかが起きたため、アメリカに送った陸軍の三分の一が
降伏する羽目に陥った。 >>336
やっぱりルイ16世は無能じゃないんだ。 そこで高級士官がたくさんいなくなったから有能な下士官が昇進して、結果英海軍の強さに繋がった
独立戦争で海戦やらなかったらあのネルソンも艦隊長みたいな立場につけなかったんだよね
なんかこう歴史って上手くいかないよねえ的な無情さを感じるな 同じようなことをして同じような結果が得られると思ってる老害は
どの国のどの時代の軍隊でもあったんですねー ロベルピエールのような三百代言どもを、
まとめてオーストラリアに送ってしまえばよかったw
流刑植民地はイギリスに先を越されてしまったが
ルイ16世もラペルーズ伯爵に、オーストラリアを
偵察させてたね。 ルイ16世の探検の話、今までそれほど注目されてなかったんじゃないかな。 船なんか乗ったことがないはずなのに
海軍に関する理解ではおそらくフランス君主随一 そもそも海外ではずっと無能な王様みたいな評価だったんだろ
「反乱が起こったのか?」「いいえ陛下、革命が起こったのです」
って有名なやり取りはルイ16世がいかに国政に疎いかをアピールするためのエピソードで用いられてきたらしいし
ジョン王とか長年無能とされてきた人物は実は無能では無いのは?
って条件付きで能力評価始めたのは割と最近 当人バスティーユ陥落を知っていたのにあのやり取りはないわ。 ルイ16世は無能じゃないのに無能君主の代名詞扱い
ロベスピエールは極悪人じゃないのにヒトラー、スターリン系列の悪人扱い
最近は再評価されつつあるけど、イメージは悪い グランドジャンプで連載しているイノサンという漫画に出てくるルイ16世はイケメンに描いてあるのはいいが、何か違和感があるキャラ設定 ロベスピエールくん、自身は恐怖政治にも消極的だったのは知られてもいい事実
やりすぎじゃね?とか言ってた あまりに啓蒙主義に傾倒しすぎたから一足早い共産主義政権になってしまった >>355
ルイ16世の処刑に関しては、積極的に推進したのはサン・ジュスト
その後の恐怖政治はエベール派の扇動とサン・ジュストらの積極策の影響が大 フランス革命以前にフランス王国はもう徴兵制のようなシステムが始まってるんだな
フランス王国末期の時点で結構軍事システムは先進的ですね 隠された歴史の新事実と称して逆説をほじくり返しても大した意味はない
オリバー・クロムウェルが実はアイルランドのカトリックに同情的だったとか
ポル・ポトが反革命分子の虐殺に心を痛めていたとか
ヒトラーが慈悲深かったとかしたり顔に大発見されてもな
人はある時点で記号や象徴といったものにされて独り歩きするんだから
ロベスピエールはロベスピエールという名の機関として機能していた時期があったことは確か >人はある時点で記号や象徴といったものにされて独り歩きするん
それは観察者の勝手な解釈に過ぎない。人間は人間でしかない。 というか当時の一般人の見方なんて誰もわからんしな
後世の歴史家の妄想でしかない ツヴァイク的というか司馬遼太郎的というか、
歴史を物語にしてキャラクターを割り当ててしまう、
そういうのは面白いが、歴史学という点からみるとダメダメ。 ヒトの真実なんて歴史を動かす力でもなんでもない
噂や勘違いや記号化が原動力になる
オタクがどーでもいい記述からほじくり返した新事実なんてチンケな手柄欲しさの嘘ばっか
歴史の流れを何一つ見ていない
木を見て森を見ずなどと言うが
森どころか木の一本の枝の一枚の葉の葉脈の一本を見て森を語っている ルイ16世は、即位の時点で完全に詰んでいた、
何してもムダだった、ということですかね。
歴史の必然、ああなるしかなかった、と。
それまたずいぶんとホイッグ史観ですな… ルイ14世の時代なら、フランス王家はいくらでもやりようあったけどな
結果論に過ぎないけど 先代先々代とユグノーをいじめすぎた
ナントの勅令の有効期限を伸ばし、
フランスがそこから生んだ世俗主義によってカトリック原理主義を押さえつけ、
ユグノーの商業活動を優遇し、なおかつ慈善事業を奨励すれば、
生産効率がもっと早くから上昇して経済もうまく回っただろう
16世の代ではもう手遅れだった
サロン文化でも、人間をすべて均等に扱う啓蒙主義への反撥として
個人や地域の独自性を強調するロマン主義がもっと早く生まれていれば
ナショナリズムが発達してカトリック原理主義と啓蒙主義の勢いを削いだだろう
ロマン主義は元々貴族社会と親和性が高く、また様々な流行を生む記号・素材を豊富に持っていて
ブルジョアジーを含めた市場化した社会の経済を大きく動かす装置にもなる 14世〜16世の3代で一番の戦犯は15世だと思うわ >>358が言う
「人はある時点で記号や象徴といったものにされて独り歩きする」っていうのは
確証バイアスが世間一般に広まった状態を指しているのかもしれんな。
つまりある歴史的事件や人物に対する偏見が社会的に共有されている状態。
キャラが立つのはマンガならいい事かもしれないが、歴史の本であれば
まず確実に実像から遊離している。 虚像が独り歩きして定説になってしまう背景を探るのが面白いと思うんだがな
そこにはそういう時代の流れと、象徴的な出来事を求める需要があるんだから
流れや趨勢を無視するからどうでもいい新事実がつまらないんだよ >>368
流れや趨勢「だけ」調べても意味がない
どういう人物が何をしたか、それを当時の社会がどう受容し、結果がどうだったか
それぞれに「何故」がある、しかし、「何故」は常に現代的価値観という枷がかかっていることも同時に理解しなければならない
正直おかしなことしか君は言ってない >どういう人物が何をしたか、それを当時の社会がどう受容し、結果がどうだったか
ほじくり返されているのは結果も影響も出ていない「秘話」ばっかりじゃないか >>368
それは「史学史」という別の学問だね。
>>371
そういう細かい発見や新解釈の地道な積み重ねを経て、初めて革命的な新しい歴史解釈が現れるんだよ。
君が言ってるのは、歴史学のそういう地味で日常的な営為はいらないから、打ち上げ花火のような派手な結果だけもってこい、と要求するのに等しい。
材料工学の地味な研究とかやめて、さっさと核融合炉を持ってこい、と言ってるようなもの。 関係がある話だと思うけどな
ルイ16世のステロタイプなイメージと実像のギャップを考える上でも >>372
細かい事実を積み重ねた結果の概論であり定説があるのに
後から同じ事実のほんのカケラをまたぞろ引っ張り出して
全体をひっくり返す新発見だ!とやらかすトンチンカンな半可通があとを絶たないんだよ
主に何かのイデオロギーのバイアスがかかっている人に多い この流れはロベスピエールの評価をめぐるものからじゃなかったっけ >>375
むしろ、細かい積み重ねに基づかないイメージを覆すような物証が出て来る方が多い 双方の論理はわかったので、論拠となる実例を挙げていただけると討議の一助となるのですが。 じゃあ試みにひとつ実例のようなものを
日本史の分野になるけど、昔の歴史家は「政所政治論」といって、
摂関政治全盛の時代には政治の中心は朝廷や太政官から摂関家の政所へ
移って、政所下文や御教書で行政が運営されるようになった、と考えていた。
でも実際に残された史料に当たってみると、摂関家政所下文なんて量的にも
少ないし、質的にも摂関家の私領の処分に関するものばかりで、摂関政治の
全盛期といえども太政官が発給した文書が行政を動かしていたことが明らかになった。
なんでこんな歴史観が一世を風靡したかといえば、おそらく明治初期の歴史家たちが
一次史料よりも鏡物のような二次史料を中心として研究していたこと、物語のような
フィクションからも影響を受けていて、これらフィクションが史実を相当改ざんしたものである
ことへの理解がまだ広がっていなかったこと、などがあるだろう。
一つ一つの一次史料の発掘や紹介はつまらないことのようであっても、それが支配的な
学説を覆すに至ることもあるし、いま支配的な学説も細かい検証や反論に耐えるかどうか、
常にテストし続けなければならない、という実例だね。 でも遅かれ早かれ実権は下へ武家へと移譲されただろ
それが下克上だ
流れはそうなんだからほじくったって大して面白くもないよね >>382
大雑把過ぎて反論する気も起きない
摂関政治期(平安時代中期)から鎌倉幕府の成立、そこから武家の比較的優越(承久の乱後)まで、150〜200年はあるのだが、その200年がどうでもいいと宣うらしい
フランス革命の200年前とか、ちょうどアンリ4世が即位した年な訳でな そもそも天皇の権力が何度も何度も貴族に奪われてはさらに下位の貴族、
挙句は武官に移っていた流れの一環じゃん
ぎゃあぎゃあ騒ぐほど大した違いか?言えば言うほどヲタ臭さしか感じられねえわ
流れと結果を見ようとしないからだよ クイズに答える高校の授業の感覚で
歴史を暗記モノだと思っていれば
384のように奇天烈なしかし凡庸な言辞を発することになるわな ……流れと結果どころか、原因となる史実すらまともに見てない人に言われてもねえ
ちなみに、その流れとやらに現実の事象を当てはめていく典型的な歴史観がありまして、唯物史観と言います
ロマン派もその傾向強かったなあ >>390
パリに関してはやってた。
パリで窮民が食糧暴動起こしたらヤバイことになるのはわかってたからな。 そういや日本みたいに十万人規模の餓死というのは
フランス王国では聞かないな。 パンが駄目でもお菓子があるからな
セーフティネットや パルマンティエが家畜のえさだったジャガイモ普及に尽力したからな。 >>395
そうともいえないな。
たとえば小麦1キンタルあたりの価格は、地方では1786年の10.87フランから
バスチーユ襲撃の1789年には32.06フランまで急騰してる。同時期にパリでは
およそ20フランから28.4フランにとどまってるのは、>>391で書いたような、
パリへの小麦の流入を確保する法的政策的枠組みが機能してたからだろうな。
それでも20年以上ぶりの高値だったから革命になってしまった。
この時代の貧民はエンゲル係数が非常に高かったから、食料価格はちょっと上がった
だけでも政治的に不穏な情勢になる。 >>391の食料統制だけど、具体的には
1.パリから半径40kmゾーンからは麦の持ち出し禁止。このゾーンで生産された
麦はすべてパリの消費に当てられ、取り扱いを許された4ヵ所の市場でのみ
取引できる。
2.ゾーン外からの麦の流入を確保するための特権商人がいるが、彼らはゾーン内での
麦購入禁止。すべてゾーン外から搬入しなければならない。大商人はポーランドや
北アフリカなどからも買い付けを行って麦の流入を確保した。
3.パン屋やその数なども規制を受けていて、パリ警視総監が管理していた。
パリ警視庁の七つの部局のひとつ、パリ補給室はパリへの食糧供給確保に
責任を負っていた。
規制の中でも重要なのは、パン市場で売れ残ったパンの持ち帰りが禁止だったこと。
売り切らなければ廃棄するしかないので、値下げ圧力になった。
ただ、こういう規制はパリから遠く離れると緩くなるので、十分な資本を持った大商人は
地方都市に小麦倉庫を所有して、そこから売り惜しみや投機を行っていた。 へーそうだったのか
だけど小麦の価格が3倍になるというのはひとつの要因ではあったろうけど
革命の主因でもないように思う。他にフランス特有の理由があったはず。
江戸時代の日本など、米価が急騰するごとに革命を起こしていたら
4・5回は上様をギロチンにかけてなけりゃならない勘定。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rice-rate.png 帰農令を出し、新規の農地開発に投資し、パリに流入した市民を動員(パリから追い出す)する。 売り惜しみをする商人などを悪徳商人に仕立てて、ある程度は打ちこわしを容認する。 地方の貴族領主を交代でパリに勤務させ、街道筋に金をばら撒くよう仕向ける。 神聖ローマ皇帝に政権を返上して同時に負債も押し付ける。 >>404
フランス全国で選挙すれば、余裕で国王が再選されちまうよ。
たぶんヴァレンヌ事件の後でもな。 フランス革命って、割とパリとその他の一部地域だけが突出して先鋭化してただけって部分あるからねえ
三部会開く前に、ヴェルサイユよりさらにパリから離れてればワンチャン? そこでは微妙にアントワネットさんが足かせになってた気がするね いわゆるフランス革命って、人口の大多数である農民の意見を
ほったらかしで過激化していく感じが。
普通の農家なら王制支持派が多いんだが、いかんせん文盲率が
相対的に高くてね・・・ インテリの供給源の一つである中小貴族が食えなくなって
革命支持に回ったことがまずかったとかなんとか リヨンに逃げ込み忠良なる軍とともにパリへ進撃すればよかったとして、それはいつの時点だろ?
ヴァレンヌ事件の頃では、警戒が厳しくてたどり着けなかったろうし。 あんまり早く逃げ出すと諸侯からチキンって言われちゃうからなあ
ギリギリまで粘りつつ脱出にも成功しなきゃいけないってチキンレースをやって負けちゃった感じだと思うわ
民衆が大貴族の権威を粉砕した後で、民衆そこまで狂気的な警備をやってない時がワンチャン
そんな瞬間あったのかは知らないけど 三部会開く前なら建前もいくらでもあるけど
三部会開いた後だと、なかなかにチャンスがないな フェルセンの回想によるとルイ16世本人は、バスチーユ襲撃の日7月14日に決断すべきだった、と言っていたそうだ。
例によって「だって弟(アルトワ伯)もブログリー陸軍卿も行くなって言うし・・・ どうすりゃ良かったのさ?」って感じだけど。
そのアルトワ伯も2日後には妻と愛人と告解師まで連れてトンズラ。三部会軍事介入のためにパリ近郊に集結させていた15個歩兵連隊、7個騎兵連隊、2個砲兵大隊の大軍には16日付で解散命令が出てるので、この時に軍事介入オプションも断念したんだろうな。 歴史を知っているものの立場からすれば、内戦上等で戦えば
あの時点で鎮圧できたのかもしれん。 >>420
バスチーユ襲撃の時点ではもう難しいかも。
集結軍の指揮官ブザンヴァルが、バスチーユ救援部隊を派遣できないか部隊長達に検討させたら「既にパリの革命的雰囲気が部隊に感染して兵士が反抗的になってるので、そんな命令は反乱を誘発する」として反対されたそうだ。
以外かもしれないけど、ほとんどの革命はプロフェッショナルな軍隊の動向が決定的要因になるんだよな。国民衛兵みたいな非常勤のアマチュア軍隊では、正規軍に抵抗は難しい。もし正規軍の士気が十分高ければ、の話だが。 フランス王国が出資者のフランス軍であっても構成員は一般人だからな
一般人の不満は兵士も同感だと思っているだろう >>421
天安門事件がこれだったな
あの時は、軍が局外中立を堅持することで民主化が一気に進むんじゃないかと期待したんだがなあ 正規軍の給料の遅配があったと何かで読んだ気が。
そうでもなければそんな簡単に正規軍が革命側に寝返らない気が。 >>424
もともと兵隊の給料はめっちゃ安かったしな。飢餓線上の人口に応じて、収穫期には高く、端境期には安くなるレベルの給料。
パリ近郊駐屯軍の部隊は安い給料補うためにパリ市内で内職してたそうだから、サンキュロットの政治的雰囲気には容易に感染したろうな。 その時点であんまり国王陛下がお金を出してくれているから我々は生活できているって意識も無いだろうしなあ てことは先んじて兵士の給与を上げておけば革命は予防できたのかな
しかし当時の財政状態でそれは不可能だったかも…財源がない >>427
とにかくフランス政府には金がない
革命の発端はそこにある
そこ踏まえて、みんな「詰んでる」って言ってるんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています