サピエンス全史 Part2
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ユヴァル・ノア・ハラリは人類学者ではなくて歴史学者です これ単純作業の仕事中にオーディオブックで聴いてるけど(本も所有)面白すぎて中断しまくり捗らん! 面白いね
自己や社会への見方が変わっていく
もっとたくさんの人に読んでもらいたい本だ まずは冷静ゆえに辛辣な語り口が特色かな
人間は協力し力を合わせて生存を図ってきた
そのために虚構を巧みに用いてきた
虚構の力への依存は続いている
この辺がひとつの主題になってる
>>6のまとめも概要の理解には良いけれど
とにかく読んでみて引き込まれるかどうかかな
こんな話されたくないとか
こんな考え広まると困るとか
拒絶する向きもありそうではあるが
ヒトや社会を俯瞰して見るのには役立つ 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
F37 「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリの次作
「ホモデウス」は、9月6日に発売予定。
ホモ・デウス 上 :ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田 裕之|河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309227368/ ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 | ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 |本 | 通販 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4309227368/ 新刊読んだけどシヴィライゼーションにも元気づけしてたな
この人の知識すごすぎるわ 「ホモ・デウス」が描く、私たちが想像もしなかった未来 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
https://forbesjapan.com/articles/detail/22855 ユヴァル ノア ハラリ〈サピエンス全史〉上下を読了した。
扱っている対象は過去だが、枠組レベルの問題が主題なので、
むしろ人類学の著書と言うべきだろう。
ジャレド ダイヤモンド〈銃・病原菌・鉄〉と同じジャンルに属することになる。
読みながら連想していたのは、小松左京〈空から堕ちてきた歴史〉だった。
これは架空の宇宙人の地球観察記録というスタイルの歴史書だが、
ハラリの記述スタイルは近いところがあって、
霊長類の一系統が地球を支配する過程を
地球外から観察しているような目線で書いてある。
「人の命の特別な価値とか、貨幣とかいったものに対する尊重感情は、
客観的根拠を持たない信仰なのだ」
という説明が、そういう目線の自然な帰結として出て来る。
ネットで感想を読むと、そういう目線が斬新だったらしいが、
SF読者にとっては割と常識レベルの内容である。
「重要なことは判っているというのが近代以前の感覚で、
重要なことが判っていないと無知を意識するようになったのが近代の始まり。
無知を自覚しなかったアジア諸国は停滞し、
無知を自覚した西欧は空白を埋めようとして発展した。
地図の空白を埋めようとしたのが帝国主義で、
知識の空白を埋めようとしたのが近代科学だ」
という指摘に同意する。
ちょうど同じようなことを考えていた。
私が考えていたのは、日本の技術研究の停滞の理由、
かつて世界に君臨した電機産業の衰退の理由という文脈だが。 ユヴァル ノア ハラリ〈ホモ デウス〉上下を読了した。
分類としては未来学ということになり、その分野の本は押さえておきたい。
[遺伝子操作なりAIなりで人間以上の知能が出現するはずだが、
それによって人間中心主義は崩壊するだろう]
という予測が本題で、それを語る第3章のための準備として、
近代に人間中心主義が成立するまでの歴史を第1章・第2章で通観している。
この主題だと、[人間中心主義を絶対視した上で中心教義の崩壊を憂える警世の書]
という形になりがちだが、ハラリの視点は冷静である。
人間中心主義も[近代の経済条件でのゲーム論的最適解]
といった価値中立的解釈で相対化されており、
[次の時代の経済条件ではゲーム論的最適解も変わるだろう]
という価値中立的視点で未来が分析されている。
「著者は歴史家で、本来の専門は軍事史」
という訳者解説を読んで、なるほどと思った。
ホモ デウスは遺伝子操作や電脳接続で超知性化した近未来の超人のことであり、
超人と現人類の関係の雛型として、現人類と動物との関係が語られている。
そこも、凡人に向かって「超人に怯える必要は無い」と説得している感じがある。
現代人も高等動物には それなりに尊厳を認めて、
愛護の精神を持つようになっているのだから。
手塚治虫の〈ブラックジャック〉では、
無条件に生命を擁護する子供の正義を体現した主人公に対して、
「重度の障害児の生命まで擁護しても不幸を増やすだけじゃないか?」
と大人の正義で反論するライバルが登場する。
少年漫画の形式としてライバルは悪人設定されているのだが、
作者自身の主張はライバル側に近いことが読み取れてしまう。
〈ホモ デウス〉にも、そういう表面主張と深層主張のズレがあるように感じた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています