「韓非子」一巻。
「流行」ということばは、紀元前三世紀の「韓非子」第八、一まで起源はさかのぼれ、
「君主は発言する機会が少なく、みんなの意見もあまり聞いていられない。
そこで、臣下たちは話のうまいものに自分の利益になるような話をさせ、脅したり、嘘をついたりして君主の権力を利用する。
これを流行という。」とあります。このことばは岩波文庫「韓非子」の流行についての説をわたしが意訳したものですが、
これが東洋の秦始皇帝の採用した学者だということを「流行」の項目に記述するべきでしょう。
これが流行です。

中国の王権神授説
「韓非子」第八、四に「主上不神、不将有因」とあり、
「君主が神のようでなければ、将官たちは従わない」とあり、中国の王権神授説です。
紀元前280年〜紀元前230年の間に成立したといわれており、
このとおり、韓非子を採用した秦王えい趙が紀元前221年に始皇帝(秦始皇帝)に即位しました。
これ以後、中国の皇帝は神のごとくあったので王権神授説といえるでしょう。