食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 101皿目
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>>842
その話は奄美に伝承されてるけど時期がはっきりしないんだよな
少なくとも最近では従来言われてたように薩摩藩支配期を通じてではなく
幕末の数年間だったらしいことまではわかっている 多分この人が延々と関係ない話をするのは
農民も米を食べてた=農民が豊かだったと拡大解釈してるからじゃね
貧しい農民も結構いたというのはわかる
農民が食べてたご飯はかなり雑穀が混じっていたものだったといのもわかる
米をまったく食べていなかったというのは無理があるだろ
明治3年の統計だと百姓の人口は2700万ほど何だが
これだけの人口を雑穀だけで維持できるほど生産高があったのか とりあえず>>836
は米と麦を貧しい農民が食ってたという話で
「農民が米を食えなかった」話では全くないんだよ
これをもって農民が米を食ってなかったというのはおかしい。
何を持って「喰ってなかった」のかしらんが少なくとも自分が出したソースに米と麦を食ってた話があるんだから
少なくとも「全く米をくってない」という話ではないのは明らか。
この長文君は論理が非常に雑でかつ論点を全くわかってないし
何を論証すべきかもわかってない >>852
時期がはっきりしないから何とも言えない
そもそも砂糖きびでもっとも苦労したのは徳之島なのに
奄美奄美と宣伝するのも違和感 >>854
次の >837で 一家の一日の米の量計算してるんだが、1人 一日 1合食べれてないぞ、
子供は 0.5人分と計算してるから ガキは1日 0.5合で かなりつらいが、
ここの家族は麦や 大根とかで 麦飯や大根メシだろうね 比較的裕福な自作農でこれ。
不作や凶作の時には3両〜4両ぐらい借金しちゃうから天に祈るしかないね。
武士でも農民でもそうだが、家族が病気になれば現在みたいに健康保険も病院もないし、
薬代が嵩んだり、田畑の耕作が進まなくなったりするぞ。
ちなみにそこの例は『農民裕福論』を言ってるひとのサイトだから、それより最下層のが多い。
貧乏な藩とかは額面価値の低い藩札なんかが流通しててろくに物も買えない。
百姓やってても鍬や鋤とか 着る服の反物とか現金が必要だから
藩の経営がおかしい藩だと苦労してただろうね >>856
単に「米は食ってるけど少ない」って言ってるだけだよな
「米はくってない」ではないでしょ?
そして不作以下の文は全く関係ない
とにかく君は国語能力も論理力もない 揚げ足取りが目的か。
その屁理屈だと俺はキャビアとフォアグラを食べている事になるな。 とりあえずカロリーの何割が米だったかで議論してくれ 現代でもそうだけど、飢餓は流通の問題が大だからなぁ。 コメの流通については、大阪で相場が立つ というのは秀吉の時代から変わっていないのよ
コメというのは毎年生産されるだけ消費するから、価格が維持されるわけで、
人が食う以外消費のしようがないのw
人口の9割は農民で、その食い残しが、年貢なわけだ。
不作の時は、年貢は減るのよ。
百姓が逃げたら、武士が食えなくなるからな。 不作だろうが前もって決めた量を取り立てるのが定免法って奴でな >>858
いやそこをわかっていないから変
他の人との論争で米を生産してるのにどこに言ったんだという話してたでしょ
向こうの理屈は米を農民が全く喰ってないことを前提にしてる
それがおかしいというならその時点でその点を指摘すべきだった
だいたい「喰えてない」の定義が俺様定義でその点の解説がないのも
「日本語能力」と「コミュニケーション能力」「論理力」がないんだよ
あんたの文は相手に何かを伝えて説得する文章ではないんだ
結局食えていないってのは「白米を腹いっぱい」という意味なのかなんなのか
農民の何割が主食のどの程度を喰ってたら「米を食ってた」になるんだ
現代人でも麦は食うぞ
あとフォアグラを毎日主食としてそれの三割喰ってるならフォアグラを喰ってることになるだろうな
お前の理屈がどれだけへ理屈かわかったか? 俺はうんこを主食にしてる
毎日腹一杯うんこを食ってるよ >>864
マジレスするとウンコ食いは死ぬ可能性があるので注意 >>856
だったら余計に稗だの黍だの作ってる余裕ないじゃん
面積あたり・労力2\あたりでの収量は稲が最大だし、刈り取ってからの労力も少ないんだし。 じゃあ866ではないけど反論できず罵倒のみで論争から逃亡と認定して
農民は米も食ってたでいいね。 傾斜地とか砂礫地とかの一部の稲作困難地区で粟稗黍芋蕎麦を主食にしていた農民も居たろうけれど、
そんなの全体から見りゃ極めて一部、粟稗黍蕎麦の生産量なんて遠く米穀に追い付かないんだから、
そういうものを主食にできる範囲も極めて一部だろう。 もうちょっと統計とか出して数字で論じたらいいのに
五公五民の「五民」のぶんの米がどう使われたか〇〇藩の史料にあるとかそういうの 農家が米を全然食べてないとしたら、毎年大量の米が余りますわなw 長文米食ってないクンは
そもそも全然食べてないとはいってないそうですよ
自作農の最底辺は米を三人で1,3石食ってたが米をくっていない証拠だそうで >>873
大量のコメは武士階級に持っていかれるんだがな >>874
武士は1人で1石だっけ?
じゃあ農民は武士より米食ってないけどゼロではないでいいじゃん >>871
二毛作ったって、稲と併用できるのは麦くらいで、それでも食い合いにはなるでよ。
特に小麦は収穫が6月後半だから、小麦を植えると稲の減収になる。 そもそもの発端はなんだったっけ?
江戸時代ユートピア論はおかしいだろとかそんな話? おかあちゃんのおべべあかん!あかん!
で、お母ちゃんのおべべ3着交換して、米一斗
米一俵60sが4斗だから、1斗は15s。
高価な着物三着で、いくら古着でも15キロにしかならないわけ?
いくら戦争末期とはいえ。 >>880
少なくとも今から30年くらい前の時代までの農家って、民度が低くて下劣で下品だった。
世界中の観光地で「農協」が恐怖されたりとかな。
ましてや戦争末期の時代。強欲なくせに民度の低い農家がぼったくりに突っ走るのは
当たり前というか、わかりきったことだよ。当時の農家は小卒とかだしな。
農作物を国産にすると安全保障になるとかいう妄想は捨てたほうがいい。 >>881
それは偏見というものだよ
例えば19世紀に既にイェーリングが指摘している通り、都市労働者より小作農の方が政治意識も順法意識も強い
「違法でも偉い人の顔色を窺って従っちゃう都市労働者」と「遵法意識が高くある意味空気を読まない農家」とで
前者の方がスバラシーみたいな考え方をする人は全体主義に向かいがち まぁ長野県のレタス農家なんか、学生バイトを徹底的にこき使うからな
だから悪いうわさが広まって誰もバイトに来ない
今では外国人研修生を同様に酷使して国際問題化してる >>875
いくら武士が大食らいでも、日本の米の総量の7割を武士階級だけで食えるわけなかろう? カロリーベースがいけないというか、農業を経済産業の一つととらえれば生産量は金額ベースだから、カロリーなんてどうだっていい。
食料安保論では、まずは生死に直結するカロリー確保が重要だから、カロリーベースが重要な指標になる。
あと、カロリーが必要なら緊急時に野菜畑で穀物やイモ類作るという前提で、潜在的カロリー自給率産出する方法があるが、
作物への転用が困難な果樹園やハウス野菜施設をどう評価・計算するか難しい。 >>886
現実の食生活と関係ない「カロリーベース」の数値で何かを評価したり否定するのは
まるっきりバカげている。
日本国民の皆さん!野菜はほとんど供給出来なくて、キノコとか全滅ですけど
米だけはたっぷり供給できます。あとラードやマーガリンは確保できました!!!
ご飯にラードのせて食べれば、カロリー足りますよね?
とか農林水産省が言い始めた所で、誰が納得するのかって話しだよ。 >>885
武士が食べ残したら農民に返すと思ってんのか?
何のために武家屋敷に蔵が並んでいるんだよ アジアはなぜ主食の米を浪費して酒を造ってしまうのか
ブドウや大麦みたいに主食じゃないもので酒作ればいいのに >>825
>>842
「ソテツ地獄」というのと、西南諸島で江戸時代にソテツを食料にしていたというのは違うらしい。
江戸時代は当地のほとんどの耕地でサトウキビを栽培して年貢にしていて、島民はソテツを常食していた。
明治以後はほかにイモとか島外から買った食料があって毒抜きに手間のかかるソテツを食わなくなった。
それが、昭和の恐慌や戦中戦後の食糧難でソテツを再度食わざるを得なくなった。
しかし長い間食べていなかったので、正確な毒抜きの方法や加減がわからなくなっていて中毒者が出た、
というのがソテツ地獄らしい。 >>890
低脳乙w
だったら武士はどこに荷物を置くんだよアホw
武家屋敷(byウイキ)
>大名が居住する屋敷は「上屋敷(かみやしき)」と呼ばれ、
>郊外に別邸として設置された「下屋敷(しもやしき)」と使い分けられた。
>下屋敷には大規模な庭園(大名庭園)が造営されたり、
>多くの蔵が建てられることも多く蔵屋敷と呼ばれた。 >>893
上の方にも書いたけどそれ江戸時代ずっとじゃないよ
伝承でそう伝えられてたけど実は幕末のごく一時期だったことはわかってきてる
あと奄美はもともと米作りに適していなかったので琉球から米が運ばれてた >>895
「あと」を接続詞に使うやつは大抵オツムぬるいよな >>892
ビール造れるけどパンの値段が上がって庶民が苦しまないように
小麦ビールは南ドイツ、のちドイツ全域では禁止された
>>891
芋とか、コーリャンとかでも作ってるじゃん 蔵屋敷とは何かなんて中学レベルの基礎知識だと思ったんだけど今は違うのか? 食の安全保障としては金額ベースに意味がない。
金額自給率100%でおなかが一杯にならない。
理想は栄養ベースだけど算出は容易じゃないのでカロリーなんだろう。 江戸時代から戦前にかけての日本人はアホみたいに米ばっか食ってたらしいな
だから背が低いという その反動で近代になると富国強兵のため栄養に拘る様になった。 米は一年程度なら保存が利くけど、それ以上の長期保存には向いてない。
現代の冷蔵技術が整った保存法でも、古米ってマズいでしょ?
蔵の中に入れておけば財産になるような物ではないのだよ。根本的に。 古米を炊く時には蜂蜜を加える。
俺はそれで5年前の米を食べてる。 >>901
堂島に行っても蔵屋敷なんて一軒も無いし
仕方なかろう >>905
たしかにコメは精米してしまうと一年ももたないが、
モミもままならば何年も、条件が良ければ何十年ももつ
もうちっと良く調べろや 年貢で〇公〇民っていうのは〇民のほうを農民が食って
〇公の方を年貢に取られてそれが江戸や大坂の蔵屋敷に
運ばれて売られるんだろ
このへん義務教育で習ってないのか? ちなみに検地は100年に一度レベルでしかやんないので隠し田が多く
農民は「副収入」が多かった まさに豊かな農民にだまされて貧しい武士が貧困にあえぐ不思議な国だったのだ その辺は地域によるがな
加賀とか薩摩はやたら検地をするので
ソロバンができる藩士が多かった サツマイモが普及したのは江戸時代中期以降。
それ以前の薩摩の百姓はなに食っていたんだろうか >>910
まあ五公五民とするか。領主が出来た米の半分を持って行くと。
江戸や大坂の蔵屋敷に運んで、換金したりある程度は食べるだろうな。
武士ってのは当時の世の中に1割しかいない。町人もせいぜい1割程度。
日本で生産された米の5割を2割の人間で食べ尽くすのは、無理だと思わないかい?
ちなみに江戸期に米の輸出はほぼ行われていないよ。鎖国だし(笑) 議題となってんのは農民が米を食ってたじゃなかったっけ?
>>915は何の話をしてるんだ? >>909
モミもままでも劣化は進むよ。飢饉とかの本当に喰うものが無いときは別として、
劣化が進めば価値だって下がる。それに米をため込むって言っても程度があるだろ。
蔵の広さってのは限界があるし、在庫コストは無視できないってのは今も昔も同じだ。 集めた年貢のうち武士が食わない分は全部売り切らないと藩の財政がピンチになるんですが 百姓って言っても全員が米を作る農民ではなくて
甲州あたりの百姓みたいに桑作って生糸とってそれを売った金で
年貢を納めたり米買ったりしてたとか作物は色々っすよ 買う人がいないと売買は成り立たない。
買った人は自分で食べるか転売するかしないとな。
米俵を積み上げて鑑賞するって変な宗教があるなら違うけど。 蔵元と札差ではどっちの方が力があった?
両者とも明治維新であぼーんしたの? いつの間にか議題は江戸大坂の維持費の高い蔵屋敷に
高い船賃を出して米を運び込んで腐らせていたかという
話になっとるんかwwwww >>895
琉球も気候はともかく水の確保が難しくあまり米作には適していない >>918
なんねーだろ。
お米が貨幣で、お侍のお給料も、出入りの商工民の支払も、賦役に駆り出したときの日当がわりの昼飯も
お米なんだから。 >>882
アレクサンダー・フォン・シーボルトも来日した時の日記に同じことを書いていたな
住民の自治レベルや気風が都市と農村では大きくことなると
普段武士と接して抑圧されてる町人が卑屈になるのは仕方ないことだろうけど 約3000万石とされる石高は、米の収穫高ではない。
石高といってもコメ以外のものも含まれるのであって、
江戸初期の正保期の統計によると、石高の内約7割が田であり、
幕末の時点で田の石高は2200万石程度です。
実際の年貢は1200万石を超える程度で、五公五民よりもかなり少ない。
これは明治初期の税収データをもとにしたものである
さらに「年貢米」となると、もうちょっと少なくなる 幕末の米の平均収穫高を玄米換算で2800万石とし、その内1200万石の米が税金として
取られたとして、2400万人の農業従事者の元に残る米は1600万石。
この場合農業従事者は1人当たり6斗7升の米を消費できるので、
米食率(1人平均年間1石2斗で計算)は約55%となります。
しかし農民はコメを全部食べるわけにはいかない
米本位制なので、生活必需品を買うために米を売らなければならない。
だから実際に食べられるコメの量はもっと少なくなる 税収の1200万石の内、武家・寺社等特権階級400万人が米食率100%として480万石を消費し、
残る720万石が特権階級の収入源として流通にまわります。
そこから加工用340万石を除くと、米として消費できるのは380万石となり、
これを非特権階級の非農業従事者500万人(町方や林業水産業従事者など)が消費するとなると、
1人7斗6升の米を消費できるので、非特権階級の非農業従事者の米食率は63%となります。
いずれにせよ全人口が米を毎食食べるには足りなかったのです。
また米以外の作物もカロリー源として重要で、大多数の百姓は「米が食べられなかった」のではなくて、
麦などを混ぜた雑穀米を主食とし、「白飯を食べなかった」ということになります。 おしんじゃないが米だけでなく米に色々混ぜてたのが近世だな >>927
五公五民の年貢が1200万石なら石高は2400万石だろ 正直に言うと、俺はJK見学店に出入りするようになったのが40過ぎだから見学では抜かない派。
ただ、あちこちのリフレやら派遣で会った複数の見学嬢の話しを総合すると8割〜9割の奴が堂々と抜いてるとのこと。
中の様子はパフォ中もある程度見えるし、近づくと顔も見えるらしいが、見学嬢は抜くのが当然と思ってるよ。
何人かの嬢には、抜かないのに何でくるの?とか、抜かない人見ると逆に不安になるとまで言われた。
見学では、堂々と抜くのが正解。 >>937
城下町とは本来は軍事都市であり
町人は準戦闘員であって、支配階級側だよ
だからコメは優先的に回されていて、飢饉で餓死することは無い 町人は軍役もなければ扶持米も貰ってないのにそれは無理があるわ 商店の丁稚の食事は飯と味噌汁(実なし)と漬け物だけで超質素だった
おそらく農民の食事より貧しかったはず
それでも飯は白米だった
現代の我々だって雑穀を食おうとしたら米より却って高くつく
雑穀は基本的に商品として流通するものではないから
商品として流通してる食料を購入して食ってる都市住人には無縁な物なんだ >>939
お前の無知から出た感想なんぞ要らないから そもそも城下町で戦争なんて日本では滅多に無いだろ。
城の数はいっぱいあるのに、町で戦争したのは、応仁の乱、上田合戦、大坂戦役、戊辰戦争で、小倉、宇都宮、会津、函館。
応仁の乱の京は城らしい城は無いしも、上田合戦は城下町とはいいがたい山城のようなものだし、函館はにわか仕立ての
洋風の築城だし、小倉攻略は毛利勢が町に入る前に城を焼いて小笠原勢は退却している。
実質的にはの大阪戦役と宇都宮会戦と会津戦争しかないわけだ。それぞれ、夏の陣・冬の陣、白河城・若松城と別に勘定しても、
計5回。 >>938
>城下町とは軍事都市
それ惣構えだけやん
>町人は準戦闘員
それをやった画期的な藩が幕末の長州藩
法的に町民が戦闘員だった証拠はなく、事実上の運用も特殊なケースしかない
八王子同心のような平民と武士の間のような人間はいるが町人はそうではない
お前が夢想家で無知 そもそも城下町なんて平和になった江戸時代以前はほとんどなかったんじゃねえの
当時は百姓には誰でも兵役がかけられていていたけど豊臣期の総無事令と刀狩りによって
百姓は兵役から解放されて一部の兵役負担者だけが士分として取り立てられたって感じだけどな
黒田基樹や藤木久志の著書によると 「農民は腹いっぱいに米を食っていた」の次は
「町民は一般市民だった」かよw ウリたちは腹いっぱいに糞を食いたいニダ!
チョッパリは奴隷ミンジョクだったニダ! まあ「江戸煩い」って言葉があるのだから
町人が白米ばっか食ってたのは、可能性が高いな。 落語を思うに庶民が漢文を読めるのが一般的とはとても考えられないな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。