古代の倭国による朝鮮半島支配
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日本が朝鮮を支配していた時期は、歴史上に2度ある。
古代と近代だ。 >>100
やっぱ中華に近い方が偉いっていう小中華主義でしょ 白村江の戦いで倭では唐と新羅に対抗できないと知った扶余豊璋は高句麗に亡命
しかし高句麗もその数年後に唐新羅軍によって滅ぼされる
唐は同盟の報償として大同江以南の土地を新羅に与えるという約束をしていたのだが
それを反故にして唐は百済を熊津都督府として直轄統治
更には新羅も鶏林都督府として版図に組み込もうとする
これを知った新羅は激怒して熊津都督府に攻め込み長官として赴任していた豊璋の兄弟である隆と唐兵を追っ払う
この勢いに乗って高句麗領もすべて手中にしようと目論むも唐軍は手ごわく負け戦が相次ぎ持久戦に転換
唐側も李謹行と薛仁貴を送り込むもが伎伐浦の戦いで20万の将兵を失って撤退
結局当初の約束通り大同江以南は新羅そっから北は唐ってことで手打ち
ちなみに伎伐浦と白村江は同じ場所だったりする 支那豚如きの体力では半島全土支配は無理だな
やはりここは海洋民族日本人でなければ ここで唐と倭が組んだら新羅は絶体絶命だったのだけど
意外にもこれをスルー
まぁ倭も壬申の乱とか色々ともめてたし仕方ないね >>103
中華本土が安定しているのなら、実力的には可能だろう。
ただ、中華が近隣地の朝鮮を直轄地にしなかった理由はなんだろね?
古代の白村江から、近代の朝鮮戦争にいたるまで朝鮮半島を掌握できる実力は示してるのに。
そういや、元も高麗を完全屈服させたが、直接支配はなぜかしなかったな。 白村江の戦いで倭が新羅の首都には兵を進めなかったのは不自然だな
あくまでも唐と倭の間での朝鮮半島の宗主権争いの体で新羅そのものを滅ぼそうとはしていない この戦いはあくまで唐新羅と高句麗との戦い
百済が先ず狙われたのは高句麗の同盟国で新羅側が南部から北上する際に後ろを突かれないため
そもそも倭は「兵有りと雖も征戦なし」(隋書)というぐらい平穏な国で
熾烈な争いを四六時中している大陸や半島勢力の争いに介入できるほどの実戦経験がない >>107
>>75>>76読めよ
当時既に半島に軍事的なプレゼンスを確立してるんだよ 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。 おめえこそちゃんと読んだらどうだ?
それのどこをどう見たら「軍事的なプレゼンスを確立してる」なんて言葉が出てくるんだ? >>110
書いてあるのは海を越えて繰り返し派兵された事実だが
軍事的プレゼンスと政治的プレゼンスが別物だとでもいうのかこのバカは どちらにしろ白村江でより近い何度も占領し馴れた筈の新羅王都を凹ってないのは変だなあ
絶対これは裏に隠し事あるぞ 受動的な戦いなんだからおかしくないだろ
敵が攻めてくるのを受けるんだよ >>109
都合の良い所だけ抜粋してる様だが
碑文では最後に倭が蹴散らされて終わりだよな
しかも時代が全然違うし
王巡下平穰而新羅遣使白王云倭人満其國境潰破城池以奴客爲民歸王請命太王恩後稱其忠□
時違使還告以□訴時違使還告以□訴十年庚子ヘ遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭満其中官兵方至倭賊退
王が平壌まで巡行した時、新羅の使節が来てこういった「倭人が新羅の国内に満ちて、城を壊し高句麗の下僕である
新羅を自らの民としております。そこで新羅王は太王に帰服して命令を受けようと思います。」
王は新羅の忠誠を評して使節を帰らせて、計画を新羅王に告げさせた。
時違使還告以□訴十年庚子ヘ遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭満其中官兵方至倭賊退
永楽十(400)年庚子に王は歩兵騎兵五万を派遣し、新羅を救わせた。
男居城より新羅城まで倭が満ちていたが高句麗の官軍が至ると倭は退いた。
十四年甲辰而倭不軌侵入帯方界□□□□至石城□連船□□□王自率□□従平穰
□□□鋒相遇王要截盪刺倭寇潰敗斬殺無數
永楽十四(404)年甲辰、倭は道を違えて帯方郡に侵入してきた。・・・石城に至るまで・・船を連ね・・
王自ら・・を率いて、平壌から・・・(敵の先)鋒と遭遇した。王の親衛隊は、要撃切断し、
縦横無尽に斬りつくした。倭軍は一人残らず切り殺された。
>>111
時系列を把握できてないのか?最後の500年の派兵から白村江までどれぐらい年代が隔たってるのかと思ってるのかよ >>112
百済復興軍の拠点である周留城が包囲されているわけで
戦略上の目的は百済の復興なんだからまずはそいつらから救うのが順当だろ >>113
朝鮮半島へ派兵した倭軍は亡命を希望する百済の遺臣を回収するための迎えでしかなかったと考えればそれで問題なくなるな >>114
支離滅裂だな
おまえが根拠としているのは隋書の簡素な記述だけだぞ
時間的射程についてどんだけの妄想を膨らましているんだよ 半島への恒常的軍事進出を今更否定するとか
頭おかしいんじゃないか 支離滅裂なのはお前じゃね?
軍事的プレゼンスとやらを倭が保持していたのなら
何で百済の聖王が何度も援軍要請したときにろくに取り合わなかったんだ?
562年に加羅、安羅が新羅に奪われたときも何で取り返せなかったなんだ?
そもそも倭の権益がそこまで強かったのなら新羅の勢力があそこまで増長することはなかっただろ 軍事的プレゼンスがなかったらなんで前方後円墳がいくつも出来るんだよw なぜ新羅と百済は王族をヤマトへ人質として供出したのか
なぜその逆がなかったのか >>120
だから・・時系列を考えろと何度も・・・
韓国の前方後円墳は6世紀中ごろの海南龍頭里古墳を最後に作られなくなってる
唐が半島に進出してきた「当時」には倭の「軍事的プレゼンス」や「恒常的軍事進出」が行われた時代があってないだろ
>>121
元々百済は小国で真っ向から高句麗と戦うだけの体力はない(まぁ近肖古王は高句麗王を討ち取ったりしたこともあるけどな)
物理的な援助を期待できるのは倭国だけだから下手にでるしかなかった
新羅は人質を出したのは2回あるのだがいづれも高句麗の勢力がすぐそばまで迫っていてにっちもさっちもいかなくなった時期だ >>122
だか時系列を考えるのはお前なんだよ
隋書の記述はいつからいつまでのことを記しているんだよw じゃあ逆に聞くが白村江以前で倭が半島に出兵して交戦したのは直近でいつになると思う?
書紀の怪しい記述を字面通り信じても最後の戦闘は600年の任那復興戦が最後だ
しかも結局目的を果たせず帰っている
半世紀近く実戦経験がない軍隊が唐が脅威とみなすとでも本気で思っているのか? >>124
まずは質問に答えろよ
答えられないなら答えられないといえ
古代であって現代ではないのだから派兵スキームも軍事技術も一朝一夕で変わるわけがないだろ
練度を仔細に評価できるほどの情報があるわけもなく
そもそも練度が脅威か否かの決定的要素である理由がない つまり答えられないと
唐の戦略目的はあきらかに長年攻め落とせなかった高句麗
そこに麗済同盟で圧迫されていた新羅の思惑が合致した結果だろ
山川の教科書の筋書きではそうなったるし大和政権は新羅との勢力争いにも敗退して退いたということになってるが
「新羅も百済との抗争のなか、562年には伽耶諸国を併合するに至り、ヤマト王権が半島南部に保持していた拠点も、ここに完全に失われた。」(詳説日本史研究45ページ)
半島になおヤマト政権が軍事的な影響力を保持していたと一体どの学者が何を根拠に主張しているんだ?
エビデンスを示してみろ出来ないならお前の負けな >>126
???
俺は答えて
おまえは答えていない
わかるか?
そして。
「拠点」と「影響力」の混同
これは意図的なものではなく
これを指摘されるだろうというところまで頭が回っていなかったんだろう
なお俺が用いた言葉は「プレゼンス」であり
さらに、政治的プレゼンスと軍事的プレゼンスには
古代といういわば野蛮時代においては有意な差異がない、ということだ
政治的プレゼンスの根拠としては
当時における近過去の戦績情報や首長墓といったレガシー群
人質の一方的供出にみられる非対称的なパワーバランス
などがあげらる >>126
それは変だな
百済と新羅の抗争で百済に与するなら新羅の都城ソラボルに兵を送っていつもの様に包囲して制裁するのがスジってもんだ
新羅の本領までならいくら多勢に無勢の唐の水軍でも補給がままならず継戦能力も削がれる筈
本気で戦うつもりなら航海の難所で地形の入り組んだ鳴梁海峡に軍船を潜ませてゲリラを仕掛けるという手もあった筈だ
しかし倭国がやったのはわざわざ遠い側の百済に船を寄越し亡命者を受け入れて退却しただけ
徹底抗戦とは程遠い
倭国はそもそも新羅と「勢力争い」をする間柄ではなかったのではないか?
その後羅唐戦争が起きた背景としても絶対何かあるぞ >>128
あんたは話が分かりそうだな
後に返還された捕虜から陸奥の連中まで動員されたことがわかってるのに
蘇我、大伴、物部といった当時の有力豪族層がほとんど動いていないということも気にかかるがな 百済が日本支部で新羅王が倭人なら
白村江は同族の戦いだったのか? >>100
倭王武は、使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に叙正されている。 >>105
漢の武帝は、内地と同様の郡県制を敷いた。
このまま行けば、朝鮮は中国の省のひとつになるところだったが、そうはならなかった。
ベトナムにも同じようなことが言える。
明の永楽帝は、ベトナムで内地と同様の郡県制を敷いたが、20年しか続かなかった。
ここで、「広東省までは中国、ベトナムからは非中国」という境界が画定した。 朝鮮の北は中国ではなく、満州であり、清代までの満州は北方異民族の地。
現代の世界地図を見慣れた目には錯覚しやすいところだけど、
中国というより、満州や蒙古こそ、朝鮮半島にとっての軍事的脅威だ。
中国にとっては、朝鮮との間に満州がある。
朝鮮より前に、満州の狩猟民族があまりにも強敵である上に、寒すぎて支配困難。 新羅や百済は、事実上、倭に従属していた。
倭王武は、それを中国皇帝から追認された。 大和朝廷は時代が下るに連れて半島への介入に消極的になっていってる印象がある 鉄が国内で取れるならあそこに軍を送るコストが。。
古代船で人力で対馬海峡をわたる実験やってたがとんでもない労力
切り上げができない古代の帆船で行くしかないけどこれでは緊急に軍なんて送れないし
正直大変すぎる 新羅と倭国のナゾ
600〜603年と623年に何度も任那復興を目的として新羅征討が計画されるも理由をつけて辞退もしくは
新羅軍は戦わずして退いたとして交戦せずに戻ってくる
境部摩理勢だけは真っ向から新羅と対決したがその後ハッキリとしない理由で誅殺される
8世紀にも藤原仲麻呂がやはり渤海と組んで新羅征討を企てるがこれもよくわからない理由で中止されたうえに仲麻呂も数年後に誅殺されている
「新撰姓氏録」には在京の新羅系氏族として新良貴氏が挙げられているが皇別という破格の待遇を受けている
もともと山城地方の大覚寺古墳などからは新羅土器が出土しており新羅系豪族のテリトリーだった
新良貴氏も平安京以前から山城盆地に割拠していた氏族であろうが不思議なことに一度も史書には出てこない >>137
奈良時代は、日本史の中でも、権力闘争が熾烈だった時代。
藤原仲麻呂は、誅殺されたというより、内戦に敗れたというべき。 「続日本紀」を読むと分るがかなり唐突に仲麻呂は粛清される
しかも新羅征討軍の教練がおわりよいよ計画が実行に移される矢先だ
何かあるのではないかと勘繰ってしまう >>139
背後で親新羅派が暗躍していても不思議はないが、直接の原因と見るのは極端 白村江の戦いで倭と新羅の軍勢は戦わなかったのかも知れんなあ
唐vs倭の半島の宗主権争いと新羅vs百済の半島統一戦争は別々のものと考えるとどうだろう そもそも倭は半島の勢力争いにはまるで関心がない
一方高句麗は新羅を抑えつつ中原に進出したい
百済は聖王の仇をとり故地である漢江の地を奪還したい
新羅は麗済同盟の侵攻を防ぎたい
唐は目の上のたん瘤である高句麗を滅ぼしたい
これら様々な勢力の思惑が入り混じった結果起こったのが7世紀末の動乱だが倭国は基本的に外野
唐とも新羅ともそもそも敵対する理由がない
白村江の戦いも百済の亡民の受け入れ中に送った事故みたいなものだと思う
羅唐戦争という 新羅を滅ぼす絶好のチャンスのときも何ら行動を起こさず傍観していたことも
その辺の事情が如実に表れてるよね まあ、倭の立場は、欧州におけるイギリスみたいなものだろうな
勢力均衡が望ましい 古代日本が朝鮮半島を支配しているのに傍観はおかしい。 実はあんなしょうもない半島もう手放したかったとか?(日本列島内で鉄の材料を調達する手段を手に入れたから) 唐が大陸を統一する以前と以後で、東アジアは別の世界
日本は専守防衛に徹することにした 半島が小国乱立の頃は対馬海峡を隔てて派兵するのも小規模で済んだが
統一が進んでくると大規模な派兵をしないと維持できなくなったのでは
そうするとコストが見合わなくなってきて半島支配に興味をなくしていったのかもね 支配するよりも治安維持の目的が大きかったのだろう
中国との航路上に補給基地が必要だった 唐の大陸統一をキッカケとして、新羅の半島統一も一気に進んだ。
日本も中央集権化して体制を整えた。
いままでの混沌とした東アジア古代世界とは、違うステージに入った。
古代の倭国による朝鮮半島支配が終了したのは当然。 中華帝国が滅びると結構な頻度で
中華秩序崩壊の巻き添え食らって一緒に周辺国が滅びてるしな >>139
余計な一言を言って殺されるってあるからね
おまけにその内容は書くだけで不快だから残らないとか >>153
新羅は唐とともに興り、唐とともに滅びた
高麗は宋とともに興り、元とともに滅びた
朝鮮は明とともに興り、清とともに滅びた 朝鮮の場合はそうだが、ベトナムは違う
ベトナムは、中国から侵略され、それを撃退した抵抗運動の指導者が次の王朝の創始者となるパターン 現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら
日本も分裂するかもネ <丶`∀´>現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら日本も分裂するニダ >>157
アメリカ派と中国派での凄惨な内戦になるだろう 中国を見下してい軍事的にも強大である日本人が中国の属国となるとかありえんだろ >>157
それは逆だ
中国・朝鮮が統一されると、日本も求心力が高まって中央集権化が進む >>159
親中派は高齢化と衰退の一途をたどっている 古代の倭=現代のアメリカ
古代の百済=現代の日本
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の朝鮮
さて次の白村江はいつか。。。 古代の倭=現代の日本
古代の百済=現代の全羅道
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の慶尚道
古代の高句麗=現代の北朝鮮 日本による半島浄化は素晴らしい
半島でしかないし朝鮮はつかない >>79
まあその格付けを気にする時点で中華の価値観に囚われてるってことだしな >>170
距離が近いから影響が強いだけで
同系統ではないから親戚と例えるのは不自然 >>170
それを言ったら、満州もモンゴルもそうだろ >>174
以前から系統的に似てはいたが、これほど文法や語彙が同じようになったのは、20世紀の日韓併合以後の話 日本語と朝鮮語は親戚でもなんでもない
どちらも独立した起源をもった別言語だ
語族別に見た話者数でも非常に上位であり、これ以上上の分類などできない 倭が朝鮮半島を支配していたのは、大昔の話だ
その後、もっと北から大量の移民が流入したから、当時とは人種が異なる 今の朝鮮人は新羅人、百済人、高句麗人と渤海時代の流民、平安道や咸鏡道を侵略する過程で
同化させた満州族との混血だろ 当時は満州族なんて民族名はないからそこは認識を改めてくれ
三国時代までは靺鞨、高麗時代は女真(ジュルチン)が満州族の祖先の正しい名称 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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JEJ >>190
朝鮮近代化政策の一環として、日本語をモデルにした言語の標準化が進められた
それ以前の朝鮮語は、今よりずっと中国語に似ていた 中国語と似てねえよ
文化的に影響力を受けたから語彙が似てるだけ
朝鮮語と日本語は遡れば遡るほど似てる
元々同じ民族なんだから当たり前 >>195
第二次大戦後に分離独立したとはいえ、広い意味では日本の一部 というか日本自体が中国文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと というかシナ自体が騎馬民族文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています