古代の倭国による朝鮮半島支配
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日本が朝鮮を支配していた時期は、歴史上に2度ある。
古代と近代だ。 >>128
あんたは話が分かりそうだな
後に返還された捕虜から陸奥の連中まで動員されたことがわかってるのに
蘇我、大伴、物部といった当時の有力豪族層がほとんど動いていないということも気にかかるがな 百済が日本支部で新羅王が倭人なら
白村江は同族の戦いだったのか? >>100
倭王武は、使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に叙正されている。 >>105
漢の武帝は、内地と同様の郡県制を敷いた。
このまま行けば、朝鮮は中国の省のひとつになるところだったが、そうはならなかった。
ベトナムにも同じようなことが言える。
明の永楽帝は、ベトナムで内地と同様の郡県制を敷いたが、20年しか続かなかった。
ここで、「広東省までは中国、ベトナムからは非中国」という境界が画定した。 朝鮮の北は中国ではなく、満州であり、清代までの満州は北方異民族の地。
現代の世界地図を見慣れた目には錯覚しやすいところだけど、
中国というより、満州や蒙古こそ、朝鮮半島にとっての軍事的脅威だ。
中国にとっては、朝鮮との間に満州がある。
朝鮮より前に、満州の狩猟民族があまりにも強敵である上に、寒すぎて支配困難。 新羅や百済は、事実上、倭に従属していた。
倭王武は、それを中国皇帝から追認された。 大和朝廷は時代が下るに連れて半島への介入に消極的になっていってる印象がある 鉄が国内で取れるならあそこに軍を送るコストが。。
古代船で人力で対馬海峡をわたる実験やってたがとんでもない労力
切り上げができない古代の帆船で行くしかないけどこれでは緊急に軍なんて送れないし
正直大変すぎる 新羅と倭国のナゾ
600〜603年と623年に何度も任那復興を目的として新羅征討が計画されるも理由をつけて辞退もしくは
新羅軍は戦わずして退いたとして交戦せずに戻ってくる
境部摩理勢だけは真っ向から新羅と対決したがその後ハッキリとしない理由で誅殺される
8世紀にも藤原仲麻呂がやはり渤海と組んで新羅征討を企てるがこれもよくわからない理由で中止されたうえに仲麻呂も数年後に誅殺されている
「新撰姓氏録」には在京の新羅系氏族として新良貴氏が挙げられているが皇別という破格の待遇を受けている
もともと山城地方の大覚寺古墳などからは新羅土器が出土しており新羅系豪族のテリトリーだった
新良貴氏も平安京以前から山城盆地に割拠していた氏族であろうが不思議なことに一度も史書には出てこない >>137
奈良時代は、日本史の中でも、権力闘争が熾烈だった時代。
藤原仲麻呂は、誅殺されたというより、内戦に敗れたというべき。 「続日本紀」を読むと分るがかなり唐突に仲麻呂は粛清される
しかも新羅征討軍の教練がおわりよいよ計画が実行に移される矢先だ
何かあるのではないかと勘繰ってしまう >>139
背後で親新羅派が暗躍していても不思議はないが、直接の原因と見るのは極端 白村江の戦いで倭と新羅の軍勢は戦わなかったのかも知れんなあ
唐vs倭の半島の宗主権争いと新羅vs百済の半島統一戦争は別々のものと考えるとどうだろう そもそも倭は半島の勢力争いにはまるで関心がない
一方高句麗は新羅を抑えつつ中原に進出したい
百済は聖王の仇をとり故地である漢江の地を奪還したい
新羅は麗済同盟の侵攻を防ぎたい
唐は目の上のたん瘤である高句麗を滅ぼしたい
これら様々な勢力の思惑が入り混じった結果起こったのが7世紀末の動乱だが倭国は基本的に外野
唐とも新羅ともそもそも敵対する理由がない
白村江の戦いも百済の亡民の受け入れ中に送った事故みたいなものだと思う
羅唐戦争という 新羅を滅ぼす絶好のチャンスのときも何ら行動を起こさず傍観していたことも
その辺の事情が如実に表れてるよね まあ、倭の立場は、欧州におけるイギリスみたいなものだろうな
勢力均衡が望ましい 古代日本が朝鮮半島を支配しているのに傍観はおかしい。 実はあんなしょうもない半島もう手放したかったとか?(日本列島内で鉄の材料を調達する手段を手に入れたから) 唐が大陸を統一する以前と以後で、東アジアは別の世界
日本は専守防衛に徹することにした 半島が小国乱立の頃は対馬海峡を隔てて派兵するのも小規模で済んだが
統一が進んでくると大規模な派兵をしないと維持できなくなったのでは
そうするとコストが見合わなくなってきて半島支配に興味をなくしていったのかもね 支配するよりも治安維持の目的が大きかったのだろう
中国との航路上に補給基地が必要だった 唐の大陸統一をキッカケとして、新羅の半島統一も一気に進んだ。
日本も中央集権化して体制を整えた。
いままでの混沌とした東アジア古代世界とは、違うステージに入った。
古代の倭国による朝鮮半島支配が終了したのは当然。 中華帝国が滅びると結構な頻度で
中華秩序崩壊の巻き添え食らって一緒に周辺国が滅びてるしな >>139
余計な一言を言って殺されるってあるからね
おまけにその内容は書くだけで不快だから残らないとか >>153
新羅は唐とともに興り、唐とともに滅びた
高麗は宋とともに興り、元とともに滅びた
朝鮮は明とともに興り、清とともに滅びた 朝鮮の場合はそうだが、ベトナムは違う
ベトナムは、中国から侵略され、それを撃退した抵抗運動の指導者が次の王朝の創始者となるパターン 現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら
日本も分裂するかもネ <丶`∀´>現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら日本も分裂するニダ >>157
アメリカ派と中国派での凄惨な内戦になるだろう 中国を見下してい軍事的にも強大である日本人が中国の属国となるとかありえんだろ >>157
それは逆だ
中国・朝鮮が統一されると、日本も求心力が高まって中央集権化が進む >>159
親中派は高齢化と衰退の一途をたどっている 古代の倭=現代のアメリカ
古代の百済=現代の日本
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の朝鮮
さて次の白村江はいつか。。。 古代の倭=現代の日本
古代の百済=現代の全羅道
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の慶尚道
古代の高句麗=現代の北朝鮮 日本による半島浄化は素晴らしい
半島でしかないし朝鮮はつかない >>79
まあその格付けを気にする時点で中華の価値観に囚われてるってことだしな >>170
距離が近いから影響が強いだけで
同系統ではないから親戚と例えるのは不自然 >>170
それを言ったら、満州もモンゴルもそうだろ >>174
以前から系統的に似てはいたが、これほど文法や語彙が同じようになったのは、20世紀の日韓併合以後の話 日本語と朝鮮語は親戚でもなんでもない
どちらも独立した起源をもった別言語だ
語族別に見た話者数でも非常に上位であり、これ以上上の分類などできない 倭が朝鮮半島を支配していたのは、大昔の話だ
その後、もっと北から大量の移民が流入したから、当時とは人種が異なる 今の朝鮮人は新羅人、百済人、高句麗人と渤海時代の流民、平安道や咸鏡道を侵略する過程で
同化させた満州族との混血だろ 当時は満州族なんて民族名はないからそこは認識を改めてくれ
三国時代までは靺鞨、高麗時代は女真(ジュルチン)が満州族の祖先の正しい名称 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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JEJ >>190
朝鮮近代化政策の一環として、日本語をモデルにした言語の標準化が進められた
それ以前の朝鮮語は、今よりずっと中国語に似ていた 中国語と似てねえよ
文化的に影響力を受けたから語彙が似てるだけ
朝鮮語と日本語は遡れば遡るほど似てる
元々同じ民族なんだから当たり前 >>195
第二次大戦後に分離独立したとはいえ、広い意味では日本の一部 というか日本自体が中国文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと というかシナ自体が騎馬民族文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと >>193
こいつ近代以前の朝鮮語も知らないのにネトウヨまとめサイトで言われてるデマだけ信じてる馬鹿だから >>198
近現代に中国が日本から受けた影響が、それ以上に大きい 現在の中国に、日本の劣化コピーでないものを探すほうが難しい >>207
マイナーなサブカルとごく一部の分野
メイドカフェ
スシバー
トヨタ看板方式
八木アンテナ 天皇制は、西洋の立憲君主制と、東洋の儒教をブレンドした独特の制度 日本が20世紀初頭に実現した民主政を、中国は百年たっても実現できないという絶望的な差 >>207
官僚型社会主義
農協
ヘンタイ
缶コーヒー
アイスコーヒー
CPU
電気釜
テレビゲームのコントローラ
ウォシュレット
パチンコ
ポイントカード
柔道
空手 ケイレツ
欧米は水平統合が多いが日本は垂直統合が多い 劣化コピーの結果産まれたもの列挙してどうしたの?
おばか? そうだ
「日本の劣化コピー」というのは中国の話
韓国など問題外もいいとこ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>60
秦氏は中国系
新羅の前身である辰韓の頃には秦氏が移り住んでいたので辰韓は別名で秦韓とも呼ばれていた。 倭国が朝鮮半島南部の支配に乗り出したのは、鉄鉱資源の確保と、大陸への通商ルート確保という2つの大きな目的があった 『新羅が日本の属国であった』ことを示す南梁の「職貢図」発見
新羅の題記(原文)
斯羅國本東夷辰韓之小國也魏時曰新羅宋時日斯羅
其實一也或属韓或属倭國王不能自通使聘?通二年
其王姓募名秦始使随百濟奉表獻方物其國有城號曰
健年其俗與麗相類無文字刻木為範言語待百濟而
後通焉
新羅の題記(概訳)
斯羅國(新羅國)はもともと(漢の時代は)東夷の辰韓の小国であり、
(三国時代の)魏の時代は新羅といわれ、(南北朝時代の)宋の時代は斯羅といわれ、
その実は同一の国である.
或は韓に属し、或は倭に属し、そのため国王は自ら(魏や宋に)使者を派遣することが能わず、
(梁時代の)普通二年(521年)に、
その時の斯羅王「姓は募・名は秦」(法興王)が百済に随伴して始めて使者を遣わし貢物を捧げるようになった.
その国には健年という城があり、その習俗は高麗(高句麗)と類似し、文字はなく木を刻んで範としていた.
言葉は百済の通訳により(梁と)通じていた.
朝鮮半島における日本の支配・勢力の象徴でもある任那日本府(369年−562年)の存在を否定し、
広開土王碑(414年建立)の碑文解釈でも
「倭、辛卯年(391年)以来海を渡って百済口口新羅を破り、臣民とした」とする一般解釈(日本側の解釈)を否定して
「倭が辛卯年(391年)に来たので、(高句麗が)海を渡り百残を破り、新羅を救い、臣民とした」とする韓国側の解釈を主張してきた韓国の歴史家にとっては、
今回の梁職貢図(520年代頃)の題記にある「斯羅(新羅)は倭(日本)の属国であったりもした」ことを
どのように受け入れるかが大きな課題であり、歴史学会で論議が広がるであろうと、
新羅題記の発見者であるユン博士は指摘している. 「倭」と「魏」は、同じような漢字だ
鬼だと魏になり、人だと倭になる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています