歴代百済王概説

■近肖古 在位345〜375
姓は余。名は句。日本書紀では速古。日本と手を結び新羅に対抗。謝礼に日本へ七支刀を献上。
■近仇首 在位375〜384
姓は余。名は須。日本書紀には貴首と表記される。近肖古の息子。
■枕流 在位384〜385
姓は余。近仇首の息子。東晋から来た僧侶が仏教を伝えた。
■辰斯 在位385〜392
姓は余。名は暉。しんしおう。近仇首の息子。日本書紀には、「(辰斯が)仁徳天皇に対し無礼な振る舞いがあったので、
紀角宿禰らを遣わし譴責した。百済国は、辰斯を殺して謝罪した。紀角宿禰らは阿花(阿華)を王位につけて帰国した」とある。
■阿華 在位392〜405
姓は余。名は阿芳。枕流王の息子。国情安定のため日本へ助力を求め息子(のちの腆支)を人質として献上。
■腆支 在位405〜420
姓は余。名は腆。阿華の息子。直支とも。人質として日本で生活。日本の援軍を得て高句麗との戦争中阿華が死去。帰国して即位。
■久爾辛 在位420〜427
腆支の息子。日本書紀によると幼少だったため権臣・木満致が権力をふるったという。
■斐有 在位427〜455
姓は余。名は斐。久爾辛の息子。眉目秀麗。弁が立つ王であったと言われる。
■蓋鹵 在位455〜475
姓は余。名は慶。斐有の息子。近蓋鹵ともいう。人質として弟・昆支を日本へ献上。高句麗により百済は一時滅亡。
■文周 在位475〜477
姓は余。名は牟都。あるいは都。蓋鹵の息子。百済滅亡時、新羅へ援軍要請に出たが到着時には王は捕縛殺害されていた。
やむなく木満致らと共に逃亡して半島南部に新たな地盤を堅め、百済を再興した。重臣・昆支の死後、解仇により殺害された。
■三斤 在位477〜479
姓は余。名は壬乞。文周の息子。父を殺した解仇の傀儡として即位した。反乱をおこした解仇を倒す。