明清帝国
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日本では、明も清も人気がない
2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか? >>169
黄海経由の方が無謀じゃないか
山東半島に攻め込んだときに半島を明軍が南下してきたら補給が断たれるじゃん
清正は満州に偵察にいったんだろ
無謀だと言ってたら女真が明帝国相手に戦いを挑んだのだって無謀なわけで
李自成が北京を落とさなければ山海関はとても越えられなかった >>170
珍島周辺は李舜臣が死守してたらしい
海路で山東へ攻め込むとしてもそこで妨害を受けることになる 何にしても、頼みもしないのに大いくさに巻き込まれた李氏朝鮮が実際めちゃくちゃな目に遭わされてるわけで
それでも何とかぎりぎりのところで国を完全につぶされずに済ませたのは凄いことだと思う
朝鮮出兵そのものが回避可能な戦争だったかどうか、そこは非常に微妙な点ではあるが
当時の秀吉とその側近のうち主戦論者を抑え込むことは(日本国内の穏健派の立場からしても、他国の外交関係者の立場からしても)そもそも不可能だったのか否か
そこはどうだろうね >>172
国を完全に潰されなかったというが、朝鮮の王宮なのに、清の外交官が表門から入り、朝鮮国王が裏門から入るというほどの従属関係になった。
たしかに、一応、王朝としては存続したが・・・。 それ以後の朝鮮は、あまりにも清から搾取されたため、国力を消耗し尽くすハメになった。
ここに至るまでの外交的失策が、いま、韓国で盛んに論じられている。 韓国でどう論じられているかというと、「今は、アメリカから中国へと、覇権が交代しつつある。
これは、明から清へと覇権が移りつつあった当時と似た状況である」ということと、
「朝鮮は、明に義理立てするあまり、清との関係を悪化させてしまった」という反省。
ここが、一昨年あたりから、急に韓国メディアでクローズアップされるようになってきた。 今の中国というのは、日本人から見ると、「バブル崩壊直前の日本」や、
「ソビエト連邦崩壊直前のロシア」に似ているのだが、韓国ではそう思われていない。
「明に代わって大陸を制覇する直前の清」に例えるという見方が、非常に流行している。 >>173
それって直接的には清との関係の話で、明との関係じゃないよ 太閤さんは大陸ではなく、
南方の東南アジア方面に行けば良かった気がする。
スペインやオランダなら難なく駆逐できたんではなかろうか? >>173
存続できただけでも立派。
豊臣政権も大明帝国もまもなく崩壊しちゃうのに。 >>178
東南アジアは遠い。
当時の日本には、スペインやオランダみたいな帆船が無いからなあ。 当時は中華征服!だからヤル気がでるんであって東南アジア征服なんてなんのロマンを感じなかったろう 琉球台湾なら手が届きそうだな
台湾を抑えられたらフィリピンベトナムあたりにも手が届きそうではある >>182
西洋人には、「胡椒が欲しい」という強い動機があったからな。
日本人や中国人には、それが無い。 足利義満の勘合貿易は、中国
徳川家康の朱印船貿易は、東南アジアへと向かった
小学校6年生でも知っている話 倭寇の伝統があるのだから、
日本は海賊国家を目指すべき。 >>181
いや、だから
日本と李氏朝鮮と明の関係の話であって、
李氏朝鮮と清の話じゃないじゃないの
いきなりここで清の話を持ち出しても、それはいかにも話が飛び過ぎ 倭寇の延長なら、中国人商業勢力の協力や手引きもあるし。
東南アジアには日本人町ネットワークがあったのだから、
西洋式帆船でなくたって、そこそこ成功する気がする。 >>188
それは認識の相違だな
こちらにとっては、日本が2度攻めてきて、そのすぐ後に清が5度攻めてきて、ついに清の前に屈服したというのが、朝鮮史の一連の流れ
韓国でも、そういう見方が主流になってきている 日本と清による相次ぐ侵攻(朝鮮では倭乱・胡乱と総称されている)、そのどちらも、明とは深い関わりがある
ちなみに、清といっても、まだ中国を統一する前の、満州の清 >>189
まあ確かに、本気で取り組めば、できただろうな。
ただ、衰退した明ならともかく、清が黙っていないだろう。
福建省や広東省の港の交易は、どの国にとっても重大な世界的利権だけに。 >>190
それは対清外交の進め方の話であって、ここで直接議論してる件とは別でしょ >>193
「外交に失敗して、滅亡寸前まで追い込まれた朝鮮」の話ではなかったのか? >>193
そういう話してるんじゃないでしょ
そもそも同時平行の事象じゃないんだしさ
それに、繰り返すようだけど、>>179氏も指摘してるように国や政権そのものは存続してるし >>195 アンカー訂正
>>194 氏宛てのレスだった >>195 もう1箇所訂正
同時平行の話じゃない → 同時並行の話じゃない >>171
珍島ってどこにあるか分かってる?
直近の対馬海峡の補給すら絶てなかったのに
遥か北にある黄海まで手を伸ばせるわけない 平民から成り上がって日本を統一した秀吉なら、
「自分なら世界征服もできるはず」と考えるのは当然過ぎる話だな 秀吉が新大陸を目指していたら歴史は大きく変わっていただろう。
アメリカ西海岸には辿り着けなかったかもしれないがw >>192
清はそんなに強くないんじゃ?
鄭成功の台湾を平定するのにかなり手間取った。
鄭氏政権が内部対立で自壊して、
鄭氏配下の武将を清側に寝返させる工作がうまくいって、
ようやく制圧できた。
本来の清海軍は役立たずで、何度も大惨敗で壊滅状態。
寝返り武将の率いる艦隊で台湾海軍を撃破した。
もし鄭氏台湾が一致団結して揺らがなかったら、
清は手も足も出せない。
秀吉+倭寇海賊+中国海賊で結束できたら無敵。
清相手なら明残党とも組める。
東南アジアはもちろん中国南部沿岸すら確保できたんじゃないか? >>201
スペインやポルトガルから新大陸へは、日本と東南アジアくらいしか離れてない。
日本にとって新大陸は、地球の裏側にある。
同じように見えても、太平洋は広くて、大西洋は狭い。 >>200
天下人は、恩賞を配らないといけないからな。
もう、日本の国内には土地がなかった。 >>203
鄭氏は日本、中国、東南アジア間の三角貿易を独占的に掌握していた強みがあった。
清はこれに対抗するために海禁に踏み切る。
貿易どころか漁業も禁じ、
沿岸住民を内陸に強制移住させるという手まで使った。
鄭氏側と接触を極力封じる
究極の経済封鎖で、
鄭氏にとっても痛手だが、
福建・広東の住民にとってはさらに大きな経済苦境をもたらしている。
清にとって、海外貿易の利権も南部沿岸経済もさほど重要ではなかった。 >>204
新大陸とのアクセスの違いが
西欧と東アジアの発展の差につながったというのを
グローバル経済学の本で読んだことがある。
東アジアの経済成長率も結構、高かったんだけどね。
新大陸の資源を入手できる西欧には対抗できない。 >>208
まあ、地球上で最も広大かつ温暖で豊饒な地が、北米と中国であることは疑う余地がない。
東洋人が両方とも取るのは、さすがに取りすぎ。 >>206
清にとって「重要でなかった」は言いすぎ。
でも、自分たちの権力を維持することが最優先であり、それに比べたら優先順位が低い。
昔も今も、「権力維持」と「経済繁栄」の二者択一を迫られたら、躊躇なく前者を選択し、後者を後回しにするのが、中国の権力者の常。 鄭成功の本拠地アモイのコロンス島に3年前に行ったことがある。
大きな鄭成功の石像が建ってるし、鄭成功の博物館もあった。
アモイのすぐ眼の前に人民解放軍を迎え撃った台湾領の金門島があって、
現在は自由に行き来できるらしい。
鄭成功も蒋介石軍もこの海域で激戦を行ったわけだ。
アモイでは、他に客家の円形集合住宅の土楼を見学した。
なかなか面白い建物だよ。
土楼の周りが茶畑で、鉄観音のお茶がうまい。
住民はお茶で大儲けしているそうだ。
料理にお茶を頼むと、お茶代のほうが料理全部よりずっと値段が高い。
現在でも輸出品として重要作物。 忘れられがちだが、大陸から目と鼻の先の金門島も、台湾の領土なんだよな。 清の朝廷による台湾の海上封鎖の必死さを見ると、北京にとって台湾がどれほど重要なのかがわかる。 アモイと金門島の間はフェリーで1時間ぐらい。両岸で出入国手続きがあるので時間の余裕をみないといけないが日帰り可能の距離。 >>213
台湾自体は未開の地だったけどね。
オランダ東インド会社が占領中は特に何にもしてない。
琉球王国の方が格上。 鄭氏政権と三藩の連携には神経を尖らせていた。
これらを各個撃破した手法はかなりミラクル。 台湾が清の支配下になっても化外の地扱い。
琉球漁民が台湾住民によって首狩された事件について日本が清に抗議したとき
清は管轄外であると返答。
それが日本が台湾に出兵するきっかけとなった。 清は台湾府を置いているんだが、
首狩り原住民は皇帝の統治を受けない者どもという位置付けなので我関せず。
この首狩り事件への対応で、
台湾の領有権が曖昧になり、
琉球が日本のものに確定したようなもの。 >>212
金門島が台湾の領土?
なにを言ってるんだ?
金門島は福建省の島やぞ >>219
確かに。「中華民国」福建省金門県だな。 >>151
紫禁城を3回見学したことがあるが、
たくさんの巨大建築を見て回るのはかなり疲れる。
教室2つぐらいの大きさの部屋の小さい建物を見つけて、
「軍機処」と書かれていた。
巨大建築に比べるとやけに小さくて狭い。
装飾もどうってことなく平凡。
デカイ建物は単なる儀式用で、
国家権力中枢の実務は少ない人数で運営してたのだろうか? >>213
台湾本島より、澎湖諸島や琉球の島々の方が文明化していたのは何故だろう?
文明人が入れない密林だったのかしらん?
もっと密林が多そうなボルネオ島だって王国があって宋に朝貢しているのに。 >>222
台湾は山が高すぎて交通の便が悪すぎ
原住民の部族が分かれすぎ、互いに首狩りしてて野蛮すぎ
熱帯特有の疫病流行り過ぎ
ボルネオも似たようなもんだけど台湾程地形の凹凸なくて河川で結構内陸まで航行できる
隣接する島々も熱帯で疫病が猖獗を極めてるので特段環境が悪い訳ではない >>224
台湾怖いですね。
行くの止めます。
首狩られたくないです。 >>222
琉球王国も、貿易で繁栄していたのは15〜16世紀の明代だけ
その後は衰退した
清の海禁政策もさることながら、琉球も台湾も、広東省に圧倒されたと言ってよい 台湾・フィリピン・マレーシア、みんな大航海時代に「発見」された国々であって、西洋人が到来する以前の歴史など無いに等しい 台湾やフィリピンは、ジャングルが深いし、周囲の海も荒い。
中国本土からも、日本からも離れすぎ。 >>225
台北から一時間ぐらいで烏来というところがある。
トロッコ列車に乗ったり、滝見物したり、ロープウェイに乗ったり楽しいが、
演舞場があって、タイヤル族の踊りを見ることができる。
私は見ている途中で踊り子たちに掴まれて、
舞台に連れ出された。
中国語がさっぱりなので、困惑したが、
一緒に踊ろうという意味らしい。
見よう見まねで踊ってたら、
花嫁役と思しき踊り子を背負わされた。
私は花婿役らしい。
なかなか面白い。
首狩りには遭わなかった。 >>229
いろいろなご経験されておられるのですね。 >>221
もともと軍機処は臨時機関なので規模が小さいのはまぁ仕方ない
>>224
「出草」の風習は入植した漢人との抗争や山奥に追いやられ居住地が少なくなったことから
生じたものではないかな
オランダ人レデリク・コイエット の報告書「閑却されたるフォルモサ」に出てくる台湾原住民
は好戦的ではなく友好的な民族で政体的には古代ギリシャのような民主制だった模様 >>227
無知すぎ
シュリーヴィジャヤ王国とか南海貿易のほとんどを独占していた当時の倭国とは比べ物にならない強国だぞ >>233
「マレーシア」じゃなかった
「マカオ」と書くつもりだった なぜ琉球が繁栄したか
まず第一に当時の琉球には後に「久米三十六姓」として知られる華人が入植しており
その中には操船技術に長けた福建出身者が多かった
察度(1321〜1395)の治世にはスマトラ島まで交易を広げている
第二当時の日本は金銀硫黄木材といった資源に恵まれていた国であったが造船技術が未熟で遠洋交易が
盛んではなかった
そこで琉球は日本の資源を明や東南アジアに輸出し、そうして得た明、東南アジアの物産を今度は
日本で売り払うというようなことをやっていた
こうしてまだまだ本土では守護大名ですら土塁に囲まれた掘立小屋に住んでいた時代に
石垣グスクが立ち並ぶ繁栄を得たわけだ >>236
琉球王国は、朝鮮王国よりも、国の格が上だったんだよな
国王が着てた服で、それが分かるらしい 台湾はミクロネシア・ハワイの住人の経由地として歴史に足跡残してるじゃん >>231
台湾楽しいよ。温泉もあって。
日本から近いしおススメ。
中国本土も近いよ。
少数民族の風俗とか踊りが好きなんだよね。
そんな私が面白かったところが、北京の中華民族博物院(中華民族園)。
園内は広大で、五十数もの中国内の少数民族のアトラクションを見て回れる。
貸衣装で民族服を着て写真を撮ってもらえるし、私は竹馬遊びを体験できた。
人が少なく、観光地の人混みに疲れた身にとって憩いの場所でもある。
結局、三回行ってしまった。
他にもいい場所は沢山あるんだろうがあまり知らないもんで。
中国語が出来ればいいのにと思うが難しいなぁ。 >>232
軍機処に胥吏はいたのかなぁ?
もしいたら帝国の真の支配者はそこの胥吏頭。 >>237
首里城王宮は北京紫禁城の小型版。
なんか似ている。 紫禁城は真四角つうか正方形・長方形の世界だけど、
首里城ってなんか曲がってね?
平行四辺形つうか、ひし形みたいな
あの違いは何なんだろうと不思議に思っていた
いちおう儒教も教えられていたし科挙までやっていたんだから、
易や陰陽五行や風水なんかも知っていただろうと思うのに 東アジアの中心は、長期的に南へと移動している。
沖縄の注目度もますます上がるだろう。 広東省や福建省の港での貿易は、唐や宋の頃から盛んだった。
でも、宋代には、まだ「官僚が左遷する僻地」として定番だった。
清の時代には、 広東省が中国の三極のひとつとして台頭。
いまでは、広州が、北京・上海と並ぶ三大都市のポジションを確立している。
さらに、「深センが三都を超える日」という議論が盛んだ。 >>243
四角形じゃなかったんだ。気がつかなかった。
立地条件じゃない?
首里城は山みたいだし。
紫禁城は平地。北側に公園になってる山があるが自然の山ではない。
堀を掘った土を盛り上げて山にした。 >>245
沖縄は軍事的に重要。
朝鮮半島から米軍が撤退したら、
沖縄の軍事的価値がますます高まる。
経済的な中心になれるかというと、台風が多くて。。。 >>248
浅いサンゴ礁の海なので、国際港湾にも適していない >>244
その論文はただ「美」という言葉で片付けていて、その視点は別に否定するものではないが、
そこに出ている沖縄のグシク建築がアシンメトリーを好むのは、中国の歴代王朝を模した感じではないな
また独特のものを感じる
風水思想だって、中国では南北には落差を付けるけど東西や左右は対称を好んでいると思う
https://www.isan-no-sekai.jp/feature/20161003_01
リンク先のこっちの最初の画像の首里城正殿
なんかもう、全体にこの「斜めってる」感じが紫禁城にはないんだよな
>>247
山城っていうのもむしろ日本とのつながりを感じる
紫禁城に対する北海公園の辺りは、それだけで独立した庭園だろう
北京全体の風水に配慮した存在はずっと北にある八宝山だろう >>247
御庭(うなー)は四角形だよ
ただ、四隅が直角ではないってことだね >>243
発掘調査によると元々は四角形だったけ後に改築してわざとゆがめたらしい
首里城って何度も改築しててそのたびに形が結構変わってるんだよね
正殿も今は外観二層内部三階だけど16世紀の漂流朝鮮人朴孫らの報告によると
国王の治所は五層で屋根は板葺きとあって本土の天守閣のような層塔型だったらしい 結局は、台湾も琉球も、広東省に圧倒されたと言ってよい。
広東省の台頭は、明清時代の大きな特徴のひとつ。 宋代には、広東省は「官僚が左遷される先」として定番だった。
実際に、蘇東坡は広東省に左遷されて、詩を作った。
そこは、酷熱瘴癘の地。
ジャングルから瘴気が立ち込める、熱帯の土人の世界だった。
でも、住めば都で、後には^肉やライチーを称賛する詩を作っている。 ここが北京・上海と並ぶ中国の三極のひとつになろうとは、当時の人々には予測できなかったであろう。
もっとも、北宋の時代だと、北京もまだ辺境だったが。 わずか30年足らずで、人口が30万人から1400万人に増加するなど、人類の歴史上比類のないスピードで発展した深セン。
世界の工場として知られたこの場所は、今も中国全土から若者が集まり、65歳以上の高齢者は2%しかいない。 かつて、広東省は衛生状態が悪いことで有名だった。
「世界中で伝染病が流行しています」というニュースでは、たいてい、感染源が広東省かアフリカのどちらかだった。
「世界で最も不衛生な巨大都市」と言われた広州も、最近は改善されてきている。 深セン含め広東省は、一応広東語の土地ということになっているが、
ちょっとでも都市化した地域では普通話の訛ったのをみんな話していて、
広東語は一部の地元民の内緒話や家族レベルの会話で使うだけ
広東語が実質上の公用語である香港の広東語は、
広東省でとっくに使われなくなった言い回しをよく保存し、
独自の表現力を発達させているが、
広東省の広東語は普通話をなぞった新しい表現が多い
公用語であることで広東語がその威信を保ってきた香港は、
スペインでは方言でしかないカタルーニャ語にとってのアンドラという国にちょっと似ている 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 とくに深センは、人口の流入が速い。
30年で人口が30万人から1400万人に増えた。
根っからの地元民など、ほとんどいない。 上海を東京とすれば、北京は札幌。
深センは鹿児島あたりの位置関係にある。
日本も昔は、北海道はアイヌ人で、鹿児島はクマソ人だったが、今では日本語による言語統一が完成している。
それを思えば、中国が言語統一できても不思議はない。 広州で宴会に招かれた。
酒にとても弱いもんで、どうなるか怖かった。
中国人は大酒呑みで、
やたら何度も乾杯するというイメージだったから。
連れていかれたところは飲茶(ヤムチャ)の店だった。
良かったぁ。
お茶なら何杯でもいける。お茶大好き。
飲茶文化を発達させた明清は素晴らしきかな!! 【大地震なら、W人工″】 プーチンは知っていた <46分> は、核の起爆時刻、電子制御だから、正確
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528509829/l50
スケート国際大会で、プーチンが、冗談で、311の地震波形を、示すと思うか? >>264
数年前までは、カラオケボックスには性接待がセットでついてきたのだが 太平天国好きだから南京も好きなんだけど、なんでしょぼくなっちゃったの?
やっぱり上海が租界で発展したのが大きいのかな?内陸過ぎた? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています