明清帝国
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日本では、明も清も人気がない
2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか? >>222
琉球王国も、貿易で繁栄していたのは15〜16世紀の明代だけ
その後は衰退した
清の海禁政策もさることながら、琉球も台湾も、広東省に圧倒されたと言ってよい 台湾・フィリピン・マレーシア、みんな大航海時代に「発見」された国々であって、西洋人が到来する以前の歴史など無いに等しい 台湾やフィリピンは、ジャングルが深いし、周囲の海も荒い。
中国本土からも、日本からも離れすぎ。 >>225
台北から一時間ぐらいで烏来というところがある。
トロッコ列車に乗ったり、滝見物したり、ロープウェイに乗ったり楽しいが、
演舞場があって、タイヤル族の踊りを見ることができる。
私は見ている途中で踊り子たちに掴まれて、
舞台に連れ出された。
中国語がさっぱりなので、困惑したが、
一緒に踊ろうという意味らしい。
見よう見まねで踊ってたら、
花嫁役と思しき踊り子を背負わされた。
私は花婿役らしい。
なかなか面白い。
首狩りには遭わなかった。 >>229
いろいろなご経験されておられるのですね。 >>221
もともと軍機処は臨時機関なので規模が小さいのはまぁ仕方ない
>>224
「出草」の風習は入植した漢人との抗争や山奥に追いやられ居住地が少なくなったことから
生じたものではないかな
オランダ人レデリク・コイエット の報告書「閑却されたるフォルモサ」に出てくる台湾原住民
は好戦的ではなく友好的な民族で政体的には古代ギリシャのような民主制だった模様 >>227
無知すぎ
シュリーヴィジャヤ王国とか南海貿易のほとんどを独占していた当時の倭国とは比べ物にならない強国だぞ >>233
「マレーシア」じゃなかった
「マカオ」と書くつもりだった なぜ琉球が繁栄したか
まず第一に当時の琉球には後に「久米三十六姓」として知られる華人が入植しており
その中には操船技術に長けた福建出身者が多かった
察度(1321〜1395)の治世にはスマトラ島まで交易を広げている
第二当時の日本は金銀硫黄木材といった資源に恵まれていた国であったが造船技術が未熟で遠洋交易が
盛んではなかった
そこで琉球は日本の資源を明や東南アジアに輸出し、そうして得た明、東南アジアの物産を今度は
日本で売り払うというようなことをやっていた
こうしてまだまだ本土では守護大名ですら土塁に囲まれた掘立小屋に住んでいた時代に
石垣グスクが立ち並ぶ繁栄を得たわけだ >>236
琉球王国は、朝鮮王国よりも、国の格が上だったんだよな
国王が着てた服で、それが分かるらしい 台湾はミクロネシア・ハワイの住人の経由地として歴史に足跡残してるじゃん >>231
台湾楽しいよ。温泉もあって。
日本から近いしおススメ。
中国本土も近いよ。
少数民族の風俗とか踊りが好きなんだよね。
そんな私が面白かったところが、北京の中華民族博物院(中華民族園)。
園内は広大で、五十数もの中国内の少数民族のアトラクションを見て回れる。
貸衣装で民族服を着て写真を撮ってもらえるし、私は竹馬遊びを体験できた。
人が少なく、観光地の人混みに疲れた身にとって憩いの場所でもある。
結局、三回行ってしまった。
他にもいい場所は沢山あるんだろうがあまり知らないもんで。
中国語が出来ればいいのにと思うが難しいなぁ。 >>232
軍機処に胥吏はいたのかなぁ?
もしいたら帝国の真の支配者はそこの胥吏頭。 >>237
首里城王宮は北京紫禁城の小型版。
なんか似ている。 紫禁城は真四角つうか正方形・長方形の世界だけど、
首里城ってなんか曲がってね?
平行四辺形つうか、ひし形みたいな
あの違いは何なんだろうと不思議に思っていた
いちおう儒教も教えられていたし科挙までやっていたんだから、
易や陰陽五行や風水なんかも知っていただろうと思うのに 東アジアの中心は、長期的に南へと移動している。
沖縄の注目度もますます上がるだろう。 広東省や福建省の港での貿易は、唐や宋の頃から盛んだった。
でも、宋代には、まだ「官僚が左遷する僻地」として定番だった。
清の時代には、 広東省が中国の三極のひとつとして台頭。
いまでは、広州が、北京・上海と並ぶ三大都市のポジションを確立している。
さらに、「深センが三都を超える日」という議論が盛んだ。 >>243
四角形じゃなかったんだ。気がつかなかった。
立地条件じゃない?
首里城は山みたいだし。
紫禁城は平地。北側に公園になってる山があるが自然の山ではない。
堀を掘った土を盛り上げて山にした。 >>245
沖縄は軍事的に重要。
朝鮮半島から米軍が撤退したら、
沖縄の軍事的価値がますます高まる。
経済的な中心になれるかというと、台風が多くて。。。 >>248
浅いサンゴ礁の海なので、国際港湾にも適していない >>244
その論文はただ「美」という言葉で片付けていて、その視点は別に否定するものではないが、
そこに出ている沖縄のグシク建築がアシンメトリーを好むのは、中国の歴代王朝を模した感じではないな
また独特のものを感じる
風水思想だって、中国では南北には落差を付けるけど東西や左右は対称を好んでいると思う
https://www.isan-no-sekai.jp/feature/20161003_01
リンク先のこっちの最初の画像の首里城正殿
なんかもう、全体にこの「斜めってる」感じが紫禁城にはないんだよな
>>247
山城っていうのもむしろ日本とのつながりを感じる
紫禁城に対する北海公園の辺りは、それだけで独立した庭園だろう
北京全体の風水に配慮した存在はずっと北にある八宝山だろう >>247
御庭(うなー)は四角形だよ
ただ、四隅が直角ではないってことだね >>243
発掘調査によると元々は四角形だったけ後に改築してわざとゆがめたらしい
首里城って何度も改築しててそのたびに形が結構変わってるんだよね
正殿も今は外観二層内部三階だけど16世紀の漂流朝鮮人朴孫らの報告によると
国王の治所は五層で屋根は板葺きとあって本土の天守閣のような層塔型だったらしい 結局は、台湾も琉球も、広東省に圧倒されたと言ってよい。
広東省の台頭は、明清時代の大きな特徴のひとつ。 宋代には、広東省は「官僚が左遷される先」として定番だった。
実際に、蘇東坡は広東省に左遷されて、詩を作った。
そこは、酷熱瘴癘の地。
ジャングルから瘴気が立ち込める、熱帯の土人の世界だった。
でも、住めば都で、後には^肉やライチーを称賛する詩を作っている。 ここが北京・上海と並ぶ中国の三極のひとつになろうとは、当時の人々には予測できなかったであろう。
もっとも、北宋の時代だと、北京もまだ辺境だったが。 わずか30年足らずで、人口が30万人から1400万人に増加するなど、人類の歴史上比類のないスピードで発展した深セン。
世界の工場として知られたこの場所は、今も中国全土から若者が集まり、65歳以上の高齢者は2%しかいない。 かつて、広東省は衛生状態が悪いことで有名だった。
「世界中で伝染病が流行しています」というニュースでは、たいてい、感染源が広東省かアフリカのどちらかだった。
「世界で最も不衛生な巨大都市」と言われた広州も、最近は改善されてきている。 深セン含め広東省は、一応広東語の土地ということになっているが、
ちょっとでも都市化した地域では普通話の訛ったのをみんな話していて、
広東語は一部の地元民の内緒話や家族レベルの会話で使うだけ
広東語が実質上の公用語である香港の広東語は、
広東省でとっくに使われなくなった言い回しをよく保存し、
独自の表現力を発達させているが、
広東省の広東語は普通話をなぞった新しい表現が多い
公用語であることで広東語がその威信を保ってきた香港は、
スペインでは方言でしかないカタルーニャ語にとってのアンドラという国にちょっと似ている 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 上海語や広東語は、言語としては消滅に向かってるな。
普通話の訛りがなくなるとは思えないが。 とくに深センは、人口の流入が速い。
30年で人口が30万人から1400万人に増えた。
根っからの地元民など、ほとんどいない。 上海を東京とすれば、北京は札幌。
深センは鹿児島あたりの位置関係にある。
日本も昔は、北海道はアイヌ人で、鹿児島はクマソ人だったが、今では日本語による言語統一が完成している。
それを思えば、中国が言語統一できても不思議はない。 広州で宴会に招かれた。
酒にとても弱いもんで、どうなるか怖かった。
中国人は大酒呑みで、
やたら何度も乾杯するというイメージだったから。
連れていかれたところは飲茶(ヤムチャ)の店だった。
良かったぁ。
お茶なら何杯でもいける。お茶大好き。
飲茶文化を発達させた明清は素晴らしきかな!! 【大地震なら、W人工″】 プーチンは知っていた <46分> は、核の起爆時刻、電子制御だから、正確
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528509829/l50
スケート国際大会で、プーチンが、冗談で、311の地震波形を、示すと思うか? >>264
数年前までは、カラオケボックスには性接待がセットでついてきたのだが 太平天国好きだから南京も好きなんだけど、なんでしょぼくなっちゃったの?
やっぱり上海が租界で発展したのが大きいのかな?内陸過ぎた? 南京は呪われた都
常軌を逸した暴君暗君オンパレードの南朝を初めとして
朱元璋に洪秀全に蒋介石 >>268
内陸といっても、長江の沿岸都市は別枠でしょ。
海に面してるようなものだ。 >>271
やはり、南朝・梁のときに沖田南京大虐殺の祟りか? 今の共産党政権になる時にべつに南京を首都にしても良かったろうと思うが、
ソ連を警戒しつつ北方の生産性向上を進めようとしたのかもしれない
東北や沿岸部の旧淪陥地域の生産性は上がっていたが、内戦ですでに疲弊していた
また朝鮮情勢も緊張の兆しがあったし、旅順大連もまだソ連に租借されていた
(完全に中国に返還されるのは1955年)
ソ連は香港の英国とともに中国に残った「最後の列強」であり、
最大の同盟国であると同時に侵略国でもあったから、北京に首都を置くことで対峙しようとしたのかもしれない 今は、旧満州の重化学工業が斜陽化してお荷物になり、深センのIT産業が台頭するなど、中国経済は南高北低になってきている。
重心が南に移ってきた以上、北の外れにある北京に首都を置いているのは不自然に見える。
でも、毛沢東の時代はそうではなかった。
旧満州には日本が残した工業化の遺産があるし、ソ連との関係からしても、首都が北にあるのは自然だったと思われる。 はぇ〜皆さん詳しいですね!
ソ連という北方の脅威があったことは目から鱗でしたわ!
永楽帝後も北京が首都でありつづけたように近代になっても北の脅威から北に首都を置く
中華人民共和国はその点でも明みたい(笑) ソ連はよく占領した満州国を
満州人民共和国とかにせずに返還したな >>277
中華人民共和国の初期においては、ソビエト連邦は脅威どころか、宗主国というべき存在だった
ソ連が満州を譲ってくれたおかげで、日本の統治が残した近代化の遺産を国家建設の礎にすることができた >>278
まあ、ロシアと清の時代からの条約もあるし、いくらソ連でも連合国を無視して占拠し続けるわけにもいかないからな 20世紀の終わり近くまで、「中国の旧満州では、日本が敷いた鉄道で、日本が遺した汽車がまだ普通に走っている」と言われてた。
日本が遺した製鉄所などの工場も、まだ稼働していた。
今でこそ、中国政府が全国各地に鉄道を敷きまくったおかけで、すっかり様変わりしたが。 中華民国が清から権力移譲されて出来た政府なら清の後継国家、つまりは異民族王朝である
その中華民国を武力によって駆逐した中華人民共和国は偉大なる明王朝の正当なる後継国家である!
って論法どう?国内の異民族への扱いはさておき >>282
清は明の後継王朝という位置づけ
明を滅ぼした李自成の乱を鎮圧して、正式な継承者になった だが、中華人民共和国は中華民国を否定し、黒歴史あつかいしている だって中華民国が国家なら台湾も国家という事になるから うわぁしまった、李自成を忘れていたこの論法破綻した 清朝の帝位はモンゴルの大ハーンです
これはもちろん元から譲位されたものであって明からは帝位を譲位などされてないし奪ってもいない
つまり清は明が滅びた跡地に元の帝位を持って入ってきた元の継承国であって明の継承国などではないということ
そして明もまた元から譲位などされてなく元の継承国ではなく、元が逃げた跡地で新たに建国された別の国であり、
そして清は明が滅びた跡地に帰ってきた元であるということ >>290
中華の皇帝と、モンゴルの大ハーンを兼任していたんだが? >>290
明はモンゴルの大ハーンを継承してないが、
元朝の中華帝国は継承している。
朱元璋の発した檄文では元朝の正統性を認めるとともに、
元朝の徳が失われたので変わるべきとしている。
また周辺諸国に対しては元朝の立場を明が継承していることを宣言して朝貢するよう促している。 普通にウリャンハイ三衛からハーンとして推戴されていますけど 明は元朝の大臣クラスを含めて多くの官僚たちをそのまま採用してるし、
清も弁髪に応じた明の官僚たちをそのまま採用している。
しかも同じ官職のままだったりする。
組織的にはまるっきり別の国とは言えない。 やはり、同じ北京帝国の中で起きた、政権交代と見るべき 明清には中国人の質が落ちた。
中国人が尊敬されるのは宋のじだいまでであり、そのあとは別の人種であり、
階級も異なる。
日本人の中国観もそれに応じて変化した。 日本人がイメージする中国人や中国の文化って清代かせいぜい遡って明代だが __
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国家として朝貢しなくなったけれど、
民間交易は盛んだった。
明清の物産、書籍の需要が大きかったので、
大量の金銀が明清に渡ってしまってる。
従って明清も依然として憧れの地。 >>299
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r┤ ト::::: \___/ || あそびにきてね
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万暦帝:明の14代目皇帝。廟号は神宗、諱は朱翊鈞。 >>297
日本も、広い意味では、南の国だからな。
「北京に親しみを持てない」という意識は確実にあると思う。 やっぱり、明といえば万暦帝じゃないか。
「明は万暦に滅ぶ」なんて、なんだかロマンを感じる。 なぜ、日本人には唐宋の人気が高くて、明清の人気が低いのか。
自分の考えでは、「北京」が首都になってからの中国史の人気が低い。
やっぱり、中華の都といったら、洛陽とか長安じゃないとダメみたいだ(笑)。
それというのも、日本人は、モンゴル帝国とその継承者を本能的に嫌っている。
その感覚は確実にあると思われる。 しかし、日本人が「昔の中国人」と聞いて思い浮かべるイメージは、唐や宋ではない。
マンガに出てくる中国人は、男は辮髪で道士服、女は三つ編みかお団子ヘアでチャイナドレスだが、
これは、明・清・中華民国のイメージが錯綜してできあがったイメージ。
「来来 キョンシーズ」という台湾の映画が、日本人の中国観に大きな影響を及ぼしたと言われている。 韓国メディアには、しばしば、「日本人は、なぜ中国に関して、あんなに関心が低いのか?」、
「日本人は、なぜ中国を高く評価しないのか?」ということが、しばしば議論される。
「辺境の日本人は、中華の華夷秩序に反抗してるニダ」というのが、朝鮮人好みの世界観ではあるけど、
実際にはそうではない。 今の中国は、日本人から見ると、「ソビエト連邦が崩壊する直前のロシアに似ている」とか、
「バブル相場が崩壊する直前の日本に似ている」と思えるのだが、韓国ではそう思われていない。
韓国では、「明が滅んで清が天下を取ったときの清に似ている」というのが、よくある中国への評価だ。
「沈みゆく明に過剰な義理立てをしたおかげで、清を怒らせてしまった」というのが、歴史的な教訓として
しばしば語られている。
ここでいう明というのは「アメリカ合衆国」、清というのは「中華人民共和国」を指すらしい。 天皇家が中華皇帝とモンゴルの大ハーンを継承することは出来ないのか? >>305
それなら唐と宋の間の断絶のほうが大きい
発酵食品や米の加工製品が多く酢の物もあった唐の料理は日本料理の原型で、
炒めもの中心の中華料理が完成したのは宋代から
宋が洛陽や長安を都としたことはない
漢文では日本では唐詩が中心だが宋詞や元曲は専門家だけ
日本の儒学の根幹は漢唐訓詁学で、宋学つまり朱子学の系統は大正から戦後で廃れた
今の日本で朱子学と聞いたらそれだけで歯をむき出しにして嫌悪感を露骨に現す人ばかりだろう
日本人はモンゴルにはむしろエキゾチシズムからくる憧れの気持ちが強く、嫌う理由は全くない
元寇で来たのは高麗人と漢人の多い連合軍で、エキゾチックな遊牧民モンゴルのイメージからは遊離している
少なくとも「朱子学」と「モンゴル」でどちらのヘイトが強いか考えればわかる
モンゴル以外では満洲人、チベット人についても、日本人は多くは学校教育での予備知識がほとんどないが、
趣味的に知識を得ると惹き込まれる人がよく見受けられる
中国歴代王朝との交渉史を知ると、同じ周縁民族として共感する所もあるだろう >>309
清の手本に習い、
徹底的な中華化。
またモンゴル王侯の娘との婚姻で生まれた子を即位させる。 >>309
皇室典範で皇族は外国人との結婚が許されていないので不可
関東軍が愛新覚羅溥傑と日本女性との結婚を画策し、
溥儀は弟の溥傑を日本の皇族の女性と結婚させることを希望したがそれで立ち消え
代わりに公爵家令嬢の嵯峨浩が溥傑と結婚、愛新覚羅慧生が生まれた >>313
結婚する必要は無い
愛新覚羅家かロマノフ家から譲位されればいいだけ
譲位の条件に結婚なんて無い 皇室典範みたいに明文化されてはいないが、更にありえない情況だなw>譲位 >>314
ロマノフ家?
ローマ皇帝? ツァー?
だったらキリスト教国化が必須。
やっぱり同君連合国家の形成では政略結婚が一番摩擦が少ない方法。 >>316
ロマノフ家はモンゴルの大ハーン位を持ってる
愛新覚羅家も >今の日本で朱子学と聞いたらそれだけで歯をむき出しにして嫌悪感を露骨に現す人ばかりだろう
それはない。
朱子学のことなど、誰もまったく知らないから、反感の持ちようがないな。 >>314
それより、中華帝国の袁家となら可能性はあった >>313
それは、中華皇帝というより、満州皇帝だな
満州で「大清帝国」が存続していれば、東アジアの歴史はもっと面白かったと思うが、残念ながらそうはならなかった 現代の日本では、かなりのインテリでも、「格物致知」という言葉すら知らない
朱子学は、本当に忘れ去られて埋もれた だが「誠心誠意」はよく聞く
これはもちろん大學の「正心誠意」から来てる
あと、「治国平天下」もたまに聞く 「誠心誠意」も派生語ではあるが、「心を正し、意を誠にす」という元の意味とは違いすぎる 「誠」が日本の「清明心」概念に等値として理解されているからね
これはやはり本居宣長以来なのかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています