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明清帝国
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0001世界@名無史さん
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2018/05/13(日) 09:32:16.800
日本では、明も清も人気がない

2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか?
0027世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 08:11:40.410
古くから漢文化を受容してきた素養があるのだから、
漢化しようと思えばアッサリしちゃう気がする。
教養人はみんな漢文を読み書き出来てたし。
漢化する覚悟なく、
日本式を押し通したら
大陸制覇は抵抗が大き過ぎて不可。

ただチョンマゲぐらいなら強制できるかも。
0028世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 18:43:44.530
大陸に渡る支配者層の漢化は早いだろうね
しかし三国国割構想では日本と大陸には別の天皇と関白を置くつもりだったらしいし
日本本土は漢化しないのでは?
距離の問題もあるし日本自体が当時は相対的に人口が多い国だから
少なくとも庶民まで日本語を忘れて漢化することは考えにくい
0029世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 22:27:19.740
むしろ漢土の日本化が進行したりしてw
0031世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 22:58:06.820
日本人を見習って、土足で部屋に上がらないとかじゃね?
0033世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 23:04:08.470
だから文化を日本式に変えちゃうってことなんだろ
0034世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 23:52:02.330
満洲語、満洲文字が権威を持っていたように、
尾張弁、漢字かな混じり文が権威を持っただろう。
0035世界@名無史さん
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2018/06/01(金) 23:53:47.910
髪形は、辮髪ならぬちょん曲げだな。
0036世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 00:00:49.490
>>34
むしり日本では漢文こそが教養人の証だったから大陸の日本人はせっせと漢文を取り入れただろう
0037世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 00:06:40.770
>>36
送り仮名や返り点が中国で普及するのだね。
0038世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 00:13:23.140
>>34
シナ人の連歌師が出現して、連歌会が催されただろう
0040世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 06:12:16.430
文化や風習はともかく、
制度を日本化するだろう。
太閤検地の実施。
石高制に基づく封地割当。
封建領主は屋敷を城にして、
町を囲む城壁はなくした城下町。
0041世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 06:29:24.310
加藤清正は豆満江を超えて
オランカイと闘った。
清正の報告では、
オランカイは朝鮮の倍の広さがあって、
全体の統治者がおらず、
伊賀者甲賀者のように砦を構え、
一揆国みたいらしい。
オランカイは
統一前の女真族の一派かもしれない。

清正の見立てでは、
オランカイを通って明国入りするのは無理。
女真族はかなり手強いという認識。
0042世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 08:41:45.570
>>22
秀吉時代は失敗したけれど、
南明勢力からの日本乞師に答え応じていたら、
大義名分が出来た分、有利になるから、
結構いけたかもね。
0043世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 09:46:53.250
南明日本乞師って何?
0045世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 11:51:54.620
バチカンにまで送ってたらしいね
十字軍でも期待したのかな
0046世界@名無史さん
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2018/06/02(土) 20:35:17.240
満州八旗が強かったのはほんの初期だけというイメージがある。
むしろ漢人武将たちの活躍で、
あれよあれよと大征服出来ちゃった感じ。
0047世界@名無史さん
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2018/06/03(日) 18:27:16.260
三藩の乱だって緑営をぶつけて八旗は後方で片付け待ってたらしいからな
果たして満州人が絶対的に強いのか怪しいと思う
なんか、モンゴル帝国の圧倒的な強さというイメージで異民族王朝を語ってる節がある希ガス
0048世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 06:17:47.700
>>40
太閤検地みたいなことは、明の太祖がさをざんやったからなあ
0049世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 06:20:29.090
>>29
そりゃ、進行するだろ

日本より遥かに文化伝統の少ない満州の狩猟民ですら、どれだけ中国の文化を変えたか?
0050世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 06:22:00.700
ただし、日本人は農耕民族

服装や食事とかは、洋の東西を問わず、狩猟民の機能的な服装や、肉食文化の影響力が大きい
0051世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 08:01:58.760
>>47
人口の違いは大きい。
どうやって少人数で絶対多数を服従させたかは興味深い。
0052世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 09:00:10.190
>>48
貨幣経済が発達し、
明代には銀本位経済がフルに回っていた中で、
さすがに石高制はないね。

秀吉だって銀山を主要な財源にしていて、
朝鮮出兵時にも朝鮮の銀山確保を重視したりしていることから、
十分に銀の力の重要性を理解していた。
明清内で流通する銀は南米産以外は日本産。
戦国日本で鉄砲を大量生産できたのは、
銀生産拡大での購買力に依るところが大きい。
0053世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 09:16:52.010
明清が世界中の銀を自国に引き寄せていった商品の販売力は凄い。
当時の国際経済での競争力はナンバー1.

日本の当時の輸出品は、銀、硫黄、そしてあまり知られてないが奴隷。
銀が枯渇してくると、高値で売るものがないので鎖国で制限するしかない。
0054世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 12:33:38.200
>>52
明清は、郷紳、つまり地主階級が全盛だった時代
0055世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 13:36:32.590
>>53
銀はともかく、硫黄なんかで外貨を稼げたのは良い時代
0057世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 18:10:49.940
田沼意次は、干し鮑やフカヒレなどの俵物の輸出を図っている。
金銀の流出を抑えるために。
そのおかげで中華料理の高級食材の定番になった。
0058世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/04(月) 18:29:35.710
昆布の道
蝦夷地松前藩⇒富山藩⇒薩摩藩⇒琉球⇒清

富山と沖縄料理で昆布が多く使われる。

薬の道
清⇒琉球⇒薩摩藩⇒富山藩⇒全国に薬売り
0059世界@名無史さん
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2018/06/04(月) 18:37:55.580
>>55
石油の脱硫装置がなかった時代だもね。
火薬の原料として欠かせないものだが、
さすがの明も硫黄の調達先が仮想敵国の日本だけでは不安だったため、
東南アジアや西アジアなどの入手先の多方面化を図っている。
0060世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 05:47:28.600
>>54
一条鞭法や地丁銀制は銀納。
銀が大量流通していないと成り立たない制度。
その銀の生産元の大半がメキシコなどの南米と、一部が日本。
銀生産地の新大陸は西欧諸国の植民地。
西欧諸国が銀の需要が大きい明清に銀を供給。
西欧諸国は明清の物産を大量入手。
商業が発展して西欧の力が急速に伸びる。
織豊時代日本の文化の輝きも銀の力。

なのに石高制は米本位の物納。
0061世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 07:55:50.370
石高制は明が銀本位制に移行したことによって
輸入した銅銭に頼っていた貫高制が維持できなくなったからだろ
明を征服するなら銀本位制に移行するわ
0062世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 08:48:30.040
宋の頃は、日本が莫大な銅の輸入国だった。

明では、日本が銀の輸出国に転じた。

この違いは大きい。
0063世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 08:51:28.970
日本は、明代になっても、宋の古銭を輸入していた。

「宋銭が東アジアの基軸通貨だから」というのはもちろんだが、「銅の輸入」という側面も見逃せない。
0064世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/05(火) 08:55:15.000
農民出身の朱元璋は、農本制に移行しようとしていたが・・・。
0065世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 09:15:48.640
>>64
荒廃した国土復興と食料確保が優先なので、
朱元璋の政策は間違ってない。

ただ商業軽視、朝貢外交に固執は儒教の悪影響だと思う。
周辺諸国が貿易自由化を求めて反発するのは必定。
北虜南倭、秀吉の出兵、ヌルハチの挙兵、後年のアヘン戦争も含む。
0068世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 18:52:15.300
>>62
輸入してたのは宋の銅銭であって銅そのものは輸出国だぞ日本は
原料輸出の強みは技術力が要らないということ

貿易で利潤を得ようとするらなら相手国の製品より性能なり価格なりで優位を示さないといけないが
さすがに当時の中国相手に技術力で勝負するのは分が悪い
その分銀や銅硫黄といった資源はそのものに価値があるのでいつの時代でも安定的に商品として機能してくれる
0069世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 20:06:58.790
>>68
資源を輸出して、製品を輸入するというのは、現代の日本とは逆のノリだな

やはり、江戸時代だろうな、日本が変わったのは
0070世界@名無史さん
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2018/06/05(火) 20:38:02.970
しかし、現代では資源輸出国といったら「発展途上国」という位置づけだが、大昔にそのイメージを適用すべきなのかどうか。

昔は、鉱山を開発するのだって、大変な技術だ。

ましてや、中南米の鉱山を開発して中国に輸出していた南欧諸国は、現代の資源メジャーがやってることと変わらない。
0071世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/05(火) 22:05:11.400
>>70
先日のNHKヒストリアで、徳川家康がスペインから
金や銀を含む鉱石から水銀を利用して金や銀を取り出す製錬法(アマルガム法)
を技術導入しようと交渉した話しをやっていました。
0072世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/05(火) 22:14:17.560
日本の場合は開発途上国の悲しさがあった。
日本が輸出していた粗銅には金銀が含まれており、
当時の日本にはそれを分離する技術がなかった。
明の商人たちは日本から安値で粗銅を買い取り、
金銀を分離して大きな利益を得ていた。
戦国時代に朝鮮から灰吹法、
南蛮から南蛮吹きなどの技術が伝来して、
ようやく日本でシルバー、ゴールドラッシュを迎える。
0073世界@名無史さん
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2018/06/06(水) 05:13:43.850
>>72
灰吹法が極めて非効率だから、スペインから技術導入したんだが?
0074世界@名無史さん
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2018/06/06(水) 07:10:20.780
江戸時代初期の日本が、欧米からの技術導入で金銀の生産を大幅に進歩させたというのは、見落としがちなポイントだ。

江戸時代における欧米の影響というのは、もっと認識されてよい。
0075世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 07:29:18.230
「江戸時代の日本」といえば、「鎖国」。

「明清時代の中国」といえば、「海禁政策」。

でも、実際のところ、当時の朝廷は、どれほど海洋貿易を統制できてたんだろか?
最近は、日本史の教科書も書き換えられている。
「長崎の出島で、オランダ人とだけ貿易してました」
という話は、すっかり過去のものになった。
0076世界@名無史さん
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2018/06/06(水) 07:40:45.570
>>73
その非効率の灰吹法すらなかったから、
みすみす利益を明の商人たちに奪われていた。
開発途上国の悲哀だ。
0077世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 07:58:18.450
>>75
長崎の出入りする船だが、
オランダ船より中国船の方が数が多い。
そのオランダ船だが、
オランダ東インド会社が支配していた東南アジアの香辛料や砂糖以外は、
中国物産が多く、ヨーロッパ由来の物品は量としては少ない。
オランダ東インド会社はまずはアジア域内交易で儲けを追求し、
その儲けでアジア物産を買い付けて欧州に持っていく。

つまり長崎オランダ船の交易の大半は中国物産の取引だった。
0078世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 08:32:33.410
>>75
少なくとも日本船を仕立てて渡海して、
海外に日本人町を形成するようなことはなくなった。

海外物産への興味がなくなったわけではなく、
需要は大きく、
いわゆる「鎖国令」発布以前よりも
貿易量が多くなっているデータはあるそうだ。
0079世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 08:34:45.530
中国も、明ともなれば、「ラクダに乗った隊商がシルクロードをはるばると越えていきました」なんて世界では、とっくになくなって久しい。

現代と同じように、沿海部に主要都市が集中している。
海洋貿易は、中国にとっても生命線だった。
0080世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 08:48:22.050
釜山には倭館があって、
元禄時代にも数百人の日本人が常駐。

福建省には琉球人町があって、
冊封交易が続いてた。

他の日本人町は消滅。
こういう拠点間海外ネットワークを維持できなかったことは、
欧州との差を広げてしまうことに繋がる。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 09:18:15.760
>>79
隊商交易はなくなってはいない。
量的には増加しているはず。
オイラート、タタールの攻勢は隊商交易が活発だったことを示す。
19世紀になっても中央アジアの陸上交易は盛んだった。
ロシアとの交易も始まるし。

アンドレ-グンダー・フランクの「リオリエント」では
従来、海上貿易に目を奪われがちだったのを批判して、
陸上交易の重要性は失われてなかったと主張してたことの受け売りだけど。
0082世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 09:59:53.190
最終的に清に滅ぼされたジュンガルも勢力拡大の背景に陸上交易の利があったと思う。
ジュンガルは清との戦争でロシア製の大砲を使ったり、
ロシアからの技術導入で工業化を進めようとしたりしているので、
ロシアの支援があったかもしれない。
ロシアも清と対立したくないから、表立って支援しないと思うが。
タタールのくびきの記憶も残っているし。
0083世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 10:29:49.220
>>67
軍役は辛いからねぇ。

八達嶺や慕田峪の長城を行ってきたけれど、
よくまぁ、あんな山の尾根に城壁作ったよなぁと感心する。
いやぁ長城まではロープウェーとかケーブルとかの乗り物だったんだけれど、
長城自体の上り下りがキツクて、息が上がって苦しいことおびただしい。
0085世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 11:36:59.070
19世紀の北京に駱駝がいたのか、ビックリした
もしかしてもっと前から中国に駱駝は来てたの?
0086世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 11:53:40.010
北京中心から70キロほどで砂漠地帯に入るよ。
昔はどこまで砂漠があったかは知らないけれど。
0087世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 11:58:35.970
じゃあ中国の歴史上で駱駝騎兵部隊とかいた可能性があるのか
…砂漠以外でのメリットが無いから無理か
0088世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 13:12:36.870
中華ドラマでは駱駝部隊は見たことないな。
モンゴル系騎兵部隊は普通に馬だし。

戦闘用というより、荷役では使われたかもね。

なぜか杭州の宋城という宋時代を模した
テーマパークがあって、
そこで駱駝に乗せてもらったことがある。
なんで宋で駱駝なのかはよくわからない。
0089世界@名無史さん
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2018/06/06(水) 13:23:00.790
中国人のことだから駱駝料理もありそうだな…と思ってググってみたら駱駝の瘤が中華料理の珍味として紹介されてた
中国パネェ
0090世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 13:46:02.990
広州に行ったときに、
古くから回教徒(イスラム)が多く住む区域があって、
中華式モスクがあった。
仏教寺院みたいな、ちょっとデザインを変えてあるような建物。
回族料理の飲食店があって、
羊肉が店頭にぶら下がっていて、
ちょっと食べてみたかったなぁ。
0094世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 20:55:52.700
>>92
アラブの寄付があるのかもね。

新疆ウィグルのカシュガルあたりだと、
また変わるんだろうな。
イスラム建築の煉瓦造り青色ドームがあったりして。
住民の顔立ちも黄色人種でないし。

広州の回族は女たちがベールしている以外は他の中国人と見分けがつかない。
寺院は古い屋根瓦の木造だったし。
広州が昔からムスリム商人を受け入れてきた証だと思う。
0095世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 21:01:46.330
>>93
唐の場合はイラン系ソグド人文化の影響が強い。
安史の乱以降はトルコ系ウィグル人の影響が強くなるのかなぁ。
0097世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 21:22:39.000
ウィグルはムスリムだけど、
モンゴル系はどういうわけか知らないが、
チベット仏教になっている。
ジュンガルもチベット仏教国。
清朝はダライ・ラマを手懐けることで、
モンゴルをも掌握する。
中華皇帝+大ハーン+チベット仏教の守護者ということで君臨できた。
ムスリム寺院への寄進も怠ることはできず、
大帝国の運営は多方面に気を遣う。
0098世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 12:54:28.190
その点大明帝国って凄いよなぁ
中華皇帝の名称だけで中国統治しちゃうんだもん
0100世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 13:18:31.750
中華統治期間の長さで、
明:1368年-1644年の276年間
清:1644年-1912年の268年間
よって明の勝ち。
0101世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 13:28:37.160
明の皇帝はモンゴル人だけどな
0102世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 13:29:14.710
漢人しか支配しなかったなら皇帝号だけで十分なのは当たり前
0104世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 15:34:00.510
明の皇帝一覧
名前 皇帝号 即位年 終了年 在位期間(引き算しただけ)
朱元璋 太祖洪武帝 1368 1398 30
朱允? 恵宗建文帝 1398 1402 4
朱棣 成祖(太宗)永楽帝 1402 1424 22
朱高熾 仁宗洪熙帝 1424 1425 1
朱瞻基 宣宗宣徳帝 1425 1435 10
朱祁鎮 英宗正統帝 1435 1449 14
朱祁ト 代宗景泰帝 1449 1457 8
朱祁鎮 英宗天順帝 1457 1464 7
朱見深 憲宗成化帝 1464 1487 23
朱祐? 孝宗弘治帝 1487 1505 18
朱厚照 武宗正徳帝 1505 1521 16
朱厚? 世宗嘉靖帝 1521 1566 45
朱載? 穆宗隆慶帝 1566 1572 6
朱翊鈞 神宗万暦帝 1572 1620 48
朱常洛 光宗泰昌帝 1620 1620 2ヶ月
朱由校 熹宗天啓帝 1620 1627 7
0105世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 15:48:17.260
すまん。再録。
明の皇帝一覧

名前  皇帝号   即位年 終了年 在位期間(引き算しただけ)
----------------------------------------------
朱元璋 太祖洪武帝 1368  1398  30
朱允? 恵宗建文帝 1398  1402  4
朱棣  成祖(太宗)  1402  1424  22
     永楽帝
朱高熾 仁宗洪熙帝 1424  1425  1
朱瞻基 宣宗宣徳帝 1425  1435  10
朱祁鎮 英宗正統帝 1435  1449  14
朱祁ト 代宗景泰帝 1449  1457  8
朱祁鎮 英宗天順帝 1457  1464  7
朱見深 憲宗成化帝 1464  1487  23
朱祐? 孝宗弘治帝 1487  1505  18
朱厚照 武宗正徳帝 1505  1521  16
朱厚? 世宗嘉靖帝 1521  1566  45
朱載? 穆宗隆慶帝 1566  1572  6
朱翊鈞 神宗万暦帝 1572  1620  48
朱常洛 光宗泰昌帝 1620  1620  2ヶ月
朱由校 熹宗天啓帝 1620  1627  7
朱由検 毅宗崇禎帝 1627  1644  17
0106世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 15:51:37.080
清朝皇帝一覧

名前  中華号    満州号             モンゴルハーン号  即位年 終了年 期間
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヌルハチ  太祖    アブカイ・フリンガ・ハン        スレ・クンドゥレン・ハーン  1616  1626  10
ホンタイジ 太宗    スレ・ハン               ボクド・セチェン・ハーン  1627  1643  16
福臨  世祖順治帝 イジスフン・ダサン・フワンディ     イャルート・ジャサク・ハーン 1644  1661  17
玄Y  聖祖康熙帝 エルヘ・タイフィン・フワンディ      エンケ・アムガラン・ハーン 1662  1722  60
胤メ@ 世宗雍正帝 フワリヤスン・トブ・フワンディ      ナイラル・トゥブ・ハーン  1723  1735  12
弘暦  高宗乾隆帝 アブカイ・ウェヒイェヘ・フワンディ    テングリ・テクゲチ・ハーン 1736  1795  59
永?  仁宗嘉慶帝 サイチュンガ・フェンシェン・フワンディ  サイシャ・ヤルート・ハーン  1796  1820  24
旻寧  宣宗道光帝 ドロ・エルデンゲ・フワンディ      トル・グレト・ハーン     1821  1850  29
奕?  文宗咸豊帝 グブチ・エルギェンゲ・フワンディ    トゥゲモル・エルベト・ハーン 1851  1861  10
載淳  穆宗同治帝 ヨオニンガ・ダサン・フワンディ     ブリン・ジャサク・ハーン   1862  1874  12
載?  徳宗光緒帝 バダランガ・ドロ・フワンディ      バダルグ・トル・ハーン   1875  1908  33
溥儀  宣統帝    ゲフンゲ・ヨソ・フワンディ       ゲブト・ヨスン・ハーン    1908  1912  4
0107世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 15:56:38.010
皇帝の数
明:17人
清:12人(後金を含む)
明の勝ち。
0108世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 15:58:26.060
平均在位期間で
明:16.24年
清:23.83年
清の勝ち。
0110世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/07(木) 21:19:12.520
>>99
不完全だが支配はしてるぜ

チベット:
烏思蔵都司・朶甘行都司として一時的・名目的に支配
当時のチベットには全体の統一された支配者はおらず各地方の土豪よりも上の存在は即ち明の皇帝ということになる

満州:
奴児干都司として黒竜江河口域まで結構がっつりと支配
後に独立されて後金となる

モンゴル:
万歴年間にフフホトに帰化城と名付けて内蒙古は帰順させた
西北には赤斤蒙古衛や哈密衛など関西八衛を置いてモンゴル系の哈密王国(カラデル)を属国に(後に東チャガタイ汗国の分裂したトゥルファンに奪われる)
0111世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 06:15:55.380
>>109
英宗(正統帝、天順帝)。
最初は最悪のアホ帝かと思いきや、
ドン底の苦しみを味わった後は、
恐るべき精神力と人タラシの術を駆使した。

皇帝ではないが、
万貴妃の悪女ぶりも好き。
最初から悪女に変貌したわけではない。
味方のいない廃太子の幼い皇子の子守りとして
愛情深く仕え続けたまさにマドンナだ。
ただ、皇子を愛しすぎて、
二十年ぐらい年が離れているのに
男女の仲になり、
皇子が復権して皇帝になった後、
年増女の嫉妬が暴走しただけだ。
0112世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 09:19:09.750
>>109
清朝ではダメ?

皇帝ではないが、孝荘文皇后。
ホンタイジの側妃。
俗説ではドルゴンに嫁ぐが正史では否定。
順治帝の生母。
康熙帝の祖母。
モンゴル人。
中華ドラマや小説ではおなじみのすげぇ超女傑。
大清帝国の事実上の建設者。
0113世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 09:38:36.130
>>103
王朝の興亡パターンが有るよね。
創設期⇒発展期⇒繁栄期⇒衰退期⇒滅亡。

気象変動周期が原因という説。
経済変動の長期周期(好況不況の長期波)によるという説。
人口増加と生産力増加のアンバランスの調整が生じる説。
いろいろ原因は考えられそう。
0114世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 09:52:15.390
試験では
・王朝名
・創設者名
・最盛期の皇帝名
・滅亡時の皇帝名
の4つを覚えればOK。

しだいにどれも同じパターンに思えてきて中国史が飽きられていく。
0115世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 20:53:29.750
>>114
どの王朝も、有名な皇帝は最初の数人だけ

あとは惰性で続く
0116世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 20:56:23.810
ローマ帝国も、国家としては長く続いたが、皇帝は選挙やクーデターで交代し、王朝がしょっちゅう入れ替わっている。

それを思えば、元・明・清は、「ペキン帝国」と一括して総称しても良いように思う。
0118世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 06:40:10.260
日本はそうだな

鎌倉時代とか、江戸時代とか
0119世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 07:58:05.910
>>100
明清だけで550年

室町時代から明治時代まで、ほぼフルカバーだ

長い
0120世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 07:59:16.780
はっきり言って、中国史の勉強は、明から始めれば十分
0121世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 08:27:23.970
日本に多すぎる三国志ヲタを、どうすれば明清ヲタに変身させられるんだろうな?
0122世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 08:35:35.400
>>121
「明清ダークヒーロー列伝」ゲームを開発する。
0123世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 08:50:14.440
>>120
高校時代、社会科教師からイタリアの歴史をまとめて発表する割当を受けた。
得意になってローマ共和制からの資料をプロジェクターで写しながら延々と発表したもんだ。
教師からの講評は「そんな昔のはカットしろ。ルネサンスあたりからで充分だ。」
こん畜生!腹立つ!!
教師の言わんとすることが何となく理解できたのは、
ずっと後のこと。
0124世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 08:59:13.890
>>116
ボルジギン朝ペキン帝国。
朱朝ペキン帝国。
愛新覚羅朝ペキン帝国。
0125世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 09:21:23.960
実際、北京(大都)や地方の文武百官のほとんどはそのままだったんじゃないかなぁ?
北京入城時は略奪虐殺厳禁で、
人心安定が優先で、
朱元璋は元朝の正当性を認めた上での大都住民へ降伏勧告を出し、
清は明朝の後継を宣言して、朱氏の祭祀が続くよう配慮した。
統治体制の中身を破壊しない。
政権トップが変わっただけ。
0126世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 11:43:09.680
>>114
大学入試で王朝名とか君主名とかほとんど出題されないが
中国史はどこも大体政治史6割文化史3割その他1割
0127世界@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 12:25:57.140
「王朝が滅亡したときの皇帝」って重要か?

陳の後主と、南唐の李Uだけは重要だけどな、文学史で。
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