明清帝国
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日本では、明も清も人気がない
2つ合わせれば、それなりに話のネタもあるか? >>313
結婚する必要は無い
愛新覚羅家かロマノフ家から譲位されればいいだけ
譲位の条件に結婚なんて無い 皇室典範みたいに明文化されてはいないが、更にありえない情況だなw>譲位 >>314
ロマノフ家?
ローマ皇帝? ツァー?
だったらキリスト教国化が必須。
やっぱり同君連合国家の形成では政略結婚が一番摩擦が少ない方法。 >>316
ロマノフ家はモンゴルの大ハーン位を持ってる
愛新覚羅家も >今の日本で朱子学と聞いたらそれだけで歯をむき出しにして嫌悪感を露骨に現す人ばかりだろう
それはない。
朱子学のことなど、誰もまったく知らないから、反感の持ちようがないな。 >>314
それより、中華帝国の袁家となら可能性はあった >>313
それは、中華皇帝というより、満州皇帝だな
満州で「大清帝国」が存続していれば、東アジアの歴史はもっと面白かったと思うが、残念ながらそうはならなかった 現代の日本では、かなりのインテリでも、「格物致知」という言葉すら知らない
朱子学は、本当に忘れ去られて埋もれた だが「誠心誠意」はよく聞く
これはもちろん大學の「正心誠意」から来てる
あと、「治国平天下」もたまに聞く 「誠心誠意」も派生語ではあるが、「心を正し、意を誠にす」という元の意味とは違いすぎる 「誠」が日本の「清明心」概念に等値として理解されているからね
これはやはり本居宣長以来なのかね? >>319
ニュー速+行って聞いてみな
みんなシナチョンとセットで朱子学嫌いって言うから >>321
関東軍と満鉄が、満洲国と大清帝国の連続性をできるだけ印象付けないように操作したからね
五族の国軍を作ったんなら八旗の用語でも入れたらよかったろうに >>327
満州国は全てにおいて中途半端。
帝政は既にシナ人多数から嫌悪されてるんで、
少しはモダン化したスタイルにしようと
官制の多くを中華民国からのパクリ。
五族協和の理念は孫文の五族共和のパクリ。
パクリの限界で中華民国の劣化版でしかない。
下手に近代化スタイルにせずに、
明清路線完全復興を理念にした方がマシじゃないか。 今、もしも大清帝国が満州で存続していたら、中国共産党も一目置かざるを得なかっただろうな
面白いことになっていた しかし、ソビエト連邦に滅ぼされるのを避けるのは、どう脳内シミュレーションしても無理という結論になる ロシア革命に乗じて、先手を打って極東ロシアを占領することができていたら、また違う展開になっていたかもしれない
大清帝国の傀儡皇帝が、さらにロマノフ家の生き残りを傀儡に立てて、「極東ロシア帝国」を樹立する(笑) 「第二次世界大戦の直後、皇帝が遼東半島に逃げ込み、大連で帝国を存続する」というシナリオも考えてみたが、地形を見る限りでは防衛不能(笑)
朝鮮半島みたいなわけには行きそうもない 台湾の場合は、連合国に保護されていたから蒋介石も逃げ込めた
大連では無理 梅里雪山に逃げ込めば・・・
そして生き残れられればあるいは・・・ 地形的には、山東半島のほうが、まだ防衛しやすいと思われる 大連と青島、雰囲気がちょっと似てた。
どちらも港があって、岩山の奇岩風景があった。
大連の5つ星ホテルに泊まったが、
泊まり客の外国人のうち
半分が日本人で、半分がロシア人のように見える。
たぶん日露の進出競争が大連にて現在進行形。
海産物の火鍋がうまい。
旅順も外国人に一部解放されているので行ってみたかったけど
空母は見せてくれないだろうな。
青島は赤っぽい屋根の家並みが続いて、ドイツ文化の影響が残る。
青島ビールが安くてうまい。
海軍博物館があって、昔の軍艦や潜水艦に入れる。
戦闘機や戦車もあって子供達がよじ登ってた。
機会があったら泰山に登ってみたいものだ。 >>328-329
バカを舐めたらあかん
あそこで行われている「文系叩き」が、結局のところは文科省官僚を動かし、
全国の国立大学のカリキュラムから第二外国語選択必修を無くさせ、
多数の非常勤講師が解雇されるという結果を生んでいる
官僚だってねらー程度のおツムなんだよ
お前らがここでどう吠えたってそんな影響力はない >>342
ここで吠えてるのは、お前ひとりだよ
他は、明や清をネタにして雑談を楽しんでる人ばかりだ いや、よく見ると、明や清をネタにしていない
話が飛びまくっている >>342
>多数の非常勤講師が解雇されるという結果を生んでいる
それは問題だな 黄文雄からケント・ギルバート、たぶん金文学や呉善花、石兵など、
ネトウヨ系文化人の多くは朝鮮時に中国批判とセットで朱子学の悪口を言う
そこでは朱子学の中身にほとんど触れないままだ
うろ覚えか又聞きで朱子学言いたいだけやろレベル
そういうのが何百万冊も売れている
日本人の多数における朱子学という言葉のプラスイメージを広めている媒体はほとんどない 中国では辛亥革命の前から儒教への批判があった。
批孔が始まって百年以上。
朱子学が為政者に都合のいい思想だったという評価も古くからある。
近年の中国では逆に再評価する向きがあり、
孔子学院まで展開中。 明清ネタから離れてきたが
一般レベルで朱子学を語る場面てのは
「洋務運動は根本には遅れた儒教的価値観を脱しておらず失敗した」「遅れた学問で官僚を採用する科挙を廃止して大学を設けました」とか「寛政の改革は儒教的な現実に合わないものだった」みたいな感じで話に入るのが多い気がする
高校の教科書や歴史番組で長年こんな風にネガキャンしてたから“儒教”という言葉そのものにマイナスイメージがついたのやろう
“陽明学はテロリスト”と言ってるのと代わらん位物事の一面しか見えてない気がするが、殆どの人は何も考えておらん 日本にも幕末いや国学勃興の時からあった今さらの儒教・朱子学批判だが、
今復活している流れは黄文雄あたりだろう
元々は台独派だった黄文雄が、五四知識人の遺産たる儒教批判を吸収し、
反中国言論の延長でネトウヨ書籍に反映させた
台独派以外では柏陽の反中国言論が儒教批判を流行らせていた 因みに明で一番好きな皇帝は正徳帝です
早すぎた自由主義者、ていうかニヒリスト?快楽主義者?
彼の退廃的な人生が面白くて好き 漢唐訓詁学、宋明性理学、清朝考証学
と言われるが、それは官学と有力な学者たちの見解の主流であって、
明でも清でも子供の勉強は朱子学ベースだった(後世の批判は別の話として)
陽明学や考証学はあくあで「学者の議論」で、あまりに応用的でレベルが高すぎて、
四書集注みたいな基礎テキストを編み直すような方向に行かなかった
だから明でも清でも、科挙に合格するまでは朱子学式の勉強をしろってことだったようだ ネトウヨ系文化人ってなんだよw
定義から説明してほしいわ 理解していないから説明できないのね
賢しがるやつってそんなパターンばっかだな
世界史板なのにどうせ左右も誤用の方を使ってるんだろう >>346
黄文雄や呉善花や石平はともかくケント・ギルバートは漢文読めるのか?
まさか漢文も読めないくせに朱子学云々言ってるんではなかろうな?
朱子学について語るなら最低でも四書集注と近思録、朱子語類くらいは読んでるんだろうな? >>358
医者や看護師じゃないんだから、資格も免許もいらないと思うよ >>359
でも科挙を目指す人は猛勉強を何年もやらんといけないんでしょ?
もうちょっと試験科目を実務に合わせればいいのに。
まぁ名文を書く能力も必要なんだろうが。
なんか文系古典に偏った感じがして。 >>360
科挙なんて100年くらい前に廃止されてるから、
科挙を目指すための勉強そのものが別に必要じゃない
先進国で、医者になるには免許が必要だが、朱子学者になるのに免許は不要
朱子学者だと勝手に自称するだけで十分だと思うよ センター試験倫理の問題があった。
伊藤仁斎が朱子学者を批判した内容として最も適当なものを,
次のうちから一つ選べ。
1、彼らは,社会で定まっている上下の身分も徳の有無によって
入れ替わるという易姓革命の理を説いたため,
他者に対してむごく薄情になりがちである。
2、彼らは,天人合一のための修養として私欲を抑える愛敬を重んじたが,
私欲を抑えることの強制は,他者に対してむごく薄情になりがちである。
3、彼らは,形式的な理によって善悪のあり方を厳しく判断してしまうため,
少しの過ちも許さない傾向に陥り,他者に対してむごく薄情になりがちである。
4、彼らは,心に内在する良知と理としての行為とを一致させるべきであると
いう知行合一を説いたため,他者に対してむごく薄情になりがちである。
正解は3らしい。 >>361
一応、明清スレなんで、
明清時代に身を置いたつもりで
当時はどんなんだべ?と考えただけで。 朱子学は、「勉強する」ということを重視するだけあって、初学者むけのテキストが充実しており、読む順番まで決まっている。
学びやすいシステムなので、ある程度のレベルまでは早く到達できる。 洪武帝は始まったばかりの科挙を停止させたことがある。
理由は合格者が実務に役立たない青二才ばかりだったことと、
南人ばかりが合格していたため、北方が不満を抱いたこと。
成績の南北地域格差はいかんともしがたく、
北方に配慮しようとすると、南が差別されたと怒る。
大帝国ならではの苦労と言える。 右系論客とかまともなアカデミズムを共有してないから歴史スレで語るに値しない >>369
それは、左派論客も同じだろ
どっちにしても、偏光メガネで歴史を見る奴はダメだな ケントギルバートに対応するようなデマ左論客って誰やねんw 右派論客がアカデミズムでは語るに足りないデタラメな主張しかしていなくても、
「中国・韓国=儒教・朱子学=だからダメ」という意見がネットを席巻して
それが日本人の意見の大勢を形成してしまっているのが現状だとしたら? うんこ話で政治が左右されて大学のカリキュラムが改悪されてるんだよなあ 左派の人も儒教にシンパシーを持つ人は少ないのでは?
むしろ右派よりも左派の方が儒教に肯定的ではないだろう >>372
それはネットを席巻していないし、普通の日本人が知るよしもないこと >>374
むしろ、儒教に対する日本人の関心が、以前よりは高まった >>375
日本の右翼はその源流に陽明学があるんや
だいたい、日本の右翼が大好きな教育勅語も軍人直喩もその他戦前戦中のさまざまな文書も
十三経や近思録あたりからの引用だらけやろ
そんなこと言うなら反儒教の右翼思想家を何人か挙げてみぃや
言うとくけど、石平やら黄文雄やら呉善花やらケント・ギルバートやらは右翼思想家なんかやないからな 王陽明の生涯って凄いんだな。
武術に熱中して鍛錬し、兵学を学び、
高僧と問答で言い負かして僧を泣かし、
朱子学を学び、科挙に合格するも、
宦官劉瑾を批判して僻地に左遷され、
正規軍でない烏合の衆の民兵を率いて、
匪賊を討伐し、
寧王の乱を平らげ、
軍事、民政に功績を残し、
天才ぶりを発揮する。
正直、儒教の理論については、
神学論争みたいで興味を持てないけれど、
この人のアグレッシブな生き様には感心する。 >>379
日本の右翼の源流を語りだしたら左翼と区別つかないで
玄洋社は自由民権運動の派生だし、
宮崎滔天は自由主義者で孫文を支援、
孫文と言ったら頭山満、内田良平ら右翼の巨頭と思想的にも相互影響している
三民主義の一つ、民生主義とは社会主義のことだ
ついでに言うと北一輝なんて日本のバクーニンじゃないのかw
「右翼の大好きな物言い」とお前がまとめたがってるのは単に漢文の教養がないから
当時は右でも左でも漢文口調ぐらい口にしたんだよ
陽明学はそれこそ左右問わない革命家に便利なツールにすぎない
もっと前の「国学」はどこ行ったんだよ?本居宣長、平田篤胤、佐藤信淵
儒教って「からごころ」じゃないのか? 陽明学が健全に理解されていない(正しいとは書かない)
テロリストや革命家の精神的支柱になることが多いと言われているが本来の陽明学はそういうものじゃないでしょ! どうしても、日本の話ばかりになるな
まあ、仕方ない 明朝倒した李自成って大内義隆倒した陶晴賢とはその後別の敵に倒される点で
被らんくもないような。 李自成が朱元璋や劉邦になれなかったのはなぜだろう?
似たようなもんだと思うけど。 >>386
偶然ってのも、あるとは思うけどな
勝てば官軍っていうか、結果が歴史の必然みたいに見えるけど >>366
ほっとくと江南の奴ばっかりになるらしいね
しかも明初なんて河北河中はボロボロだし…… アメリカ人って明清大好きだよな
ポメランツの大分岐とか皆さんどうお考えで >>389
江南は米という効率の高い作物の生産に向いていて人口が増えやすく、
経済が発展しやすく教育インフラも整えやすい(学校、書物、学者、教師が多い)
また江南の諸方言は古い特徴が多く、官話系方言よりもずっと古典の学習・科挙への準備に有利
(入声が残っていて単音節語が多い、声調や子音の区別などが多い、など)
そういうマクロな傾向は王朝が何度リセットされても続いたようだ
(山西の晋語のように入声音があっても、北方語は発音がシンプル)
明清とくに清の雍正期に官話の普及が進められ、後者の優位要素は徐々に失われ、
科挙の廃止と文学革命によって言語の上では北方が有利になったが、学問と教育
のレベルはまだ南方が比率的に高いように思う >>391
GDPで明清がずっと圧勝してたもんね。
乾隆帝が天朝に産しないものはない、
お前らが欲しがるものを哀れんで与えてやるだけ
と英国側に豪語したのは、
事実に反しているわけではない。
その数十年後、アヘン戦争でフルボッコ。 アメリカは、中国への進出に国家的情熱を燃やしてきた >>386
呉楚七国の乱や、寧王の乱は鎮圧されたが、永楽帝は成功した
それと同じようなもんですな 寧王の乱は、鎮圧軍が、たまたま王陽明という軍事天才に率いられていたのが運のツキ >>381
少年時代、継母にいじめられたので、こっそり、継母の寝室の布団にフクロウを入れたというエピソードがいい >>383
いや、もともと、陽明学にはそういう面がある
熱く燃え上がらなければ、陽明学の徒ではない >正直、儒教の理論については、
神学論争みたいで興味を持てないけれど、
この人のアグレッシブな生き様には感心する
「アグレッシブな生き様に感心する」というような人なら、朱子学より陽明学に共鳴するのは間違いない
そもそも、朱子学は極めて理論的だが、陽明学はそうではない 朱子学も、南宋の時代においては過激な思想だった
朱熹は投獄されて不遇だった
しかし、後世においてはガチガチの保守思想となる しかし、清代の考証学においては、むしろ、史上最大の学者として持ち上げられたのは後漢の鄭玄であった >>391
ポメランツの大分岐の主張って
西欧が経済面で東アジアを超えるようになったのは、
石炭産地からの距離の短さと新大陸によって、
資源が得やすかったからでしたっけ?
まぁそれもあるだろうが、
国家が海外進出に積極的かどうかの違いじゃないかなぁ。
明清が国家として海外進出に積極的だったら、
オーストラリアあたりは中華世界になってたはず。 >>403
日本や中国は、内陸的な勢力が鎖国政策を全土に広げてしまったからな
九州や広東省が、オランダやポルトガルみたいな独立国だったら、世界地図はまったく変わっただろう >>403
東アジアからオーストラリアというのは、難しいな
フィリピン・インドネシア・パブアニューギニアの密林を越えて数千キロ
あと、オーストラリア周辺の海域は、海が荒い >>405
東南アジアに華僑が大量移民してるんだから、
国家の後押しがあれば密林なんぞ大したことはない。
徐々に切り開いていくだろう。
西欧からオーストラリアに向かうより難しいとは思えない。
元代でも大型船があったらしいし、
航海術も引けを取らないものがあったはず。
倭寇系勢力を引き入れて海軍を作っても良い。
英国のように海賊出身で海軍を組織すればいい。 14世紀時点だと華僑はインドネシアのマジャパヒトまで進出している 帝国は気候ががらりと変わる南北よりも同じ気候の東西に拡がりやすい
インドネシアの島々だけでも極めて広大であるというのにどうして更に遠くて環境の厳しいニューギニアの密林やオーストラリアの砂漠に行く意味があるのか >>408
それは大陸国家的発想。
海洋型帝国に変貌するべき。
オランダや英国では出来たこと。 資源のない西欧諸国だからこそ新天地に入植して資源を得ようとしたわけであり
物産の豊富にある東アジアには必要がなかったこと >>410
人口圧で資源は足りなくなっていているよ。
広東や福建では外へ入植しようとする動きが強い。 >>403
オーストラリアがオーストラリア大陸として「発見」されたのは、
新大陸(アメリカ大陸)より後だったはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています