明清帝国
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
明清といえば皇帝独裁制が極限までいったイメージがあるが、
あんな巨大国家の舵取りを一人の人間に集中できるものなのか?
毎日、何百もの重大な決裁を要する気がするが。 >>634
たしかに、それを言ったら、劉備玄徳が英雄豪傑を集めて蜀で旗揚げするのも、水滸伝の梁山泊と話の構造は一緒
だけど、劉邦や劉備は、やっぱり本当の国家だから、日本人にも分かりやすい
梁山泊は、普通の日本人には分からない世界 >>636
それをやり遂げようとしたのは清の雍正帝
日夜、全国から集まる大量の書類の決裁に追われて睡眠時間を削り、「過労で早死にした唯一の中国皇帝」とも言われる
明の皇帝たちは、日常の行政を官僚まかせにして、自分たちは遊び呆けた 西洋では、スペイン最盛期の国王フェリペ2世が「書類王」と呼ばれた >>638
生身の人間に耐えられない。
今後、究極の独裁制を目指すなら、AI決済システムだ。 コーエーは流賊・南明・三藩のシナリオのあるシミュレーションゲームを作ってくれ >>633>>635
そのへんを踏まえると、
明末に李自成が現れても人々は魅力を感じなかったのかもしれない
また賊の親玉かよ!と
別に民主的な手続きを踏むはずもないが、混乱の過渡期だし、
将兵たちの士気が上がらなかったということはなかったか >>633
うーんこの、なんか論点ずれてるんだよなぁ
「検閲も戦争もない」のに調べもせずに停滞論言ってる奴が問題
調べりゃ流石に戦前の様な停滞論からは抜け出せる
あなたも自分の中でもある程度社会が進展してるの理解してるやんけ
ただ経済的な側面は全く無視してるし
科挙に関しても宋代と明清では結構性格違うし
ろくに明清の論文読んで無いでしょ……
特に科挙の社会的な性格なんて郷紳論で70年前から腐るほど論議されてるし、経済的な側面もここ3〜40年で腐るほど論議されてるぞ……
宗族制度とかそう言うのではなくてむしろ明清研究はそっちが中心だ >>148
最近、細川護煕元首相が、
熊本藩細川家所蔵の永青文庫から
約4千点もの漢籍を中国国家図書館に寄贈した。
日本の「凡庸な漢籍」ゲットで習近平が大喜びの理由
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53492
でも、史料的には大した物はないみたい。 >>638
明の皇帝は遊んでいたのが多かったけれど、
遊んでる皇帝の一存で、あっという間に
権臣佞臣宦官の首を飛ばせる怖さがある。
皇帝に代わって権力を握った者の時間は短く、
遅くても次代即位で失脚し悲惨な末路となる運命。 >>639
雍正帝とフェリペ2世、似てる。
広大な支配地からあがる膨大な数の報告書を黙々と読みながら、
余白に書き込みをする。
フェリペ2世は指示、注記ばかりか、つづり字や地誌の誤りまで訂正していた。
地味で細かい絶対君主なんて最悪の存在。 ようやく本論に入ってきたw
>>643
郷紳は過大評価されすぎw
各国語への翻訳がどこかミスリードなのと、裏返しに共産党批判になるので、今は欧米で持て囃される傾向にあるけど。
あれこそが問題だったのだという、魯迅に代表されるような古い古い認識のほうが的確。
ただ、何がどう問題だったのかについては、実際のところみんな隔靴掻痒だった。
これはもっと大きな問題の一部でもあって、
単一の国家試験の合否一本で、社会階層をゆるく新陳代謝していくというシステム自体、
同時代の中国人にとっては人類の叡智の結晶にして至高の制度だったのだが、これが致命的にまずい。 >>147
江戸時代、朱子学は官学だったからまだまだ関心と研究の対象だった。
中国どころか朝鮮の李滉(退渓)や李珥(栗谷)が盛んに学ばれ、
江戸の朱子学は実質上、李退渓を読むのが仕事だったし、当然その著作はよく輸入された。
最低でも「日本の『近代化に』影響を与えたのは」と言い直すべきだろう
>>618
大陸浪人たちは中国人の「本音」ばかり見て、建前の持つ恐ろしさを舐めすぎていた。
だから日本軍は大陸浪人の情報やコネクションを元に現地の軍人を買収して懐柔したり、
中国人同士戦わせたりしてやりくりしていたが、突然来るカタストロフを全く予想できていなかった。
中国人なりの民族主義や近代化はただの綺麗事じゃなかったし、
一見直接の強さに繋がらなそうな、共産ゲリラの組織の書類や会議といった手続きの厳格さにも、すでに「近代」の芽が吹いていた。
少なくとも台湾残留の民主国勢力のような、水滸伝まがいの任侠に生きる山賊たちのよう(日本側掃討軍の伝)ではなかった。
好きであんな文化の違う国に住んだ大陸浪人っていう人種は、中国の後進性を酒の肴にする連中。
ある種の歪んだエキゾチシズムを好んでいたので、近代化の過程なんていう「見たくないもの」はあまり見ていなかった。 >>644
リンク先面白かった
今回の寄贈の目玉の『群書治要』っていうのは、
これもまた日本にしか残っていなかった『十八史略』みたいに、
いろんな本から引用して合わせた、いわば教科書的なものだったんだな
そういう本は通俗的なものだから中国で失われて日本に残るというパターンが多いのだろう
ただ十八史略は元代であるのに対して群書治要は唐代初期と古いので、
引用元自体が現存していない古い書物や版なので、貴重度が段違いだ
…といっても群書治要自体は清代にすでに里帰りしてはいるが、
習近平の父親の趣味の対象だったから中国の覚えもめでたいわけだ >>634
>三国志人気はゲームが始まり。
その前に吉川三国志があって次に横山三国志があって
光栄三国志はその次やろ 三国志は史実50フィクション50で史実が程よく脚色されてる感じ
水滸伝は史実1フィクション99で史書にあるほんの小さなことを空想で果てしなく膨らませたもの 郷紳階層は、ミクロでみると、いろんなことを手がけ始めているようにみえる。だからいろんな研究者が夢を見る。
でも大きなところでは、試験官僚制に取り込まれた存在で、結局の所、前代と変わらない。
試験官僚制の致命的欠陥は、政治社会のダイバーシティを徐々にしかし完璧に失わせるところにある。
だから、北宋ぐらいまでは多様性があるが、その後は消える。
これもおなじみ「なんとか学ガー」では反論にならない。
案外、世襲貴族制どころか、猟官制のほうがこの点では優秀だったりする。
試験問題をどう改革しても結局同じであることは、旧大日本帝国陸海軍をみればわかるw
欧米は古代以来の政治文化がぜんぜん違うので、これが問題たり得ているのはフランスぐらいだが、
近代日本の場合、どうしても他人事ではなくなる。煮詰まった明清など知らんほうが良いのだ。 >>651
ごめん、そうだった。
私自身、横山三国志全巻を読んでたことを忘れてた。
当時、ゲーム狂の中学生相手に史論を
論じ合ったあげくに、
論負けした記憶 (*^▽^*)ゞ があって、
ゲーム侮り難しという思いが強くなってた。 >>654
いまは、スマホのソーシャルゲームで三國志キャラが大人気だ
どれか特定のゲームというわけではなく、どんなゲームでもキャラとして登場する
おかげで、中高生や、日頃は歴史談義などとは縁のない専業主婦やキャバクラ嬢でも劉備や関羽を知ってる 「なぜ、日本のゲームに登場する人物は、三國志と(日本の)戦国時代ばかりなのか?」
というのは、ゲーム業界でも話題になるのだが、どうにもならないらしい
他の時代の人物を出しても、なぜか人気が出ない
カードゲームも、パズルゲームも、アクションゲームも、劉備や諸葛亮ばっかりだ 一騎当千とか恋姫無双とかもう女体化だけでいくつになるのか
知識が広まると次の作品の売れ行きにも有利だからな >>633
>東アジアで、(沖縄除く)日本だけがこの明朝的宗族システムの毒牙から免れ、後に近代化に成功することになる。
ええこれはどう考えても逆
というかイデオロギー先行で適当なこと書いてるように見える
「閑吟集」見ると室町時代まで庶民は通い婚でもっぱら養育権は母親のほうが強く
父はあくまで母親に種付けしにくるだけの存在でしかなくしかも通ってくる「夫」が複数いることもザラにあった
ところが江戸時代になると夫が家長として責任をもって妻子を養い妻はもっぱら家内のことを担当するという明や朝鮮とそうかわらない儒教的な家族道徳や性分担が普遍的になる
ただし沖縄は例外で家父長制全盛期の戦前においても父親より母親の発言権が強く祭祀を取りしきるのみな女性
15世紀に琉球に漂流した朝鮮人梁成らも琉球においては国王よりも王妃のほうが尊重されていると証言するなど父権的な本土とは対照的な社会構造していることがわかる そういう面はあるな
ていうか、日本の家族制度が本当に儒教的になったのは、明治維新の後だろう >>656
群雄割拠の戦乱期でないとゲームになりにくいか?
明清を通じて概ね平和。
なので明清中華ドラマも宮廷や後宮が舞台のことが多く、
スケール感が足りない。
中華ドラマ「大明帝国 朱元璋」の前半は
血湧き肉躍るワクワク感満載だったが、
後半が宮廷内ばかりの場面でちょっとダレてる気がする。
制作コストの問題かもしれないが。 >>663
朱元璋 ED
https://youtu.be/lkyicdGffhk
ワクワク感ありまくり。
太平天国香港編集版のOPも好き。
https://youtu.be/rlvp-43EKTE
いいのはOPだけ、肝心のドラマ本編は退屈でつまらないが。 太平天国って、
日本で言えばオウム真理教のようなカルト勢力だろ。
よくドラマにできるな。
中国政府は「邪教撲滅」を呼号し、麻原の処刑を当然視しているのに。 >>666
太平天国は公式史観では正義。
人民革命の先触れ。
志半ばで倒れた父祖たちの夢を共産党が受け継いだ。
ちなみに李自成も高評価。 >>653
試験だけでは能力はわからないもんな。
明の時代から同様の論議は幾度となくあったらしい。
状元になった人物が軍を率いたけど、
丸っ切り敗退してしまい、
挙句に水増し報告して体裁を繕ったことが明るみになったりしたし。
文官が軍に指令するのは
シビリアンコントロールの理想だが、
限界がある。
地方行政の実務だってどこまでタッチできるのか? >>666
看板は新興カルトだが、
参加した民衆秘密結社勢力や
少数民族勢力のネットワークは
古くから活動している。
王朝衰退期に民衆反乱の形で歴史の表舞台に登場。
朱元璋が加わった白蓮教徒勢力と大差ない。 >>666
『太平天国演義』のドラマ版は面白かった
八路軍の男女間のやばいこぼれ話とかをネタに入れている
内ゲバとか、共産党初期のゲリラ戦の言いたくて言えないことを仮託している >>653
>煮詰まった明清など知らんほうが良いのだ。
知らんかったら教訓にできんやろあほ 太平天国でも科挙を実施してるんだな。
女性科挙で女性が状元になったりと、
なかなか面白い。 「女性科挙」って書くと下品で俗っぽく感じる
ミスコンかなんかの一種かと >>670
「大明帝国 朱元璋」では
農村復興に尽力する役人がいて、
洪武帝に褒められると、
高すぎる目標を立てて
農民たちを鼓舞して
失敗する場面があって、
明らかに人民公社設立での
「大寨に学べ」運動を揶揄している。 >>653
せめて武科挙がもうちょっと機能していたらなあ。
地方官は一定数を武官にするとか中央の高官も一部はたすき掛け人事にするとか。 ひところは、中国でも言論や創作がかなり自由になってきた明るい時期もあった
習近平になって、再びナチス並みに統制が厳しくなってきている
今では、政府や共産党を揶揄するのも難しい >>675
ジャクギが大ヒットしたのを見て、政府は「タイムスリップ時代劇は、大衆の歴史観を歪める」統制批判し、タイムスリップ物を禁止した
主演の台湾人は「これでは何も作れない」と怒っていた 実際に主人公がどんどん追い詰められていろんなことがままならなくて
どう見ても清朝の王宮に民主的な考えや人権思想がないのが悪い、
っていう結論になってしまいそうだったからなw タイムスリップものってのは、「封建的な大昔の人間が、現代人の自由奔放な考え方に驚きあきれながらも魅了されていく」というのが最大のポイントだからな。
中国の場合は、現代の政治体制もたいして変わらんから、自由奔放にも限度がある(笑) それか、主人公の持っている知識や技術が昔の社会を圧倒するっていうのとか(「アーサー王宮廷のヤンキー」型)
大昔から来た人間が野性的な魅力とか超人的な武芸で活躍するパターン
ルオシー若曦はお菓子とかあと料理ぐらいか >>677
日本未公開の「走向共和」(共和に向かって進む)は中国国内放映禁止だろうね。
ネットでは全話見られるが。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLSS-SpVFJEO94PAeX3eG_x4KllnpH0oYe
李鴻章や西太后、袁世凱、孫文などを多面的に描き、
単純な悪役になってないばかりか、
日本ですら好意的に描いてた。
明治天皇なんて超カッコいい。
https://youtu.be/XA9YOKI3De4
公式史観と真逆という冒険的作品。
極め付きは、
「共和」に向かって届かない現実と
孫文が「中華民族は必ず共和を実現できる、そう私は信じている」
と結んでること。
現体制への批判そのものじゃん。 >>681
毛沢東語録を暗唱して、「なんという、素晴らしい言葉だ!」と清人から感心される場面があったな
いや、毛沢東の作った詩だったか? >>681
ジャクギの場合は、大河ドラマ「康熙王朝」や「雍正王朝」を見ていたおかげで、歴史の先行きをよく知っているというのが重要だった 中国人は、「次の皇帝の座をめぐる兄弟の争い」というテーマが大好きだ
兄弟殺しで有名な唐の李世民と、清の雍正帝は、歴史ドラマに欠かせない2大人気皇帝 >>685
二人とも名君として名高いから名君の暗部を暴くという面白さもあるんやろ 太平天国ときたら、
「ウォーロード/男たちの誓い」
予告編
https://youtu.be/NMu1Xg8RUL0
男たちが熱い。 >>685
過去の遊牧民族王朝の場合、
後継者をめぐる内紛で、
弱体化して短命で終わることが多いので、
一歩間違えれば清朝も同じ轍を踏むことになっちゃう。 >>686
大ヒットした雍正王朝に加え、ジャクギ・シンケイと、2年連続で雍正帝を巡る女のドラマが視聴率ナンバーワンになった。
おかげで、雍正帝のストーリーは、中国での認知度が極めて高い。
ドラマでの取り上げ方を見ても、功臣・年羮堯との対立のエピソードなど、
視聴者が知ってるのが当然という扱いをしている。
「古代に比べて、明清に有名な人物がいない」というのは、日本人ならではの感想。 >>690
遊牧民は独立自尊の気風が強く、兄弟間の争いが血なまぐさいものになる。
オスマン帝国もムガール帝国も、悲惨なエピソードに満ちている。 中国人から見た清朝皇帝って日本人から見た水戸黄門や暴れん坊将軍みたいな感覚だろうな >>634
SD戦国伝の続編で、SD明清伝を展開するとか >>693
実際に、役人の不正をビシビシ取り締まっていたからな
役人が賭け麻雀に興じていたら、次の日、雍正帝に呼び出された。
雍正帝は、手に麻雀牌を握ってた。役人は顔面蒼白になった・・・
というようなエピソードもある。 >>692
皇帝になるかならないかで、差が大きすぎる。
臣下にとっても、どの皇子に付くかは大きな賭け。 >>691
年羹堯の妹が雍正帝の側室年氏だとかああやってたなと思い出す
年羹堯は台湾でも中国でもよくドラマに出てくるし、その名が主人公としてタイトルに付いたドラマもあって
両方足したらなんと二十本を越えていた
清朝の人物で描き方に違和感が出てくるのはやはり日本でも有名な西太后(慈禧皇后)か
義和団事件時の西安逃亡までの人物像と、西安から帰ってきた後の開明派としての振る舞いのギャップ
前者の「女妖怪」のほうは改革開放期の映画『西太后』でお馴染み(主演は当時の人気女優・劉暁慶)
四人組裁判の後で、「自力更生」の鎖国体制を作って国を停滞させた江青をかぶせている
後者の「かわいいおばあちゃん」のほうは近年のドラマ(といってももう00年代か) >>698
中国の時代劇は、善玉と悪玉の色分けが露骨で極端だからな
最近は変わってきたが 中国の時代劇は明清時代がメインなのだから、日本で明清が注目されるには、アチラの時代劇が流行るのが一番
でも、かつての韓流オバサンたちも、華流時代劇はあんまり見てないみたい
中国は歴史ネタの宝庫で、韓国とは比べものにならないんだが 中国は視聴者人口が大きいので、
撮影に莫大な資金を投入できる。
そのため各地に巨大な映画セットが作られて、
大抵テーマパークみたいな観光地になっている。
その中の一つ、紫禁城実物大セットもある横店映画撮影城
http://www.cnta-osaka.jp/spot/culture/hengdian-world-studios
ここは「蒼穹の昴」でも使用された。
製作資金は豊富、映像技術も格段の進歩なんだが、
いかんせん共産党支配下の表現の制約が多くて。
はっきり言って面白さは韓流が上だと思う。 設定では11世紀の北宋仁宗の時代とされる
チャンイーモウ監督の「グレートウォール」の場合、
長城のセットを実際に20万個のレンガを積み上げて作った。
中国の会社が数百億円を提供したとも言われている。
内容は時代設定不明のトンデモ怪獣映画。
ともかく昔の中国は凄いと言いたいらしい。
あの長城は明代のものだよ。絶対。
予告編
https://youtu.be/B9xMPUVLjsQ >>638
洪武帝の場合、
1384 (洪武17 )年9月14日から21日までの8日間に集まった上奏文は 、
1160通 、その案件は3291件 。
1日平均400件
独裁者は働き者。 >>588
軽税国家なんで政府はほとんど民の厚生福利のために動かない。
政府が全く当てにならないので、民衆の間で互助組織が発達する。
○ ○会、幇とか名乗る政治的、宗教的、あるいは任侠的結社が大きな影響を及ぼす。 >>702
長城で史実に沿った中華防衛戦を描けば蒙古族と満族が嫌な気分になる
だから「今の中華民族」がまとまって外敵と戦う話を描こうとすると、
いっそ架空のモンスターと戦おうぜってことになる
ついでにハリウッドの白人スターを傭兵で主人公にすればアカデミーも狙えるだろと
ぶっちゃけ賞狙いのホワイトウォッシュかよってところがあとあと一番論戦になった
中華すごいんだぜ系の国威発揚の歴史系の意味なし大作ってだけなら、
もうレッド・クリフとかたくさんやってる
それらは監督や演出や俳優やカメラマン等多くの才能を無駄に疲弊させている
張芸謀なんてカメラ回した前で素人を勝手に動かして政府批判気味の低予算映画撮らせたら
それだけで西側でいくらでも賞が取れる人なのに >>676
武の世界まで科挙に毒されなくてよろしい
明代中期だって仇鉞が一兵卒から伯爵のように昇進ルートがある
現場を知らない頭でっかちよりも叩き上げの方が良い
張介賓だって世襲紹興衛指揮使で科挙なんて気にしなくて良かったから
医学研究に没頭できたわけだし >>695
洪武帝の方がもっとビビる
https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%BF%A6%E5%8B%9D%E9%87%8E%E8%81%9E
「太祖嘗微行里市間」以下
国子監監生が居酒屋に行って相席になった爺さんと話してて
翌日なぜか皇帝直々の呼び出しで行ってみたら昨日の爺さんだった
良い感じのこと言ってたから按察使に任命されたけど
悪口言ってたらどうなってたのやら >>695
中国の現代ドラマにも水戸黄門的なものが
バスの中で勤務態度の悪い車掌がいると
そこに「どうしました?」と言って現れる中山装(人民服)姿の温厚そうなご老人
よく見ると…「あ、あなたは周総理!?」
という周恩来漫遊記のドラマが中国のテレビ黎明期にあったらしい >>648
単に元々論点が違うんだよな、、
俺にはお前を救えない、、
あなた虚空に向かって自分の言いたい事を述べてるだけだよ…… 清代のドラマやると辮髪ハゲになるからなぁ……
日本のちょんまげもそう変わらんが >>713
清初の辮髪令に対して浙東(浙江省)では激しい抵抗と反乱が発生する。
奇妙なことに隣の浙西(江蘇南部)では全く抵抗が起きないばかりか
中心都市の蘇州では1日のうちに全員が辮髪頭になったと言われる。
蘇州の文化人たちもこぞって進んで辮髪になって、その後も清朝に協力的であった。
明初洪武帝に浙東が協力したが、
浙西は抵抗したために弾圧冷遇されていたことの裏返し。
辮髪は単なる髪型ではなく、
思想や主義のような印を含むみたい。 >>713
日本のチョンマゲと
ツングース系やモンゴルの辮髪に
共通起源がある気がする。
兜を被るのに適しているからというのは取って付けた理由で。
尚武の気風の象徴であり、
まるで魂を込めたかのような強いこだわりがある。
単なる髪型デザイン以上の意味合いを含めて、
日本の武士階級に伝わっているんじゃないかなぁ? >>713
辮髪ハゲもチョンマゲもイケメンはやっぱりイケメン。 >>713
似合う人と、似合わない人に分かれる
明代の長髪も同じ 元朝支配下で多くの漢人がモンゴル式の
頭の前方を剃り、
後方の髪を編む辮髪のスタイルになってたのを、
洪武帝が禁止して、総髪にさせた。
清朝でまた辮髪になり、
中華民国で辮髪が切られ、と忙しい。
髪型は政治のスタイルを象徴する。 面白いのが清朝は属国の李氏朝鮮には弁髪令押し付けて無いんだよな
おかげで明朝時代の礼服や風習なんかが李氏朝鮮で受け継がれることに 新疆が版図になった際、
トルコ人たちは辮髪になることを申し出たが、
清朝は許可しなかった。 >>719
だが越南に胡服は着せてる
そういうのってどういう判断で決めてたのかさっぱりわからん さらっとスレ見たけど、なんと言うか話の通じない奴が居るな……
知識を出したいだけの……
恐らく同一人物か
知識ひけらかすにしても「ちなみに」とかの接続詞付けような
まあ明清の歴史好きな奴なんて変人だけだししょうがないだろうけど 最近知った明末清初じゃなくて清末民初って言葉がお気に入り
クソみたいなどうしようもない時代に、人間が何をするのかってのを見ていくのが面白い
清末のあそこら辺に出来た秘密結社が現代の反社会勢力へと(直接的ではないにしても、形式として。「幇」パンの字を未だに使ってたりする )繋がってるから、日本の暴力団とチャイニーズマフィアは性格が根本的に違うらしい。
設立時になんかしらの信念とかがあったり、自己防衛のためだったりして、フリーメイソンの暴力版みたいな感じ
言ってしまえば国民党も共産党も元は秘密結社って見方もできる 共産党は国を征服してしまった秘密結社、という言い回しを聞いたことがあるな >>721
ベトナムに胡服じゃ暑そう。
布を薄地にしてアオザイになったんだろうが、
ヒラヒラの布の分、汗でべとつかないか? >>724
ある地方の秘密結社が毛沢東の写真を掲げて忠誠を誓って共産党に加入する話は聞いたことがある。
秘密結社の連合体みたいなもの。
太平天国も同様。 清末民初も面白いよね
清室優待条件について、今大学の講義で聴いてるよ 満州語の本に書いてあったけどヌルハチが早い時期から天下取った後のことを
考えて学者を集めてなんでモンゴル帝国は長続きしなかったのかを研究させたとか書いてあったな
同じ時期に徳川家康も学者を集めて日本の法制を古代からさかのぼって研究させたとか >>727
ラストエンペラーで始めてその単語知った
面白いよね清末民初も
あんまり言及すると右翼左翼が沸いて来てしまうのがたまにキズだけど >>729
中国史スレがウヨサヨ論争の場になるのは、どの時代でも一緒
日本の話をしなけりゃいいんだが、どうしてもそうなる 右翼左翼なんて近代社会に特有のもんやから
アヘン戦争以前の前近代の時代に右翼も左翼もないやろ >>728
さらっと読み流してたけど満州語の本読めるってすごいな >>733
満洲語「についての」本、ってことじゃないかな、明末清初の時代の言語状況に関することとかね
まあいずれにしても、満洲語って非常に文法や音韻や表記体系(特に、有圏点満洲文字に移行して以降)が単純明快で、
日本語話者にも実は非常に理解しやすい言語なんだよね
基礎文法書と辞書さえ手元にあれば、あとはほぼ逐語訳で読めそうなほどだよ 満州語の文法は例外少な過ぎて殆ど人工言語にしか見えないぞ それほんとですか?
教科書辞典揃えれば独学でもできるのなら是非やってみたいのですが 昔の日本の幼児の髪型である芥子坊主がまんまモンゴル風辮髪なのは何か関連あるの? >>736
この他カテ過去スレを通読して参考にしてみてよ。
なお、「品切れ情報」のレスが書かれた後に、「出荷情報」のレスも書かれたりしてるから、よく気を付けて読んでみて。
↓
【満州語総合スレッド】
http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/gogaku/1349605120
まず初めに特に参考になりそうな書籍はこの4種類かな。
「満洲語入門20講」 大学書林
「満洲語文語入門」 京都大学学術出版会
「満和蒙和対訳 満洲実録」 刀水書房
「満洲語辞典」 松香堂書店
上の二つは比較的安価な基本文法書 兼 満洲語文献転載書で、書店でも割によく見かける。
下の二つは大著でかなり値も張るけれど、本格的に満洲語の文献を読もうと思うなら、とりあえず図書館かどこか、とにかくまず読める場所を見付けておくべき重要書籍だね。 >>738
うおお、めちゃくちゃサンクスです
幸運なことに近所に大学がありまして蔵書検索でそれら4点全て確認できました
来年辺りからぼちぼちしこしこ満州語を学習してみようと思います >>739
ひょっとするともうご覧になったかもしれませんが、
特に「満洲語入門20講」の後ろのほうのページには、動詞の活用の簡素な一覧が載ってます。
本当に極めて簡素な一覧ながら、実際その動詞の活用の一覧と、同書の中ほどページの代名詞の格変化の一覧、
それに基本的な格助詞を参考にすれば、
あとはもう日本語の擬古文を綴るような感じですんなり逐語訳していけますよ。
>>739さんのお話ですと、来年どころか今週末、いや、それこそ明日からでもすぐ学習・講読できると言ってもいいかもしれません。
思い立ったが吉日、ぜひどうぞ。 そうそう、ご近所が大学図書館さんなら、
「満洲語文語入門」(京都大学学術出版会)の旧版に当たる、
「満洲語文語文典」(京都大学学術出版会)もあるかどうか確かめておかれるといいですよ。
両書は実質的にほぼ同一内容の本である一方、
「満洲語文語文典」のほうは「満洲語文語入門」に比べて分量が多く、通読するにはかなり重厚な印象の本ではありますが、
満洲語文献の満洲文字原典の複写などの分量も「満洲語文語入門」より多かったりしますので、
さらに読み応えがあります。 満洲語の教科書や辞書は中国で出ているものでいいのがあるからそっちのほうが便利
中国語ができればね 俺も、初等文法と基礎語彙をちらっと見たぐらいだが、この言語、日本人には中国語を挟まないほうが容易に理解できそうなんだよなあ。
そりゃあ中国語の書籍が圧倒的なのは当然なんだけど。
英語のテキストしかないから仕方ないが、英語を挟むと何もかもがやたらと面倒になる少数言語ってわりとある。
そういえば、清朝に仕えていた欧米人は、かなりの後代になるまで、中国語より満州語を駆使する人が多かったらしい。
表音文字表記で、しかも格文法がわりと明確な膠着語だから、
(たとえ欧州言語の多くと満州語は語順は違っても)、複雑怪奇な表意文字&語彙力勝負の中国語より習得しやすかったそうな。 >>743
まさにそのことでね、
今てもとに本が無いからすぐには確認できないんだけど
>>743に挙げた「満洲語文語文典」か「満洲語文語入門」のどちらかの中で
「文典」著者かつ「入門」共同編著者の河内良弘博士(同じく>>743に挙げた「満洲語辞典」の編著者でもある学者さん)が
「満洲語の語法は欧州諸語や中国語よりも日本語に近いので、日本語話者にとって、満洲語に関する解説は日本語が最も適切」
という趣旨のことを、はっきり言ってる。 >>744 の各アンカーを訂正。
>>743
まさにそのことでね、
今てもとに本が無いからすぐには確認できないんだけど
>>741 に挙げた「満洲語文語文典」か「満洲語文語入門」のどちらかの中で
「文典」著者かつ「入門」共同編著者の河内良弘博士(>>738 に挙げた「満洲語辞典」の編著者でもある学者さん)が
「満洲語の語法は欧州諸語や中国語よりも日本語に近いので、日本語話者にとって、満洲語に関する解説は日本語が最も適切」
という趣旨のことを、はっきり言ってる。
(>>743 さんへ)
アンカー間違いで>>743さんのレスの直後をややこしいことにしてしまって、ごめんなさい。 宮廷図書館が近所にあってこれほど感謝したことありません
南明史を満州目線からも見てみたいという変態的願望がありましたのでこれでなんとかなるかもしれません(笑) 欧州における中国研究は、清代に作られた満漢対訳の書物や
諸文献の満語版を頼りにしてかなり進歩したという
また有圏点満州文字は満洲語を離れた発音記号としても使えるもので、
五体清文鑑という満・漢・蒙・ウイグル・チベット対訳辞典では満語以外の言語の注音にも使われている
漢語独自の発音を記録するために子音文字が準備されていたり、
それを応用して京劇の台本の「読み仮名」として使われていたりもする
(京劇の言葉は今の北京語よりも古い発音を伝承している)
日本では幕末期に外交文書を通じて清語(満洲語)が知られ、
研究を命じられた高橋景保が独学でマスターしたが、
その速さは対訳辞書のおかげと、日本語との構造の類似もあるだろう >>728
まだ通読していないから、こちらの勘違いならば申し訳ないけれど
その本って、ひょっとして、これ?
帝国を創った言語政策 ダイチン・グルン初期の言語生活と文化 (京都大学学術出版会) ダイチン・グルンだのジョチ・ウルスだのと新しぶって余計なことしやがってwww
グルンもウルスも基本、「国」と訳したらそれで終わりな単語だろw >>749
新しいも何も、清の正式な国号の満洲語式の呼び方がそうなってたんだけど。
そもそも、>>749 の本の著者さんはシベ語のネイティブスピーカーだよ。 あ、「>>749の本」じゃなくて>「>>748 の本」ね。 >>750
それまでの日本語への「翻訳」「訳語」っていう行為を
なんでわざわざ否定しなきゃいけないんだって話だよ
原語がそれだっていうのは元から承知だよ
ネイティブ話者だからって日本の歴史用語を改変しようなんて意図はないと思うから、
これはその前から新しぶった新進気鋭()の余計なことする日本人研究者がいたんだろ >>752
てか、清史を扱った本の書名で満洲語国号を書いてるのは、別にその本には限らないよ
どういう意図でレスしてるのか知らないけど、何もそこまで目くじら立てなくてもいいじゃない?
満洲語事情や満洲語文献を主軸にしてる内容なら、なおさらだし >>753
過去に出た比較にならないほどより多くの文献ではダイチングルンなんて言っていないだろ
伝統と蓄積があるのにそもそもなんで言い換える必要があるのかっていう話
新しぶっていると言われて神経質に目くじら立てているのはそっちだろ 清という王朝の行政システムが、今のEUの方式を先取りしたような多言語同時併用方式だったことを忘れるべきではないだろうね。
満漢二体合壁や満漢蒙三体合壁が行政の現場でごく普通に行われていた。
場合によってはチベット語やウイグル語も併用されたし。
満文の併用が後代になるにつれ形骸化していく流れはあったにせよ、例えば乾隆年間に至っても、それは普通に機能していた。
乾隆帝自身が満洲語文で指示を出している史料はたくさんある。
漢文だけだと、清の社会や政治などの様相について、つかみきれない部分はどうしても出てくるよ。 >>757
清朝末期の言語事情だからね。
でもその頃にも満漢合壁の方式自体は廃止されず、ずっと続いていた。
例えば康熙年間の頃だと、康熙帝その人自身が満洲語・漢語・モンゴル語のトライリングァルだったほどだよ。 >>756
清朝における多言語社会の重要性、満語の重要性は論を俟たない
しかし、蒙古人やチベット人やウイグル人は一語一句違えずに「ダイチングルン」と呼んだのか?
欧米社会はどうだった?そうしなければこの国を正当に捉えたことにならないのか?
日本の歴史学界で清朝を清と呼んだら間違いなのか?それは「漢文でしか清の史料は読まないよ」
という意思表示になるのか? >>759
あのー、ちょっと
仰りたいことって何ですか?
ここのところ、スレの流れとしては「多言語社会」としての清の背景の話が続いてるってだけなんですが
なんでそんなに詰問調? 簡単な質問なんだから黙って答えればいいのに
答えに詰まったからって意味わかりません、は卑怯だよね 質問が重なったからって詰問だの何だのと
相手の感情や態度を決めつけるのも卑劣な話題そらし >>759
一応ひととおり答えておきましょうか。
満洲語(文語) : ダイチン・グルン
漢語(北京音) : ター・チン
モンゴル語(文語) : ダイチン・グルン (※国号としてはモンゴル語圏にも満洲語由来の名称が導入されていた)
チベット語(ラサ音) : チン・キェー・ラプ
ウイグル語 : ビュユク・チン・スラルィスィ
西洋では、漠然とならシーヌとかチャイナとかキタイとかキャセイとか呼んでいたでしょうし、
王朝名で呼ぶなら例えばチン・ダイナスティとかでしょうが、ダイチン・グルンの名も専門家の間では或る程度知られていたでしょう。
既に上にも議論が出ていますが、むしろ満洲語のほうが欧州人には馴染みやすかった事情もありますからね。
それから、清は漢語圏の王朝でしたから、(後金からの改称後は)清と呼んで間違いではないですし、
もちろんこのスレでも、清という漢語式の国号自体が間違いだとは、どのレスの誰も言っていません。
そして、清は多言語併用を基礎とする王朝であったことは既にここでも度々話題に上がっていることであり、
漢語・満洲語・モンゴル語・チベット語・ウイグル語のいずれも、清を一次史料から研究するためには非常に重要な言語です
さて、御用件は何ですか? >>760
よくある、パヨクの中華至上主義者なんだろ 文法は明快で論理的でわかりやすい。発音も明快だ。
読みやすく習得しやすい文字を持っている。
17世紀の中華を治めるだけの政府機関や公文書を十分に記述できるぐらい、固有語の高級語彙構築・造語力も十二分で、
かつ(読みにくそうだけど)中国語の取り入れ力も、日朝ベトナムに十分に肩を並べられる柔軟さを持っている。
欧米人も積極的に習得に取り組むほどで、文明史的役割も十分に果たした。
そんな17世紀のハイスペック言語が、21世紀の今では
(動態保存というかリアル世界のタイムマシーンとなったシボ語を除き)ネイティブ話者0人、文語としての使用者すら0人という
事実上の絶滅状態に転落してしまったのは、どういうことなんだろう?
もう世界言語史のミステリーに近いレベルの不思議な事態だと思う。
>>756がホルホルするほどに、このミステリーが際立つことになる。
清朝は自国語たる満州語の言語政策について致命的な失敗を犯したと断言せざるを得ない。何が致命的だったのだろうな。 満州語が単純明解になったのは結局彼らが靺鞨と名乗っていた時代からの絶え間ない中国語との言語接触の影響だろう
他のツングース語は満州語と比べて乱雑である
女真文字を作り漢人の真似をした結果、どんどん中国語に引き寄せられていき
中国語から借用をする位なら初めから中国語を話していた方が便利な状況になった
考えてもみろ
abdahaと言うよりもyezi
indahunと言うよりもgou
と言う方が遥かに短くて済むのだ 満州語による文芸や演劇作品はなかったのかな?それがないと厳しい
逆に日本語は大量の「薄い本」が出版され続ける限り安泰だ
しかし最近は薄い本さえ英語やポーランド語それにアラビア語とペルシャ語に翻訳され始めている…
仏教経典の翻訳はおそらく原典であるチベット語のままの方が有難いとされたろう現状から推測するに >>766
okaasanやeomeoniよりma1
umaやmalよりma3
の方が楽だが日本語や韓国語が残存している理由はナショナリズム? >>768
単純に人口の差でしょ
もともと寒冷な地で半農半牧する女真人は農民である漢人と較べて圧倒的に数が少ない
漢人を完全支配して元々の居住地から離れて各地に散ってしまった結果多すぎる漢人と同化した方が生活が楽になる
遠くの親戚より近くの他人 >>765
旗人(民族の内訳としては本来の満洲人だけではなく、漢人やモンゴル人など様々な民族が含まれていた)には満洲語の習得が義務付けられていた一方、
旧明国地域の漢人には科挙首席・次席合格者を除いて満洲語の習得が禁じられていたことが、その要因として非常に大きいのではないか。
むしろ旧明国地域でも満洲語の習得の義務付けがもしあったならば、その後も使用人口が一定以上継続した可能性があるとも考えられるが、
漢人一般層の満洲語の習得を禁じたため、結局は満洲語の側が漢語の側の使用人口と文献の多さに圧倒される展開になり、
満洲語は清の版図全体でのリングア・フランカになり損ねたのだろう。
その一方、満洲語はトゥングース諸語圏(広くはモンゴル語圏の一部も含め)では充分にリングア・フランカの機能を長らく持っていたのだが、
その後の漢語やロシア語の浸透で、その地位も失うことになった。
さらに、辛亥革命ののち、清の時代に版図の各地に設置されていた駐防(旗人の集住・駐屯地域)が廃止され、
駐防で長らく続けられてきた満洲語の伝承・習得の環境が決定的に減少したことが、満洲語の脆弱化の決定的・最終的な要因となったと言えるだろう。 >>771
俺もそう思うんだよ。モンゴルと違い、科挙を継続したままで、(漢語科挙の)合格者は上位2名を除き満州語社会から締め出した。
そのくせ、満漢偶数制で、漢語科挙の合格者を行政のかなりのレベルまで登用した。
一見、旗人支配を強固にする政策のように見えてこれは大失敗だった。
科挙自体をやめて、シナ全土への旗人単独支配を貫徹するか、あるいは科挙合格者に広く満州語習得を義務付け、
満州語を行政の作業言語として漢民族に広めていくか。
これ、作業言語をどうするかという問題が核心だろう。
そういえば、EUも90年代以降、作業言語は英語一択で、実務レベルではフランス語を使う会議すら全く存在しなくなったらしい。
EUのような建前は、むしろ多言語社会をすりつぶす害悪でしか無い。きっと清も同じドツボにハマったのだろう。 >>767
例えば三国志や金瓶梅などの満洲語ヴァージョンは実在するし、実際、満洲語関連の重要文献の一つとされる。 >>767
仏典について言えば、
漢訳の大蔵経でいうところの三蔵(「経」と「律」と「論」)の分類が、
チベット語訳の大蔵経では仏説部(「経」と「律」を包括)と論疏部(「論」)の分類とされる。
そして、チベット語訳の大蔵経の流れを汲むモンゴル語訳の大蔵経では、仏説部と論疏部がどちらも作られた。
一方、同じくチベット語訳の大蔵経の流れを汲む満洲語訳の大蔵経では、仏説部は作られたが、論疏部は作られなかった。 >>773
EUで、いわゆるブレグズィットがどうなるか、
ひょっとするとUKが脱退そのものを撤回するか、という可能性も考えられる状況ではあるけれども
もし本当にUKがEUを脱退したならば、英語はどうなるだろう?
UK以外にも、英語はアイルランドとマルタの公用語ではあるが。 満洲語で通すにはモンゴル語の存在が大きすぎたのかも。
モンゴル族を満洲族とほぼ対等の存在として遇するには漢語が一番好都合だったと。 >>773
フランスが関係する国際学術会議の公用語が、多くは英語になっている。来月もそういうカンファレンスがあるが、
英語だけでよく、フランス語を使わなくて済むから、フランス語が不得手な自分としては助かる。 >>765
語彙はお話にならないくらい貧弱で、
同義語の多い漢語からの翻訳は、いくつもの漢語から同一の訳語だらけにするか、
即席の借用語だらけか、苦し紛れのなぞり表現だらけにするかしかない
(「人民」をniyalma(人) irgen(民)って訳すとか、それirgenだけでいいじゃん)
感覚的な擬音語・擬態語も多く、主観的な表現だらけ
文法も使役と受け身の区別すらできない
単語が長いからか「かばん語」による造語も多いが、意味不明になりやすい
元々がツングース語から母音調和や細かな文法表現を取り去ってできたクレオール言語
広域的な通商と軍事ぐらいにしかメリットがなく、しかも方言差も馬鹿にならない
漢語に対してはローマ人がギリシャ語を習い続けたのよりはるかな格差があるよ
なおシベ語は綴りと発音の乖離がひどすぎて現代の話者に相当の負担を強いている >>769
言語上の問題を扱っているのに、ウヨウヨ言ってるんじゃねーよ。
そんなこと言っているからパヨ呼ばわりされるんだぞ。 >>779
しかしそれは言語特性の一部について語っているだけだろう。
(例えば、受動と使役の区別については、直接的に混同が起こる表現を回避すればよいのだし。)
方言差についても、文語には一定程度の共通性がある。
漢語に比べて使用人口や文献の蓄積が少ない点ではモンゴル語も或る程度そうだったが、モンゴル語はその後も充分に存続している。
抽象語や格式表現の充実に関しては、宗教的背景も考えれば、漢語の他にチベット語から導入する方法もあっただろう。実際、モンゴル語はそうだった。
そして何よりも、実際に、無圏点満洲文字の制定〜有圏点満洲文字への移行〜辛亥革命まで、行政用の言語として使用されていた事実がある。
少なくとも清朝中期までは行政の実務の場の言語としても確実に機能していた。 モンゴル語はチベット語との長期の接触によって豊かになったが、
満洲語は漢語と正面から向き合いすぎた
高位の貴人も王族も乳母や嫁や妾が漢人ばかり、生まれてくる子は漢語で育つ
清代における言語改革は後手で受け身。衆寡敵せずというか、どうしようもなかった >>780
いきなりパヨって言い出したのは764君なんだ😆 >>779
民族の原住地を考えれば、あれは上等も上等、超ハイスペックだよ。
官職名など、日本の奈良時代の律令官制の和語名を彷彿とさせる冗長さだが、ネイティブにとっては見た目ほど鬱陶しくはないだろう。
それに、ヴォイスやテンスが貧弱なのは、中国語、特に文言も同じこと。
文言に至ってはヴォイスもテンスもアスペクトもなく、まともなコピュラすら無い。
それでも殷周から民国まで3000年以上中華文明を支えてきたばかりか、東アジア唯一の共通語たり得てきたのだから、
そんなことは、どうってことでもないわけだ。 「唐宋在日本、明朝在韓国、大清在中国、民国在台湾」
唐宋文化は日本にあり、
明代文化は属国の韓国にあり、
民国は台湾に移って、
現代中国には清文化が残っただけとする、
中国人の自虐ネタ。
清の文化が劣っているという意識があって自虐が成立するネタ。 中国語ネットで
「漢唐在日本、大明在韓国、民国在台湾、満清尚在中国」
というのもあった。
清は版図の面で偉大なのに。 >>785,786
越南は?
胡服のアオザイなんか着てるから清か? >>788
唐在日本、宋在越南、明在??国、民国在台湾、文革中国在朝??
とかいうブログがあった。
越南に宋が残ってて、
文革時代は北朝鮮が継承したらしい。 何かウヨウヨ言っている場違いな馬鹿チンがおるな。
__
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/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|| 荒らしは、凌遅三千刀、滅九族!!
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ スレと関係ない口げんかする者らは、どっかよそでやってくれ
スレと関係ないことでもどうしてもここでやり合ってやると言い張るなら、
いっそ、満・漢・モンゴル・チベット・ウイグル五体合壁でやってみてくれんか
できないなら、関係ない口げんかは、もうするな
あ、そうそう
ついでに言っとくが
例えば日漢二体合壁の口げんかとか日漢英三体合壁の口げんかとかもスレと関係無いから、ここでは、しないでくれよ ウヨサヨよりウンチク自慢がしたいだけでしょみんな
これも日本ホルホルに取って欲しくないんだが、周作人はどこかのエッセーで
「日本人の選択眼は恐ろしい。中国に学んでも唐からは宦官制度を学ばず、
宋からは纏足を学ばず、明からは八股文を学ばず、清からはアヘンを学ばなかった」
みたいなことを言っていたらしい 記憶を頼りにぐぐってみた↓
https://zhidao.baidu.com/question/1822292343521947708.html
なるほど日本こえーという気もするが、日本は日本の事情や制約でこれらを入れていないだけな気もする >>794
いや、最近は以前ほどじゃなくなってきたが、中国史スレでの中国アゲ・日本サゲは執拗を極めている >>794
そもそも、「人体の一部を切る」ということ自体、日頃から家畜の去勢を日常的にやっている牧畜民族ならではの発想 日本人がテン足なんかやるわけない
テン足した足じゃ、農家は田植えができないし、武家は戦争も逃走もできない 纏足って南唐の皇帝の個人的趣味が発祥なんじゃなかったっけ? 纏足は中国人が小さい足に興奮する足フェチだったからだし… >>795
こんな場末の議論でのアゲサゲなんて人の好み、個人の解釈だから別に良いじゃんと思ってしまう
ここに来る人がそれ読んで洗脳されるとでも?
専門板に居る人なんて絶対に自分の意見を曲げない頭のかたい人ばかりだろ
私もそうだ てんそくって朝鮮やベトナム、モンゴルとかではやってたのかな? >>801
やってないでしょ。
わざわざそうする必然性も経緯も価値観も無かったことだから。
中国内部でも例えば客家人は伝統的にやってなかったし。
まあそりゃそうだ、男女問わず勤労価値観が非常に高いうえに居住環境それ自体が厳しいことが多かった客家人社会で、
円滑な歩行を無理やり困難にさせるという選択肢は有り得なかったからね。 >>800
そんなことないぞ
少なくとも自分は、簡単に誤りを認める(笑) まあ、でも、世界史板では、右翼も左翼も以前ほどではないな 昔に纏足ついて少し調べた本には当時の中国人男性達は小さい足に非常に強力な性的魅力を感じていたと書かれていた気がするが、だからって一般人までそこまでやるもんかね 纏足は、「うちの娘・嫁は有閑マダム(候補生含む)なんです。働くのは男たちと下男下女だけなんですわ。」という自慢なんだよね。
実際、経済的余裕が無いと娘に纏足を施せないし、纏足女性を嫁にもらえない。性的なものは多分後付け。 >>796
その言い回しは俺が3日前にニュー速+に書いた事そっくりだね
そこでは割礼について書いたから去勢の発想だと言ったんだが、
お前はなんで人間を去勢して宦官を作る話と家畜の去勢とを結びつけるのに
わざわざ「人体の一部を切る」なんて抽象化した言い方をするの?
「人間を去勢」って言えばいいだけじゃん >>801
モンゴルは女性も乗馬するからやらない。
モンゴリアンブーツ履けなくなる。 洪武帝の馬皇后は纏足してない。
「大脚馬皇后」という中華ドラマがあって、
馬皇后の偉大さを讃えている。
だが、天下の母の模範に愚かな臣民どもは見習わなかった。 >>812
ほんこれ
凌遅刑とか日本にはようできん >>810
一方、満洲族は纏足禁止なのに擬似纏足に熱を上げるのであった >>807
お歯黒……いったい何処から来た風習なんだろうか……
その昔は男性もやっていたと言うが、、、
お歯黒してたら何かの作用で味覚がおかしくなりそう、もしかしたら江戸時代の嫁って平均的にメシマズだったかも…… お歯黒なんて気持ち悪いだけで美しくも可愛くもないんだから化粧ではなかろう
しかも既婚BBA専用で未婚の若い娘はやらん
あれは何かの呪術的な意味合いのものではないか お歯黒って、どうやらもともとは虫歯や歯周病の予防目的らしい。
平安時代には男女問わず貴族の習慣だったね。 お歯黒は魅力を下げて浮気させないためと聞いたことがあるが旦那は自分の妻がキモくなってそれでいいのだろうか お歯黒は、食事が加熱した糖質中心に大きく偏るのに、体質的にエナメル質が薄いため、虫歯が大変多いという、
縄文時代以来日本人がもつ深刻な歯科的問題への対応として、虫歯予防のために広まったんじゃないの?
縄文人の虫歯率は、集約農耕を行わない中石器時代相当の民族としては驚異的に高いものらしい。
理由は、どんぐりの澱粉に偏った食生活。
この問題は、本格的な稲作・穀物耕作が普及する弥生以降も悪化こそすれ、改善されることは全くなかった。 つまり炭水化物摂りすぎか
ローカーボの代わりにお歯黒を流行らせてみたいな
いやあまり見たくもないけれど >>821
そもそも白い歯に清潔感と美しさを感じるようになったのが、近代以降だろう。
特に歯磨き粉のテレビCMで白い歯が美しいと我々は刷り込まれているわけで。
現代人の感覚で考えてはいけないと思う。 電気照明がな夜は真っ暗で、歯の色なんか分からないだろうが 電気照明がなかった時代に、夜は真っ暗で歯の色は分からなかっただろう
その効果を計算に入れてみると、「歯を見せるのを嫌った」とも考えられる
白い歯は、闇夜でもそれなりに目立つからな まあ、足が小さいのは女性の特徴のひとつなのは事実で、女性性の象徴としてフェティシズムの対象になっても不思議はないか 中国史スレで、すぐ日本の話ばかりになるのが不思議なんだが。
自分は中国史マニアだが、日本史についてはそれほどでもない。
そういう人は少ないのかな? 日本だろうが中国だろうが歴史なんか全く興味ありません http://news.livedoor.com/article/detail/15142721/
蒼井そらさんに「英雄侮辱」批判=赤いスカーフ着用で−中国
【北京時事】中国で人気のある元アダルトビデオ(AV)女優、蒼井そらさんが慈善イベントで「革命の英雄の鮮血」を示すとされる赤いスカーフを着用したことに批判が集まり、
イベントを主催した中国企業が刑事責任を問われかねない事態となっている。
10日付の中国紙・北京青年報が伝えた。
赤いスカーフは、共産主義を学ぶ少年、少女の全国組織「中国少年先鋒(せんぽう)隊」の象徴。蒼井さんが赤いスカーフを着用した動画がネット上に出回ると、「蒼井さんのイメージはスカーフと全く合っていない」という批判が噴出したという。
同紙は「(蒼井さんの着用は)赤いスカーフに対する侮辱だ」と主張した。
なんだこれはたまげたなあ
AV女優が特定の物を身に着けただけで刑事責任とか文字の獄の頃とほぼ変わってないじゃないか! >>832
最近も、自宅でテレビ出演して政府を批判した大学教授のところへ、番組終了まで待たずして警察が押し寄せるという事件が起きた。 紅灯照の頭目が元売春婦だったからそれを連想して警戒しちゃったのかも なんで紅灯照を警戒すんなん
共産党は紅灯照を称揚してるやろ
革命的英雄やで 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 正徳帝で卒論書いたけどもう四半世紀前だし忘れちまったな 正徳帝の魅力を教えてください。
劉瑾の跋扈やラマ教趣味ぐらいしか知らないもので。 >>839
おぉ、それは素晴らしい 明代史で卒論書くのが既に尊敬、私は切り口が見つからず、清初で卒論書くことにしたので… 自分のことを「大将軍」とか言って遠征しまくるヤバさ、劉瑾に「皇帝の座?欲しけりゃくれてやる」って言っちゃうヤバさ、ラマ教にハマるという謎のスペックの高さ
でも死ぬときには「朕は間違ってたかも知れぬ」と実は自覚していたと思われる発言 王朝が安定した故に生まれたと言える、退廃的な感じが私は溜まらなく好きです 聖人君子でなくとも、
普通の人でいてくれたらいいのに。 劉瑾、王陽明と、歴史上の有名人が次々に登場するので、時代劇のネタとしては美味しいキャラだろう。 デタラメなワガママぶりは、ローマ帝国のカリギュラ帝を彷彿させる。
よほどの政治力がなければ、いくら皇帝でも無理を通せない。
周囲が言うことを聞かなければ、それまでだ。
有能な人物だったのは確かだろう。 永楽帝みたくなりたかったけどそんな時代じゃなくなってた 寧王の乱が成功してたら、寧王が第二の永楽帝になってた 奇人変人皇帝としては、ファーティマ朝の第6代カリフ・ハーキムと並ぶ東西の両横綱 戦争ごっこやって遊びたいとか、常識の範囲内で理解できることやん
「皇帝ともあろうものが」ということさえ目瞑ったら
ハーキムのほうは常人には理解不可能や 正コ帝、雍正帝とは違った面で皇帝独裁を体現した人物かもしれない そこが、明のバカ皇帝たちの不思議なところ
明らかにバカ皇帝なのに、周囲はどうすることもできない
死ぬまで絶対権力者 ラストエンペラー、終わった。
ラストサムライでも感じた違和感、これも同様で、結局、欧米人視点の映画だってことだな。 日本ではバカ殿様は強制的に隠居させられたり一服盛られたりするが、
シナではそんな話はないのか 嘉靖帝も、若い頃はそれなりに優秀だったが、やがて、まったくの引きこもりオヤジと化した
不思議なのは、それでも、何十年にもわたって最高権力者でいられたこと
嘉靖帝の地位に挑戦しうる者は、死ぬまで出てこなかった しかし、嘉靖帝が若い頃は優秀だったというのも、疑問符がついている
先帝・正徳帝の悪臣たちを一掃し、朝政を一挙に刷新した手際は見事だったが、これは「正徳帝が、死の直前に周到な手を打っておいたから」という話もある しかし、もっと徹底的な引きこもりは、万暦帝だった
日本の野党が国会に出ないでサボタージュしたのは18日間だったが、万暦帝はなんと25年間 崇禎帝のようなやる気ある人がどれぐらいに現れておけば明は助かったの?
天啓帝の時には手遅れなんだろうけど 崇禎帝は猜疑心が強すぎたのが痛かった。
名称の袁崇煥を処刑さえしなければ… >>864
それは俗説じゃん。
まぁ後継の康煕帝の治世前半は、
オボイの乱や三藩の乱などで、
いつ滅亡してもおかしくない状態であったけれど。 弘治帝が即位できたのが明朝存続のかなり重要なポイントだよね
万貴妃に悟られないように密かに育てるとか凄い
弘治帝も堕落せずそつなく政務をこなすとか偉すぎる 明王朝末期の進士、鄭マン(マンの字はおおざとに曼)は文才と声望で世間を騒がせた。
しかし明朝最後の皇帝、崇禎帝の御代に派閥争いに巻き込まれた挙げ句、
「母を鞭打ち、妹を犯した」かどで告発され、大逆非道の罪を着せられた。
帝は非情にも自ら「凌遅」に処すよう指示したのである。
崇禎12(1639)年、八月二十六日の早朝、鄭を北京皇城西の甘石橋下の四牌楼の刑場に連行するよう、聖旨があった。
すでに小屋が造られ、前には先が二股の柱が打ち込まれている。首切り役人達は鉄鈎と小刀を研ぎ澄ました。
午前十時ころ、牢役人が鄭を刑場に連行した。彼は柳の枝の籠に座ったままで、 召使いの少年に後事を細かく託している。
すでに周辺の道も空き地も黒山の人だかり、やがて西城察院の長官が人だかりを掻き分けて到着し、
声高らかに聖旨を読み上げた。
「法に照らして三千六百刀!」
首切り役人達が一斉に 唱和する。
爆竹が三度はじけ、刑は執行された。
群衆は一層騒がしくなった。ある者は首を伸ばし、ある者は屋根に上がり、切り刻みの様を見物しようとする。
しかし群衆はあまりにも多く、少し 離れれば刑の執行など見ることも出来ない。
かなりの時が過ぎ、件の二股の柱に血の滴る新鮮な心臓と肺が吊り下げられた。
又しばらくすると今度は生首が吊り上がり、更に胴体が吊り下げられる。
その肉体は細かい麻糸のように切り刻まれており、まるでハリネズミのよう。
肉は削ぎ落とされてはいなかったのだ。
刑の終了が宣告された。将校が皇帝に執刀回数を報告するため、早馬で駆け出していった。
首切り役人は鄭の遺体を引きずりおろし、肉を細切れにすると売り始めた。
群衆は競って買い求める。吹き出物の薬にするためである。 崇禎帝の建て直そうとて努力して足掻いても悪い方へ悪い方へ進んでしまう状況は泣けるわ 崇禎帝が名将の袁崇煥を疑って凌遅三千刀にしてしまったのは致命的だった。
だから袁崇煥の子は「後金」のころから満州族に寝返り、子孫はそのまま清の末期まで忠実に仕えた それを言ったら、楊家将なんて、主役は楊六郎で、準主役は五郎と七郎、脇役は四郎だが
一郎から三郎までは端役 >>873
朱重八の兄貴たちみたいに地道に農業やってたんじゃなかろか 崇禎帝も結構暗君だよね
万暦帝というとてつもない暗君のおかげで霞んでいるのと
魏忠賢を排除したことが評価されているんだろうけど >>878
いかにも共産主義らしいモノの見方だな
日本じゃあんまり教わらないから面白い いや、共産主義でなく、ここ15年ほど世界の史学界で流行している環境史的視点だろ。わりと常識的、日本以外では。
なぜか日本だけは環境史が流行らないんだよな、日本人には理系的なものの見方が理解できないからかもしれん。 あと医学史もだね。これはここ30年ほどの日本人史学者らの研究がその進展に大きく寄与しているが、やはり医学史は日本人だけは理解できない。
これらをもとにさまざまな歴史を統合した、所謂グローバルヒストリーが常識化しつつあるが、これまた歴史に疎い日本人には理解されない。 >>880
日本人のど文系歴史学は、そういう視点をやたら嫌うよね。
ちょっとスレ違いになるけど、日本の源平の戦いについて、
「温暖期のピークでチベット高気圧が強く、西日本や北陸が旱魃に悩まされる一方で、東日本太平洋側は温暖多雨が続いたため、
関東を基盤とする鎌倉政権が、西国を基盤とする平氏政権を圧倒した。
東北の奥州藤原氏は雑穀農業に基盤があったため、温暖な気候は彼らをよくサポートせず、むしろ南側の関東勢の北進をアシストする格好になった」
という説を書いたら、感情的嫌悪感丸出しのレスがつきまくってフルボッコだったわ。
(当時の各年の具体的気象条件については、当時の記録などからある程度の推測ができる)
なにか日本の文系くんにとっては、「人間の活躍が後景に退くような歴史観は、不愉快で気に入らない」らしい。 そういう人は、
「宝永大地震&富士山大噴火で元禄の繁栄の終焉、綱吉政治の批判高まる」
「浅間山大噴火で天明の大飢饉&打ちこわし、田沼意次失脚」
なんてのも信じないのかね 環境史的に言えば
「明史」には無いんだけど
「釈鑑稽古略続集」3、「明太宗実録」1、「奉天靖難記」1によれば
建文帝の時代に蝗害が発生していたらしい
食糧が無い状態で雲南や甘粛からも兵を動員したのが
建文帝の敗因のようだ >>880
まあそうなんだけど
こう言うモノの考え方って共産主義者に受け入れられやすいのは確かだろう >>886
唯物論だからなぁ
伝統中国科学史を研究して中国ナショナリズムの高揚と偉大なる中華文明の宣伝に尽力した科学史家のジョセフ・ニーダムは
ニーダムグラフなど自然科学の意匠を取り入れて物質が規定する人間の歴史という視点が一貫しているし
その政治と経済の形態から中国やインドを「大陸型国家」「官僚封建制」とし西欧と日本を「海洋型国家」「軍事封建制」として分析したが
非教条主義的なと評されるしかし唯物論的マルクス主義者であり続け
その政治的な意思による中華文明礼賛は中共に彼を「極めて有能な自発的工作員」として高く評価させるものだった 明清期の研究って、
文字資料が多すぎて、読みきれず、
却って全体像をつかめないということはないの? >>888
そんなこと言うたら現代の研究のほうがもっと無理ちうことになるやん
現代は明清と比べても文献の量は千倍やで >>888
明はまあまあ手ごろじゃね
清は手に負えんが >>889
確かに。
いやぁ、ふと古代史人気の秘密は文字資料の少なさにあるかもと思ったもので。
明清の不人気はその逆で。 >>890
清は膨大な民間残存資料に加えて、
満洲語資料まであって大変そう。 文字資料に画像資料がどっさりある江戸時代って、日本史学者に不人気かな? >>894
現在に直接繋がってる所じゃね
あと研究するに当たり
儒者のバイアス掛かってる正史だけじゃなくて未編集のものが残ってる
それと実録もちゃんと残ってるとか >>891
三国時代って演義から来る入りやすさもあるけど
日本語に訳されている正史だけでも結構議論できる所が良いんじゃない? 話はちとずれるが
中国は立派な墓誌作る習慣があるからありがたいよな
この春、上野の国立博物館のアラビア展でアラビアの墓誌が出てたんだけど
自分の名前だけとかせいぜい父親の名前とかで本人の略歴も分からん >>894
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/j/三三三三三三三三三三ヾ
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/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|| ずばり、朕の魅力なり。
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
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| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>893
みんなが好きな時代ランキング 1位は「安土、桃山時代(戦国時代)」
https://news.nifty.com/article/item/neta/12225-141009004811/photo/
一般には江戸時代もそこそこ人気だね。
時代劇があってなじみがあるからかな? 清は19世紀から西洋諸国もガッツリ絡んでくるから余計にカオスやな >>892
満漢二体合壁だけじゃなくて
満漢蒙三体合壁の史料も特にモンゴル関連ではごく一般的
もちろん、満蒙二体合壁の史料もあったりするし
それに、チべット語も加わった四体合壁もままあるし
さらにウイグル語も加わった五体合壁も多い
モザイク的多言語社会・複数公用語同時併用組織の一般化という多様性が、清史の非常に重要な側面だね
そこが面白い
まさにEU先取り、というかAUか? いや電話屋さんじゃなくて亜州連合で >>901
マイナーな言語を学ぶのはきついな。
いや、メジャーな中国語学習だけで容量オーバーな
自分にとってだが。
なかには
中国関係の論文にフランス語が多いという理由で、
フランス語の学校に2年間通った猛者がいたが。 明の皇帝達のコピペ
ある日、明国の皇帝達は電車に乗って遠足に行く。道の半ば、レールが故障になるから電車が止まる。
洪武皇帝:余が何度も気お付けろって言ってたが、全然耳に入らないこのやろう。
建文皇帝:孔子の本の中にこんな事に遭ったらどうしたらいいのか書いてない。
永楽皇帝:余が自ら修理に行く!誰が責任を負うか分かったら皆殺し!
洪熙皇帝:俺は親父の味方。
宣徳皇帝:余は修理に行くかそれとも座って蟋蟀遊びか?
正統皇帝:手助けに行ったが、ハンマーに脚を叩かれた。
景泰皇帝:ハンマーを拾うが、正統皇帝に奪われた。
成化皇帝:万姉さん、どうすればいい?
弘治皇帝:皆様、慌てるんじゃない、余に任せて。
正徳皇帝:電車から降りて遊びにいった。
嘉靖皇帝:太乙真人(道教の神)お守りを。
隆慶皇帝:何も言わずに座ってた。
万暦皇帝:寝坊中。
泰昌皇帝:オナニしてた。
天啓皇帝:彫刻中。
崇禎皇帝:皆様は上記の人達を見ただろう、余の悪さじゃないと分かってくれるだろう。 >>903
実際のところ、愛新覚羅王朝の公文書用言語が重層化していった順序って、
日本語母語話者にとって(文法面・語彙面・学習環境面の総合で)学びやすい言語の順序ではないかと思うんだよね
満洲語 → 漢語 → モンゴル語 → チベット語 → ウイグル語
少なくとも満洲語は日本語母語話者にとって非常に学びやすい言語であるのは確かだよ あー・・・「公文書用」言語の順序だと、漢語のほうが先になるか
「使用言語」というほうがいいかな
愛新覚羅家での口頭使用言語としての歴史は、もちろん満洲語のほうが漢語よりも先だから >>905
んなアホな
日本語と同様のSOV膠着語のモンゴル語やトルコ語ウイグル弁が日本語と何からなにまで違う漢語より難しいんか? >>907
学習環境となると、ウイグル語辺りは、ちと微妙かなと
なにぶん、日本語教本がほとんど無いし・・・
漢語の場合、文法はともかくも語彙面で相当のアドヴァンテージがあるからね >>907
ゼロからの一斉スタートじゃないからねえ
当時の日本の知識人なら漢語の知識はある程度あるはずだから >>909
日本人は漢字を見れば意味がかなり通じるので、
中国語初級はそこそこイケル。
ところが漢字でわかったつもりの錯覚があるため、
却って中級以上が進まなくなり、
あっという間に欧米人学習者に先を越されてしまう。 日本人は漢字が読めるのが強み
だから文革の折はまず日本人記者がタテカンなりのスローガンを読み、
それを欧米の記者に伝えたという 漢字漢字言うけど漢字だけ知ってたって大した優位点になるわけやないで
数万語の漢語を知ってることこそが優位点や
新しい言語を学ぼうというときに数万語の語彙を既にしってるちうことがどれほど有利かわかるやろ
日本人は全くの中国語初学でも元々数万語の中国語単語を知ってるんや
逆もまた同じで、中国人は全くの日本語初学でも元々数万語の日本語単語を知ってるちうことでもある ところがどっこい中国に留学する日本人は1年経ってもロクにコミュニケーションがとれなかったりする。
一方、欧米人留学生たちは段違いの進歩を示す。
違いは日本人留学生は日本人グループで固まって現地人と積極的に交友せず、全般的におとなしい。(含む自分)
欧米人留学生はド下手な覚えたての言葉を全く恥ずかしがらずに滅茶苦茶に使おうと気にせず積極的に大声で喋りまくる。
1年後に両者の差が歴然とする。
さらに漢字の知識が却って仇になってる。母語の干渉の現象が非常に強く働いてしまうのだと思う。 >>882
でも平氏政権と鎌倉政権が並立したのって短期間だから気象の問題なのだろうか
むしろ平氏政権が関東武士の支持を得られなかったというのが問題なのでは 人物中心の歴史学から内外の環境にフォーカスした史学への転換って
共産主義というよりは構造主義的な潮流では? 漢字語漢字語連呼してもなぁ・・・
日本人は極めて早い時期に「訓読しかできなくなっている」。これで中華言語圏から離脱してしまった。
中国語というのは、「文字列を本来の読み方で直読して丸暗記する」ことに依存するところが極めて強い言語文化圏なので、
読み下してしまったら、もうそれはだめなんだ。
音読みがどんなになまっていてもセーフだが、訓読したらアウト。
「がくじーじーしゅーしー」「ゆーほーじーえんぽーらい」と棒読みすることは、たとえ声調がない完全なお経読みでもセーフだが、
「まなびてときにこれをならう」「ともえんぽうよりきたるあり」と読んだらアウト。絶対にアウト。漢字語ガーと百万回お経を唱えてもアウト。
「これ(直読暗記)をやらずに別の方法(訓読)を取る」文化を持っていることは、日本語母語話者にとって、むしろ欧米人よりも大きな【ディス】アドバンテージになる。
というのが共時的には正解だろうけど、百科全書にもあるとおり、かつては北アジアのわりと広い範囲で訓読っぽいことが行われていたんだよね。
満州人はどれぐらい「訓読」したのだろうか? >>918
漢訳仏典は音読するやん
むしろ坊主が仏典を訓読することなんかないやろ 英語力がある人は中国語も上達が早い気がする。身近な数人の例の話だが。
なので、母語と全く異なる形態の外国語をマスターした人は他の外国語も効率よく学習できるという仮説をここで唱えさせてもらう。 >>919
仏典だけで、(古典)中国語(文言)をマスターできますか???
絶対にできない。仏典は中華の古典のなかではいわば「外道」であって、
仏典のフレーズをどんなに叩き込んでも、科挙に合格することは出来ない。
つうか、仏典を組み合わせてそのまま直読で文章を作るという営みを、
日本の仏僧がやったことはそもそもない。
仏僧であっても、仏典以外の漢語文献は普通に訓読してた。 江戸時代の間宮林蔵は探検先で出会った清の役人と漢文で筆談したらしいから教養人なら漢文は作文できたのでは >>922
江戸時代どころか前世紀の初頭くらいまでは日中漢越の教養ある人なら漢文の読み書きが出来たから
互いに意思の疎通に不自由することは無かった
日本語を知らなかったはずの孫文が日本で意思の疎通に困ったなんて話しは聞かんやろ?
おフランスで友人だったケ小平とホーチミンはたぶんフランス語で会話してたんやろうけど
漢文でも意思の疎通はできたはず 越南がいまでも漢字を使用していればなぁ
中国語の4声でも辛いのに、ベトナム語は6声だ 越南も韓国と同様、漢字復活しろという意見は常に存在するから
そのうち復活するかもしれん
一応漢字教育行なわれてて漢字を使った出版物も少ないとはいえ少しは存在し
標識などにも一応漢字が書かれてて大抵の人が少しは漢字を知ってる韓国と比べても
漢字教育が全く行なわれてなく専門家以外は全く漢字を知らない越南はさらに厳しい状況ではあるが >>918
それは遣唐使廃止とかで正しい漢文がわからなくなったから
漢文も和風なんちゃって漢文に退化しただけで
ちゃんと知識のある公家などはきちんとした漢文を使おうとしていた 日本にどれだけ漢籍が移入されて、僧や商人や倭寇による民間交流があったと思ってるんだ
遣唐使廃止ぐらいで正しい漢文が分からなくなる訳ないだろいい加減にしろ! >>928
発音を教えられる人が居なくなった
本格的な発音を学べなくなって音読もできなくなった >>928
日本人にありがちな漢文文法ミスから書物の筆記を担当したのが渡来人か否かわかるくらいだ >>930
横から質問するけれど、
それは遣唐使の廃止以後についてのこと? それとも廃止前についてのこと?
それから、遣唐使の廃止前だとして考える場合にも、
漢語系母語話者の渡来人と、アルタイ諸語系母語話者の渡来人とでは、また様相が違うかも、という気もするんだけど、
そこはどう? >>931
上代特殊仮名遣いの研究で利用された方法
漢文で書かれた日本書紀の文法ミスから筆者が日本人か渡来人かを判定した
渡来人がいた頃でも間違えてたのだからそれ以降は推して知るべし >>932
じゃあやはり、はっきりとはしない微妙な線もあるわけなのか 変体漢文は間違えたんじゃなくわざと語順を日本語に近づけていて、そこから漢字かな交じり文が発展したんだよなあ
だいたい同様の変体漢文は日本だけでなくほぼ歴代中華王朝の属国であった朝鮮でも(吏読として)見つかっているじゃないか >>925-26
ベトナムをあくまで「漢字の国」と見ようとして、
漢字復活を希望的観測からあり得ると言い続けるのは
中国人と日本人くらいのものだ >>934
いや結局は遣唐使もやめてわからなくなったから開き直っただけ 古代以来の日本人の英作文ならぬ「漢作文」は、途中から、「純然たる日本語表記の組み換え再構成」に変化してるからな。
脳内には最初から日本語しかなく、それを漢字の羅列で表記する際に、語順を中国語風に入れ替えして記すという手法。
とどのつまり、単なる日本語を、漢文風という超変態的表記で書いてるだけ。 そういう偽中国語は今もTwitterとかで使われているな 漢文を読んでいると目的語が動詞に先行する文とか、
前置詞(介詞)が名詞の後に来る文とか、普通にあるけどな 現代中国語の単語に近代以降に日本から逆輸入されたものが大量にある。
人民、社会主義、共産とか。
しかもどれも使用頻度が高く、
多くの中国人がそれらの言葉が日本由来であることに気が付かない。
日常用語のかなりの割合となってるし。
○○化、○○式、○○性といった接尾語的用法も日本由来だ。
最近では萌、中二、?哇伊(かわいい)、宅男/宅女。・・・。
こんだけ日中で影響し合って、
共通の漢字を使用しているのだから、
日本人が中国語をマスターするのは比較的簡単だと錯覚しちゃいそう。
だが、外国語は全く甘くはない! >>937
日本書記の仁徳紀は明らかに語調を整えながら書いてるよ
つまり一旦漢語で音読したのを書き写してるってこと 英語話者がラテン語やフランス語を学ぶのは、一応語族も共通だし語彙も被ってるのが多いから意外と簡単なんだろうな
日本語と中国語は語彙は共通なのが多いけど、語族が全く違う・・・ そんなのはいくらでもある
ペルシア人やトルコ人がアラビア語のコーランを読み
ペルシア語やトルコ語にはアラビア語からの借用語が多数存在するし >>943
日本人が漢文ヘッタクソのままだったのは何で >>935
ベトナムが漢字に戻さない意志は強いな
韓国の墓碑収録した本には原文併記してあったけど
ベトナムのは全部アルファベットだった 中華ドラマ「大明帝国 朱元璋」にて、
ある人物が、日本語字幕であなたは感傷的だと言う台詞があり、
「感傷的」が中国語音声で「浪漫」になっていた。
え?浪漫ってロマンチックの音訳語じゃ??
これ明初の話だろう?
という違和感を感じたのだが、
調査した人がいて、
宋代の文献に浪漫が使われていた。
「浪漫遊」というと、波浪が漫然と漂うかのように、
あてもなく気ままに遊覧するとなる。
つまり浪漫は「気まま」というのと同じらしい。
あるいは「蓮花浪漫開」というと蓮の花が爛漫と開くとなる。
この浪漫は爛漫と同じだ。
なるほど宋代でも「浪漫」って言ってたんだ。
一瞬納得したのだが、
ちょっと待て。
ドラマじゃ明らかにロマンチックという意味合いだったぞ。 >>943
現代トルコ語は固有語を復活させて
アラビア語要素を除去しようとする純化運動が
イスラム知識人の猛反対の中でも進んだ。
日本語もヤマトコトバを復活させて、
漢語を廃止しようよ。
冗長になる欠点はあるが、
30年ぐらい教育すればみんな慣れるよ。
過去の文献全部をヤマトコトバで翻訳すれば、
文化の断絶だって最小限にできるし。
突如、この場で漢字廃止論を主張するのであった。 清の主要5言語のうち漢語以外の4言語について、
漢語語彙からの借用が少ない順って、大体こういうふうになるんだろうか?
満洲語>モンゴル語>チベット語≧ウイグル語
一方、構文で言えば、この4言語ってどれも基本はSOVだよね あ、順番が反対だった
漢語語彙からの借用が多い順、だね
満洲語>モンゴル語>チベット語≧ウイグル語
だいたいこんな感じなのかな >>949
モンゴル語は漢語の借用は非常に少ないよ。
比較的使われる単語でも、ボーズ(包子:モンゴル肉マン)、
シャンズ(絃子:モンゴル三味線)とか位。
シャンズも最近はモンゴル語でシャドラガと言うようになってきている。 >>950
そのぶん、モンゴル語では伝統的な外来語彙にチベット語からの導入が多いよね
例えば「医師」を意味する「エムチ」はチベット語の「アムチ」の転訛だし 蒙古人は仏教徒でチベット文化圏に属してるからチベット語の借用が多い
ウイグル人はイスラム教徒のトルコ人でイスラム文明圏に属してるからアラビア語の借用語が多い
当たり前のことや
女真人は漢語から大量の借用語を導入して中華文明圏に属する
ようになる前に漢人に同化して民族として消滅してもうた
清よりもっと昔の金かてやっぱり漢化してたから
女真の文化がそういうふうになりやすいもんなんやろな >>948
英語romanticでも現代中国語の浪漫でも
使い方の中心は男女の愛情とその演出に関係する
日本でもそれはあるが、
旅行会社の広告みたいな「歴史ロマン」ばかりが目につく所が明らかに違う
新婚旅行でなく一人旅でも使うからだ >>950
バクシ(「博士」に由来。教授、先生などの意味)みたいなのは珍しいんだろうな
入声韻尾の-kも入っていて、唐代かそれ以前にでも借用された感じがする >>952
満州語にはモンゴル語からの借用語も多い。
良いという意味のサイン、動物の群れという意味のアドゥン、
蒸留酒という意味のアルキとか基本語彙で結構ある。 そろそろ次スレが近いけど、明史と清史との扱いどうする?
このまま明清の連結で行く?
それとも両史の分割で行く? 明清は連結で良いんじゃない?
明単体とかレス進まなそう >>957
明単体だと、「凌遅三千刀、滅九族」の、あのお方専用のスレになるからなwww >>954
例えば現代広東語や現代韓国語の読みでも「博」の音節末は k だから
唐代よりもずっと後までそういった発音が残存してて不思議じゃないんでは? >>960
元代まで来たらモンゴル語固有名詞への漢字の当て字は既に入声消滅してるんだよなあ てか例えば元朝秘史(編纂時期:13世紀または14世紀)には
インテリ登場人物で「バクシ」の称号ついてる人、出てこないような気が
いたっけ? >>745 の件の出典を確認。
旧版に当たる「満洲語文語文典」では、「序言」の文中にこの件が載っている。
新版に当たる「満洲語文語入門」では、「はじめに」の文中にこの件がさらに簡易な記述として載っている。 乾隆帝が名君とされてるのがおかしい
たまたま清の全盛期に即位しただけやん
乾隆後期に清は傾き始めとるし十全老人という自称もアイタタタ
和?をのさばらせた乾隆帝は暗君としか思えんわ 清水書院から最近出た『悪の歴史』 の下巻がなかなか面白かった。
東大の先生が担当したヌルハチ・ホンタイジ・康熙帝・雍正帝・乾隆帝は、
けっこう新知見というか、へぇーみたいなところが多かった。 >>967
康熙帝は祖母の孝荘太后の育て方が良かった。
アボイを倒したり、三藩の乱に対処できたのも、
婆ちゃんの叱咤激励のお陰。
父ちゃんが突如崩御しちゃって、
8才で即位した後、
頼りになるのは婆ちゃんだけ。
アボイや呉三桂のような歴戦の猛者や策士相手に青二才のボンボンだけの才覚では敵わない。
婆ちゃんの胆力と長年の経験が支えになった。
アボイや呉三桂たちを熟知していて、
弱点を把握してたのも婆ちゃんだろう。 おまえの頭の中では孝荘太后はそんな天才軍師って設定になってるのかwww
康熙帝が勝てたのはまずホンタイジの頃から漢人から編成育成していた天佑軍が効力を発揮したから
そもそも当時の戦いは火器の運用が全ての時代に入っており入関した時点で旧態依然の女真騎兵は残明軍相手に手も足も出なかった
三藩の乱を鎮圧できたのもジュンガルとの戦いに勝てたのもすべて漢人からなる緑営のおかげ
すでに三藩の乱時点でもっぱら戦闘は漢人頼みで女真族は後方支援担当だった 今のところ明末清初を概観できる本が、福本雅一『明末清初』シリーズだけっていうのもなあ。 >>969
そのお考えは興味深い
確かに緑営が活躍したのは事実でしょうが、そんなに絶対的な強さだったのでしょうか
その時代を趣味で研究しているので気になります >>969
別に孝荘文皇后が天才軍師だったわけではない。
それでもホンタイジ、ドルゴン、順治帝と連続して補佐し続けた経験が大きい。
そして幼少の康熙帝を育て、励まし続けた。
漢民族の尊重、西洋科学の受容で影響があったとされ、
アボイ打倒、三藩平定では敵側首領たちの人物像を最も知り尽くしてたのは若輩者の皇帝ではなく、この婆さんだ。
そのため彼女がこれらの平定の謀をしたとする話はよくある。
少なくとも大臣たちは太后陛下の意向を無視できないし、
康熙帝にとっては婆さんが味方であることが大きな力になった。 >>971
三藩相手では周培公が、台湾平定では李光地や施琅のような漢人将軍が活躍。
一方、満州八旗はよく負けてるので確かに見劣りする。
ジュンガルはどうなんだろう?
兵力の差が大きくて最初からジュンガルに勝ち目がないイメージがある。 康熙帝は、不凍港が欲しくてシベリアを南下したピョートル大帝のロシアの勢力と対決してアルバジンでこれを討ち、
清朝優位のうちにネルチンスク条約を締結し、広くアジア全域にわたる支配権を確立した。
ネルチンスク条約は清が西欧諸国と結んだ最初の条約で、康煕帝外交の勝利とされる。
ロシアが不凍港ウラジオストクをようやく手に入れたのはそれから170年も後のアイグン条約、北京条約を締結してからの話である。 >>972
漢民族尊重してたら文字の獄なんて起こさないし
西洋趣味も康熙帝の個人的な趣向で孝荘文皇后が関心をもっていた形跡はない >>971
少数の同じ兵力同士での戦いなら漢族兵は弱かったが、
何せ緑営の前進の明の軍戸から動員可能の兵数が多かったから
今に続くシナ得意の飽和戦術で数の力で圧倒した。 >>975
彼女自身に西洋趣味はないかもしれないが、
アダム・シャールたちに死刑判決が下りた際に彼女のとりなしがあって彼らは釈放された事例がある。
西洋の知識を尊重する姿勢はあっただろう。 方以智は、
最後、
自分で立てた易で、人生の指針を狂わしちゃって、
気持ちが乱れて、女に狂い、悪い心を持ってしまい、
刀で刺されてやりで突かれて、ぶっ殺されたんだって。 多分、
日本に渡来してて、
神一厘を得て、自分のことを占えたと思うんだけど、
清に帰って、一厘を失っちゃって、
自分のことを占えないにもかかわらず占っちゃったと思うんだよな。 方以智は、
多分、
石川県能登にある、
気多大神。 >>975
文字の獄だが、
尊重ばかりして甘い顔だけしてたら漢民族を増長させてしまう。
大いにに漢文化を尊重する一方で、
時々ムチを与えるのが統治の基本。
わずか百万人で漢民族九千万人(入関時)を抑え込まねばならぬのだ。
硬軟両様合わせた絶妙な技なんだよ。
人権無視の暴力を見せつけないと
圧倒的な数の大群衆を従えない。
辮髪強制だって、
過去の歴代王朝が指定の服飾を強制した伝統に従っただけで、
無茶苦茶なわけではない。 >>977
清朝政府内部には楊光先のような西洋嫌いも根強い。
孝荘太皇太后の介入でアダム・シャールら8人が死刑を免れ釈放されるも、
アダム・シャールの時憲暦はオボイ打倒時まで使用停止だった。
オボイは伝統守旧派なのかな?
清の皇帝は進歩的開明的勢力と保守派勢力の均衡の上で、
権力をより強めていった気がする。
両派の一方が偏らないようにしてるのかも。
満州人重用の一方で漢人を大胆に抜擢したり、
なんかアメとムチの使い分けがうまい。 >>974
ネルチンスク条約の清側交渉責任者はソンゴトゥ(索額図)。
ソンゴトゥはオボイ打倒やネルチンスク条約締結などで辣腕をふるい、
大いに権勢を手中にしたが、
第二皇子を皇太子にしようと肩入れし過ぎて、
康煕帝の不興を買い、
一種のクーデターみたいなもんで逮捕、無期懲役。
絶対君主の部下で突出して有能過ぎると却って危険。
まぁ名君康煕帝の最大の問題は後継者問題。
九王奪嫡だもんな。
ドラマ「康煕王朝」の九王奪嫡の説明。
http://www.bs-j.co.jp/jyakugi/history.html https://www.cnn.co.jp/fringe/35126175.html
当時の清の戦艦、「◯遠」が多いような気がするけど、艦船名における「遠」とはどういう意味があったの? ロシアとの外交が理藩院の管轄だったって所がちょっと面白かった >>940
和製漢語扱いされてる語は元ネタが中国の書物にある場合も多い
江戸時代〜明治時代の日本人が西洋語を日本語に訳す際に、
伝統的な漢籍、明清時代の漢訳洋書、英華字典、などを参考にしていた ロプシャイト英華字典の訳語の来源をめぐって-地理学用語を中心に
荒川 清秀
http://id.nii.ac.jp/1082/00003707/
すなわち,「病院」はもともと蘭学者の造語であると考えられていたのが,
初期洋学書の一つである『職方外紀』(1623)にあることがつきとめられ7),
筆者がさがしもとめていた「熱帯」もそこにあることが佐藤1980によって先に指摘されていたのである。
しかし,筆者はさらに遡れると考え,その萌芽がマテオ・リッチの『坤輿万国全図』(1602)にあることをつきとめた。 『厚生新編』にみる蘭学音訳語とその漢字選択 - 関西大学
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shkky/wakumon/no-29/07_xu01.pdf
『厚生新編』は、江戸幕府の翻訳事業として、1811 年から 1845 年の間にオランダ語から日本語に翻訳された西洋百科全書であり、江戸時代の重要な蘭学文献の一つである。
訳語の不可欠の一部分としての音訳語が多く見られるが、興味深い点は、漢字音表記の訳語が存在している。
調べてみると、『厚生新編』及び他の蘭学文献に収録される漢字音訳語は、すべてが蘭学者によって創出されたものではなく、漢籍、殊に明末清初における漢訳西書からの訳語が多い。 本部月例会・発表内容要旨(2006) - 日本英学史学会
http://eigakushi.org/honbu_06.html
2006/5
19世紀の英華辞典をめぐって
―R. モリソン『中国語字典』の刊行から商務印書館の参入まで―
宮田 和子
マテオ・リッチを創始者とするイエズス会の宣教師は16世紀に中国に渡り、
中国知識層の中華意識に気づいて妥協政策をとり、
支配階級に信者を獲得して権力の中枢にまでくいこんだが、
19世紀初頭に中国に派遣されたプロテスタント宣教師は、相次ぐ禁教政策に阻まれた。
初期のプロテスタント宣教師に知識階級の出身者は少ない。
英華辞典編集の主な目的はこうした来華宣教師に中国語を習得させることにあった。
しかし当初現地語による布教は、中央志向の中国知識人の蔑視と反発を招くだけの結果に終わった。
1842年8月南京条約が締結されて、アヘン戦争は終わりを告げ、
広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港が開かれると、英人の居住と交易が認められ、
領事館員、税関関係者といった人々も辞典編纂の列に加わる。
宣教師の辞典はその意味で先駆的役割を果たしたことになる。
まず、モリソンの『中国語字典』(1815〜1823)を皮切りに、メドハースト、ウィリアムズ、
ロプシャイト、ドーリトルといったプロテスタント宣教師の手になる辞典が、つぎつぎに現れた。
なかでもロプシャイトの『英華字典』(1866〜1869)は、明治政府が大量に購入し、
これを底本とする中村正直校正『英華和訳字典』、井上哲次郎『訂増英華字典』が出版された。
また鄺其照『字典集成』(1868)は中国人の手になる初の英華辞典であり、
1875年に再版がでたのをはじめ、1880年以降にも着実に版を重ねて、
中国における英漢辞典への橋頭堡となった。1880年代末には商務印書館が参入する。
また英華辞典におけるウェブスター辞書の役割も無視できない。
上述の中村、井上の和刻本にもウェブスター辞書が使われている。
英華・華英辞典のほとんどは中国で印刷、出版されたものなのだが、
当の中国では相次ぐ戦乱で散逸してしまったものが多い。 本部月例会・発表内容要旨(2006) - 日本英学史学会
http://eigakushi.org/honbu_06.html
2006/6
『英和対訳袖珍辞書』研究史時代区分試論
遠藤 智夫
通詞堀達之助編纂の本邦初の活字本英和辞典『英和対訳辞書』に関し、発表者は、当時、
本邦に舶載していたモリソン、ウィリアムズ、メドハースト編集の3英華字典との訳語比較調査の結果から、
『英和対訳袖珍辞書』は、W. H. Medhurst, English and Chinese Dictionary から相当数の訳語を借用していることを立証してきた。
(『英学史研究』第29号(1996年)・第32号(1999年)参照)
しかも、それらの訳語の多くは、現代日本語の基本語彙となって、
現代人の言語活動を豊かにしているのであるから、『英和対訳袖珍辞書』の訳語の系譜解明は、
国語史的にも、日中言語語彙交流史的にも、肝要な課題と言えよう。
発表者は、先の本学会1月の本部例会で、
堀孝彦会員との共著『《英和対訳袖珍辞書》の遍歴−目で見る現存初版15本−』刊行以後6年間の本辞書の
‘書誌的研究’の補足および、研究史年表を発表したのに続き、今回は、
『英和対訳袖珍辞書』刊行以来の本辞書の全研究史を以下の4つの時代区分に分ける試論を展開した。
『英和対訳袖珍辞書』研究史時代区分
第1期 紹介期 ――明治・大正期
第2期 書誌的研究期 ――昭和初期・戦前
第3期 蘭和辞書調査期 ――戦後〜昭和63年
第4期 日中語彙調査期 ――昭和63年以降平成
なお、発表者は、
呉美慧「『英和対訳袖珍辞書』の訳語に関する一考察―メドハーストの『華英字典』との関係―」
『国語学 研究と資料』第十二号、1988年(昭和63)をもって、第4期の開始と考える。
本論文以後、中国語学を含めた日中語彙研究が盛んになっている。 第17回研究例会 - 関西大学アジア文化研究センター
http://www.csac.kansai-u.ac.jp/csac1/gengo17.html
報告者: 遠藤智夫(工学院大学講師)
テーマ: 『英和対訳袖珍辞書』訳語のルーツ――Medhurst『英漢字典』・『官版六合叢談』ほか
遠藤氏は堀達之助らが編集した日本初の英和辞書『英和対訳袖珍辞書』(1862年)の訳語がどこから採られたかを長年研究されている。
堀らが参照した桂川甫周の『和蘭字彙』、Morrison、Williams、Medhurstの『英漢字典』との訳語の精査を行い、
現在その調査範囲を『六合叢談』、洋書調所が作成した官板の新聞へと拡大している。
氏は、堀らは『和蘭字彙』の訳語を優先しつつ、Medhurstの『英漢字典』を参照し、
未知語は採用せず、日本に舶来していた中国初期・後期洋学書に用例の見られる語を借用したとしている。 >>991
中国語で"病院"というのは見かけないな。
"医院"というのがほとんどじゃないか?
大きい病院でも医院。
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