ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ3
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1521287115/ だからエンペラーにキングの上位なんて意味はないっての >>841
天皇の孫を王と呼ぶのは何故なのだろう?
封土を与えた訳でもないというのに
古代には地方の有力者である「キミ」は悉く「君」や「公」と書かれ、「王」と書かれる「キミ」は天皇(大王)の血縁者だけだ
この使い分けには非常に作為を感じる >>841
日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。 西洋のemperorと同義・同格として扱われる称号
天皇(日本)
皇帝(中国)
パーディシャー(トルコ)
シャーハンシャー(イラン)
パードシャー(インド)
他に何かある? japanese haevenly shining being >>845
ハーン(可汗、khaan) (モンゴル) かな
面白いな
パーディシャーとかはペルシャ語の称号をトルコ等で外来語として利用されたものだから
そう考えるとemperorの称号は世界で何種類かに限られるということになる >>840
そんな意味はない、と考えてるから婉曲に言ったんですがね。何を噛み付いてるの?
典拠があるなら出せば? >>840
皇帝とは「煌々たる上帝」の意で、王者に王たる者などという解釈は聞いたことがないよ。 >>851
ツァーとインペラトルは別の単語だが
無知乙 >>854
ロシアの民話や聖者伝とかではコンスタンティヌス帝もРимский Царь Константинだけどね。Императорという外来語が現れるまでは、царьがemperorやimperatorの訳語だったと考えて差し支えない。 >>853
王の王いうたらシャーハンシャーやろ
王の王を治める王のそのまた上の王
「黄金のパイザ」(小椋佳)
この歌はフビライのことやけどな >>845
カリフは皇帝とは訳さないのはなぜなんだろ
少なくともウマイヤ朝とアッバース朝では皇帝っぽいし、
ビザンツ皇帝側でも同格扱いだったし >>860
最初は「神の使徒の代理」
それがいつのまにか「神の代理」になってもた |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また神の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ >>864
彡⌒ ミ
(´;ω;`)僕の手下の熊を使って○すよ。
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | クマ──!!
| ( _●_) ミ
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_) >>841
臣下の王いないし
基本日本民族のみの統合の象徴だし
実質的に西洋の王と同格かと イギリス アシッドアタック
フランス テロ、暴動
ドイツ 移民がヒャッハー
今の欧州旅行で安全そうなのはイタリア、スペインあたりかな? それらの事件は都市部での話であって
欧州の田舎なら安全だなと言ってみる グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランド) >>876
ハゲの肖像画ってあんまりないから良いイメージはなかったんじゃないか _人人人人人人人人人人人人人人人_
> ハゲがいるぞ殺せ!!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | U ・ | 彡⌒ ミ
三 と| ι| | ヽ(´・ω・`)ノ
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U (___) あれはいつから、ハゲスタイルにしてるのかね?ローマ時代末期から? ルイ2世とかどうすんだよ
禿頭王とかアダ名つけられてんぞ ハゲ王
デブ王
単細胞王
なんか恨みでもあるんか? http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 禿頭王ってのは精力的であらゆる意味で活力に溢れた王
って意味もあるらしい 可哀想なのはジョン欠地王
兄貴のリチャードが十字軍にかまけて内政放置
跡を継いだら戦費で財政ボロボロ
その元凶の兄貴が獅子心王と持ち上げられてジョンは叩かれるとか >>890
ジョンはジョンで親父を裏切ったりしているからね。
いまいち同情できない。 才能がないと親父に見抜かれていたから、親父から相続した土地は一切なし。
これが欠地王の由来であり、そしてイングランド王となってから得た土地の内、フランス側の領土は
同盟者だったフランス王フィリップ2世の策略で全部持っていかれた。
これが”失地王”という不名誉なもう一つの別名の由来。
近年では彼自身が望んでやった訳ではないとはいえ、国内の貴族たちに責められマグナ・カルタを作成した功績を再評価され、
言うほど暗君でもなくね?という感じになっている。
個人的には、ジョン欠地王が駄目な君主であることは間違いないだろうが、
リチャード獅子心王も十字軍参加のために官職や土地を売却しまくって軍資金を確保し、浪費しつくしたことや、
イングランド王位を持ちながらイングランドに滞在した期間はほとんどなく、実質フランス人であったことを考えると、
リチャード獅子心王がイングランドで英雄視されてるのはおかしいと思ってるがね。 結局中世で没落したのはほぼイタリアだけだな
ビザンツは体裁保ってるし、フランス、ドイツ、イギリスはもともともクソ田舎の発展途上地域でむしろ中世の頃に発展して人口も増えてる
結局中世とはイタリアの敗北なんだということを発見してしまった
帝国時代は他の地域から富を略奪してもってたわけだからそれがなくなればかなしいもんだ >>890
アウグストゥスとティベリウスに似てるな
アウグストゥスが剣闘だ戦車競争だと大盤振る舞いして
財政ボロボロ。支出を控えて催事なしの二代目が叩かれる >>894
イタリアやエジプトは11世紀に没落しなかった
11世紀の地中海ではまずアンダルシアが後ウマイヤ朝末期の内乱で没落
次にファーティマ朝がベドウィンを移住させたイフリキアも没落
そしてトルコ人のアナトリア移住でビザンツが没落した >>894
イタリアとエジプトはともにユスティニアヌス朝期に没落した
イタリアはゴート戦争とペストで人口が激減した
エジプトもペストで人口が激減した リチャード1世は戦下手だけど政治手腕抜群のアウグストゥスより軍人としては優秀だったセヴェルス帝に近い気がする
国庫をカラッポにして散財したならカリグラっぽい部分もあるけど
あとティベリウスとジョンだと実力含めいろいろ真逆だから違和感が凄い
ティベリウスなら周囲に何を言われようが突っぱねて自身の道を行き結果出す 十字軍は補給が糞
飯が無さ過ぎて敵味方の兵士の死体を食ったくらい
この時代は基本的に現地調達だから仕方ないけど それにしたって十字軍は兵站関係酷すぎるけどな
諸侯の連携も足の引っ張り合いでグダグダだし
戦争ごっこと言われてもしょうがないレベル
こいつら本気で戦争するつもりがあるのかと 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 >>902
キリスト教勢力は多少のいざこざはあったけど
基本的にまとまってる方かと(第4次十字軍とかとんでもないのを除いて)
ぐだぐだだったのはイスラム側 つか十字軍って西欧が数万の軍隊を動かすとかローマ軍以来だな 富士川の戦いの頼朝軍が20万 平維盛軍が5万 なのにな >>894
ガリアもブリタニアもだがアルプス以北でほぼすべての都市と市政が機能を停止してるのにそれはないだろ
東ローマ帝国も6〜7世紀頃にほとんどの都市は放棄されて市民はカストロンと呼ばれる山岳部の要塞に避難してしまって
劇場や公共ジム、浴場といった市民向けの娯楽施設は消滅してるしフォルムもなくなった コンスタンティヌスの息子のクリスプスが可哀想すぎじゃね!
なんで処刑したんだろう? >>904
1071年東ローマのロマノス4世ディオゲネスは
セルジュークの本国イランへ遠征しようとした
マンジケルトの戦いは防衛戦ではなくイラン遠征の前哨戦だった
ロマノス4世が率いた軍は傭兵が主力でフランク人や
ノルマン人の騎士とか多くの西欧人が参加していた
1073年アナトリアのアンカラでノルマン人傭兵が
反乱を起こしてガラテア公国と称して自立しようとした
東ローマは自力でこれを鎮圧しようとしたけど敗北した
東ローマがノルマン人傭兵の鎮圧をセルジューク軍に依頼すると
セルジューク軍は傭兵だけでなくアンカラの住民も残らず追い払った >>911
コンスタンティヌス1世の後妻ファウスタが息子達の将来を危惧したから
軍を指揮出来るクリスプスに宮廷風に育てられたファウスタの息子達は
戦争では到底勝ち目がなかった >>914
クリスプスに育てられたのは
1.ファウスタ
2.ファウスタの息子たち
どっちだろ?
日本語ムズカシイデース >>915
宮廷風に育てられたファウスタの息子達は
軍を指揮出来るクリスプスに
戦争では到底勝ち目がなかった 能力的に
クリスプス=スティリコならば
ファウスタの息子達=ホノリウス
クリスプス=アエティウスならば
ファウスタの息子達=ウァレンティニアヌス3世 >>915
ファウスタの息子達は宮廷風に育てられていたので
軍を指揮出来るクリスプスに戦争では到底勝ち目がなかった 日本国天皇(Japanese Emperor)
イギリス女王(Queen of the United Kingdom)
アメリカ大統領(US President)
韓国大統領(South Korean President) ローマ帝国のコンスタンティヌス王朝は、どうすれば存続することができたのだろうか。
なんかもったいないと思う。ローマ帝国が復興し初めてたというのに ゲルマンとササン朝に同時に対処しなければならないので
一人の皇帝が帝国全土を防衛し続ける事は極めて困難だった
コンスタンティヌス1世やテオドシウス1世が再統一しても
すぐに再分割せざるえなくなった
軍団配置に合わせてライン、ドナウ、オリエントで3分割が最適だったが
東西2分割してからは帝国防衛は極めて困難になった >>917
ファウスタは宮廷風に育てられた、と。
>>919
優勝 >>910
ローマ系住民がイタリアにもどっただけで原住民には全然影響なかったと思うぞ だからローマ系貴族やら住民が支配地に行って原住民にバースとか作らせてたんだろ
原住民にとっちゃローマが去ったところで生活レベルが極端に変わるわけじゃないよ
原住民がバースに入れるわけでもなし 言語がケルトからロマンス語に交代してるんだぞ?
下々の庶民の生活にまで影響与えてたに決まってるじゃん。 あと、属州エリートには現地人もかなり含まれてた。
現地人の貴族とか王とかがローマ風の名前名乗ってローマ風のヴィラ建ててローマ風の都市で都市参事会員とかやってたわけで。
そんだけローマ的生活スタイルの影響が強かったってことだろう。 数世紀の間に、ほとんどローマ人に同化してガロローマ人となったから、原住民もローマ系もへったくれもない。ガリア語も死語になったし。 大体、こんな話何回も過去スレに出てたことだけどな…。 ブリタニアの話は避けるのなw
しかもガリア出身の有名人なんてほとんどいないだろ
あと人口も中世より全然少ないんだからやっぱり未開なのも変わらん
フランスの人口は黒死病直前に1700−2000万に達するけど
ローマ時代は最盛期でも650−700万ぐらいしかいない
崩壊したあとは500万ぐらいに減ってるけどダメージは軽微だね
イタリアはローマ時代の最盛期の人口は1000万程度だけど
1000万規模に戻るのがルネサンス期だからな
やはり中世暗黒はイタリアの暗黒期と言った方が正しい 調べたけどガロローマって南仏限定だな
そりゃあそこは地中海世界だから早い段階でローマ化するだろうね、もともとはギリシャ人の植民地だし
北部はフランスでも発音が違うしラテン語化するのに相当時間がかかっただろうし
原住民の部族制も残ってただろうね
西ローマ帝国期でもブリタニアと同じくケルト人扱いで同化が進んでないのがわかる
どちらにしても中世暗黒とは他の地域の軽い衰退に比べてイタリアの没落が圧倒的なのである
文化レベルはルネサンス期にはローマ超えてるけど政治力が10から1になってるからどうしようもない 英語版WIKIで調べたけどゴール語は記録によると6世紀後半まで使われたみたいだ
やはり北部ガリアのローマ化はガロローマ人=プロヴァンス人みたいにすんなりいかなかったみたいだ
ローマ化といっても程度や時間の差もあるからな一律には言えない
まぁ細かい論点はいいんだよ他の地域と比較してイタリアが圧倒的に頂点から叩き落されたのが事実だから 6世紀後半と言えばユスティニアヌス朝期のペストの大流行だな
ブリタニアでもブリトン人が激減してアングロ・サクソンが多数派になった
アングロ・サクソンが自給自足的で地中海との交易を避けていたからようだ 90年代以降に発表された歴史人口データを調べて見たけど
600年ぐらいでヨーロッパの人口減少は底打ち
でだいだいイタリア以外は数世紀で回復するが
イタリアはローマ全盛期の人口に戻すのに1000年近くかけてる
属州依存だったのはっきりわかんだね ローマ時代の最盛期が基準という事なら
まずアウレリアヌス帝による城壁建造で
ローマの人口が100万→20万に減少した
イリュリア人皇帝がローマとイタリアを
特別扱いするのを止めてしまった ガロ・ローマの元老院貴族で名高いのは、シアグリウスを出したアフラニウス一門だろうね。
ローマ末期だけでなく、メロヴィング朝でも各地の司教や、外交官として六世紀まで活躍してるし。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。