キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか 2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
京阪電車の五条の駅で降りて東向きに歩いて行くと清水寺に至る前に浄土真宗のデカい寺の横かすめて通るだろ 十戒には「人間が造りあげた神像を崇拝してはならない」という
第一番目の掟があります。
自分の救いに都合のよいように心の中に造りあげた<神像>を崇拝することは、
神でないものを神として崇拝する罪です。
聖書を書いた人々は頻繁にこの罪を犯しています。
彼らは心の中に造りあげた神について<勝手な思い込み>で書いているからです。
神について色々と説明する宗教指導者は、神について自身の勝手な思い込みを
語ってますので偶像崇拝していることになります。 ユダヤ人自身がユダヤ教を「文字(ことば)の宗教」といってるがな
偶像崇拝は像を全くつくらなければ起こらない
キリスト教はかつて十字架を拝み、聖人を拝み
聖人の墓に触れて病気を治すなどと言っていた
そこまでいくとほぼ多神教時代の偶像崇拝だ
それもイコンなどから生まれているもの
聖書にかかれている「この地上天上いっさいのものの形を作ってはならない」
これを守ればほぼ偶像崇拝には行き着かない 同じくユダヤ教から派生して、偶像崇拝を禁じるとしてるイスラム教。
信徒の前でコーランの本を棄損すると、その本の所有者でもないのに、怒る怒る。
近代的な印刷技術で作られた安価な写本の1冊でも、な。
その教義を一字一句違えずに経本とせよ、詠みはマホメット当時の発音に従え、翻訳も禁ずる
というような、まさしく言葉の宗教の教義なのに、本の内容や誦ずるべき言葉ではなく、
形になった本の方に対して信心があるかのような振舞だ。
本の形の物に対して信心をはたらかせるっちゃあ、それはそれで偶像崇拝的だろ 懺悔すれば悔い改めればイエスが全部、罪をかぶってくれて、赦され、
天国で永遠の命なのです。
通常なら、罪の意識の直面に伴い、持ち合わせる筈の、悔悟や逡巡を経て、
成長するはずが、毎度毎度、イエスに神に、悔い改めさえすれば罪が赦され、
万事解決とする習慣・精神構造の中で生きてるので、永遠に、人間的成長の機会を
喪失するのです。
罪や過ちを神の名のもとに何でも正当化できるです。
キリスト教やイスラム教が世界に広まったのは、この「都合の良さ」が
あるからです。罪の赦しが、犯罪を正当化するのです。
だからイスラム国なんかでも、虐殺・誘拐・テロを神の名で正当化してます。
熱心なイスラム教やキリスト教の国が治安が悪く犯罪を止めない理由の根源は、
神による罪の赦しなのです。 >>522
仏教もどんな悪人でも阿弥陀如来にすがれば往生できるで >>523
私が念仏以外に何か別の極楽往生の方法を知っていて、またその方法が説かれている
秘密な経典を知っていながら、わざとそれを隠していて、その奥にあるものを
知りたいとここまで訪ねて来られたとすれば、大変な間違いであります。もし
そう思っていらっしゃるなら、奈良にある興福寺や、叡山にある延暦寺を
お訪ねなさるがよろしい。そこには、ちゃんと学問をなされた偉い学者さんが
どっさりいらっしゃいますから、その人たちにお会いになって、極楽往生の秘訣を
よくよくお聞きになるがよろしい。
私は、ただ念仏をすれば、阿弥陀様にたすけられて必ず極楽往生ができるという、
あの法然聖人の言葉を、馬鹿正直に信じている以外に、別の理由は
何もないのであります。念仏をすれば、本当に極楽浄土に生まれる種を
まくということになるのでしょうか。それとも、それは嘘偽りで、念仏すれば
かえって地獄に堕ちるという結果になるのでしょうか。残念ながらそういうことは
私はとんと知ってはいないのであります。たとえ法然聖人がおっしゃったことが
デタラメであり、私は法然聖人に騙されて念仏をしたために地獄に堕ちたとしても、
ちっとも後悔はいたしはしません。といいますのは、私が念仏以外の他の行を
一生懸命勤めて、その結果仏になることが出来るような身でありながら、
念仏をした為に地獄に堕ちるというならば、法然聖人に騙されたという後悔も
起こり得ましょう。しかし、私はそんな知恵も徳行もなく、念仏以外の
他の行によって仏になることなどはとっても期待できない身でありますから、
念仏の行によらなかったら、永遠に地獄にいるより仕方がない身なのであります。
だから皆さん、以上の私の言葉をとっくりお考えの上、念仏をなさるもよろしいし、
念仏を捨てなさるのもよろしい。全く皆様の自由勝手、皆様方がご自分で
お決めになることであります。
--- 親鸞『歎異抄』 バチカンは未だに中絶を禁止してる
そんなもの日本人が受け入れねえっての >>528
一揆を行う現場の人が考えたスローガンにすぎない。
「欲しがりません勝つまでは」が国家神道の教義でないのと同じ。 >>482
もちろん、神の殺人命令は直接来るのではなく、モーセやヨシュアのような
人間を通してやってきます。もっと正確に言えば、モーセやヨシュアは、彼らの
殺人計画を、「これは神の命令である!」、と権威づけて、彼らの追従者に
半ば強制したのです。
実は、ここに、信仰者のための、おそらく唯一の、救いの可能性があります。つまり、
神への信仰を棄てずして、自分の良心にしたがって、殺人命令を否定する方法です。
それは、神の意志と、神の代理者であるとみなされている人間の意志とは、必ずしも
同じとは限らない、という事実を認めることです。神の意志と教会の方針とが
必ずしも同じだとは限らないという事実を認めること(例・ルターの宗教改革)です。
聖書も創世記から黙示録に至るまですべて人間が書いたものです。聖書は神の言葉だ、と
書いたり言っている者たちもみんな人間です。現代の教会を運営している方々が、
たとえ立派な人々ではあったとしても、この人々の意志が完全に神の意志と
一致しているわけではないように、初期のキリスト教会やイスラエル国家を
運営した人々(聖書を書いた人々)の意志も、必ずしも完全に神の意志と
一致しているわけでもないと考えるのは当然と言えるでしょう。これは、実は、
神以外のものを神としない、という聖書の根本的な教えにもなるのです。
こうして、信仰者は、神への信仰を棄てることなく、もし、自分の良心に逆らう命令
(神の意志とは思えない命令)であれば、神の代理者として、自分の前に立ちはだかる人々の
命令を堂々と拒否することができるのです。そして、なによりも、神の前で、
頭をあげて自分の取った行動を釈明することができます。 カトリックには堅信があります。
15歳までにこれを受けると一人前のカトリック信者になります。
それまでは、一人前の信者としてみなされません。
昔は、キリスト教ではない者は人間ではない、という考えがあったので
児童・幼児に対する虐待も、それを引きずっているのかもしれません。 ラーメン屋の店長が、こっそりチンポをスープに浸けてるって知ると、どの店も信じられなくなるだろ?
それと同じなんだよ。 ゴールドラッシュ時代のカリフォルニア、日本が黒船とか戊辰戦争でてんやわんやしている時分ね、
清国人の移民というか半分奴隷みたいなもの、鉱山の採掘とか田畑の所有は禁止されていたけれど
サービス業は比較的自由だった。
洗濯屋と飲食業が多かったんだけれど、しばしばスープに尿をいれたとして、縛り首にされていた。 >>531
カトリック司祭は女犯戒あるから男の子で代用
日本の仏僧かて女犯戒あった時代には男の子で代用してたで カトリックは一番変わりました。
異教・異端は殺してあたりまえ。教会が率先して神の名のもとに処刑をおこなった。
異端狩り十字軍、帝国主義による侵略、植民地支配・・・・・
カトリックの総本山バチカンのローマ法王は
「神の名の下に、先住民に対したくさんの深刻な罪が犯された」
「アメリカ大陸征服の際、先住民に行われた犯罪行為について
謙虚に謝罪したい」と示している。・・・・・そして
「誠実な心で神を探し求め、また良心の命令を通して
認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動によって
実践しようと努めている人々は、救いに達することができる」
ローマ教皇のコメント
「諸宗教の行動と生活の様式、戒律と教義を、
まじめな尊敬の念をもって考察する。それらは、当教会が保持し、
提示するものとは多くの点で異なってはいるが、
『真理』のある光線を示すことがまれではない。」
・・・・・となりました。
カトリックが存続できるのは、科学に限らず思想も常識も時代にあわせて
変遷させて存在を維持しているから。
現代では、神の名のもとの処刑から真逆の「人間の尊厳」を言い出し
新しい時代の風潮に合わせて次々に変遷して延命をしている。
そのくせ児童の人間性抹殺になる性的虐待については加害者をクビにし
「被害者に寄り添う祈り」と言っている。
それでバチカンは生き残れる。 ラーメンのスープにチンポ浸けて販売しても許してくれる? >>535
ホモは禁止ちげーのかよ
ホモが多い町2つが神の怒り触れて天罰で絶滅したとか言うソドムとゴモラの教訓はどうしたよ ホモは少年期にホモにホモセクハラされて連鎖する
ショタはホモの継承点
わかっててそれを否定するバカは呪われろ 異性愛・恋愛を禁止しています。
マタイ5:28
女を見つづけてこれに情欲(エピスミア・愛)を抱く者はみな,
すでに心 の中でその[女]と姦淫を犯したのです。
世を愛することも世にあるものを愛すことも禁止しています。
ヨハネの手紙一 2 :15
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、
御父への愛はその人の内にありません。
そして去勢をススメています。
マタイ19:12
天の国の為に自ら去勢した人もいる。これを受け入れることが
出来る者は受け入れなさい。 >>542 十戒〜キリスト教で禁じている「姦淫」とは、婚外の対象との性行為。
結婚していれば罪には問われない。
イエスはそれを徹底させるため、心の中で恋愛感情・性衝動を抱くことも禁止した。
自分が結婚していない相手や、他人の結婚相手に対して
恋愛感情・性衝動を抱いてはいけないということだ。
決して結婚相手に対する愛を否定などしていない。
その「世」とは、キリスト教集団の外側にあるものを指す
すなわちイエスの磔を要望し黙認し実行した当時の周辺世界の体制、
ローマ帝国と、ユダヤ教徒自治集団のサンヘドリン体制だ
引用箇所の続きを読むといい
「16節 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、
父から出たものではなく、世から出たものである。17節 世と世の欲とは過ぎ去る。
しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」
「肉の欲、目の欲、持ち物の誇」とはギリシャやローマの異教世界の文化、経済体制、
それと妥協するサンヘドリン・ユダヤによる繁栄であり、父から出たものとはイエス教団と未来のキリスト王国のこと。
去勢は「できるならやれ」「それぐらいの覚悟をしろ」ということ。ラクダが針の穴を通れるなんてイエスもさすがに思っていないのに言う、いつもの極論 >>542
で、死海文書の発見でそれが覆った
禁欲宗教はエッセネ派との関係を決定づけてしまう 運命共同体である我々の中だけの規則です。
それを書いただけなのです。
他の諸部族にはそれぞれ信じられている神々があるけれど、
他の部族に何かを強要するわけではありません。 スープにチンポ浸けたラーメン屋の店長は、どうなるの? 「人の子」というキリストを表すことばはエッセネ派の聖典であるエノク書に頻繁に出てくる
つまり本来キリスト教とはエノク書の予言の成就としてあらわれた宗教だった キリスト教の起源は一つではない
「奇跡のラビ」説話、「とんちラビ」の系統の説話、それに
ゾロアスター教、アトン崇拝などオリエントの古代宗教いくつか、
それとは別にパンと魚とワインの地中海カルトがあったらしい パンとワインの聖餐はエッセネ派もそのままやってる
罪の浄化のための洗礼もそう 最初のキリスト教も、様々な教えをする教団がありました。
それが4世紀に正統派に1本化され、その教えに従わない教団は
異端とされ、悪いものとして排除されました。追放や死刑にされ、
ローマ帝により教えの文書を燃やすよう命令され残っていない。
正統を正統たらしめる権威---それは反対派を死罪にできる権威---が無くなってからは、
また最初の状態が出現した。人間の宗教心の特性はそういう多様性を持つものです。
人の神への理解は多様に花開くものです。 仏教の陰に隠されていたから意外に信徒は多いはずだ。宗教を改宗までつなぐには
歴史的時間がかかる。 初めまして。
難しい事は全然分かりませんが、私は12年前にカトリック教会で洗礼を受けた者です。
実は、何と12年かかって、キリスト教が大嫌いになりました。
教会での差別的仕打ち、イジメ、そしてクソ真面目に聖書の教えを守ろうと必死にがんばって、
ハッキリ言って人生酷い目に会いました。
神父からも「ストレス発散の対象」ばりに冷たくされ、シスターからは「離婚経験者」ということで、ゴミクズのように言われました。
何か「福祉的」な活動にやたら駆り出された挙げ句、「あんたはこれやっててね、私はミサに出てくるから」と、教会の建物の外でミサの間中雑用。
そんな事がしょっちゅうでした。
さらに、散々お世話した「代母さん」が、老人施設に入ってしまったので、お見舞に行こうと思って施設に念のため電話したら、
「教会関係の人だからって、別に来ていいわけじゃありませんけど?」
・・・他の信者さんは行ってるのに。
しかも、散々お世話したはずの自分が、「余計者」扱い。
馬鹿馬鹿しくて、ついにキレました。
キリスト教関係のもの(ロザリオ、絵、ミニチュアイコンなど)全て段ボールにしまって、今後一切キリスト教には関わりたくありません。
何か愚痴になってしまいました、ごめんなさい。
とにかく腹立つ。教えも、今となっては
「きれいごと言ってんじゃね〜よ、偽善者の集まり!!」
としか思えない。 テメーら全員クタバレと言ってあげなさい。神はあなたを優しく見ておられます。 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。
しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。
キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように
なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが
説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの
磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。
彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。
こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。
この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに
無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 究極的にはキリスト教の思想の根本には「審判」の思想があります。
聖書は「救いかそれとも滅びか」と迫ります。
片方の道は「死」「永遠の滅び」「地獄」「悪」の道です。
それゆえ、聖書とは、それをまじめに読む者に「信じるか死か」と迫る
一つの「逆踏み絵」であるとも言えます。
かつて、キリシタンたちは「棄教か、さもなくば拷問と死」の選択を
迫られましたが、聖書を読む者も、「信じるか」さもなくば
「火と硫黄の池に投げ込まれる」(ヨハネの黙示録20:10)か、という
選択を迫られているからです。
心の底から納得しているわけでもないときにも、信じなければならない
--- そういうふうに自己を追い込む一つの強制的装置のようなものが
聖書の思想の構造にあります。 旧約聖書の創世記を要約すると↓
エデンの園でアダムが言った。
「神様、聞いてください。ここは美しい楽園です。でも、私は孤独で
しょうがなく、リンゴを食べてしまいそうです」
「分かった」神は答えた。「では、私はお前のために、女を作ろう」
「女って何ですか?」アダムは尋ねた。
「彼女は、穏やかで優しく受容的な性格の生き物だ。
お前の言いつけを守り、決して逆らわず、勤勉で、倹約家でもある。
しかも、彼女は魅力的で、美しい。
洗濯をしたり、料理をすることが出来る。それに
ベッドの中で、彼女はとても素敵なことをしてくれるだろう」
「なんだか面白そうだな」とアダムは言った。
「よしよし、では女の創造にとりかかるとしよう。
そのためにはお前の肋骨を12本、それに心臓と胆のう、それと
片方の目を材料として取り出さねばならぬ」
「えっ、それは困るなぁ。なんとか肋骨一本くらいに節約
できませんか?」
「う〜む、少し難しいがやってみよう。
そのかわり、出来の方は保証しかねるぞ」
こうして女ができた。 神と人類の間の断絶を生んだアダムの罪が重ければ重いほど、断絶が深ければ深いほど、
イエスの死の価値が上がります。
「悔い改めて神に立ち返れば、そこに神の導きと祝福がある」という旧約聖書、
「悔い改めよ、神の支配は近づいているのだから」というイエス自身の教え。
「アダムの罪は神と人類の間に、我らの教祖であるイエスの死を仲介にしなければ、
取り戻すことのできない決定的な断絶を生んだ、よって、我らの教祖を信ぜよ」という
教えがキリスト教。 そのアダムの罪とはなんだったか?
アウグスティヌスは性行為と言ってる
つまりアダムとイブが性行為という死に至る悪徳を生んだゆえに人間に悪徳が芽生えた
故にキリストの教えにしたがって、修道院に入り、性行為をたち、ただしく生きれば天国へ行ける
という
エッセネ派と同じ競技だったのが初期キリスト >>56
そのくだり、ほとんどそのまんますぎて長さ的にちっとも「要約」になってないだろう
長文なのは構わないけど、なんでお前の書く文章ってこうだらだらして中身がないの ガンジーはこれ(神=キリスト教徒自身(=ほぼ悪魔))を見抜いていたようです。
『西洋のキリスト教が実際に行っていることを考えるに、キリスト教ヨーロッパは、神の、あるいはキリスト教
の精神を代表していない、むしろサタンの精神を表している、というのは私の堅い信念である。
そしてサタンの成功が最大のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである』 (ガンジー)
ろくに修行もせず努力の
必要性を投げ捨てている愚者だけが
即・神と直通になれるなら、人間が神によって腐り切ってしまうのも
仕方がない… 自己の願望・自己愛が神の名で増長していくだけの、愚かで無効な信仰がキリスト教です。
「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」(コロンブス) 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。
「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。
しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。
キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教徒は服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。
こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」
もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように
なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。
一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。
小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが
説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。
外国人たちが掲げていたキリストの
磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。
彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。
「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。
こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。
この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに
無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。
「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 キリスト教が世界各国の植民地支配の前段階で宣教されていったのには
理由がある。それはキリスト教会の教えが服従の構造を生み出してくれるからである。
キリスト教は神、キリストへの服従、愛、受容
(または寛容)、忍耐を教える。これら一つ一つは素晴らしい道徳であり、これらを守り生活すればより豊かな人生を歩めるだろう。しかし、これは個人レベルの話しである。
民族とか国家という大きな枠組みでキリスト教の
教えを受け入れてしまったならば、それは悲劇をもたらすことになる。
支配者にとって被支配者はなるべく自分たちに従順であることが望ましい。
その次に望ましいのは不満を持ちながらもそれを爆発させずに反抗しない被支配者である。
キリスト教の教えは被支配者に服従の構造を与えてくれる。
たとえ、自分たちの支配者が自分たちに不利益な行いをしようと、愛と受容と忍耐を教え込まれた被支配者たちは、支配者たちに抵抗することは無い。
それは、抵抗することは教会が教える愛の精神に反するからである。殴られたら殴り返すのではなく、ただ無抵抗に耐えるのが教会が教える愛と受容と忍耐である。 また、この世での不満があっても、キリスト教は御国=天国という次の理想的な世界を教えてくれる。
この世が不条理であっても、死んだ後は何の不満もない理想的な世界が待っている。ならば、この世では不条理を耐え忍ぼう。
生きている限り我慢しよう。その様な精神を生み出してくれる。
キリスト教の教えは御国=天国という来世の餌をぶら下げることで、被支配者の現世での不満を抑え込む構造を持っている。
もう一つ、キリスト教は人間を超えた、神やキリストという存在を教える。
そのような教えを受け入れた信徒たちからすれば、この世で不条理な抑圧を受けても、その様な存在がいつかは自分たちを救ってくれる
という淡い期待を持つ。これは心の治療薬であり、多少なりとも不満を和らげる効果がある。
これらの要素が絡まり、キリスト教は被支配者に服従の構造をもたらし、支配者たちにとって都合のよい
「良い被支配者」を作り出してくれるのである。 Re: 嘘八百
> 世界大戦の殆どはキリスト教が原因
そう言うと、クリスチャンは決まってこういう反論をします。
「戦争を起こすのは人であって、キリスト教ではない」
逆に、クリスチャンによって何か都合の良い出来事が起こると
「キリスト教のおかげ」だと誇らしげに言います。
都合が良い時はキリスト教のおかげ、
都合が悪くなるとキリスト教は関係ないとのたまうのがクリスチャンです。
> アダムとエバは不良品
>
> 不良品を造った神は無能
>
> になりませんか…
全くその通り。
旧約聖書の神の性格をそっくりそのまま人間に当てはめると、
実に怒りっぽくてわがままな人にしか見えません。
クリスチャンは息を吐くのと同じように「神の愛」とよく言いますが、
聖書に書かれていることと同じことが目の前で起こった場合、
本当にその神の御業に感動するのかどうかは疑問です。
旧約聖書の初期の時代では、人間は常に神に監視されていて、
罪を犯す者を容赦なく罰していました。
クリスチャンは本当にそんな世界に生きたいと思うのでしょうか。 文章がダラダラして長ったらしく、そのくせ中身が何も無いのは朝鮮人の特徴 そろそろ日本で広まらなかった話をしない?
明らかに宗教板でやればいいレスばかりだよ。 古代イスラエル民族は、強力な古代エジプト王国やアッシリア王国やバビロニア王国に
そして後のローマ帝国などの強国に囲まれて、翻弄され続けてきた弱小民族でした。
今、虐げられている自分たちを救ってくれる本当に強い王がいる、やがてその王が
支配者となって、わたしたちの敵を滅ぼしてくれる、という強い願いです。
彼らにとって、王=救い主=油を注がれた者=メシア=キリスト、なのです。 真の自己を規定する永遠不変の絶対者が、どこか自己の内か外にあるとするような
独善的絶対主義につながる考え方は、絶対神を信じたことのない日本人の人間観から
あまりにもかけ離れた思想である。無常の思想であり、縁起の思想であり、
無我の思想である仏教が日本に深く根を下ろし、
絶対神の思想であり、永遠の魂の思想であり、
独善的排他主義の思想であるキリスト教が日本に根を下ろすことが出来なかったのは、
日本人の根本的人間観が和の思想のそれであったからである。
人間は皆凡夫であり、それゆえ誰も自己の正義や価値観を他人に押し付ける権利を
もたない、また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、
むしろ、皆和して衆議によって得られる理によって共同体を運営せよ、という
思想が日本人の根本的人間観・社会観であったからである。 ■朝鮮化した各キリスト教教団を警戒せよ■
朝鮮化したキリスト教といえば、「赤い十字架のウリスト教」「西早稲田2-3-18」というものがよく知られている。
逆に言えば「普通の十字架」で「西早稲田の教派とは別」であれば、無害と言い切れるのだろうか。
例えばカトリックや聖公会のように総本山が韓国でなかったり、日本発祥の教派であれば大丈夫なのだろうか。
残念なことに、一世紀近くソ連共産主義の弾圧を受け続けていた東方正教会以外は朝鮮化(ウリスト教化)されているといっても過言ではない。
SEALDsに多くの人材(笑)を排出し「偏差値28」の由来ともなったキリスト教愛真高校は内村鑑三が関係する日本発祥の教派の学校である。
なぜ日本国内のキリスト教はウリスト教化するのだろうか。その答えは聖職者の人材難である。
日本のキリスト教徒の比率は1%で禁教令が敷かれていない国としては世界最低である。一方韓国は総人口の3分の1がキリスト教徒である。
日本国内のキリスト教各教団は多くの聖職者のポストがある。しかし日本人信者の絶対数が少ないので、日本人で全てを占めるのが不可能である。
そこで各教団が目を付けたのが韓国人聖職者である。韓国人は日本語を解する者が多く、またキリスト教に纏わりつく欧米的なバタ臭いイメージを払拭するのには最適である。
しかし、ここにいる皆さんもご存知の通り、韓国人は反日カルト民族であるww。
韓国人聖職者は「説教」と称して反日ヘイトスピーチを繰り返し、教団の反日政治団体化を推し進めていった。これが反日キリスト教の正体である。
心ある日本人信徒は直ちに団結して、教団の正常化を図らなければならない。そうしないと他の日本人から「反日カルト宗教」と白眼視され、いつまで経っても1%の壁を乗り越えることはできないだろう。
それどころか万が一、キリスト教徒による反日テロリストを排出しようものならば、キリスト教徒はオウム真理教信者同様の扱いを受けることになる。テロリストの巣窟として迫害されて当然の存在に成り下がるのである。 キリスト教には、人類の悪の歴史にラディカルな終わりが来て、イエス・キリストが再び
この地上に戻ってきて、キリスト自身が王として千年間支配する新しい時代が来る、
という終末思想がある。それが「キリスト千年王国時代」の思想である。彼らにとって、
その未来の社会は民主主義社会ではない。「民主主義社会よりもっと良い」
愛と正義によるキリスト独裁社会においては、すべての人の人権は
完全に尊重されるからである。キリスト教信者がそのような
「キリスト千年王国時代」の到来を信じているわけではないけれど、日本人には
信じがたいほど、そのようなキリスト教信者がいる。
日本国家の政治史のほとんどが、天皇主義や幕府主義のような、政治・政体に
支配されてきたにもかかわらず、会議を重視する衆議主義がその中で根強く生き続けて
きた事実には理由がなければならない。
日本人が衆議主義を捨てることがなかったのは、あるいはまた、天皇陛下の勅令でも
幕府の国家政策でもないにもかかわらず、民衆から国家の政策にかかわる者に至るまで
「和」というものを日本人が価値あるものとして現代に至るまで受け継いできたのは、
もっと根本的な何か、つまり、日本人の人間観にあると考えなければならないと思う。
それが、人間は純粋に賢人でも愚人でもなく、賢愚あわせもつ「凡夫」である、という
人間の見方である。それは人間を「悲しい存在」として見ると同時に、そういう人間を
受け入れる無言の相互理解の上で人間関係が成り立っていることを意味するもので
あって、日本を代表する宗教や芸術にも深く浸透している人間観なのである。
このような人間観を持つ社会では、神からの絶対的真理を預かっている
預言者の言葉ではなく、相互の話し合いによる決着が、その決定機関とならざるを
得ないであろう。和の思想にとって衆議主義は論理的に必要とされているものなので
ある。 キリスト教がひろまらないのは、単純に理屈に合わんからやろなぁ。
上でも言われているようなアニミズム、自然現象である災害や万物に宿る多神は生活に関わりがあって、それぞれ性質も対処法も違うことを実感しているが、
そこに一神教が来て乱暴にそれらを全部一絡げの人格にして「唯一神を崇めなさい」って言われても「ハァ?」でしょ
そんなペテンに乗る程、日本人は馬鹿じゃなかったってだけ。 べーつに、キリストの考えが悪いわけじゃねえんだけど
キリスト教やってる奴に悪い奴が多すぎたんだよ
博愛主義で自分の身を犠牲にすんのはかまわねえが
博愛主義を他人に求めたらそれ侵略だから
まず自分がぶん殴られても反対の頬を差し出し、無抵抗を示すんならいいが
手を上げろ、我々に従えってやってきたのが白人よ
自分達がキリストの教えを守るのではなく
他の連中に教えを無理やり押し付けてきたのがキリスト教。 1,異教徒を認めない、フェニキア宗教は基本他宗を邪道視、独善的で敵を生産する
2,自分も生き物のひとつであるにも関わらず人間は特別としその他の命を蔑視する独善排他性
3,占領軍の宗教であったため土着文化を認めず殲滅してきた、その為今もって土着できない浮遊宗教
4,神を絶対視して強引に支配したため文芸復興やヒューマニズム、プロテスタント、共産主義、資本主義など多くのアンチカトリック主義を発生させ世界に混乱に拍車をかけた
5,今もってピューリタンが幅を利かせ排他主義により世界を混乱させている
6,キリスト教の最大の矛盾は救い主であるイエスを木にかけ殺したことである、これの矛盾を解決するための手段が贖罪とか三位一体論とかの難解な言い訳になった ルソンを侵略して奴隷貿易をし、神社仏閣を壊すキリスト教徒に警戒を抱くのは当然だろ。 博愛を口では言いながら、手では暴力を振るうというやり方ははた目から見れば異様だろ。 不殺生を掲げながら兵隊囲う宗教が一番ポピュラーな国ってどこだっけ?w そもそも、キリスト教の教義に問題があると思います。
人間はすべて生まれながらにして罪びとだとか、
信じない者は救われないから地獄に行くとか、
キリスト教は表向きには良いイメージなのに、
言っていることを文字通り解釈するとカルトだと思います。
こんなことを何も知らない子供に吹き込むのはやめてもらいたいです。
大人は経験上善悪の判断ができますが、
人生経験もない純真な子供たちは
「フィルターなしに」何でもかんでも素直に聞き入れるのですから。 キリスト教は自分たちに都合のいい聖書解釈をして
何万何十万何百万の人間を殺してきた
殺人宗教団体だよね
そんな宗教のどこがいいのさ? クリスチャンが「〜のために祈ります」と言っているのは、
要するに自分が質問に答えられないのをごまかしているだけのことなのです。
私も牧師さんに悩みを打ち明けたことがありますが、
結局は「あなたのために祈っています」とお茶を濁されました。
良いことが起こったときだけ
「ほら、神様のおかげですよ、神様は本当にいるのですよ、
神様は祈りを聞いているのですよ、だから神様を信じましょう」
と、得意げに胸を張って神の正当性を説くのに、
悪いことが起こると
「神の御心は私たちには分からない」「〜のために祈りましょう」
などとごまかすのがクリスチャンの習性なのです。
今回のローマ法王の発言で皆さんよく分かりましたね?
日本のクリスチャンは日本でキリスト教が普及しないことを嘆いていますが、
クリスチャン人口を増やしたいなら、
誰もが納得できる答えを用意してはいかがですか?
しかし、「神の代理人」でさえこの程度のことしか言えないのですから、
これで神の愛を信じろと言われても無理です。
あきらめてください。 まだ二千年程度だが、死刑の成り行きが評判が悪いのが穴だな。
人が最初に墓をくぐったわけじゃない。それがキリストだ。 日本人のキリスト教徒は、不味い料理をブランドイメージだけで美味しいと言ってる人間に似てる。
キリスト教=西洋ブランドなんだよ。これが、崩れたらキリスト教など何の価値もない。 キリスト教徒で不思議なのは、災害が起きたら略奪が当たり前だし人殺しも平気なところ。
こちらでいうお天道様が見ている、すなわち(キリスト教の)神が見ていると言う発想がまるで無い。
少なくとも災害だらけの国にこれはミスマッチだろう。 キリスト教が最も反人間中心主義(アンチ・ヒューマニズム)である。
キリスト教は人間が原罪を持つとする。
よって人間が生み出したヒューマニズムに基づく文化や制度とは根本的に衝突する。
それがこの信仰の本質。
その闇が覆った中世から復興させたルネッサンスは、
ただ文芸の復興というものではなく人間性の復興だった。
しかし忘れてはいけない。
キリスト教は人間は生まれながらに罪の中に居ると教える。
そうである限り人間性を否定するのがキリスト教の根源であり、
それを多くの欺瞞的言辞と活動で覆い隠しているだけだ。
神に従わない者は抹殺して信徒だけの神の世界になるのを待望する本質は
何も変わっていない。
現代では[イスラム国]がやっていることと同じことを
キリスト教が再開してもおかしくはない。本質はそうなのだから。 もともと仏教優勢なのと現代日本で布教してるのが胡散臭いからじゃね。うさん臭い冊子配るやついたり、胡散臭い看板を自宅にはってたり、小学生の頃そんなの見て警戒心生まれた。 いや、十分広まってると思うよ
日本の他の神々より知名度高いし
ただ、他の八百万の神々を排除してキリスト教の神だけを信じる事はしないよね
新しい神はただ追加されるだけだから 日本の根幹にある宗教観は自然信仰だし、天皇の存在も大きい
現在知識と自然信仰が合わさると信仰心なんてほとんど生まれなくなるだろう
基本的には無神論者になる可能性が嫌でも強くなる
あとは真面目に考える人にとっては
キリスト教が如何にいい加減で都合のいい宗教家は歴史が証明している
これを信仰する馬鹿はいないだろう
「信仰するべき宗教」としてならイスラムとかみたいな戒律がしっかりしてるものの方が適任
実際は宗教なんていらないになるが… キリスト教徒は、地球がGODによって造られたり、人間が土から造られたり、女が男のあばら骨から作られたり、キリストが処女のマリヤから生まれたり、死んだキリストが生き返ったり、こうした話を真面目に信じている人たちです。
多くのの日本人は、そんな有り得ない、ヘンなコトを真面目に信じられる人はアタマが狂っていると思います。
もう一つは、キリスト教のみが最高で他の宗教は劣っているとする、独善性です。
それは日本人からすれば、鼻持ちならないイヤな奴です。あなたも、きっと周りの人にバカにされ、友達もいない人、変わり者として思われているでしょう。 いや聖書読んでみたら分かるけど人名とか地名とか、あと細かい考え方とか前提とされている文化習慣とかね、完全に異国でなんか感覚的に全然分からんって感じるもんだから。極度に舶来モノが好きなミーハーな人しか信じるのは無理だよ、あれ。 ●仏教の場合
親鸞「おまいは私の言うことが聞けるか?」
唯円「もちろんです。親鸞聖人のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
親鸞「それでは人を千人殺してこい。そうすれば極楽浄土に行けるぞ。」※
唯円「ちょwww聖人様www。それはいくら何でも無理でございます。」
※もちろん親鸞は千人殺せば極楽浄土に行けるとは本気で思っていない。
もし唯円が「かしこまりました。これから人を殺してきます」などと言ったら
「ちょwwwおまwww。」と親鸞は言って止めさせるだろう。
●ユダヤ教・キリスト教の場合
預言者「おまいは私の言うことが聞けるか?」
信者「もちろんです。預言者様のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
預言者「それでは人を千人殺してこい。そうすれば天国に行けるぞ。」
信者「かしこまりました。預言者様のおっしゃることならば、一万人でも一億人でも殺してみせます。」
これがユダヤ・キリスト教クオリティwwwww >>591
そりゃ、宗教が必須の中世の前半に、ユダヤ教かぶれキリスト教かぶれ自称メシアのマホメットが、
そういうものを統合してやると意気込んで作ったものだから、弱点は或る程度克服されてるわな。 キリ教系の学校行ったけど、宗教主事はクズだった。キリ教信奉しても同じ人間で、高潔な人もいるしクズもいる。宗教は人の本質を変えない。
戦国時代のイエズス会士が、本国への報告で日本は貧しく、男は貧弱で女はブスだから、奴隷としても価値がないので、遠路航海して侵略するにはコスパが悪い、と言ってくれたおかげで、日本は大陸のように蹂躙されなかった。
どの民族にも一定数発生する宗教依存が、日本の場合はキリ教に向かわなくて良かった。。 >>594
●仏教の場合
尊師「おまいは私の言うことが聞けるか?」
林郁夫「もちろんです。尊師のおっしゃることなら、私は何でも行います。」
尊師「それでは人を千人殺してこい。そうすれば解脱できるぞ。」
林郁夫「かしこまりました。尊師のおっしゃることならば、一万人でも一億人でも殺してみせます。」
注:たとえ話でもなんでもなく実話です 教会にお試しで通ってみた感想だけど、最初は耳障りのいいことを言う。嘘は良くないとか人に優しくしようとか。
でも少し聖書を読み進めるとすぐにきな臭くなる。信仰心を試すとか言って息子を生け贄に求める、親父はなんの疑いも持たずに捧げようとしてるし。
そもそも全知全能と言うわりにはソッコーで楽園に蛇が入り込んでるし。警備の天使何してた。
人に優しく、隣人を愛せ、ここで言う「人」とはクリスチャンのこと。異教徒は犬扱い。犬にパンはあげられないとか言い出して相手がテーブルからこぼれたパンくずならよろしいでしょうかとかへりくだってやっと人間扱い。(パンとは恵みのこと=クリスチャンになります) 神を信じる善人は救われ、悪人は地獄に落とされ永遠に苦しむ。
それを分ける審判の日は近い。
と、言い続けて2000年経ちました。
未だに審判の日は来てません。
日本人 まだ、信じているんですか?
神学者 永遠の存在である神にとって2000年などは一瞬だ。
日本人 じゃあ、何千年待てばいいの?
神学者 だから、もうすぐだから。
日本人 だめだ、こりゃ。 > キリスト教はたしかに大勢の人を殺してきました。だからキリスト教はダメだ、っていうんじゃなくて、そんな過去の過ちも受け入れて反省することが大事だと思います。
そして同じ過ちを犯さないようにしようと頑張っていくことが大事で、今のキリスト教はそのために日々頑張っていますよ。
いえ、キリスト教はダメです。
世界の治安にどう貢献したのでしょうか。
どういうわけかキリスト教圏に限って治安が悪く、
例えば中南米は
クリスチャンが多いのにどこも著しく治安の悪い国ばかり。
アメリカでも銃撃事件が日常茶飯事ですよね。
日本に原爆を落としたことを絶対に謝罪しないくせに、
慰安婦の捏造話を信じて韓国の味方をして日本に謝罪しろと言ってくる。
ヨーロッパは
今や難民が大勢押し寄せ治安が著しく悪くなっています。
私がクリスチャン時代だった時にも
難民のための募金活動がよく行われていましたが、
あんな奴らのために募金していたのかと思うと腹が立ちます。
キリスト教があちらの社会にどう貢献しているのでしょうか。
むしろクリスチャン人口の極端に少ない日本の方が治安が良いです。
> なんせカインとアベルの話かを引き合いに出すのはちょっと暴論だと思います。それに50%じゃなくて25%ですよね。
アダムとエバの時代なら犯罪率100%ですよね。 Re: タイトルなし
> 教会っていう集団はね、弱き人・迷える羊を排除する性質を持つんですよ。
> 信仰に疑問を持つことは誰にでも起きることなのに、それを認めず『脱落者』の烙印を安易におしてしまう。
> 救う能力はないんです。集団であるが故、異質を排除する性質が出てしまうんですね。
> 一匹の子羊を救う心のある教会よりも、99匹の子羊を大切にするのが教会なんでしょうかね。
教会は自分たちに都合の良い人しか助けてくれません。
一般社会と何ら変わりません。
にもかかわらず、神を信じない一般社会を見下し、
自分達こそが正しいことをしているとのたまう姿が偽善的です。 東アジアで最もキリスト教を受容した朝鮮社会がその後どうなったかはごらんのとおり。
朝鮮の人々が誇るところの少ない祖先の隷属の歴史を消し去ってくれるキリスト教に雪崩を打って駆け込んだのは、無理もない事だろう。 キリスト教会に、12年近く行きましたが、ほとんどの奴らが、
人の幸せなど願わない、クズどもだとわかりました。
「戒め」を守る私って、清らかでしょ?
「イエス・キリスト」の福音を知らない人って、かわいそう。
「ほどこし」をする私って偉いわ。 みたいな。
選民思想と虚栄心が渦巻く、吐きそうな世界でした。
その後、いくつかの教会を見てきましたが、「信仰」という言葉とは
ほど遠い人たちが、いっぱいいました。もちろん、
誠実な人たちにも、たくさん会いましたが、それは少数派ででした。 >>600
> キリスト教があちらの社会にどう貢献しているのでしょうか。
ヘイトクライムで治安対策や軍事産業への景気刺激。
キリスト教やイスラム教がもたらす常態的な治安の悪化は、軍事技術の発達に大きく貢献する。 治安が悪く蔑むべき異教徒や異民族が身近にいると、一神教の信仰の素晴らしさを感じることができる。
攻撃性や残忍性や差別思想を忌むべきものではなく良いものとして肯定してくれる宗教、それが一神教。 信仰のすばらしさを感じるには治安の悪化が最も効果的。
健康のすばらしさを感じるには病気になるのが最も効果的なのと同じ。 人々の信仰心を呼び覚ますには、天変地異や治安悪化が最も効果的。 >>599
落語でそれに似た噺があったよね。
万年活きる亀を買い求めて買い始めたら翌朝に死んでしまったとかいう 日本にキリスト教が伝来してから450年も経つが、今に至るまで日本ではキリスト教徒が人口の1%を超えたことすら無い。
どんなに布教しようが、GHQの占領政策によって強制的な欧米化を進めようが完全に失敗した。
それほど日本人の中にある日本文化、神道文化は深く強固なのである。(そして面白いのが、当の日本人が世界で一番その自覚が無いww)
一方、すぐお隣の韓国では、なんと国民の3割以上がキリスト教徒となっている!
しかもこれは、第二次大戦後からという異常なスピードである。
韓国でこれほど短期間に、異常なまでにキリスト教が普及したのは、朝鮮人の特有の姑息な『事大主義』によるものである。
つまり、万年属国民族とも言われる朝鮮人特有の奴隷精神。
もしイスラム教の教勢が拡大してきたら、
「これからはイスラームの時代ニダ。キリスト教は<゚听>イラネニダ」
「神道というカーフィルが巣くう悪魔の国・日本は消毒ニダァ〜」
朝鮮人の宗教観は非常に分かりやすい。 動物に魂はなく天国に行く資格が無いから
これはキリスト教のれっきとした教え。人間原理主義。
動物愛護をうたうキリスト教信者は教えにそむいている。 日本じゃもう、キリスト教だけじゃなくて宗教に傾倒しているだけで胡散臭い人扱いだから無理だと思う。
それにキリスト教が国教の国って戦争ばかりしてるし。 クリスマスとかのイベントは楽しむけどキリスト教の教義を真面目に実行するの面倒くさいもん。
聖書も教養として読んだけどもやもやする話多い。
元は中東で生まれた宗教が日本人に浸透しないの仕方ない。
キリスト教国でも犯罪がいっぱいあるの見たら何信仰してたって悪人はいなくならないのを実感する。
災害の多い国じゃ運が悪けりゃ死ぬ時はどうしようもない自然の力で死んだりあるし、八百万の神様をなんとなくゆるく祀るんでいいと思う。
皇族の人がキリスト教系の大学入っても別に入信してるわけじゃないし、最近の学習院はお金はあるけど良からぬ家庭の子供も入学してるとかで避ける気持ちがわからないでもない。 戦争するからこそ科学が発達し女性や黒人の権利運動が高まる。
戦争こそがもたらしてくれたにもかかわらず、日本人クリスチャンはキリスト教が科学の発達や女性や黒人の権利向上をもたらしたと曲解して喧伝する。
罪深い。 一神教は融和の心を捨てて戦い続ける勇気と力を与えてくれる。
戦い続ける勇気と力が文明を発達させる。 アメリカ人ですらキリスト教徒であってもほとんど信じていない
日本と同じでクリスマスをやるのと結婚式と葬式を教会でやるくらい
そしてキリスト教の正しさについては1000年近い異端審問で批判が禁じられてた分だけ否定論が山ほどある
中には裁判で間違っていると論じられた事もある
しかし、日本でクリスチャンと言うと大半が在日なんだが
日本人が胡散臭いと思うのがまずそこ 幕府がカトリックアンチな英国人とオランダ人を外交ブレーンにしたのもカトリック布教を阻んだという言説がありますね。 カトリックは多分受け入れられない
受け入れられるとしたらプロテスタント系か
マジック・ジョンソンみたいなちょっと羽目を外す人格者のが日本ではうけやすいだろな 主要宗教になるのは、国の支配者、支配階層に取り入るのに成功した時のみで、教義は関係ない
ローマ皇帝に取り入り、ヨーロッパ布教に成功したキリスト教、王子の言ったことを宗教化したのが仏教
したがって選挙でトップが決まり皇帝や王のいない現代ではどの国でもすでに不可能
日本は江戸幕府将軍に取り入れなかったので到底無理
大友宗麟で成功しかけたが軍事で負けて滅亡
インドや日本では貿易の利や軍事技術とセットで布教していたから、日本が分裂していたら危なかった 「イエスという方が罪の贖いの犠牲として十字架上で死んだ」「三日後に復活した」
「父なる神のもとである天国に帰った」「永遠の命が与えられる」
科学や理性や常識に照らし合わせると、とても矛盾に満ちています。
自らの心を麻痺させるほどの何かがなければ、とても、そのまま事実であると
信じることはできません。いったい、キリスト教の何が信者の心を
麻痺させるのでしょうか。それは、大きな見返り(救い)の約束であると、
考えています。それぐらいの見返りを得ることができるのでなければ、
人はそう簡単に自らの心を裏切って、信じることなどできはしないと思います。 洋ピンだとアヘってるおねぃちゃんは「イエス!イエス!」て絶叫するよね オウムとかパヨクを見てると、六十年代だかのアメリカのヒッピームーブメントとか思い出す。
あれってどういう顛末になったかご存知でっか。
ラブ&ピースとか言っててコミューンはカルト化、独裁化したんやで。内部がヒジョーに剥き出しの力関係になった。
男女平等もクソもなく、やっぱ男が独裁者になって、お山の大将が一夫多妻とかやり出しーの。社会実験としちゃ貴重な記録だ。
カルトと言えばアメリカでは人民寺院とかヘヴンズゲートとか集団自殺系の新興宗教があった。
オウムもこっち方面に行きゃ良かったのに。人様を殺すんじゃなく。
でもパヨチンのご先祖様の新左翼も総括といってリンチ殺人してるし、日本のキチガイ集団の特徴なのかも。 友愛ってやつか。民主党政権時には代議士の変死多かったよね 広めないストイックさも信仰の順序、改宗教養のなさがよく、
掬いが遅れるようにだけは気を配るとよいのかもしれません。 >>622
人民議員もヘヴンズゲートもグノーシスだとすれば
キリスト教本来の形もそうなんだろう
一部仏教も キリスト教の気違い狂気のカルト宗教的危険性は、
自分自身の信じる宗教的な異常さを指摘すると、
殺戮や裁きの拷問や地獄をイメージしてその本性の悪魔性質をギラギラさせて、
神の名前を使って、敵を非難する蛮行だ。
これを平気で許可する宗教は野蛮な気違い狂気のカルト宗教である。
信じない者は殺しても殺されても然るべしと本気で信じて、
残虐性質を肯定してしまえる気違い狂気のカルト宗教である。 日本のキリスト教会は教派が無数にあって
どれが主流でもないのが弱体化の一因
神道・仏教もそうかも知れんが、バラバラでまとまりが無い 「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
マタイによる福音書 / 5章 10〜12節
キリスト教批判するといきり立ってファビョる奴(中の人の正体かもしれないがww)がいるが、
神も己への迫害を喜べと言っているんだから、喜んだらどうだ?
何で不快感を露わにするんだ。
つまり己の信仰はその程度だということなんだよ。
かの日本二十六聖人はイエスと同じ磔刑で、刑場がゴルゴタの丘に似ているということで大いに喜んだそうだぞ。
聖人のように死ねとまでは言わないが、偉大な先人に学んだらどうだwwwww >>622
新左翼は一夫多妻まがいの強姦事件もやってるぞ。
四トロが有名(加害者多数)。 神の為なら殉教する必要があります。
ヨハネの黙示録 2の10
あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。
見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。
あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。
そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。
ヨハネの黙示録 12の11
彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
ヨハネの黙示録 14の13
書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。
然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。
神の為に殉教した者は、永遠の命が与えられるのです。 >>630
貧乏になりなさいとキリストは言ってるが
プロテスタント諸国の多くは蓄財を推奨してるね
なんでかわかる? カトリック教会の神父らが数千人単位の児童に性的虐待を行っていたとして世界中で抗議の声が寄せられているが、ローマ教皇はこれを「悪魔のせい」だと糾弾している。
ローマ法王によると、”悪魔”がカトリック教会の品位を下げるべく日夜活動を続けているようだ。特に世界中で報じられた教会の性的虐待事件は、”魔王サタン”に責任があるのだと言う。
法王は先月29日、教会の児童虐待事件に触れ、”悪魔”に負けないようメッセージを出した。
「カトリック教会は悪意ある攻撃、”偉大なる告発者(魔王サタン)”、愚行、腐敗行為から救われなければなりません」
性的虐待問題への怠慢でローマ法王に辞任を要求されたカルロ・ マリア・ビガノ元大使は、このメッセージに不快感を示している。
法王が「偉大なる告発者」という表現を用いたからだ。
これにより諸悪の根源は性犯罪者ではなく、悪魔の仕業になってしまった。
なおローマ法王は教会内部の腐敗や性犯罪が「魔王サタンの手引きによるもの」だと信じ切っているため、大天使ミカエルに救済を求めているのだという。
http://yurukuyaru.com/archives/77804909.html >>630
あ、そ
んじゃ貴殿から先ず殉教してくれ 宗教板からの遣いに何言っても無駄だぞ
マジモンの基地外なんだから エホバの証人は前千年王国説をとっています。
まずキリストが空中に再臨し、クリスチャンを空中にひきあげ(携挙)
その後大きな困難が地上を襲う(患難時代)患難期の最後に
ハルマゲドンの戦いが起こり、そのときキリストは地上に再臨し、
サタンと地獄へ行くべき人間を滅ぼし、地上に神が直接統治する
王国を建国する。千年が終わった後に新しい天と地(天国)が始まる。
この世はサタンが支配している王国であって、それに対して、来るべき
新天新地は天の父の御国である。その間の過渡的段階において
地上にキリストの千年王国が確立される。 戦国時代のキリスト教徒は博愛を口では言いながら奴隷貿易やってるし、
神社や仏閣は壊すし、如何わしさは感じたんじゃないか? 日本にキリスト教が伝来してから450年も経つが、今に至るまで日本ではキリスト教徒が人口の1%を超えたことすら無い。
どんなに布教しようが、GHQの占領政策によって強制的な欧米化を進めようが完全に失敗した。
それほど日本人の中にある日本文化、神道文化は深く強固なのである。(そして面白いのが、当の日本人が世界で一番その自覚が無いww)
一方、すぐお隣の韓国では、なんと国民の3割以上がキリスト教徒となっている!
しかもこれは、第二次大戦後からという異常なスピードである。
韓国でこれほど短期間に、異常なまでにキリスト教が普及したのは、朝鮮人の特有の姑息な『事大主義』によるものである。
つまり、万年属国民族とも言われる朝鮮人特有の奴隷精神。
もしイスラム教の教勢が拡大してきたら、
「これからはイスラームの時代ニダ。キリスト教は<゚听>イラネニダ」
「神道というカーフィルが巣くう悪魔の国・日本は消毒ニダァ〜」
朝鮮人の宗教観は非常に分かりやすい。 日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって
尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」
ということでした。 そして、「そのありがたい教えを聞かなかった
われわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、
ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は
苦労するであろう」と。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうした
キリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。 地方からソウルに移住する人はみな地方の両班の血筋だと嘘を付く
地方の平民出身ですなんて言ったら露骨にバカにされるからね
その際に嘘がばれないように檀家の寺と縁を切る
そして都会のキリスト教会に入信するのが偽両班のパターン 『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?
(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』
などと質問され答えに窮していたようです。
ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、
日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で
「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。
集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは個人課題ではなく
先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。
「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」といった、答えを個人の
観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、当時の日本人は本能的に気づき、
ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。 韓国人がいまエホバの証人に入信する信者が増えたのは、
兵役免除されると最高裁判決が出たらしいね 日本人にとって先祖の霊もみな家族だからね
目に見えない霊に洗礼は不可能だから、
日本人独特の宗教感にキリスト教はお呼びでなかったと。 その程度の想定問答集も持たずに宣教に来るのが悪い
本国でどんだけぬるい勉強してたんだよ ザビエルは、安国寺恵瓊や伊東マンショと同じく有力豪族の出自。 洋の東西問わずその頃の聖職者なんて貴族や郷士の次男三男ばかりだろ キリスト教はレイシズムとアパルトヘイトの精神的な支柱。
異教徒をジェノサイドするとき軍属区の牧師、神父たちが励ましと神の
祝福を与えつづける。
戦後になってもユダヤ人の改宗の祈りをずーっと続けていた。
教義を変更するのは戦後になってから。
偶像崇拝の仏教徒、多神教の神道、先住有色民族の3つ入ってる日本人は
ユダヤ人以下の神から祝福されるエスニッククレンジングのターゲット。
奴隷化してもいいし、国際法も守らなくてもいい、と考えていた。
原爆ホロコーストにおいても
エノラゲイにジョージ・ザベルカ神父が搭乗して
ホロコーストを励まし、祝福した。
先住民へのジェノサイドの時と同じ。
女性子供老人達を生きたまま丸焼きにする =(ホロコースト)
450年前にクリスチャンに出会ってすぐにキリスト教の本質を見抜いていた。
根本的な教義を変更するのは戦後になってから。
アメリカが黒人へのアパルトヘイトをやめるのが60年代になってから、
先住民の人権を認めるのは70年代に入ってから。
日本人の人種差別撤廃運動、太平洋戦争の功績。
バチカンとアメリカがユダヤ人に対するのと異なり、
日本人女性子供老人に対する原爆大空襲ホロコースト
を美化し正当化するのはレイシストだから。
民族浄化はキリスト教信者の伝統文化。 朝鮮の場合1895年に春生門事件という、ロシア軍・米軍がソウルで首相を暗殺しようとした事件があった。
このとき国王を守ったのがプロテスタント系の宣教師で、ここに国のトップとキリスト教が
結びつき、一気に布教が拡大した。
国のトップの一方に肩入れして食い込むのは他国でもやった常套手段 >>644
鎌倉仏教の前だったら布教は容易かったんだろうがなー 香山リカさんRT『ネトウヨの抗議でBTSがMステ出演中止、とか日本クソすぎでしょ。』→ 香山さん「ネトウヨさん、どんだけネタに困ってるんだろ?」
https://snjpn.net/archives/77097 祖先を否定するキリスト教は儒教的には本来相容れないはずだが、
儒教が士大夫階層に限定された価値観であったので、
儒教の国でも祖先を崇め、祀る風習の無い階層には受け入れられたのかもしれない。 >>644
>>653
つっても、16世紀末の日本の庶民は、そこまで祖先崇拝的じゃなかったんだけどね。
ザビエルの報告を、江戸以降的な「御先祖様ガー」の文脈で読むのは誤解を招く。
ザビエルが直面したのは、
「亡くなって間もない(遺族としての自分の記憶にある)親族が、福音を知らないというだけで煉獄行きになってしまう」
ことへの不満だったと考えるのが、今の日本史の知見に合致する。
まあ、江戸期ガーと書いたけれど、
実はこの話は今でも伏流するわけで、あれほど国学者や国家神道が国学の名のもとに儒教的「御先祖様」を煽っても、
「33年で原則として年忌はおしまい」という仏教の伝統はどうしても覆らない。
33年というのは、故人を具体的にイメージできる遺族が多数生存できる限界なので、
結局、日本人は自分が生前を知ってる親族以外には先祖としてのイメージが及ばない、ということがわかる。 蘇我馬子 → 我蘇りし馬屋の御子
厩戸皇子 → 厩で生まれた御子
聖徳太子 → 聖なる徳の高い大いなる御子
冠位十二階 → 十二支族、十二使徒
聖徳太子の逸話(十人の声を聞き分けた)→失われた十支族をまとめる長、レビ族 キリスト教は広まってないけどキリスト教由来の文化や制度はパクリまくってるよ キリスト教由来の文化ってそもそもないでしょ。
クリスマスは、欧州の冬至の日に太陽の誕生を祝う多神教のお祭りが起源だし。 キリスト教の文化というより、欧米の文化かっこいい!
ってことでありがたがってるんじゃないの? >>655
祖先ってなんなのだって話はしてるのかw >>651
ここではホロコーストしか言わないが、ホロコーストのは大量虐殺のこと、神の元での大量虐殺のこと。
これからの予言の言葉なんだよw >16世紀末の日本の庶民は、そこまで祖先崇拝的じゃなかったんだけどね。
>ザビエルの報告を、江戸以降的な「御先祖様ガー」の文脈で読むのは誤解を招く。
だから「祖先」「家」を意識しない階層には浸透しやすかったんじゃないか?
中国朝鮮では儒教を重んじる士大夫や両班では抵触したが、民間ではそれほど問題にならなかったらしいし。 江戸幕府の檀家制度はキリスト教を受容させないように
わざと「祖先」や「お家」を農民層にも意識させるように仕向けたという見方もできる。 >>665
日本人が祀る祖先は自分が見知ってる範囲内やぞ
墓参りして10代前の祖先に想いを致す日本人はおらんわ イエスは神であるが、人間の罪の贖いのために、人間として十字架にかかった、
というわけです。こうして、イエスは神人融合体になってしまいます。そして、
「イエスはキリストであり完全に神であり、完全に人間である」という、
誰も理解できない教義がキリスト教の正統となり、キリスト論は知的袋小路に
入ってしまいます。すなわち、伝統的キリスト教に従えば、「神のミステリー」という
言葉でしか十字架の贖いは「説明」できなくなってしまったのです。そして、
このことで、日本人にとって、十字架の贖いを理解することが、
二重に困難になってしまってしまいました。
日本人にとって、十字架の贖いが理解できにくいのは、それが、
「神の怒りをなだめるための生け贄」という、日本人にとっては極めて異質な
古代イスラエルの宗教的伝統に基づいたものだからです。十字架の贖いの思想の背後には
生け贄の血を見なければ人類を赦すことのできない神の姿があります。このことは、
「イエスはキリストであり神である」というもう一つの教義によって、
紛らわしくなってはいますが、生け贄の論理が成立するためには、どうしても
そのような絶対的支配者・王としての神の存在を前提にしなければなりません。
ところが日本では、神々や仏を相対化して平和共存させて、唯一の絶対的支配者としての
神の思想が育つことはありませんでした。しかも、生け贄を要求するような
一方的な強者は「悪者」と見なして、それを退治することを弱者を助ける正義と考え、
生け贄行為が美化されることはなかったのです。支配よりも平和共存(和)を
理想とする日本人の数千年にわたる長い伝統が、十字架の贖いの思想に大きな違和感を
抱かせるのだと思われます。 >日本人が祀る祖先は自分が見知ってる範囲内やぞ
>墓参りして10代前の祖先に想いを致す日本人はおらんわ
いや、だからキリスト教は一神教で、神以外を祀っちゃだめだし、
日本人とはいっても皇室や藤原氏や源平に連なる氏族は氏神を祀るだろ。 当時の日本人だって、ぶしつけに「汝悔い改めよ!」とか言われたら引くんじゃね? 数年前、旦那寺の行事「五重相伝会」に参加した。
そこでたっぷりと聞いた仏教教義に比べると、キリスト教の
教義はなんと薄い内容であることか。 >>670
キリスト教の教義が薄くはないが・・・
さしあたってこれでも試してみるかな。
http://www.books-ohta.com/images/ekc286x01.jpg
おたくの一年分の余暇を全部つぎ込んでも足らない分厚さだろう。 >>671
仏教はお経だけで8000巻くらいあるんだが。それに、解説書まで含めると分厚くなるのはどの宗教でも当たり前のこと。
神学大全読んだことあるけど、言い訳にしか感じなかったね。 キリスト教ってやっぱり浅い哲学にしか感じないんだよな。 旧約聖書は全編が物語で、読んでて面白いのだが、
新約聖書は説教臭くて、うそつけ!という話が多くて、読んでて馬鹿馬鹿しくなることもある。 文明が衰退したら、かえって信仰が高まるような気もするが >>676
旧約聖書長すぎだわ
モーセ五書だけ読んで後はペラペラーだわ >>667
>イエスは神であるが、
そこがそもそもの間違いの始まり
「唯一神」定義にも偶像崇拝忌避にも基本的なところで反している >>678
>後はペラペラーだわ
一瞬?と思ったが、パラパラー、ねw キリスト教はイエスを崇拝する人々が作り上げた
(決してイエス本人が作ったわけではない)
キリスト教徒はイエスを崇拝してるわけやが
アブラハム教の教義的には神ならぬ人間を崇拝するなど許すべからざる大罪や
そこで三位一体という屁理屈を捻くり出してイエス崇拝を正当化してしもた
三位一体によりイエス=神やからこれで大っぴらにイエスを崇拝できる >三位一体によりイエス=神やからこれで大っぴらにイエスを崇拝できる
そこにイスラム教がつけ入るすきがあったのだ >>682
それはない
1番面白いのは創世記。原点にして頂点だ 三位一体でイエスが神なら旧約聖書の神は、イエス・キリストなのか?。
イエス・キリストが人類を大量に虐殺したってことになるぞ。
神、イエス、精霊が一体って時点で論理的に有り得ないし。 >>686
そやから屁理屈なんや
そんな屁理屈こねてまでイエス崇拝したいんやったらアブラハム教から離脱して新宗教創始したらええねん
そんなんイエス本人は激怒しそうやけど 一言で言うと神学って言うのは聖書の辻褄合わせだろ。屁理屈。神学者の仕事は、屁理屈を考えることだろ。 >>689
悪事の正当化が仕事。善事でわざわざ神学の出る幕なし。 >>686
神は一つだけど旧約の神とイエスは別人だから洪水起こしたりしたのはイエスじゃないんだとさ
イミフ 旧約で妬む神とか言っといて異教徒虐殺と侵略と女の捕虜を肯定してたバリバリの戦闘狂が新約では異教徒も愛しなさいになるのは草しか生えんわ >>692
新約でもイエスは異教の祭りで屋台ひっくり返して暴れたりしてるけどな イエスは人を殺したり、殺人をそそのかしたりしてないからセーフでしょ。 >>694
ユダヤ神殿を荒らしたんだろ
当時今のメッカみたいにエルサレム巡礼が恒例行事になってて通貨を交換しないと神殿にいけないようになってた
イスラエルにとっては重要な産業だったわけだが
その施設を荒らして回ったらそら捕まるわ ユダヤ視点で見ればイエスはキチガイだったんじゃないのか?。 当時エルサレムで主流だったサドカイ派とファリサイ派どちらの教派も否定して改革を実施しようとしたのだから仕方ない
いつの時代も新興勢力は保守派や伝統的権威から嫌われる
キリスト教が凄かったのはイエスの死後の使徒達の布教活動だろう。ヨハネ以外の主要な使徒達は全員殉教したが キリスト教がインド周辺やアフリカを中心に信仰されてる宗教だったら、だれもキリスト教に関心なんて示さないだろう。
キリスト教は、西洋補正がかかってるから良く見えるだけであって、言ってること自体はたいしたことない。 >>700
印度発祥の仏教は?
わざわざ国禁を破ってまで印度に仏教を学びに行った玄奘みたいな人まで居るのに >>1
>キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか
>イスラム教は何故、日本で広まらなかったのか
自分なりの答えは
「東洋におけるキリスト教とは模擬イスラームだから」だな
東洋で単にキリシタンと言えば、イエズス会イデオロギーの信奉者でしょ
イエズス会や南蛮人の著しい性質は概ね
A. 政教一致(あるいは征布一致)
布教目的で侵略を繰り返した。今でも中南米やフィリピンでカトリック優勢
B. 信条差別
反抗的な先住民を奴隷にしたり虐殺した
C. 文化革命
征服地の在来文化を蔑んで破壊と再建を図る
テノチティトランを更地にしてメキシコシティを建てた様に
D. 信条浄化
本土イベリアで異端審問を行い、異教徒や異端を摘発、半島から排除した
E. 無限征服
限界を決めずに海洋進出した >>700
西洋補正というのはつまり経済力軍事力補正のこと、つまりマネーの宗教
最近は原油でうるおう宗教が伸張 これらを踏まえてイスラーム教典の代表的聖業を挙げると
a. 預言者ムハンマドはメッカ市民布教の為にヤスリブ軍を率いた
b. 気に入らない先住異教徒(クライザ族)を部族丸ごと抑留
成年男子を皆殺しに、女子供は生かし(て奴隷にし)た
c. 占領地メッカのカアバ神殿を接収
アラビア多神教の中心をイスラーム最大の聖地に作り変え、多神教徒を追い払った
d. アラビアを統一して盟主の座に君臨した預言者は
全異教徒(主にユダヤ・キリスト教徒)を半島から追放した
e. ペルシアやビザンツへの侵攻を企て、世界席巻を遺訓した
イエズス会のロールモデル全てはムハンマドに行き着く
イスラームの教勢拡大は武力が伴った
南蛮が武力で戦国大名に敵わなかったって事だろ だから、来日/在日/国民ムスリムにとって、大体の日本人は奴隷候補の先住民
【埼玉】難民申請中のトルコ人2人逮捕 女性(30)を強姦、強盗★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1456146767/
ttp://www.muslim.or.jp/hadith/vol2-493-2.html
この折、アッラーは、これに関する次のような啓示を下された。
「あなた方に禁止されている者は、夫のある女である。ただし、あなた方の右手の所有する者(奴隷の女)は別である」(クルアーン第2章24節)
彼女らのイッダ(再婚禁止期間)が終っていれば、彼女らとの性行為は許されるという啓示であった。
ttp://livedoor.blogimg.jp/the_radical_right/imgs/8/9/89c76725.jpg
浅草寺の仏像を破壊、サウジアラビア人の慶應大院生(31)を逮捕 「ほかの寺でも壊した」
http://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/news/1402480533/ 日本のキリスト教徒たちは否定するだろうが、よくよく見ればキリスト教徒もオウム真理教も信者の考えや質は大差がないのがわかる。
だって、日本のキリスト教徒ってオウム真理教の信者そっくりだし。 口では博愛や人類愛を説きながら奴隷貿易に手を染める、という精神構造がいまいち分からん。
「口で善を唱え、手で悪事を行う」というのがキリスト教の流儀なのか? 人間の真意を判断する基準として
「その人間の言っていることよりもやっていることを見ろ」
というのは洋の東西、宗教を超えたものがある。 >>706
アンバランスな比較しとるな
オウムと比較するんやったらキリスト教の○○教会やろ
キリスト教と比較するんやったら仏教やろ Re: 聖書によると全世界をクリスチャンにするのが目標では?
> 桃栗さんお久しぶりです。お元気ですか?そうですねえ。僕が嫁さんに付き合って行ってた教会もクリスチャンは異教徒より優れた人間だ。
みたいな感じでしたね。だから全世界がクリスチャンになったら平和になるとかゆう発想になるんでしょうねー。
僕は逆に世界中がこんな排他的な人達ばっかりになったら戦争ばっかりになる様な気がしますけどね
全くその通りですね。
クリスチャンは、とにかく自分たちが特別な存在だと思いたがって
いるのです。
まるで、雲の上から物を言うような人たちです。
全人類がそんな人ばかりになったら余計におかしくなります。
そもそも聖書を読んでみると
平和だった時代なんて一度たりともありませんから。 >>707
キリスト教徒じゃないものは人類じゃないから
言行不一致なんじゃなく物事のカテゴリーが違うという認識 「ヨハネの黙示録」6の9〜19の21、に記載されている
<未来のキリスト>の姿は、「自由人と奴隷、小さい者と大きい者」を
剣で殺して行ったり火と硫黄の中に投げ込んで行ったりする軍神「王の王」です。
この神の「御怒り」は、新約聖書「ヨハネの黙示録」の神です。
激しい復讐心にかき立てられて書かれた<復讐の書>です。
わたしはキリストである。
(麻原彰晃、『キリスト宣言:キリストの教えのすべてを明かす』
『キリスト宣言 Part2:再臨・裁き・終末』より、未見)
自分たちの教えに反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、
とするオウムの考えは、新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。
新約聖書の教えにそのまま盲目的に従えば、自分の生き方をキリストの生き方と
同一視する者が、自ら武器をもって、自分の教えを信じない者たちを
大量殺人(最終戦争)で処理しようとしても、なんの不思議もありません。
弟子たちに対する国家の弾圧は、はたしてこれから迎えるであろうハルマゲドン
[新約聖書、ヨハネの黙示録、15章16節]において、日本をどのような方向に
導くのか、わたしはそれを考えると非常に悲しく、そして哀れみの心が
出てくるのである。(麻原彰晃、『亡国日本の悲しみ』、197頁)
ここに潜んでいる問題は、「何が正しいか」を、自分で判断せず、神の判断
(神の言葉、聖書、教祖の言葉)に従う(自分の生き方をキリストの生き方と
同一視する)ことの危険性なのです。 まーた宗教板からの使者か
このスレはろくに話も出来んのか >キリスト教徒じゃないものは人類じゃないから
いや、日本に布教しに来た宣教師は
「お前ら異教徒有色人種は人間じゃねぇ!俺たち白人キリスト教徒が地上の主人なんだ!」なんて説いていない。
あくまで口先ではキリスト教の隣人愛、人類愛を説いている。しかし実際やってることは上の通り。 日本人もそうかもしれないが、西欧人も、
その人間の行いを確かめもせずに、口先だけで正義をいう人間に同調し、
安易に支持してしまう傾向がある。 宣伝は重要だよね。
昔の日本人が中国を礼賛したのは、中国について美化した古典のおかげ。
知識人ほど騙された。
中国に関する学問知識と醜い現実の著しい隔たりを自分の目で知る機会を得られる日本人は多くなかった。 広めない広まらない方が信仰に余剰があっていいのでは? Re: タイトルなし
> 教会っていう集団はね、弱き人・迷える羊を排除する性質を持つんですよ。
> 信仰に疑問を持つことは誰にでも起きることなのに、それを認めず『脱落者』の烙印を安易におしてしまう。
> 救う能力はないんです。集団であるが故、異質を排除する性質が出てしまうんですね。
> 一匹の子羊を救う心のある教会よりも、99匹の子羊を大切にするのが教会なんでしょうかね。
教会は自分たちに都合の良い人しか助けてくれません。
一般社会と何ら変わりません。
にもかかわらず、神を信じない一般社会を見下し、
自分達こそが正しいことをしているとのたまう姿が偽善的です。 宗教やってる奴って、みな、言ってることもやってることもそっくりだね。
キリスト教も、日本では胡散臭い宗教扱いだが。キリスト教の中で異端扱いされているエホバもモルモンも一般のキリスト教と大差ないからな。 「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
イエスは、完全な統合失調症患者。その症状としての誇大妄想から、
己が神になりたい、なった積りになっただけ。
彼にあるのは、先任者創造主が創造したあるがままのすべての人間に対する畏敬と愛の欠如。
彼は、「平和ではなく剣と敵対をもたらすために来た」
「俺を信じるためには、親も子も棄てよ」「俺を信じない者は、死すべき存在」などと」ほざいている。
十戒の「殺す勿れ」という無条件の戒めを否定した。
他の宗教でも、キリスト教の影響を受けると、例外なカルト化しているのが実態。
麻原も、キリスト教の影響がなければ、あそこまではやらなかっただろう。
ハルマゲドンは、聖書の言葉である。
中国最大の内乱であり、推定犠牲者数5000万人といわれる「太平天国の乱」の原因は、
首謀者洪秀全がふと手にした一冊の聖書だった。
太平天国は今でいうところのイスラム国である。
史上そして現在も、最も多く人間を最も残酷な方法で殺したのが、キリスト教である。
現在、カトリックがプロテスタントよりもマシなのは、
カトリックが、多くの聖人、マリア崇敬、荘厳な儀式、壮大な教会などの「人間的要素」を取り入れて、
イエスの狂気の直接の影響を防いでいるからである。
プロテスタントは、「信仰のみ、聖書のみ」で、現在まで続く新旧両教間の、
血で血を洗う大殺戮を生み出した。
イスラム教もマルクス主義も、イエスの「肉体(生命)を忘れた精神性という狂気」から発生したもの。
かの現実的叡智溢れる多神教国ローマ大帝国も、キリスト教によって国民の精神を破壊され、滅びた。
キリスト教とは、イエスの狂気の集団的一大感染という精神医学的現象以外の何物でもない。 そもそも言葉ではなく行動でユダヤ人をユダヤ教徒を解放したのは異教のキュロス2世だった、
という事実を糊塗するためにいろいろな理屈を「旧約聖書」に書いたんじゃないか?
例えイエスが教義の上で、どう言おうがこう言おうが、
結局メシアとしての業績は、クリスチャンには失礼かもしれないが、
キュロス2世には到底及ばない。 ユダヤ教やイスラム教が存在すること自体がイエスがメシアじゃない証拠だと思うんだが。
もし、イエスが本当にメシアだとしたらユダヤ人たちも認めてるし。ムハンマドがイスラム教を立ち上げることもなかっただろう。 文字が読めないムハンマドですら、キリスト教の三位一体はオカシイと言ってるくらいだからな。
キリスト教の教義なんて、この程度だよ。新井白石に馬鹿にされてたくらいだから。
西洋で信仰されてる宗教だから、西洋崇拝で神学とかちょっとかじってれば凄いと思う人もいるようだが。 キリスト教神学 = イエス崇拝を正当化するための屁理屈 近代帝国主義の成立以前でキリスト教が武力制圧してキリスト教を支配宗教にしたのってフィリピンぐらいじゃね? キリスト教の教え自体が元々そんなに良い教えじゃないだろ。ただ、西洋かぶれの日本人クリスチャンが自分は西洋の宗教を信仰してるから優れた人間だと思い込んでるだけで。 現代では毒にも薬にもならないことが決定的な長所になっているけどね。
イスラム教やレーニン教は優秀過ぎた。 中学の時、学校で聖書配られていて読んでみたらそら理不尽で読んでいて気分が良くない内容ばかり。
その頃、色々な神話読み漁ってたけど聖書が一番胸焼けしたわ。カインとアベルの話、アレもナチュラルに人間見下し感凄くてどの小話も不快。
とにかく、胡散臭いねん一神教。クリスチャンじゃなきゃ救われないなら南無阿彌陀仏唱えて極楽行きますわ。 >>735
その割には、アラビア人の羊飼いを追っ払って共産圏やらエチオピアから農家を大々的に誘致して
西岸地区で囲い込み運動の逆みたいなことやってたよなあ。 旧約聖書に出てくる紀元前のユダヤ人はってことやろ
今のイスラエルにいる世俗化したユダヤ人とは考え方が違う 神道と仏教は好きかな、キリスト教はどうでもいい、ってか関わりたくない
日本も明治政府が廃仏毀釈で白人と似たようなことやってっからそれも嫌い
無理に近代化させてった政府嫌い、江戸のまま強くしてけばよかったのに。 天草四郎についに最後まで奇跡が訪れずキリスト教徒が決戦に敗れたからだろう。
もしも桶狭間の戦いのように奇跡的で伝説的な勝利を飾って
いたらキリスト教はそれなりの地位を要求できたでしょう。
奇跡が起きないキリスト教なんてクリープを入れないコーヒーですよ。 >>727
神学っていうのは信じていることを全体にした学問だから >>735-736
農業蔑視してようとユダヤ人かて食料無かったら生きられんがな 北森嘉蔵の神学入門を読んだことあるけど、特にこれといったことも言ってないね。
むしろ、この手の神学の本を読めば読むほどキリスト教にたいする疑問がわいてくる。それと、同時にキリスト教を信じるは、やっぱり無理って思うね。
西洋崇拝とか西洋かぶれの人間でもない限り信じることは出来ないだろ。 あくまでも個人の意見だけど。キリスト教の神学よりもインド哲学の本でも読んだ方がためになると思う。
聖書の内容を大まかに知ってれば十分だと思った。欧米人も、キリスト教のことをたいして知らないからね。
アメリカ人なんて、聖書の内容をよく知らないし。一部の神学を学んでる人は知ってるだろうが。 >>735
古代ヘブライ人の歴史って、とどのつまり
「世界に冠たる農耕民族大帝国のヒエラルキー底辺として、時にこき使われたり、あるいは拉致されたりする苦難の歴史」
というだけだもんなあ。
エジプト帝国にこき使われ、新バビロニア王国に拉致され…そしてそこから救ってくれたのは、
遊牧体質が色濃い「オリエント新参者」のペルシャ帝国だったわけだから。 キリスト教嫌いの皆さんは、「人権」や「人命」についてどう考えているんですか? 人権思想は貴族の特権を一般国民に拡大したのが起源でキリスト教徒は何の関係も無いだろ キリスト教は反人権活動です
磁石みたいに一方向に向かせるのは人権と相入れません キリスト教と関係あるといえばあるよ。
キリスト教による迫害があればこそ、それに立ち向かう人権概念が誕生した。
LGBT運動が起きているのは、一神教由来の差別や迫害に立ち向かう人権思想や啓蒙思想が今も必要とされている証拠だよ。 勉強してようがしてなかろうが税金納めてようがなかろうが一人一票与えることを正当化できるのは一神教だから >>749
珍説はやめなさい。平等主義は、一神教ではなく一神教と対立する国民国家の概念。
宗教によらず一人一票を与える政策は、世俗主義の国民国家でなければ実現できない。
宗教権威の影響力を削ごうとする意図があればこそ大衆を政治参加させる選挙権の導入に踏み切った背景がある。 日本人のキリスト教徒は、社会変革を求める少数派としてのキリスト教しか見ていない。
多数派になって既得権まみれになって抑圧の象徴になるキリスト教を現実として認識できていない。
なので、悪魔崇拝やヘビメタなどのサブカルチャーの芸術表現の根底にある反キリスト教の抵抗思想を理解できない。 >>748
王権神授説のような、平等とは対極の概念をカトリックも正教会も出してきてるけれど >>752
否定的な意味で「関係ある」と言ったんだけど。 カノッサの屈辱もそうだけど、昔はローマ法王の権威って凄かったから。
いまじゃ余程宗教熱心な人間でもない限りバチカンの言うことなんて聞かないけどな。
バチカンが反対しても、安楽死とか中絶とかが法律で認められるし。 「それは神のみがなしうる創造の御業であり人間に理解できることでは無い」
としてバチカンはビッグバンの研究を禁じてるが
それで研究やめた物理学者は居るのか? >>754
天皇制積極存続のガチ右派だけれど、親政にして律令制にするなんてこと始めようとしたらガチで暴れる 「イエスという方が人間の罪の贖いとして十字架上で犠牲死した」「三日後に復活した」
「その後は父なる神がいる天国に帰った」「永遠の命が与えられる」
科学や理性や常識に照らし合わせると、とても荒唐無稽で矛盾に満ちています。
このような主張を、何の不安もなく、そのまま事実であると信じると言う人は、
自分を誤魔化すことのできる人だけだろうと思います。 >>757
単性説と三位一体説では捉え方は違うと思う
ただ聖書を盲信している人にその信仰は誤りと言っても、多分並行線になる
キリスト教はイスラム教の前身レベルの宗教で、その違いはイエスの後の預言者を認めるかでしかない
異端、異教に対しては本質は同じ >>758
全然違う
イスラムはイエスをただの人としている
神は唯一神ヤハウェ=アッラー(神)のみ
異端はキリスト教はグノーシスなどの禁欲宗教も異端としてるが本質的に禁欲修道宗教
イスラムはそういう要素ほぼない
中世の段階でキリスト教はユダヤ教からはアブラハムの宗教とは認められなかったが
イスラムはユダヤ人からも認められた
今でもユダヤ人はアラブ人をイシュマエルの民と認めているし
「神がイシュマエルを大いなる民にする」という予言とともに本国イスラムもある程度認めている >>759
うそぉん。
コーランで、五大預言者の一人として位置付けてるで。
神の啓示を受け人民に伝達する使命を帯びてる、特別な存在が、預言者。
イスラム教でいう、五大預言者は、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、マホメット。
ユダヤ人というかユダヤ教も、イスラム教自体は認めていない。
アラビア人がアブラハムの子孫だということをは認めている。別段イスラム教の成立≒アラビのア人成立ではないから。
そもそも、アラビア人自体、古代エジプトの早い時期から認識されていて、紅海沿岸の砂漠の人口希薄地帯やそこ当たりに居る遊牧民を
アラブと呼んでいた。 >>760
三位一体なんて信じてないんだからキリスト教の福音書なんて当然受け入れてない >>760
コーランにはユダヤ人はユダヤ教信じてれば天国いけるって書いてるからな
本来たもとを分かつ必要なかったが、結局レバントあたりのユダヤ人はイスラムになったと言われる >>762
マホメット若い時分にユダヤ教に入れ込んでたので、その頃の言動を憶えてた人が言行録に入れてたんだろうなあ
マホメットの死後15年くらい経って今の形に編集されてるから、新旧の現行ごちゃ混ぜだろうし。
メッカ・メジナからユダヤ教徒アラブ人のカイヌーカ部族を虐殺して殲滅したり、自発的入信を勧めるの寛容措置と
いいながら、すんごい重税をかけたり、跪礼する頭に足を乗せたりと、いじめたりしてたから、どうなんだろうね。 ムスリムの人たちは、晩年になるほど残忍で偏狭になっていったムハンマドの言動についてどう思っているんだろう。 直接お言葉を聴くことのできる機会がある肉も拘わらず真の新興に辿り着けない阿呆どもは殺して当然 >>760
ただの人って神とか神の子とかそういうのじゃないよという意味だと思うぞ こんにちは。
先日は私のブログに来てくださってどうもありがとうございます。
キリスト教に疲れ、人生を狂わされている人も少なくないことを、
もっと広く知ってもらいたいですね。
私はクリスチャンの家庭に生まれ育ち、
普通の子供とは違う価値観を植え付けられてきたので、
学校生活では人付き合いにずいぶん苦労しました。
それを社会人になっても引きずったままで、
今、職場で人間関係に戸惑う毎日です。
本当に毎日逃げ出したくなるような気持ちです。
そんな時、自分の生い立ちが恨めしく感じます。
私がクリスチャンの嫌いなところは、
キリスト教に欠点があることを絶対に認めないことです。
私の体験談を話しても、
「それはあなたの信仰が足りないから」
と言われるのがオチです。
信仰でなんでも解決するなら苦労しません。
私の身近なところで、自殺したクリスチャンを知っています。
そういえば、長崎のスポーツセンターに押し入り、
銃を乱射させて多くの人を殺し、
挙句の果てに教会で自殺したクリスチャンもいましたよね。
にもかかわらず、クリスチャンはキリスト教の欠点を絶対認めない。
本当に腹立たしく思います。
キリスト教は、あくまでも世界中に多数ある宗教の中の
一つに過ぎないことを分かってもらいたいです。 欧州のキリスト教徒はどんどんキリスト教が嫌いになっていって
無神論者が増え仏教寺院が増えペイガニズムの集会が広まっていってるのに
辺境にいる欧米白人の伝道者はそんな事実を無視したままで
野蛮な異教徒をヒステリックに嘲笑し続けているよね
必死すぎて痛々しい ユダヤ人・イスラエルがイランを徹底的に敵視するマインドって、
実は韓国人の反日意識に近いんじゃないか?
助けてもらった相手に対するやっかみ、嫉みにたいな。 韓国人やユダヤ人はいじめたら恨むし、助けたらやっかむ、という難しい相手なのかもしれない。 いや普通にアメリカと歩調合わせてるからじゃないのか? 単なるイランに対する敵意に留まらず、
ユダヤ・イスラエルのペルシャそのものへの悪意が
韓国が日本へ抱く悪意になんとなく被るように見える。
ユダヤ教では滅びるべきだとされた異教徒に救われたことが却ってユダヤ人にとっては屈辱だったのだろうし、
チョッパリと馬鹿にしていた日本に頼り、助けられている現実が韓国人の矜持を歪ませたんだと思う。 >>769
その割にイラン・イラク戦争でイランを支援してたよな。
イランの方は「イスラエルに死を、アメリカに死を」ってずっとプロパガンダしてたのに。 ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖典である旧約聖書の神は
イスラエルの民に与えたとされるカナン人の土地への侵略と殺人を命令しています。
(申命記7章1〜2節)(申命記7章1〜2節)(申命記20章10〜17節)
(ヨシュア記6章16〜21節)(ヨシュア記8章1〜26節)
(ヨシュア記10章22〜26節)(ヨシュア記10章29節〜11章15節)
(民数記25章)(民数記31章1〜3節)(民数記 31章14〜18節)
オウム真理教の麻原彰晃と、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通の
モーセやヨシュアの共通点。どちらも
(1)圧倒的影響力のある指導者が、
(2)宗教的理由付けによって殺人を正当化し、
(3)それを命令し、
(4)信奉者たちが、その命令にしたがって殺人を実践した。
(5)殺人命令を受けた信者たちは、もしその命令を実行しなかったら、
彼ら自身が酷い目に遭うであろう、と脅されました。
−−−
もし、オウム真理教の信者であれば、坂本弁護士の家族は、そのままほっておけば、
悪行を重ねて地獄に堕ちてしまうので、シヴァ神の指示にしたがって、
ポアすることによって、善趣へ転生させてやるのが慈悲の行為になります。
もし、旧約聖書の神を神とする信者であれば、ヤハヴェ神の命令に従って、
幼児殺しとミデアン民族を絶滅させることが信者の取るべき正しい行動となります。
神が命令した殺人は正義になります。神の意志が正義を決めるのです。
「ここに書いてある神を神とする宗教」の信者であれば、神の命令に従って、
殺人を忠実に行うことが信者の取るべき正しい行動となります。
キリスト教イスラム教の聖典である聖書の神自身が、殺人や戦争を
命令するのですから、キリスト教イスラム教の歴史における頻繁な
宗教殺人や宗教戦争は、聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。 イスラムによってイランから「ペルシャ的」なものが貶められ、否定されることを
イスラエルは望んでいるんじゃないだろうか。 >>774
それはイラクがフセイン政権の下で核開発を行おうとしてたからだ
隣国が核を持てば脅威になるし中東戦争後でアラブ諸国と国交を正常化してないイスラエルは敵対せざるを得なかった
対イラクというイランとイスラエルの利害が偶然にも一致しただけだ イスラム革命はイランからペルシャ的なものを否定し、貶める、という側面もあり、
共産革命がその国の伝統を否定し、貶めることに近い。 中東はイスラエル史しかやってないからあれなんだが、ホメイニ師が出てこないで白色革命が続行されてた方がイランは良かったんじゃないか
政教一致政策でまた中世に逆戻り Re: 不思議だよね、
> 離婚と同時に20年通ってた教会に行かなくなった。
> DVあったんだけど、牧師からは「妻は夫を支えて・・・」って言われ続けたもんで
> 自分が壊れる寸前までビクビクしながら10年以上暮らしたよ。
> 通っている間は、教会から離れたら地獄に行くみたいに思ってた。
> 私にはすんごい高いハードルの宗教だった。
私も、教会から離れたら神の罰を受けるかもしれないとビクビクしていました。
教会側としては、そういう風に教えたつもりはないと言うでしょうけど、
どうもキリスト教には人の心を縛り付ける魔力のようなものがあるように思えます。 縛り上げた自分の心の鬱屈を晴らすために、異教の地で宣教して報復感情を満たす代替行為が盛んになる。
異教の地を混沌に陥れ征服することで勝利者の達成感を得る。これが一神教が拡大できた秘訣といえる。
窒息を逃れるためにもがいて泳ぎ続ける感覚。こういった強迫観念は勢力拡大に必要不可欠。 モンゴルって多神教だけど、一神教をフルボッコしまくったが、あれは異例か? 軍事的に強い多神教民族というのはモンゴルあたりまでかな
そのちょっと前のヴァイキングも多神教、もう少し前のヴァンダル人、
キリスト教化したあとのローマをも苦しめたゲルマン人もまだ多神教
あと、ブリテンを制圧中のアングロサクソンはまだ異教からキリスト教に移行する途中で、
ケルト系住人のほうが先にキリスト教化して文字文明が進んでいたが
(ドルイドがいたのはカエサルの時代だから500年前の話)
軍事的には弱かった
ここ500年ほどはアメリカインディアンが一時的に頑張ったぐらいだが、
それでも新大陸の先住民はみなキリスト教勢力に押され、
土着の宗教は失われたか風俗習慣の一部に残る程度
ブードゥー教のような異教はあとから創造されたもの
という時代の違いがあるね アメリカって白人崇拝の覇権主義なの?
西部開拓時代だってそこまで行ってなかったよ Re: 不思議だよね、
> 離婚と同時に20年通ってた教会に行かなくなった。
> DVあったんだけど、牧師からは「妻は夫を支えて・・・」って言われ続けたもんで
> 自分が壊れる寸前までビクビクしながら10年以上暮らしたよ。
> 通っている間は、教会から離れたら地獄に行くみたいに思ってた。
> 私にはすんごい高いハードルの宗教だった。
私も、教会から離れたら神の罰を受けるかもしれないとビクビクしていました。
教会側としては、そういう風に教えたつもりはないと言うでしょうけど、
どうもキリスト教には人の心を縛り付ける魔力のようなものがあるように思えます。 織田信長の部下たちが比叡山焼き討ちを行った時も同じような恐れの感情を持っただろうね。 >>792
残念ながら叡山焼き討ちなんてあんまり珍しくないのだよ 歴史的によくあることでも、本人らにとっては初めてのことだよ。 キリスト教の思想の根本には「審判」の思想があります。
聖書は「救いかそれとも滅びか」と迫ります。
片方の道は「死」「永遠の滅び」「地獄」「悪」の道です。
それゆえ、聖書とは、それを真面目に読む者に「信じるか死か」と迫る
一つの「逆踏み絵」であるとも言えます。
かつて、キリシタンたちは「棄教か、さもなくば拷問と死」の選択を迫られましたが、
聖書を読む者も、「信じるか」さもなくば「火と硫黄の池に投げ込まれる」
(ヨハネの黙示録20:10)か、という選択を迫られているからです。
心の底から納得しているわけでもないときにも、信じなければならない
--- そういうふうに自己を追い込む一つの強制的装置のようなものが
聖書の思想の構造にあります。 「最後の審判」の概念はもともとゾロアスター教からユダヤ教が取り入れたのがキリスト教に派生したんじゃないか? >>797
その思想自体も色々発展してるよね
「キリストを信じなければ地獄」であれば
キリストの教えが伝わる前の日本人とかどうなんだ?みたいな話になる
それに対する反論で「キリスト教知らない地域は地獄に落ちない」みたいな意見も出てきて
それに対してドストエフスキーは「棄教者は死の間際にはそれを放棄してるのだから地獄にも落ちない」みたいなことを書いていた そういやカトリックは本来キリスト教が禁じてる偶像崇拝やりまくってるけどあれどういう理論なの?
伝統派って謳っておきながら思いっきり聖書に背いてる気がするんだが もうキリスト教では無いからな
豚肉も食うし、チンコの皮も切らないし カトリックの説く十戒では偶像崇拝禁止が削除されている >>801
神以外を連想するものは駄目だがそれを見て神を連想するものは許されるというこじつけ理論
出エジプト記ではシナイ山ふもとで金の雄牛を崇拝したモーセの兄弟アロンを含めたイスラエルの民を罰したが、その後十戒を封印した契約の箱の上に二体の天使像を作れと言ってる
つまり聖母や天使のような三位一体で語られてるものはオッケーというのがカトリックの認識 本当はヨーロッパで布教活動をする中で、当時のヨーロッパは土着神やアニミズムの風習があって偶像崇拝が普通だったから目に見えない神の信仰は簡単に受け入れられなかった
だから簡単に布教できるように十字架や聖母の偶像を使って布教したのがそもそものきっかけ。アイルランドやスペインみたいな熱心なカトリック国は聖人信仰が今でもすごい なんかカトリックの話しばっかりしてるな
偶像崇拝なら正教のほうがもっと酷いのに 慰安婦像や徴用工像がそうであるように遺恨は偶像になりうる >>807
レオン三世が聖像禁止令を出してる
その後もイコン崇拝の風潮が酷くなるたびに禁止令が出てるし
イスラムからも正教のイコンは常に非難されてた 正教のイコンは教会が公認したデザインのものしか認められずカトリックみたいに勝手にいろんなイメージで作る事は許されない >>809
日に五回、カーバの黒い石に向かってお祈りしなさい。できれば一生に一度はカーバに詣でて間近で拝みなさい
って、イスラム教も大概に偶像崇拝なのにな カネのかかる偶像崇拝とカネのかからない偶像崇拝の違いでしかないでしょ。 >>812
仏教も、道教も、婆羅門教も、エジプトやギリシャ・ローマやスラブやノルドのペイがニズムも、神像・神画にはそれぞれにお約束事があって、
一目で何の神様か判るようにデザインされてるよ。
で、大抵は、宗教美術品はその土地その時代の最高レベルの芸術性・技術で作られる。
なのに正教会のイコンって見劣りするよねえ。小学生に描かせた似顔絵レベル 写実的ならいいってもんじゃないんだよ。
縄文時代の土偶と同じで意図的な簡略化を重視する宗教もある。 チベットやモンゴルの仏画とか、古代エジプトの神像・壁画とか、おもくそ簡略化してるのに、芸術性高いじゃん。 イコンが芸術的に見劣りする?
何言ってんの?
似顔絵レベルってなんか勘違いしてんじゃないの? ただ似顔絵レベルでなくて、小学生の描く似顔絵レベル >>813
あれは「対多神教戦勝記念碑」なんだよ。 え?カアバ神殿の黒石は多神教時代からあったでしょ。黒石のまわりに偶像360体が置かれていた。 カーバ神殿とソロモン神殿はサイズが全く同じらしいね 口では隣人愛とかもっともらしい綺麗ごとを言うくせに
やってることが奴隷商売とか汚いことをやらかすので、邪教と断じたんだろう。 >>825
隣人愛って同じキリスト教徒だけが対象じゃなかったっけか
ローマ信徒の手紙でもパウロは異邦人にはかなり優しかったが異教徒には辛辣にあたってたような >隣人愛って同じキリスト教徒だけが対象じゃなかったっけか
布教の際には「キリスト教徒だけが人間であり、異教徒のお前らは奴隷」などと公言はいていなかったようだ。 カトリックは十字架そのものに祈らせ、願い事させたり
聖人の墓に触れたらなんか起きるみたいな
そもそも考え方が偶像崇拝
同じように文字書かれた御本尊に祈る創価も偶像崇拝でしかない
石だったらOKとか枝だったらOKとかないから >>822
黒い石は、マホメットが、天使ギブリールから預言者の持ち物として、授けられた記念品だろ。
アダムもノアもアブラハムも貰ってた。
カーバが多神教時代から神殿だったというけれど、それ、別段、珍しくないし。
イスラム教は他宗教の信仰を挫く目的で、宗教施設を乗っ取ったり破壊したりは、あちこちでやってる。
キリスト教の総本山を乗っ取ってモスクとして使ってるイスタンブールのハギアソフィア聖堂とか、な。
信徒がみんなして改宗したからってことではなくて、征服者のイスラム教徒がキリスト教の信仰を挫くために
そういうことをやった。
アテナイのパルテノン神殿もオスマン帝国時代にはモスクにされてたし、カイロのモハメドアリのモスクは
ピラミッドの外壁の白い石の化粧石を剥がして造ったし、エルサレムの岩のドームもユダヤ教の聖地を
壊して建てられてる。 キリスト教は昔からイスラム教には強いよね。自力で追い返せたくらいだし。
その変わり仏教には弱い。その仏教は、イスラム教に弱い。
いま、動物愛護とか叫ばれてるけどカトリックは動物愛護の宗教じゃないから。
いまだに、動物に魂はあるのか動物は天国にいくのか議論してる宗教だから。
プロテスタントの方は知らん。 >>831
まあ全ての国に当てはまるわけじゃないが大体的を得てると思うよ
120年前に書かれた書物だけど、流石先人は偉大だよ >>832
「プロテスタントの方は」なんていう言い方したら
まるでキリスト教がカトリックとプロテスタントの二つに二分されてるみたいやん
正教はどうした? わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。
何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。
法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。
(白取春彦「勉学術」) >>829
どう屁理屈をつけても、あれは明らかに多神教の「御神体」由来だろうにw
神道の御神体と同じ。「石神」だな。
石神への崇拝要素を、敢えてほんの少しだけ残すことで、
メッカにおける信者の取り込みと教義の安定化を図ったんだろうね。 ハッジはイスラエル、ユダヤ教にも見られた
離散ユダヤや軽い改宗者が何万人もエルサレムへ巡礼した
お金もうかるしセム系の思想だろう サヒーフ・ムスリム 巡礼の書 黒石への口づけに関して
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol2-353.html
サーリムは彼の父からきいて伝えている
ウマル・ビン・ハッターブはカアバの黒石に口づけしたあと、次のようにいった。
「アッラーに誓って、私はお前が、ただの石にすぎないことを知っている。
もしもアッラーのみ使いが、お前に口づけなさるのをみなかったら、私は決してお前に口づけはしないだろう」
ハールーンは「これと同内容のハディースをザイドもその父アスラムからきいて伝えている」と述べている。
イブン・ウマルは伝えている
ウマルは黒石にキスしながらこういった。
「私はお前にキスするが、勿論、お前が単なる石塊にすぎないことを知っている。
ただ、私は、アッラーのみ使いがキスなさったのをみたことがあるため、このようにお前にキスするのである」 キリスト教を世界宗教にしたてあげた主要な国々
ローマ帝国・スペイン・ポルトガル・イギリス・フランス・アメリカ
これらの帝国主義の世界戦略(植民地)合理化のために都合の良い
イデオロギーを提供したのがキリスト教です。
普遍的価値観+他人を助ける善人意識=帝国主義のイデオロギー
という公式が世界史においては成立します。
自分の価値観を普遍的なものと思い、かつ、世界にそれを広めなければ
世界は良くならない、というような種類の考え方なのです。
あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。
(マタイの福音書 28:19)
これは、「行って、世界の人々を私の追従者にせよ」、という命令なのです。
他人の考え方や生き方を変えてやろうとする、それが、布教・宣教・伝道なのです。
他人の考え方や生き方を変えてやろうなどという傲慢な態度を捨てることが、
キリスト教を捨てるということの本当の意味です。 >>837
幕末の日本人もやたら伊勢神宮や熊野大社に詣でたがって幕府も大名も領民の巡礼を止められない
雇主も丁稚や女中の休暇願を断れないで全国から大挙して伊勢・南紀へなだれ込んでいた。
セム系だね 仕立て上げたもんじゃないから違うかな
イスラエルは第三神殿を作ろうとしてる
第三神殿は世界からユダヤ人、ユダヤ教シンパを大量に集めるようになるだろう
エルサレム巡礼は再開される 黄色人種じゃん。
黄禍論とか、ユダヤ人やらトルコ人やらアラビア人やらインド人やら支那人やらチョヅいてて困るわーってのだし。 >>844
アラブ人がモンゴロイドって、どんな世界に生きてるんだおまえ >>845
モンゴロイドとは言ってないよ?
骨相と肌の色とは別じゃん >>846
アラブ人の肌の色そもそも黄色じゃない
そしてインド人(特に北インド)はアーリア人(コーカソイド)
ペルシア(イラン)人も、当然ながらアーリア人
何か勘違いしてるんじゃねーの 聖書のセムの広がり、国、民族みても
モンゴロイドが含まれるわけがない それ言ったら、日本人や支那人やモンゴロイドの本場モンゴルの人も、肌の色は黄色ではないけれど? 心の不安は無知から生じるものです。本当は何も知らないのに、まるで
知っているかのごとく「聖霊様も、導きも、永遠の命もあります」と信じ込んで、
無知にも関らず「心の平安」を得たりするのは、知的良心の麻痺状態を
あらわしています。知らないときは知らないことを認めるのが
知的良心というものです。信仰は知的良心を麻痺させます。
聖書は、徹頭徹尾、人間の立場から読まねばなりません。どんなに
「神様の御胸は何か」と尋ねても、人間が人間であるかぎり、それは、
「神様の考えはこうであろう」と考える人間の考え、でしかないからです。
そのことに思い至らなければ、一人の人間の一つの解釈にすぎないものを、
「神の考えそのもの」だと思い込んでしまうでしょう。キリスト教信者が、
自らを神と非信仰者の仲介者の立場に置き、しばしば、非信仰者に対して
上から見下げるような態度で臨むのは、彼らがそのことに気がついていないからです。
人々が「聖書は真理だ」と信じるためには、彼らが聖書を研究しないこと
(自分の都合に悪いところには目をつむる)が必要です。キリスト教信者は、
聖書に関する書(信仰者に都合のよいことしか書いてない)は読みますが、
聖書そのものはあまり学びません。教祖信仰を支えているものが
教祖に対する無知であるのと同じように、聖書信仰を支えているものは、
聖書に対する無知であり、真実を知ろうとする探求心の欠如です。 >>852
ok。
「私はお前にキスするが、勿論、お前が単なる石塊にすぎないことを知っている。」まで読んだ。問題ない。 「エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上っていくと、町から小さな子供たちが出て来て彼を嘲り、「禿げ頭、上って行け。禿げ頭、上って行け」と言った。(2:23)」
「エリシャは振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。(2:24)」
感動すら覚えるわ のぼっていけってのは天にめされろの意味で死ねってことらしいな 古代イスラエルは砂嵐と常食がカシュルートでパサパサの羊肉やから育毛には最悪な環境やからな、そらハゲるやろうな |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また髪の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ 宣教師たちは自身を「隣人愛と博愛の人々」と日本人に印象付けをしたかったようだが、
うまくいかなかったようだ。 日本の歴史や文化を理解しようとしないでキリスト教を押し付けてきた無能宣教師達が悪い
先祖崇拝自然崇拝が当たり前の中でただ唯一神のみ信じろというのは無謀に近い
未開の島国や小国なら力づくの布教でもなんとかなったが如何せん日本に来るのが遅すぎた イエス・キリストは復活したのではなくて、仮死状態から生き返ったにのに過ぎないだろ。 近年は動物愛護とかいわれてるけど。動物愛護って、キリスト教の反するんだよな。 欧米で動物愛護を唱えている人たちは
ヒッピー運動の流れでヒンドゥー教にハマった人たちだろう 全ては神の被造物で動物も自然も神が人間に与えたものだからね
犬猫なんて可愛がったり飼ったりなんかしたらそらもう火炙りよ 日本にキリスト教が広がらなかったのは浄土教のせい。
事実上の一神教である浄土宗や真宗のような浄土教が日本で一番教勢が強い。
韓国などは浄土教はない。
キリスト教に引かれる層は浄土教が吸収した。 世界各地のキリスト教を受容した地域・民族の、受容した時期の開明度を比べてみろよ。
土人そのものの野蛮時代か、精々古代レベルだぞ。
中世型封建制にまで達していて国・地域ぐるみでキリスト教を受け入れたところは無い。
南蛮人が来た時代、日本は既に歴史が進みすぎていて、キリスト教を受け入れるほど未熟でなくなっていた。 >>868
浄土系よりは日蓮宗のほうが一神教っぽいぞ >>861
暗黒の中世の退廃した教会制度で聖職者達が無教養化したのがデカイわな
古代の使徒達はクリスマスだのヨーロッパ各国の土着宗教を上手く組み込んで同化させていったのに1000年後の使徒達はそれが出来なかった >>870
多神教は本来ハレとケみたいなタブーが多く複雑な儀礼を伴う。
一神教は単純明快。単純明快なほうが安心して信仰できる。その需要は多かったはず。
念仏が事実上一神教というのは指摘があって久しい。 >>873
それはごもっともだが浄土宗という所詮仏教の一派がキリスト教の防波堤になったとはとてもじゃないが考えられない 浄土教とキリスト教の共通点は、
「宗教的な罪の観念」を煽った上で、「至高的存在がその罪から救ってくれるから信じろ」
という内容の救済宗教ということだよ。
戦国末期の日本人信者の大半は、この感覚で入信したと思われる。
中世日本人の宗教観念とはとても適合的だった。
一神教的というのとは微妙に違う。
救ってくれる存在が何柱もあると布教上不都合なので、一神教的になるけどね。
一神教でも、イスラム教にはこのような意味での救済宗教性は乏しい。 イスラム教は
ひたすら神を畏れ崇め祈れば
もしかしたら審判で天国へ行けるかもしれないっていうもの
それって救いじゃないの? イスラム教は地上の楽園を建設する方に関心があって神様はぶっちゃけ二の次。
信仰の要素はスーフィーの修行や聖者崇敬で補っていたけど、これも内面的な救済という方向ではない。 いや神様あっての共同体だろ
救済だって喜捨による社会活動的なものが義務付けられている
個人の内面は礼拝で神と対話すればいいだけのこと >>872
キリスト教自体、組織として固まっていたから現場の判断で何かを引いたり加えたりという事が出来なかった。
実際、ガリアやゲルマン、ケルトの文化圏に布教する際には「偶像」を使用を容認するかどうかで教会が分裂した訳だし、現場の勝手な判断で異端認定されたり破門されたりでもしたら、そっちの方こそ大問題。
宣教師には基本的に「自由」は無い。
決められたマニュアルによってのみ布教が可能。
ちょっとした拡大解釈は許されるかも知れないが、根本的なものは変動不可。 けどキリスト教ってとても偶像崇拝的だよね。
イコンを持ってきて踏ませるという、踏み絵で信徒を炙り出せるくらいに。
仏教はお寺の拝殿にほぼ必須で立派な像が据え付けられていて、その像に向かって日々礼拝しているけれど、
拝んでる対象がその像ではなく像の先にあるものと僧も信徒も理解しているから、金属の必要な事態で銅製の
像を鋳鎔かしても非難されなかったり、凍えて助けを求める人があった際に僧が木製の像を割って薪とし話を
美談としたりする。、 本来見えなかったはずの神を目に見えるイエスだと言い出した時点で偶像崇拝になっていくのは必定 その点についてはマホメットは用心深いよな。
預言者たりとて人は人。
しかも神の姿・神の声は見えず聴こえずで、天啓は天使ギブリールを介してもたらされた。
どうして、悪魔悪霊ではなくギブリールだと判ったか、もたらされたものが本物の天啓だと判ったか、
という疑問には、それが判るのが預言者だ、と。 >>881
>けどキリスト教ってとても偶像崇拝的だよね。
しかし、幕末明治期に日本に来たアメの宣教師どもは日本人をさして
いちいち「これら偶像教徒は云々」と・・・ >>874
日本仏教では念仏は最大勢力だよ。
密教のように複雑な儀礼やタブーを伴う事もなく禅のように難解でもない単純明快に阿弥陀一仏を信じるだけで救われるとする。
需要と供給の法則で一神教的供給は念仏がしてたから相対的に同じ布教市場にあるキリスト教は需要が少なかったのだと思う。
禅宗系の曹渓宗が9割を占める韓国ではキリスト教徒が多いし。 >>882
正教会ではイコンは偶像に当たらないとしてる。
偶像だと決め付けられてイコン破壊された時代もあるがそれは一時だった。
カトリックはイエスやマリアの像まで偶像ではないとしてる。 >>887
韓国ではキリスト教が目立っていて
市内の山の上から見下ろすと真っ赤な十字架ネオンだらけで驚くが
それでも仏教と拮抗していてそれぞれ30%ずつだという >>890
まぁ信仰上の方便だろうね。
イコンのような絵画やカトリックのイエスやマリア像のような像があった方が一般信者には分かりやすい。
プロテスタントになるとカトリックの像も廃して十字架のみをシンボルにする場合も多いけどね。 >>887
そうかもしれんがそれだけが普及しなかった原因じゃないだろ
1番の要因は>>861だと思うんだが >>861
>>880
でも、「上書きによるすり替え」はできるよね。特に暦と年中行事の擦り替え。他の文化圏における布教の王道中の王道。
新嘗祭をクリスマス、春の彼岸会を復活祭、端午の節句をペンテコステ、七夕またはお盆を聖母マリア被昇天…
と上書きしていくことは余裕でできたはず。つうか、古代のヨーロッパでキリスト教がやったことはこれだった。
実際、キリスト教の年中行事の大半は地中海北岸から西ヨーロッパにかけての多神教行事が上書きされたもの。
そして、湿潤な北半球中緯度地帯の場合、農耕と気象に基づく行事はユーラシア大陸の東西を問わず結構揃うので、
ここに書いたように、よく似た時期に日本の伝統行事がかぶる。
少なくとも明治以降の日本のキリスト教はまったくこれをやらない。もはや無能だと俺は思う。 なお、なぜかこのやりかたをやたらと警戒してるのが+のネトウヨのみなさん。
彼らによれば、
バレンタインデーは紀元節を上書きする陰謀で、ハロウィーンは明治節を上書きする陰謀らしい。
まあ、あいつらは案外わかってるのかもしれん。
紀元節に明治節、伝統の射程が短すぎて「草生える」けどさ。 >>891
十字架の形が崇拝対象の偶像なのよ。
自分らがそういう偶像に心を縛られてしまってるから、偶像崇拝でも何でもない仏教が偶像崇拝に見えたり、
逆卍をことさら排斥したりするんよ >>892
単純に19世紀末〜20世紀頭の朝鮮の歴史進歩度が低かったからだろ。
制度的に律令時代、日本の政治・産業顧問団が行って見た感想は「貧窮問答歌そのもの」、つまり、飛鳥時代化奈良時代のレベルの古代。 >>888
そういうことを確認すればするほど
十戒の偶像禁止は
信仰というものに対する無理解を露呈するだけの
愚かな教えだということがわかるな
一部のセム人は美術的な文化を根本的に欠いている
それこそ遺伝子レベルの欠陥なんじゃないかと思うぐらいに
キリスト教にせよイスラム教にせよ、
ひとたびユダヤ人やアラブ人の手を離れるや
大なり小なり美術的な文化の花を咲かせることでわかる
ペルシャのミニアチュールしかり、ブルーモスクしかり イコンは偶像とは扱っていないし、絵画も同じ
同じベクトルで考えれば神像も偶像でなくすことができる
しかし明らかに十字架は偶像
●キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。<キムヒ法師>
●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの
なり。<アシェル法師>
考え方を間違ってはいけない
創価の文字かいた本尊のほうがイコンより偶像なんだよ ユダヤ人でもキリスト絵画を指して偶像であるとはしていない
キリスト教徒も聖書読んでて警戒してるんだからある程度は理解してる
しかしそれでも十字架の首飾りを持ち上げてそれに願をかけるなんてことを許容していた
結局気づかぬまま偶像崇拝を行ってしまっていた
それ故聖書にかかれている
「この地上にあるもの、天にあるものいかなるものの形をも作ってはならない
それにひれ伏してはならないから」 >>896
いくらなんでもそれは無い。
経済的には鎌倉時代並みというのが当時の評価で、
しかも学問などは貧しい割には進んでいた(これは今の北朝鮮にも共通する)。
で、欧米からの伝統的なキリスト教の宣教はあまり成功していない。
独立後の韓国でキリスト教が成功したのは韓国独自のスタイルに脱皮したから。 それでも酷いな、鎌倉時代並って。
元寇とかバチバチやりあった時代だろ、しかも高麗は攻め側。大モンゴル帝国の支邦。
モンゴル帝国っちゃあ、ビザンチンや回教圏を通ってきた西洋人も仰天の豊かさだった当時の大先進国。
鎌倉時代に経済・文化を比べたら、高麗の方がはるか上のはずよ。
それがどうして、600年の内に、後退したんやら。 >>894
そんなの聞いたことない
相変わらずの一枚岩ネトウヨ観が浅すぎ
すべての伝統は5分前に作られた
長さに意味はない >>898-899
イコンはただの偶像でFA
詭弁にもなっていない、ただの強弁 イコンは偶像「崇拝」ではないが昔の十字架は完全に偶像崇拝
絵画も偶像とは限らないし彫刻も偶像とはかぎらない(どちらもイスラエルにある)が
パワーストーンのが偶像崇拝 >>902
こういうことらしいよ。今年のN速+のハロウィン関係スレで、よく似たレスを何度も見かけた。以下転載。
317 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2018/11/02(金) 19:43:23.01 ID:yZVmZODr0 [6/15]
401名無しさん@1周年2017/10/28(土) 13:56:26.19ID:xgv0eY3e0
>>264
確か、神道の重要な日にかぶるように
キリスト教由来の行事をぶつけて、マスゴミ(あと製菓業界)がごり押ししてる向きがあるんだよな。
歴代天皇および今上陛下への尊敬を忘れさせ、陳腐化する狙いが見て取れる
・バレンタインデー(2/14)→紀元節(2/11)
・イースター(3月下旬〜4月上旬)→神武節(4/3)
・ハロウィン(10/31)→明治節(11/3)
・クリスマス(12/25)→今上陛下御生誕日(12/23)
・ジーザスレインズ(8/15)→終戦記念日(8/15) <New!>
467名無しさん@1周年2017/10/28(土) 15:04:46.12ID:xgv0eY3e0
>>456
ハロウィンの仮装パレードを日本で始めて大々的に開催したのは川崎市。
ハロウィンやイースターで特にお菓子をごり押ししてるのが
ロッテとディズニーランド(運営会社はそうかそうか)
これだけで御察し
あと、一番新しいジーザスレインズではもっとやばい事
(キリストが日本の王として統治する→天皇否定)をやらかしてる
ttp://jesusreigns.jp/movies >>904
「崇拝」という言葉自体に貶める意味がある
だから正教のイコンだろうとカトリックのマリアだろうと
崇拝とは言わせないと言うだけ
マリアについては「崇敬」という言葉を使う
英語でworshipというのも異教にしか使わない
だから仏教や神道についてworshipという
言葉を使っているのを見たら日本人は怒っていい パウロ書簡に偶像崇拝禁止と書かれてて初期キリスト教は偶像破壊してたのに
絵画も像も全部崇拝みたいに拝んでると思うか?
絵かいたら偶像崇拝か だから崇拝しようがしまいが偶像を作った時点でアウトなの >>910
ユダヤ人画家いないことになるがな
偶像崇拝者は目の開かれていない土人
彼らは何が偶像崇拝かも理解できない >>912
有名なのはいないよ
強いて言えばシャガールだが、
メッセージ性が強すぎて
絵画というよりは壁画だよ
つまり文字と絵、文章と美術が未分化
さんざんユダヤ性が疑われているアシュケナージだが、
皮肉にも有名な画家がいないという事実によって
ものすごくユダヤ的な民族だということがわかっている >>913
著名画家とかじゃなくても
ユダヤの生活を書いた絵画とかあるがな
何も形づくってはいけない=何も書いてはいけない
そのまま受け取るとそれも禁止 あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。 >>915
だから絵かいた時点でだめか?という話
いかなる像も作ってはいけないというのはそれが結局偶像崇拝に行き着くから
キリスト教は聖書に散々書かれている偶像とその祈りを否定した
当然偶像崇拝にはならないと思っていたんだろうが
絵画も像も芸術やただの指標としておいただけだったが
十字架は偶像化してしまった
十字架を握りしめてそれに祈る、願いをかけるなんてのは完全な偶像崇拝だからユダヤ教徒に指摘うけてる
「いかなる像、形も作ってはならない」はそういう隠れた偶像崇拝を産まないためのいましめ キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか
ってあるけど、日本だけでなくアジアでも広まらなかった、中印東南アジア
原始宗教しかない地域に一番乗りできたか、
武力征服できた地域にのみ他の宗教が広まる
もともと無理なことをできるように言うスレタイトルは間違い 朝鮮半島には広まったでしょ。ピョンヤンはかつて「東洋のエルサレム」と呼ばれた。
キリスト教は、民度の低い民族や祖先の歴史を忘れた民族にはすぐに広まる。 >>914
風景画や静物画は問題ないんだよ
動物の絵だって崇拝しなきゃ今ならどうってことないだろう
問題は人物像だろ キリスト教も地方のさびれた宗教なんだよ。エルサレムが世界首都になるぐらい
出世してほしい。 まずは東エルサレムの土人を何とかしない限り発展は見込めない キリスト教が抵触したのは祖先を重んじる価値観だった。
家系を重んじる支配層からは概ね拒絶されたが、祖先を特に意識しない庶民層では広がった。 エルサレムはイスラム教の聖地でもあり、最初のキブラ(礼拝の方向)でもあった
後にムハンマドが新しい啓示によってキブラをメッカに変更したが、
聖地の1つであることには変わりない 悪人正機説は、絶対唯一の正義を重視する朝鮮の価値観に馴染まない。 韓国人がキリスト教の「汝の敵を愛せ」「善きサマリア人のたとえ」
を理解していたら
日本人を人間扱いしない反日行為なんてとっくに終わっている >>928
それは違う。韓国の人々は、「汝の敵を愛せ」で北朝鮮を愛している。
日米は韓国に攻撃してこないからこそ安心して日米を憎むことができる。
すぐに報復してくる中朝と違って日米は恐くない。恐くない相手はそもそも敵ではない。よって愛する必要もない。 >>929
冷戦が終わって東西陣営による対立関係でなくなり、
南北朝鮮はとっくに敵国関係ではなくなっている
敵視する必要がないんだから、愛する必要もないだろう
…そもそも「愛する」って「必要」があってすることなのか?
そっちが先に言ったことだが 隣人を愛せよ→ウリ訳→お前は隣人である俺を愛せよ
思いやりが足りない→俺を思いやれ
絶対に自分自身が愛したり、思いやったりする、にはならず、
相手に愛や思いやりを要求するのがK国的な解釈。 したがって
日本の敵である韓国を日本は愛さなくてはならない、という思考になっているのだろう。 東洋のキリスト教国は土着宗教や倫理観が根付いてなかった文化衰退国家やから
韓国フィリピンがまさにそう 文明の進歩具合が中世に達したら、宗旨替えなんてあんまりやらないものよ。
モンゴル帝国さんガチで高麗を支配していたのに、なして、朝鮮半島が中世にまで進化させなかったのやら。
明の属州になってしまったから一緒に後退したのかな? >>936
逆だよ。モンゴル帝国の蹂躙を免れた日本や欧州だけが、封建社会の中世へと進化できた。
高麗は三別抄がモンゴル帝国に滅ぼされて封建制度の萌芽が摘まれて古代のまま近世を迎えた。 インドマレーシアインドネシアは宗主国の支配が何百年もありながらキリスト教化しなかったからなあ
といってもマレーシアインドネシアはイスラム教だけど 第二次世界大戦が終わった後、キリスト教徒を支援して共産主義を抑えようとする米国の動きが悲劇を生んだ。
台湾、韓国、ベトナム、いずれも米国の後援を受けたキリスト教徒の政治家によって大量虐殺が引き起こされた。 ●キリスト教のせいで南ベトナムは滅んだ●
南ベトナム初代大統領のゴ・ディン・ジェムは
「ベトナム共和国を聖母マリアに捧げる」と宣言するほどのカトリックの狂信者で、
事あるごとにカトリックを優遇し、仏教徒を弾圧し続けてきた。
高官になるためにはカトリック信者になることが必須であり、カトリック教会が国内最大の地主であった。
政府の式典には南ベトナム国旗とともにバチカン市国旗も掲げられてきた。
抗議の焼身自殺をした仏僧に対して「人間バーベキューm9(^Д^)プギャー」という暴言を弟の嫁が吐いたことは特に有名である。
ゴ・ディン・ジェムは後にクーデタに遭遇し殺されたが、初代大統領がこういうキリスト基地外だったために、
南ベトナム政府に対する国民の信頼度は地に落ち、後に北ベトナムに滅ぼされることになった。
韓国の初代大統領李承晩もプロテスタントのキリスト教徒であったが、
李承晩がキリスト教優遇を前面に出した政策を取らなかったことと、クネ(別名:囚人番号503)の父ちゃんの政治手腕によって、
かろうじて韓国は北朝鮮に滅ぼされることなく、国民を結束させて躍進を遂げることになった。
キリスト教のせいでベトナムは共産政権下に置かれることになったのである。 朝鮮は、むしろ二次的に無宗教化が徹底されたため、近代以降にキリスト教が入り込んだんだよね。
東アジアの中で、完全に儒教式の礼教体制を徹底させたのは李朝しかない。
Iバード女史が書いている通り、李朝は、一種の「無神論国家」だったんだよ。
本家の中国(台湾含む。またベトナムも同じ)では、民間信仰のレベルでは道教と共存してる。
祖先祭祀と家族制度は儒教でも、個人の幸福は道教の神々に祈った。
廃仏は何度もあったが、道教はむしろ隆盛した。
宋以降の道教は、神様の総合商社のようななんでもありの多神教なので、祈る対象はいくらでもある。
日本(本土)では江戸時代まで仏教が強かった上に、
儒教といっても、宗教としては神道の衣を纏った形でしか普及しなかった。
もちろん神道から神々を消してしまう訳にはいかない。
沖縄にも儒教的家族制度が入ったが、古代的琉球神道を合理化するという形で入ったので、
やはり神々は消されていない。 >>943
いや、儒教は宗教じゃん。祖霊崇拝というすんげえ原始的な。 儒教は無神論の宗教。
ところで、今クリスマス・イブを祝ってる人は明日は教会へ行くんだろうね、当然。 >>945
スレチです
クリスマスはキリスト教の祭りではありません >>945
神の定義にもよるけど、祖霊が崇拝対象になってる以上無神論とは言い難いな キリスト教の宣教師なんてテロリストと変わらないだろ。 日韓併合以前の朝鮮には遺体を縄で手足を縛り長時間晒してから埋葬する習慣があった。呪術を伴う風葬の一種だろう。 クリスマスはあくまでキリスト教の記念日の1つやで、誕生祭ちゃう
1番大事なのはイースターやで
せやから別に僻まなくてええで、クリスマスが特別な日っていうのは商業PRの賜物や
せやから今セックスしたり高級料亭やらディズニー行ってる輩はメディアに踊らされとる無知な大衆や
僻まなくてええんやでワイらが正しいんや僻まなくてええ >>947
神を祀るには神がいますが如くせよ、と論語に言う
心霊は存在なんてしないんだ、って思ってもいいんだよ
拝礼の形式を保つことで、親戚や本家の顔を立てる
皇帝が豊作を祈願することで人民の人気を維持する
そこに霊魂は実在しなくていい
殷から周へ、春秋から戦国へと移るごとに、迷信は消え、
信仰体系は政治システムになっていった
曲阜の孔子廟付近には孔姓のガイドが数百人はいるが、
その1人が団体旅行客に「孔丘は典型的な唯物論者でした」
と説くのを俺は聞いたよ >>951
曲阜も中華人民共和国の支配下にあって、中華人民共和国は共産政権。数ある共産政権のなかでもいっとう凶暴な性格の物。
現に、毛沢東時代には、あらゆる宗教施設を破壊し、宗教家を弾圧し虐殺した。
その中で、共産政権にシッポ振った一派は生き残ってる。
仏教ならダライラマは国外に亡命佐瀬るを得なかったが、シッポ振って靴舐めたパンチェンラマとその派閥は公認。
キリスト教も、バチカンの叙階を受けた司教や信徒はなんやらよく解らん罪状で捕縛され行方不明、共産政権が任命した司教の
天主教愛国会の祭礼は許可。いまだに中世の叙任権闘争のような間柄。
儒教も同じ。毛沢東時代には孔廟も破壊されまくり。封建悪弊の残渣として攻撃される中で、共産政権側に寝返った者有り。
便宜的に唯物論を主張したりもその一環 >>952
よくできました^〜パチパチ
でもそんな解釈が可能なのが儒教だ
生き残ったほうが正当だとも言える
そのガイドは批林批孔時代の生き残りだから
必死にそんな言い回しを覚えてるってこと
でも儒教における霊魂の話はそれとは別の話
日本人は神道を見るような目で儒教を眺めてうっかり誤解してしまうが、
孔子像への拝礼に霊魂の存在を信じることは必須ではない
単に儀礼に過ぎず、儀礼止まりであっていいのだ
「子、怪力乱神を語らず」とはあるかないか実証できないものは言及しなかったということで
恐れて口にしなかった(=存在を信じていたから)ということではない
どんな信仰を持っていようと、孔子廟が付属している書院のたぐいは
孔子像に礼儀として拝礼するだけだ
湯島の聖堂が宗教法人ではないのも、霊魂の存在を前提としないからだ >>953
孔府は台湾に引っ越していて、本家(衍聖公、大成至聖先師奉祀官)も今は台湾に居るよ。
中共に寝返ってるのは、異端。 儒教の影響下にあったのは支配階層で、祖先や家系を意識している階層でもあり、
逆に庶民においては儒教的な祖先崇拝という概念は薄く、キリスト教が広まる素地はあった。 >>954
そのご本家衍聖公だって別に何かの霊魂を信じているわけじゃない
道教とは根本的に違うんだよ 根本的に違う? 何いっんてだが。
道教と儒教、併宗可能というか、道教の信徒は儒教の信徒を兼ねてるよ。どっちか一方だけの信者なんて滅多にない。
孔子は老子の弟子だったしな。
香港映画の霊幻道士のキョンシーの着てるものとかな。儒教の葬式の死装束だろ。 キョンシーの格好は、満州族の民族服がもとになった死者の礼装だよ。
生きている漢人は満州服を着ることが許されなかった。 官服に模した死装束というところが、儒教の発想なんだよ 併存可能だからこそ違う教えなんだよ
孔子廟で願い事するのは勝手だが、叶えるのは自分
廟の周辺にベタベタ御札なんて貼らないし、柱を真っ赤に塗りたくりもしない
そこ行くと中国の仏寺や道観はずっと派手で俗っぽいが、
それは超自然的な力でもあることにしないと叶えられないような願い事を受け止めるから
仏教が難解ゆえにオカルト的な誤解をされているのは日本と同じだしね 信じれば救われるのなら麻原も天国に行けるのか?。
アホらしいだろ。 韓国のキリスト教徒は29.2%、日本のキリスト教徒は1%未満
「秋田の聖母マリア」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、
日本より海外での知名度の方が高い。バチカン(教皇庁)の教理聖省長官の
ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理された。
韓国に聖母出現もないし奇跡もおこっていない。何故なのか?彼等が邪悪だからだ。
ローマ法王が韓国民に「倫理的に生まれ変わるよう望む」と言ったは正当だろう。
バチカンは日本に神が現れ韓国は神からも否定されているのを知っているのだ。 偶像崇拝禁止の癖にイエス・キリストの像や肖像画はOKの不思議な教義の宗教だよな。
偶像崇拝禁止なら、イスラム教のモスクみたいに模様しかないはずなのに。
初期の仏教も仏像を作ること偶像崇拝は禁止されてた。だから、釈迦の姿を仏足石や法輪で表していた。
You tubeで何で偶像崇拝禁止なのに教会の壁の宗教画やキリスト像はよいのか?と質問したら、人間の姿をしていれば偶像崇拝にあたらないとワケわからん答えが返ってきた。
旧約聖書には、はっきりと神は人間を似た姿に作ったと書いてある。
どう見ても、偶像崇拝だろ。 仏教てお釈迦様尊崇してるんかあやしいで
坊主呼んだってお釈迦様の話なんかしたこと無いわ
阿弥陀如来の話ばっかりや
お釈迦様が仏教の開祖てほんまなんか?
なんで坊主は阿弥陀の話しかせんねん >>966
マジレスすると大乗仏教ではお釈迦様は沢山いる仏の一人。
これ以上書くとスレチになる。 >>965
聖書は「天の上のいかなるものも下のいかなるものも形作ってはならない」だろ
それを像に限定すればイスラムだが
イスラムだって絵は書くだろ
ユダヤ人も画家は少ないかもしれないが、庶民の生活を書いた絵は残っている イスラムでは非アラブ的な国・人物ほど絵を描く
しかも肖像そのものを目的とした「絵画」は少なく、
陶芸や書物の挿絵などの他の主要目的のある物の上に描かれたものがほとんど
ユダヤ人も中東を離れた周縁諸国の混血度の高い者ほど人物画を描く キリスト教徒は閉鎖的だと言われると怒るよね。宣教師とかは、いまでも他宗教の悪口を言ってるのに。 多神教社会に合わせ天使信仰を導入するべきだった。
「ミカエル」火と知性を司り、東を守護する。
「ガブリエル」水と天啓を司り、北を守護する。
「ラファエル」風と癒しを司り、西を守護する。
「ウリエル」土と裁きと予言を司り、南を守護する。
中二病の日本人には最適な解である。 ところでYou tubeのコメント欄でクリスマスは、本来はミトラの誕生日だが、これはキリスト教が土着信仰を受け入れたんだろ?って聞いたら、言い訳ばかりしてたな。往生際が悪いなと思った。
どう見ても、元々あった祭りや土着信仰の取り入れなんだがな。
何故、キリスト教徒はそのことを認めないのか。取り入れたのなら取り入れたでいいだろ。 クリスマスってケルトの冬至祭じゃないの?
ミトラス教関係ないだろ 75考える名無しさん2019/01/14(月) 07:00:23.960
聖書じたいが論理矛盾してるんだよなあ。
「私のほかに神はない」と創造主は仰るが、その一方で
「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」「ヘブライ人の神」
といった「〇〇の神」という言い方、「全能の神」「妬む神」と
仰るなら「〇〇以外の神」「全能でない神」「妬まない神」も必然的
に存在することになるじゃないか。「あなたたちの神、主は神々の中
の神、主なる者の中の主…」(申命記10:17)とかどう見ても格下の
神々の存在を認めてるじゃん。つまり、天地を造った全能の三位一体
の神以外の神々を含めた広義の普遍的な神の定義がどうしても必要になる。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12164076317
古代イスラエル人の宗教は実態としては多神教で唯一絶対の神とされるYHWHでさえ、
エルとかいと高き神と呼ばれる神が産みだした神々の一人に過ぎなかったそうです。
また、イエスが父と呼んだ神が本当にYHWHを示しているのかさえ怪しいとか。 戦国からの流れが徹底してたからだろう
鎖国がやっぱ効いてるし自意識が高いわ日本人は
国土が動く事もなかったし 具体的には戦国時代はまだ天皇家と律令制の国家観が続いていた
諸大名は天皇を尊重するという建前を守ることで己の地位を保っていた ブログ、いつも読ませてもらっています。
私はクリスチャンなんですが、教会にはずっと行っていません。理由は色々ありますが…
私は今クリスチャンでありながら仏壇店で販売の仕事をしています。病気のため体力もなく、長い時間働いても支障なく家から近場でと探しました。家計の事情もあるわけで、何よりも体がきつい。比較的楽な仕事を選んだわけですが、はっきり言って教会からすれば
他宗教のものを売る=偶像崇拝なのでしょうね。
他のクリスチャンにどこで働いているのかしつこく聞かれ仕方なく教えたところ、その仕事は駄目だ、それでは幸せになれない、私が他の仕事を探してあげるから、とまるで
脅された気分になり、不安と不信感にさいなまれています。
仕事まで制限されるなんて
神様ってそんなに心の狭い方なんでしょうか?
形より気持ちを大事に考えるなら、今の私の状況、病気とか
家計のことも考えてくれるべきでは?と思ってしまう私が間違っているのでしょうか。
それともクリスチャンとしてのお手本になれなければ教会の
お荷物なんでしょうかね。
心の拠り所と思いたい場所がどうにも足かせになっているとしか思えなくなっています。 Re: 善きサマリア人
> 【桃栗さんへ】
> >裏を返せば「神に自分の都合の良いようにしてほしい」が本音なのです
>
> とご指摘の部分が聖書では違うと言うことを伝えたかったのです。
> 多くのキリスト教徒や他の宗教の人々の多くがそうだとしても、
> 聖書はその様な願い方をせよとは教えていないのです。
ですからね、建前では「そういう信仰をしてはならない」と言っていても、
そういう信仰をしているクリスチャンが多いのが「現実」なのですよ。
>
> >クリスチャンは他の宗教を「ご利益宗教」と称して見下し、
> 自分達の宗教のみが正しいと言い切る姿が傲慢だということです。
>
> 見下すのは傲慢です。
> ただそれが聖書の教えであるとは思わないでください。
ですからね、聖書がそう教えていなくても、
そういう態度を取るクリスチャンが多いのが「現実」です。
聖書の教えは法的拘束力がありませんから、
クリスチャンはみんな自分の都合の良いように信仰しているのですよ。
そして、神に自分が聖書の教えを守れていないことを懺悔すれば、
自分の罪が赦されてチャラになるわけですから、
本当に便利な宗教ですよね。
> 善きサマリア人のたとえにあるように、
> キリスト教徒だから正しいのではないと聖書は教えているのです。
ですからね、クリスチャンたちは、
自分が正しいことをしているかのように錯覚しているのが現実です。
キリスト教はそういう性格の宗教なのです。「一神教」ですから。とにかく、貴方のおっしゃることは建前ばかりです。現実をよくご覧ください。 マルコ(AD65-70頃)
9:1・13:24〜
マタイ(AD80-85頃)
16:27・24:29〜
ルカ(AD85-90頃)
9:27〜・21:27〜
ヨハネ手紙一(AD100頃)
2:18〜
マルコ著者マタイ著者ルカ著者ヨハネ第一手紙著者は、
「審判が来る時に、今、生きてる者たちの一部は、まだ生きている」と書いています。
しかし、著者たちの思い込みは間違っていました。
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。
その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る」
--- そんな「時」は、彼らの時代に来なかったのはもちろんのこと、その後
2000年間、今日に至るまで、一度も起こりませんでした。
ある著者たちの勝手な思い込みを述べたものにすぎませんでした。 キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなた方がこんなにもはやく離れて、
他の福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。
(ガラテヤ人への手紙 1:6)
わたしたちがあなた方に告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば
呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは
繰り返して言います。あなた方が受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、
呪われるがよい。
(ガラテヤ人への手紙 1:8-9)
あなた方は聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
わたしがあなた方に書いているのは、あなた方が真理を知らないからではなく、
真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。
偽り者とは、イエスがメシヤであることを否定する者でなくて、誰でありましょう。
(ヨハネの手紙第一 2:20-22)
この書物の預言の言葉を聞く者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、
神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
(ヨハネの黙示録 22:18)
真理というものが神からだけ来る、と信じる宗教は、このように、真理の言葉を
閉じなければ収拾がつかなくなります。しかし、真理の閉じられたシステムは
正統と異端を生み出します。閉じられたシステムである聖書は、この正統と異端を
区別するための道具として機能することになります。
著者はイエスを救い主と認めない者を「偽り者」と断定することに何の躊躇もしません。
聖書のメッセージは、ほとんどいつでもこのように、
真理を偽りから区別することを強調し、それを読む者に真剣に訴えます。 教祖が突然殺されて困り果てた信者たちが、教祖の死を正当化するために
言い触らした様々な努力が「新約聖書」となります。そうなると、
神と人類の間の断絶を生んだアダムの罪が重ければ重いほど、
断絶が深ければ深いほど、彼らの教祖の死の価値が上がります。
「悔い改めて神に立ち返れば、そこに神の導きと祝福がある」という本来の旧約聖書の
メッセージや、「悔い改めよ、神の支配は近づいているのだから」というイエス自身の
メッセージのかわりに、「アダムの罪は神と人類の間に取り戻すことのできない
決定的な断絶を生んだ、神は我らの教祖をアダムの罪を贖うための犠牲の死、
犠牲の小羊の為に我らに送ったのだ、我らの教祖を仲介しなければならないのだ、
よって、我らの教祖を信ぜよ」というメッセージが大いに宣伝されることになります。 クリスチャンはアホ
クリスチャンって愛とかなんだ言ってるけど結局は「ただ地獄に行きたくないから信じる」っていうのが根本にあると思います。
結局「苦しいの嫌だー」なんですよねえ・・・
私だったら、「愛とかいらないから。天国行ければそれでいいから」って言います。
だってもし人類全員がなんの条件なしで天国に行けたとしたら、今クリスチャンの人はキリストなんか信じずに自由に生きるでしょう。
彼らは、そういう下心を愛とか奇跡とかで誤魔化していることに気づかないんでしょうね。
イエスの弟子たちのように、そこらへんのクリスチャンや牧師を捕らえて拷問にかけ、「イエスは神じゃないと言えば解放してやる」って言ったらすぐに降参するでしょうね。本当にあいつらの爪をはがして膝を割ったりして拷問にかけたい気分です。それほど腹が立つ連中です。 カトリック信徒の自分が言うのもなんだけど、
日本にはキリスト教のようにワザワザ博愛や礼儀を説かなくても、
日本の古代から現代にいたり社会や日常理生活に根付いている。
ハッキリと書いてしまえば日本にはキリスト教は必要ない。
(これを実感したときはキリスト信者の自分はショックだったけどね)
自分が属している地区は韓国カトリック教区との
交流も深いから『民衆の神学』のこともわかるけど、
あの運動の一つの理由は昔から韓国(朝鮮)社会には
人権とか社会制度が非常に低かったから、
さきに書いたように日本には日常の生活レベルで根付いていたから
民衆の神学のようなものは必要なかっし起きる下地すらなかった。
逆に民衆の神学のような運動は『解放の神学』のように共産主義勢力の
テロ反社会的活動の温床になってしまい問題にもなってる。 日本聖公会、日本キリスト教会など政教分離を訴え声明 2019年3月11日
日本聖公会主教会、正義と平和委員会は2月21日、今回の天皇の代替わりに関する一
連の行事も、基本的な考え方や内容は、大嘗祭を公的な行事と位置づけ国費を支出した
前回を踏襲するとの閣議決定を受け、抗議声明を安倍晋三首相に宛てて送付。声明では
大嘗祭を公的な行事とし国費を支出することが日本国憲法20条の「信教の自由の保障・
政教分離」に反すると指摘。また大嘗祭を公的な行事と位置づけることにより、天皇が
特別な存在であること、さらに神格化のイメージを植え付けることを危惧し、強く抗議
した。
(中略)
同日、日本パブテスト連盟性差別問題特別委員会は安倍首相に宛てて声明を送付。天
皇の皇位継承が男性天皇、男系天皇しか認められていないことなどを指摘し、天皇制が
性差別、セクシャルマイノリティ差別などのあらゆる差別をつくり出していると批判。
代替わりを前に、一人ひとりの人権が大切にされる歩みへ踏み出せるよう求めた。
http://www.kirishin.com/2019/03/09/23767/ 日本のキリスト教はカトリック=主に右派、プロテスタント=主に左派
と思っていたが、日本カトリック司教団の声明は左派そのものであり、
カトリックは麻生、曽野、渡部に近いスタンスという訳ではなさそうだ
クエーカー派は左派かつ親皇室ではないのかな
聖公会は英国聖公会の流れをくむ宗派で親皇室と考えていたので、
日本聖公会が皇室行事を政教分離の原則で反対するのは意外だ
佳子様が入学したのは国際基督教大学だろ 皇室周辺はキリスト教徒が多い感じだし
もう少し皇室行事に柔軟な対応をしても良さそう
モルモン教は右派、というか自民党やフジ産経G、文春に近そうだな ブログ、いつも読ませてもらっています。
私はクリスチャンなんですが、教会にはずっと行っていません。理由は色々ありますが…
私は今クリスチャンでありながら仏壇店で販売の仕事をしています。病気のため体力もなく、長い時間働いても支障なく家から近場でと探しました。家計の事情もあるわけで、何よりも体がきつい。比較的楽な仕事を選んだわけですが、はっきり言って教会からすれば
他宗教のものを売る=偶像崇拝なのでしょうね。
他のクリスチャンにどこで働いているのかしつこく聞かれ仕方なく教えたところ、その仕事は駄目だ、それでは幸せになれない、私が他の仕事を探してあげるから、とまるで
脅された気分になり、不安と不信感にさいなまれています。
仕事まで制限されるなんて
神様ってそんなに心の狭い方なんでしょうか?
形より気持ちを大事に考えるなら、今の私の状況、病気とか
家計のことも考えてくれるべきでは?と思ってしまう私が間違っているのでしょうか。
それともクリスチャンとしてのお手本になれなければ教会の
お荷物なんでしょうかね。
心の拠り所と思いたい場所がどうにも足かせになっているとしか思えなくなっています。 ・元々民間伝承が下敷きだから他民族には馴染みにくい(古代ローマが特殊)。
・宗教の教えは生活の知恵なので、生活環境が違うとピンとこない。
・キリスト教化した国は基本的に軍事的にキリスト教国家に下ったところ。異なる文化地域を支配するツールとして宗教が使われてきたが、日本は第二次大戦まで占領・植民地化されていないし、占領時のアメリカはキリスト教化の政策を取らなかった。
・神道と仏教でだいたい事足りたから。
ざっと思いついただけ。 日本にキリスト教が広まってたら強硬な反米国家になってたと思う。 神社仏閣も拝んで良い、とか戒律を日本式に改変させることが可能ならそれなりに普及したんじゃないか? 宗教や文化の伝搬は、権力や軍事力、生活レベルに差があると伝わってくるものだから、
当時生活レベルがそれほど違わない日欧間に宗教は伝わらない、仏教も欧州に伝わらなかったし
生活レベルがもっと上だったイスラムにはまったく伝わっていない
生活レベルが同程度は、津波の防潮堤の役割 プロテスタントの私が考察してみた
キリスト教、特にローマ・カトリックは純粋にユダヤ的一神教ではなく
ヨーロッパの多神教や哲学を取りこんだためヨーロッパでの普及に成功したのだろう。
カトリックからマリア崇敬や聖人崇拝、煉獄などを除外したものがプロテスタント
だとすると、ヨーロッパ人の信仰形態が多神教から一神教に変容するためにはやはり段階
を踏む必要があったと言える。日本でのプロテスタントの布教はその過程を無視したもの
で非現実的なのだろう。
もう一つ、あなたの若い日にあなたの造り主である神を知りなさいとか、子供のように
ならなければ人は神の国に入れないというような聖書の言葉からすると、それぞれの国、
民族に独自の、聖書と異なる神話や信仰がある以上、そのような環境でキリスト教徒を
増やすためには、大人よりも子供への布教(悪い言い方をすると洗脳)のほうが効果的
であると考えられる。三つ子の魂百までとでもいうか大人になってから幼少期から慣れ
親しんだ教えと異なる宗教を受け入れるのは心理学的に難しいに違いない。
もう一つ、なぜか分からないのだが、日本のプロテスタントの牧師は誰でもいいから
とにかく教会に引っ張って来て定着させようとか、信者どうしの結婚を世話して次世代へ
信仰を継承しようとかそういう熱心さが欠けていて、ただ自分の言いなりになるお人好しな人
だけが来るのを待っていて、自分と意見の合わない人、自分に向かって何か提案する人は一人で
も教会にいて欲しくないという人をよく見かける。モルモン教やエホバの証人のほうが伝道に熱心だ。
幸福の科学や創価学会も熱心だ。なのに…。そんな聖職者の下では教会員がなかなか増えない。
なぜ我儘な非民主主義的独裁者タイプの人間が教会のトップに立つのかこの理由を研究したい。 BSワールドニュースの通訳さんがやたら鼻声、まで読んだ 【週刊実話】韓国文在寅大統領の“思想”に似ている日本の一部のカトリック教会組織〜ネットの反応「ウリスト教に斬りこむ週刊実話…これぞジャーナリズムだ」
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