キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか 2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>831
まあ全ての国に当てはまるわけじゃないが大体的を得てると思うよ
120年前に書かれた書物だけど、流石先人は偉大だよ >>832
「プロテスタントの方は」なんていう言い方したら
まるでキリスト教がカトリックとプロテスタントの二つに二分されてるみたいやん
正教はどうした? わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。
何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。
法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。
(白取春彦「勉学術」) >>829
どう屁理屈をつけても、あれは明らかに多神教の「御神体」由来だろうにw
神道の御神体と同じ。「石神」だな。
石神への崇拝要素を、敢えてほんの少しだけ残すことで、
メッカにおける信者の取り込みと教義の安定化を図ったんだろうね。 ハッジはイスラエル、ユダヤ教にも見られた
離散ユダヤや軽い改宗者が何万人もエルサレムへ巡礼した
お金もうかるしセム系の思想だろう サヒーフ・ムスリム 巡礼の書 黒石への口づけに関して
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol2-353.html
サーリムは彼の父からきいて伝えている
ウマル・ビン・ハッターブはカアバの黒石に口づけしたあと、次のようにいった。
「アッラーに誓って、私はお前が、ただの石にすぎないことを知っている。
もしもアッラーのみ使いが、お前に口づけなさるのをみなかったら、私は決してお前に口づけはしないだろう」
ハールーンは「これと同内容のハディースをザイドもその父アスラムからきいて伝えている」と述べている。
イブン・ウマルは伝えている
ウマルは黒石にキスしながらこういった。
「私はお前にキスするが、勿論、お前が単なる石塊にすぎないことを知っている。
ただ、私は、アッラーのみ使いがキスなさったのをみたことがあるため、このようにお前にキスするのである」 キリスト教を世界宗教にしたてあげた主要な国々
ローマ帝国・スペイン・ポルトガル・イギリス・フランス・アメリカ
これらの帝国主義の世界戦略(植民地)合理化のために都合の良い
イデオロギーを提供したのがキリスト教です。
普遍的価値観+他人を助ける善人意識=帝国主義のイデオロギー
という公式が世界史においては成立します。
自分の価値観を普遍的なものと思い、かつ、世界にそれを広めなければ
世界は良くならない、というような種類の考え方なのです。
あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。
(マタイの福音書 28:19)
これは、「行って、世界の人々を私の追従者にせよ」、という命令なのです。
他人の考え方や生き方を変えてやろうとする、それが、布教・宣教・伝道なのです。
他人の考え方や生き方を変えてやろうなどという傲慢な態度を捨てることが、
キリスト教を捨てるということの本当の意味です。 >>837
幕末の日本人もやたら伊勢神宮や熊野大社に詣でたがって幕府も大名も領民の巡礼を止められない
雇主も丁稚や女中の休暇願を断れないで全国から大挙して伊勢・南紀へなだれ込んでいた。
セム系だね 仕立て上げたもんじゃないから違うかな
イスラエルは第三神殿を作ろうとしてる
第三神殿は世界からユダヤ人、ユダヤ教シンパを大量に集めるようになるだろう
エルサレム巡礼は再開される 黄色人種じゃん。
黄禍論とか、ユダヤ人やらトルコ人やらアラビア人やらインド人やら支那人やらチョヅいてて困るわーってのだし。 >>844
アラブ人がモンゴロイドって、どんな世界に生きてるんだおまえ >>845
モンゴロイドとは言ってないよ?
骨相と肌の色とは別じゃん >>846
アラブ人の肌の色そもそも黄色じゃない
そしてインド人(特に北インド)はアーリア人(コーカソイド)
ペルシア(イラン)人も、当然ながらアーリア人
何か勘違いしてるんじゃねーの 聖書のセムの広がり、国、民族みても
モンゴロイドが含まれるわけがない それ言ったら、日本人や支那人やモンゴロイドの本場モンゴルの人も、肌の色は黄色ではないけれど? 心の不安は無知から生じるものです。本当は何も知らないのに、まるで
知っているかのごとく「聖霊様も、導きも、永遠の命もあります」と信じ込んで、
無知にも関らず「心の平安」を得たりするのは、知的良心の麻痺状態を
あらわしています。知らないときは知らないことを認めるのが
知的良心というものです。信仰は知的良心を麻痺させます。
聖書は、徹頭徹尾、人間の立場から読まねばなりません。どんなに
「神様の御胸は何か」と尋ねても、人間が人間であるかぎり、それは、
「神様の考えはこうであろう」と考える人間の考え、でしかないからです。
そのことに思い至らなければ、一人の人間の一つの解釈にすぎないものを、
「神の考えそのもの」だと思い込んでしまうでしょう。キリスト教信者が、
自らを神と非信仰者の仲介者の立場に置き、しばしば、非信仰者に対して
上から見下げるような態度で臨むのは、彼らがそのことに気がついていないからです。
人々が「聖書は真理だ」と信じるためには、彼らが聖書を研究しないこと
(自分の都合に悪いところには目をつむる)が必要です。キリスト教信者は、
聖書に関する書(信仰者に都合のよいことしか書いてない)は読みますが、
聖書そのものはあまり学びません。教祖信仰を支えているものが
教祖に対する無知であるのと同じように、聖書信仰を支えているものは、
聖書に対する無知であり、真実を知ろうとする探求心の欠如です。 >>852
ok。
「私はお前にキスするが、勿論、お前が単なる石塊にすぎないことを知っている。」まで読んだ。問題ない。 「エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上っていくと、町から小さな子供たちが出て来て彼を嘲り、「禿げ頭、上って行け。禿げ頭、上って行け」と言った。(2:23)」
「エリシャは振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。(2:24)」
感動すら覚えるわ のぼっていけってのは天にめされろの意味で死ねってことらしいな 古代イスラエルは砂嵐と常食がカシュルートでパサパサの羊肉やから育毛には最悪な環境やからな、そらハゲるやろうな |
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また髪の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\ 宣教師たちは自身を「隣人愛と博愛の人々」と日本人に印象付けをしたかったようだが、
うまくいかなかったようだ。 日本の歴史や文化を理解しようとしないでキリスト教を押し付けてきた無能宣教師達が悪い
先祖崇拝自然崇拝が当たり前の中でただ唯一神のみ信じろというのは無謀に近い
未開の島国や小国なら力づくの布教でもなんとかなったが如何せん日本に来るのが遅すぎた イエス・キリストは復活したのではなくて、仮死状態から生き返ったにのに過ぎないだろ。 近年は動物愛護とかいわれてるけど。動物愛護って、キリスト教の反するんだよな。 欧米で動物愛護を唱えている人たちは
ヒッピー運動の流れでヒンドゥー教にハマった人たちだろう 全ては神の被造物で動物も自然も神が人間に与えたものだからね
犬猫なんて可愛がったり飼ったりなんかしたらそらもう火炙りよ 日本にキリスト教が広がらなかったのは浄土教のせい。
事実上の一神教である浄土宗や真宗のような浄土教が日本で一番教勢が強い。
韓国などは浄土教はない。
キリスト教に引かれる層は浄土教が吸収した。 世界各地のキリスト教を受容した地域・民族の、受容した時期の開明度を比べてみろよ。
土人そのものの野蛮時代か、精々古代レベルだぞ。
中世型封建制にまで達していて国・地域ぐるみでキリスト教を受け入れたところは無い。
南蛮人が来た時代、日本は既に歴史が進みすぎていて、キリスト教を受け入れるほど未熟でなくなっていた。 >>868
浄土系よりは日蓮宗のほうが一神教っぽいぞ >>861
暗黒の中世の退廃した教会制度で聖職者達が無教養化したのがデカイわな
古代の使徒達はクリスマスだのヨーロッパ各国の土着宗教を上手く組み込んで同化させていったのに1000年後の使徒達はそれが出来なかった >>870
多神教は本来ハレとケみたいなタブーが多く複雑な儀礼を伴う。
一神教は単純明快。単純明快なほうが安心して信仰できる。その需要は多かったはず。
念仏が事実上一神教というのは指摘があって久しい。 >>873
それはごもっともだが浄土宗という所詮仏教の一派がキリスト教の防波堤になったとはとてもじゃないが考えられない 浄土教とキリスト教の共通点は、
「宗教的な罪の観念」を煽った上で、「至高的存在がその罪から救ってくれるから信じろ」
という内容の救済宗教ということだよ。
戦国末期の日本人信者の大半は、この感覚で入信したと思われる。
中世日本人の宗教観念とはとても適合的だった。
一神教的というのとは微妙に違う。
救ってくれる存在が何柱もあると布教上不都合なので、一神教的になるけどね。
一神教でも、イスラム教にはこのような意味での救済宗教性は乏しい。 イスラム教は
ひたすら神を畏れ崇め祈れば
もしかしたら審判で天国へ行けるかもしれないっていうもの
それって救いじゃないの? イスラム教は地上の楽園を建設する方に関心があって神様はぶっちゃけ二の次。
信仰の要素はスーフィーの修行や聖者崇敬で補っていたけど、これも内面的な救済という方向ではない。 いや神様あっての共同体だろ
救済だって喜捨による社会活動的なものが義務付けられている
個人の内面は礼拝で神と対話すればいいだけのこと >>872
キリスト教自体、組織として固まっていたから現場の判断で何かを引いたり加えたりという事が出来なかった。
実際、ガリアやゲルマン、ケルトの文化圏に布教する際には「偶像」を使用を容認するかどうかで教会が分裂した訳だし、現場の勝手な判断で異端認定されたり破門されたりでもしたら、そっちの方こそ大問題。
宣教師には基本的に「自由」は無い。
決められたマニュアルによってのみ布教が可能。
ちょっとした拡大解釈は許されるかも知れないが、根本的なものは変動不可。 けどキリスト教ってとても偶像崇拝的だよね。
イコンを持ってきて踏ませるという、踏み絵で信徒を炙り出せるくらいに。
仏教はお寺の拝殿にほぼ必須で立派な像が据え付けられていて、その像に向かって日々礼拝しているけれど、
拝んでる対象がその像ではなく像の先にあるものと僧も信徒も理解しているから、金属の必要な事態で銅製の
像を鋳鎔かしても非難されなかったり、凍えて助けを求める人があった際に僧が木製の像を割って薪とし話を
美談としたりする。、 本来見えなかったはずの神を目に見えるイエスだと言い出した時点で偶像崇拝になっていくのは必定 その点についてはマホメットは用心深いよな。
預言者たりとて人は人。
しかも神の姿・神の声は見えず聴こえずで、天啓は天使ギブリールを介してもたらされた。
どうして、悪魔悪霊ではなくギブリールだと判ったか、もたらされたものが本物の天啓だと判ったか、
という疑問には、それが判るのが預言者だ、と。 >>881
>けどキリスト教ってとても偶像崇拝的だよね。
しかし、幕末明治期に日本に来たアメの宣教師どもは日本人をさして
いちいち「これら偶像教徒は云々」と・・・ >>874
日本仏教では念仏は最大勢力だよ。
密教のように複雑な儀礼やタブーを伴う事もなく禅のように難解でもない単純明快に阿弥陀一仏を信じるだけで救われるとする。
需要と供給の法則で一神教的供給は念仏がしてたから相対的に同じ布教市場にあるキリスト教は需要が少なかったのだと思う。
禅宗系の曹渓宗が9割を占める韓国ではキリスト教徒が多いし。 >>882
正教会ではイコンは偶像に当たらないとしてる。
偶像だと決め付けられてイコン破壊された時代もあるがそれは一時だった。
カトリックはイエスやマリアの像まで偶像ではないとしてる。 >>887
韓国ではキリスト教が目立っていて
市内の山の上から見下ろすと真っ赤な十字架ネオンだらけで驚くが
それでも仏教と拮抗していてそれぞれ30%ずつだという >>890
まぁ信仰上の方便だろうね。
イコンのような絵画やカトリックのイエスやマリア像のような像があった方が一般信者には分かりやすい。
プロテスタントになるとカトリックの像も廃して十字架のみをシンボルにする場合も多いけどね。 >>887
そうかもしれんがそれだけが普及しなかった原因じゃないだろ
1番の要因は>>861だと思うんだが >>861
>>880
でも、「上書きによるすり替え」はできるよね。特に暦と年中行事の擦り替え。他の文化圏における布教の王道中の王道。
新嘗祭をクリスマス、春の彼岸会を復活祭、端午の節句をペンテコステ、七夕またはお盆を聖母マリア被昇天…
と上書きしていくことは余裕でできたはず。つうか、古代のヨーロッパでキリスト教がやったことはこれだった。
実際、キリスト教の年中行事の大半は地中海北岸から西ヨーロッパにかけての多神教行事が上書きされたもの。
そして、湿潤な北半球中緯度地帯の場合、農耕と気象に基づく行事はユーラシア大陸の東西を問わず結構揃うので、
ここに書いたように、よく似た時期に日本の伝統行事がかぶる。
少なくとも明治以降の日本のキリスト教はまったくこれをやらない。もはや無能だと俺は思う。 なお、なぜかこのやりかたをやたらと警戒してるのが+のネトウヨのみなさん。
彼らによれば、
バレンタインデーは紀元節を上書きする陰謀で、ハロウィーンは明治節を上書きする陰謀らしい。
まあ、あいつらは案外わかってるのかもしれん。
紀元節に明治節、伝統の射程が短すぎて「草生える」けどさ。 >>891
十字架の形が崇拝対象の偶像なのよ。
自分らがそういう偶像に心を縛られてしまってるから、偶像崇拝でも何でもない仏教が偶像崇拝に見えたり、
逆卍をことさら排斥したりするんよ >>892
単純に19世紀末〜20世紀頭の朝鮮の歴史進歩度が低かったからだろ。
制度的に律令時代、日本の政治・産業顧問団が行って見た感想は「貧窮問答歌そのもの」、つまり、飛鳥時代化奈良時代のレベルの古代。 >>888
そういうことを確認すればするほど
十戒の偶像禁止は
信仰というものに対する無理解を露呈するだけの
愚かな教えだということがわかるな
一部のセム人は美術的な文化を根本的に欠いている
それこそ遺伝子レベルの欠陥なんじゃないかと思うぐらいに
キリスト教にせよイスラム教にせよ、
ひとたびユダヤ人やアラブ人の手を離れるや
大なり小なり美術的な文化の花を咲かせることでわかる
ペルシャのミニアチュールしかり、ブルーモスクしかり イコンは偶像とは扱っていないし、絵画も同じ
同じベクトルで考えれば神像も偶像でなくすことができる
しかし明らかに十字架は偶像
●キリスト教徒は偶像禮拜者なり。彼等十字架の前に跪く故なり。<キムヒ法師>
●カトリック教司祭が手に持つ銀の十字架及び香を焚く香爐は偶像礼拝に属するもの
なり。<アシェル法師>
考え方を間違ってはいけない
創価の文字かいた本尊のほうがイコンより偶像なんだよ ユダヤ人でもキリスト絵画を指して偶像であるとはしていない
キリスト教徒も聖書読んでて警戒してるんだからある程度は理解してる
しかしそれでも十字架の首飾りを持ち上げてそれに願をかけるなんてことを許容していた
結局気づかぬまま偶像崇拝を行ってしまっていた
それ故聖書にかかれている
「この地上にあるもの、天にあるものいかなるものの形をも作ってはならない
それにひれ伏してはならないから」 >>896
いくらなんでもそれは無い。
経済的には鎌倉時代並みというのが当時の評価で、
しかも学問などは貧しい割には進んでいた(これは今の北朝鮮にも共通する)。
で、欧米からの伝統的なキリスト教の宣教はあまり成功していない。
独立後の韓国でキリスト教が成功したのは韓国独自のスタイルに脱皮したから。 それでも酷いな、鎌倉時代並って。
元寇とかバチバチやりあった時代だろ、しかも高麗は攻め側。大モンゴル帝国の支邦。
モンゴル帝国っちゃあ、ビザンチンや回教圏を通ってきた西洋人も仰天の豊かさだった当時の大先進国。
鎌倉時代に経済・文化を比べたら、高麗の方がはるか上のはずよ。
それがどうして、600年の内に、後退したんやら。 >>894
そんなの聞いたことない
相変わらずの一枚岩ネトウヨ観が浅すぎ
すべての伝統は5分前に作られた
長さに意味はない >>898-899
イコンはただの偶像でFA
詭弁にもなっていない、ただの強弁 イコンは偶像「崇拝」ではないが昔の十字架は完全に偶像崇拝
絵画も偶像とは限らないし彫刻も偶像とはかぎらない(どちらもイスラエルにある)が
パワーストーンのが偶像崇拝 >>902
こういうことらしいよ。今年のN速+のハロウィン関係スレで、よく似たレスを何度も見かけた。以下転載。
317 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2018/11/02(金) 19:43:23.01 ID:yZVmZODr0 [6/15]
401名無しさん@1周年2017/10/28(土) 13:56:26.19ID:xgv0eY3e0
>>264
確か、神道の重要な日にかぶるように
キリスト教由来の行事をぶつけて、マスゴミ(あと製菓業界)がごり押ししてる向きがあるんだよな。
歴代天皇および今上陛下への尊敬を忘れさせ、陳腐化する狙いが見て取れる
・バレンタインデー(2/14)→紀元節(2/11)
・イースター(3月下旬〜4月上旬)→神武節(4/3)
・ハロウィン(10/31)→明治節(11/3)
・クリスマス(12/25)→今上陛下御生誕日(12/23)
・ジーザスレインズ(8/15)→終戦記念日(8/15) <New!>
467名無しさん@1周年2017/10/28(土) 15:04:46.12ID:xgv0eY3e0
>>456
ハロウィンの仮装パレードを日本で始めて大々的に開催したのは川崎市。
ハロウィンやイースターで特にお菓子をごり押ししてるのが
ロッテとディズニーランド(運営会社はそうかそうか)
これだけで御察し
あと、一番新しいジーザスレインズではもっとやばい事
(キリストが日本の王として統治する→天皇否定)をやらかしてる
ttp://jesusreigns.jp/movies >>904
「崇拝」という言葉自体に貶める意味がある
だから正教のイコンだろうとカトリックのマリアだろうと
崇拝とは言わせないと言うだけ
マリアについては「崇敬」という言葉を使う
英語でworshipというのも異教にしか使わない
だから仏教や神道についてworshipという
言葉を使っているのを見たら日本人は怒っていい パウロ書簡に偶像崇拝禁止と書かれてて初期キリスト教は偶像破壊してたのに
絵画も像も全部崇拝みたいに拝んでると思うか?
絵かいたら偶像崇拝か だから崇拝しようがしまいが偶像を作った時点でアウトなの >>910
ユダヤ人画家いないことになるがな
偶像崇拝者は目の開かれていない土人
彼らは何が偶像崇拝かも理解できない >>912
有名なのはいないよ
強いて言えばシャガールだが、
メッセージ性が強すぎて
絵画というよりは壁画だよ
つまり文字と絵、文章と美術が未分化
さんざんユダヤ性が疑われているアシュケナージだが、
皮肉にも有名な画家がいないという事実によって
ものすごくユダヤ的な民族だということがわかっている >>913
著名画家とかじゃなくても
ユダヤの生活を書いた絵画とかあるがな
何も形づくってはいけない=何も書いてはいけない
そのまま受け取るとそれも禁止 あなたはいかなる像も造ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。 >>915
だから絵かいた時点でだめか?という話
いかなる像も作ってはいけないというのはそれが結局偶像崇拝に行き着くから
キリスト教は聖書に散々書かれている偶像とその祈りを否定した
当然偶像崇拝にはならないと思っていたんだろうが
絵画も像も芸術やただの指標としておいただけだったが
十字架は偶像化してしまった
十字架を握りしめてそれに祈る、願いをかけるなんてのは完全な偶像崇拝だからユダヤ教徒に指摘うけてる
「いかなる像、形も作ってはならない」はそういう隠れた偶像崇拝を産まないためのいましめ キリスト教は何故、日本で広まらなかったのか
ってあるけど、日本だけでなくアジアでも広まらなかった、中印東南アジア
原始宗教しかない地域に一番乗りできたか、
武力征服できた地域にのみ他の宗教が広まる
もともと無理なことをできるように言うスレタイトルは間違い 朝鮮半島には広まったでしょ。ピョンヤンはかつて「東洋のエルサレム」と呼ばれた。
キリスト教は、民度の低い民族や祖先の歴史を忘れた民族にはすぐに広まる。 >>914
風景画や静物画は問題ないんだよ
動物の絵だって崇拝しなきゃ今ならどうってことないだろう
問題は人物像だろ キリスト教も地方のさびれた宗教なんだよ。エルサレムが世界首都になるぐらい
出世してほしい。 まずは東エルサレムの土人を何とかしない限り発展は見込めない キリスト教が抵触したのは祖先を重んじる価値観だった。
家系を重んじる支配層からは概ね拒絶されたが、祖先を特に意識しない庶民層では広がった。 エルサレムはイスラム教の聖地でもあり、最初のキブラ(礼拝の方向)でもあった
後にムハンマドが新しい啓示によってキブラをメッカに変更したが、
聖地の1つであることには変わりない 悪人正機説は、絶対唯一の正義を重視する朝鮮の価値観に馴染まない。 韓国人がキリスト教の「汝の敵を愛せ」「善きサマリア人のたとえ」
を理解していたら
日本人を人間扱いしない反日行為なんてとっくに終わっている >>928
それは違う。韓国の人々は、「汝の敵を愛せ」で北朝鮮を愛している。
日米は韓国に攻撃してこないからこそ安心して日米を憎むことができる。
すぐに報復してくる中朝と違って日米は恐くない。恐くない相手はそもそも敵ではない。よって愛する必要もない。 >>929
冷戦が終わって東西陣営による対立関係でなくなり、
南北朝鮮はとっくに敵国関係ではなくなっている
敵視する必要がないんだから、愛する必要もないだろう
…そもそも「愛する」って「必要」があってすることなのか?
そっちが先に言ったことだが レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。