スターリンは、小さい時から故郷の正教の聖職者学校に通い、16歳から20歳まで
グルジアの首都のトビリシのグルジア正教の神学校で教育を受け、その後、棄教して
マルクスレーニン主義者になった人物です。このことが、これまで余り顧みられて
こなかったように思います。

棄教してから、恐らく聖書など再読することはなかったでしょうが、若きスターリンに
注入されたキリスト教の論理から、スターリンはついに解き放たれることはなかったと
考えないと、スターリンによる、同性愛の取り扱いの180度転換・・というか復古・・の
説明ができないのではないでしょうか。スターリンは同時に、一時解禁された妊娠中絶
を再び禁止させてもいます。

このことは、スターリンが、マルクスレーニン主義をスターリン主義に変貌させるに
あたって、キリスト教の基本的な物の考え方が決定的な役割を果たしたであろうことを
強く推認させるものです。ということはまた、マルクスレーニン主義とスターリン主義が、
通常考えられている以上に大きく異なることをも示唆しています。

この、聖書の記述は信じないがキリスト教の論理には束縛されている状態というのは、
米国のリベラルキリスト教徒と同じです。これの恐ろしいところは、聖書という防波堤が
無い為に、キリスト教の論理の適用範囲が無限大に広がってしまうところにあるのです。
彼らは、キリスト教に内包されている区別/差別/敵味方峻別の論理、終末論、殉教思想、
選民思想等に徹底的に覊束されているため、人種主義的になり、暴力志向傾向が強まり、
双極性障害的となることから自己肥大/陰謀論/被害妄想に囚われ、極端から極端へと
ぶれがちなのです。

これでスターリンとルーズベルトが相思相愛に成り、共謀して全世界に甚大な災厄を
与えた理由が分かります。正に両者はリベラルキリスト教徒の“同志”だった訳です。