第一と第二の結果、キリスト教は、2重に水で薄められた物と成って、信徒に届け
られてるってワケだ。(当然と言えば当然であり、キリスト教教義の核心の一つである
「利他主義」なんてもの、実践できる生身の人間なんて殆んどいやしない。
教義の実践を、有難ーいことに、権力や教会が妨害してくれるってこと。)

翻って、米国のリベラルの多くは、キリスト教に内在する論理だけを信奉し、聖書の
記述に囚われない、いわんや教会の言うことなど歯牙にもかけないという意味で、
いわゆる原理主義者の顔色をなからしめるほどの、純粋なキリスト教徒なのだ。

つまり、リベラルキリスト教徒に於いては、キリスト教に内在する差別性や暴力性や
利他主義・利己主義のぶれ等が、他の何者によっても規制されないことから、
彼らが米国のような強力な国を牛耳って対外政策を展開した場合、米国以外の国や
社会が蒙る迷惑の度合いは、キリスト教原理主義者の場合に比して遥かに大きい。