虐げられた者、弱き者、救いを必要とする者の神は、強い神であるほど理想的です。
救い主として神は自分たちを苦しめてきた敵(悪)の力から救う力を持っていなければ
ならないからです。弱い神では、敵(悪)の神に負けてしまいます。したがって、
強い神をイメージすればするほど、自分たちが救われる確信が高まります。しかし、
自分たちを救ってくれる人類の絶対的支配者としての最強の王たる神は、同時に、
自分たちを支配する神でもあります。自分たちの救いの希望のために、
無限に拡大してしまった神の力は、今度は、自分たちの生を支配する、
絶対的支配者になってしまうのです。
自らの無残な状態から解放してもらうために、解放者に多大の権力を預けるとき、
解放者との間の関係は、支配者と奴隷の関係に必然的に陥るのです。
助けてくださる有りがたい教祖様は、信者が従わなければならない支配者に
必ず化けるのです。「うちの親分は強いんだ」と外で威張ることの出きるチンピラほど
その親分に何も言えない奴隷なのです。国民が政府に依存すればするほど、
政府は権力を委託されることになり、政府は<助ける者>から
<支配する者>に必ず化けるのです。