質問をすると誰かが物凄い勢いで答えてくれるスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
質問スレがないので立てました
疑問に思ったことを投げかけるとどこかの誰かがものすごい勢いで答えてくれるかもしれないスレです
答えてくれない時もあるので期待してはいけません
みんなで仲良く使いましょう >>76
むしろ先祖の中に全く一人たりとも楽浪郡朝鮮県や衛満朝鮮・箕氏朝鮮の出身である人物がいない日本人というのが居るのかということの方が知りたいね >>76
先祖が衛満朝鮮人や箕氏朝鮮人だったという日本人はほとんど存在しない >>80
先祖が衛満朝鮮人や箕氏朝鮮人だった証拠を出してみろガイジ >>82
先祖が衛満朝鮮人や箕氏朝鮮人だった証拠じゃないだろガイジ >>84
どんなに否定しようがお前のそのチョン顔も朝鮮から来たんやで >>86
馬鹿チョンのおまえが顔面透視しても無駄
衛満朝鮮人や箕氏朝鮮人のは朝鮮とは別種だぞ >>90
よお、チョンコフェイス
チョンコフェイスコンプレックスだからそんな質問してるんだろ?
お前モテそうだもんな、韓国で 高句麗壁画の手博図にも朝鮮人の末裔である>>95が描かれている 馬鹿チョンの脳内には>>80と>>96の妄想で満ち溢れてる >>89
おまえら馬鹿チョンはなぜ語尾にニダをつけてるの? >>89
おまえら馬鹿チョンはなぜ日本人と違って語尾にニダをつけてるの? >>107
はいそうです
古代から倭人は半島から韓人を強制徴用して土木工事で働かせたり慰安婦にしたりしていました(いわゆる渡来人)
それは日本書紀や三国史記などの文献や遺跡からの出土物、日本人の遺伝子構成からも明らかです >>107
古代から倭人はチョン半島南部を支配してました >>111
新羅は古代日本人が作った国で日本の属国だった 朝鮮人は支那人とモンゴル人と日本人の混血なのですか? >>114
古代の朝鮮は支那人が支配して、三韓は日本人が渡海して支配した >>4
> 当事者ではない人が妥当と解釈する事が出来るのでしょうか?
解釈は自由です
> 歴史の因果関係に正解は存在するのでしょうか?
正解はあります、その結果が現在です
> 仮に正解がないとするのならば何で受験で因果を問う論述問題が出題されるのでしょうか?
IFはありません >>114
もともと古代に朝鮮人なんて人種は存在しない 朝鮮人は日本に統治され日本人と同等に教育を受けてたのに、
なぜ日本人と違って知能が低いのですか? >>114
支那・日本・モンゴルという地名乃至民族名は朝鮮という言葉が出来た時にはまだ存在しない
支那は6世紀末の隋代、日本は7世紀、モンゴルは12世紀が文献上の初出であり、紀元前2〜1世紀の前漢代には既に地名として知られていた朝鮮と比べて遥かに新しい
故に「朝鮮人は支那人とモンゴル人と日本人の混血」という言い方に関しては間違い
ただし「朝鮮人の先祖は今でいう支那とモンゴルと日本に相当する場所からやってきた」と言うなら正解
なぜなら朝鮮半島には8000年前より以前の長い期間に人間の居住した痕跡が全く見つからない時代が続いており、外部から人間が流入したと考えないと朝鮮人は地球人ではなく宇宙人の末裔になってしまうからだ 朝鮮人は低知能なくせに、なぜ優秀な日本人を同胞認定するのですか? >>123
朝鮮人は馬鹿チョンなので、同胞認定してもバレてないと信じ込んでるんだよ >>123
あいつらは優秀な日本人が羨ましいから、なりすまそうとしているのです >>121
日本人と同等に教育を受けても、遺伝子レベルで腐りきってるのでチョンは知能が低い このババアはチョンですか?
米テキサスで売春婦を検挙(48〜73歳)@2016.09 http://i.imgur.com/XQfpmSe.jpg >>122
日本列島だって旧石器時代には人は住んでいなかったんだぞ 間違って雑談スレに書いた質問を再掲:
高校世界史とかwikiで「農奴の期限」と書かれているコロヌスは、
勅令で移動を禁止されたとのことですが、
帝政と言えど、ローマ市民権を持った自由人を奴隷化できるんですか?
あるいは、既に奴隷的身分だったコロヌスの立場を、勅令で確認しただけなのでしょうか。
例えば、勅令が出された後に小作契約を結んだ場合はどうなるのか?
小作をすると子々孫々奴隷化するというなら、そうとう奇妙な法律ではないか? >>134
読んだけどコロヌス奴隷化の仕組みが分からん。 <昭和天皇は米軍による沖縄の長期占領を望んでいた>
戦後の1946年、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わって天皇が政治に介入できなくなったにもかかわらず、その翌年の1947年に、昭和天皇は政治に介入した事実がある。
当時、昭和天皇は宮内庁御用掛を務めていた寺崎英成に「米軍による沖縄の長期占領を望む」という自身の希望を伝え、その天皇のメッセージがGHQの政治顧問だったウィリアム・シーボルトを介して米国国務省にも伝わっていているが、
サンフランシスコ講和条約第3条により北緯30度以南が米国施政権下に置かれたことは、まさに昭和天皇の望みが見事に叶えられたものといえる。
昭和天皇が米国に伝えたとされる「天皇メッセージ」の原文は雑誌「世界」(岩波書店、1979年4月号)で詳しく取り上げられていて、後に「分割された領土」という書名で岩波現代文庫からも発行されている。
「分割された領土」(岩波現代文庫)
https://www.iwanami....KS/60/X/6000910.html
昭和天皇は沖縄がもともと琉球王国という独立国で日本固有の領土でなかったことをよく知っていたから、その沖縄を外国に譲渡することになんのためらいもなかったといわれている。 北方四島のうち、国後、択捉は日本の領土ではない。
その証拠に日本は第二次世界大戦で敗れた後、1951年にサンフランシスコ講和条約を締結したが、そのサンフランシスコ講和条約の条文に「千島列島を放棄する」と書かれている。
当時の吉田茂首相は、サンフランシスコ講和条約の受諾演説で「国後と択捉は千島南部」と発言しているし外務省の西村条約局長も国会で「国後と択捉は千島列島に含まれる」と発言している。
千島列島に含まれる国後と択捉は、当時の吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約に調印した時点で日本は放棄したことになる。 日本政府は2013年4月28日に主権回復の式典を開催したが、このとき、安倍首相は「サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日に日本は完全に主権を回復した」と国会で発言している。
しかし、日本は形式的には主権を回復したが、実質的にはまだ完全には主権を回復できていない。
その理由は以下の通り。
1.安倍首相が「主権回復の日」の式典が開催された翌日にロシアに行き、北方領土の返還を求めている。
2.東京、埼玉、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬、栃木、新潟の上空約5000mまでは米軍の管制空域である。
3.岩国基地がある山口県の上空も米軍の管制空域である。
4.日本の領土(民間地域)に米軍機が墜落、または機体の一部が落下しても日本の警察は現場検証すらできない。
5.嘉手納、横須賀の住民が爆音訴訟を起こしても、日本の裁判所は米軍に対して訓練の飛行禁止を命じられない。
サンフランシスコ講和条約が発効された1952年4月28日は日本が主権を回復した日どころか、逆に対米従属を決めた日であると言える。 「歴史とは何の定義を持って歴史というか考えたことがあるか。>>1よ。
今までの私ならば人間が移り変わっていた過去を示すものだと思っていた。
歴史学とはかくあるべき、歴史学者である私達はそれを信じて毎日を費やしてきた。
ここに一つの仮定を、もうけてみようではないか。
過去から現代へと至る道が、唯一無二の、一つの道では無いとしたら、どうか。
バカバカしいと思うのならば、道が唯一無二のものであるという論証を、お前にできるかな?
歴史とはなんだろうな・・・人類変遷の記録か?
違うな、それは単に、ある時刻に起きた事象の記録に過ぎないのだよ。それは歴史ではない。」
「時の流れとは不可逆なものとして存在するのではなく、可逆な概念であることを理解するのだ。」
>>1「可逆だって?じゃあ歴史は繰り返されるということなのかよ」
「そうではない。歴史は不可逆な概念なのだ。
その差は微細にして多大であることを知れ。
その違いに気付いた私は、ある場所へおもむく決心をした・・・。
歴史は繰り返さぬ・・・だが時の流れは可逆であるのだからな。
この手紙を読んでいるころは、私は貴様の前から姿をくらましているだろう。
だがそれは、私自身の死を意味するモノではない・・・・。 アメリカ「連合国」の首都は、1861年2月4日から1861年5月29日までアラバマ州モンゴメリーにあった。
1861年5月6日にバージニア州リッチモンドを新たな首都とすると宣言し、5月29日以降リッチモンドへ移転した。
・・・そうですね。なぜ、首都をモンゴメリーからリッチモンドへ移転したのでしょうか?
最前線に近づいてしまっているようですが。 明の永楽帝は即位すると南京から北京へ遷都して何度もモンゴルへの北伐を繰り返している。
即位前は燕王だったから元々の地盤でもあるけど遠征に都合が良かったのもあるだろう。
アメリカ連合国の事情は知らないけど。 敵の近くに遷都するのは積極的に侵攻しようという姿勢や
敵から遠いとこに遷都するのは逃げの姿勢や アメリカ連合国の遷都について、なるほど、ありがとうございました。 名君や聖君と呼ばれた立派な君主が
何らかの要因(身内の死のショック・配偶者の不貞による憎悪・精神病)によって
暴君に"闇落ち"してしまった事例というのは世界史上で多々あるものなのでしょうか? 女色に溺れてというのはよくあるけどねぇ。
唐の玄宗は名君だったけど楊貴妃の色香に溺れて堕落して安史の乱を招いた。
暴君ではないけど政治を顧みなかったので悪人が好き勝手した。 あと、関羽が呉に騙し討ちされた事に憤激した劉備が
周囲が止めるのも聞かず無茶な報復を企図して失敗した挙句、
自身も途上で病没した演義でのエピソードは史実ではどうだったのでしょうか?
>>146
有り難う御座います。 >>147
劉備の例がありましたね。正史の法正伝に諸葛亮の言葉として「法正殿が生きていれば、陛下(劉備)の
東征を止められたはずだ。仮に止められなくとも、今回のような大敗はしなかっただろう」とあるから
諸葛亮は止めたかったけど出来なかったことは確かです。でも荊州を奪い返す必要はあったし、
途中までは連勝して押してたから間違いとも言い切れない。勝ちに乗じて補給線が伸びすぎたのが
仇になったけど。 >>148
有難う御座います。
あと、中国以外では暴君ネロも最初は善良な皇帝だったそうですね。 辮髪が禁止されたのって同化政策以外の理由は特にない感じなんですかね? デュラントの世界の歴史 って評価はどんなもんでしょうか?
自分は中公文庫の世界の歴史は持っています
今の世の中の流れを知るには啓蒙とか理性とかの時代を知る必要があると思い、
検索していたらこの人の世界の歴史という本を見つけました
評価はどんなもんでしょうか? >>152
天皇陛下は朝鮮人の末裔であることに誇りをお持ちであります アニメ化の時のトンデモ設定が受け継がれてるんでしょう >>152
百済王の子孫という自負を語っておいでです >>157
曹操の先祖を辿ると黄帝に行きつくという
ならば曹操の髪の毛が黄色いのもうなずけよう >>160
野獣先輩の先祖はモナリザだからね、仕方ないね 貴族の称号で「辺境伯」というのがありますが、
辺境子爵、辺境男爵、辺境侯爵、辺境公爵といのは、検索しても見つけられませんでした。
これらは無かったのでしょうか?
無かったとしたら辺境領主が伯であって、ほかの階級の貴族でない理由は何でしょうか?
辺境子爵、辺境男爵、辺境侯爵、辺境公爵というのは、(当時の感覚としては)あり得ないものだったのでしょうか? 領主に与える基本的な爵位が伯であり、国境に近くて防衛上重要な者に与えたのが辺境伯です。
ヨーロッパの爵位の起源はフランク王国の官職名だったらしい。個人に与えた官職が次第に
勝手に世襲されて爵位に変化していった。英語でconte、ドイツ語でGrafそれを日本では伯と
翻訳した。辺境伯は英語でMargrave,ドイツ語でMarkgraf。
そして公爵は王と同類の有力なあるいは権威の高い君主の称号です。例えばイギリスの皇太子は
プリンスオブウェールズの称号を持ちますがこれはウェールズという国の大公という意味です。
ウェールズはだいぶ昔にイングランドに併合されて称号も奪われてしまいました。
さらに侯爵はドイツのフュルストという爵位の翻訳語であり、ドイツ以外の国については公と伯の
間の爵位である辺境伯の翻訳語ということになるそうです。ややこしい。
男爵と子爵は伯より下の爵位を後から作った時にできました。
まとめると辺境伯は伯爵ではなくて伯爵の上位の爵位です。 >>166
>国境に近くて防衛上重要な者に与えたのが辺境伯です。
重要な者により大きな権限を与えたのが辺境伯です。 フランス
意味としての辺境伯は公、ノルマンディやブルターニュ公など。
のちに公は、王族の公、名誉称号的な公が出てくるので紛らわしい。
単語としてはMarkgrafは侯爵(marquis)が引き継いでいる
しかし、marquisを辺境伯と訳しても辺境伯らしくないので侯爵にしている。
王(中央)に直接伺いを立てないでその地域での要塞築城権・
招集権・防衛権・防衛挙兵権などを有する。
辺境に男爵や子爵、騎士が駐屯していても、下っ端は辺境男爵とは訳さない。
トップにぶら下がっているに過ぎない。あったとしても男爵や騎士そのものに直接権利がなく、代理・臨時行為にすぎない。
男爵・子爵は規模が足りない。
ドイツ語圏と比べると中央集権が速く、さらに近世になると官職になるのでなおさら意味をなさない。 ドイツ語圏
もともとは辺境伯と辺境伯領がそこそこ一致していたが、
のちに乖離して
選定候が辺境伯領を保持しても辺境伯領のままで辺境侯爵とは呼ばれない。
男爵が辺境伯領を保持すると辺境伯と呼ばれる。
また新設して辺境公領などが設置されていない。
地域王としての公爵(自地域では王と名乗れるなど)でなければ、王族の弟・子孫などを他の上位貴族との差別化のために公爵を設置する
称号公爵が多い。王の息子が非常に多いと分ける領地がないいし引き上げがきりがないこのため
領地と爵位の乖離が出始める。領地を分けると分割相続もどきになる。
辺境伯が功績により公爵などに格上げされたとしても、領地のない称号公爵で領地は辺境伯のままで
辺境公領に格上げされない。
公が増えまくると大公を上乗せ。 いいねー。勉強になる。
辺境伯ってショボいと思ってたわ。 日本人ではなぜ哲学が発達しなかったのでしょうか?
大陸では観念や実在についての考察が進み、西洋のイデア論やインドの諸哲学や中国や韓国などの性理学が生まれました
形而上学の誕生です
ところが日本にはついに形而上学が発生しませんでした
菜畑遺跡では韓半島から農耕が3000年前に伝わっていたにも関わらずです
哲学どころか文字さえなく暦もなく算術もありませんした
王仁博士が学問伝えるまでは倭人はトンデモない未開の低知能な土人集団だったといえましょう
今でも日本人を観察すると形而上学に弱い民族に思えます
金融や法律、数学や物理やITなどの高度な知的レベルにふさわしい民族ではないと思います
この島国で哲学が生まれなかった事と関連があると思います 古代中国で「裁縫を始めるのに絹を以って練習させるものだと」という警句がありますが
それがどの時代の誰がいったか、詳細が全く思い出せなくなって困っております
ご存知の方がおりましたら教えていただければ幸いです >>171
仏教哲学があったが、仏教が閉じているため
一般か世俗化のすすみがのろかった
老後・世捨・隠居・反省で仏教・仏門に入るからヒッキー性が強い >>171
仏教の哲学も宋の性理学も日本にあるがな 仏教は哲学でない。悟りだよ。人生論の様な読み物を固めてもしょうがない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています