>>224
エジプトはヒクソスをエジプトから追い出した後、完全に滅ぼすために徹底的に追い討ちをかけた
シャルヘンを陥落させた後も、ヒクソスの再興を恐れてカナンに何度も兵を派遣している
つまり、ヒクソスがエジプトを追われて以降は、カナンの地で「ヒクソスとして」生存することは不可能な状況だったのだ

そのためヒクソス(=フェニキア人支配層)の生き残りは、自らの正体を秘匿するために、エジプトを脱出する際に下僕としてつれてきたセム系のユダヤ人(と後に呼ばれる人々)の中に入りこみ、同化して彼らになりすましたのだ
このときに言語も完全にセム系に置き換わったと思われる
当時の周辺の人々から見れば、彼らはエジプトもしくはアラビア半島から移住してきたセム系の民族と認識されていただろう

ちなみに聖書の出エジプト記は、このときヒクソスがエジプトを追われたことをモデルとして書かれたエピソードだと思われる
モーセはヒクソスが擁立した当時の傀儡の指導者(ファラオ)だったということ
マネトもそのことについて記述している