なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか
https://www.newsweekjapan.jp/stories/carrier/2019/06/post-12412_1.php

<博士号や教育・研究業績がなくても、大学教授になれるのが日本特有の現状である。
官僚・メディア・企業出身・作家・評論家等の「社会人教授」がなんと多いことか。
日本の大学はいずこへゆくのだろうか>


ところで、役人やメディア関係者らが大学教授に採用されるようになったのはいつ頃からなのだろうか。
1990年代の大学設置基準の緩和によって、大学教員に「実務教員」枠が設けられ、
新しい天下り先として大学市場が登場したのがきっかけである。

ここで1つお断りしたい。大学教授の要件として、必要条件は博士号の取得であるが、
十分条件としては、大学教授に相応しい、教育業績・研究業績があるかどうかということである。
こうした2つの条件を有している社会人教授が大学教授としての資格をもっている人といえるだろう。


一般的には、中央省庁の官僚が大学教授へ転身するようになったのは大学設置基準緩和以降のことと思われているが、
歴史を繙いてみるとそうではないことがわかる。

前述したように、明治時代、帝国大学(現在の東京大学)が設置された頃に、正統なアカデミック教授ではない、
行政実務経験を積んだ官僚が社会人教授として登用されていたのである。


こうした日本特有の大学教員人事が今なお残存しているのは、学問探求の場としての大学の役割が
日本社会ではまだ認知されていないことを示しているといってもよいだろう。